ではどうぞ。
翌日、学校から帰って来るとやはり親子がお参りに来ていた。
「おかえりなさい」
「おかえりー」
「ただいま、と言うのも、何か変ですね」
人の家に他人がいて、その他人から「おかえりなさい」と言われるのは初めてだった。
「小耳に挟んだのですが、お仕事の合間にお子さんを外に連れ出しているとか」
「はい、実は……」
母親ははにかみながら答える。
「その……大丈夫なんですか? お仕事を途中で抜け出してきてしまって……」
「ええ、まあ。二時間後の会議……みたいなモノに間に合えば問題はありません」
「差し支えが無ければでよろしいんですが……お仕事は一体、なにを?」
会議、ということはどこかの会社のエリート社員なのだろうか。よくよく見れば身なりはちゃんとしているし、どこか理知的な雰囲気を纏っている。育児に仕事に大忙しな母親は少し困ったように口を開いた。
「講師をしていまして……」
「先生なんですか。では、高校の?」
「いえ」
「では進学塾ですか?」
「いえ」
母親は首を横に振る。残るは小学校中学校の教員だ。
「その……大学の方で、生化学を……」
まさかの大学講師だとは思わなかった。確かに、講師と言う言い回しに多少の違和感があったが、確かに、小中高で教鞭をとっているのであれば『教師』と言うだろう。まあ、大きなくくりで見れば大学の先生も『教師』なのだが。
「そうなんですか。私はイマイチ分からないのですが……生化学と言うと、生物と化学が混ざったような物なんですか?」
「生物を主流に化学もやる、と言ったところでしょうか」
なんだかよく分からないが大変そうな学問だ。
早苗は今通っている学校を卒業したら神学に重きを置いている大学に通おうと思っている。神社を継ぐと言っても資格が必要なので、そのための勉強をしなければならない。
そこで早苗は首を傾げる。大学で会議なんて必要なのだろうか。曲がりなりにも教育機関だから職員会議のような物があるのかもしれない。大学のシステムについてあまり知らない早苗はその辺のところを聞いてみることにした。
「会議……と言うと、職員会議のようなモノなんですか?」
「うーん……生徒と外国の論文を読んだり、和訳してみたり、実験の説明や監督をしたり……と言ったところですかね」
「ママはね、きょーじゅなんだよ」
「は?」
少女の突然のセリフに早苗は素っ頓狂な声を挙げた。少女はにこにこしながら早苗を見上げていた。
「教授?」
「うん」
早苗は視線を母親の方へ移す。すると母親は困ったような笑みを浮かべていた。
教授と言えば学問に関する権威でもある。その道を極めたプロフェッショナルと言っても良いだろう。だが、早苗の想像する教授とは全く異なっていた。教授と言うともっとこう、ハゲ散らかしてよぼよぼだったり、意地の悪いおじさんだったり、なんかとても偉そうだったりとマイナスのイメージしかなかったのだが、目の前の女性はどうだろう。
一時の母とは思えないほど綺麗で若々しい。肌もきめ細かく瑞々しく張りがある。もしかすると早苗と同年代の女子よりも肌艶が良いかもしれない。スタイルもばっちりで、かっちりとしたスーツを着こなしている。早苗の想像する教授とは大きくかけ離れている。
見るからに『デキる女性像』である。
「……Jesus」
思わず発音良くそう呟いてしまうほど、その母親は早苗にとって眩しく見えた。早苗の呟きを聞いて母親は「神社の子なのに西洋の方を言って良いのだろうか」と疑問に思っていた。
「教授と言っても、大したことないですよ」
母親は謙遜しているが、教授は教育に関する者の最高地位である。謙遜のし過ぎじゃないだろうか。
「すみません、そろそろ戻らないといけないので」
母親は申し訳なさそうに言った。
「あれ、でも……二時間は大丈夫なんじゃ……」
「移動の時間もありますからね。渋滞とかに巻き込まれない内に早めに戻らなくては」
なるほど、と納得する。やはり『デキる女性』は先のことも考えているのだ。
ふと少女に視線をやると、どこか寂しそうな顔をしていた。母親が戻らなければいけないと言うことは、少女は病院へ戻ると言うことだ。それはつまり、独りぼっちになると言うことを示している。
まだまだ甘えたい盛りだろう。しかし、少女はワガママを言わずじっと悲しみを堪えている。
そんないじらしい姿を見て、早苗はふっと微笑んだ。
「私が相手をしますよ」
