俺たちは仮想の世界で本物を見つける   作:暁英琉

12 / 16
第一層ボス攻略会議

 四十七人。

 集合場所である『トールバーナ』の噴水広場に集まったプレイヤーの人数だ。つまり、第一階層のボス攻略に名乗りを上げた人数、ということになる。

 ざっと全員の装備を眺めた感じ――強化レベルまでは分からないが――とりあえずはそれぞれが現状最強クラスの装備をしていると言えるだろう。さすがに前線攻略までしている人間がろくな装備もしていない訳がない……。

 

「こんなに……たくさん……」

 

 ……ああ、そういえばここにいましたね。ろくな装備もしないで店売りのレイピア複数しょい込んでる人。本当にあんな技術持ってんのに知識はガバガバなんだから呆れを通り越して感嘆してしまいそうだ。いや、実際すごいことなんだけどね。

 広場の隅に腰を下ろしてぽそりと漏らした細剣使いの感想。普段MMORPGをやっても自由気ままなソロプレイに勤しむ俺も、きっと同じ感想を抱いていただろう。

 しかし、情報屋として色々と聞いてきた今となっては、この人数がいかに心許ないか分かる。分かってしまう。

 SAOでの団体プレイは一パーティ六人、それを八つ束ねた四十八人でのレイドパーティが最大人数になる。しかも、フロアボスを死者ゼロでクリアするならそのレイドパーティをもう一つ、計九十六人で挑むのがベストだと言う。誰が言ったかはクライアント保護の名目上秘密だが、一レイドも満たせないこの状況がいかに絶望的かを理解するには十分な情報だ。

 

「まあ、仕方ないよね。死んだら終わりなんだもん」

 

 マチのトーンの下がった声にイロハも無言で頷く。ここの安全マージンであるレベル11に到達しているプレイヤーはもっといるだろう。それでも会議に集まったのがこれだけな理由は、単純にデスゲームへの恐怖に他ならない。初めてのフロアボス、与えてくるダメージも道中の雑魚たちとは比べ物にならないだろう。それだけで足がすくみ、傍観に回る。別にそんな彼らを憎くは思わない。人間として当然の反応だ。

 そんな中でここに来ている四十七人が集まった理由。たとえ犠牲になってもこの階層を突破して後に繋げるなんていう慈善精神に富んだものか、何が何でもクリアしようとする俺のようなタイプか――

 

「『遅れるのが怖い』って理由で今回集まった人も結構いるんじゃないかな。……俺もどっちかって言えばそのタイプだし」

 

 ゲーマーとしての死の恐怖から逃げようとした結果か。

 『これはゲームであっても、遊びではない』とはいつだったか雑誌で見た茅場の言葉で、SAOのキャッチフレーズにもなっていたものだ。デスゲームなんていう理不尽な世界になっても、この世界がゲーム世界であることには変わりはない。それも、虜囚となった一万人の大半はコアなゲーマーのはずだ。最前線から振るい落とされることは、ある意味死に匹敵する恐怖なのかもしれない。

 

「……それって、学年十位から落ちたくないとか。偏差値七十をキープしたいとか、そういうのと同じモチベーション?」

 

「あー……まあ、たぶん……そうなのかも……」

 

 ネットゲームビギナーの彼女が発した例えにキリトは戸惑っているが、あながち間違ってはいないだろう。こいつがリアルでどんな生活をしていたかは分からないが、自分の主戦場で遅れないように努力しているという点では大した差はない。

 

「そういえば、アルゴさん? はいないようだけど……」

 

 キリトへの疑問を消化したらしいレイピア使いが俺らの周りを見ながら聞いてくる。

 

「アルゴさんはボス攻略には参加しませんよ」

 

 簡潔に事実だけをイロハが伝えると、当然ながら「なぜ?」と新しい質問が追従してきた。ただ、それに対してイロハは曖昧な笑みを浮かべてはぐらかすだけ。

 アルゴがフロアボス攻略に参加しないのには明確な理由がある。まず一つにあいつがアインクラッド最大手の情報屋ということだ。“鼠”の提供する情報はもはや『はじまりの街』に引き籠っているプレイヤー以外にとって必須だ。あいつも自分の直接戦闘以外での重要性をよく理解している。あまり危険なマネをするわけにはいかないし、させるわけにもいかない。

 それに、あいつのステータスはあくまで情報屋をするためのものだ。ひたすら敏捷極振りのあいつではいくらレベルと装備でカバーしてもボスの一撃が致命傷になりかねない。情報屋になると決めた時から、あいつは攻略者になることを諦めたと言っていた。「マ、こっちの方が性に合ってるしナ」なんて言ってもいたけどな。

