ボクは仗助、 君、億泰   作:ふらんすぱん

20 / 29
ささやかな願い、決まりきった運命、ひとりぼっちの勇気 序

  寒さが強くなり、道行く人の吐いた息も白くなる十二月、温かい病室の中、透明の息の少女。

 かかりつけの海鳴大学病院の個室に何ら不便があるわけではないが、だからといって不満が出ないわけがない。

 つい最近出来た心配症の家族や友人達に不安を与えるのが申し訳なくて、少しだけ嬉しい。

 病室の窓から外の景色を眺めているとノックもなしに扉が開く。

 入ってきた少年は漫画や携帯ゲームやら暇つぶしになる道具を入れたリュックを脇に置きベッドに腰掛けるはやての病状を尋ねてきた。

 たまたま仗助が八神家に訪問中ににはやての病状が悪化したことで責任でも感じているのか、彼は頻繁に病室を訪れていた。

 そしていつもの習慣になっているのだがはやての元を訪れるたびに少女の手を握り、病気が治ったか聞いてくる。

 すぐに完治するものならこんなに長い付き合いにはなっていない。

 普通なら度重なるそれに文句をいうのだが彼の思いのほか真剣な眼差しと自分より大きい無骨な手に握られることが別に不快ではなかったのではやては付き合うことにしていた。

 彼の用意した漫画などはいつでも、それこそ面会時間の後の孤独な時間に遊べるので今は仗助の学校での話を優先させ聞いている。

 決して話し上手ではなく、加えて彼と彼の悪友に都合の悪い部分を隠しているのかところどころ話の繋がり無かったりする。

 それでもはやてを楽しませようとしている事が理解できるので口は挟まない。

 話が面白いというか彼等の日常自体が可笑しくあるのも、その一端を担っているのだろう。

 仗助の話が一息ついた頃、花瓶の水を替えに行ったシャマルが友人達を伴い戻ってきた。

 

「はやて、あんたの家に寄って、着替えを持ってきたわよ。具合の方はどうなの?」

 

 病室内に入ると友人は首に巻いたマフラーを取り仗助の横にある椅子に腰掛ける。

 シャマルは時間の許す限りはやてのそばに控えており、シグナムやヴィータ、それにザフィーラは用事がありここしばらく家を留守にしがちであった。

 そんな八神家の住人に代わりはやての着替えを持ってきてくれたアリサに礼を告げる。

 

「あはっ、そんな大したことあらへんよ。シグナムもシャマルも大げさに言うんやから」

 

 心配して顔色を確かめるために覗きこんできたアリサを作った笑顔で安心させる。

 ただの強がりだった。

 病院に担ぎ込まれた夜は今迄はなかった胸を掻き毟るような痛みに泣きだしてしまいそうだった。

 もし家にいるのが少女一人だったら痛みと孤独で死んでしまっていたのではと思うほどに。

 あの時ほど守護騎士に、八神はやてに出来た家族に感謝したことはない。

 皆を落ち着かせ直ぐにかかりつけの病院に連絡を入れたシグナムに、病状を確かめるためにその温かい手で触れてくれたシャマルに、何も出来ないと涙をこぼしていたが決して無力でなく自分を励ましてくれたヴィータの声に、自分を担いで病院まで運ぼうとした意外と慌てん坊のザフィーラに。

 世界は冷たく厳しいがそれなりに優しくもあると信じさせてくれる。

 物心ついた頃から自分の手の中よりこぼれていたものがようやく帳尻を合わせてくれた。

 ならばこれくらいの病に負けていられるはずがない。

 はやてはいつ襲うともしれない胸の痛みに打ち勝つべく、己が手に入れたものをもう一度確認する。

 じっと顔を見られていたシャマルは微笑みを返し、アリサは照れたのか目をそらし、仗助はバツが悪そうに備え付けのテレビに視線を移す。

 クリスマスも近いその日、はやては自分の病気が早く治るように昼間の星にそっと願いをかけた。

 

