オーバーロード ~たっち・みーさんがインしたようです~   作:龍龍龍

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階層守護者たちと執事

 サービスが終了してサーバーがダウンすれば、ログインしていた者は当然強制ログアウトされる。

 目を開ければそこは見慣れた自宅の部屋――ではなかった。

「「え……?」」

 ほぼ同時に発された、二人分の声が重なる。

 慌ててそちらを見ると、玉座に座ったままのモモンガと目が合った。

「たっちさん……?」

「モモンガさん……?」

 サーバーダウンが延期になった?

 何かのトラブルに巻き込まれた?

 念の為に時刻を確認すれば、『00.00.38』と、終了時間は確かに過ぎている。

 慌ててコンソールを開いて通信回線をオンにしようとして、いつもやる動作をしてもコンソールは開かなかった。

「コンソールが開かない……?」

「こ、こっちもです。たっちさん」

「一体なにが……」

 混乱するモモンガとたっち・みーに、第三者の声が割り込んだ。

「ああ、たっち・みー様! よくぞご帰還してくださいました! ナザリックの全ての者を代表し、お祝い申し上げます!」

 ぎょっとして見た先では、ひれ伏した体勢のまま、顔だけあげたアルベドがはらはらと涙を流しながら、たっち・みーを見つめていた。

 歓喜に満ちた声音、その溢れんばかりの感情が滲む表情。

 突然マネキンが人間になったかのような感覚だった。作りものでしかなかったものがはっきりと自分の意志を示し、言葉を発している。

 いまだ頭の中では混乱していたが、たっち・みーはそんな彼女に対して、何かを言わなければならないと感じた。半ば夢を見ているような気分ではあった。

「あ、ああ……ありがとう。アルベド。長く留守にしていて、すまなかった、な」

 とっさにそう応じたたっち・みーの対応は立派なものだった。

 しかしそれに対するアルベドの反応は、たっち・みーの想像を超えていた。

「いいえ……! 申し訳ございません。至高の御方々がひとり、またひとりとナザリックをお離れになっていくのは、わたくしたちにはとても理解できないような深慮あってのものと理解はしておりましても、身を切られるような想いでございました……モモンガ様以外の誰も、もうナザリックには戻って来てはくださらないのかと、何度絶望に染まった夜を過ごしたことでしょう……しかし! たっち・みー様はこうして戻ってきてくださいました! これに勝る喜びはございません!」

 相変わらず泣きながら、アルベドは胸の内を吐露していく。そのアルベドの言葉に、たっち・みーはまるでハンマーで頭を殴られたかのような衝撃を覚えた。

(そうか……そうだな)

 少し考えればわかることだ。

(NPCたちからすれば、私は彼らを捨てていったようなものだもんな……)

 恨まれても仕方ない。だが、少なくとも彼女は恨みもせず、ただ戻ってきてくれたことが嬉しいと、涙まで流して喜んでくれている。

 たっち・みーは自然と体が動いていた。アルベドのすぐ近くまで歩み寄り、ゆっくりとその傍に膝をつく。

「アルベド。顔をあげろ」

「……たっち・みー様」

 潤んだ目。豊満な体つき。そして、香しい匂い。

(……匂い? いや、それよりも)

 たっち・みーは顔を上げたアルベドの涙を指の腹で拭うと、その頬を軽く撫でた。

 何をいうべきかを考え、たっち・みーは感じていた通りのことを口にする。どういう口調で話すべきかは悩んだが、相手が従者のような態度を取っているのだから、それに合わせた口調にした。

「お前の忠義に感謝する。そして私の剣にかけて誓おう。二度とお前たちを悲しませはしないと。一度はナザリックから離れたこの身だが、心は常にここにあった」

 完全な嘘ではない。忙しない日々に忙殺されながらも、ナザリック地下大墳墓のことは時々気になっていた。なにせワールドチャンピオンという立場に昇り詰めるほど入れ込んだゲームなのだ。リアルの事情で引退を決め、色々なことに対する未練を断ち切ったあとも、何かと気になってはその迷いを振り払うということを繰り返していた。