「え?」
母親はワケが分からないと言った表情を浮かべる。
「お子さんの外出時間のギリギリまで私が相手になりますよ」
「そんな……悪いですよ……」
「いいのっ?」
母親は遠慮しているが、少女がすっかり乗り気である。母親はも、娘の願いを叶えてやりたい気持ちが強いのか断りにくそうだ。
「…………お願い、できますか?」
母親は心苦しそうに尋ねてきた。早苗は「勿論です」と頷く。
「病院の場所さえ教えて頂ければ、学校帰りにお見舞いに向かいますよ?」
「そんな、そこまでしてもらうワケには……っ」
気が咎めるのか、母親は流石にその申し出だけは断ろうとしていた。
「アナタはささやかな願いの代わりに多くのお賽銭を入れてくださってます。……流石に願いだけを聞き入れて多くを貰うのは、良心が痛むので……」
お百度参りが始まってまだ三日目だが、母親は昨日も一万を入れていた。今日も一万を入れいていることだろう。この親は願いの為だけに一○○万も払うつもりなのだ。最初は嬉しかったが、それが続くとなるとなんだか申し訳ない気がしてやまない。早苗は母親に近寄り、そっと耳打ちする。
「変則型のハウスキーパーのバイトだと思って下さい」
「バイト?」
はい、と早苗は頷く。
「神社側としては信仰して頂いてるだけでも嬉しいことなので。私個人としては、あまり多くの額を貰うと気遅れをするというか、対価が必要と言うか……。そんなワケで、バイトを申し出ているワケです」
それは早苗の本心だった。信仰さえしてくれていれば、神社はそれだけでもありがたい。お布施やお賽銭なんかはついでで構わない。もらえればありがたいが、やはり信仰が第一だ。きっと母親はそう言うことを言ってもお賽銭を入れることを止めないだろう。早苗の起こした『奇跡』を見てしまったので、もしかしたら、という希望に縋っている可能性が高い。そこで「お賽銭は少ない額でも大丈夫です」といっても、母親は納得しないだろう。
「アナタ方が多くの代償を払うのは忍びないので……。私も肉体労働をしようと思っただけです」
それに、と早苗は少女を見下ろした。
「この子だって、一人くらい仲の良い人が欲しいでしょうし」
「――」
母親は口を噤んでしまった。早苗の言わんとしていることが分かったのだろう。もしくは、願いを言い当てたからか。願いに関しては神奈子から聞いたから言えたのだが、向こうはその事を知らない。普通に考えれば自分の願いを言い当てられれば驚くのは当たり前だ。
「……。……分かりました」
何か言いたそうにしていたが、母親はそう言った。母親は懐から手帳を取り出すと何かを書き、ページを破って早苗に手渡した。
「この子が入院している病院の住所と行き方、そしてこの子の居る病室の番号です」
メモを受け取り、早苗は少女の視線に合わせるために膝を折った。
「これからは私がお話しする相手になります」
「……本当?」
少女は首を傾げる。早苗はにこりと微笑み、少女の頭を撫でた。
「私は学校があるので病院に着くのが夕方頃になりますけど……その時まで、待っていてくださいね?」
早苗が諭すように言う。少女は嬉しいのか、満面の笑みを浮かべていた。
「うんっ。待ってるねっ」
早苗は少女に手を振って別れた。
胸が温かくなる感覚を覚え、早苗は僅かに微笑みを浮かべた。
「えーっと……この道を真っ直ぐ行って……」
放課後、早苗はメモを頼りに病院へと向かっていた。学校からだいたい四キロほどのところにその病院はあった。メモに記されている病院の名前と看板のようなものに書かれている病院の名前が一致したところで早苗はため息を吐いた。
「……」
でかい、と言うのが早苗の正直な感想だった。
少女が入院している病院はかなり大きく、駐車場には多くの車があった。
「……まあ、筋ジストロフィーだし、大きな病院で検査する必要がありますし」
難病なのだから大きな病院で精密検査を受ける必要があるだろう。この辺に大きな病院はここしかないので仕方ないと言えば仕方ないが。
「っと、病室に行かないと」
早苗は再びメモに目を通し、病院の中へ入った。エレベーターを使って上に向かい、少女の居る病室を目指す。
「…………ここか」
病室の番号とそこに書かれている名前を確認し、早苗は扉を開いた。
「お邪魔しま――」
「来たっ」
早苗が全てを言い終わる前に少女が声をあげる。
