緑の山、青い海、白い雲、そんな自然豊かな風景の、青と緑の境目を電車が進んで行く、
「なあ、いつ着く?」
「…もうすぐだ、」
そんな電車の中だが、窓の外に広がる大自然より注目を集めたものがあったが、それを決して直視せず、ちらっと見ては、目をそらす、それはその前の会話した二人である。ひとりは、160cm 程の身長で、見た目中1の男子もう一人の親戚か家族で、落ち着きがなく、小学生のように動き回り、これまた小3くらいが笑いそうな下ネタを飽きずに繰り返している。が、問題なのは、こちらではない、これだけ騒いでも、誰も彼を注意しないのは、
「……うるさい、他の人に迷惑をかけるな」
「は~い」
と言うと、彼の横に座り、携帯端末触りはじめた。と、思い出したように、画面を見たまま、話し始めた。
「さっき絡んで来た人だけど、目的地のひとつ前でおろしたのって、歩けって意味?」
「ああ、」
「………まあ、そんな格好なら絡まれるか、スルーだよ」
黒く目の辺りまで伸びた髪、鋭い目つき、片耳だけについたイヤホン、もう片方は、だらしなく垂れ下がり、電車の揺れに合わせて右へ左へ揺れている。が、対照的に足は膝をくっつけて座っており、その膝の上にダンボールの荷物を一つと、出来る限り近くまで引き寄せた小さなラックが彼の目の前に置かれており、本人も身を屈めて小さくなっている、その異様さ故に、先ほど不良三人に絡まれた訳だが、立ち上がった彼の身長は170程あり、立った時から三人に威圧感を放っていた。後退った瞬間に、まず、胸ぐらを掴んで来た金髪の男の鳩尾に膝を叩き込み、戦意喪失、次に近くにいた丸刈りをヘッドロックで2秒程で落とす、そして、ピアスの男の首の裏をトンっと、叩き意識を奪う。そして、金髪の男から目的地を聞き、ひとつ手前の駅で降ろした。それが、この電車の中で少し前に起きた出来事だ。
「………どうでもいい。」
そう言うともう片方のイヤホンを耳につけて、自分の世界に入っていった。
しばらくすると、海沿いの駅に停車した、電車の大半の人間がここで降りた。もちろん彼らも、ラック担ぎ、ダンボールを小脇に抱えると、ゆっくりと歩き出したが、手ぶらの弟が階段の中腹で振り返って囃し立てる。
「早く来ないと置いてくよ~」
「お先にどうぞ、新しい家の場所がわかるならな、」
呆れ気味に言うと、そのままのペースで駅の階段を上がって行く瞬。
「兄ちゃんさぁ、…何往復したの?」
話を逸らしたな、と思い、黙る。
「一回目がラック2つ、二回目もラック2つ、三回目がダンボール3つ、で今がラック一つとダンボール一つで、これで最後?」
「…そうだ、引っ越しセンターのトラック借りるより金が掛かんないだろ、それに手続きでこっちにも用があったし、その行き来に合わせて往復しただけだ、」
淡々と階段を上がっていると、聞き覚えのない高い声が自分の聞き慣れた、単語を連呼している。
「河嶋くんー、河嶋瞬くんー、この電車に乗っているのは、分かっているんだ!無駄な抵抗はやめて、大人しく引っ越しの手伝いをさせるんだ~。」
階段を上がりきると『ようこそ、河嶋さん』と書かれたプラカードを持った学生服ではなくメイド服を着た、少女が仁王立ちしていた。
「………敏樹…あれ何とかしてくれ、」
「兄ちゃんの名前呼んでるよ、」
「…………」
ため息をつく、仕方なく足を進めると、向こうもこちらに気づいたようで、プラカードを振りながらこちらに走ってきたが、見事に転けた、その上、瞬の眉間目掛けてプラカードが飛んできた、が顔を正面に向けたまま表情一つ変えずに首を横に傾け、回避。
「あの……大丈夫?……敏樹、絆創膏、」
そこには、先ほどの印象とは、打って変わってそこには、優しく声をかける瞬が、荷物を置いて手を差し伸べていた。
「あははは………転入する前にとんでもない姿、見せちゃったね、私は、南 理菜、河嶋くんの転入するクラスの~、音楽係だよ、よろしくー、」
「ふっ、………よろしく、」
「出た、兄ちゃんの………」
ゴッ!