 ただ、そんな話を本人以外が軽々にするべきではない。だからイロハもなんとなくはぐらかすことしかできないのだ。彼女もなんとなくそれを察したのか、それ以上追及はしてこなかった。

 

「はーい! それじゃ、五分遅れだけどそろそろ始めさせてもらいます!」

 

 堂々としたよく通る声が耳に入り、その場に集まった全員の視線が集中する。声と共に手を叩いて視線を集めていたのは長身の片手剣使いだった。身体の半分ほどを金属防具で固めた青年はウェーブのかかった長髪を髪染めアイテムで明るいブルーに染めている上、お世辞にも顔面偏差値が高いとは言えない会議メンバーの中で一際目立つイケメンだ。初めて会ったときはゲーマーの中にもこんな奴いるんだなとちょっと驚いてしまう。

 広場全体を見渡したイケメンは善人の塊のようなさわやかな笑みを浮かべた。

 

「今日は俺の呼びかけに応じてくれてありがとう! 知ってる人もいると思うけど、改めて自己紹介しとくな!オレは『ディアベル』、職業は気持ち的に『ナイト』やってます!」

 

 ディアベルの自己紹介に噴水近くを陣取っていた一団がどっと沸く。「本当は『勇者』って言いたいんだろ!」なんて茶化すようなヤジも飛ぶ。

 ジョブが存在しないSAOで『ナイト』宣言とそれに続く笑いやいじり。ここまで一セットなのだろう。いわゆる内輪ノリって奴だが、今この場では多少の効果はあったようだ。少しピリついていた広場の空気が弛緩したのを感じた。

 

「さて、こうして最前線で活動している、いわゆるトッププレイヤーの皆に集まってもらったのは他でもない。昨日、俺たちのパーティは迷宮区の最上階、二十階層に到達した。今日も探索を進めてきたところだけど、明日か……遅くても明後日にはフロアボスの部屋が見つかるはずだ」

 

 第一層迷宮区の塔を指さしたディアベルの発言に参加者たちがざわめきだす。キリトもその隣の女性剣士も驚いているようだが、正直俺も少し驚いた。二日前にアルゴがディアベルから連絡をもらったときには十九階層に到達したと聞いていたので、もう最終階層の攻略に入っているとは思っていなかったのだ。

 間違いなく攻略プレイヤーの中で最速。ざわめきが落ち着いてきてある種の羨望を向けられ始めたナイトは拳を強く握りしめる。

 

「ここまで来るのに一ヶ月かかった。長い一ヶ月だったけど……俺たちはボスを倒して、第二層に到達して示さなきゃいけない。このデスゲームそのものも、いつかきっとクリアできるってことを。『はじまりの街』で待っている人たちに伝えなくちゃいけない。それが、トッププレイヤーであるオレたちの義務なんだ! そうだろ、みんな!」

 

 ディアベルの呼びかけにまた拍手が起こる。今度はディアベルの身内だけでなく、他のところからも聞こえてきた。

 そんな光景を――俺は何をするでもなく眺めている。俺に合わせているのか、マチやイロハも拍手をする様子はない。

 デスゲームをクリアできるってことを他のプレイヤーに示すのがトッププレイヤーの義務。実に舌触りが良くて崇高に聞こえる耳に心地のいい言葉だ。自尊心の高いプレイヤーを鼓舞するには効果的だし、情報屋から『はじまりの街』の現状を買っていた彼は本気でそう思っている。

 だが、その意見には賛同できない。俺には今も『はじまりの街』の宿に閉じこもって震えている連中のことなんてどうでもいいのだから。二人を返すことが目的である俺は、戦力にもならない連中が覚めない恐怖にさいなまれようがそれから逃げるために自殺しようが関係ない。

 

「それに、ここまでの道中で今も戦っているプレイヤーたちもやる気になるはずだ! 危険な攻略、仲間は多ければ多い方がいい!」

 

 ……まあ、その意見には同意かな。元から戦う気のない連中はともかく最前線ではないがデスゲームに挑んでいるプレイヤー、それに最前線に来てはいるが尻込みしてしまっているプレイヤーも、フロアボスが撃破されたとなれば攻略に名乗りを上げてくるかもしれない。

 現状でたったこれだけの攻略メンバー。クリアを目指す戦力が増えるなら、それは歓迎するべきことだろう。

 その同意を込めて俺も小さく手を叩いておこうかと思っていた時。

 

