横たわる二人の少年達の体からは殆どの傷がなくなっていた。
だがそれに反して、治療を施しているシャマルの顔色は深刻なものだった。
それゆえはやては二人の容態を訊くのを躊躇ってしまう。
「――ごめんなさい、すべて外傷は塞いだんだけど」
シャマルの謝罪は誰に当てたものではなく、ただ、己の無力を恥じているように思える。
誰も声を出せない。
一度、口から言葉が漏れれば、それは慰めであり、またシャマルに対する叱責になってしまいかねない。
そしてなにより、呼吸が浅く細くなっていく二人の命に対する諦めになることを誰もが恐れていた。
『ねえ、空条くん! こっちこっち、急いで! うん、彼女達が指しているから、この人に間違いないけど――でも、もう』
だからこの声は、ベンチに横たわった仗助達の傍を囲むように立っているはやて達のものではなく、そこから少し離れてしゃがみ込んでいた真の叔父に近寄っていく紅白の巫女装束の女性のものだった。
女性ははやても見知った顔の神咲那美、そして彼女が呼びかけている先には、名前を大声で呼ばれたことが不愉快そうに、行儀悪くポケットに手を突っ込んだまま小走りに歩いてくる学ランに身を包んだ男がいた。
闇の書の結界がなくなったことで一般の人間もちらほら顔を見せ始めてくる頃なのだろう。
それを考え治療魔法を行使しているシャマルを除いた皆は、すでにバリアジャケットを解除していた。
「あれ、すずかちゃんにアリサちゃん、それに確かはやてちゃんだっけ? こんな時間に何をしているの? クリスマスだからってあんまり遅くまで出歩くのは関心しな――この二人どうしたの? ちょっと、すいません!」
はやて達に近寄る那美は、ベンチの少年達に気付くと、シャマルに断りを入れ彼等の顔色を確かめるように頬に手を伸ばす。
ただの高校生に医術の心得があるわけではないだろうに、外傷の塞がった少年達を確認しただけで、那美は顔を強張らせた。
「――誰の仕業? 違う! そんなことを言ってる場合じゃないんだよね。二人の身に何があったのか、詳しく話してくれるかな、出来る限り迅速に!」
那美は一刻の猶予もないと、一同の顔を見回す。
事件とは何の関係もない彼女が言い当てたその事実に、当てずっぽうなのか、それとも確信を持っているのか判断がつかず、誰も下手なことを喋れない。
焦れた彼女が説明を求め、一歩足を進め、責任ある立場の大人組である守護騎士達を睨む。
「あ、あの那美さん。わたしが話します。やけど、詳しくは話せない事情があるんで、そこんところは見逃してください!」
守護騎士を庇い、はやては声を張る。
バリアジャケットを解除すると、健常者と同じように動いていた足は再び力をなくしはやては地面に座り込んでしまった。
ただ、それでも、今日手に入れた絆と希望を失ってはいない。
そんな少女の強さと事態の緊急性が、那美にそれ以上の追求をとどまらせた。
――原因が魔法であったということを伏せて、仗助達の身になにがあったのか、はやては説明する。
といっても、魔法についてははやて自身そこまで詳しいわけではない。
電気ショックを受け、炎に焼かれたり、大爆発に巻き込まれたのち、真冬の海に放置された。
言葉を紡ぐうちに聞き手の那美の顔面は蒼白になり、横に控える学ランの男性は、それでもかろうじて生きている仗助たちに呆れた視線を向けた。
一つ一つ、被害を確認していくうちに悲壮になっていく那美の顔色。
それが己を責めているように感じられ、語るはやてが今日手に入れたはずだった強さも頼りなく萎んでいく。
改めて、部外者から事の残酷さを指摘されると緊急性が薄れさせていた罪悪感が湧いてきてしまう。
彼女たちの魔法と、それらが巻き起こした惨状を隔てる認識の壁を壊し、地続きにしてしまったのだ。
心細くなったはやては、いつの間にか出来ていた大きめのタンコブを擦りながら、助けを求めシグナム達に顔を向けた。