  ●

 少年が電源を入れたテレビに皆が視線を集めている。

 少女二人もお喋りを打ち切りじっとアナウンサーが読み上げるニュースに集中していた。

 別段、彼等が普段から政治経済に耳を傾ける様な奇特な小学生であるわけではない。

 ならばなぜ、それはテレビの中の女性が発する内容が彼等の生活圏内に密接に関係するものであるからだ。

 『海鳴市の悪魔』

 今年の秋頃に日本中を震撼させた凶悪犯。

 若い女性を狙って殺し、手首を持ち去っていくという猟奇殺人事件。

 警察の公式発表で明かされたその舞台は八神はやてが住む海鳴市なのだ。

 殺された女性の数は具体的にはわかっていないが、現在確認できたものだけで十人にも及ぶ。

 犯人とされる吉良吉影の自宅で発見された女性の手首から被害者の身元を割り出している最中であった。

 確認されている限りで一番新しい被害者が今映されているエステサロンの女性店長。

 海外のエステテイシャンコンクールで賞を取っていた前途有望な彼女の死を画面の中の人々が口々に嘆いている。

 彼女だけが被害者の中で唯一手を奪われてないこと、殺害現場に死体が残されていたことでスタジオのコメンテーターがあれやこれやと議論していた。

 次に切り替わった画面には逃走中の『吉良吉影』の生家が映しだされていた。

 何ら隣にある民家と大差のない屋敷。

 ここが凶悪犯罪者が少年時代を過ごした場所だと紹介されてもピンと来ない。

 それを確かめるように吉良家の表札にレンズが合わされ近所の住人の証言が流される。

 民家から出てきた警察官に捜査状況を問いただす記者が映るがこれといって新しい証言はなかった。

 

「ねぇ、ちょっとあそこにいるのって、那美さんと仗助の知り合いじゃないの?」

 

 アリサが声を上げ皆の確認を取るように発言し、警官の後ろ学帽の男と神社以外では場違いな巫女服を纏った女性に指を合わせた。

 二人は取材陣よりも警察官に近い場所で話をしていた。

 一見すると関係者にも思える立ち位置であるが、年齢的にも職業的にもそれはありえない。

 まさか一介の学生と神社の巫女が警察に協力するはずもなく、たまたまレンズに入ってしまったのだろう。

 警察に怒られはしないかと聞こえるはずがないのだがアリサは早く移動するようにテレビの中の二人に注意を促す。

 ふと何も反応を返さない少年を怪訝に思いはやては彼に声をかける。

 仗助はアリサの指さした箇所を食い入る様に見つめていた。

 

「……あのさ、君達。ここらへん、那美さんの前に」

 

 いつもの気勢を失った仗助は何かを尋ねようとして途中で質問を飲み込む。

 ――やな予感がする。

 彼が青くなっている心当たりに見当がついてしまった己が恨めしい。

 ここ最近仗助と行動を共にすることで要らぬ神経が鍛えられてしまったのか。

 詳しくなる非日常は魔法の世界だけで十分なのだが、思うようにはいかないものだ。

 精神衛生のためはやては黙殺することに決めたのだが、空気に鈍感な人間は必ずどこかに存在しているものなのだ。

 

「何もないけど、どうかしたの? 仗助、顔色が悪いわよ。病院に来て具合が悪くなるってあんたどうしようもないわね。って、はやて何よそのアチャーって顔は?」

 

 そうこの病室にも。

 

 ちなみにアリサの発言の後の仗助の説明によると彼が指さしたところには半透明の女性たちが那美を囲むように立っていたらしい、そして彼女たちは片方の手首から上がなくなっていたそうだ。

 

  ●

 

 病室に特大の悲鳴が上がったことによりお叱りを受けた日から幾日が過ぎたのだろうか。

 あの日ちょうど回診をしていた石田医師が何事かと駆けつけてくれたのだが、事情を話すと苦笑し叱った後に『いい友達を持ったわね』と残し去っていった。

 その時は幽霊騒ぎで深く考えなかったが、まぁはやてとしてもそれを否定することはしない。

 病室が騒がしくない今この時に、ゆっくり出来るということがどれほど幸福なことか少女は知った。

 病室に少女以外がいないのに孤独ではない、はやてはそのことに感謝し今日も大切な友達が来るまで、病室の床に平積みにされた漫画に手を伸ばす。

 

 今日一番に病室の戸を開けるのは誰なのだろう。

 シャマルとシグナムは今日は用事があるらしく遅れて病室を訪れることになっている。

 となると、ヴィータか女友達二人になるのか。

 アリサとすずかも入院してからかなりの頻度で訪問してくれる。

 毎日訪れる八神家の面々とは比べると少ないもののそれでも十分以上にはやてのために時間を割いてくれていた。 

 申し訳なく思い自分の都合を優先するよう言ったのだが、嬉しい事に聞き入れてもらえなかった。

 笑顔で断りの返事をくれる友人に目頭が熱くなり、それをまたからかわれる。

 温かい想い出に浸るはやてを現実に引き戻したのは廊下から聞こえる大きな足音だった。

 

