オーバーロード ~たっち・みーさんがインしたようです~ 作:龍龍龍
玉座の間での配下に対する宣誓が終わった後、たっち・みーは自室で休んでいた。
ゆっくりと椅子に腰かけ、すっかり力を抜いた状態だ。現在、この部屋にはメイドの一人も控えていない。セバスは部屋の前で待機させている。傍に仕えたいという彼の意志は理解していたが、さすがのたっち・みーもあれだけの配下の前で長々と、『アインズ・ウール・ゴウン最強の騎士』としてのロールプレイをやり続けたのだ。少しは気を抜く時間を確保させて欲しい。
そんなわけでたっち・みーはだらしなく力を抜いた姿勢で椅子に腰かけているのだ。
その手はこめかみに添えられ、今頃同じように自室で休んでいるであろうモモンガと〈伝言〉によって話していた。
『どうやら無事、士気の高揚は十分すぎるほど成し遂げられたみたいですね。少しほっとしましたよ』
たっち・みーはしみじみと呟いた。あれほど盛大に人を集め、大々的に宣誓を行ったのにはそういう意図があったのだから、それが成功してほっとしないわけがない。
〈伝言〉で伝わってくるモモンガの声には、そんなたっち・みーの言葉に対する朗らかな笑いが込められていた。
『無理もありませんよ。だって隣に立ってた私でさえ、思わずたっちさんに見惚れてしまいましたからね。格好よかったですよ』
『……ありがとうございます。しかし……自分から言い出したこととはいえ、世界征服はちょっといい過ぎましたかね?』
『あれくらいの方がきっとハッタリが効いていいですよ。実際、異論をはさむような者者は一人もいなかったじゃないですか? デミウルゴスなんて、世界をラッピングして差し出してきそうな凶悪な笑みを浮かべていたじゃありませんか』
『……やる気にさせてしまってよかったのかなぁ』
洒落にならない発破をかけてしまった気がする。モモンガはまあまあ、と軽かった。
『どのみち、それくらいはしないとダメかもっていう結論は出ていたじゃないですか』
モモンガの言葉を受け、たっち・みーは複雑な胸中をどう表現すればいいのか悩んだ。
そもそも、世界征服なんて口にしたのは、現状元の世界に帰る手がかりがひとつもないからである。この世界のすべてを手に入れれば、そういう方法や手段があるのではないかと考えているだけだ。もしそんな方法がなければ、という不安はもちろんあるが、すべてを調べ尽くすまでは諦めることはできない。
『……探し始めてすぐに見つかればいいんですけど。案外、その方法はその辺に落ちているかもしれませんよ?』
たっち・みーの沈黙をどう捉えたのか、モモンガが慰めるように言う。気を使われていることを察したたっち・みーは、慌てて明るい声で応えた。
『そうですね! 見つからない可能性もあれば、逆に簡単に見つかる可能性もある……想像してばかりでは始まりませんし』
『そうですよ! いざとなれば〈星に願いを〉など、アインズ・ウール・ゴウンが取りうるすべての手段を用いてでも、たっちさんだけでも元の世界にお返ししますよ』
『……できれば、それは本当に最後の手段にしたいですね。もう、あの子たちを置いていくことはしたくないですよ』
たっち・みーは本心からの言葉を口にした。一度は背を向け、引退したゲームだが、いまこうしてギルドメンバーたちと共に作り上げた拠点やNPCたちを見て、一個の生命体として接してしまうと、それをまた見捨てていきたいとは思わない。
元の世界に帰りたい、という想いが消えてなくなることはないだろうが、それでもこのギルドを、アインズ・ウール・ゴウンを愛する気持ちはそれに劣らないほどに育ちつつある。
『たっちさん……ありがとうございます。でも、我慢できなくなったらいつでも遠慮なく相談してくださいね! 私はたっちさんとまた一緒に冒険が出来ただけでも、すごく満足しているんですから』
残してきた妻子を案ずる心を読まれたのだろう。
決してそれを喜んではいないだろうに、たっち・みーが気に病まないように明るく提案してくれるモモンガに、たっち・みーは頭が上がらない。
『こちらこそ、ありがとうございます。モモンガさん。あなたがギルドマスターで本当によかった』
『ゆっくり休んでくださいね。また忙しくなるでしょうから……』
『ええ。モモンガさんこそ、疲労を無視できるからって、働きすぎちゃだめですよ』
〈伝言〉の魔法が切れ、部屋の中に静寂が落ちる。
たっち・みーは椅子の背もたれに体重を預けながら、小さくため息を吐いた。
