オーバーロード ~たっち・みーさんがインしたようです~ 作:龍龍龍
帰還した"純銀の聖騎士"
「次に会うのはユグドラシルⅡとかだといいですね! それじゃあ」
ヘロヘロがログアウトして、広い円卓の間に静寂が訪れる。
アインズ・ウール・ゴウンのギルド長、モモンガはヘロヘロを呼びとめようとして言えなかった言葉を呟き、感情が爆発したようにその手をテーブルに打ち付けた。
どうしてみんなで作り上げたものをそんなに簡単に捨てられるのかと絞り出すような声が響く。けれど、すぐにそうではないと考え直したようで、頭を振った。
誰も裏切ってなどいない。皆それぞれリアルがあるだけ。そんな風に思っていると傍から見ても確信できる仕草だった。いや、モモンガという男のことを多少なりとも知っている人物であれば、その心中の類推は簡単なことだ。
誰よりもユグドラシルを楽しみ、みんなで作り上げたギルド「アインズ・ウール・ゴウン」を愛し、ギルド長という立場にあるとはいえ、ギルメンの誰も来なくなってもずっとギルドを維持し続けた律儀で真面目な性格の彼のことを知っているならば。
モモンガは円卓の席から立ちあがると、ギルド武器の傍に歩み寄った。
スタッフ・オブ・アインズウールゴウン。かの強大なワールドアイテムに匹敵するほどのギルド武器であり、これを作るためにギルドメンバーは相当な無茶をしたものだ。
「これを作るために、無茶したっけ……有給取ったり」
「妻と喧嘩したり」
「そうそう。あの時ばかりはリアルを優先してくださいと思ったもので…………え?」
モモンガがあり得ないはずの合いの手に驚いて、言葉を区切る。ゆっくりと振り返った。
ユグドラシルのアバターには表情を浮かべる機能がない。
だが、その時のモモンガの顔には驚きの表情が透けて見えていた。
「…………来て、くれたんですか?」
ようやく絞り出した、というような掠れた声。その声には混乱と驚きがあって、そして何よりも言葉にしようがない、喜びの感情が込められていた。
それを感じたのか、円卓の場に現れたそのギルドメンバーは静かに頷いた。
「お久しぶりです、モモンガさん」
落ち着いた、低い声。
その声を改めて聴いて、自分の名を呼ぶその人の声を聴いて、モモンガは目の前に存在するその人が嘘でも幻覚でもないことを知る。
「……本当に、本当に、お久しぶりです。来てくれてありがとうございます」
万感の想いのこもった声で、モモンガはその人の名前を呼んだ。
「たっち・みーさん」
"純銀の聖騎士"たっち・みー。
ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』に所属する全ギルドメンバー41人中、最強の存在であり、『ユグドラシル』というゲーム世界全体でも三指に入る実力者。
九人しか名乗ることを許されない「ワールドチャンピオン」という職業につき、名実ともに戦士職最強の存在。
アインズ・ウール・ゴウンの前身「最初の九人」の発起人であり、かつてはギルドマスターのような立ち位置にいた。
ちなみに、リアルでは美人の妻子持ちで、公務員であるという完璧超人である。
モモンガから見れば、もっとも関わりの深いプレイヤーであり、そして、何より最大の恩人でもあった。
最後は玉座の間で。
そのモモンガの願いに応じ、モモンガとたっち・みーは歩いていた。
モモンガの手には最後の時を迎えるためにギルド武器「スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウン」が握られている。その杖にふさわしいように、彼自身が身にまとっている装備も相応しいものになっていた。
たっち・みーの方はといえば引退したときにモモンガに預けた最高の武具はないが、予備の装備ストックの中から決してモモンガに見劣りしない物を揃えていた。もちろん最高の状態から性能は劣るものの、外見だけを比較すればいまのモモンガに釣り合うものになっている。
最期を迎えるにふさわしい装備を揃えて歩くふたりの姿は、傍目から見れば魔王とその騎士という風で、豪奢なナザリック大墳墓の内装に実によく似合っていた。
