火の聖痕が欲しいです!   作:銀の鈴

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第54話「初仕事」

 

── 警視庁特殊資料整理室。

 

警察内においてオカルト捜査を専門とする部署である。

 

「まさか、親方日の丸を紹介してくれるなんてな。もう紅羽には足を向けて寝れないぜ」

 

紅羽が和麻に紹介したのは、非合法の仲介者などではなく、信用度は抜群の警視庁特殊資料整理室だった。

 

もっとも、彼女が紹介した相手は橘警視などといった大物ではなく資料整理室の新人くんである。新人くんとはいっても、そこは国家権力を有する資料整理室、個人の判断で民間協力者を雇う権限を持っていた。

 

民間協力者としてなら資料整理室の報告書には匿名記載で良いため、和麻の実名が載ることはない。

 

これが橘警視クラスの依頼となると資料整理室では重要案件と分類されるため、その処理の手続き上、公式な外部依頼ではない民間協力者でも否応なく実名記載となってしまう。

 

つまり、橘警視からホイホイと依頼を請け負っている武志は、重要案件に頻繁に名前が上がるため、資料整理室ひいては警視庁内でもちょっとした有名人になっていた。

 

もっとも、武志は神凪一族として元々知られていたため、たとえ必要以上に名が売れたとしても本人には特にあらためてのデメリットはない。

 

そして、その逆で和麻の場合は必要以上に名が売れればデメリットしかない──主に賞金首的な意味で。

 

「お待たせしました。あなたが、神凪さんですね。石蕗さんから凄腕だと聞いていますよ」

 

「フフ、神凪さんか……まさか、また日本でそう呼ばれる日がくるなんてな」

 

「はい?」

 

待ち合わせ場所にやってきた資料整理室の随分と童顔な新人くんは、普通に呼びかけただけで妙な反応をした和麻に目を丸くする。

 

「ああ、急に笑ったりしてすまなかった。なに、今さら俺のことを神凪と呼ぶ奴がいるなんて思ってもいなかったからさ……思わず、な」

 

「はあ、そうなんですか……えっと、あの、神凪さんとは呼ばない方が良かったりしますか?」

 

このとき、和麻が何を思ったのかは新人くんには分からなかっただろう。だが、なにか感傷に耽るような彼の雰囲気に、新人くんは半ば無意識のうちに言葉を口にしていた。

 

「……そうだな。俺のことは和麻と呼んでくれ。こっちの方が慣れているからな。それに――君の為にも『神凪』の名は、気軽に口にしない方がいい」

 

「あの、和麻さん?」

 

「ああ、それでいい。自ら、災厄に近づくような真似をするのは愚か者がする事だからな」

 

「か、和麻…さん。あなたは、一体……」

 

新人くん── 石動 大樹(いするぎだいき)は、出会ったばかりの男の、『神凪 和麻』という人間が突然みせた、暗く澱んだ表情に息を飲む。

 

「よしっ、それじゃ早速だが、仕事の話といこうか! 」

 

「え!? あっ、はい! それなら近くに行きつけの喫茶店があるんでそこに行きましょう」

 

その表情と雰囲気を一変させ、明るい雰囲気となった和麻は話を仕事のものに戻す。

 

和麻が口にした『災厄』という不穏な言葉が気になったが、大輝は自分の職分を思い出し、今は仕事を優先することにした。

 

ただ、大輝の脳裏から彼がみせた暗く澱んだ表情が消える事はなかった。

 

 

神凪――それは慣れ親しんだ自分の名であることは間違いなかった。

 

だがそれでも……いや、だからこそ(・・・・・)、俺はその名で呼ばれることに忌避感に近いものを感じていた。

 

そう、特にこの日本では──

 

 

 

「今、神凪って聞こえたような……あっ、ねえ見てよ! あそこにいるのあの(・・)神凪君だよ!」

 

「えっ、神凪君っていったら留学中にお世話になってた人の娘さんと駆け落ちしたあの(・・)神凪君のこと!?」

 

「そうだよ! しかもその子だけじゃなくて他の女も連れての二股駆け落ちをしちゃったあの(・・)神凪君だよ!」

 

「うわっ、ホントにいるよ! 信じらんない! アイツって逃げるときに金目のものパクった上に止めようとした人達をブチのめしちゃったんだよね!」

 

「うんっ、よくそれで日本に帰って来れたよね、沢山の人に迷惑かけたクセにね!」

 

「ふつうに犯罪だし、そもそも最低だよね、二股で駆け落ちって何なの!?」

 

「アイツの噂が広まったせいで、あたし達の中学もすごく評判が悪くなったんだよ!」

 