病室には少女一人しかいない。どうやら個室のようだ。多くの機械が置いており、少女の身体に繋がれていた。きっと脳波などのデータを取っているのだろう。医学に明るくない早苗にはそれがどう言う意味なのかよく分からなかったが。
「お待たせしましたか?」
「ううん。さっき起きたばっかりだから、全然待ってないよ」
薬の副作用か何かだろうか。病気の進行を少しでも遅らせるための薬が投与されているのかもしれない。早苗は「そうですか」と言ってベッドに近づく。
「お外に出かけますか?」
「お話が出来ればどこでも良い」
お百度参りをしているのは母親なので、少女は気分転換の意味を兼ねて外に出ているのかもしれない。早苗は「じゃあここで」と言ってイスを手繰り寄せて腰を下ろした。
「なんのお話をしましょうか」
「んーっとねえ」
少女の質問に早苗が出来る範囲で答える。早苗の学校生活や神社での生活、そのほか他愛の無い話で二人は盛り上がっていた。
気付くと面会時間も終わりになっている。早苗は名残惜しいが立ち上がり帰り支度を整えた。
「お姉さん、帰っちゃうの?」
少女は悲しそうな顔をしていた。早苗はゆっくりと少女に近寄り、頭に手を置いた。
「すみません、私にも帰る家があるので」
「もうちょっとお話ししよう?」
「これ以上ここにいると、病院の先生に怒られちゃいますから」
しゅん、と少女は肩を落としていた。そんな少女を見て早苗は微笑ましく思った。
「また明日、来ますから」
早苗がそう言うと少女は顔を上げて目をキラキラさせながら早苗のことを見つめた。
「本当っ?」
「ええ、本当ですよ。だから待っていてください」
早苗がそう言うと少女は「うんっ」と頷いた。
「また明日、ここに来てね、お姉さん!」
「ええ。では」
早苗は小さく手を振って病室を後にした。
胸がなんだか温かい。神社にいる時よりも遥かに心地よい充実感がある。
「また明日……か」
薄っすらと微笑みを浮かべながら早苗は帰路へと着いた。
早苗は根気よく病院へ通っていた。母親からのお賽銭がある手前、早苗は休むことなく病院へ足を向けていた。クラスメイトに遊びを誘われてもそれを断り、一目散に去っていく姿を見てクラスメイト達は「男が出来た」とウワサを流していたのだが、早苗は気にも留めなかった。所詮はクラスメイト止まりでしかない他人だ。何を言われようと気にしなければいい。
少女と過ごしている時間は早苗にとって有意義であり、何より愛おしいものだった。たった一人の少女と話をしているだけなのだが、それがどんな金銭よりも輝いているように感じられた。気が付けば明日はどんな話をしようとか、お見舞いの品は何が良いのだろうかと考えているくらいだ。
少女に情が移ったのかと問われれば、早苗はイエスと答えるだろう。しかし、考えてみても欲しい。
日々弱っていき、残りの時間があまり無い健気で可愛らしい少女に求められて嫌な気が起るだろうか?
答えは否だ。
少女の病は緩慢的に進んで行く。二、三日前までは僅かだが足が動いていたのに、今では全く動かなくなっていたりする。こうして少女の筋肉は徐々に委縮していき、筋肉でできている心臓もやがて止まってしまう。今こうして過ごして居られるのもどれだけなのか分からない。明後日までなのか、明日までなのか。もしかしたら今日この一瞬の後に事切れてしまうかもしれない。
早苗にとって少女は一種の救いでもあった。少女がありのままの自分を必要としてくれている。それは『神通力を持った少女』が求められることよりも、遥かに嬉しいことだった。神社にお参りに来ては作法も知らない今時の腐った若者や、未練がましく長生きをしたいと願う老害の相手をするよりも、少女と過ごしている方が精神衛生にも良いし、目の保養にもなる。
早苗にとって少女は妹のような存在であり、愛すべき存在だった。一度、薄い本(百合)を見てからどうも少女を性的に見てしまうことが多く、自分を抑えるのに必死になっている時がある。
少女の要望になるべく応えようと、早苗はアニメにも目を通すようになった。所詮はアニメや特撮、と軽く見ていた自分を殴りたい。今のアニメーション技術や特撮の技術は凄まじい。日曜の朝にやっているロボットモノの特撮は思いの外ストーリーもしっかりしていて見ていて飽きない。いつの間にか早苗は過去のロボットアニメもインターネットで見ていたくらいだ。
「見てください、変形ロボを手に入れましたっ」
