自室で寛いていると、キッチンの方から賑やかな声が聞こえてきた。どうやら誰か二人ぐらいで料理をしているみたいだ。
「この声は操よね。もう一人は誰かしら?」
大神家の居候となって早数年、すでに家族同然の扱いとなっているけど、そんな私でも初めて聞く声だった。
「私の知らないお客様かしら。んー、ちょっと気になるわね」
ふと好奇心を刺激された私は、読みかけの本に栞を挟んでから椅子から立ち上がった。部屋に置いてある姿見で身嗜みを軽く整えてから部屋を出る。
「あの子がキッチンに他人を入れるだなんてね」
普段は社交的な振る舞いをしている操だけど実は猜疑心が強い。他人を応接間なら兎も角、キッチンというプライベートな空間に簡単には入れたりはしない。
「あの子も難儀な性格をしているのよね」
弟思いと言えば聞こえはいいが、単に精神的に依存しているだけだ。あまり言いたくはないが、彼女の両親は親として難のある人達だった。親の愛情を十分に受けれなかったせいか、その分の愛情を弟に求めている節がある。
「普通なら弟の方が拒絶しそうなもんなんだけどね」
ちょっと引くぐらい愛情深い彼女からの想いを、自分一人に四六時中向けられたら普通の男なら嫌気が差すだろう。
彼女が幸運だったのは、その男が本気で引くぐらいのシスコンだったことだ。家族愛に飢えていた彼女と、真正のシスコンの組み合わせは相性がバッチリだった。
「本当に仕方のない姉弟よね」
「操もお主には言われたくないと思うぞ」
「キャッ!? もう、マリア、急に話しかけないでよ。ビックリするでしょう」
いつの間にか目の前にマリアが立っていた。地術師の私にさえ気配を感知させない見事な穏形。教えを乞いたい程だけど、間違いなく人間では再現不可能な技だ。
「油断大敵というやつじゃな。それよりも操が見慣れぬ娘を扱いとったが、あれが誰だか知っとるか?」
「あら、マリアはもう見たのね。私も声が聞こえて気になったから見に行こうとしていたところよ。どんな子がいたのかしら?」
「そうか、紅羽も知らんわけじゃな。我もチラリとしか見ておらんが、中々に可愛らしい外見をしとったな。年頃は綾乃と同じぐらいじゃな」
「ふうん、操の学校の後輩かしら? あの子って女子高だったせいか後輩からお姉様と呼ばれていたわよね」
「そんな、キャッキャウフフな感じではなかったぞ。何というかもっとスポ根的なノリじゃな。操がビシバシと菜箸で手の甲を叩きながら教えとったな。叩かれとる娘は必死でフライパンを振っておったわ」
「随分とスパルタね。まあ、操らしいといえばそうなんだけどね」
優しげな雰囲気とは違い、操はあれで体育会系だ。その操に料理を習うだなんて根性のある子みたいだ。
「ククク、武志に嫁がくればあんな感じじゃろうな。小姑というのは怖いのう」
「武志の嫁ッ!?」
マリアが意地悪そうな顔で突拍子のない事を口にする。それとも本当に武志の嫁候補とかだったりするのだろうか? それなら操がキッチンに入れていることも納得できる。
「――操が料理を教えるのなら、私は掃除のやり方でも教えて上げようかしら。そうね、掃除もやりだしたら奥が深いから、少し厳しく教えてあげた方が本人のためになるわね」
もしも本当に嫁候補ならその性根を見極める必要がある。武志は弟同然の大事な子なのだから妙な女を近付けるわけにはいかない。
嫁候補じゃないとしても同じだ。我が家に入り込む女なら牽制しておく必要がある。
「うふふ、少し本気をだしてみようかしら」
私はキッチンに向かって歩き出した。マリアが後ろで何かを言っているが、私に話しかけているわけでは無いみたいだから放っておいていいだろう。それよりもキッチンにいる女だ。どんな女なのだろうか、とても興味がある。