そんなふたりの間で語られるのは、過去の思い出話であり、ここ数年、リアルの事情でほとんど来れなかったことに対するモモンガへの詫びでもあった。
「子育てって、やっぱり大変ですか?」
「ええ。いまはさすがにそんなことはありませんが、当時は夜泣きが一番しんどかったですね。妻に全部押し付けるわけにもいきませんし。交代であの子の面倒を見ながら睡眠を取って……仕事に差し支えないようにするのが精一杯でしたよ」
「お疲れ様です……」
「いえいえ、あちらを優先してしまったとはいえ、このナザリックも自分たちの子供のようなものですからね。実は常に気にかけてはいたんです。ずっとモモンガさんが維持してくださっていたんですよね。ありがとうございます」
モモンガはたっち・みーのその言葉に対し、何も言わなかった。
何かまずいことを言ってしまったかとたっち・みーは少し焦るが、次のモモンガの言葉で、そうではないことを知る。
「たっちさんが、最初に俺を助けてくれたからですよ。それがなかったら、俺はここまでこのゲームを続けられなかったと思います」
そういうモモンガが言っているのが、出逢ったときの話であるとたっち・みーは理解する。
「ああ……あの頃は異形種狩りが本当にひどかったですからね」
「たっちさんに助けられてなかったら、やめていましたよ」
たっち・みーとモモンガの出会いは、PK(※1)からモモンガを救ったことだ。
ユグドラシルでは自由度の高さゆえに、PKに対してまったく制限がかけられていない。それどころかプレイヤーキャラクターを一定数倒すことでしか得られない称号や就けない職業のようなものもあり、PKもキャラクター育成の選択肢のうちに入るくらいだ。
本来PKとは褒められた行為ではない。それがそのゲームのウリであったり、双方が合意の上でならともかく、誰彼なしに襲い掛かるようなプレイヤーはマークされるし、すべてのプレイヤーを敵に回すことになりかねない。だから、いくらシステムにそれが組み込まれているとはいえ、PKにも一定のマナーが求められる。
それを正当化しようとして行われたのが、異形種狩りだ。
『モンスターに等しい外見を持つ異形種のプレイヤーならば好きに狩ってもいい』というような風潮が、誰が原因かはわからないがユグドラシル中に広まったのだ。その結果、異形種を選択してユグドラシルを楽しんでいたプレイヤーを苦しめる結果となった。時には高レベルのパーティが結託してレベルの低い異形種プレイヤーを狩ることまで行われていた。
当時、すでに最高峰の実力を有していたたっち・みーは、自分が異形種であるということもあったが、何よりその卑劣な行為の正当化が許せなかった。ゆえにPKK(※2)をして異形種を救うことを繰り返し、その中で出会ったのがモモンガだ。
たっち・みーはそんな頃のことを思い出しながら、モモンガが気にやまないように、自分自身の理由を語る。
「モモンガさんを助けたのは、単純に私があの当時の風潮が嫌いだったというだけですし……あまり気にしないでください。そもそも……」
たっち・みーはいつも口にしていたことを思い浮かべる。自分としては当たり前の指針であり、行動理念なのだが、それを貫くのが稀な例であることもまたよくわかっている。
それでも彼は彼の信念に基づいて、恥ずかしさは欠片も見せずに断言した。
「誰かが困っていたら助けるのは当たり前ですよ」
その言葉を久しぶりに聞いたモモンガはとても嬉しそうに声を震わせた。
「……そんなたっちさんがいてくれたから、私はいままで続けることができたんです。本当に、感謝しています」
わざわざ立ち止まってまで頭を下げるモモンガの肩に、たっち・みーは手を置く。
「やめてくださいモモンガさん。もうそのことは散々お礼を言ってもらいましたし、一緒にギルドを設立したり、冒険したり……それ以上のものを、私もあなたから受け取っていますから」
それはたっち・みーの本心だった。確かに最初にモモンガを助けたのはたっち・みーだが、一緒に行動するようになってからは、むしろたっち・みーの方が受け取った恩の方が大きいとさえ思っている。