はやてが手に入れた絆、それは決して失われはしない。
少女の知る限り、強く、賢く、優しく、頼りになる家族に寄りかかろうとする。
強く、賢く、優しい、加えて誠実でもあるシグナム達は、当然、少女と同じように、良心の呵責に耐えるように胸を抑え苦しみ悶えていた。
――案外頼りにならないなと、今日一日で図太さも成長したはやてが他に拠り所を探そうとするも、那美の発言がそれを遮る。
「結論から言います。仗助君達はこのままじゃ、衰弱死します。現代医療ではどうにもならない問題が彼等に起きています。病院に連れていってもどうにも出来ません。――たった一つの方法を除いては」
はやて達、子供組ではなく、大人達に言い聞かせるよう、那美は丁寧な言葉遣いだった。
●
「――ここにある二人の体から、心、精神、魂魄、色々な呼ばれ方をしますが、生きていくために必要なそれが、遠くに離れてしまっているんです」
それは、ここにいる魔導士の誰一人として知りえないルール。
那美の言葉の真偽を確かめようと、皆が唯一の医療魔導士であるシャマルに注目するが、彼女の知識では判断出来ず首を振る。
ここにある仗助達の魂と呼ばれるものが、魔力による衝撃で肉体を離れたというのだ。
「幸い、肉体と魂の繋がりは切れていません。仗助君達が、取り返しの付かない一線を超える前に現し世に呼び戻せれば――」
そこで言葉を切ったのは、出来なければ無事では済まないという意味なのだろう。
賭けるのははやてを救ってくれた阿呆な友人二人の命。
那美の戯言を切り捨て病院に運ぶべきなのか、魔導士たちには確信が持てない。
だから決断したのは賢い方の親友二人。
「はやてちゃん! 億泰君達は一刻を争う時なんでしょ。正直、幽霊とか魂とか、わたしも半信半疑だよ。でも那美さんは信じていい人だと思う。少なくともこんな状況で冗談を言うような、意地悪さも度胸も持ち合わせている人じゃないよ!」
すずかははやての決心を促す。
「そうよ! 私も那美さんが嘘をついているように見えないわ。試させて駄目だっらすぐに救急車を呼べばいいだけ。ううん、念の為に救急車は呼んでおくわね。来るまでに、那美さんの治療が何の効果もないようなら、彼女も二人と一緒に病院に叩き込めばいいだけじゃない! 違う?」
アリサもはやてに頷いてくれた。
この場の決定権は、責任ある大人達にではなく、倒れた少年達の友人であるはやて達にある。
仗助達は三人の友達だ。他人の手で失わせていいわけがない。失敗していいのは彼らの友である少女達だけなのだ。
少女達の可愛らしい我儘に、異を唱える者はその場にはいない。
「――そやね、じゃあ、頼んます。私達に手伝えることはありますか?」
はやては頭を下げた後、那美の顔を覗きこむ。
――その決断、二人分の命を三人で背負った少女たちの瞳に、大人達は気圧されて一歩後ずさった。
●
「――だめ、呼びかけただけじゃ戻ってきてくれない」
少年二人の間に膝を折り、彼らの手を取り祈るように瞳を閉じていた那美。
「はやてちゃん、黄色い救急車も百十九番でいいんだっけ?」
彼女の言葉にはやての隣にいるすずかはにっこりと笑いかけ尋ねてくる。
これ見よがしに、携帯のボタンを一つずつ押していった。
焦り、那美が弁解をする。
「違うの! まだ手段は残っているわ。えっと、すごく危険な方法になるんだけど――」
「そうだよね、那美さんが裏切るわけないよね。早とちりしちゃった。――ごめんね、私やお姉ちゃんって裏切りには必要以上に敏感になっちゃって」
謝罪のわりに、冷めた視線をすずかは浴びせ、那美の続きを待つ。
普段から約束事に厳しい友人にアリサは疑問をもっていないようで、はやては疎外感を覚えるが、いまはそれどころではない。
「呼びかけだけじゃ足りないなら、直接二人の魂の後を追って、捕まえてくるしか方法がないけど、それには私を含めて二人以上の協力が必要で――」
