鳥居をくぐって主賓が到着するより先に、境内ではその日の明るい内から前夜祭がおっ始まった。そもそも文面には「ぼちぼち帰る」としか書かれておらず、いつ何時かははっきりしないのだが、天狗のコマーシャルの効果は劇的であり、続々と集まってきた海千山千の有象無象どもは、霧雨魔理沙の帰郷はきっと今日だ今夜だ、いや今にも帰ってくるに違いない。応。宴を張るなら今時分でなけりゃ間に合わぬ。えいえい応。と勇んでしまい、もう取り付く島もない。酔っ払った馬鹿共に付ける薬は月にもないだろう。
「博麗殿、もっと飲めよ!」
見知らぬ者でも馴染みの者でも――人妖問わず――そうして呵呵として挨拶に来る度に私はうんざりとし、もう挨拶すら返さずただぐい呑を軽く掲げるばかりとなった。
鬼、河童、天狗をはじめとした妖怪から見知った魔法使いに、里の人間、月の兎、はては幾柱か神の姿さえあらせられる。昼夜を問わぬ宴は久方ぶりとはいえ、明けても暮れても鯨飲飽きたらぬ様はもはや如何ともしがたい。すでに面倒の範疇である。誰かが寝静まれば誰かがむくりと起き上がり、酒が切れたと瓢箪を投げ捨てればちょうど手土産担いだ新参がやってくる。私はもう好きなだけやってくれと匙を投げては負けじと飲むことにした。
心持ちいい具合となり、そろそろ誰か本気で潰してやろうか――私の隣に十六夜咲夜が腰を下ろしたのはそう思った矢先であった。
「こんばんは博麗殿」
「それやめてよ」
私が博麗殿などと無闇に敬われるようになってどれほど経つだろう。旧知の間では笑いの種だが、その冷やかしが何より疎ましくもあり、助けでもある。
「もちろん拝殿には寄ったのよね」
「何かご利益があった試しもないくせに、おひねりを欲しがるなんて随分おこがましいわね」
「浅はかな利益ばかり求めてちゃあ益体もない。そりゃあ神様もそっぽ向くわよ」
「何と言われても酒代を寄進する気はないわ」
「貴方に天罰が落ちますように」
本殿奥の母屋にある、河童に改めてしつらえてもらった囲炉裏に誘った。あらかじめ灰に埋めてあった徳利から燗を注いでやる。咲夜は手袋と襟巻きをとくと、かき抱くように湯のみを手で包んだ。
「メイド服はもう着ないの?」
「貴方ね、会う度にそれを言うけれど、あれを着てたのは若かった頃だけじゃない。なんなのよ、お嬢様もさっきそうおっしゃってたわ……無茶にも程があるでしょ」
咲夜が着ているのは黒い細身の品のあるドレスである。似合うがそぐわない。この女の印象はいつでもこまっしゃくれていた頃のメイド衣装である。
「貴方こそあのフリルとリボンがたくさんの可愛らしい巫女服はどこへやったのよ」
「ケッ。あれなんてそれこそ行李の奥でとっくに虫に食われてるんじゃないの?」
「香霖堂の店主にまた作ってもらいなさいよ」
「妖怪どもの笑いぐさになるのは勘弁」
おかわりを注ぐ。返杯をもらう。咲夜にしてはよく飲む。転がっているありったけの徳利に酒を注ぐと、また灰に埋めた。囲炉裏はとことん飲兵衛の味方である。
「ん? 貴方のご主人は?」
「お出でになってるわよ。今日は紅魔館総出」
「かしずいていなくていいのかねぇ」
「最近、私がお傍にいると厭われるのよ。今は違うメイドが控えているわ」
「あらま」
咲夜は事も無げに言うが、よくまあ天狗にすっぱ抜かれていないものだ。紅魔館の主従とうとう破局か、なんて私でも見出しを思いつく程である。
「まぁ仕方ないんだけど」
「レミリアも戸惑ってるんでしょう、親しい者との別れを想像するなんて誰だって疲れるわよ。ましてやあんたとあいつだもの」
