少女にとっての英雄は父親だった。
一族の誰よりも強くて優しい父親に、少女は家族でありながらも憧れに近い感情を抱いていた。
もちろん少女自身も厳しい修行に励み、少しでも父親に近付こうと努力を続けていた。
そんな少女だったが、いつ頃からか父親以上に気になる男性ができた。
彼は極東の島国から来た術者だった。
島国といっても、少女が住まう大陸以上に高名な術者を数多く輩出する、精霊に愛されし国として有名な島国だった。
彼は炎術師の家系から生まれた風術師だったため身近に優秀な師がいなかった。そのため、風術師一族として名高い少女の一族ーーつまりは凰家に修行に来ていた。
修行に訪れた彼は、精霊に愛されし国の出身者に相応しく精霊に愛されていた。
世界最高の風術師一族と謳われる凰家に於いても、彼ほどに精霊に愛された存在はいなかった。
「神凪…和麻」
少女は彼の名を口にする。
ただそれだけで、少女の鼓動は早くなってしまう。
彼は強大な力を持ちながらも、けっして奢らず常に謙虚であった。
己よりも力が劣る術者に対しても、彼は見下すことがなく、常に風術師としての先達として敬う姿勢を崩さない。
だからといって彼は、他者に迎合する者に感じることが多い、へり下るような情けなさも感じさせない。
彼の風術師として誇り高く在り続けるその姿に、いつしか凰家の者達は敬意を払うようになっていた。
少女は彼の勇姿を思い出して、頬を赤く染めながら小さく呟く。
「彼は…年下は好みかしら?」
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あの人がここに来てからもう三年が過ぎた。
最初は陰気な人だと思っていたわ。
私が笑顔で話しかけても、最低限の返事をするだけで愛想が感じられなかった。
何を考えているのか分からなくて、正直に言えば少し怖かったわね。
だけど、下宿代はキチンと払うもんだから追い出すわけにもいかなくて、内心では困っていたの。
でも今にして思えば、随分と失礼な事を考えていたと反省してしまう。
何と言っても彼は、その、えっと、つまり……わ、私の王子様なのだから。
い、言っておくけど私は夢見る乙女ではないわよ。
ちゃんと地に足をつけて働いている立派な大人だと自負しているわ。
ご近所さんでも評判の器量良しなんだからね!
……コホン。
そう、あれは半年前の事だったわ。
私は悪の組織に攫われたのよ。
…空想じゃないわよ。現実の話よ。
悪の組織って何なんだっていう質問は受け付けないわよ。
私だっていきなり攫われただけで訳が分かんなかったんだから答えられるわけないでしょ!
とーにーかーくーっ!
私は正体不明の奴らに攫われたのよ。
攫われた私は、よく分かんない方法で体の自由を奪われたわ。
薬とかを嗅がされたりはしなかった筈なのに身動きが取れなくなったのよ。
そんな私を奴らは薄暗い洞窟の中に連れ込むと変な模様を描いた台に寝かせたわ。
身動きが取れない私をどうやって運んだのかは聞かないでよ。
私も分かんないんだからね。
さっきから分かんないばっかりで話が分かんないですって!
うっさいわよっ、黙って聞きなさい!
そんな細かいこと言ってたら女の子にモテないわよ!
それで話の続きだけど。
横にされた私は、これからきっとエッチな事をされるんだと思って怯えていたわ。
怯えて震える私を覗き込む悪人の気配を感じたときに彼が…王子様が颯爽と現れて、不思議な力で悪人どもをバッタバッタとなぎ倒したわ。
そして無事に私を助け出してくれたの。
めでたしめでたしね。
さっぱり話が分からないですって?
あんたって馬鹿なの?
猿並みの理解力なの?
頭ん中は石っころが詰まってんの?
だから王子様が攫われたお姫様を助け出したのよ。ハッピーエンドなのよ。
お姫様なんか話に出てきていたかですって!?
あんた…ちょっと店裏まで顔を貸しなさいよ。世の中の厳しさを教えてあげるわ。
こらっ、逃げんじゃないわよっ!!