「ホントにサイテーなヤツ……でもさ、アイツって何しに日本に帰って来たんだろ?」

 

「そういやそうだよね。あんな真似して地元に顔を出せるなんて……あれ、アイツの隣の男の子って誰だろう? なんだか可愛い子よね……十四、五歳ぐらいかな?」

 

「……ねえ、なんだかヤバくない?」

 

「そういえば、仕事がどうとか言ってあの男の子を連れて行こうとしてたみたいだけど、あんな子に仕事って……」

 

「あ、あたし思い出したんだけどさ。中学のときアイツって歳下の男の子によく絡んでたよね?」

 

「そうだよ! それでその男の子と仲の良い女の子にアイツはよく追い払われていたわ!」

 

「つ、つまりアイツって歳下の男の子の事が……」

 

「……通報しよう」

 

「そ、そだね……あっ!? アイツが逃げるよっ!!」

 

「えっ!? こ、こらあっ!! その男の子を連れて行くんじゃないわよ!!」

 

「ヤバいよ!! はやく通報しなきゃ!!」

 

「うんっ、分かったわ!!」

 

 

 

──この日本で、神凪と呼ばれることは危険すぎた。

 

「おい、逃げるぞ!!」

 

「ちょっと待って下さいよっ、あの子達が言ってたことって!?」

 

「ああもうっ、今は逃げるほうが先決だ! 舌を噛まないように口を閉じていろ!」

 

「ひいあーあああっー!!」

 

俺は突然の危機的状況に資料整理室の男を問答無用で抱き上げた。背が低いから随分と軽く感じる。これならお姫様抱っこのままでも全力疾走でいける。

 

それにしてもしくじったぜ! 武志とは和解したといっても神凪一族とは無関係の奴らは何も知らないままだからな。素顔で地元をうろつくのはまだ早かった!! 次からは要変装だな!!

 

そんな事を考えながら、俺は脱兎の如くその場を後にした。

 

「その子を離せーっ!!」

 

「もしもしっもしもしっ変質者が男の子をっ――」

 

「たーすーけーてーっ!!」

 

うるせえっ、後ろの女達はともかくなんでお前が助けを求めてんだっ!?

 

とにかく、こんなところで警察の世話になんかなっちまったらもう仕事どころじゃ無くなっちまう。今、この場を逃げ切れたら後は武志に頼ればなんとかしてくれるはずだ! たとえ風術を使ってでも逃げ切るぞ!!

 

 

***

 

 

「はい、それじゃお願いします。はいはい、分かってますよ、借り一ですね。もちろん利子をつけて返すんで、和麻兄さんのことは本当に頼みましたよ」

 

「なんだか大変みたいだね。でも橘警視に借りなんか作って大丈夫なの?」

 

「あはは、心配してくれてありがとう。でも大丈夫だよ。無料で依頼を一回受けるか、なんかで霧香さんが困ったときに相談に乗れば済む話だからね」

 

由香里と今後の作戦会議をしていたら、和麻兄さんからヘルプ要請がきた。最初は何事かと思ったけど大した問題じゃなくてよかったよ。

 

警察関係の揉め事だったから霧香さんに電話一本で済んだ。でも、帰国早々で揉め事だなんて困った兄さんだね。まあ、紅羽姉さんが仲介した依頼中でのことだから見捨てるわけにはいかないよね。

 

和麻兄さんも紹介されてすぐに問題を起こしたなんて、さすがに紅羽姉さんには言えなかったみたいだし、ここは僕に頼っても仕方のない話だ。

 

「へえ、そうなんだ。橘警視の事だからもっとすごい事を要求するんじゃないかって思ったんだけど違うのね」

 

「無茶な要求をして、僕との関係を壊すような馬鹿な真似を霧香さんはしないよ。僕もその程度の相手なら関係を持とうなんて思わないしね」

 

「ふーん、色々あるんだね」

 

僕の言葉に由香里が本当に納得したのかは分からないけど、これ以上は聞くつもりがないようだった。彼女には霧香さんの怖さを教えた事があったから必要以上に関わる気はないみたいだね。

 

「えへへ、でも武志ってば優しいね。揉め事を起こしたお兄さんの尻拭いを文句一つ言わずにして上げるんだから」

 

──《ピロリン。由香里の好感度が1上がった》

 

そんな幻聴が聞こえるかのような表情を見せる由香里。間違いなく、僕のことをからかっているだろう。でも甘く見過ぎだよ。操姉さんとラブラブ人生を歩んできた僕はその程度で照れたりはしないからね。咄嗟に切り返しするぐらいわけないよ。