 乱暴に開け放たれたドアから顔を出したのは橙色の髪を後ろで編み込んだ愛らしい顔の少女、年の頃ははやてよりも下、鉄槌の騎士でハヤテの家族の一人、八神ヴィータが駆け込んできた。

 いつもは満面の笑みをはやてにむけてくれるのに少女の顔は憮然としていた。

 はやての横になるベッドに飛び付くと悔しさに涙をためながら事情を話してくれた。

 

「仗助と億泰の奴がひどいんだぜ! あたしには何もくれないのに、ザフィーラにばっかりいろいろ買ってやってずりぃよ!」

 

 少女はこの世の理不尽を一心に引き受けたようにはやての病人服の裾を離さない。

 はやてにも心当たりがあった。

 あの二人、仗助と億泰はある年齢に線を引き、それ以上とそれ以下で徹底的に扱いに差をつけている。

 例えばシグナムとシャマルには聞き分けがよく、はやてとヴィータ、また友人二人などの頼み事には露骨に顔をしかめる。

 それでも友人関係が続いているのは決してはやて達の扱いが酷いのではなく、シグナム達のそれが上等なだけだと気付いたからだ。

 どうも仗助達は男性と女性と子供で対人関係を区別、固定しているようなのだ。

 同い年で女性であるはやてが『子供』のカテゴリに分類されているのは納得出来ないが同様の扱いを受けているのが自分だけではないので、それもこの二人の個性だと少女は諦めていた。

 だが、精神が幼いヴィータはそれに納得できなかったのだろう、彼女を含めたはやて達が女性であることを一度じっくりと叩き込むべきではと苦悩する。

 

 ヴィータの頭をなで、下を向いていた視界を持ち上げると友人達がぞろぞろと病室に入ってきた。

 仗助にアリサとすずか、その後ろには珍しく億泰の顔も見れた。

 彼らが入ってきたことに気付いたのかヴィータは少年二人を指さし糾弾する。

 

「あいつら、なんでザフィーラには優しいんだよ! ……そりゃ、シグナムとシャマルはわかるよ。あいつらは美人だし、スタイルもいいし」

 

 ヴィータの気勢は後半に連れておとなしくなる。

 召喚された当初は常識がすっぽりと抜けていた守護騎士であったが、日常を過ごすうちに生活に必要になる一般的なものを学習していた。

 一番習熟に難のあったヴィータでさえ、美人が優遇されるという悪習を理解するに至ってしまったことをはやては少し後悔している。

 ヴィータは勘違いしているが、決して彼女の造形がシグナムたちに劣っているわけではない。

 むしろ年齢を差し引きすればシグナム達を超えることだって出来るかもしれない。

 悔しさに歪むヴィータの顔。

 これははやてが仗助達を叱りつけなければ収集がつかないのでは。

 少年達に目をやれば気まずそうに目を逸らす。

 ここまで小さな子供が泣き喚く様子にさすがに思うものがあったのだろう。

 これならば、ヴィータの怒りを収める事に協力してくれそうだ。

 泣き喚くヴィータにどのような仕打ちを受けたのか訪ねてみた。

 それを受け、まだ言い足りないのかヴィータの発言は続く。

 

「だから、あたしは言ってやったんだ! シグナム達みたいにしろとは言わない、せめてザフィーラと同じ扱いをしろって! なぁ、はやて、あたし間違ってないよな? なのに、仗助と億泰はそれを拒否しやがる! おまけにアリサとすずかもあいつらの味方なんだぜ。でも当然、はやてはあたしの味方をしてくれるんだろう?」

 

 泣き止み、こちらに期待の視線をよこすヴィータ。

 ――うん、幼気な少女を犬と同列に扱ったら八神家は警察や児童相談所のご厄介になってしまう。

 その後ろには、説得できなかったことを両手を合わせ謝る友人達の姿があった。

 

「……まさか、はやてもあたしの味方をしてくれないのか? で、でも、こいつらあたしからフライドチキンを取り上げたんだ、まだ一口も食べてないのに、せっかくザフィーラが分けてくれたのによ! なぁ、はやて、言ってやってくれよ」

 

 自分の味方であるのが当然という体でヴィータの主張は続くが、はやての雰囲気が変わったことに気付いたのだろう最後は早口で切上げる。

 頬をかきはやてはヴィータに尋ねる、肝心な部分だ。

 ――そのフライドチキンをザフィーラがかじったのかどうかと。

 

 

  ●

 

「そうかぁ、ザフィーラはふえーせいなんだな。うん、憶えたぜ! 仗助達は意地悪で言ったんじゃないんだな? ――その悪かったな、勘違いして。ところではやて。ふえーせいってどういう意味なんだ?」

