全て許される日   作:ぽー

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9.約束を返しに

「おやすみ、咲夜」

「おやすみなさいませ。お嬢様」

 お嬢様の部屋を辞去すると、そのまま扉の外でしばらく私は、あるかなきかも分からない呼び声を待った。寝付けず、温かい飲み物をお求めになることもあるし、話し相手を務めることもある。本当にお休みになられるまで控えているのは、たとえそれが徒労であっても苦ではない。

 紅魔館では夜明け前が最も静かである。白み始め、そして鳥のさえずりが鳴り始めるまでのわずかな間、館は完全な沈黙に閉ざされる。物音一つ立たない、蝋燭の揺らめく影だけが踊る薄暗がりの世界は、終末前夜の趣きさえある。そこに一人、私は束の間かりそめの死を味わうのだ。

 日が全く現れる時間を目処に、私は一階に下りていった。窓はなく、外の様子がおぼつかない館内では、体内時計の正確さが仕事のクォリティを左右する。お嬢様がお休みになられてからも、仕事は山積みである。清掃から始まり洗濯、食事の用意。そしてお嬢様だけではなく、館に住まう全ての人々にも各々の生活があって、間に二刻の仮眠を取る以外、私に休みはないのが常だった。

 ただ最近は下のメイドたちへの割り振りを増やしているため生活に余裕が出来た。いつもはバタバタと腹に収めるだけの食事も、余裕があれば相席を求めたくなるのが年老いた証だろう、私はここしばらくの習慣に則って、美鈴を探して表へ出た。

 陽射しは痛いほどに私を刺激した。散歩がてらに寂しい庭園をぐるりと一周して、私は門へむかった。

 美鈴は一人でいつものように日課をこなしていた。頭と肩に一羽ずつ雀が羽を休めていて、時折、ちっち、ちっちとさえずっている。雀たちが飛び立たないのは、動いていると気づかないくらいに肢体の動きが安定し、緩やかだからだろう。

 私もその様子を眺めながら雀のように立ち尽くしていたが、自分は雀などではないのだ、という突如として口の中に滲み出した屈辱の味が、私の自尊心を不愉快にもなじった。

「朝から精が出るわね」

 私の一言に雀は驚き飛びたち、美鈴は動きを止めてこちらを向いた。顔を真赤に上気させて、額から大粒の汗を滴らせている。湯気が肩口から立ち上り、冷たい朝の陽の光を逆光にして揺らめいている。私は眩しさに目を細めながら、使わなかったタオルを放った。

「滅相も。趣味ですから」

 その笑顔が、鳥たちへの浅ましい弱い者いじめを優しくたしなめた。並んで屋敷に戻りながら、つややかな朝の空気で肺を一杯にひやした。

「水浴びするんでしょ?」

「いや、咲夜さん今から朝ごはんですよね。せっかくだからご一緒しようかなあ? なんて。風呂は後でもいいかなあ? なんて」

 けど汗臭いと嫌ですよね、などと答えも聞かずに勝手に肩を落として風呂場に向かう背の高い赤髪に、待ってるから急ぎなさいと追い風を当てた。言葉の風は目にも止まらぬ早さで、美鈴を連れ去っていった。

 大急ぎでやってくるであろうが、私は美鈴が汗を流している間に朝食の支度を全て済ましてしまいたいと思った。軽くとも譲れない意地である。

「メイド長!」

「いいの。いいから」

 キッチンメイドが私の世話を焼こうと慌てて飛んできたが、断固として送り返した。メイドは主にのみ仕えればそれでいい、私は今やメイド長としての務めも長く、下の者からは無用に畏まられるが、気構えはただお嬢様に傅くだけであった侍女のときから何一つたりとも変わっていない。

 家臣用の賄いのためにこしらえられた大量の具材の中から、野菜を取り出すと私は手早くサラダにして盛った。チーズを削って、塩とオリーブオイルとレモンの汁で作った簡単なドレッシングをかける。薪がまだ消えていなかったので、オーブンにパンを放り込んでから、その上に薬缶を載せて湯を沸かす。ゆで卵が残っていたから輪切りにしてサラダに足した。ベーコンは鉄串に刺してから、居間の暖炉に添えてあぶる。薪の予備が随分と減っていたので、私はメイドの一人を使いに出した。

 お嬢様がお使いになられるテーブルではなく、使用人の控え室の簡素なテーブルに出来たそばから運び込んだ。紅魔館ならではの造りだろう、通常の屋敷とは違い、使用人の部屋が東を向いている。朝日がまぶしく、耐えかねて私はわずかな隙間を残してカーテンをしめた。館でたった一つっきりの窓だった。

 パンにはバターをのせ、蜂蜜を添えた。ベーコンは厚切りにして全て美鈴の皿に盛りつける。一塊もあるが彼女ならぺろりと平らげてくれるだろう。最後に、ようやく沸いたお湯で、たっぷりの紅茶をいれた。

 紅茶の蒸らしを終え、いざというまるで見計らったようなタイミングで待ち人はやってきた。水浴びをした割に火照っている。髪の拭き方はぞんざいで、水気が朝日に照ってキラキラしていた。

