謎の光とともにブレた世界が落ち着くと、風景が一変していた。
「ここは……『はじまりの街』の中央広場……?」
見覚えのある広場には同じように光に包まれながら何人ものプレイヤーが移動してくる。たぶん強制的にワープさせられているのだろう。
さっきまで一緒にいたマチとイロハも近くにワープしてきた。
事態についていけなかった数秒間を過ぎるとちらほらと他プレイヤーの声が漏れ出す。ポツリポツリとした声は次々に伝播し、そのボリュームを上げていく。不安のざわめきは次第に苛立ちに変わり、抗議の喚き声も散見し始める。
そして苛立ちの声が最高潮に高まった時――。
「あれを見ろ!」
有象無象の声を押しのけて飛び込んできた声に思わず空を見上げた。
上空高くを埋め尽くす赤い市松模様。そこにはさらに真紅のフォントで【Warning】、【System Announcement】の文字が浮かんでいる。ようやく運営から何かしらの連絡あるのかと周囲が安堵の色を浮かべるが……俺は余計に不安にかられた。
不安を助長する赤。それになぜ【Warning】なんだ?
その不安を体現するかのように市松模様の隙間から赤い液体が、まるで血液のように溢れ出した。どろりと垂れた雫は空中でまるで粘土をこねくり回すかのように形を変えた。
現れたのは真紅のフードを被った巨大な人型。しかし、フードの中に見えるはずの顔はなく、純白の手袋と袖を繋ぐはずの腕も存在しない。いよいよ俺の中で危険に対する警鐘が強く発せられた。
おそらく、これで終わるのではない。むしろここから――
「プレイヤーの諸君、私の世界へようこそ。私の名前は茅場晶彦。今やこの世界をコントロールできる唯一の人間だ」
――始まる。
***
突如現れた巨人、ナーヴギアやSAOを開発した天才ゲームデザイナー兼量子物理学者の茅場晶彦が告げた事実はあまりにも荒唐無稽で、しかし不思議な現実味を帯びていた。
ログアウトができない現状はバグではなくSAO本来の仕様であり、自発的ログアウトはできない。外部から無理やりナーヴギアの機能を停止しようと試みた場合、ナーヴギアの高出力マイクロウェーブによって脳が破壊され――死ぬ。その証拠に、すでに二百十三人のプレイヤーがSAO内、ひいては現実で死んだらしい。
仮想世界から脱出する方法は全百階層のこの浮遊城アインクラッドを完全攻略するしかなく、ゲーム上のアバターの死は現実のそれに繋がる。つまり、HPの全損による死が許されないゲーム……デスゲームだ。あらゆる蘇生手段は存在せず、命は一つきりという、ひどく現実的な非現実に俺は震えを抑え込むのがやっとだった。
こいつが言っていることは嘘でもなんでもない事実なのだ。ぼっちが鍛えた観察力は、あっさりとそれを認めていた。目どころか顔も存在しない茅場は声と身振りだけで俺にそう認識させていた。
周りからは悲痛な叫び声や怒声、逃避しようとする笑い声などが上がる。
「お兄ちゃん……」
「せんぱい……」
近くにいた二人が不安そうに腕を掴んでくるが、俺にはかける言葉が見つからない。俺自身が奴の言葉を認めてしまっているのだから……。
「それでは、最後に、諸君にとってこの世界が唯一の現実であるという証拠を見せよう。諸君のアイテムストレージに、私からのプレゼントが用意してある。確認してくれ給え」
茅場の声に恐る恐る右手を操作する。アイテムストレージを開くとさっきまで倒していたモンスターからのドロップ品の一番上にそれはあった。
「『手鏡』……?」
オブジェクト化してみるとシンプルなデザインの普通の手鏡で鏡面には俺のアバターが映っていた。
なぜ茅場はこんなものを……と思っていると――
「うおっ!?」
突然鏡が光り出して思わず目を瞑る。すぐに光が収まり、目を開けると、視覚情報が大幅に変化していた。
周りに存在するアバター、つまり他プレイヤーの姿がガラリと変わっていたのだ。さっきまでは眉目秀麗なアバターが男女半々ぐらいで存在していたのに、少なくともイケメン度と女性率がガタ落ちした。さっきまで近くで「やだ怖いー」「俺が付いてるから落ちついて」とかやっていた美男美女アバターが双方小太りのおっさんに変わって呆然としている。