 

 数分間の説明の後、自分が不当に下に扱われていたわけではないと知ったヴィータは笑顔を取り戻しはやての腕に絡みついている。

 ヴィータの発言をさすがに看過してはいけないと気付いたのか、反省すると約束した仗助達に彼女の機嫌は大分回復した。

 はやてはヴィータの質問に汚いってことだよと軽く説明し胸を撫で下ろす。

 他所様にあのような発言が漏れれば八神家の信用が失墜しかねない。

 ヴィータに二度と先のような発言をしないようにきつく釘を刺す。

 

 弛緩する空気が漂う中、再びドアが開きシグナムが入ってきた。

 笑顔で挨拶をする友人達だが、一人、億泰だけが感心した風にシグナムの顔を見つめている。

 

「しかし、シグナム姉ちゃんって本物の女の人にしか見えないよなぁ」

 

 感嘆の声とともに唐突に核心を突かれ、冷や汗が流れる。

 今この少年はなんといったのか。

 シグナムが女性にしか見えないとは、どういった意図の発言なのだろう。

 はやては同じように身体を固くしたヴィータに目配せをする。

 確かに守護騎士達は人間でなく闇の書の魔法で構成された生命体であり、本物の人間とはいえない存在である。

 だがなぜ億泰がそのことを知っているのだろう。

 この世界には魔法はなく、シグナム達の存在を看破できるものは魔導師だけ。

 ならば、億泰は魔導師を擁する時空管理局の人間なのだろうか。

 彼らと闇の書の主が対立してきたことは聞かされている。

 はやては魔力を収集することで最強の力を得る闇の書を必要としていないこと、守護騎士達にも戦意がないことを伝え、見逃してもらえるよう説得できないかと彼の顔色をうかがった。

 

『シグナム! 実力行使は待って、私が説得する』

 

 胸元にある待機状態の魔法デバイスに手をかけようとするシグナムを制止し、億泰の目を見る。

 彼ははやて達の表情が硬質なものに変わったことに気付いたのか、取り繕うように早口で言葉を続けた。

 

「ああ、別に俺はそういうのに差別の意識はないから安心しろよ。似合っているならそれでいいだろう。今どき授かった性別と心のそれがずれてるなんてよくあることだろ」

 

 はやては彼の発言を飲み込めず、シグナムは胸元にある待機状態のデバイスに手をかけたまま動けないでいる。

 

「家族四人と一匹、ボロボロの三畳間のアパートで肩寄せ合って手を取り合い暮らしてるんだろう、それはとても立派なことなんだぜ。あれだろ、一杯のかけそばを四人で分けあったのを聞いた時はちょっと涙が流れちまったぜ。シグナム、シャマルのねぇちゃんははやてと自分たちの手術費用のためにオカマバーで働いていることだって別に恥じることじゃないぞ!」

 

 億泰は励ますようにはやての肩を軽く叩き、流れていない己の涙を拭うふりをする。

 彼の語った昭和物語はでっち上げもいいところである。

 当然、シグナムもシャマルも立派な女性であるし、はやての家は彼女一人で暮らすには孤独すぎるほど大きい、そして蕎麦ならば過日に大きな海老の二本付いた天麩羅蕎麦を分け合うことなく一人一杯ずつ美味しく頂いた。

 一体誰から聞いたというのだろうか、尋ねようとしたのだが、それより先にシグナムとはやての視線がこっそりと病室からでていこうとする少年に固定される。

 二人の視線に釣られたのか、億泰の瞳が退室しようとした仗助を見つけしばらく沈黙した。

 

「仗助くんにとったら八神家はそうとう狭苦しい場所やったんやね、そんなら無理に泊まってくれんでも良かったんよ」

 

「ふむ、仗助。勘違いしているようだが、私はベルカの騎士として雄々しく振舞っているだけで、身体はちゃんと女性形だ。スカートを履いているのだって女性になりたいという願望があるわけではなく、元々女性だからだ。胸だって膨らんでいるだろう、分らなかったのか?」

 

 はやての皮肉、決定的に勘違いしているシグナムの訂正の言葉を受け、仗助の歩みが止まる。

 納得の行く説明を吐き出させるためにとシグナムに目配せで仗助を拘束するように指示を与えるのだが、口をつぐんでいた億泰がそれよりも先に彼に詰め寄る。

 

「てめぇ、仗助! はやての家から遠ざけるために俺を謀りやがったな! ってことは、シグナム姉ちゃんもシャマル姉ちゃんも普通に美人な女だし、はやての家は快適に過ごせるぐらいにでっかいんだな? くそったれ、それでも親友かよ。こうなったら今すぐはやてん家の半分を俺によこせ。それで今回のことは水に流してやる!」