 現状どのようなことが起きているのかはわからないが、目の前で泣く女性を慰めることが、いまの自分のやるべきことだとたっち・みーは決めたのだ。

 アルベドに向かって手を伸ばすと、その体を引きよせて強く抱きしめる。

「私を待っていてくれてありがとう、アルベド。私はお前のような配下を持てて幸せだ」

 少し大仰にすぎる気もしたが、それでも本心である。

「なんと勿体ないお言葉……!」

 余計に泣かせてしまった。

 たっち・みーがどうしたものかと思っていると、いままで黙って何かを考えていたモモンガが立ちあがった。それを感じたたっち・みーは、少し慌ててアルベドから離れる。

「アルベド、もう大丈夫か?」

「も、申し訳ありません。たっち・みー様。至高の御方の前で涙を見せるなど……ああ! 私如きの涙で御鎧を汚してしまいました……! 伏してお詫び申しあげます!」

 そのまま放っておけば切腹するとでも言いかねない彼女に、たっち・みーは言葉をかける。

「気にするな。女性に胸を貸すというのは、男にとって名誉なことだから……な」

 思わずそんなことを口走りつつ、たっち・みーはそそくさとアルベドから距離を取ってモモンガの脇に戻る。そして、心の中で自分の妻に謝った。

(……思わず彼女を抱きしめてしまった。すまん)

 そう考えてから、ふと、おかしなことに気づいた。

(ん……? ちょっと待て。なんでいま私はモモンガさんが立ったことに気づいた?)

 アルベドを抱きしめていたたっち・みーは、完全にモモンガに背を向けていた。現実的には、衣擦れの音などで察知することはできるだろう。しかし、先ほどたっち・みーはモモンガが立ちあがったことをまるで直接目で見たかのように確信していた。それはあまりにもおかしなことだ。

 たっち・みーが自分の感覚に戸惑っている間に、モモンガが妙に威厳のある声でアルベドに対して口を開いた。

「アルベド、少し落ち着くのだ。たっちさんが戻ってきてくれたことは私も嬉しい。だが、それを盛大に祝うためにも、先にやらねばならぬことがある」

 アルベドはそのモモンガの言葉に、目元を拭うと改めて臣下の礼を取った。

「はっ! なんなりとお申し付けください。モモンガ様」

 そのアルベドに対し、モモンガは的確に指示を下していく。セバスに周辺を探索させたり、プレアデスたちに八階層からの侵入者を警戒させたり、各階層の守護者たちに第六階層に集まるように指示を出す。

「――また、たっち・みーさんが帰還したことについては、まだ誰にも伝えるな。守護者たちには良い知らせがあるとだけ伝えろ。闘技場に集まったときに直接伝える」

「はっ! 第四と第八階層の守護者にはいかがいたしましょうか?」

「……む。そうだな。その両名は除いて構わん。また、集合時間より前に我らは六階層に向かうゆえ、双子にも連絡は不要だ」

「承知しました」

 命じられたアルベドが玉座の間を退出する。

 残ったモモンガとたっち・みーは顔を見合わせた。

「……いや、すごいですねモモンガさん。まるで本当の魔王様みたいでしたよ。実に支配者然としていました」

「……私も驚いています。けど、不思議とそこまで焦りや緊張がなくて……というよりは、何か一定以上の感情の揺れがあると、それが強制的に抑えられているような……」

「……もしかして、この姿になっていることに関係があるのでしょうか?」

「アンデッドの常時発動型特殊技術……精神安定の効果ということですか? ……なるほど、確かにそれはあるのかも……」

「私も妙に感覚が研ぎ澄まされているようで……さっきモモンガさんが背後で立ちあがったのが見ずに理解できたんです。それももしかすると……習得している特殊技術の影響……?」

「とにかく、まずは何が起きているのかを確認しないといけませんね。アルベドの様子を見ていると、とても仮想現実とは思えませんが……」

「先ほど、たっち・みーさんがアルベドを抱きしめられたことから考えると、どうやらこの世界には18禁コードなるものも存在しないみたいですよね」

「え?」

「だって思いっきり胸に触れてたじゃないですか」

「はい!? い、いや、あれは特にそういうつもりじゃなくって……!」

 慌てるたっち・みーが面白かったのか、骨をからからと鳴らしながらモモンガが笑う。

「ええ。わかっています。けど、そういうつもりじゃなくても、ああいう接触の仕方はユグドラシルではできなかったはずです。そういうことをしたら、すぐさま運営から警告が来たはずですし」