「「ひょっとして……」」
「ん? ……!?」
近くから聞こえた声に首を動かすと、さっきまでアバターだったマチとイロハが現実そのままの容姿になっていた。二人は俺の顔を見てその瞳を限界まで見開き……。
「「……誰?」」
「え!?」
驚愕の言葉でハモってきた。思わず鏡を見直すとちゃんと現実世界の俺の顔がそこにはあった。びっくりした。全く違う顔になったかと思った。多少違和感を感じるが、アホ毛もあるし間違いなく比企谷八幡だ。
「いや、誰? って酷すぎるだろ」
「いや、本当にお兄ちゃんなの? 確信が持てないんだけど……」
兄の顔に自信が持てない妹とか八幡的にポイント低すぎる……。
「なんかいつものせんぱいと違うような……」
二人はジロジロと俺の顔を見つめて、やがて二人して「あ!」と声を上げた。
「「目が腐ってない!」」
「…………」
もう一度鏡を見てみると、ナーヴギアでは再現できなかったのか、確かに目が普通だった。しかし、それだけで誰かわからないとかおかしいだろ……。
「まさか目だけでこんなに……」
「確かに目以外は整ってるって言ってたけど、まさかここまでなんて……」
二人して何やらぶつぶつ呟いているが、下手に関わるとシリアスムードが台無しになるのでここは無視しておこう。
ダイブ中は目を閉じているので、ナーヴギアのスキャンで眼球の大きさは把握できても色などは反映できなかったらしい。その証拠に二人の目の色も実物とは違い、自作アバター時のカラコンのような色をしていた。体格に関しては初回セットアップ時に行ったキャリブレーションとかいうので数値化した身体データを3Dポリゴン化したのだろう。
つまり、今ここにあるアバターは限りなく現物に近いということだ。これによって、一万人弱の全プレイヤーがこのアバターを、数値化されたヒットポイントを、本物の命だと強制的に認識させられることになったのだ。
しかし、しかしなぜこんな大規模なことを……。さっき赤髪(今となっては別の姿だろうから見分けはつかないだろうが)が言っていたように、運営のアーガスはプレイヤー目線で真摯な対応を行うことでユーザーの信頼を勝ち取ってきた会社のはずだ。それがなぜいきなりこんなテロまがい、いやテロそのものの行為を……。
いや、今しがた茅場は『今やこの世界をコントロールできる唯一の人間』と言った。つまり、アーガスはもはや関与しておらず、茅場ただ一人の犯行ということになる。目的は……金? しかし、正攻法で巨万の富を築けるであろうこの天才がそんなリスキーな事をはたしてするだろうか?
思考の迷路に迷い込みそうになった時、まるで思考を先回りするかのように茅場は言葉を紡いだ。
「諸君は今、なぜ、と思っているであろう。私――茅場晶彦はなぜこのようなことをしたのか? これは大規模なテロなのか? あるいは身代金目的の誘拐事件なのか?
――私の目的は、そのどちらでもない。むしろ、今の私は一切の目的も、理由すら持たない。なぜなら……この状況こそが私にとって最終的な目的だからだ。この世界を作り、観賞するためにのみ、私はナーヴギアを、SAOを造った。そして今、全ては達成せしめられた」
…………。
……あぁ……そういうことか。
俺は分かった。理解してしまった。それは今まで無感情だった彼の声とは明らかに違った熱を帯びた言葉によるものか、それとも俺だからこそ理解できたことなのか。あるいはその両方か。
茅場は、本物を求めて今まで生きてきたのだ。もちろんそれは、俺が求めたものとは違うのだろう。しかし、俺も彼もひたすらに本物を求め続けた。だから理解できてしまうのだ。彼が、一つの本物に辿り着いたという事実に。
羨ましい。そう思ってしまった。俺がまだ見つけられないものを茅場は見ている。俺が諦めてしまったものを掴んでいる。それはあまりにも眩しく、美しかった。
「お兄ちゃん……?」
ふいにぎゅっと袖をひっぱられ、茅場へのある種心酔に似た感情の沼に落ちそうだった意識が浮上する。そして、小町と一色の不安げな表情と震える小さな手を見て、はっとする。
そうだ、そもそもこれは一万人の精神を拉致した上、他人の命を掌握するという立派な犯罪行為だ。それは、決して許されるものではない。こんな本物の得方は間違っている。