「ちょお待ってんか、ナイトはん」

 

 耳をざわつかせるようなだみ声が広場に響くと同時に、会議参加メンバーの一団が割れた。そこから出てきたのは大きめの片手剣を背負い、特徴的なトゲトゲの頭をした男。明るい茶髪だからちょっと変な髪形程度にしか感じないが、あれが緑だったらIQ問題を解いてスッキリする番組で投げこんでいたボールみたいだ。いや、某有名RPGに出てくるサボテンボールの方が適切かもしれない。

 

「わいは『キバオウ』ってもんや」

 

 攻撃的な関西弁で広場の人間を見渡した片手剣使いの名前を、俺は知っていた。知っていたというか、つい最近話題に出た話の登場人物だ。

 キリトの『アニールブレード+6』をトレードしようと何度も情報屋に仲介させている人物。

 見たところ同じ片手用直剣使いであるし、そういう意味ではトレードに違和感はない。彼の背負っている片手用直剣も店売りの中では十分強い方ではあるが、さすがに六段階も強化した『アニールブレード』には及ばないだろう。

 大方、ボス攻略が近づいたから強い武器を用意して活躍しようって魂胆だろうか。

 

「キバオウさん、何か意見があるのかい?」

 

 突然前に出てきた剣士に、進行役であるナイトは少し驚いた顔をしただけでさっきと同じ笑みを浮かべて尋ねる。当のキバオウは荒く鼻を鳴らすと、その声に一層のドスを効かせた。

 

「こん中に、五人か十人、ワビ入れなあかん奴らがおるはずや」

 

「詫び? 誰にだい?」

 

 ディアベルが聞き返すが、すでに参加者の一部は何かに気づいたようで所々から小さなざわめきが生まれる。俺も、なんとなく奴の言いたいことが分かった。それはデスゲームが始まったあの日から俺たちの意識の端にあったことであり、ついさっきおかっぱ頭のプレイヤーにそれにまつわる交渉を断ったばかりのものだったから。

 

「はっ、決まってるやろ。今まで死んでいった二千人に、や。奴らが……元βテスターどもがなんもかんも独り占めしたから、一ヶ月で二千人も死んでしもたんや! せやろが!!」

 

 低く唸るような声にざわめきはシン――と収まった。誰も声を発しようとはしない。途端に静かになった広場に響くのは、夕方を知らせるBGMだけ。

 

「…………」

 

 視線を感じて首だけを小さく動かすとA.Cさんと目が合った。悔しそうに揺れる目に、俺は首を横に振ることしかできない。

 茅場晶彦が作り出したもう一つの現実。本来ならその憎悪はこの世界の神である茅場に向くはずだった。しかし、奴はゲームマスター。最初のアナウンスのとき以外誰も遭遇することない存在は概念に近いものになってしまい、怒りの矛先を向けきれない。正確に言うならば、怒りを発散しきれないのだ。

 そんな中で起きる二千人の死。溜まったフラストレーションをぶつけるには、『元テスター』という存在は手頃だったのだろう。

 はなから双方の協力など無理なのだ。新規プレイヤーは何かにつけてβテスターに難癖をつけ、βテスターは糾弾を恐れて九千人のビギナーに紛れ込む。多少なりとも「見捨てた」という自覚があるなら余計に。

 

「ベータ上がりどもはこんクソゲームが始まったその日にダッシュで『はじまりの街』から消えよった。右も左も分からん九千何百人のビギナーを見捨ててな。こん中にもおるはずや。ベータ上がりっちゅうことを隠して、ボス攻略の仲間に入れてもらお考えとる小狡い奴らが」

 

 キバオウの言う通り、βテスターであることを隠してこの会議に参加しているプレイヤーはいるだろう。視線は無意識のうちに自分の隣、ソロプレイヤーである片手剣使いの少年に向いていた。

 

「…………っ」

 

 努めて無表情を装っているのかキュッと唇を引き締めたキリトの顔色は、それでも少し青い。システムによる感情表現を隠すためか少し前かがみになって、前髪で顔を隠してしまった。

 ソロプレイのβテスターの最前線組。こいつがこのゲームに閉じ込められたその日にどういう行動を取ったのか、それだけで大体想像できる。おそらく、傍から見れば広場の中央でにらみを利かせている男の言う通りのことだろう。