一人は、送り出し引き返すための命綱を固定する役目。それを負うのは那美自身、そして問題になるのはもう一人。
仗助達の後を追い、彼らの無意識を通り、この世との境界線から手を引き連れ戻してくる役。
それを可能にするには仗助たちと同じように、肉体から精神を分離させること。
これだけでも危険なのに、その上、彼らを追いかけ、あの世の淵にまで足を踏み入れることになる。
本来は術者二人以上で行われ、素人にさせるべきではない危険な役割だと那美は言う。
おそらく、仗助達の命と、助けに行く者の命を天秤にかけたのだろう、馬鹿な提案だったと那美は首を振る。
命を助けるために、命をかけるという愚かな行為を、誰も他人にしいることは出来ない。
「俺が行こう。――身内の尻拭いをするのはじじいだけで間に合っていたんだがな」
――それでも、自ら手を挙げる者はいる。人のために命をかけるという尊いそれを愚かだと、心から笑う者は人類史上きっと誰もいなかったに違いない。
承太郎と名乗ったその男は、魔導士達の輪を横切って、那美とはやて達の下に歩いてきた。
男は仗助の顔を一瞥した後、わずかな笑みをこぼした。
それはいつも羨望を向けていた、家族に向けるぬくもりに似ているとはやては感じた。
――だから『他人が勝手に、私の友達に命を賭けるな!』と文句を言えず、じっと黙っている。
それに気づいたのだろう、男ははやて達三人の頭に手をポンと置き、悪いなと小声で謝罪する。
仗助達に向かっていく男の背中は大きく、格好良くて、さまになっていた。
――だけど『……あの、空条くんはちょっと』と那美に献身を断られる姿は、間が抜けていて少女達は吹き出してしまった。
●
「おい、女。なんで俺じゃあ、駄目なんだ? 説明しろ」
男の表情に変化はないが、語気の強さから、苛立っているようにも思える。
内心、はやて達小学生に笑われたことが堪えているのかもしれない。
容姿は男前なのだ。その鋭い目つきは、気の弱い人間なら逃げ出してもおかしくはない。
そんな承太郎に、那美は抗議のむくれ顔を突きつける。
「ねえ、いい加減名前で呼んでって言ってるでしょう! 女だとか、そこのだとか、私は何度、空条くんに自己紹介すればいいの!」
那美は両手を腰にやり、憤慨を露わにする。
剣幕から、言葉通り何度目かの抗議なのだろうに、承太郎は気にもせず、溜息で那美の答えを待った。
「はあ、もういいよ。――で、空条くんじゃあ、ダメな理由だよね。そんなの簡単だよ! いい? 二人の魂は、この世との境界近くに立っているんだよ。私の呼びかけに応じないってことは、もしかしたら、二人は自分達の状況もわかっていない危うい状態かもしれないの。そんなギリギリのところに空条くんが助けに行ったらどうなると思う?」
承太郎は顎に手をやり考えるが、思い当たることはなかったのだろう、那美の答えを待った。
「――あなたの顔を見た瞬間に逃げ出して、最後の一線を飛び越えちゃうかもしれないでしょ、あの二人は!」
――舌打ちをして、腕を組んだままもたれ掛かるようにベンチに腰を落とした彼の姿は、どこか拗ねているように見えた。
●
「――ごめんなさい、こんな危険なことをあなたみたいな子供にやらせるなんて」
那美に謝罪の言葉を向けられ、はやては首をふる。
肉体から離れた魂、精神の世界――境界で彼らを探すには、心のつながり、縁を頼りにするしかない。
そしてこの場にいる面子の中で仗助達との強いそれを有しているのははやて達三人だけだと那美は述べた。
「私なら、問題ないですよ。今日のおっきな借りは、今日のうちに返しておきたいんで」
アリサとすずかを抑え、はやてが役目を買って出た。
親友二人は、下半身が不自由なはやてに、重荷を背負わせまいと渋ったが、少女の意思が堅い事を悟ると、それ以上口を出すことはなかった。
「なに、あんた。あいつらに借金でもあるの? そんなの踏み倒しちゃいなさいよ。わたしが許すわ」