 

 怒りの咆哮を上げる億泰の八神家に対する所有権要求にはやてはの額に青筋が走る。

 

「バーカ、誰がやるか! あの家はもう僕の物だ。シャマルさんもシグナムさんもザフィーラも冷蔵庫の中身から、日の当たる庭の昼寝スッポトまで何一つやらん。羨ましいか?  何が快適かって、ちょっとぐらいのイタズラなら優しくシャマルさんが叱ってくれたり、落ち込んだふりをするとシグナムさんが優しく頭をなでてくれたするんだ。あの二人はもう僕の姉同然、絶対渡してたまるか! だいたい誰がザフィーラにブラッシングをかけあの毛並みを維持していると思っているんだ! ……ああ、そこのはやてとヴィータならやらんこともないぞ、それで我慢しろ」

 

 仗助の図々しい物言いに、はやては近くにあった投げつけるのに丁度いい花瓶を手元に引き寄せた。

 白い花瓶は大きさもあり、重量、硬さどれをとっても申し分がない。

 仗助達のやりとりと無表情のはやてに、ことの成り行きを察したヴィータが花瓶を持つ手とは反対側の袖を引っ張る。

 

「なぁ、はやて。仗助が冷凍庫に勝手にストックしてる高そうなアイスクリーム、帰ったら全部食べちゃっていいいよな? アタシ、前から狙ってたんだ」

 

 食べ過ぎを理由に一日に摂っていい氷菓の量を制限されているヴィータが瞳を輝かせていた。

 八神家の主はついでに台所の食器棚の上に同じように備蓄されている少年のスナック菓子に対する裁量権もヴィータに移譲する。

 

「大体、億泰、お前にはもう月村の屋敷を全部譲っただろ。それで満足しないなんて贅沢なんだよ」

 

「ああっ! あんな変人屋敷で釣り合うわけねーだろ! だったら代わりにすずかの家やるから、はやての家をよこせ!」

 

 失礼な物言いは八神家だけではなく月村の家までも巻き込んだ。

 はやての横からすずかの白く可愛らしい手が伸び花瓶を奪い取り生けられていた見舞いの花を抜き病室の窓から水を捨てた。

 充分に水を切ったそれを手に億泰の後ろ移動しゆっくりと花瓶を振り上げる。

 

「いや、最初は訪ねるたびにうまいご馳走を用意してくれたんだがよ。最近はレバーやらほうれん草とか緑黄色野菜とか大量に食わせようとするんだ。なんか脂っこいものばかりだと美味しくないって。すずかは果物を食べたほうが好みだからって林檎とか勧めてくるんだが、俺は別に林檎が好きじゃないって言っても聞いてくれないしよ。全く自分の好みのものばかり押し付けてたまったもんじゃないぜ。――それによ、あの変人屋敷に来訪することで心理的ストレスが俺様に貯まるらしくてよ、毎回貧血で倒れちまうんだ。まぁ、毎回家まで送ってくれるのだけは感謝するがよ」

 

 億泰は感謝の言葉を最後に述べ、照れくさそうに鼻の頭をこする。

 失礼な発言をあれだけしたあとなので今更世辞を後ろにつけてもすずかの怒りが収まるとは到底思えなかった。

 だがすずかは花瓶を下ろし中に花束を戻す。

 彼女の顔が横を向く。

 視線をはやてから逸らしたのかと思ったが、そうではなく彼女の隣、ベッドに腰掛けてすずかを凝視しているアリサから逃げ出そうとしたのだ。

 

「――すずか、億泰もそしてあなたも別に林檎が特別好きってわけじゃなかったわよね?」

 

 確認の言葉の後、アリサはそそくさと逃げようとする彼女の肩を掴んだ。

 はやてはすずかの瞳が泳いでいる理由を考えたが、億泰の話の中で気になるところはなく、彼の好物を勘違いしたくらいでアリサが怒るわけもない。

 

「――うん、あのね、林檎で育てたほうが私としては最高の味だと思うんだ、はは。――だって、お姉ちゃんが採れたては美味しいって自慢するんだもん! そのくせ、恭也さんの一滴も分けてくれないし……ってアリサちゃん、痛い、痛いよ! 私の頬はそんなに伸びません!」

 