「絆創膏………早く……」
表情はそのままで、鈍い音をたてて脛にチョップが放たれる、地味に痛い、受け取った絆創膏を傷の上に貼る、花柄プリントのこれは、瞬が怪我をするとよく貼られるもので、その間は機嫌が悪く目つきは、更に鋭くギラギラしていると思う、喧嘩をするなと言う意味だと思うが(半分は嫌がらせ)、男子高校生がこれを貼るのは、抵抗がある。性格的に喧嘩を売る事はないが、普段の目つきのせいでよくケンカを売られる、初めは避けていたが………、
「えっと、…メガネ落ちてないかな、」
「……うん、頭の上に移動してる、」
「うわっ、恥ずかしい、恥ずかしいよ~、こんな奇跡なんていらないよー」
頭の上にあったメガネを元の場所に戻すその直後、一瞬、背筋に寒気が走った。その寒気は瞬の思考も凍結させた。
「ありかとね、」
あどけない笑顔、とお礼の言葉が瞬の思考をゆっくり凍結していった。
「………………どういたしまして、……ああ、あの、南さ……」
「えっと、名字じゃなくて、えっと、…河嶋くんがよければでいいんだけど私の事は、……『ミーナ』って呼んでよ、友達が読んでくれるあだ名みたいなものなんだけどさ、……気軽にそう呼んで、………じゃ、じゃあ言ってみよう、せぇーの」
「…ミ、ミー…ナ」
「声が小さい!もう一回!」
「……………えっと、ミーナさんはなんでここで僕達を待っていたんですか。」
「……えっ、ああ、えーっと、………………う~ん、………なんだっけ?」
「そこ、忘れる?」
「あっ、そこ先輩には敬語、弟くんは、私の事は、ミーナお姉さんと呼びなさいー!」
「分かりました。」
と返事をした後、ミーナに聴こえるか、聴こえないかぐらいの声だが、瞬には、はっきりと聞き取れる声で「うぜぇ……」と言った。
「あのー、………一度、家に行ってからでいいですか、荷物置いてからでないと、あまり動けませんし、学校の話でしたら、弟に家の整理をしてもらっている間にでも………」
「…えっ…と、…それじゃあ、…よろしく……」
「待て、待て、待て、服装どうにかして!」
「…あぁ!えっと、……今、何時?」
「…無視?えっと、…確か…」
「13時4分」「1時4分…」
同時に、瞬、敏樹が言い方こそ違えど同じ時間を答えたが、二人の答えの導き方は全く違う。
「時計なくてもわかるの?」
「到着時間+着いてからの時間を足しだけ~」
敏樹がふざけながら、応じた、
「なにか予定があるの?」
「……ああ、友達に会ったら連絡欲しいて言われてて、すぐ電話しないと、明日、私の奢りにされちゃうよ!すぐ終わるから、移動しながら行こう。」
-あの寒気は一体………右手でラックを角材のように担ぎ、左の小脇にダンボールを抱えて、正面から見るとはにわのようなポーズになっているが、思考を働かせながら、足を前に進める。後ろからは、底抜けに明るい笑い声が聞こえてくる。親しい友人のようで、楽しそうに話している、電話では、伝わらない大袈裟な身振り、手振りと伝わりにくい擬音を混ぜて、………寒気の正体、あれは恐怖や焦燥、畏怖など、危険に対する反応、よく喧嘩するでも、焦燥感や危機を感じることはあるが、自分自身楽しんでいる時があり、相手が十人だろうが、罠だろうが、スリルと達成感を得るため、正面突破、多少のケガはするが、負けはほぼない。その楽しみを上回る恐怖を受けるとしたら、それは[殺気]で、[確実に殺せる状態]だったのだろう。だが、この明るく小さなその姿に、どうしてそんなものを感じ取ったのか、自分の"目"に写った物が教えてくれるだろう。
「………どうしたの?顔色よくないよ」