 

「別に文句がないわけじゃないよ。でも由香里の目の前でグチグチと言ったら格好悪いだろ? 僕も可愛い女の子の前では良い格好がしたいからね」

 

「あらら、ちょっとは照れたほうが可愛げがあるのに」

 

「大丈夫だよ。僕は可愛げの塊みたいなものだって周りの女の子から言われているからね」

 

「ふふ、なによそれ。でもそうね、歳上の私から見れば武志は可愛いわよ……生意気な弟みたいって意味でね」

 

「あはは、そっか弟みたいなんだ。それじゃあ、由香里のことを『由香里姉さん』って呼ぶようにしよ――」

 

突然感じた悪寒に言葉が止まる。

 

「──武志。その女は誰かしら? 『お姉ちゃん』に教えてくれるわよね」

 

口を開いたまま固まる僕に、凍てつくような冷たい声がかけられる。

 

「わ、わたし急用があったから帰るわね!! じゃ、生きてたらまた連絡ちょうだい!!」

 

「ちょっと待って由香里っ!! 見捨てないでっ!!」

 

軽口を叩き合っていた僕たちの会話に突如入り込んだ女性の声。

 

その声を耳にした瞬間、真っ青になった由香里は転がるようにして逃げて行きやがった。僕の止める声などガン無視でだ。なんて薄情な女なんだろう。

 

「──武志。こっちを向いて欲しいわ」

 

――かつてない寒気を感じる。

 

背後から聞こえる声。それは聞き慣れた声のはずなのに初めて聞いた気がする。

 

うん、とりあえず今は逃げよう。ほとぼりが冷めた頃に紅羽姉さんにとりなしてもらおう。

 

「──武志。どこに行くの?」

 

駆け出そうと思った瞬間、万力のような力で肩を掴まれた。

 

「──武志。お姉ちゃんから逃げるの?」

 

それは、かつてない寒気を感じる声だった。でも――かつてない悲しみを含んだ声でもあった。

 

「操お姉ちゃん!!!!」

 

「武志!!!!」

 

気がつくと僕は操お姉ちゃんの胸に飛び込んでいた。抱き締め合うことで操お姉ちゃんの心が伝わってくる。

 

どれほど操お姉ちゃんを悲しませたのだろう。

 

どれほど操お姉ちゃんを苦しませたのだろう。

 

そして――こんなにも操お姉ちゃんは僕のことを愛してくれていたんだ。

 

「ごめん、ごめんね。操お姉ちゃん」

 

「いいの、いいのよ。武志」

 

通じ合った心と心。

 

もう、僕たちに怖いものなどなかった。

 

 

 

「うふふ、それはそれとして『由香里姉さん』とやらについて話し合いましょうね、武志――」

 

 

 

──操姉さんの機嫌をなおすのに、それから三日かかった。

 

「武志、操姉さんじゃなくて、操お姉ちゃんでしょう?」

 

「う、うん、操お姉ちゃん――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 




綾乃「……」
紅羽「どうしたの、綾乃?」
綾乃「綾乃お姉ちゃん……悪くないわね」
紅羽「もう、真剣な顔をして何事かと思えばそんな事なの」
綾乃「そんな事って何よ。私は小さな頃から綾乃姉さんとしか呼ばれていないのよ。お姉ちゃん呼びされてみたいじゃない」
紅羽「それを言えば私も最初から紅羽姉さんよ」
綾乃「紅羽は石蕗一族でしょう。私と武志は親戚よ。言ってみれば操と似たようなもんじゃない」
紅羽「姉弟と親戚は随分違うと思うわよ」
綾乃「気のせいよ!」
紅羽「はいはい、それじゃ武志に頼んで呼んでもらったらいいじゃない」
綾乃「……」
紅羽「どうしたの?」
綾乃「……紅羽が頼んでくれない?」
紅羽「もう、そのぐらい自分で頼みなさい」
綾乃「……だって」
紅羽「だってなに?」
綾乃「は、恥ずかしいわ」
紅羽「……言われてみれば自分から『私のことお姉ちゃんって呼んで』と言うのはアレな気がするわね」
綾乃「そうでしょう。だからね、紅羽お願い」
紅羽「そうね、私が武志に『綾乃のことをお姉ちゃんと呼んであげて』と言うのは別に恥ずかしくはないけど」
綾乃「それならお願いするわ!」
紅羽「……条件があるわ」
綾乃「条件ってなによ?」
紅羽「……私のことをお姉ちゃんと呼ぶように武志に頼んでくれない?」
綾乃「……」

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