 しかし、俺たちは知っている。こいつがアルゴへの情報提供を多く行っていることを。自殺志願のようにハードな戦いを繰り返していた細剣使いを引き留めたことを。

 ただそれを知っていても、今の俺たちは声をかけるどころかその肩に手を乗せることすらできない。いや、してはならなかった。今ここで気遣えばキリトがβテスターであることがばれてしまう。そうなればあのサボテンボール頭がどうするか、火を見るより明らかだ。

 だからここは、俺もゆっくりと息をひそめて冷静に――

 

「そんなベータ上がりどもに土下座さして、貯め込んだ金やアイテムを軒並み吐き出してもらわんと、パーティメンバーとして命は預けられんし、預かれんのや!」

 

「っ――」

 

 危ない。危うく声が漏れるところだった。ここで下手に注目を集めても何のメリットもない。

 確かに、元テスターたちはあの日先行して『はじまりの街』から『ホルンカの村』へと移動した。アルゴのように表立って新規プレイヤーの手助けを行ったのは極々少数だろう。ニュービーが死ぬ原因の一端となったことは否定できない。

 しかし、その謝罪をハンデをものともせず最前線で戦っている俺たちが受けるのだろうか。

 吐き出させた金やアイテムでより確実にフロアボスを倒す。確かに一理あるかもしれない。しかし、その効果は短期的なものであるし、なにより俺たちとそれ以外の差を広げることになる。それは結果的に、ここまでの道中で戦っているプレイヤーのやる気を削ぐことになってしまうのではないだろうか。

 結局、死んだ二千人にではなく、自分に謝罪しろと言っているように、俺には聞こえてしまった。

 まあ発言の真意はどうあれ、あくまで新規プレイヤーである俺にはどうでもいい話ではある。そもそもここで誰かが晒しあげられることはないのだから。

 A.Cさんにも言ったことだが、新規ユーザーと元テスターを見分ける方法は存在しない。ゲームマスターの配慮なのかステータスにも特別な表示はないし、装備やステータスだってここにいる奴らは大した差がないだろう。鬼ごっこで逃げるなと言われて逃げない人間がいないように、晒しあげられるのが分かっていてわざわざバラす人間がいるとすれば、“ニュービーを助けた実績”がある奴くらいだ。

 しかしまあ、仮にその実績のあるアルゴがここに出てきて、俺たちが証人になったところで、目の前のサボテンボールは納得しないだろうが。

 

「発言、いいか」

 

 誰も何も発しない、反βテスター筆頭が睨みを槍のように投げつけ続けているだけの空間に張りのあるバリトンボイスが響いた。

 立ち上がったシルエットは、とにかくでかい。百九十センチはあろうかという筋骨隆々の体躯に日焼けとは明らかに違う黒い肌をしたスキンヘッドの男は、背中に吊った両手用戦斧を揺らしながら参加者に軽く頭を下げ、キバオウに向き直った。身長差もあってか、キバオウは威圧されたように身体をのけぞらせている。

 

「オレの名前はエギルだ。キバオウさん、あんたは『βテスターたちが見捨てたから多くのニュービーが死んだ。そのことを謝罪、賠償しろ』と言いたいわけだな?」

 

 存外普通の話し方――見た目は明らかに日本人ではないが、やけに流暢な日本語を話す――に気押されていたキバオウは立て直すように咳ばらいをすると、再び威嚇するように睨みつけた。

 

「あんアホテスターどもが見捨てんかったら二千人も死なんかった! しかも、その二千人のほとんどが他のMMOじゃトップ張ってたベテランやったんやぞ! あいつらがちゃんと情報やら金やらアイテムやら分けおうとったら、今頃ここにはこの十倍の人数が……ちゃう、今頃は二層やら三層まで突破できとったに違い――」

 

「違う」

 

 今度は、声を抑えることはできなかった。エギルと名乗ったプレイヤーを睨み上げながら語気を荒くしていたキバオウを含めて視線が俺に集まる。一瞬後悔の念のようなものが浮かんだ気がしたが、すぐにかき消えた。どの道、今の俺にとって他人の視線など……どうでもいい。

 エギルに倣って参加者に一礼して名乗ると、トゲトゲした頭がトゲトゲした口調で突っかかってきた。

 

「ハチはん、『違う』っちゅうのは一体どういうことや」

 

「……あんたのβテスターが手助けしていれば今頃三層くらいまで突破していたって発言だよ」

 

 βテスターには一万本しか販売されない製品版ソードアート・オンラインの先行購入権が与えられていた。ただ、その権利を全員が使ったとは考えにくい。単純にゲームが合わなかったり、人によってはナーヴギアそのものと相性が悪い人間もいるらしいから、八百、九百人ほどが実際のβテスター総人口と考えていいだろう。