 確かにそうだった。モモンガが的確に現状を把握していることを知り、たっち・みーは自分も落ち着かなければと努めて頭を冷やす。

「……確かに。それにあの感情の表れや命令の理解度、感触や匂い……どれをとっても、とても現在のDMMOでは再現不可能です」

「ナザリックごと、異世界にでも転移したのでしょうか?」

「それにしては、ユグドラシルの……ゲームの要素がそのままなのは気になりますね」

「確かに」

 そう言ってモモンガが手にしていたスタッフから手を放す。するとそのスタッフはふわりと空中に浮かんだ。その様子はゲームの仕様そのままだった。

 手を広げて再びスタッフを手にしながら、モモンガはひとつ息を吐く。

「……とりあえず、何らかの異常な現象に巻き込まれたことは確かです。ひとまずは慎重に進めましょう。私とたっち・みーさんが揃っていれば仮に全守護者を敵に回しても大丈夫だとは思います。アルベドの様子を見る限り、設定通り忠誠を誓ってはくれているみたいですけど。その設定がどこまで絶対的なものかわからない以上は、ひとまず上位者として彼女たちに接しましょう」

「アルベド……」

 たっち・みーはその名前を呟く。設定、と聞いて最後の最後でやってしまった設定の改変のことを思い出したのだ。たっち・みーの呟きを聞いて、モモンガもそのことを思い出したのか、暗鬱なオーラをにじませた。骸骨の体だからほとんど表情の変化はわからないが、たっち・みーはそのモモンガの纏うオーラのようなもので彼の感情を推し量ることができていた。それもまた、以前まではできなかったはずのことだ。

「しまった……こんなことになるんだったら、やらなきゃよかった……」

 苦悶のうめき声をあげるモモンガに、たっち・みーは慌てて声をかける。

「いえ、モモンガさんは躊躇っていたのに背中を押してしまったのは私ですから! どちらかといえば私に非があります!」

 そうたっち・みーが言ったものの、モモンガの纏う陰鬱な空気は晴れなかった。

「いえ、それだけじゃなく……私がたっちさんをこの異常事態に巻き込んでしまったのかと思うと……」

「それこそ、モモンガさんが気にすることではありませんよ」

 巻き込まれているのはモモンガも同じなのだから、それをモモンガが謝罪するのはおかしなことだろう。終了するはずだったゲームの世界が現実のようになる、なんていう異常事態を予想できるはずもない。

 この律儀な友人にそれ以上何を言えばいいのか、たっち・みーは即座に答えを導き出せなかった。

 だから、ひとまずこの場は話を変えることにする。

「モモンガさん、ひとまずその話はおいておきましょう。いまはやるべきことをやらないと」

 そう言われたモモンガは、なおも苦悩していた様子だったが、気持ちを切り替えるように頭を振り、頷く。

「そうですね。いざという時に備えて、魔法や特殊技術がゲームの時のように使えるかどうか確認しないと。意識を向けてみたところ、負の接触などの特殊能力の使い方や切り方はわかりましたけど」

「……あ、だから第六階層に守護者たちを集めたんですね?」

 ただ守護者を集めるだけならどこでもいいはずなのに、わざわざ第六階層を指定した意味がわかった。あそこには闘技場が存在し、戦闘行為を行うのなら一番適した場所だ。

 よくあの短時間でそこまで頭を回したものだと感心してしまう。

「本当は、先にたっちさんの鎧を取りに行くべきかと思うんですが……あそこに行くには、まず自分たちに何ができるか把握してからじゃないと危険です」

 現状、たっち・みーが身に着けている鎧は彼が装備できる最高の鎧ではない。ワールドチャンピオンになったとき、賞品として手に入れた鎧は、現在宝物殿に保管されていた。

 それを取りに行くべきなのだろうが、宝物殿は仕舞い込んであるアイテムを守るために様々なトラップやギミックが仕込んである。特殊技術や能力がどこまで通用するのかわからない現状、そこに行くのは危険であるという判断だ。たっち・みーはそのモモンガの判断を支持する。

「まあ、性能的にはこれでも十分な防御力は発揮します。戦闘だけではなく撤退も視野に入れるなら、この鎧の特性の方が優れた面もありますしね」

 単純に防御力だけを見れば、ワールドチャンピオンの証でもある鎧の方が当然優れている。しかし、それ以外の要素も踏まえて考えると、今の鎧で役目を果たせないわけではない。

 そのことを踏まえていても、心配しているのかモモンガはたっち・みーを安心させるように自分の胸を叩いた。

「私はフル装備ですし、ギルド武器もあります。……いざとなればワールドアイテムを使用してでもたっちさんを守りますからご安心ください」

 力強い言葉でモモンガはいう。そのことをありがたく感じたたっち・みーは、それに甘えることにした。

「ありがとうございます。よろしくお願いしますね、モモンガさん」

「任せてください。……それでは、ひとつずつ確認していきましょう」

 そう言って、まずはこの場で出来ることから確かめてみよう、とモモンガはたっち・みーに提案した。

 

