全て許される日   作:ぽー

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15.白夜異変

 年の明けより二月余りが経ち、春の訪れを待つばかりの日々、郷は白夜と相成った。村の長が私を訪ねてやってきたのは、夜が失われて三日の後であった。長は私の案内も待たずに、戸を開けるや否やまくしたてた。

「こんなこたぁ、とんとありませなんだ。わしゃ村のもんに何と説明してよいか皆目見当がつかんのです」

「いやよく二日も我慢したね。私はそちらに感心する」

 長は私の冗談にも言葉を返さず、兎にも角にも怒り心頭であることを隠そうともせず、蓑を脱ぎ捨てながらぶるぶると頭を振ってはかきむしった。

「茶化さんでくだせえ。また神さんか妖怪のお遊びかと思っておったが、何日も何日もやりすぎじゃ。村のもんは夜が朝になるだの、昼が夜になるだのを一等怖がります。お空の仕組みをかえっちまうなんてそりゃ何よりおっかないことです。先生、全体どうすりゃいいってんでしょう」

「落ち着きなさい」

 私は長を伴って表へ出た。戌の刻で常なら言うまでもなく真っ暗がりだが、空にはこの世のものとは思えない異様な光る帯が幾筋も走っており、それがまるで月をも隠さんばかりに照っている。その輝きは月を束ねて引き伸ばしたようなくらいに明るいものだから、昼とはいわぬが、日暮れてすぐの薄明かりのようが朝まで続くのである。筋は山より高いが雲より低いであろう、私はその真相を半ば承知してはいたが、長にそのまま伝えるのは憚られた。

「博麗神社に伺いを立ててこよう」

「そうしてくださると、わしゃ助かります。ほんに、ほんにありがとうございます」

 博麗神社は元より結果の最果て、獣道であり九十九折であり、妖怪も化物も気兼ねせずに顔を出す。村の者にとっては足掻くにも勇めぬ遙かな聖地だ。当代の巫女が特に面倒見のめの字もない者だから日頃接することもないが、異変を諫め、平穏を取り戻してきた歴々の実績は知らせずとも広まっている。超然としたその在り方こそが、霊験あらたかな拠り所として崇められている所以でもあるだろう。事実、長は私に博麗神社へのつてを頼ってきたのである、胸をなでおろしては安堵に何度も何度も息を吐いている。

 長はまたしつこく念を押しては薄明かりの真夜中をひっ転ばんばかりの勢いで駆けていった。子供のころから何も変わらぬ慌てぶりに、自分の教えが足りなかったのかと少しあきれつつ私も溜息を吐いた。しかし私も、いずれは巫女が解決をするであろうと思って放っておいたこの白夜だが、どうにも催促にいかねばならないであろうと思っていた矢先であった。異変解決の巫女も年をとって腰が重たくなったか、いやはや、在りし日はすぐさま飛んでいったあのお転婆が、今ではすっかり重石のように落ち着き払ってしまっている。それも、先の年の暮れの間際より一層甚だしくなった、何せ新年の挨拶に応えることもなく、来客を追い返すことも増えたというのだからよっぽどである。友の帰還と死が堪えたのだろうか、と私は身支度を整えながらぼんやりと思った。

 明るい夜を渡りながら、もしかすると博麗の巫女は友の喪に服しているのだろうか、と考えたが証はなく詮無い。上空に顕現した夜を惑わす光の帯は、揺れ、たゆたい、月を取り巻いてはかすかに足掻くように身悶えしている。それは未練である。

 神社には何事もなく辿り着いた。おとないを居留守で拒まれると面倒で、書付も用意したのだが、巫女は縁側で茶を飲んでいた。

「これは寺子屋の先生。宵闇の散歩たぁおつな趣味をお持ちで」

「霊夢。夜分に失礼する」

「飲むかね」

「いや結構」

 私は隣に腰を下ろすと、霊夢の姿をまじまじと見た。痩せた。いや老いが色濃く現れているのか。私には判然としなかったが、暗い目の光が異様であった。しかし口調は穏やかなのである。

 私は単刀直入に切り出した。

「霊夢。この白夜はいったいどういうことなのだ?」

「寝付きが悪くていかんよ」

「これは異変だぞ? 見当はついているのか?」

「霊だろう」

 ふん、と鼻で笑いながら老婆は空を見上げた。帯はまた形を変えて、次は月を取り囲んでは回転するようにうねっている。それは死である。または生の残滓である。

「無数の霊があの世から舞い戻ってきたってわけさね。あんたももうとっくに承知だったのだろう、先生」

 人は死ねば、身体と霊魂が遊離し、体は地に還り、魂は冥界にて審判を受ける。いや、人に限ることはなく、遍く命の末路は黄泉路への船着場へ至ると決まっているのだ。魂は夢と現、彼岸と此岸を唯一渡れる命の形。だがその旅路は本来は一方通行のはずで、折り返しの利く都合の良いものなどではない。時折、あんまりに未練がましい魂などは、この世にしがみついては迷惑の種となったりもするが、それも数十年に一度や二度で釣りがくる。まさか宵闇をかき消すほどの群となって舞い戻ってくるなど、狂っているとしか思えない。

「冥界から魂が戻ってきたというのか? そんなことは考えられないぞ。一つ二つなら私だって見たことがある。だが、あの数は尋常ではない。単純に舞い戻ってきたという数ではない」

 夜をかき消さんばかりの白い、霊の帯。世界への名残りはこんなにも鮮やかに輝くのかと思うと私はそれが何より美しく薄ら寒い。

「だったら冥界のぼんくらが仕事をしていないのだろう」

 霊夢はその枯れた白樺の枝先のような指で、天空の魂の帯を指差しながらクルクルとまわした。遠く山の端に冥界に至る、大きな桜の植わった屋敷がある。今回の異変の犯人を、この世とあの世の境目をつかさどる白玉楼だと博麗の巫女は見ているのだろうか。

