何一つヒントを逃すまいと、真剣な瞳で少女は私の手元を見つめてくる。
手元には四種のエースが明かされているが、私はそれを少女の確認をとって全て裏向ける。私は山札を何度も切り、さらに少女に切らせては何も細工がないことを印象付ける。一枚、二枚とめくっていき、少女にもめくらせ計八枚を明かした。よい塩梅に偏りのない、何の変哲もないカード群であった。「さていいかい。今から魔法をかけるよ」
「魔法?」
「そう。魔法だ。今二人で選んだ八枚のカードが犠牲になって、四枚のエースを変身させるんだ」
「出来っこない!」
「いい返事だ」
アブラカタブラ南無阿弥陀仏。私は唱えると、右手にした選び抜いた八枚を振り、空中に放り投げる仕草をした。すると八枚のカードは私の右手から放たれる前に虚空へと姿を消した。少なくとも、女の子にはそう見えただろう。
「どこ!」
「さあどこだろう。それより今大事なのはこのエースだ。さあ見てごらん。きっと変身してる」
「うそうそ!」
少女は瞳を輝かせてカードをめくった。一枚二枚、三枚四枚。少女の顔は落胆に歪んだ。
「変わってないじゃん! そのままだよ!」
「あれえ? おかしいねえ。ううん。そうだ、あれを忘れてた。あれだあれだ。あれを忘れてた」
「あれ?」
「おばちゃん、お嬢ちゃんの誕生日を聞くのを忘れてたよ。それが大事な大事なスパイスなのさ。さあ、何月何日で何歳になるのかな?」
「お、お母さん! お母さん!」
少女の母親は、迷惑をかけて申し訳ないと未だに思っているようで、困ったような笑顔と会釈を交互にしながら、ちゃんと覚えていなさいよ、と言い含めながら答えた。
「九月九日よ」
「九月九日!」小さな手を目一杯広げて女の子は笑う。「五歳になったの!」
「そうかい。いい日だ。菊の花に守られた日だよ。とっても良い日なんだよ」
再び四枚を選び、四枚を選ばせた。私はそれを念入りに拝む。
「さて、じゃあこれで条件はピッタリだね」 アブラカタブラ南無阿弥陀仏。唱えて、放り投げてはかき消す。これで犠牲は十六枚。
「さあ、カードをめくってご覧。ハイハイハイ! と勢い良くめくるんだ」
「ハイ! ハイ! ハイ! ハイ! わっ!」
エースであったはずの四枚のカードは、私から見て右からハートの九、クラブの九、スペードのクィーンを挟んで、ダイヤの五に様変わりしていた。
「九月九日、賢いクィーンになれますように。もう冬だけど、五歳の誕生日おめでとう」
目を見開いて驚き叫んだ。全く手品師には極上の客だった。
「すごい! ママ! たまげた!」
「君、たまげたとか変わった言葉使うねぇ。私ゃそれにたまげるよ」
「どうやったの!」
「魔法さ」この決め台詞はいつ言っても気持ちがいい。「私は魔女なのさ」
魔法だ、魔法だ、と大声を上げて飛び跳ねて喜ぶ女の子に、そのカードをは上げるよ、と追い打ちをかけたところ、もう無茶苦茶に飛び跳ねて車両の中を前から後ろへと走りまわった。
「これ、ちゃんとご挨拶して」
「いやあ、大したもんじゃあないからさ」
そのとき全く音沙汰のなかった車内アナウンスが流れた。曰く、一両編成単線ローカルなので滅多なことでは揺れもしないが、走れば危ないので五歳の女の子はご注意ください。途端母親は顔を真赤にして娘を抱きかかえたが、運転手も私も微笑ましい限りであった。
そのとき電車に緩やかな制動がかかり、駅についた。私も目の前の家族も降りない。バスの停留所を飾り付けた程度しかない田舎の駅だった。ホームにはたんまりと枯れ葉が積もっており、野晒しの看板は茶けて錆びている。扉が開いて閉まり、また走り出すまで、一連の流れを私たちは儀式めいたもののように静かに見やっていた。
せがまれて、私はトランプもまるごとくれてやった。女の子は喜んで、向かいの座席に並べ始める。叱ろうとした母親を、まあまあといって私は宥めてやった。
「やんちゃで、もうほんとに」
「元気一番」
「でもすいません、子供に付き合っていただいて」
「いやいや、頼まれたらNOと言えないタチでね」
「おばあさん、昔はマジシャンか何かやってらっしゃったんですか?」
「何をおっしゃる。私は今でも、現役バリバリの魔法使いだぜ」
二の腕をパシンとやる。私は自分の言葉に妙な気分になり、三角帽を深くかぶり直した。そうさ、人間死ぬまで現役なのだ。
「ご旅行ですか?」
「の、帰りだね。里帰りなんだ」
「あら、てっきり外国の方かと」
「ああ。まあ、自毛なんだけどね」
日本の土地に海外からの移住者が増えてだいぶ経つが、それでも金の髪を見れば私でさえも異国の者と思ってしまう。シワは増えても髪の色艶だけ若い頃のままなのは私の隠さない自慢だ。