 

 指輪による転移に成功した二人は、第六階層にやってきた。

「ここは確か、ぶくぶく茶釜さんが設定した双子のダークエルフが管理しているはずですね」

 闘技場の中に入りながらモモンガが言うのと、どこからともなく一人の少女が飛び降りてくるのは同時だった。くるくると回って見事に着地し、「ぶい!」と誇らしげにピースをしてみせて……驚愕に目を見開いた。

「た、たたた、たっち・みー様!?」

 ぎゅおん、という音がするほどの速度で、アウラはモモンガたちに走り寄り、ひざまずく。

「たっち・みー様! おかえりなさいませ!」

 アルベドの時は面食らったものだが、そういうものだと理解しつつあったいまは少し落ち着いて対応することができた。

「久しぶりだな、アウラ。長くナザリックを留守にしていてすまなかった」

「何をおっしゃいます! 戻ってきてくださっただけで、あたしたちは十分です!」

「あ、ああ。ありがとう」

 アルベドは最後に設定を弄ったこともあって忠誠心マックスでも不思議ではなかったが、それは他の守護者たちにも言えるようだった。少なくともすぐにどうこうされるということはなさそうだ。そのことを確信したモモンガとたっち・みーは視線を交わす。

 モモンガはスタッフを握る手を緩め、たっち・みーはさりげなく剣の柄に添えていた手を離す。もしも守護者が敵意を持って向かってきた時は全力で攻撃を仕掛け、即座に逃走する算段だったのだ。

「ところで……」

 モモンガが誰かを探すように周囲を見渡すと、アウラもそのことに気づいたようだった。

「あっ……マーレ! 早く来なさい! 急いで!」

 声に切迫したものを感じたのか、それとも彼自身も急いだのか、マーレはすぐに飛び降りてきた。そして駆けてきて、アウラの隣で同じようにひざまずく。

「お、おかえりなさいませ。たっち・みー様」

「ああ、マーレも変わりないようだな。……格好的な意味でも」

「ふえ?」

「いや、なんでもない」

『ぶくぶく茶釜さんの設定へのこだわりは半端ないですからねぇ』

 モモンガがこっそりそう声をかけてくる。

 意思を交わすための魔法である〈伝言〉が効果を発揮し、口に出す必要がなく会話することができるのは確認済みだった。

『いや、それにしても完璧すぎる『男の娘』ですよね』

『まったくです』

 そんなささやきを二人で交わしたあと、モモンガは骸骨でありながら、おほん、と一つ咳払いをして話を始めた。

「今日ここに来たのはほかでもない。少しの実験と……久しぶりにこちらに来たたっち・みーさんの肩慣らしのためだ」

「了解しました! あの、モモンガ様がお持ちになっているそれって、伝説のアレですよね!」

「ああ。これぞ我がギルドの誇る最高位のギルド武器、スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウン!」

 子供がおもちゃを誇るように、モモンガが解説を始める。たっち・みーは本当にモモンガがスタッフを自慢しているのを感じて、思わず口元を緩めてしまう。

 長い説明を嬉々として続けるモモンガに悪いとは思いつつ、たっち・みーはやんわりとそれを遮った。

「モモンガさん、楽しいのはわかりますが、いまは……」

「あっ、そうですね。すみません。つい自慢したくなってしまって」

 慌ててモモンガは説明を打ち切り、真剣な表情で聞いていたアウラとマーレに命じる。

「まあ、そういうわけだ。この杖の性能を試したい。人形を用意してくれるか?」

「わかりました!」

 そうして用意された人形をモモンガは〈火球〉で焼き払った。どうやら魔法の使用に問題はなさそうだ。それを見て、たっち・みーもまた自分の内に意識を向けてみる。

(うん……問題ない。特殊技術の使い方もわかる)

 無数にある特殊技術をどう扱えばいいのか、はっきりとわかる。

 たっち・みーがひとり満足していると、モモンガが手にした至高の杖を掲げる。

「〈根源の火精霊召喚(サモン・プライマルファイヤーエレメンタル)〉」

 杖の力のうちの一つを使用し、炎の精霊を召喚する。その放たれる熱気は、これまで経験したことのないレベルで、たっち・みーは思わず腕で顔をかばった。

 恐ろしく強そうなモンスターだが、たっち・みーはさほど怖いとは感じなかった。しかし、それも当然だ。ゲーム内の常識に照らし合わせてみれば、この程度のモンスターはひたすらマラソンで狩れる程度のレベルなのだから。