「動機は? 何十年も前のように、桜を咲かそうとしていると?」

「桜は関係なさそうだがねぇ。あの死に損ないどもの仕業かどうかもわかったもんじゃあないが、火元は近かろうて。ああ、しかしあれから一周したのか。六十年か。早いもんだねぇ。そう、光陰矢のごとしんまんて言葉じゃあ、物足りないくらい」

 心ここにあらず、と言った体で霊夢は茶を啜る。しかし私は思い出話に付き合う気はなく、この異変の解決こそが望みだ。冥界への扉を管理する白玉楼の務めがおろそかであったから、こんなにも霊があふれたというのだろうか? 本来三途の川に渡されるはずの魂が門前払いをされ、人の世に舞い戻ってきたという話もなくはないだろうが、説明には足らぬ気がするし、何よりうつつに飛び火する前に断罪が起きて然るべきであろう。

「それとも、閻魔の尻が燃えているのかね」

 巫女の慧眼は曇ってはいなかった。が、私には新たな疑問が浮かんだ。

「そこまで理解していて、なぜ動かない?」

「応、こりゃ剣呑だのう」

「博麗の巫女の務めではないのか?」

「そうなのかい?」

 鸚鵡返しに、私は言葉を詰まらせた。巫女は薄ら笑いを浮かべながらまくし立てた。

「異変解決は巫女の務めだなんて、一体全体どこの神様がお決めになられたのやらね、私ゃついぞ耳にしたことがないよ。ええ? 先生よ、あんたのお得意の歴史にゃなんて書いてあるんだえ」

 最後の異変がいつだったか、だがそのときは目の前の巫女はすぐに立ち、原因を退けた。それは十年も二十年も前ではない。一体、目の前の巫女に何の心境の変化があって、このような斜に構えた言葉を発するのか私には見当がつかなかった。

「ふん。だがまぁ、明るい夜も飽いた。星の光が恋しいな」

 そういうと、巫女は浮いた。私は何も聞かずに追った。その背中には、気が向いた、以上の意志を見出すことはできなかった。彼女の姿は白い夜に溶け、目を凝らさねばすぐ見失うだろうと思えた。白装束が色を誤魔化すだけとは思えなかった。老いは死を呼ぶ。しかし道すがら、妖精や妖怪の茶々をあくび交じりにあしらうさまは老いてなお矍鑠たるものを感じさせたが、白く霞むその背中は一向にそのままであった。

 急ぐでもなくどこかで捕まるでもなく、冥界の入り口に立ったのは出立から一刻ほどしてからであった。しかし地獄へ至る長い石段を前にして、巫女はやおら歩みを止めてしまった。

「どうした」

「先客」

 言うが早いか、私たちを待ち受けるように二つの人影に気がついた。

「そういうわけよ」

「貴女は、十六夜咲夜」

「に、紅美鈴です」

「よい夜ね、と言いたいところだけれど。これじゃあ格好がつかないわね。人里も大変なのかしらね、先生」

 宵闇を写したようなドレスを身にまとって、吸血鬼のメイドは端正に笑った。対照的に、隣に立つ紅魔館の門番は、あっけらかんに笑っている。

「夜が明るいと、なるほど、吸血鬼の具合も悪かろうというものか」

「お察しの通り」

「さて、それじゃあどうする? あれはあんたらに任せていいのか?」

 はっとして私は顔を上げた。巫女が顎で指し示した先、石段の上で人影がゆらりと姿を現した。冥界の庭師、魂魄妖夢。白い髪が薄暗がりの中でさらさらと揺れている。手に握られた大刀が、無言で私たちへの敵意を示していた。

「ま、ここは私じゃないっすかね」

 中華服の裾を翻し、悪魔の館の門番は一つ二つと石段を上がった。誰も異論を唱えるものはいなかった。霊夢は誰でもよいと手を振っており、十六夜咲夜は微動だにしない。庭師は私たちを見下ろしながら、心底疎ましいと目を細めた。

「ぞろぞろと、忙しいのに不逞の輩どもめ……」

 白玉楼の庭師、魂魄妖夢は腰まで伸びた髪を風になびかせながら、決然と宣言した。

「紅魔館の門番よ、ここは一歩も通さない。斬り捨てられたくなければ退け」

「と、いうわけにもいきませんので。我が館の主は静かな夜を御所望なものですから。そちらこそいい加減安眠妨害やめていただけませんかね」

「なに、慣れれば昼にだって眠れるものさ。それこそそちらのお嬢さんの日々の生活習慣を見習えばよいだろう」

「それはごもっとも……」

 納得してどうする、とその場の全員が内心突っ込んだろうが、直属の上司の呆れたような、あからさまな溜息はひときわであった。しまった、と門番は頭をかくももう手遅れだ、メイド長への挽回は鉄拳によって道を切り開く他ない。

「どいてもらいますよ」

「来るなら覚悟を。私に斬れないものは、もはやない」

「そうですか。だったら私も、殴られて腫れない顔はない、ですよ」

 そう言うのが早いか、巨大な爆発が巻き起こり、埃を含んだ風がもうもうと吹き降ろしてきた。それを二つの人影が突き破り、上空へ舞い上がると、色とりどりの弾丸を放ちあった。直撃はなく、人影は弧を描きながら螺旋状にもつれ合いつつ、交錯し、そしてまた空を華美に染める。

 白夜に交差する弾幕は、常より美しくあるか、否か。私は立ち尽くしただ見上げるのみであった。

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