表情には、あまり出さなかったが、正直焦った考え込んでいる事を気遣ってか、心配そうな表情で見上げられたからだ、そのあどけない様子が可愛らしく、少し切ない気持ちになった。隠し事をしているようで心が痛い、メガネを掛け、立ち上がろうとした時の[殺気]のような物、あれ以外は、明るい女の子だ。
「ああ…大丈夫…ちょっと疲れてるだけだよ、」
自覚は、あるのだが、観察や思考に集中すると、どうしても無口なる。そうこうしている間に家の前だ、扉を開けると、シンプルな状態で、少ない家具と、近くのダンボールと、防虫剤や接着剤の独特の臭いが自分の家ではないという印象と、殺風景な印象をより一層際立たせた。
「河嶋君の家、新しい感じだね」
疲れたように、敏樹は、リビングに入るやいなやソファーで横になった。
「晩飯よろ、外食なら呼んで、」
と携帯を持った手を振りアピール、そのまま睡眠体制、疲れているのもあるだろうが、こいつは、かなりの出不精で、整理等が苦手、旅行では、観光を嫌い旅館やホテルがこいつの目的地だ、荷物の整理を頼んだが恐らくしないだろう。瞬は溜め息をつく、今フライパンも鍋もないこの家において、必要経費の都合上、買い食いや外食をする金銭的余裕はない、ここは、この土地に詳しい彼女に聞くのが妥当だろう。
「…この辺りで、安いスーパーとかないかなー」
「う~ん、どこも同じ位だと思うけど、」
「案内ついででいいんだけど買い物していいかな?」
「うん、別にいいよ、」
ポケットから携帯を出し、時間を見る5月3日、13:32充電残量は72%だった。
外食店の看板やコンビニが並ぶ大通りから、少し離れた所に小さな店があった、横にはテナント募集と書いた7階建ての雑居立っており、店に影を落としていた。
「ねぇねぇ、ここ学校の帰りに寄ると、お惣菜がいいお値段になってるんだよ、ここ、」
そう言うと、パタパタ世話しなく右へ左へ、キョロキョロしながら周りのみせを紹介してくれるが、この店以外は、楽器専門店、ブラジル料理店、酒屋など、残りはほとんど要らない情報だった。だが、人のあまり通らない場所は、どこも同じような人がいる。周りから虐げられた者、疚しい目的のある者、人目を嫌う者など理由は他にもいくらでもあるが、環境は、人に影響するし、環境も人に影響を与える。どちらかは知らないが、ニワトリが先か、卵が先か、と言うような哲学的な話よりは、簡単だろう、話が逸れたが、何故こんなことを考えているかと言うと、視線を感じるからだ、姿は、確認出来ないが恐らく、前方に四人、後方に三人といった所だろう、あまり関係無いことを考えているのは、集まる視線を意識すると不快感が倍増するからだ。人数的に問題ない、囲まれても一人なら対処可能、一人ならだが、今は…………
「……んで、ここが、仏具…ちょ、待って、急にどうしたの、」
横の建物と建物の間の狭い路地に理菜を引っ張りながら入っていく。すると、予想通り追ってきた、あと嘲るように、こちらを馬鹿にしたような態度で話し掛けてきた。
「ねぇねぇ、そっち行き止まりだよ、」
瞬はゆっくり振り返る、理菜と話していた時の笑みは消え、電車で見せた無表情、全く興味関心の無い目で相手を見る、人数も予想通り、年は二つ程上で、身長は自分より低いか同じくらいで、一人デカイ奴がいるくらい、一応、彼らの目的を聞いておこう。
「何の用ですか」
「とりあえず…金貸してよ、そっちの女も、」