「たっちさん。これと戦ってみますか? ……万が一の時はすぐ止められますから」

 後半はこっそりと囁かれた。守護者たちに聞こえないように配慮したのだろう。

「ええ、やりましょう」

 そう言ってたっち・みーは数歩前に出る。自分がこの世界でどの程度の動きができるのか確かめておく必要がある。手元に自分専用の武器はないが、代わりに手にしている武器はある。全開には程遠いが、80レベル程度の炎の精霊なら十分すぎる。ゲームの知識に則ってそう判断する。

「たっち・みー様の戦闘を再びこの目で見られるなんて……!」

 アウラとマーレが、とても期待した表情で見つめている。

 たっち・みーは少し考えて、双子の期待に応えるためにも、自分の持つ最高峰の技を放ってみることにした。

「根源の火精霊よ! たっちさんを攻撃せよ!」

 モモンガに命じられた炎の精霊が、たっち・みーを焼きつくさんと迫る。

 だが、一閃。

 纏う炎も何も関係なく、たっち・みーに迫っていた炎の精霊が真っ二つになった。とはいえタフネスが相当ある炎の精霊が、一度で斬り殺されるわけはない。すぐに断面同士がくっついて再生してしまう――はずだった。普通に切っただけならば。

 しかし、たっち・みーが先ほど放った一閃が切り裂くのは、物体ではなく空間だ。

 

「〈次元断切〉」

 

 ワールドチャンピオンという職業を最終レベルまで鍛え上げることで習得できる、超弩級最終特殊技術。その破壊力は当然、ユグドラシルの数ある特殊技術の中でも随一である。

 空間ごと切られた炎の精霊は、再生することもできず、一太刀で消滅した。まるで裂けた空間に呑みこまれるように、その身から零れていた炎の端まですべて消えてしまったのはたっち・みーにも予想外だったが。

 空間が切断されるほどの力の前に、炎の精霊では一秒耐えることもできなかった。

「……よし、問題なさそうだ」

 圧倒的な実力を見せつけたたっち・みーは、特にこびりついているものもなかったが、血振るいをするように剣を一度振るうと、元のように剣を鞘に納める。

 そしてあまりにもあっさり炎の精霊を切り捨ててしまったことに気づいて焦った。

(しまった……もっと色々試してみるべきだった)

 そう思っても後の祭り。スタッフの力であの精霊を召還できるのは一日に一度だけだ。

「すみません、モモンガさん。ついやりすぎてしまいました」

 そう言ってたっち・みーが見守っているモモンガたちの方をみると、アウラやマーレはともかく、モモンガまで感激したような顔でたっち・みーの方を見ていた。

「すばらしい……これぞ、たっちさんだ……」

「モモンガさん?」

 たっち・みーが声をかけると、モモンガはハッとしたように正気に戻る。

「ああ、すみません。つい感動してしまって……」

 アウラとマーレに至っては言葉もない、という様子だった。少し照れながらたっち・みーは元のようにモモンガの近くに歩いていく。

「つい一撃で倒してしまいましたが、どうしましょう? まだ守護者たちがくるには時間がありますよね?」

「そうですね。一応最低限の確認はできましたし、実験や肩慣らしはよしとして、あとはのんびり待ちましょうか。……あ、ちょっと待ってください」

 そういってモモンガは中空に手を突っ込む。アイテムボックスを開いたのだとたっち・みーにはわかった。

 そこから取り出されたのは、無限の水差しだ。同時に人数分のコップも取り出される。

「たっちさん、どうぞ。アウラとマーレも飲むといい」

「ええ!? そ、そんな至高のお方に注いでもらうなんて!」

「お、畏れ多いです! それに、何もしてないですし……」

 あまりにも恐縮するので、見かねたたっち・みーは二人に声をかけた。

「実験のための準備をしてくれただろう? せっかくモモンガさんが用意してくれたんだ。一緒にありがたくいただくとしよう。それに、誰かと一緒に飲んだ方が私も美味しく飲めるしな」