アインズ・ウール・ゴウンは基本的に和気藹々としたアットホームな雰囲気のギルドだったが、それでも揉め事というのは大なり小なり起きていた。
その中でも特に多かったのが、たっち・みーとウルベルト・アレイン・オードルというメンバーの間での意見の衝突だった。様々な理由はあったが、彼とたっち・みーは意見が合わないことが多く、ことあるごとに対立していたのだ。その時、いつも仲裁に出てくれたのはモモンガだった。
それだけでも十分なほどに迷惑をかけていたし、モモンガがギルドマスターを務めることになったのも、たっち・みーが関係するとある事件がきっかけだ。その時にもモモンガには多大なる迷惑をかけ、さらにはギルドマスターという責務を背負わせる結果にもなってしまった。
普通ならば、見限られてもおかしくない程の迷惑を被っているはず。しかし、モモンガはそんなたっち・みーのために、ギルド長の役目を引き受けてくれた上、現実の忙しさのあまりIN率が低下するギルドメンバーが少しの時間でも遊びやすいようにと環境を整えてくれた。
実際、モモンガがギルド長になってからの方が、色々なことがスムーズに進むようになったし、少しの時間でしかなくても、ユグドラシルにINして遊ぼうと思うことができていた。
だから、ギルメンの誰もが彼に感謝していたし、どうしてもどうにもならないやむを得ない事情ができるまで誰も引退しなかったのだ。たっち・みーがいる間に引退を決めたメンバーは少しだったが、その誰もが寂しそうで口惜しそうな気持ちを隠そうともしていなかった。
たっち・みー自身、子供が生まれたことで引退せざるを得なくなったとき、最後の最後まで悩んだ。そして一番寂しがっていたくせに、それでも背中をモモンガが押してくれたために、ゲームを引退して家族のために生きることを決められたのだ。
たっち・みーがモモンガに対して感謝しなかったときはない。
そして、ギルドメンバーの大半がいなくなって、最後の一人になったいまでも、彼はずっと残り続けて待っていてくれた。辞めていった相手に対して不満がなかったわけではないだろう。どうして捨てて行ったのか、という想いがあったのはさきほど円卓の間で口にしていた通りだ。
それでも、ギルドを、アインズ・ウール・ゴウンを愛し、最後までギルドメンバーが来るのを待っていてくれた。
どれほど感謝してもしきれない。その想いはギルメン全員が共通して持つ感情だろう。
だから、たっち・みーはその感謝の気持ちを言葉で表すことにした。
「モモンガさん。私が最後のギリギリの間際とはいえ、あなたのおかげでここに戻ってくることができたんです。最初にモモンガさんを助けたのが私だというなら、最後に私を助けてくれたのはあなたです。私の方こそ、モモンガさんに感謝しています」
深々と頭を下げるたっち・みー。
モモンガは感動のあまり、言葉に詰まった。
自分のやってきたことは無駄ではなかったと。他ならぬたっち・みーから聞けたことが、何よりも彼にとっては嬉しかった。
「たっちさん……俺……っ」
モモンガの声が震えている。
たっち・みーはそれには触れず、話を変えるようにモモンガを促した。
「ああ、ほら。もうあまり時間がありません。玉座の間に行きましょう」
「……っ。ほ、ほんとうですね! 行きましょう、たっちさん!」
ふたりは急いで、ナザリック地下大墳墓の最深部、玉座の間に向かうのだった。
皆で作り上げたナザリック大地下墳墓。
その作り込みの細かさには、久しぶりに来たたっち・みーのみならず、モモンガにも特別な感情を抱かせる。
それはNPCの作り込みに関しても同じだった。
第十階層へと至る階段を降り切った先の広間に、そのNPCのうちの数人が立っていた。
先頭に立っているのは、一部の隙もなく執事服を身にまとった、老齢の執事だ。
「……ええと、この執事の名前はなんといったかな」
モモンガが小首を傾げて思い出そうと努力する。
「セバス・チャンですよ、モモンガさん」