「違うよ、アリサちゃん。はやてちゃんはいっぱい迷惑かけられているから、お礼参りがまだまだ残っているって言っているんだよ」
アリサの理不尽な物言いと、すずかの得意げな誤解。
それをわざわざ正す必要もないと、はやては口の端を弛める。
今夜、はやてが救われたことに対する感謝の言葉も、その数倍もある日頃の恨み辛みもまだ伝えていないのに、いなくなってもらっては困ってしまう。
だから、命を賭けることに躊躇いはない。
たとえ賭けに負けても、アリサの言うとおり踏み倒してしまおう。
それくらいの奇蹟なら、まだ十二時を回っていない現在、願ってもバチは当たらないだろう。
シグナムは止めても無駄だと解っているのだろう、何も言わずはやてを抱きかかえ、横たわる仗助達の間におろしてくれた。
他の面々、シャマル、ヴィータ、ザフィーラも、心配するような、それでいて無茶な主に呆れているような顔をしている。
数刻まえ、足りているものが何もなかった絶望と比べ、今はあの二人以外のすべてが揃っている。
だからはやては安心して、とても小さくて、吹けば飛ぶような絶望に飛び込んでいく。
●
「いい、はやてちゃん。あなたは、仗助君達の通った心の道を頼りに、それを辿って彼らを連れ戻してくるんだよ。だから、仗助君達の影響がその身に強く出るの。もしかしたらその世界では声や姿は今のあなたと全く違ったものになるかもしれない。それどころか、霧のような不確かな存在にまでなって、二人に気づいてもらうことさえ難しいかもしない。でも決して声を出すことを止めないで。諦めなければあなたの想いはきっと届くから。魂のみの世界では、それが何よりも力になるんだよ」
那美の忠告を反芻し、はやては頷く。
那美は巫女服の袖口から赤い糸を取り出し、己の小指に結ぶと、もう片方の端をはやての小指に。
「そしてこれが、はやてちゃんと私、つまりこの世界とを繋ぐ道標になるの。二人を見つけたら帰りはこの糸を頼りに帰って来ること。――もし、二人を見つけ出せなかったり、あなたが危ないと感じたら、その時ははやてちゃんだけでも必ず戻ってくること、いい?」
最後の提案は、笑顔で無視し、はやては続きを待った。
「――最近の小学生ってなんでタフな子が多いのかしら。とにかく、何があってもこの糸はなくしたり、ちぎったりしないこと。じゃないと――」
そこから先を那美は告げなかったが、おそらくあの世に行ったまま戻れないということだろう。
あえて尋ね返すことはしない。
「じゃあ、準備はいい。あなたの夢を道に変え、それを二人と繋げて、精神を送り出すから、寝てくれる?」
那美の言葉に応と返し、はやては目を瞑る。
――目蓋を開け言った、眠れない。
「ええっと、こればかりは私にもどうしようもないんだけど。はやてちゃん、ガンバ!」
可愛らしく両拳を胸に応援してくる那美。
そんな年上の態度にイラッとした所為か、はやてはますます眠れない。
一刻を争う状況、なのに焦れば焦るほど、晴れていく眠気。
素直に眠れないはやてを助けてくれたのはやはり親友だった。
「はやて、ここは私に任せなさい」
自分の出番だと、アリサははやての背に回る。
「アリサちゃん、急いでんか、お願い!」
アリサの意図に気づいたはやては身を委ねる。
「はやてちゃん、行ってらっしゃい」
親指を立てて見送ってくれるすずかはアクション俳優みたいで格好よくて。
だからそれに笑みを返し、親指を立てる自分も格好よく、そして、すずかの瞳に映る、はやての背後から細腕を首に回すアリサも格好いいはずだ。
「必ず連れて帰るから、ちょっとだけ待っててな!」
なのに、守護騎士を除いた魔導士達は、はやて達の日常よくある光景を、表情に畏怖を貼り付け窺っている。
不思議に思ったが、尋ねるより前に、はやての首に圧力がかかった。
――アリサのバックチョークは、思いのほか早く、そして優しく、はやての意識を奪ってくれる。
いつも、おいたをした仗助達を絞め上げるのと同じように。