「ふむ、小姑が二人になってしもうたか。しかもある意味、操よりも紅羽の方がよほどヤバい奴じゃからのう。あの娘――生きて帰れるのか?」
*
路地裏に響く足音。その姿はまだ見えないが、軽い足音から女だとわかる。二人の漢を燃やす紅い業火。恐らくはそれを行なったであろう女だ。
大輝は事態が大きく動いているのを感じながらも行動を起こすことが出来なかった。震える自分を情けなく思いながらも、大輝は相棒である和麻へと目を向ける。
「緊急りだ――」
「ダメですよッ!?」
いつぞやの様に一人だけで空を飛んで逃げようとしていた和麻に気づき、その腰に咄嗟にしがみつく。
「離しやがれッ、小僧ッ! 早く逃げんと紅い悪魔に見つかるだろうが!!」
「イタッ、痛いですって和麻さん! ちょッ!? 待って下さい!! 本気で蹴ってませんか!?」
大輝の言葉など紅い悪魔への恐怖にかられた和麻に届くわけがなかった。そもそも和麻が風術を磨く切っ掛けが、その紅い悪魔から逃げる力を得るためだったのだから今の和麻の行動は正しいものだ。
「――お前、俺の邪魔をするのか? 」
「か、和麻さん?」
普段とは違う和麻の様子に大輝は訝しむ。陽気で頼りがいを感じる雰囲気は一変しており、どこか暗い影を感じさせる。この男は本当に和麻なのだろうかと大輝が考えてしまうほどの変化だった。
「ん? まだ隠れているのがいるみたいね。ほら、燃えなさい。ーーあ、ちょっと熱量が多かったかしら?」
「大輝バリアー!!」
「うえああああーーーーっ!?」
飛び立とうとする和麻と、そうはさせじとその腰にしがみついたまま睨み合っていた二人に謎の女が紅い火の玉を投げつけた。まだ距離があるというのに肌を焼きそうなほどの熱量が二人を襲う。
さらば、和麻。さらば、大輝。君たちの勇姿を私達は忘れない。そんな感じの窮地だったが、そこは過酷な実戦を潜り抜けてきた和麻だ。咄嗟に腰にしがみつく邪魔者を盾にすることに成功した。
あわや二階級特進か、という大輝だったが、紅い火の玉が大輝の眼前まで迫ったとき “それ” は開いた。
――
これこそが大輝の奥の手だった。致死レベルのあらゆる外的要因を問答無用で異次元の彼方へと追いやってしまうという凄まじい能力だ。
この能力があるからこそ、大輝は危険な任務であろうとも一人での行動が認められていた。ただこの能力には問題があった。あくまで死にかけたときに自動発動する能力のため、死ににくいが死にかけやすいというデメリットがあるのだ。
「あたしの紅炎が――喰われた?」
「今だ、ジュワッチ!」
「グエッ!? く、くびしまっ……ガクッ」
「あっ……ちッ、まあいいわ。次に見かけたら丸焼きにしてあげる」
女が気付いたときには和麻達は遠く離れていた。ご丁寧に光学迷彩を施したのか、その姿が空に溶けるように消えていくのを目にした女は素直に諦めることにした。
「逃げられちゃいましたね、綾乃様」
「ごめんね、せっかくあなた達が妖気に気付いてくれたのに逃しちゃって」
謎の女――綾乃の後方から沙知が現れる。その傍らには綾の姿もあった。
「大丈夫ですよ、綾乃様。私達が妖気を感じたのはそこでいい感じに焦げている二人組、の内の一人だけです。逃げ出した二人組からは妖気は感じなかったので問題ないと思います」
「そっか、それならいいわ。それでコイツらどうしよっか?」
紅炎はすでに消えていた。綾乃の制御はまだまだ未熟なため多少熱量が高かったようだ。まだブスブスと煙をあげている二人組を指差す綾乃。それに対して綾が答える。
「はい、先程、神凪家に連絡をしておいたのでこのまま放っておいて大丈夫ですよ。すぐに人が来るそうです」
「そう、それならショッピングの続きをしよっか」
「そうですね、綾乃様! あたし、今日は見たいワンピースがあるんですよ!」
「うふふ、あたしもお目当ての服があるんだ。ほら、綾もそんなのいつまでも見てないで早く行きましょう」