 そういうたっち・みーに、モモンガが口添える。

「アンデッドは飲食不要だからな。私の代わりに飲むと思えばよい」

「は、はい! では、ありがたくいただきます!」

 ゴクゴクと水を飲むアウラと、ちびりちびりと水を飲むマーレ。水を飲む仕草にも二人それぞれの個性が表れていた。それを満足そうに見たたっち・みーも、同じように水を飲む。キンキンに冷えた水は喉を通って胃に滑り落ちていく。

 顔には出さないようにしながら、たっち・みーは少し考え込む。

(モモンガさんはアンデッドだから飲食も、睡眠も必要ないのか……元の人間からかけ離れているな。精神に対して大きな影響がなければいいが……気をつけておかないと)

 そういう意味では、たっち・みーの種族はまだ人間らしさを有しているといえる。睡眠も必要だし、飲食も同様だ。疲労については、前衛職だっただけあって様々なスキルを取っていてほとんど無視できるレベルになっている、睡眠や飲食もアイテムによって不要にできるはずだが、それによって果たしてどのような影響が出るのか、想像もつかない。

(ひとつひとつ、確認していくしかないな……)

 そう考えるたっち・みーの前では、アウラがモモンガのことを「もっと怖いのかと思ってました」といって、モモンガがそれに応じていた。最終的にぽんぽん、とアウラの頭を撫でているのを、マーレがうらやましそうに見つめていた。

 そんな微笑ましい様子に、自分の子供のことを思い出してしまい、少しだけ暗雲とした気持ちになる。

(今の段階ではどうしようもない以上、向こうのことを気にしてもしかたないとはいえ……向こうがどうなっているかが気になるな)

 精神だけこの世界に転移してしまっているのだろうか。それともあるいは、自分たちはコピーされた存在で、本物の自分は何事もなくログアウトしたのと同じ状況になっているのだろうか。時間が止まっているということもありえなくはないかもしれない。少なくとも時間の流れが違う可能性は大いにありうる。

(……いずれにせよ、情報が必要だな)

 たっち・みーが改めてそう決意したとき、闘技場に〈転移門〉が開いてその中から小柄な少女が姿を現す。

「おや? わたしが一番でありんす……かぁ!?」

 妙な言葉使いが特徴のシャルティアの語尾が素っ頓狂なものになった。もちろんその理由は一つだけだ。

 シャルティアは不自然に盛り上がった胸が揺れるのもかまわず、大急ぎでモモンガとたっち・みーの傍に近づくと、膝をつく。

「たっち・みー様! お戻りになられていたのですか!」

「シャルティア。息災そうでなによりだ」

「アルベドがいっていた「良い知らせ」とはこのことでありんすか……! これは確かに良い知らせ! このシャルティア、至高なる御方の帰還を心からお喜び申し上げます!」

「……そうか。ありがとう」

 そうたっち・みーは答えながら、罪悪感に胸が締め付けられる思いだった。こんなにも自分たちを慕ってくれる者たちを、どうして私たちは捨てるような選択をしてしまったのか。

 忠義はとても嬉しいし、帰還を喜んでくれるのはありがたい。けど、たっち・みーの心には自分の事情で彼らを見捨てたことによる罪悪感がひしひしと積み重なりつつあっった。

『たっちさん。あまり気に病まずに』

 たっち・みーの心を読んだかのようなタイミングで、モモンガからこっそりと〈伝言〉が入った。たっち・みーもそれを用いて言葉を返す。

『……しかし、モモンガさん。私は……』

『ギルドの皆が引退していったのは、決して自分勝手な理由からではありませんでした。飽きてやめたという人は一人もいなくて。たっちさんのように子供が生まれたから、ぶくぶく茶釜さんやペロロンチーノさんのように夢を叶えたから、ヘロヘロさんのように転職して寸暇を惜しんで働かざるを得なくなったから……そういう事情ばかりです』

 41人もいれば、そういうわけではなく勝手な理由で辞めた者がいてもおかしくない。けど、皆そうではなく、ただやむを得ない事情がそれぞれにあったからだった。それはそのすべてのメンバーを見送ったモモンガだからこそ、断言できる言葉だった。

『だから、ギルドは、アインズ・ウール・ゴウンは、ギルドメンバーが再び戻ってきたことを歓迎します。ギルドマスターの私がそう決めているのですから、NPCたちに文句は言わせません』

『……ありがとうございます。モモンガさん』

 たっち・みーはそう言うことしかできなかった。これからこのナザリックのために尽力していくことを胸に誓いながら。

 