咲夜は聞き飽きた、といわんばかりに肩をすくめた。狭い幻想郷では、どうしたって噂話はすぐに回る。
「医者も口が軽いわね」
「その感じじゃあ、他にも誰かから突っつかれたのね」
「お嬢様には直接言われたし、美鈴も何だか気を使ってたし」
「とはいえ今日明日じゃあないんでしょう?」
「まだまだ先よ。ほんと、いい迷惑だわ」
「文字通り死ぬまで続くわよその苦労は。ご愁傷さま」
「その言葉も、私が死ぬまでとっておきなさいよ」
爆発音と悲鳴が震動を伴って響いた。また誰かが弾幕を張っているのだろう。神社の建物さえ壊さなければ何でもいいというのが、博麗神社で宴会が開かれる時の最初で最後の掟である。
「あぁ、いま気づいたけれど、貴方が死ぬときは私が葬式取り仕切るのかしら」
「神社で葬式なんてできるの? 穢れは立ち入れないはずでしょう」
「出向くのよ」
「大した面倒ね」
「や、まったくだわ。だからまあそん時は勝手によろしくやってちょうだい」
「知らないわよ。私いないんだから」
考えてみれば紅魔館で榊を叩くというのも全く滑稽な絵である。
「そもそも、葬式なんて必要ないのよ。お嬢様にもきつく申し上げておかないと」
「バカねえ」
ぐい呑を干した。睨んでおる。咲夜のこういう直情的なところは変わってはいない。
「勝手に死ぬんだから、勝手に弔われることに文句なんて言えるわけないでしょう」
「……それもそうね」
咲夜はただうなずきを返した。徳利を一本引き抜いた。ぬる燗でも、今は何かを口にしていたかった。
「殺しても死ななさそうと評判の博麗殿は、最近お加減はどうなのよ」
「ぶっちゃけると腰がやばいのだよ」
「あらら」
「この土地に隕石が降ってくる日がきたら、何に代えても永遠亭だけは死守するわ」
八意永琳のマッサージなくして、もはやこれより先、私の人生はないに等しくなる。
「年ね」
「やかましい」
「蓬莱の薬を頼めば手っ取り早いんじゃない?」
「そうねほんとに」
幻想郷でなら、不死か、それに等しい限りのない長命となる手段を手に入れることは不可能ではない。それを強く勧めるものも周りにはいた。人間から妖怪に至ったもの、人間のまま不死になったものもいるから、その説得力は中々大したものだった。
延命の薬を飲むのなら、不死の薬を飲まない道理はどこにもないのである。
私は私を非難する言葉たちに、逐一適当なはぐらかしを挟んでは逃げてきて、今この腰である。
「飲もうかねぇ。一粒いくらかしら」
「蓬莱の薬って錠剤なの?」
「さて、今度永琳に聞いてみようかしらね」
「その気もないくせに」
咲夜は笑うが、果たして彼女はレミリアから勧められてはいるのだろうか、と考えた。不死となるのなら吸血鬼に噛まれるのが一番手っ取り早い方法でもある、代償を全くないものとして考えるのなら。当然二人の間では何かやりとりがあったように思うが、私がいちいち混ぜっ返す必要などどこにもないし、無粋、卑怯、根性なしだ。そんなものはやはり私の性分ではない。
そういえばレミリア・スカーレットは私たちが出会った頃よりわずかに背が伸びたように思う。特にここ最近顕著ではないだろうか。数百年変わることのなかった身体が、たった数年で変わることもあるのかと私は一度、紫に聞いたことがある。彼女はある、と答えた。妖怪の身体は精神に強く依存する。そして精神とは、ただ時の慣性に流されているだけでは培えないのだ、とも。伸びた身長の分だけ誰かを想ったということだ。