切り替えの早い二人とは違い、綾は焦げた二人組を見続けていた。
「――どう見てもただのチンピラにしか見えない。こんな奴が妖気を纏えるだなんてどう考えても異常だわ」
通常なら妖気を纏える程の人間といえば、年季を積んだ黒魔術師ぐらいだ。妖気を感じなかった方の筋肉お化けが、実は妖怪だったとかの方がまだ理解ができた。
「この街で何かが起きているようね。これは大神家に報告が必要だわ」
現在の風牙衆は大神家に仕えていた。今回は綾乃がいたため神凪家に連絡をしたが、通常は何か異常を発見した場合はまず大神家に報告を行う。
風牙衆が大神家に仕えることになった経緯は、和麻を当主として風牙衆を独立させる計画が頓挫したためだ。武志は苦肉の策として風牙衆を強引に大神家の直轄とした。大神家の庇護下に入れた風牙衆の権利を徐々に強化していき、神凪が代替わり、つまり綾乃が宗主に就任したタイミングで独立をさせる計画だった。
これは綾乃と武志の関係が非常に良好であり、綾乃自身も風牙衆に対して好意的だったため可能となった計画であった。
「もしもし、綾です。少しお耳に入れておきたい事象が発生しました――」
綾乃と沙知がキャアキャアとファッションの話に興じている間に、素早く大神家への報告を終わらせた綾。
「よし、とりあえずこれでいいわね。申し訳ありません、綾乃様。こちらの用事は済みましたので行きましょうか」
「あら、もういいの? じゃあ行きましょう」
「はいっ、綾乃様!」
颯爽と歩き出す綾乃と元気一杯な沙知の後ろについて行く綾だったが、どうしても妖気のことが気になってしまう。後ろ髪をひかれ、ふと倒れている二人の方を振り返ると綾は驚きに目を見開く。
綾の異変に気付いた綾乃と沙知が彼女の視線の先を追うと、煙をあげる男が一人だけ倒れていた。
「筋肉お化けが――消えているわ」
綾の小さな呟きは、風に流されて消えていった。
紅羽「ちゃんと手加減をしたのね。嬉しいわ、あの綾乃が成長できたのね。本当にえらいわよ、少し感激しちゃったわ」
綾乃「バカにしてない?」
紅羽「何を言っているのよ。少し前の綾乃だったらいきなり消し炭は無くても追い討ちはしていた筈よ。それで綾と沙知の二人が必死に止めるまでがパターンじゃない」
綾乃「ぐぬぬ、そんな事ないわよ!必要がなければ余計な追い討ちはしないもん!」
紅羽「つまり必要があればするのよね」
綾乃「それは紅羽だって一緒でしょう。っていうか、紅羽の方がエゲツない攻撃とか拷問をしちゃうタイプじゃない」
紅羽「私の場合はあくまでも退魔師として必要な場合だけよ。ようは仕事だから仕方なしに行なっているだけだわ」
綾乃「ふーん、とても怪しいんだけど、でもまあいいわ。こんな話よりファッションの話をしましょうよ」
紅羽「ああ、綾と沙知の三人で服を買いに行ったのよね。気に入ったのがあった?」
綾乃「うん、春物のワンピースなんだけどね、三人で色違いのを買ったのよ」
紅羽「そうなの、それは良かったわね(慈愛の微笑み)」
綾乃「今度、遊びに行くときは着ていく約束をしたのよ」
紅羽「そうなの、それは良かったわね(母性あふれる微笑み)」
綾乃「うん、それでね。ついでだから、お揃いのブローチも買っちゃったのよ!」
紅羽「そうなの、それは良かったわね(号泣)」
綾乃「ええっ!?どうしたのよ!!」
紅羽「うぅ、あの孤独で寂しい(ボッチ)少女だった綾乃に友達が出来て、こんなに楽しそうにしている姿を見ていたらついつい涙が溢れて止まらなくなったのよ。本当に良かったわね、綾乃。二人を大切にするのよ。絶対に逃しちゃダメよ」
綾乃「うぐぐ、おちょくってるんだったら怒るだけなのに、紅羽が本気で言ってるのが分かるからこの怒りの矛先を向ける先がない感じがイラつくのよ!!」