 その後現れたコキュートスともシャルティアと同じような会話を繰り広げたのち、アルベドと最後の階層守護者デミウルゴスが現れた。

 彼を制作した人物とは、たっち・みーは色々な思いがある。そのせいなのか、デミウルゴスも他の守護者たちと同じく、たっち・みーの帰還を喜んでくれてはいるようだったが、その立ち振る舞いはそれまでの守護者に比べるとどこか距離を取っているようなものだった。

(あー……これはちょっとまずいかもなぁ)

 彼の創造主であるウルベルトとはリアルの事情から折り合いがつかなかった。そもそもがロールプレイの方向性が百八十度違ったのだから無理らかぬことだが、こうしてナザリックが現実となった今、デミウルゴスとの関係も考えずにはいられない。

 下手をすればたっち・みーが原因でデミウルゴスがナザリックを裏切るという可能性も大いにあり得るのだ。ナザリックの中でも切れ者のデミウルゴスが裏切る事態になれば、それは大いなる損失を生み出す。

(あとでモモンガさんに相談しよう……)

 そう考えるたっち・みーの前で、モモンガが階層守護者と言葉を交わしている。

 そして、しばらくしたところで周囲の偵察に出ていたセバスが現れた。一部の隙もない、執事の鏡のような存在。たっち・みーはああでもないこうでもないと彼を設定したときのことを懐かしく思い返していた。完璧な執事として設定したのだから、その完璧な仕草も納得だ。

 そのセバスは闘技場に入ってすぐ、口を開いた。

「モモンガ様、大変遅くなって申し……っ!?」

 あろうことか。

 完璧な執事として設定されているはずのセバスが、モモンガに対する挨拶の途中で言葉を切るという大失態を犯した。

 その毅然とした表情は完全に崩れ、驚愕の表情をたっち・みーという存在に向けている。モモンガに対する不敬とも取られかねない行為だ。実際、守護者たちから微かな殺気が立ち昇る。が、その殺気にはどうにも迷いがあった。

 おそらくは自分に置き換えて考えているのだろう。もし自分たちの造物主が突然目の前に現れて、彼と同じ反応をしないでいる自信がないのだ。気持ちはよくわかる、という奴である。

 たっち・みーは自分からセバスに何か言葉をかけてやるべきかと迷う。

 だが、たっち・みーが迷っている間に、セバスは表情を改めると、常のように優雅な物腰で近づいてきて、静かに膝をついた。

「大変失礼いたしました。モモンガ様。たっち・みー様、無事なご帰還をお祝い申し上げます」

 モモンガはあえて答えず、たっち・みーに発言を譲った。その方がいいだろうという判断だろう。その配慮に甘えて、たっち・みーはセバスに声をかけた。

「ああ、ご苦労。セバス」

 色んなことに対する思いを込めて、たっち・みーは労いの言葉をかけた。

「勿体なきお言葉……っ」

 ぐっ、と言葉に詰まったように、セバスの語尾は潰れた。ふと、たっち・みーは地面に着いたセバスの手の手袋にかすかに血が滲んだのを見て、冷や汗を浮かべる。

(あ、あれ? もしかして……セバス、ものすごく怒ってる!?)

 手袋をしているのに、拳の握りしめすぎで血がにじむなど、半端なことではない。捨てていってしまった自分を恨んでいるのかと本気で焦った。

 セバスの様子に気づいているのかいないのか、モモンガがセバスに尋ねる。

「セバス、お前の見たことを報告してくれ」

「はっ。まず、ナザリックの周辺ですが――」

 沼地から草原に変わってしまっていることや、知的生命体が確認できなかったことなど、セバスは淡々と報告をしていく。有能な執事らしい報告を聞きながら、たっち・みーは本気でどうしたらセバスに許してもらえるか頭をフル回転させていた。

 その間に確認や指示が終わり、モモンガは満足したように頷く。

「……さて、ひとまずはこのくらいか。各員、無理をしないように動くように。それから……最後に皆に聞いておきたいことがある。各員にとって、私とたっちさんはどのような存在だ?」

 その問いかけを耳にして、たっち・みーは思わず「それを訊くの?」と思ったが、しかしすぐにそれは確かに聞いておくべきことである、と思い直した。守護者たちが自分たちをどんな風に認識しているかをきちんと把握しておかなければ、彼らに幻滅されて裏切られる可能性があるからだ。少々直接的に聞きすぎな気もするが、彼らがどういうことを自分たちに望んでいるのか、少しでも把握するきっかけになるだろう。