久しぶりにインしたたっち・みーの方が覚えていることに、モモンガは軽く驚きつつ、しかしすぐにあることを思い出して得心する。
「ああ、そういえばセバスはたっちさんが作ったNPCでしたね」
「名前についてはかなり揉めましたけどね」
その無骨な執事の隣に、ずらりと並んでいる六人のメイドたちの作り込みも素晴らしい。
そんな彼女たちを、たっち・みーは端から順番に指差していく。
「ユリ・アルファ、ルプスレギナ・ベータ、ナーベラル・ガンマ、シズ・デルタ、ソリュシャン・イプシロン、エントマ・ヴァシリッサ・ゼータ。……意外に覚えているものですね」
すらすらと6人のメイド全員の名前を言ってのけたたっち・みーに、モモンガは驚愕の声をあげる。
「たっちさん、NPC全員の名前を憶えていらっしゃるんですか!?」
その言葉にたっち・みーは慌てて首を横に振る。
「い、いえ、さすがに全員というわけでは……印象深いNPCなら、なんとか、ってくらいです」
「いや、それでも十分すぎるというか……さすが、すごいですね……」
感激したようにモモンガが見つめるのを、気恥ずかしそうにたっち・みーは目を逸らす。
(……実は ウルベルトさんとの意地の張り合いの一環で、どっちがNPCの名前をよりたくさん憶えられるか勝負をした、なんてことは言えないなぁ)
それ以外にも色々、くだらない意地の張り合いをウルベルトとは行ったものだった。
いまだからこそ、たっち・みーはそのことを恥ずかしいと思うし、大人げない行為でモモンガによく迷惑をかけたと感じていた。いまとなっては彼との喧嘩も懐かしい思い出のひとつだが、しかしかといって大人げなかった過去の行為が消えるわけではない。
ただの子供じみた喧嘩の名残なのに、モモンガから称賛の眼差しを向けられるのを気恥ずかしく思ったたっち・みーは、誤魔化すようにモモンガに提案する。
「……最後ですし、彼らも玉座の間に連れていきますか?」
その提案に、モモンガは少し悩んだように考えてから頭を振った。
「いえ、彼らはここを守ってもらうためにここにいてもらったのです。このまま、最後までここを守ってもらいしょう。それがギルドの皆で決めたことですし」
アインズ・ウール・ゴウンは多数決を重んじるギルドだ。いくらギルド長でも、ギルドの前身の「最初の九人」のうちふたりが揃っていても、ギルドとして決めたことはそのままで、というモモンガの言い分はよくわかった。
たっち・みーはそこに立ち続ける自分の作ったNPCを感慨深い目で眺める。
「……では、頼むぞ。セバス」
そう言って、たっち・みーとモモンガはその場を去った。
ふたりは玉座の間にたどり着く。
そこはもしもそこまで到達された時、正々堂々真正面から侵入者を迎え撃とうというコンセプトで作られた場所だけあって、輪をかけて豪華な作りになっていた。
それぞれのギルドメンバーを模した旗が下がっている。
そしてNPCの一人であり、守護者統括であるアルベドの姿もあった。
「ここには私も久しぶりに入ります」
「扉といい、中身といい、改めて見るとすごい作り込みですね」
たっち・みーは懐かしそうに玉座の間を見渡す。こだわりを持って仲間たちが作り上げたその圧巻の光景に目を奪われてしまう。
だが、モモンガは少しだけ険を持った視線でアルベドを睨んでいた。NPCに対してそんな視線を向ける意味がわからず、たっち・みーが彼に尋ねる。
「アルベドがどうかしたんですか?」
「……いえ、なんでアルベドがワールドアイテムを持っているのかと」
言われてたっち・みーはアルベドがワールドアイテムを所有していることを改めて認識する。いままでも目には入っていたが、あまり気にしていなかった。
「私が引退した後、皆でそうしようと決めたんじゃないんですか?」
「違います。まったく……皆で集めた宝を勝手にNPCに持たせるなんて」
ワールドアイテムはただのアイテムという括りにはとても収まらない性能と価値を持つものだ。ユグドラシル内に200個しかなく、それを手に入れるだけでその者の知名度は最高位まで上り詰めるとさえ言われる。実際、その能力は運営に要請してシステムの一部変更を行うことができるものさえあり、壊れ性能という言葉が裸足で逃げ出すレベルであった。すべてがそうであるというわけではないが。