一番前の男の言葉の後に、不快な笑顔と下品な笑い声が癪に障る。頭の悪さも呆れるが、話の芸の無い事、使い古されたベタなセリフには、溜め息が出た。こいつらを撒くのは、簡単だろう、理菜は抱えてでも、運べばいい。だが、町の案内を邪魔されるのは困る。ポケットから、携帯を出しディスプレイを見ると、15:04、大分時間が経ってしまった。メールや着信もない。その後、ゆっくりと、ズボンのポケットにしまう。携帯を見ている間に、男は近くまで来ていた。
「金だけ置いて行け、つってんだよ!聞こえねぇのか!」
うるさい奴だ、なんか携帯見てる間ほざいてた気がするが、聞く価値はない。心の中でそう思うと、近くで睨んでくる男に、何の反応もせず、無関心のまま、何の言葉を発する事なく、睨み合いが続いた。
「さっさと……」
しびれを切らして、瞬の胸ぐらに手を伸ばしたが、その寸前で、瞬の手が、男の手首を掴み、そのまま、関節を固めて後ろに回り込み、男を壁にぶつける。その後に続けて、二人、次に三人、少し遅れて一人、まず二人の攻撃を避けて、片方の奴を顔面を掴み、壁に思いっきりぶつけて、自分の背後にいるもう一人に、もたれ掛かり、壁に追いやると左肘を腹に叩き込む、そこに続く三人の先頭の軽そうな奴(頭が)をその内の一人に投げる、余った奴から、放たれた右ストレート姿勢を低くして避け、相手の後ろへ回り込み、移動の勢いそのままに、右手で頭頂部、左手を顎に、首を捻る要領で脳を揺らす、勢いを利用した蹴りを次の相手の太股に、すかさず逆回転を加えた後ろ回し蹴りを顔面に当て、吹き飛ばす。最後に、自分より上の位置にある顔に踵落とし、時間にして約3秒の出来事だった。最後の相手が倒れるのを見届けて上着のポケットに手を伸ばしかけて止める、いつもの癖だが、今は止めておく格好がつかないからだ。さっきまでの機敏な動きから、今までどうりの動きで、理菜の方へと歩く。
「ごめんね、恐い思いとか、その、……びっくりしたよね、」
「………」
理菜は、ぽかーんとしている。あの程度では喧嘩にもならない、基本無視だが、降りかかる火の粉は払わなければならない。上着のポケットから出した物を理菜に渡す。さっき取り出そうとしたのは、これだ、
「………ラムネのお菓子?」
「うん、元気出るよ、」
「私の事、子供扱いしてないかなー?いい、いらないよー!」
「ははは………元気出て良かったよ、怪我とかない?」
「えっ、あ、大丈夫だって、へーきへーき、それにしても、七人相手に喧嘩してあまつさえ勝つとか、何者?」
「ミーナさんを守んなきゃ、と思っただけだよ、行こう。」
「ちょっ、さらっとすごいこと言わなかった!」
瞬は少し微笑むと、路地の外へと歩いていく。
その後、仏具、パン屋、クリーニング、時計店を紹介された後、眼鏡店の前で携帯を見ると17:21、34%………そうだ、カップにしよう。自炊をきっぱりと諦める。
「ミーナさん、そろそろ家族が心配するんじゃあ?」
「んー、別に心配しないと思うけど………あっ!妹の料理見てあげないと!」
「ミーナさん、妹いるの?」
「うん、料理が上手いんだけど、ちょっとね………」
なんだこの間は、何かあるには違いないが、触れない方がいい気がする。
「ああ、そういえば学校の場所言って無かったね、山の上の方にあるよ、それじゃあ」
行ってしまった。町を見て思ったのは、新しい建物、コンビニ等が多い大通り、少し横道に入るとさっきのような少し古い店がある場所や、人通りの少ない空き物件等が多い場所、そして、寮併設の学校が山の中腹より少し上に建っている。希望者が多く、空きがなかったのだ、
「はぁ………」