 すずかはアリサにに頬をつねられながらも、贅沢は一度覚えると我慢できないとはやてにはわからない言い訳をする。

 林檎で育てた牛肉が甘い香りを放ち美味であると本で読んだことがあるのだが、話の流れ上どう関係するのか。

 以前来訪したことのある月村邸の大きな庭を想像し、そこで牛でも飼育しているのではとはやては益体もない考えを浮かべる。

 引っ張られるすずかの白く餅のように伸びた肌を見て己の頬を擦り、アリサの手加減のなさ思い出す。

 

「ええっと、じゃあ私、花瓶の水を換えてくるね? それじゃ~」

 

 すずかは断りを入れ、アリサの説教から逃げ出し病室の入り口に足早にかけていく。

 それを白い目で見ていたアリサは溜息を吐き、呆れたように見送った。

 先の二人の会話の内容が分らずはやてがそれを尋ねても、アリサは曖昧に微笑むだけ。

 まぁ、人には他人に言えない秘密があるものかと、友人から受けた軽い疎外感をごまかしていたはやてに入り口からすずかの声が届く。

 

「はやてちゃん、お客さまだよ。あ、すみませんこんな入口に立ってたら邪魔ですよね。

二人共もいい加減喧嘩を止めなよ。廊下にまで声が響いてるよ。あと億泰くん、あまり怒りすぎるとストレスで血が濁るから気をつけないとダメだよ」

 

 二人の喧嘩を仲裁するすずかはなぜか億泰の体調にのみ気遣いを見せる。

 その少女の後ろにいる人物に視線を向けはやての身体が硬直する。

 開いたドアの前、廊下側から一歩もこちらに入ってこようとせず、彼はただそこに佇んでいる。

 一体いつからそこにいたのだろう、厳しさと悲しみをたたえた双眸、強く握りこまれた拳は震え、はやての言葉をただひたすらに待っていた。

 

「バカ、そんな所にいたらお客さまの邪魔でしょ。仗助、億泰、ちょっと道を開けなさい。

――あぁ、はやての着替えを持ってきてくださったんですね」

 

 彼の左手にある代えの着替えを入れた袋に気づいたアリサが男を紹介しろとはやてを促す。

 確かに、彼とアリサたちには面識がないことになっているので共通の知人であるはやてが仲介するべきなのだが、彼とははやての間には目に見えない緊張があり、言葉を出すと張り詰めた糸が切れてしまいそうで少女は閉口してしまう。 

 沈黙を破ったのは彼の方だった。

 はやてを気遣ったわけではなく、彼のうちから溢れてくる、猜疑、苦しみから逃れようとした結果だったのかもしれない。

 だが絞り出した声は低く、確りと病室にいる全員に届いた。

 

「――あるじはやて、私はそこまで汚れた存在だったのでしょうか? 封印が解けたその日よりあなたはずっと私をそんな目で。では皆がテーブルで食事を摂っている時、私一人だけが床に食器を置かれていたのも。外出から帰ってきた時に皆が先に居間に向かうのを尻目に私だけが濡れ布巾で足を拭わなければいけなかったのも。風呂場のシャンプーが私と皆で分けられていたのも、私が『不衛生』だからなのですか。あるじよ、お答えください! あなたは誇り高き守護獣である私を何だとお思いなのですか?」

 

 闇の書の従者、守護獣ザフィーラの問いにはやては言葉がない。

 いや、ザフィーラだけが同じテーブルで食事をしない理由は、召喚時よりしばらく仗助が八神家に滞在したためにザフィーラが獣状態を維持するしかなく仕方なく。それよりあとは一度染み付いてしまった床下での食事をわざわざかえる必要も不満も出なかったためである。散歩帰りのザフィーラの足を拭くのは彼だけが素足で外出するため。シャンプーに関しても、体毛の量が多いザフィーラのために特別に犬用のお得シャンプーを購入しただけなのだ。

 八神家の皆がそれを疑問に思わず日常を過ごしていった。

 ただの区別であり、ザフィーラを汚いなどと思ったことはない。

 声を大にして言いたいが、周りにある他人様の視線のせいでそれが出来ない。

 アリサとすずかは見知らぬ成人男性の衝撃の発言に目を点にして八神家の面々を見つめている。

 仗助と億泰は喧嘩を中断しはやて達に注目し、シグナムはザフィーラの落とした替えの下着が入った袋を開き中身を確認していた。

 ヴィータは病室の空気が突然重くなったことに目を白黒させている。

 あるじであるはやてはまわりの面々を、同時にザフィーラを納得させる言葉を探したのだが、そんな都合の良いものがあるはずもなく室内の空気は頑として動かない。

 

 ――だから、それははやての言葉ではなかった。

 