モモンガもそのワールドアイテムを個人的に持っているが、それはギルドメンバーから許可を得て持っているものだ。勝手に持たせるのとはわけが違う。
ギルドメンバーで決めたことを重んじるからこそ、モモンガはアルベドが勝手にワールドアイテムを持っていることを不快に思っているのだ。たっち・みーは少し考える。
「回収しますか? 勝手に持たせていたなら、回収しても問題ないと思いますが」
「……いえ、まあ、最終日ですし。彼女にワールドアイテムを持たせた仲間の想いを尊重しましょう」
どこまでも仲間を尊重し、大事に思ってくれていることに、たっち・みーはモモンガらしいと感じた。
(モモンガさんはもっと我儘を言ってもいいと思うんだけどな)
それだけの資格がモモンガにはある。けれど、そんな律儀で誠実なところがモモンガらしいとも思うため、たっち・みーはそれ以上のことは口にしなかった。
「……確かアルベトを作ったのは設定魔のタブラさんでしたよね」
話題を変えるつもりで、そう口に出すと、モモンガはそれに乗っかった。
「そうですね。せっかくですし、見てみます?」
コンソールを開いて、モモンガがアルベトのプロフィールを眺める。それを隣から覗き込みながら、たっち・みーはあっけにとられて笑ってしまった。モモンガも同様にあっけにとられている。
「「ながっ」」
プロフィール欄にびっしりと書き込まれた文字が、モモンガが軽く弾くようにしてスクロールしてもまだ続いている。洪水のようなプロフィールだった。
「守護者統括だけあって、さすがの設定量……というべきでしょうか」
「そうですね。あ、ようやく最後に……ん?」
最後の一文に、たっち・みーとモモンガは目を点にする。
「……『ちなみにビッチである。』?」
「罵倒の意味のビッチ、ですよね。これ」
「そうですね。タブラさんはギャップ萌えだったかな? あの人らしいといえばらしいですが……」
こんな設定にしていたのか。
その想いはモモンガとたっち・みー、双方に共通する思いだった。
「いや、しかしこれはさすがに……全NPCの頂点の立場にあるNPCがこれでは……」
モモンガはそう言って言葉を濁す。
いくらなんでもこれはひどくない?と、そういう想いを抱いていることがたっち・みーには伝わってきた。そしてそれはたっち・みーも同意する部分である。
「……変更しますか?」
本来であれば、クリエイトツールを使わなければ操作できない。しかし、ギルド長の特権を使えば、それも可能になる。
「そうですね……しかし、タブラさんが作ったものを勝手に変えるというわけにも……」
「でも、この何とも言えないもやもやを抱えて最後を迎えるのも、なんだか微妙ではありませんか?」
「……ううん……そうですね」
最後、と言う言葉が重くのしかかる。
これが最後の機会でなければ、そのままにしていただろう。あるいはもう少し時間があれば、結論は変わっていたかもしれない。しかし現実として終了時間は迫っている。
モモンガにはすっきりとした気分でゲームを終えて欲しいというのが、たっち・みーの想いだった。
「ワールドアイテムをアルベドに勝手に持たせていた分のペナルティと考えればいいのでは?」
たっち・みーの言葉に決心したのか、モモンガがスタッフを軽く揺らす。
「……そうですね。では、最後の一文だけ変更させてもらいましょう」
モモンガがスタッフを用いて設定を変更する画面を起動する。「ちなみにビッチである」の一文は削除された。文字制限ギリギリまで埋まっていただけあって、消えた後の空白がどこか物悲しい。
「消した分、何か入れるべきでしょうか。……すでに限界文字数いっぱいだから、入れるとしたら11文字か」
文字が消えた分、空間が空いている。
たっち・みーもその空間を埋める言葉を少し考え、唐突に閃いた文言があった。
「『モモンガを愛している。』、とか?」
そのたっち・みーの言葉にモモンガが盛大に動揺する。