頭の中には、金欠の対策、さっき歩いた道の記憶、そして、それらの情報処理、ため息を吐いた後には、冷徹な表情になり、家を目指し足を進める、と同時に思考する。今日紹介された店の情報を取捨選択、所持金から出費の算出、合理的な家のレイアウト、そうこう思案しているうちに家に着いた。家に入ると出掛けた時と同じ光景が広がっていた携帯の画面を見る。17:58、31%、今日持ってきた携帯の充電機を取り出し、台所の奥のダンボールからカップ麺とカップ焼きそばを出し、湯を注ぎ、焼きそばを流し台の横に置いておくと、テーブル予定地付近でコンセントに充電機を繋ぐ、そして、カップ麺を食う。脳内のスケジュールを確認しながら、手順を決めていく。二階の自分の部屋でラックに次々と詰め込む、マンガ、小説、参考書、辞典の順に多い種類の本から出版別に並べる。一階に降りて台所収納に調理器具を入れていき、テーブル、座布団を並べ、テレビの配線、チャンネル設定、番組予約、取り敢えず今日はここまで、充電機に繋がった携帯を見る、20:01、100%、カップ焼きそばを食べた弟は、勉強をしている。雑事は大体終わったので、二階の自分の部屋に行こうとした時、買う予定だった単三電池を買っていない事を思い出した。いや、思い出してしまった。
「チッ、………ちょっと、出てくる、」
舌打ちをすると、不機嫌な様子で、雑にドアを閉めて家を出た。
近いコンビニでも10分掛かった、手にビニール袋を持ち、不機嫌な様子で歩く。理由は、計画に抜かりがあり、現在時間を無駄にしている事と、昼の連中が後をつけてきている事の二つ、前者は自分に対して、後者は、実力で勝てないために、嫌がらせなどをしようとしている腐りきったクズ共の性根に対して、こういうのは、相手の心を折るか、こっちが折れるか、当然折れる気はない、次の角で待ち伏せしようと、曲がろうとした時、視線と気配が消えた。しかも7人同時、不気味だった、自然と彼等がいた方へ足が進んでいた。暫くすると鉄の匂いが漂い、その匂いは、気配の消えた左の角を覗き込んだ時、それは光景と相まって強くなった。そこには少なくとも二人分の五体を斬り刻まれた死体と、明らかにそれをこえる数の手足や指、頭部までもが散乱している。辺り一面を覆い尽くすように飛び散った血飛沫は鉄の臭いを放ち、凄惨さを訴えてくる。声は出なかったがやるべき事はわかった。右手をズボンのポケットに伸ばす途中で携帯を忘れた事を思い出した、コンビニに戻ろうと、足を進めようとしたその時、違和感を感じ、動きを止める。背後から一人、こちらを見ている。
「こういう場合は確か………殺して口封じするんだったわね。」
女性の低い声は魅力的だったが、異常なまでに恐怖を掻き立てた。背中や顔からは嫌な汗が吹き出し、電池の入ったコンビニ袋を持つ手もビチャビチャだ。心音は今まで聞いた事も無いほど高く、早くなっていた。ただ、こちらを見ているだけ、その筈だが、体は動かず、悪寒が走る理由をひたすら自問し続けた。
コツ、
自分の後ろで足音が止まった。いつから近付いていたのか?それよりも後ろに立っているという事実が体の硬直を解いた。
「………!!」
第一声は喉が渇いていて、掠れて声にならないものだった。だが同時に振り返った事は正解だった。逆袈裟斬り、暗闇を切り裂くように煌めき、下から襲い掛かってきた。
ガッ、ガサッ
コンビニ袋と中身の電池が地面に叩き付けられる、音に続いて、血が地面に数滴落ちた。それだけだった。それ以外の物音はしなかった。瞬の五体はすべて繋がっていた。が、手の甲から肘にかけて、刃は容赦無く食い付いていた。どんな世界でも『死にたい』人間など居ない。それは自殺する者にも言える。いざ死ぬとなれば生き物としての本能が躊躇と恐怖を呼び起こす。もし、それらを意思と理性で抑えつけたとしても、その思考ができるだけ苦痛無く、確実に死ねる方法を探す。自分で考える限りでは薬品等だろうが、それらは苦痛の代わりに特有の恐怖があると考えられる。