「……以上で『ソードアート・オンライン』正式サービスのチュートリアルを終了する」
最後の言葉を無感情に発し、フードの巨人がその姿を消す。
上空を覆い尽くしていた赤い市松模様は消滅し、まるで何事もなかったかのようにBGMが鼓膜を震わせる。
しかし、その場にいる一万人弱のプレイヤー、いや虜囚達は何事もなかったかのように振る舞うことなどできるはずもなく。その感情を爆発させた。
悲鳴や怒声を上げるもの。懇願し、あるいは絶叫するもの。現実を受け入れられず笑いだすもの。ただただ呆然と立ち尽くすもの。混乱が混乱を呼び、一瞬で中央広場内はパニックに包まれた。
そのパニックの中、俺はひたすら冷静さを保つために心を落ち着かせる。
落ちつけ、今重要なのは冷静な分析、思考、そして行動だ。まずこの事件の解決方法は『ゲームクリア』と『外部からの解決』。しかし、はたして後者が可能だろうか。天才と称される茅場晶彦の作ったナーヴギア。それを安全に取り除く技術を持つ人間がいるとは思えない。そもそも、安全に取り外せるか調べることができないだろう。なにせ、失敗したらその脳が焼き切れるのだ。警察も政府もそのような危険な方法は取らない。仮に茅場が捕まったとしても俺らの状況自体に変化はないだろう。
つまり、解決方法は実質『ゲームクリア』のみ。その間、現実の俺たちの身体は病院や公的施設で保護されるはず。βテストでは二ヶ月で第六層までしか進めなかったと誰かが言っていた。つまり、単純計算でクリアするのに二年から三年。しかも、普通のMMORPGだったβテストに対してデスゲームの正式版は余計に攻略ペースは落ちるはず。つまり、俺たちの身体は三年以上……意識不明の寝たきり状態になる。内臓を含めた筋力の低下が起これば、ゲーム内で死ななくても現実で死ぬ可能性も……。
なら、俺がやるべきことは……。
「二人とも、ちょっとついて来てくれ」
「えっ?」
「ちょっ、せんぱい!?」
困惑する二人を引き連れて広場を出る。このままここにいたらどんな混乱に巻き込まれるか分かったものではない。さっきまでは街中は安全だったが、デスゲームが始まった今でもそうだとは限らない。
『はじまりの街』の地図を確認しながら、一番でかい宿屋に向かった。まだ動いている人間は少ないのか、周辺にはNPCしかいない。まだ状況を飲みこめていないであろう二人の目線にまで腰を落として、努めて真面目な声を出す。
「いいか。二人はとりあえずこの宿屋を拠点にしろ。最低限生活できるだけの金を稼いで、余裕ができたら少しずつ拠点を進めていくんだ。二人ならここら辺のモンスターに後れを取ることもないだろう」
俺の話を聞いた二人は一瞬納得したように頷こうとして、途中で固まった。
「せんぱいは……どうするんですか……?」
「俺は……」
思わず嘘をつこうとも考えたが、それは危険だと踏みとどまる。二人とはフレンド登録をしているので互いの今いる階層などは分かってしまう。フレンドを切れば、それだけで嘘がばれてしまうだろう。そうなれば、二人がどんな行動を取るか分かったものではない。
それならば、最初から本当のことを話そう。
「俺は、最前線で戦って、このゲームをクリアしてくる」
「「っ!」」
少しネットゲームをしたことがあるが、一つのエリアに同時にポップするモンスターには上限があるはずだ。そしてリポップまでに時間も要するはず。となると、最速でクリアをしようとするなら出来る限り人の少ない最前線で経験値やアイテムリソースを効率よく手に入れて強くなるべきなのだ。
「それなら小町も行くよ!」
「私も、せんぱいと一緒に行きます! 行って戦います!」
「駄目だ!」
「「っ……」」
確かに、三人で最前線に行けばレベリング効率は多少下がるだろうが、戦力は単純に三倍だ。だが、それは二人と危険に晒すことになる。この街周辺のモンスターはなんという事はないが、階層を進めば進むほど危険度は増す。
「お前らは、お前らだけは俺が絶対に現実に帰してやる。だから、二人は無理に攻略を急く必要はないんだ」
俺の説得に一色はいやいやと首を横に振る。小町は俯いていてその表情は見えないが、肩が小刻みに震えていた。