「いやいやいや!? そんなことは書きませんよ!?」
モモンガは全力で頭を振る。たっち・みーはあまりの激しさに驚きつつ、確かに冗談としてもあまりな提案だったかもしれないと反省する。
「すみません。ぱっと思い浮かんだだけだったんですが、ちょうど文字数が一緒だったので、つい」
言われたモモンガは、頭の中で文字数を数えているようだった。数秒して頷く。
「……ああ、なるほど。確かに、文字数が同じと言うのはおさまりがよくてすごくいいですね。一人だったら思わず設定しちゃってたかもです。それに……」
最後だから。
その言葉は飲み込んだ。しかし、たっち・みーにも何を言わんとしていたかは伝わった。そして、それを責めるつもりはたっち・みーにはみじんもなかった。
そもそも、ギルメンのほとんどがログインしなくなってからも、ナザリック地下大墳墓をほとんど弄っていないモモンガに、だれが文句を言えるというのだろうか。普通なら、皆がインしなくなった時点で、モモンガは好き勝手やっても許される。ゲームを引退するというのはそういうことだ。
それなのに、モモンガはギルドメンバーの意思を尊重し、決して必要以上の改変を行うことをしていない。ここを維持するだけなら、もっと簡単に、各メンバーから預けられたアイテムの一部を売れば済む。けれど彼は「好きなように使ってください」と渡されたさほど重要でないアイテムでさえ、ほとんど手をつけていない。それはいつだれが帰ってきてもいいように、という彼の気持ちであり、それだけギルドメンバーたちのことを大事に思ってくれていたという証拠だ。
たっち・みーは、だからこそ最後の我儘として行われる設定の改変は、モモンガにとって嬉しいことにしたかった。『モモンガを愛している。』という案が出たのもその想いがあってのことだったが、さすがに直接的すぎて、あとあと気に病むかもしれないと思い直す。
「では、『ギルメンを愛している。』でいかがでしょう?」
他の誰でもない、モモンガのように。
そのことは口にしなかったが、モモンガはその設定がとても気に入ったようだった。
「ああ、それはいいかもしれませんね。ナザリックのNPCはギルドメンバーに対して絶対服従が基本ですが、ギルメンに対して愛情を持っているのはほとんどいなかったような……」
その言葉に、たっち・みーは軽く肩を竦めた。
「まあ、自分で作るNPCに『自分を愛している』と設定するのはちょっと恥ずかしいですからね」
いましがたのモモンガのように。
「ではそうしましょう。ギルメンを愛してくれているからこその『守護者統括』、NPCの頂点に立っているというのも、特別っぽくていいですし」
納得したのか、モモンガはコンソールを操作してアルベドの設定を終わる。
「これでよし……と」
玉座の前に、二人で並ぶ。
「……座ってもいいですか?」
遠慮がちにモモンガが言う。その遠慮を、たっち・みーは笑い飛ばした。
「もちろん。どうぞモモンガさんがおかけになってください。私はこちらに」
モモンガがどっかりと玉座に腰掛けると、魔王のような容姿も相成って非常に絵になった。そして、たっち・みーは王の横に控える騎士のように、玉座に座ったアインズの隣に立つ。それもまた非常に絵になる姿だった。
たっち・みーは意外と絵になっている自分たちの状況に合わせ、アルベドに「ひれ伏せ」と命令を行った。アルベドがすっ、と滑らかな動きでその場に、モモンガとたっち・みーに向かって跪く。
アルベドの完璧な臣下の礼に、たっち・みーは満足した。
「時間があれば、この玉座の間をシモベで埋め尽くしたんですけどね」
さぞ壮観なことだろう。もっと早くインすればよかったとたっち・みーは後悔する。
その言葉に対し、モモンガはかすかに笑みをこぼして、頭を振った。
「いいえ、たっちさん。ここにはもう十分なほど、たくさんいますよ」
モモンガが玉座の間にさがっている旗のサインが表す名前を読み上げていく。
「俺、たっち・みー、死獣天朱雀、餡ころもっちもち、ヘロヘロ……」
一つの名前を読み上げるたびに、脳裏にそのメンバーとの思い出が過る。
