『ごめんなさい。忙しくてお弁当を作れなかったの。だからこのお金で何か買って食べてね。母より アリスへ』
体育の授業が終わり、更衣室で着替えて教室に戻る。
そして、すずかと席をくっつけて開けたランチボックスの中に、この紙切れと五百円玉が一枚入っていたのだ。
「アリサちゃん、どうしたの? その紙って引き千切ってよかったの?」
通学カバンからお弁当を出したすずかが首をかしげてこちらを見ている。
すずかに少し待ってと、手を上げ、教室を見回す。
ちょうど、廊下に出るところだったお目当ての人物を見付け、
「そこの二人、止まりなさい! ああ、高町さん達じゃなくて、問題児二人組の事よ!」
逃がさないよう、机の間を走る。
問題児とはっきり明言したのに何を思ったのか、自分たちとは無関係だと判断した彼奴らは廊下を歩いていく。
「億泰に仗助、逃げるな!!」
その、もうちょっと仲良くなったら、名前で呼んであげようと思っていたのに、咄嗟に出てしまった。
動揺して赤くなった顔をごまかすため、立ち止まりこちらを見ている二人を詰問する。
「あんた達、私のお弁当盗んだでしょう? 白状しなさい!」
少し上擦ってしまった声に、ますます顔が赤くなる。
私の顔色に言及することなく、心外だとばかりに、億泰が、
「あのなぁ、何の証拠があってそんなこと言ってるんだ。大体、母親が朝忙しくて弁当作れないことぐらいあるだろう。購買に行く金だって入ってただろうが」
……こう見えて成績のいい億泰がたまにバカに思えてくる。
「なんでアンタが、私のランチボックスの中身を知っているのかしら?」
私の一言に固まる馬鹿と、馬鹿から距離を開ける薄情な仗助。
青くなった億泰が、
「じ、仗助から聞いたんだ。な、なぁ仗助。っていない! アイツが食ったんだ。信じてくれよ、アリス」
友人を驚くほどの早さで売りさばく。
私は笑顔で、
「お! 信じてくれたのか。まったく仗助はいやしい奴だなぁ。じゃあ俺はこれで」
億泰のボディに拳を叩き込んだ。
「私はアリサよ、さっさと購買でパンでも買ってきなさい!」
うずくまる億泰の頭に五百円玉を落としてやる。
その時、私の後ろ、教室の入り口で、
「東方くん、うちね、両親がいないんだよ、知らなかったんだね。後、いい加減に名前覚えてよね」
「……えっと、パンでいいんだよね? ちょっとひとっ走りしてくるよ」
という会話が聞こえる。
振り返るとそこには、走ってく仗助と、手に持っている紙切れをどうしようかと、少し困った顔の親友の姿があった。
よろよろ立ち上がった億泰に、パンの種類はアンタが好きなものでいいから、適当に買ってきてと言いつけ、屋上に向かう。
備え付けのベンチに座り、人質代わりに預かったアイツの弁当を広げ、フォークを突き刺す。
「あ、アリサちゃん、それ、虹村くんのお弁当だよ。勝手に食べたらまずいよ」
慌てて注意してくる親友に、
「すずかも早く食べといたほうがいいわよ。それによそのおうちのお弁当って興味がわかない」
唐揚げをフォークで口に運びながら、促す。
しばらく迷っていたすずかも、美味しそうに億泰の弁当をほおばる私に触発され、仗助のおにぎりに手を伸ばす。
二人でお弁当談義に花を咲かせていると、屋上の扉が開き、億泰たちが出てきた。
パンの入った袋片手に、屋上を見回し、こちらに気付き、歩いてくる。
自分のお弁当が食べられている事に文句を付けてくるが、
「うるさいわね、アンタは購買で買ってきた、好物のパンでも食べればいいでしょう」
そういって、億泰の買ってきたパンを譲ってあげる優しい私。
「でもアンタの好みちょっと変よ。『一つで三百六十五日分の野菜が摂れる苦汁パン』なんて買っている人初めて見たわ」
私の呆れた視線に、ぎこちない笑顔を返す億泰。
……やっぱり、馬鹿なんじゃないだろうか、コイツ。
緑というより、絵具をすべて混ぜたような黒い塊を咀嚼している億泰。
その隣で、何も付けずに、食パンをモソモソほおばっている仗助。
二人は視線に何らかの要求を込めている様だが、あえてそれに気づかないで、会話をつづける私とすずか。
内容は次の休日の過ごし方だ。
久しぶりにすずかの家の猫たちに会いたくなったので、その事を伝える。
だったら昼からいっしょに遊び、その日の夕食も食べていけばいいとすずかは言う。
「えっと、アンタたちも、遊びに来てもいいのよ?」
つい、ぶっきら棒な言い方になってしまったが、二人を誘ってみる。
すずかが何かを言おうとしたが、その前に仗助が、話し始める。
「その日は先約があるんだ悪いね。うちの家政婦さんの知り合いの家に招待されているんだ。ああ、億泰も一緒にね。……億泰、吐くならトイレ行けよ!」
億泰が、口元を抑え、ふらふらした足取りで出口に向かっていく。
無理して、完食したようだ。
食べ物を無駄にしないというその根性だけは褒めてもいいかもしれない。
親友の体調には興味がないのか、仗助は話を続ける。
「いやぁ、大きなお屋敷の持ち主らしくてね。家政婦さんと仲が良くなった僕に会いたいと言っているらしいんだ。ゴチソウを用意してくれるらしい。気前のいい人もいるもんだね」
珍しくテンションの高い仗助の自慢が見られた。
クラス内で交流のある私やすずかしか知らないことだが、この二人、結構いぢ汚く、即物的なものに弱い傾向があるのだ。
「金持ちのゴチソウってどんななのかな。楽しみで仕方ないな。もしかしたら満漢全席とかだったりするのだろうか?」
「さすがにそれは用意できないよ」
「いや、冗談だよ。さすがにそれは無いよね。ああ、そういえば、屋敷の場所を聞いていなかった。どうしよう? 電話で聞いておかないと」
会話の途中なのに、もう時間がないといった様子で慌てている。
「お休みの朝には迎えの車を家の前に送るから大丈夫だよ、東方くん」
そんな仗助を宥めるすずか。
「そうなのかい? 金持ちの間ではそういうシステムになっているんだね。いや、忠告ありがとう。君たちも、楽しい休日を過ごせるといいね」
「うん、私とお姉ちゃんたちも、楽しみにしているね」
一通りの会話の後、ようやく仗助は首をかしげる。
「なんて言ったらいいんだろう? 今、会話がかみ合っていなかったかい?」
「かみ合わない会話の方がよかったの? 仗助」
察しの悪い友人を正してあげようと思ったが、私の隣、すずかが人さし指を口元に押し当て、沈黙の合図を送ってきた。
察しの良い私は、先程の言葉で納得してしまった仗助を見守り、次の休日を楽しみにするのだった。