 一ヶ月だけ行われたクローズドβテスト。今俺たちが囚われている期間と同じ時間稼働した“もう一つのアインクラッド”では第六層まで攻略されたと、茅場が地獄のアナウンスをしたあの時誰かが言っていた。

 製品版の十分の一の人間で一ヶ月で第六層。本物の死の有無、それに伴う安全マージンの上昇を考えても、九百人の“再戦者”たちが一ヶ月、それも睡眠や食事以外は常にレベリングや素材集めのできる環境にいながら第一層も攻略できていない。

 それが意味することは――

 

「βテスターですら、苦戦を強いられているってことだ」

 

 死の恐怖、βテストとは違う細かい、本当に些細な変更点。その猛毒の針のような死神の鎌が潜んだ世界で、たかだか情報を持っているだけの冷静さを失ったゲーマーが、他のプレイヤーを守りながら戦うことができるだろうか。自分たちの十倍以上いる新米剣士をかばい、育てながら? 

 

「場合によっては新規プレイヤーだけじゃなく、元テスターからも……」

 

「っ――!」

 

 俺の言葉にキリトが息を飲むのが視界の端に見えた。そういえば、その情報を買ったのはお前だったか。

 場合によってはと言ったが、事実としてβテスターからも死者は出ている。一週間ほど前、少年剣士――その時は顔も知らなかったが――から死んだプレイヤーにどれだけβテスターがいたか調べてくれ、という依頼を受けた。さっきも言ったようにβテスターと新規を見分ける方法はない。アルゴから聞いた時はどんな無茶な依頼だと思ったものだが、さすがは最大手の情報屋と言ったところか。デスした時の状況やそれまでの行動、交友関係、そしてプレイヤーネーム。様々な情報からまるで探偵のように答えを導き出していった。情報収集に駆り出された俺たちはその手際の良さにあんぐりだったわけだが。

 その結果、出てきたのが“三百”という数字。九百人よりもっと少ないであろうことを想定すれば死亡率は四割にも届くかもしれない。割合でどうにかなる話ではないが、現状のこの結果から、見捨てなかったらもっと攻略できていたとは思えなかった。

 そのまま続けてたたみかけるように言葉を並べようとして――

 

『――――――――ッ』

 

「? …………」

 

 耳をかすめた違和感。誰かに呼ばれたような気がしたそれに、思わず口をつぐんで視線を周囲に巡らせるが、広場の視線は全て俺の集中している。誰かが声をあげたのなら、少なからずその人物に視線が集まるはずだが。

 今の一瞬の間で少し頭が冷え、喉から発せられるはずだった言葉は自重に従うように下がっていき、霧散してしまった。

 そもそも、俺が持っているそんな情報を話すわけにはいかない。裏付けが難しいものだし、それを調べたアルゴに火の粉が飛んでしまうだろう。“俺たち”に情報を提供し続けている彼女がそんなことになれば、俺のみならず全員の不利益になる。

 

「ハチさんの意見、オレも一理あると思う。そもそも、金やアイテムはともかく“情報”はあったと思うぞ」

 

 そう、オレたちアインクラッドで生きている八千人余りのプレイヤーたちに情報を提供し続けている彼女に、そんな不名誉な火の粉をつけるわけにはいかない。

 エギルが取り出したのは一冊の冊子。羊皮紙を閉じた簡易なその表紙には丸い耳と左右三本ずつのヒゲを図案化した鼠マークが表示されている。アルゴが過去の記憶、買ったり実際に確認した情報を元に作り上げた攻略情報誌だ。【大丈夫。アルゴの攻略本だよ。】なんていう、一瞬不安になりそうなキャッチフレーズも実際に利用してみれば逆に安心感のあるものだと分かる。

 

「このガイドブック、あんただってもらっただろう。新しい村や町につけば、道具屋で必ず無料配布されているんだから」

 

「おう、もろたで。それがどうしたんや」

 

 “無料”と聞いた瞬間、なぜかキリトに緊張が走ったが、今は斧使いの発言に耳を傾ける。

 プレイガイド、フィールドマップに武器防具やモンスターの情報、果てはクエストの詳細まで様々な情報を提供しているアルゴ製のガイドブックはほぼ最前線が開拓されると同時に最前線の拠点で配布してきた。地道に確認してきたにしてはあまりにも早すぎる。なのにそれが可能だったのはなぜか。

 

「このガイドブックは元βテスターたちの情報提供によって作られているということだ」

 