41人の名前をすべて読み上げ、そして、モモンガは大きく、深く、息を吐く。
「……ああ、楽しかった。そうだ、本当に、楽しかったんだ……」
深い感情が籠った言葉だった。
友人たちとの輝かしい時間の結晶。
アインズ・ウール・ゴウン。
それが今、失われようとしている。たっち・みーはそのことを改めて強く自覚し、もっと時間を作って遊びに来ればよかったと、後悔していた。
この愚直で誠実なギルドマスターに、長い間寂しい思いをさせてしまった罪悪感は、とても大きなものだった。
それなのに、モモンガはどこまでも嬉しそうに、たっち・みーに声をかける。
「本当に、来てくださってありがとうございます。最後の最後に、たっち・みーさんとお話できて、本当に嬉しかったです」
たっち・みーはこみあげてきた後悔の感情をぐっと堪え、精一杯明るい声を振り絞った。彼に湿っぽく終えさせたくない、その想いが形を成した。
「……モモンガさんが、メールを飛ばしてくれたおかげですよ。まだ通知が生きていたので、あれがなければサービス終了にも気づかないままだったかもしれません。アップデートデータをダウンロードする必要があって、本当にギリギリになってしまいましたが、少しでも時間が作れてよかったです」
モモンガはたっち・みーに対し、少し逡巡してから、その言葉を口にした。
「たっちさん、また、どこかでお会いしましょう。そして……また一緒に冒険しましょうね」
モモンガは本気でその言葉を口にしていた。
先ほど、ログアウトしていったヘロヘロに言われて一度は激昂していたはずの言葉を、今度は彼が口にした。ヘロヘロが口にした言葉は、モモンガも心のどこかで望んでいたことだったのだ。
そして、それはきっと、ギルドメンバー全員に共通する想いなのだろう。
「……そうですね。いつか、またどこかで。必ず」
たっち・みーはそう答えつつ、それが難しいことがわかっていた。リアルの事情もあるし、このユグドラシルがなくなってしまえば、モモンガとたっち・みーの繋がりもなくなってしまう。
もし別のゲームを初めたとしても、そこで出会う確率はどれほどのものか。また一緒になって冒険できるのは天文学的な確率だろう。
だが、それでもまた一緒にゲームが出来たら。
それはとても素晴らしいことだと感じた。
(すっかりゲームから引退してたけど……また別のゲームを始めようかな。……ああ、せめてユグドラシルがもう数日続いてくれればいいのに)
最後の記念にどこかの高難度ダンジョンにモモンガと一緒に挑んだり、ユグドラシルの世界を見て回ったりしたのに。
いつも後悔はあとからくる。
モモンガはカウントを始めているのか、無言だった。みればもう時間は数秒とない。
たっち・みーは、そんなモモンガに向かって、静かに礼をした。
(ありがとう、モモンガさん。我らの誇り、アインズ・ウール・ゴウンのギルドマスター。最後までお疲れ様でした)
そして、終わりの時間が来る。
たっち・みーは夢の終わりを感じて目を閉じた。
そして――新たな冒険が始まる。
※1 player killerの略。MMOなどで他の人がプレイしているキャラクターを殺す行為。システム的に禁止にしているゲームも多い。
※2 Player Killer Killerの略。PK行為を行うプレイヤーキャラクターを対象として攻撃するプレイヤーのこと。あるいはその行為を示すプレイヤーキラーキリング(Player Killer Killing)の略。行為そのものはPKと変わらないが、PKが迷惑視されているゲームなどの場合はPKKは時に歓迎されることもある。
改訂点(2015/09/02)
・たっち・みーのプロフィール修正。41人の中で最強という記述に変更。たっち・みーがギルド長であった記述を削除。ギルドマスターのような立場であったことを明記。
・アルベドがワールドアイテムを所持している記述を追加。
・アルベドの設定を変更することをたっち・みーが後押しした理由を、「リアルで繋がりがあるので後日謝罪しておく」から「ワールドアイテムを勝手に持たせていたペナルティとして」に変更。