「あら、みんなはやてちゃんのお見舞いに来てくれたのね。って、ザフィーラ、病院の入口まで届けてくれればいいって言ったでしょう。もう、この病院はあなたみたいな『ペット』は衛生のために立入禁止なのよ」

 

 残酷な宣言を受け、激情のままに咆哮を上げ走りだすザフィーラ。

 何事かと病室のドアを開け入室し、彼を見送った悪気の一切ない女性、守護騎士シャマルは不思議そうに彼女等のリーダーであるシグナムに尋ねた。

 

「ああ、大した問題はない。ザフィーラにはあとで機嫌伺いをすればいいだろう」

 

「そうなの? じゃあ、今晩はブリーダー推奨の高めの缶を開けてあげることにするわ」

 

 ザフィーラの扱いが愛玩動物であり、それが八神家の共通認識であることにさほど驚きがないことにこそはやては若干驚いた。

 

 

「ねぇ、はやて。今の人、泣きながら走っていったけど、大丈夫なの?」

 

 アリサは弛緩しつつあるはやて達に戸惑っていた。

 笑いながら大丈夫だとごまかし、アリサの視線から逃げるように窓に目をやった。

 病室の外の景色はちょうど中庭を走るザフィーラが見える。

 ザフィーラは全身から蒼光を発し、四足歩行の獣に転身した。

 

 はやてより先に驚きの声は隣から上がった。

 はやての視線を追うように外を眺めていたのか、金の髪を振り乱し友人がザフィーラのいたところを指している。

 

「は、はやて。い、いま、人間が犬に変身したわよ! あなたも見たわよね?」

 

 幸いにも中庭に人はなく、はやての病室で目撃していたのはアリサのみ。

 ならばとるべき対抗策はとてもシンプルで簡単なものだった。

 

「――は、はっ、アリサちゃん、何突拍子もないこと言ってるん? 人間は人間、犬は犬。そんなマンガやゲームやないんやから、突然進化したりせぇへんよ。何や今日のアリサちゃんはお脳がメルヘンですなぁ」

 

 友人達と楽しく過ごすうちに学んだこと。

 小馬鹿にし笑いを堪えるような表情を作りはやては親友を挑発する。

 当然沸点の低い彼女は数瞬で頭に血を上らせ、直前に起きた錯覚とも思えた非現実を忘却してくれるだろう。

 支払う代価ははやての左頬、伸ばされたアリサの手に以前摘まれた時のことを思い出し顔がこわばる。

 最近仗助たちだけではなく、友人の女性組にも手加減が効かなくなっているのではなかろうか、アリサの将来と己の頬に被るであろう痛みに同様の不安が浮かんだ。

 

 ――当然、不幸は家族で分かち合うべきなのだ、原因である守護獣にも痛みを分け与えよう。

 闇の書の主はシャマルにザフィーラの今週の餌は缶入りのものではなくカリカリフードにするように命令する腹づもりだった。 

 

 

 ●

 

 

 雪は降らずとも聖夜を楽しく騒がしく仲間たちと過ごせた。

 はやての病室にアリサとすずかが用意した大きめのケーキは箱から取り出されると瞬く間に子供たちの胃袋の中に収まっていく。

 あらかじめ病院の職員と隣の病室の入院患者にことわりを入れて小さめのクラッカーを鳴らす。

 間一髪、仗助達が持ってきた花火セットは火をつける前にシャマルに没収された。

 火災探知機のある病室内で行われかけた蛮行。

 はやて達は火の恐ろしさを、仗助達は本気で焦ったシグナムの鉄拳の重さを学ぶことが出来た。

 騒ぎを聞きつけた宿直が石田医師ではなかったことは幸運である。

 彼等の悪行を知らない新人の医師は見事にけむにまかれ戻っていった。

 過ぎ去ってみればイタズラの秘匿、共有は甘美なものであり、赤い帽子の好々爺が存在しないことを知っているはやてでもこんなに騒がしい夜であればと期待し寝床につく。

 

 ――そう、いまだ治らぬ病気を忘れることの出来る一日だったのだ。

 肌寒い風がはやての方を通り過ぎて行く。

 少女は病院の屋上、冷たいコンクリートに直接腰を下ろしている。

 彼女の下に描かれた光を放つ魔法陣がはやてをこの場所に連れてきた。

 わけがわからぬまま辺りを見回し、庇護者である守護騎士達を探す。

 最初に見つけたのは仮面を付けた二人の男、次に目に入ったのは魔法によって空中に磔にされた少女の家族だった。

 驚きシグナム達のもとへ駆け寄ろうとして少女は地べたを這いずる。

 いくら病院が清潔を保っているとは少女の姿はすぐに砂や汚れがつき、黒くなっていった。

 そんなことはどうでもいい、はやては肌が接する地面が体温を奪っていくことなど気にもとめず、家族の元へ這った。

 