「おおーっ」
少女は目をキラキラさせながら早苗が掲げる特撮ロボットの玩具を見ていた。
「手に入れるのに多大な代償を支払いました……」
自分よりも一○は下の男の子に混じって列に並んだ時はものすごく恥ずかしかった。まあ、並んでいる男の子の付き添いとしてその母親がいたのでそこまで恥ずかしくは無かったのだが、年頃の女子高生がロボットとは、あまりに色気がないのではないだろうか。おばさま方の中には「オタクよ」「女子高生のロボオタクよ」とヒソヒソと聞こえる声(矛盾)でしゃべっているのが聞こえた。
早苗は少女にロボットを与え、それで遊ぶ少女を見て頬を綻ばせる。
「……おっと、そうでしたそうでした」
がさごそ、と早苗はカバンからプリントを取り出した。それは数学の課題だった。本当なら家でやるつもりだったのだが、きっと家に帰ったらそのまま寝てしまうと思ったのでしょうがなくここでやることにしたのだ。
少女がロボットで遊んでいる間にやってしまおうとプリントに視線を落とす。
「………………………?」
意味が分からなかった。
ここのところ、少女のことばっかり考えていたので授業を全く聞いていなかった。授業中に良く注意されていたことを思い出し、早苗は頬を引き攣らせる。
やべえ、マジ分からねえ。
冷や汗をダラダラ流しながら早苗はプリントを凝視していた。
「ここはね、こうするんだよ」
ふと顔を上げると、少女が早苗の筆箱から勝手にシャーペンを取ってやり方を書き始めた。
「え?」
早苗は間抜けな声を上げて少女を見遣った。少女はにこりと笑い
「私ね、前までやることがなかったからパパやママにお勉強を教えてもらったの」
すごいでしょー、と少女は得意げな顔をする。この少女の母親は大学の教授だ。確かに勉強を教えるくらいは出来るはずだ。しかし、この子の父親に関しては何も知らない。その辺のことを聞いてみることにした。
「あの、お父さんは何をしている人なんですか?」
「いんちょーさん」
ん? と首を捻る。早苗がイマイチ理解していないことが分かったのか、少女は「んーっとね」と病院の床を指し示しながら
「私のパパはね、このびょーいんの一番偉い人なの」
「…………ああ、院長――え!?」
早苗はギョッとして少女を見た。
父親は病院の院長で母親は大学の教授。とんでもなく高学歴なご夫妻の間に生まれたらしい。
「……お姉さん、コレ、なんて読むの?」
放心している早苗は少女の声でハッとする。少女が示していたのは自分の氏名だった。
「ひがしかぜたに……はやなえ?」
疑問符を浮かべ、少女は首を傾げる。自分の名字は結構珍しいので一発で読める人は早々にいない。それは少女も同じだったらしい。
「これは『こちや』と読むんです。私の名前は『さなえ』です」
「こちや……さなえ……」
少女は確認するように呟いた。そして視線をこちらに向けて来る。
「お姉さん……」
「はい、なんでしょう?」
「さなえちゃんって呼んでも……良い?」
「……」
初めて呼ばれる呼び名に、早苗は言いようもない感動を味わっていた。
諏訪子や神奈子には『早苗』と呼び捨てにされ、親戚などからは『現人神様』や『早苗さま』と呼ばれる。同年代に関しては名字でしか呼ばれない。記憶を遡れば確かにそう呼ぶ者はいた。しかし、それは僅かな間だけで長くは呼ばれなかった。
そう言えば、と早苗は思い出す。あの日以降、少女は一度たりとして「『奇跡』を見せて」と言ってきていない。大概の人間は『奇跡』を目の当たりにするとせがむと言うのに、この少女は一貫して、『奇跡』ではなく『東風谷早苗』を求めて来ていた。
それを知った瞬間、早苗の胸に温かさが広がった。
「……いや?」
いつまでも反応がなかったので嫌がってると思ったのだろう。少女はこちらを覗きこんで来た。早苗は首を横に振り、微笑みを浮かべた。
「構いませんよ」
了承の旨を伝えると、少女を口元を綻ばせ、早苗に抱きついてきた。少女を抱き返し、その頭を優しく撫でる。
しかし、どうしてだろう。こんなにも胸が嬉しさで溢れているのに。
少女の抱きしめる力が弱い、そう感じてしまうのは。
早苗は頭を振り雑念を追い出す。今のは自分の勘違い。そう思うことで早苗は脳裏をよぎった『最悪』を無視することにした。
思ったことを口にしやすい早苗がその事を口にしなかったのは、ある意味では『奇跡』と言えるだろう。
早苗……。
ではまた。