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和麻side
凰家に修行に来て三年が過ぎようとしていた。
俺はもうじき凰家から旅立とうとしている。
「思えば色々とあったなぁ」
慣れない環境の中、必死に修行に打ち込んだ日々。
運良く気の良いオヤジさんが経営するお店で下宿する事ができ、美味い飯を食う事ができた日々。
振り返れば、多少言葉が不自由なせいで誤解を受けたりもしたが、本当に充実した日々だった。
本当に色々なことがあった…
凰家のオマセな末っ子に追いかけ回されたと思ったら、嫉妬した師父に《虚空閃》で追いかけ回されたり。
下宿先の娘さんが魔術結社に攫われたから助けに行ったら、その娘さんに追いかけ回されるようになったり。
末っ子に甘えられている所を娘さんに見つかったら、娘さんまで甘えてきたり。
娘さんに甘えられているところを下宿先のオヤジさんに見られたら結婚させられそうになったり。
娘さんと結婚させられそうになっている所を末っ子に見られたら、末っ子も結婚を迫ってきたり。
末っ子に結婚を迫られている所を師父に見られたら、凰家総出で俺の命を狙ってきたり。
「よし、何とか撒いたな。早くこの国から脱出しないと本気で殺されそうだ」
「あんな変な一族なんか、やっつけちゃえばいいのに」
「凰一族は変じゃないわよ。ちょっぴりだけ過保護なだけよ」
「小雷、何言ってんのよ。あんたが求婚しただけで和麻を殺そうとするなんて酷いわよ!」
「翠鈴が言わないでよ。元はと言えば貴女が和麻の側にべったりしているから、父様が和麻を女ったらしだと誤解したせいなのよ」
「私のせいにしないでほしいわ。和麻は私の王子様なんだから仕方ないもの」
「和麻は翠鈴の王子様かもしれないけど、私の英雄でもあるのよ」
「英雄…そうね、英雄色を好むっていうもんね」
「色を好む……ねえ、翠鈴は和麻より年上よね。私は年下だから、もしかしたら和麻と同い年の女の子がもう一人増えることを覚悟しておくべきなのかな?」
「かもしれないわね。ホントは私だけの王子様でいて欲しいけど仕方ないかも。和麻みたいな良い男を独占できる自信は流石にないわ」
「そうね。欲を出して和麻を失うよりも協力し合って、和麻を共有しましょう」
「うふふ、でも本妻は私だからね」
「翠鈴っ!?勝手なこと言わないでよ!」
「何よ、私の方がお姉さんなんだから言うこと聞きなさい!」
「年増を自慢してどうするのよ」
「と、年増ですって!?なんてこと言うのよ!和麻の故郷では、姉さん女房は金のわらじを履いてでも探せって言われてるのよ!」
「あら、私は畳と女房は新しい方が良いって聞いたわよ」
「小娘の分際で生意気なこと言ってんじゃないわよっ!」
「おばさんが色気づいて気持ち悪いのよ!」
「おばっ!?……殺す!」
「風術師の私に勝てると思ってるのかしら?」
「あらあら、私も水術師として目覚めた事を忘れたのかしら?」
「へへーんだ。師匠も居なくて我流で修行してる翠鈴なんかに負けないもん」
「師匠なんか必要ないわ。精霊術師に必要なのは才能だけよ。そして、私の才能は和麻にだって引けを取らないわよ」
「積み重ねてきた血の歴史を甘くみないでよね!見なさいっ!私の体には凰家が研鑽してきた力が宿っているのよ!!」
「ちょっと!?それって《虚空閃》じゃないの!まさかパクってきたの!?」
「凰家の物は私の物っ!私の物は私の物よっ!!」
「凰一族が血まなこになってるのって、あんたのせいじゃない!!」
「違うもん!これは私の花嫁道具だから問題ないもん!!」
「ねえ、良い事思いついたんだけど」
「なんか、嫌な予感しかしないけどなによ?」
「その《虚空閃》を裏マーケットで売り飛ばして高飛びする軍資金にしましょうよ」
「和麻ー!翠鈴が酷いこと言うよー!」
俺は遠く離れた故郷を思い出していた。
「武志…お前が女の子達に囲まれていた事を実は羨ましいと思っていた」
しばらく会っていない弟分の笑顔を思い出す。
「お前はこんな状況でも笑顔だったんだな」
俺は己の力不足を痛感していた。
「俺はまだまだ力が足らない。だがきっとお前が誇れるような兄になって戻ってみせるよ」
俺の左右で騒ぎたててる存在達を、必至に、頑張って、全力で、意識から締め出しながら呟く。
「お母さん、助けて…」
翠鈴「風の聖痕、真ヒロインの私が満を持しての登場ね」
小雷「風の聖痕、アイドルの私が満を持しての登場だよ」
翠鈴「あんたってアイドル枠だったかしら?」
小雷「そうだよ。家族を殺されて健気に一人で戦う姿に読者達は感涙したものよ」
翠鈴「それを言えば私もそうね。悲劇的な運命の真ヒロインとして涙を誘うストーリーだったわね」
小雷「今作では《虚空閃》を私が所持して家を出てるから、凰家は襲われなさそうね。流石は私だね」
翠鈴「私も無事に死亡フラグが折れたわね」
小雷「あっさり折れたよねー!もっと盛り上がる展開になると思ってたのに」
翠鈴「語り手の私が意識朦朧としていたから仕方ないわよ」
小雷「翠鈴が水術師に目覚めたってのもあっさり流されていたよね」
翠鈴「まあ、色々とあったんだと想像して下さいね」
小雷「次話からは、私達三人のラブラブ珍道中編が始まるよー!」
翠鈴「予定は未定なので、変更の際は何卒ご容赦下さいね」
小雷「じゃあ、またねー!」
翠鈴「また、お会いしましょうね」
和麻「今回の話に納得いかないのは俺だけか?」