「闇の書の主、八神はやて。お前は知っているのか? もうお前の病気が治ることはない」

 

 這いつくばる少女を嘲り仮面の男はゆっくりと守護騎士に近づいていく。

 

「そう、君の命が助かることはない。守護騎士達が必死に闇の書を完成させ君の命を救おうとしていたのだが、それも無意味に終わった」

 

 男が紡いだ真実は少女の心を引き裂くものだったが関係ない。

 日に日に短くなる発作の間隔、無理に作った主治医の笑顔。

 そんなことはとっくに気付いている。

 必死に目を背けていただけだ。

 

「――もう私のことはいいんです。死ぬのは怖いけど、とっても苦しくて、泣き出したくなるけど我慢するから。お願い、私の家族を傷つけないでください」

 

 少女の口から出た言葉は彼女の願いであったが、本音ではなかった。

 ただの諦めの言葉。

 家族のいなかったはやての精一杯の妥協の懇願。

 これからの人生すべてを諦め、ただ一時のやすらぎを願う。

 細い蝋燭で世界を照らそうとする悲しい行為。

 

 

「お願い、お願いします。私はどうなってもいいから、私の家族を返してください」

 

 這いつづけ仮面の男たちの前に来た少女は額を地面にこすりつける。

 

「残念ながらそれは出来ない。闇の書が完成しなかった今、彼らが存在する意味がなくなてしまった。無駄なものは廃棄する。それが嫌なら止めてみせるがいい」

 

 白い手袋で覆われた男の手がヴィータの胸を貫く。

 はやては制止しようと手を伸ばすが空にいる彼等に届くはずがない。

 ヴィータの苦悶の声が木霊する。

 はやては彼女の名を叫び、仮面の男の行為を止めるために頭にあった髪飾りを手に取り投げつける。

 少女の精一杯の抵抗は意味をなさず、鉄槌の騎士の身体は光の粒にかわり、空に溶けていった。

 誰の助けもなく、何の力もない。

 ザフィーラが、シグナムが、そしてシャマルの叫声がはやての心を抉っていく。

 空に消える守護騎士達。

 この広く冷たい世界から家族がいなくなり、はやてはまた一人になった。

 少女の頬を伝う涙は冷たい風のせいで乾いていく。

 己の動かない足を見た。

 家族を助けられなかったことは悲しみ持ってきた。

 ただそれ以上に、はやては動かないこの両足が憎くて仕方ない。

 己を孤独から連れ出してくれた彼女たちのために何一つはやては出来なかった。

 ただの子供でしかないはやてに彼女たちを救うすべはなかった。

 それは理解できる、それでもこの両足が動けば、無駄な抵抗をすることが出来たのだ。

 少女の投げつた髪飾りが男の頭に命中し不快な思いをさせることが出来たかもしれない。

 そんなほんの僅かなさざ波程度の力すら世界は少女に与えてはくれなかった。 

 

 ――動く足が欲しい。

 世界のどこにでも行ける健常者と同じものが。

 

 ――大きな拳が欲しい。

 少女に不幸を強いた存在を、家族を奪った者を同じように不幸にする硬く尖った拳が。

 

 屋上にかすれた少女の笑い声が響く。

 そんな都合の良い物があろうはずがない、世界ははやての些細な幸せにさえ目くじらを立ててきたのだ。

 もはや、はやてに出来る事は屋上を囲む飛び降り防止の柵を超え、本当の両親と先ほどいなくなった家族の元へ会いに行くことだけだろう。

 

 いや、柵は高く作られているため、それすらも無力なはやてには難しいかもしれない。

 

 再び流れる己の情けなさと家族に対する申し訳無さの涙。

 

 ――だが無情な世界は力なき少女の願いを叶えてくれた。

 

 光を放ち少女の眼前に浮かぶ魔法の本。

 開かれる無限のページ。

 

 家族を想い紡がれた暖かい願いを無視し、もう一つ、少女の欲したものを残酷な世界ははやての手元に放り投げてくれた。

 

『我は闇の書の主なり 我の手に絶望を』

 

 少女が欲した世界の果てを、世界を跨ぐことすら出来る翼を。

 少女の家族を奪った者を叩き潰せる大きなとても大きな、世界すら壊せる握り拳を。

 

『闇の書、解放』

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。