 エギルの言葉にプレイヤーたちが一気にざわめきだした。キバオウはぐっと口をつぐみ、後ろで状況を眺めていたディアベルは得心したとばかりに頷く。……A.Cさんは嬉しそうにこっちを見るのやめてもらえませんかね。

 

「いいか、情報はあったんだ。なのに、たくさんのプレイヤーが死んだ。その理由は、彼らがベテランのMMOプレイヤーだったからだとオレは考えている。デスゲームと言っても自分たちが慣れ親しんできた、自分たちがトップを張ってきたゲームジャンル。その油断と慢心が引き際を誤らせたんだってな。それはきっと、βテスターたちも同じだろう」

 

 アルゴの攻略本は時折アップデートがなされる。モンスターレベルの修正などの細かいものから、レアモンスター情報の変更のような大きなものまで。

 目の前の大男が言っているように、初期情報の多くがβテスターから提供されたものだからだ。そんな違い――βテストからの変更点の更新版を店に並べ直し、購入者には通知している。

 “以前存在していた浮遊城”を熟知していればいるほど、その小さな違いが命取りになってしまうから。

 

「だが、今はその責任やたらればの話をしている場合じゃないだろ。ここは“フロアボス攻略会議”の場だと、オレは聞いて来たんだがな」

 

「βテスターが信用できないってのも一つの意見だ。だがここで謝罪と賠償をさせられたとして、新規プレイヤーはスッキリできても、βテスターは納得しないだろうさ。そんな状態じゃ、どの道レイドプレイなんてできやしない」

 

 キバオウが初めに言っていた目論見のとおり、今この場にβテスター(と俺がほぼ断定しているプレイヤー)は九人いる。断定しているだけでレイドメンバーの二割、それも一ヶ月多く経験を積んでいる二割が戦力にならなくなれば……考えただけでゾッとする。

 「みんななかよく」いつだったかテニスコートで否定した考えだが、フロアボスはそれをしなくては死ぬ。一枚岩と言わないまでも、最低限一塊であることは維持するべきだろう。

 

「そうだね。キバオウさんの気持ちも分かるけど、ここで彼らを排除して、結果攻略失敗なんてなったら何の意味もない。ここは新規やテスターは考えず、攻略を考えていこうじゃないか」

 

 さすがの影響力と言ったところか、ディアベルの一言を機に会議の雰囲気が変わった。数人彼に同意するように頷く人間もいるし、「元テスター断罪すべし」から「絶対にボスを倒そう」という流れになったことを確認して、俺も腰を下ろす。 

 

「…………」

 

 まあ、一枚岩になるわけがない。断罪できなかったキバオウとその一団は「βテスターとはどうしても組めないというなら、残念だけど抜けてもらう」というナイトの言葉に引き下がったが、明らかに納得できていないようにディアベルやエギル、俺を睨みつけていた。それでも戦力が削れることの危険性を理解はしたのか、攻略メンバーに入れないことを恐れてか参加はするようだが。

 

「よし、じゃあパーティプレイを想定して、残りの迷宮区攻略は六人パーティを組んで行うことにしよう」

 

 レイドリーダーの告げた言葉に、喉の奥が変な音を立てそうになったのは俺だけの秘密だ。

 

 

     ***

 

 

「夕飯できましたよ~!」

 

 イロハの声にソファでくつろいでいた面々が俺の座っているダイニングテーブルに集まってくる。

 面々というのはマチにアルゴ、そして――

 

「いいのか? 俺たちも一緒に食べちゃって」

 

「…………」

 

 キリトとあの細剣使い、アスナの四人だ。

 

「いいんですよー。ボス戦までとは言っても、パーティメンバーなんですから!」

 

 六人パーティ。ディアベルがパーティを分けることを決めたとき、当然のように俺たちはあぶれた。そもそもレイドパーティに関しての知識を知っていたのに、自分たち三人が他の誰かとパーティを組むことを一切考えていなかったのだ。

 そうでなくとも四十八人という人数、必ず一つは不完全なパーティが出来上がる。結局、初速で出遅れたらしいキリトと明らかに進んでパーティを組む気がなかったアスナを入れたあまりものチームが完成したわけだ。

 モンスターの素材や購入できる野菜などを使ってイロハが作った料理はなかなか豪華だ。人が多いのではりきったのか、いつもより二品ほど多い。

 

「これって、リトルネペントか?」

 

 キリトが指差しているのは緑々した根菜スープ。カブもどきとリトルネペントの根が入っているそれは、存外美味かったりする。見た目グロテスクで、イロハも最初は調理するの渋ってたんだけどね。