「まずはシャルティア」

「モモンガ様は美の結晶。たっち・みー様は強さの結晶。いずれも輝きの方向こそ違えど、まさにこの世界で最も美しく、お強いお方であります」

「――コキュートス」

「守護者各員ヨリモ強者デアリ、マサニナザリック地下大墳墓ノ絶対ナル支配者ニ相応シキ方々カト」

「――アウラ」

「モモンガ様は慈悲深く、深い配慮に優れたお方です。たっち・みー様は至高なる力を正しく振るえる熟慮に満ちたお方です」

「――マーレ」

「お、お二人ともすごく優しい方だと思います」

「――デミウルゴス」

「モモンガ様は賢明な判断力と、瞬時に実行される行動力も有された方。たっち・みー様は信念を貫き通す強固な意志力と、それを実行する胆力に満ちた方です」

「――セバス」

「モモンガ様は至高の方々の統括に就任されていた方。最後まで私たちを見放さず残っていただけた慈悲深き方です。たっち・みー様は私の敬愛する創造主であり、再びこの地に戻ってきてくださった恩情溢れる方です」

「最後になったが、アルベド」

「モモンガ様は至高の方々の最高責任者。たっち・みー様は至高の方々で随一の戦闘能力を有する方。お二方とも最高の主人と呼ぶのに相応しいお方……そして、お二人とも私の愛しい方です!」

 守護者全員から向けられる、嘘のない、ただただ純粋な高評価。

 モモンガは鷹揚に頷いた。内心は、ともあれ。

「……なるほど、各員の考えはよくわかった。これからも我らのために忠義に励め」

『たっちさん。円卓の間に転移しましょう』

『了解です』

 そういってモモンガとたっち・みーは同時に円卓の間に移動する。

 そして、モモンガは壁に手をついて深く息を吐いた。

「疲れた……え。なにあいつら、あの高評価」

「いや……これは正直、予想以上でしたね……みんな目が本気でした」

 本気と書いて、マジ。

 それだけの高評価を崩さないようにするにはどうしたらいいのか、モモンガもたっち・みーも思わず途方に暮れてしまう。

 そして、たっち・みーにはそれだけではなく、頭を抱えたくなるようなことがひとつあった。

「……それにしてもセバスはどうしたものでしょうか」

 ワールドチャンピオン、ユグドラシルの世界でも屈指の実力者であるたっち・みーが、あまりにも途方に暮れた声を出すのを、モモンガは不思議そうに見た。

「……? どうしたものか、とは?」

「確実に怒ってますよね……私だって親に見捨てられたら怒りますよ……皆の前では敬愛する造物主だと言ってくれましたけど……どうしたら許してもらえるのか……」

「…………」

 モモンガは沈黙を保った。その反応にたっち・みーはやはり自分の想像はあっていると確信する。

(モモンガさんもおいていかれた側だもんな……セバスの気持ちはよくわかるということか……)

 ごほん、とモモンガは意味のない咳払いをする。

「と、とにかく……私たちは彼らが望むように、上位者として彼らに接する必要がありそうです。そうしている間は反乱などは起きないでしょう」

「そうですね……幻滅されないようにしないと……いや、もう私はされてるか……ふふふ……」

 自虐に走るたっち・みーなどめったに見られるものではない。

 モモンガは目に見えた仕草で慌てた様子だった。

「……えーと。たっちさん。お疲れなのでは? 一度お休みになった方がいいかと。休んだらいい考えも浮かんでくるかもしれませんよ?」

「ええ……すみません。そうさせていただきます……色々と決めなければならないこともあるのに……申し訳ない……」

「大丈夫ですよ。ひとまずナザリックの隠蔽作業が終わらないと動きようがないですし、色々整理して考える時間はいずれにしても必要ですからね」

「はい……ありがとうございます」

 本当に頼りになるギルドマスターだと思いつつ、たっち・みーは第九階層の自分の部屋へと向かった。

 その背中を、笑っているような困っているような、何とも言えない微妙な気持ちでモモンガは見送るのだった。

 

 

 

 




守護者たちやセバスの心情描写についてはしばらく先になります。
まあ、大体予想されている通りだと思います(笑)。




改訂点(2015/09/02)
・動き出したNPCに対するたっち・みーの反応や理由などを追加。
・たっち・みー本来の鎧を最優先で取りに行かない理由を追加。
・第六階層への転移前に「その場で出来ること」を確認している描写を追加。アイテムボックスや〈伝言〉などはここで確認している扱い。



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