私はまた、ぐい呑を干した。よく酒が進む。飲まずにはいられない夜もある。このまま魔理沙が来なくても、もう構わないとさえ思い始めた。
そのとき、巫女はどこへ消えた、と大声で騒ぎが始まった。ええい面倒くさい。咲夜は、仕方ない、と言いたげに肩をすくめている。
「外は寒いってのに」
「冷え性には応えるわね」
渋々、私は一升瓶をかついで境内に戻った。どんちゃん騒ぎはまだまだ衰えを知らない。
「でたぁ。でたよ巫女。ギャハハハ。出たよ巫女が! 巫女が出た!」
「でたでたうるさいねぇ。さぁ、飲むわよ。あんたら覚悟しな」
「博麗霊夢が本気になったぞう!」
今度は逆に、歩きまわってから馴染みの顔に注いで回った。まず一番やかましかった河童の連中からつぶした。見知った顔はなるほど多い。様々な異変に手を貸してくれたり、また元凶であったり、訳もわからず邪魔をくれた連中であったり諸々だったが、これほど集まるのだから魔理沙の人望というのもあながち捨てたものではない。そしてそれ以上に、何かにつけて飲みたがる馬鹿共のなんと多いことか。
そうして集まった連中に手当たり次第酒を振舞い何刻経ったか、宴もたけなわ、ややもすると魔理沙の帰郷は今夜じゃあないのか? 前後不覚をまぬがれた者がそう気を配り始めた。だがそれは杞憂に過ぎなかった。霧雨魔理沙は巨大な大八車をお供に、往年の箒にまたがって、とうとう鳥居より現れ出でた。
時を止めたような静けさが満ちる中、霧雨魔理沙はらしい大喝をくれた。
「あらまたひっでぇな、この酔っぱらい共!」
境内は再び大歓声の坩堝と化した。
「そら手土産だ!」
どういう魔法で持ってきたのか、箒からぶら下げた荷物満載の大八車を、宴の中央に遠慮なく落とした。どでかい音を立ててその場にあった酒瓶から肴から妖精たちまで四方八方蹴散らされる。大八車からはここからでも大量に詰め込まれた雑多な品々が見えた。酒瓶、本、よくわからない機械から人形のような物、それに生き物までいるようだ。八雲紫の監査をくぐり抜けられたのかどうかよくわからないが、ここ数年の内でなら最大の移民ということになるのは間違いないだろう。
その惨状の上に両腕組んで仁王立ち、霧雨魔理沙は記憶の中よりしわがれた声で、記憶の中よりも一層輝かしい瞳で叫んだ。
「幻想郷の馬鹿共よう、元気だったか? 戻ったぜ!」
「開口一番それかい! このスットコドッコイ!」
へべれけに返したのは鬼の萃香であった。半斗どころか一斗も二斗もとっくに空けた鬼は、さっきまでとうに見境を失っていたはずであるが、てやんでいと背筋をしゃんとした。
「だぁれがスットコだよ! 碌で無しの飲んだくれが!」
「碌でもねえのはよう、おめぇも大して変わんねえだろ!」
ろれつの回らぬ舌ではそこまでしか聞き取れないが、萃香はなおも悪口を飛ばしながら瓢箪を傾け、飲んでは叫んだ。一句一句ごとにやんやの大騒ぎは広がり、出囃子がごとき賑やかしが辺りに満ちる。
こうなれば最早止めるものなどいるわけもなく、煽られるがままに二人は、月のない星ばかりの夜空をさらに華やかに彩り始めた。無数の色彩入り乱れる弾幕を重ね合い、冬を控えた夜空に季節外れの玉屋を響かせた。
私は、ううん、と腰をいたわりながら何とも言えない気持ちとなって仰向けに寝転がった。
空を舞う彼女が着るのは、往時からの発展を思わせる魔法使い然とした服装。三角帽。跨った五尺余りの箒。そして豊かな金の髪。顔立ちには確かにしわが刻まれているが、紛う事無き霧雨魔理沙であった。
「あいつ何も変わってないじゃん」
私はぐい呑を干しながら、久方ぶりに腹を抱えて大笑いした。