(……なるべくこの世界の人間を傷つけないように、ああいう策を取ったけど……さすがに、偽善だよなぁ)
たっち・みーは自嘲する。元の世界とこちらの世界を繋げる方法がわからない以上、人間ひとりでさえ重要なのは事実その通りだ。生まれながらの異能などという何でもありなものを目にしてしまっては、『世界を繋げる』という能力があってもおかしくはない。
だからこそ、例えば無意味に人を殺すような、不用意な殺戮を行わないように厳命したのだ。その意味を『至高の存在が帰って来れるようにするため』というのも、配下たちにやる気をださせ、同時にやりすぎないようにするため。
そして、たっち・みーの本当の目的を教えないためだった。
たっち・みーにナザリックの者たちを見捨てるつもりはないとはいえ、『元の世界に帰る』のが自分の目的だと馬鹿正直に話しては、守護者たちの協力など取り付けられないだろう。逆に邪魔をされる恐れさえある。
だからこそ全員の前で最終目的を明言したのだ。実際、いまのナザリックには元の世界では得られないような高度なものがたくさんあるのだから、他のギルドメンバーたちも戻って来れるのならば、戻って来たいだろう。美味なる食事や際限なく広がる自然はその筆頭だ。
ブルー・プラネットのような自然を愛する男なら絶対にこっちの世界に来たがるだろうし、ヘロヘロのようにブラック企業に勤めているならば確実にこちらの方が暮らしやすい世界となるだろう。
元の世界と今の世界、自由に行き来できるようになるのが最善だ。それならたっち・みーは向こうの世界の妻子も、アインズ・ウール・ゴウンも、どちらも見捨てずに済む。
たっち・みーは大きく息を吐き出した。その息にどす黒い感情が淀んでいるように感じられて、自分で吐いた息ながら眉を潜める。
この世界になるべく被害がいかないように、というたっち・みーの想いはどこまで行っても偽善だった。
なぜなら、もし帰る方法がわかったとして、それがこの世界の人間数万人の命を捧げてようやく成すことのできるような、そんな大規模な儀式が必要なものだった場合。
たっち・みーは断言できる。
自分はそれを実行に移すだろう、と。
元の世界に残してきた妻子と、この世界に生きる人間数万人。たっち・みーの中でその価値は比べ物にならないほど妻子の方が重く、この世界の人間が万人死のうが億人死のうが関係ない。
それほどまでに彼にとって『元の世界に帰る』ことは重要なことなのだ。
異形種となってしまったからなのだろう。かつての人間だったころの自分なら、そんな天秤はそもそも成立しなかったはずだ。なのに、この世界の自分だとその天秤が成立してしまっている。極端な話、この世界そのものを生贄に捧げてでも、元の世界に、妻子の元に帰りたい、という気持ちなのだ。
いまのたっち・みーにとって、この世界の人間は大きな犬の群れのようなものだった。興味深く観察するし、その中でも輝きを放つ犬がいれば特別に目をかけて、死にそうになっていれば自分に危険がない範囲で助けてやるだろう。向こうから懐いてすり寄ってくるのであれば、可愛がって餌をあげることもあるかもしれない。
だが、家族が飢えて死にそうになっていたならば。
たとえ懐いて情が湧いている犬とて――相応に悩む時間はあるにしても――最終的にどうしようもならなくなったら殺して食べてしまうだろう。
それが異種族に対する感覚というものだ。同族と認識しているものに対するのと、異種族に対する扱いが違うのは当然なのだから。
(……それならば、どうして元の世界の妻子が異種族という認識にならないのかが不思議だが……それは、考えても仕方ないか)
モモンガはアンデッドゆえにその意識の断裂がより強いらしく、自分の人間としての感情を『鈴木悟の残滓』と言い切るほどだった。それに比べればたっち・みーはこの世界の人間を可能な限り傷つけないようにするだけ、まだマシなのかもしれない。
たっち・みーはもう一度息を吐く。
(今日はもう寝てしまおうか)
そう考えたたっち・みーは椅子から立ち上がって、セバスやメイドを呼ぶ。鎧を脱ぎ、ベッドに横になりたかった。
たっち・みーはあえて考えないようにしていることがあった。
もしも、元の世界の帰る方法が、アインズ・ウール・ゴウンを――ナザリックの者たちを生贄に捧げなければ実現しない物だった時、自分はどちらを取るのか。
たっち・みーは、考えないようにしていた。