 

「早く食おうゼー……って、そこの嬢ちゃんはどうしたんダ?」

 

「…………」

 

 大げさによだれを拭いながら席についたアルゴは終始しゃべらないアスナにコテンと首を傾げる。未だにフードを被ったままの細剣使いが無口なのは今に始まったことはないが、さっきまでの拒絶的な雰囲気とは違い今は……なにやら唖然としていた。

 

「あー……たぶん現実を受け止められてないんだと思う」

 

 頬を掻きながら苦笑する少年剣士の返答は抽象的で、やはりアルゴは分からないようだ。

 

「まあ、無理もないと思いますよ。マチも教えてもらえなかったら、民家に宿泊できるなんて思いもしませんでしたもん」

 

 RPGというとおなじみなのが【INN】と書かれた宿泊施設だ。アインクラッドにも各拠点に存在するのだが、何を隠そうその宿泊施設、下層においては最低限泊まれるだけの場所を意味する。現実で言うなら粗悪なビジネスホテル、いやカプセルホテルくらいのイメージか。

 一回だけ中を見てみたが、裕福な日本の生活に慣れていたらとてもじゃないがくつろげない。野宿よりはましとかそういうレベルだ。

 そこで出てくるのが“NPCの民家を借りる”という方法。多少値は張るが普通に戦っていれば余裕で稼げる金額だし、今俺たちが宿泊している民家は一人一部屋ずつ使っても余裕があるし、ベッドはでかいし風呂もある。ミルク飲み放題がある民家もあるようだが、それはキリトが独占しているようだった。いや、イロハの飯があるからそこまでミルクに執着はないんだけど。

 で、そんな格差社会のような宿泊環境と目の前のNPCレストランより豪華な飯にアスナはだいぶショックを受けてしまったようだ。

 放心状態のフェンサーを放っておいて食事に口をつけると現実では微妙に味わえない味が舌の上で踊り、嚥下した喉に満足感を与えてくる。

 

「……おいしい」

 

 ぽしょりと聞こえてきた声に視線を向けると、根菜スープを口にしたらしいアスナは小さく嘆息するようにまた「おいしい」と呟いて……食事を再開しだした。

 うん、もうびっくりするくらいの速度で食べている。結構な量が置かれていたはずだが、四分の一はこいつの胃袋に収まりそうな勢いだ。料理提供者であるイロハは満足そうに胸を反らし、マチとキリトはどう反応したものかと食事を口に運びながら苦笑している。アルゴに至っては腹を抱えて大爆笑だ。

 食欲に忠実になっていたアスナはそんな各々の反応にハッと正気を取り戻すと、恥ずかしそうに顔を赤くしながら――けれど食事を口に運ぶことはやめなくて。

 自分たち以外とパーティを組むことに不安、というか警戒をしていたわけだが、とりあえず最低限のチームプレイはできそうだとホッと息を漏らす代わりにスープを流し込んだ。

 

 

     ***

 

 

 食事を終えるとリビングの人口は半分になる。ここに風呂があることにアスナが食いつき、イロハとマチが連れ立って大浴場へと向かったのだ。食事と違ってVRMMOで風呂なんて極論入らなくてもいいのだが、そこらへんを女子って奴は細かく気にするようだ。まあ、なんだかんだ俺もほぼ毎日入ってるんだけどね。

 つまり今リビングにいるのは俺とアルゴ、そしてキリトの三人。話題は夕方行われたボス会議になった。

 

「会議ではずいぶん首をツッコんでたナ、ハッチ」

 

「どこから見てたんだお前」

 

 まあ、別にどこかの一室を貸切っていたわけでもないし、あの会議に参加していなくても適当な路地裏とかからでも聞くことはできるか。

 

「別に、くだらないことだから無視するつもりだったけど、どっちが自分勝手なんだよって思ったらつい、な」

 

 キバオウの言い分だって分からないことはない。俺はβテスターと組むことができた人間だからβテスター寄りの考えになっている部分もあるが、取り残されたニュービーからしたらなぜβテスターは助けてくれなかったのか、と思ってしまうものだろう。一ヶ月多くプレイしているβテスターは彼らにとってそれこそ警察や自衛隊のような、“守ってくれる存在”だと認識していただろうから。

 

「新規もβテスターも関係ねえ。全員“デスゲーム”は初めてだ」

 