「私の勝ちね」

「負けました」

 何をもっての勝ちか負けか、言うまでもなく伝わっていることこそが喜びだろう。

「ちゃんと拭きなさいよ」

「妖怪は風邪ひきませんよ」

「見てるこっちが寒いのよ」

 本当はしばらく暖炉の前にくくりつけておきたいところだけれど、それではせっかくの料理が全て台無しになってしまう。美鈴を座らせ、タオルでわしわしと拭うとアップにまとめてタオルで包んだ。

「おお、すごい。手早い!」

「当たり前でしょう、こんなの。後で暖炉の前で乾かしなさい」

「ううん、母親みたい」

 母と子よりも、もう祖母と孫のような年格好なのよ、とは言わなかった。誰も嬉しくない冗談はただの皮肉にも劣る。

「馬鹿なこと言ってないで、食べるわよ。せっかくのパンが冷めちゃってはいけない」

「美味しそうだなあ。いただきます!」

「おあがりなさい」

 パンにたっぷりと蜂蜜をかけて、美鈴は頬張った。勢い良く食べるくせに下品ではないから、一緒に食卓を囲めると嬉しいし作り甲斐がある。私は紅茶に砂糖一匙と温かいミルクを入れ、美鈴はいつものように練乳をといた。

 結局、サラダもほとんど美鈴に片付けてもらった。私はパンを一切れ食べただけで随分と満たされたのであった。自分が食べるよりも、誰かに食べてもらう方が満たされるほどだ。

 食事を終え、さてもう一杯紅茶のおかわりを、と思った時であった。霧雨魔理沙は相も変わらぬ唐突さでやってくると隣の椅子に腰掛けた。

「無用心だねえ。門番不在でどうするよ」

「そうね失態だわね」

「帰ってきてそうそう泥棒!?」

 美鈴は腹を抱えながら大笑いをしていた。

 失態といえば失態である。私は笑いでひきつる美鈴を門に追いやってから、紅茶を入れなおした。モノクロームの魔法使いは毎日来てるぞというような馴れた様子でくつろいでいるが、実際は二十年ぶりの来訪で、私は妙な時間感覚の齟齬に胸が高鳴った。

 霧雨魔理沙は紅茶に砂糖を二匙こぼしてレモンを浮かべた。スプーンでレモンの果肉を押しつぶす仕草は子供のようであった。しわのある、骨も浮いた手でそうするのだから、心の幼さがなおさら際立つのであった。

「で、用件を承るわ」

「おいおい、まずは世間話の一つでもするんじゃあないのかい?」

「初めにルール違反をしたのは貴方よ?」

「なんかしたっけ」

「ノックを忘れてるわ」

「そいつぁ失敬」

 黒い三角帽をくるくると回しながら魔理沙は不敵に笑った。服にも帽子にももうレースやフリルはついていない。霧雨魔理沙は絵本の中の悪者のように全くの魔女だった。

「で?」

「ああ。こいつをね。よっこらせ」

 魔理沙は背負っていた二抱えもある袋をテーブルの上に載せた。はっとして、私は止めようとしたが制止を聞く間もなく魔理沙は袋の結いを解き、案の定、もうもうとした埃を巻き上げた。

「ちょっと!」

「わはは、すまん。すまん」

 袋を奪い取ると、すぐさま結び直して私は庭に運び込んだ。じろじろとメイドたちが物珍しそうに立ち止まっては見て行く度に私は恥ずかしさに真っ赤になった。恥をかくついでである、彼女たちに食堂の掃除をお願いしてから、私はへらへらと遅れてついてくる魔理沙に散々の小言を食わせた。

「盗るだけ盗って、いざ物を返すとなってこれ!?」

「まあ許してくれよ。いいことしているんだからよ」

「いいことですって? 当たり前のことをしているだけでしょう」

「悪戯っ子が普通のことやると、それは褒められることなんだ」

 減らず口は年を経ても変わりない、磨かれるばかりだ。

 庭に出て改めて袋から本を出した。全部で何冊あるか、何十年も借りっ放しにした分量がこれかと思うと意外に少ない気もするが、全て現存しているという前提が間違っているのかもしれない。

「しかし、貴方が返すなんてね」

「約束したとおりさ」

「約束?」

「盗人扱いされたときに言ってたろ。死ぬまで借りてるだけなんだ、ってな」

「で?」

「まぁもうこんなおばあちゃんですからね。色々思うわけだよ」

 その気持ちわからないでもない。むしろとてもつよく共感した。

 とにもかくにもあの埃の量を見るに虫干しが必要であろう。魔理沙と二人で、袋をそのまま下敷きに私たちは一つずつ埃をはたいた後に表紙を開いて並べた。老いて黄ばんだ本のページから、クリームのように甘いかびの匂いが立ち上っては紫外線に焼けていく。