人が殺す気で来れば、『生きたい』では無く、『死にたくない』と思うだろう。避けられなければ、防ぐしかない。シンプルな複数の思考が弾き出した結論は、輪切りにされない様に受け止める、次は間合いを取る、逃走、応急処置、左手で拳を握り、わざと大きく振りかぶる。相手が後ろに飛び退く動きに合わせ、右手を押し出し、反対方向に全力で走った。呼吸もフォームも無茶苦茶だが、出血した右手を心配している暇もないため、辺りに血を撒き散らしながらも走った。
「はっ、はぁ、はぁ……、あぁっ、ぁぁ」
鉄骨剥き出しの工事中の建物に入り、上着の袖を千切り腕を止血、傷口が大きいせいか、走り回ったせいか分からないが血は全然止まっていない、が無いよりかは幾分マシだろう。状況を把握する為にも呼吸を整えながら冷静に思考を巡らせる。三階あたりまで完成している建物はまだ囲いがあり入り口は一箇所のみ、そしてこの建物に入って来るのは工事の関係者か、追いかけて来るあの女くらいだろう。2階の踊り場から休憩と周りの警戒も兼ねて外を見た時だった。暗闇に溶けるような黒い髪、あの長い髪と刀、見間違えようがない。下の安全を確認して飛び降り、入り口付近に向かって走る。途中で鉄パイプが山積みになっている場所から、手頃な鉄パイプを一本拝借する。身を守るには心許ないが丸腰よりはマシだ、………右手がこれで、戦うのは理想的では無いがもしもの時の為に持っていくことにした。入って来た場所から出るとそこには抜き身の刀を持つ少女が立っていた。
「目撃者を消すと言うのは………あまり気が進まないのだけど」
「…………だったら、見逃してくれるかな?」
「………それは無理ね」
刀を構える様を見れば必然的に鉄パイプを握る手にも力が入る、と同時に右手の傷も燃えるように熱くなるが、冷静にならなければ、すぐに死ぬことになる。
ーまずは、牽制と踏み込む意志を削ぐ為に威圧感、圧迫感を出す為に左手で持った鉄パイプを上から大きなモーションで振り上げる。が、あっちは一歩も引かず、刀を鞘に収めて居合いの構えを取る。恐らく、あと一歩踏み込めば、胴体でもCTスキャンのように輪切りに出来るのだろう。
張り詰めた空気に、虫の鳴き声だけが響く、腕で防いで分かったが、女性と言うこともあって力は少ない、がそれを補うように人体を一刀両断出来る達人並みの技量がある。当然速度も早い。こっちは奇襲を凌いだ右手と反対の手に鉄パイプ、初手を上手く躱しても、次を凌げるかどうか、
゛
間違えたという不安が焦燥を掻き立てて行く。まだ
くっくっくっ
どうしようもない程に笑いが漏れる。いつもの作り笑い、愛想笑いでは無い笑みが心の底から楽しいと感じた。抑えられなかった。状況だけ言うなら不気味な事極まりない壊れたと言ってもいい。ただその笑顔は屈託の無い、裏表も無い物だった。その直後彼女に隙が出来た気がした。
カンッ、カラカンッ!
鉄パイプはコンクリートを叩き、甲高い音を響かせる。筈だった、斬られた鉄パイプが何処かに落ちる音が遅れて聞こえる。赤く染まった左腹部を押さえる。瞬の後ろで彼女は溜息をつく
「………抵抗しないでもらえる?苦しむのは貴方よ」
「………ドライな反応だね」
「今から死ぬ人に感情移入なんてしても、意味なんて無いでしょ?」
「地獄なんて無い。苦しみと痛みと不合理に不条理に不浄、嘘が蔓延するこの現世こそが本当の地獄だろう?地獄も天国もどうでもいい誤差だろ?来いよ、この
「