「どこに行かれて?」
「世界中まわって来たんだよ。死ぬ前に見ておこうと思って、だから帰るのは二十年ぶりかなあ? 日本はたくさん変わったけど、この辺りは変わらんね」
窓の外で夕暮れを迎えつつある田舎風景を眺めた。収穫を終えた寂しい田畑、山裾は冬も近く紅葉も全て枯れ落ちている。それでも鬱蒼とした森、高くも低くもない山の連なりが前から後ろへ流れていく様は温かい。
「お荷物もなしで?」
「いやこれがまたたくさんあってね。荷車に積んでいま電車の屋根の上に置かせてもらってんのさ」
母親は私の話を半分に聞こうと決めたらしく、そうですか、と笑って頷いている。次いで私が貴方たちはなぜ? と水を向けると、自分たちは実家に戻るために、と彼女は呟いては少し寂しそうな顔をした。誰にだって物語はある。特殊な力も特別な運命も必要ない、誰にだって物語はあるのだ。
私は母親にもついでの魔法を見せてあげることにした。
「帽子に?」
「ああ、ほら、手を突っ込んでみな。そして唱えるのさ。アブラカタブラ」
素直に騙される気になったのは、ワクワクした目でこちらをみている娘のせいだろう。彼女は何だか悔しそうに私の言葉に従って、帽子のフリルの中に手を入れた。おっ、とした顔の後で引き抜かれた手には、たくさんの飴が握られていた。
「どうやら甘い魔法がかかったようだ」
「また魔法……おばあちゃんすごい、本物の魔女だ」
子どもがはしゃぐ。母親は手の中をしばらくじっと見つめた後、やはり笑顔で私に感謝を述べた。これ以上できることは何もない。私は帽子をかぶり直した。
やがて終着駅が近づいてきた。ガタガタ揺れる早過ぎる時刻の最終電車は、のろのろとホームに収まった。山が近いから日暮れも早い。電車を降りると同時に、頼りない街灯が灯った。その中で母娘は元気に手を振って、駅から集落の方へと歩いていった。山に囲まれた村はいずれ雪に覆われるのだろうか、すっかり冷え始める山の空気にも優しがあることを祈った。
私は駅員に見つからないうちに荷物を取り戻した。大きな荷車だ。舗装されていない道をしばらく引いて歩かなければならない。夜は一層暮れ始める。出ていくのが満月の晩であるのなら、戻る日は月籠もりの晦日に決まっている。やがてとうとう山道の視界がふさったが、もう私の目には行き着く先が留まっていた。草木におおわれ、誰からも顧みられることのない廃れた鳥居が見えてきた。鳥居は長い参道の頂上で、暗闇に呑まれまいと星の光を飲み込んで朱色に照っていた。
「ほんと久しぶりだ」
秋の虫と、冬の鳥が鳴いている。境界はすぐそこ、目を凝らせば幽界に在る者も見えるかもしれない。
待ち合わせの時間までまだ少しある。私は荷車から箒を引き抜くといそいそと腰を下ろした。「この世界」では魔法や呪い、そういった力を自由に扱うことは許されない。それは幻想郷を出る際にさんざっぱら言い渡されていたし、実際に外に出たあとでも痛感した。とはいえ鍛えなければ衰えるのも当然、とにかく苦労したのが人目につかないように力を使うことだった。
私は時間を留めたり特殊な空間を形成したりといった力の使い方が出来ない。だから時に人里離れた山や森で気兼ねなく能力を使うときも、とりあえずぶっ放すだけではあったけど。
ふわりと浮かんでから、速度を得るまでゆっくりと地を這うように木の周りを飛んだ。そしてやおら舞い上がる。高度を得ると、夕暮れは再び地平線から引きずり出され、輝きを復活させる。帽子が飛んでいかないように片手で抑えながら、私は鴉の群れを追跡し、雲を食べた。地には星屑のような家の明かりがあり、その一つで五歳の女の子が魔法の真似事を試みていることを想像して愉快になる。明星も既に立った。天上天下で星が瞬き始めるこの瞬間、浴びる光を一人独占する私は今きっと世界で誰よりも自由なのだということを噛み締める。
約束の時間だった。私は箒を静かに下ろし、地に立った。どうも、既にそこに居るようである。挨拶もなく、そいつは私も見ずに言った。
「約束は覚えている?」
「ああ」私はまっすぐ目を見ていった。「だからここにいるのさ」
帰還の時だったが、私は後ろ髪引かれる思いをどうしても覚えてしまった。目をつむった。人生の里程標はどうにも印象深く打ち込まれていて、ちょっと気を向けるとまざまざと蘇る。幸せかどうかなんて知ったこっちゃあないが、少なくとも悔いなく生きてこられた誉れはあった。その誉れさえあれば、私は前に進むことができる。
おさらいを終えた私の手を、八雲紫は弱々しく握りしめた。