 ここが“遊び”のままのアインクラッドだったら、その考えに俺も賛同していたかもしれない。しかし“遊び”でなくなった今、大半がただのゲーマーに過ぎない彼らにそこまで求めるのは酷というものだ。

 

「それに……エギルやディアベルも言っていたが、そんなことしたって意味はないだろ。自分たちで問題を視覚化したところでデメリットしかない」

 

 だからキバオウの主張は俺からすればあまりにも意味がなく、本当ならもっと言ってやるつもりでいた。それができなかったのは、あの声……のような違和感。あれがなんなのかは分からないが、あそこで発言をやめていなかったら場合によってはあの会議が完全に分裂していた可能性もある。

 結局のところ、俺も人のことは言えないということなのだろう。

 

「マ、ボス攻略だからって無茶はするなヨ。なっ、キー坊」

 

「え? あ、ああ……そうだな」

 

 アルゴに声をかけられて、ずっと黙っていたキリトはビクッと肩を跳ねさせるとなんでもないように頷いた。あまりもの組だから取り巻き処理担当だろうけど、と肩をすくめる仕草は飄々としたものだが……。

 まあいい。どうせ今回のフロアボス、それ以降あるとしてもボス戦くらいでしか関わらない奴だ。俺には関係あるまい。

 そのままガイドブックの話――なんかキリトには一冊五百コルで売っていたらしい。なぜ?――や例のトレード交渉の話を始めた二人の声を聞き流しながら、一冊の本をオブジェクト化して読み始める。まあこの本、アルゴの攻略本は現実なら擦り切れるレベルで読んできたし、今は確認程度に読んでいるわけだが。

 

「……なにしてるの?」

 

「ん…………ん?」

 

 ペラペラとページをめくっていると後ろから声をかけられた。首を少しだけ捻って視線を向け――見覚えのない顔に首を捻る。

 俺の後ろに立っていたのはかすかに濡れた栗色の髪を腰まで伸ばした女の子。顔立ちは十分以上に整っていて、美人という表現が正しいだろう。現実世界にいた頃の俺なら一色にからかわれた時のようにドキッとしていたかもしれない。

 で、こいつ誰だ? と口にしようとして、見覚えのある髪と同じ栗色の双眸に言葉を飲み込んだ。

 

「別に、知識の復習をしてるだけだ」

 

 どうやら風呂上りでフードを外していたらしいアスナにそれだけ言って視線を戻す。ただでさえ女性率の低いこの環境、これだけ美人でソロならフードは必須だろうな。パーティを組んでいるマチやイロハですら定期的にナンパを食らうわけだし。

 一人納得した俺の心中など知る由もない彼女は、俺の手元のガイドブックに視線を落として――小さく眉をひそめた。

 

「カタナ? カギヅメ? こんなガイドブックあったかしら……」

 

 ああ、そういえば――

 

「それはまだ配布してないやつダヨ。ハッチには推敲を兼ねて先に読んでもらってるんだ」

 

「もう五回目だけどな」

 

 今確認しているのはボス部屋が発見された際、“βテスト時のボス攻略情報”と一緒に配布する資料だ。βテスト時代に攻略された第六層までに出現した敵専用も含めた武器系統、敵の種類まで記載されたそれは――つまりはβテスターからの情報であることを公言するということ。

 その出版者であるアルゴが危険になる可能性もある。キバオウのような、いやそれよりももっとやばい過激派がその場の感情のままにプレイヤーキルが可能なフィールドで襲い掛かってくることだって。

 

「……ずいぶん踏み込むんだな」

 

「まあナ。これがオイラの戦い方サ」

 

 まあ、この鼠はそんなこと承知でやろうとしているんだが。

 

「実際この情報はありがたい。ボスが変わってないことさえ確かめれば偵察戦の手間は省けるからな。それに、ボスだってまるっきり同じとは限らないし」

 

 今までだってβテストと違う点は多く存在したのだ。今更ボスに変更点がないとは思わない。

 警戒するに越したことはない。情報は多ければ多いだけありがたい。

 第一層フロアボス戦は、もう間近。




 フロアボス攻略会議の話でした。三人参加させると微妙に一人足りないという事態。一瞬アルゴを第一層くらい参加させようかとも思いましたが、あくまであまりものの方が(ディアベルとかにとって)都合がいいかなーと。

 他人の目とかどうでもいいって思考になっているこの八幡ならもうちょっと暴れてもよかったかなとも思ったんですが、結局やりすぎるとボス攻略どころじゃなくなるということで細かい予定変更を繰り返しました。

 それでは今日はこの辺で。
 ではでは。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。