「でも! ……こんなことになったのは私のせいです。私がSAOをせんぱいにやらせようなんて言わなかったらこんなことにはならなかったのに……」
「一色……」
一色は見た目の割に、というのは失礼だが、責任感の強い人間だ。きっと茅場の話を聞いている間も自分のせいだという思いに頭の中が埋めつくされていたんだろう。
「…………」
そして、それに賛同した小町も同じように後悔している。俺のためにやってくれた行為で二人が悔やむことは、許されない。
それに、俺は今この瞬間まで、二人を恨んだりしていないのだ。
「ふえっ!?」
「せん、ぱい……?」
比較的自然に、自分でも驚いてしまうほど抵抗なく二人の頭に手を乗せることができた。仮想世界のポリゴンのアバターなのに、頭を撫でる感触は現実のそれと変わらなかった。あれ以来、小町の頭すら満足に撫でることができなかったというのにそれができるのはこれが仮想の現実だからだろうか。
「二人は俺のために雪ノ下さんに頼んでまでSAOを用意してくれたんだろ? だったら、俺は感謝こそすれ、一色や小町のせいだなんて思うわけがない」
むしろ、この現状は俺のせいなのだ。俺のせいで二人に心配をさせてしまった。その結果がSAOであるなら、やはりこの現状に二人を巻き込んでしまったのは俺の責任だ。だから俺には二人と無事に現実に帰す義務がある。
「だから、二人が責任を感じたりする必要はない。俺がこのゲームを終わらせてやるから、お前たちは自分の身を守ることだけを考えればいい」
安全地帯がβ時代やさっきまでと一緒だとして、永遠に安全地帯のままである確証はない。全員が全員『はじまりの街』に閉じこもる可能性もあり、それは茅場の望むところではないからだ。予想以上にゲーム攻略者が少ない場合、街中にモンスターが侵入するように変更されたり、ダメージが入るように変更する可能性は十分にある。というか、俺がGMならそうする。むしろ今この瞬間に変更するまである。
だから、二人は少しずつ自衛ができる程度に強くなってくれればそれでいい。
「でも、でも……」
「嫌だよ……。小町、お兄ちゃんと離れたくない……」
しかし、二人は引かない。いつか平塚先生が言っていた。俺は心理を読むのに長けているが感情を理解していない、と。今もそうだ。二人の感情をまるで理解できていない。まるで、成長していない。
成長していない俺に、二人を説得することはできそうにない。なら、どうすればいいんだろうか。答えの出ない問いを自分の中で巡らせていると――
「じゃあ、三人とも死なないくらい強くなればいいじゃないカ」
聞きなれない声が思考をさえぎる。微妙に違和感のあるイントネーションにもやもやしながら周囲を探すと、細い路地の陰に誰かがいた。黄色く輝く二つの大きな瞳はまるで不思議の国のアリスのチェシャ猫のようなふてぶてしさを宿しているが、小さな身体はどこか臆病そうですらある。
「お前は……」
「オイラは“アルゴ”。鼠のアルゴダ」
ニイッと“鼠”は笑う。あまりにも無邪気で、むしろかわいいとすら思えてしまうその表情に、俺はいつのまにか警戒を解いていた。
ようやくデスゲーム開始です
アルゴはそこそこ活躍させたいなと思っていますが、どうなるかなーと
そういえば、アルゴの容姿とかを再確認しようとしてググったらロスト・ソングでケットシーになるんですね!
ケットシーアルゴかわいすぎて吐血しかけました
ネタバレになってしまいますが、ゆきのんとガハマさんはデスゲーム不参加です
ただ、とある俺ガイルキャラを参入させようか悩んでいます
まあ、誰なのかは出た時次第でw
そういえば、SAOクロスのために調べ直したら75層でクリアしてなかったら100層までクリアしている間に生き残りは二桁くらいになっていたんですね
シリカちゃんが離脱とかちょっとお兄さん的にあり得ないです
予定では第一層攻略までの話を少し多めに書こうかなと思っています
そのためにオリジナルのクエストとかも考えると思いますが、MMORPGはあまりやったことがないからMMOプレヤーの人には違和感を感じてしまうところがあるかもしれません
ご了承をば