 大量にあった本を並べ終えると、私たちは揃って腰を下ろして涼風に身を休めた。空は青く晴れ渡り、生い茂った枝の隙間を鳥が飛び、その後を妖精が追いかけていった。妖精の名を私は思い浮かべることが出来なかった、顔を判別出来なかったから。いつ頃からか目までぼやけ始めていて、すでに裸眼では活字を追うこともままならない。

 私たちは無言で憩うていたが、霧雨魔理沙は一向に口を開こうとしない。白々しく青い空を見上げて目を細めている。自分からこぼす弁解が苦であるのなら、水を向けてやるのがせめてもの情け、優しさだろう。

「さて」

「うん」

「そろそろいいわよね」

「いや待って欲しい」

「無理」

「こらえしょうないね、咲夜」

「いいから吐きなさいよ」

「……言いにくいんだから整理させろよ」

 私の要望を、魔理沙はしっかりと理解していた。

 宴会の夜、なぜ魔理沙は霊夢を怒らせたのか。

 私が八意永琳に隣の部屋で診察を受けたとき、隣室で起きた悶着は丸聞こえであった。

 慌てて襖をあけた私は、あまりの驚きに夢なのかとさえ思った。

 霊夢の怒りは凄まじいものだった。外に発散することはなく、内にこもり、ひたすら内燃していく彼女の怒りは、その表情が静かであればあるほど周りに熱を伝えた。霊夢の目尻から涙があふれ、頬のしわにそって流れ落ちたときも、それが悲しみではなく怒りのあまりの涙なのだということを疑いもしなかった。霊夢は一言魔理沙に、出て行け、としか言わなかった。

 結局三日三晩続いた宴会だったが、その場を去った魔理沙はもう再来することはなかったのである。

「あの後の気まずさといったらなかったのよ?」

「悪かった」

「何がそんなに巫女を怒らせたのよ」

 私は親指で本の山を指した。あれだけの汚れを払いのけたのだから、真実は報酬として適正であろう。

 魔理沙はしばらく間を空けてから、もったいぶった様子で人差し指を立てた。

「永遠の命って、どう思う」

「迷うわ」

 私は即答した。魔理沙は目を丸くしたが、あのとき襖一枚隔てた向こうにいたのだ。大概の話は聞こえていた。魔理沙の話の予想も、ある程度立っている。

「私なら、迷う。お嬢様、妹様、パチュリー様、メイドたちに美鈴。家族たちを差し置いて、私は一人老いて、体も心もすっかり弱り果ててしまっているの。置いてきぼりにされている気がして、眠れない夜だってあるわ。そして純粋に怖くもある」

 幸福な即死は最上、長く辛い病は下の下である。だが何より、そうして死を斟酌する私こそまさにお話にならない、救いようのない大莫迦者だ。

「霊夢は怒ったよ。霊夢はそういうの潔癖なんだな」

「はぐらかさないでよ。私が聞きたいのは、なぜ魔理沙から言われて怒ったか、よ」

 魔理沙は帽子の縁で目を隠し、表情を隠した。私はその仕草に怒り――最近よく起こす癇癪の何倍もひどい怒りを覚えて、帽子をはぎ取った。

「私だって冗談交じりで聞いたことはある。はっきりと相談したこともある。けれどあんな博麗霊夢は初めて見たわ」

「そう。そしてそんなお前も初めて見るねぇ」

「茶化さないでよ。あんまり怒らせないでよ。疲れるのよ、もうね」

「約束したのさ」

 魔理沙は私から帽子を取り返すと、再び繰り返した。「約束したんだ」

「約束ですって?」

「二十年前さ。私が郷を出る前、霊夢と二人で誓ったんだよ。共に死のう。人として生を終えよう、と」

「だから、怒ったのね。貴方たちそんな約束していたのね」

「霊夢はね、人として死ぬことを選んだんだ。昔、私はそれに頷いたんだ」

「初耳だわ」

「誰にも言わないことまでが、約束だったからな」

 魔理沙は開いたままの本を一冊手にとると、パラパラとめくり、やたらと派手な音を立ててパタリと閉じた。表紙には「多種多様な野草の調理法」と書いてある。魔力を持つものには、きっと別の字として読めるのだろう。

「約束、二回も破っちゃったなぁ」

 呟き、霧雨魔理沙は立ち上がると、うんと伸びをした。座ったままの私からは彼女の顔は背の日が逆光で、まともには見えない。彼女が霧雨魔理沙なのかすら判別出来ないほどの影だった。

「さて、行こうかな。レミリアによろしく」

「パチュリー様には会わないの? 起きてらっしゃるわよ」

「やめとく」

「なぜ?」

「三つ目の約束まで、破っちまうからさ」

 魔理沙は箒を手にとると、涼風にまたがり飛び立った。私は彼女が何を隠しているのかを暴こうと頭をひねったがとんと見当がつかなかった。それはきっと、魔法使いの渾身の隠蔽なのだろう。誰も彼も、自分さえも騙している、種明かしの段になり存分に顰蹙を買ってしまう、取り返しのつかない隠し事なのだろうと、私は読めもしない魔道書をめくりながら、確信した。

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