どうも萃香に華を持たされたようだ。
久方ぶりに描いた私の弾幕はものの見事に小さな鬼の土手っ腹にぶち当たった。酔った振りというわけではないだろうが、真に前後不覚の泥酔であればあれだけ綺麗な花模様は描けないであろうから。
「お見事」
「さすが霧雨魔理沙。よし、次はあたいだ!」
「まあ待て待て。まずは駆けつけ三杯といってからだ」
「そうだ、そうだ。おうい! 降りてこいよこそ泥魔法使い」
やんややんやと入り乱れる黒山のたかりだった。私も大声を張り上げなければ声が届かない。
「てめえら、相変わらず無茶苦茶いいやがってえ」
地上に降りると、まずはそのまま三杯あおってやった。老体とはいえ酒を飲めばごきげんだ。周りのやつらが口々に弾幕の批判と賞賛を浴びせかけてくる。真っ先にやってきたのは天狗の射命丸文だった。
「もうすっかりおばあちゃんなのに、相変わらず無鉄砲な戦い方ですねえ」
天狗の娘もあの頃のまま、高下駄であぐらをかいて不敵に笑っている。
「お前も相変わらずゴシップ飛ばしてんのか?」
「誰がゴシップなんか。誠実極まりない幻想郷一のジャーナリストに向かって何たる暴言」
「あたいも、あたいも!」
「まあ待て待て」
せがんでくるチルノの頭をかきまぜてやる。弾幕はまた今度だ。とりあえず今は酒が飲みたい。そして懐かしい顔に挨拶くれて、無駄な話で時間も正気も潰したい。
私は人ごみをかき分けながら進んだ。本当は一番初めに挨拶をしなきゃいけないのだけれど、いかんせん参内するには鳥居からこっち、全員との顔合わせを拒むわけにはいかない。遅くなってすまないとは思うが、機嫌を悪くせずに酒を受けてくれたら本当に嬉しい。
博麗霊夢はいつかのように、あのつまらなさそうな顔で腕を組んでいた。
火照っているのは結構飲んでいるからだろうが、なに、そのせいでちょいと本心が透けてるぞ、巫女よ。
「おかえりなさい」
「いよ。おひさ」
誰かが二つの杯に酒を注ぐ。二人で一気に干した。霊夢はようやく笑う。ああ、私もあんたにもう一回会えて嬉しいよ。星の泳ぐ夜。懐かしい相棒。この酒、格別、というやつだ。
「いやぁ、美味いね……」
「悪かないわね」
「しかし老けたねえ。老いぼ霊夢だね」
「やかましい。あんただって皺くちゃのばばあじゃないの」
「何をう? さっきの見たろ? この活力! 弾幕だってまだまだ張れるぜ」
「みっともない。歳相応の落ち着きというものを、あなた達はいつになったら備えるの?」
横槍を入れてきたのは、誰かと思えば十六夜咲夜だった。
「咲夜か、老けたなあ」
しかし、怪しいまでの美しさの老いだった。それは背筋をわずかに冷やすほど達観した美だった。
「元気そうね泥棒さん」
「懐かしい呼び名だな」
「貴方は相変わらずのようね」
メイド服ではなく黒いドレスだったが、それはもう私を大いに落胆させた。メイド服着ろよと茶化すと、聞き飽きたという風に眉根を寄せては霊夢に笑われた。
「霊夢のあのやんちゃな巫女服も見たいけどな」
博麗神社を統べる幻想郷の要石は、まことに地味な出で立ちの巫女服に収まっていた。
「この博麗殿、いつでも自分は棚に上げるのよ」
「文句あるなら有り金全部賽銭箱に突っ込んでから紅魔館帰りな」
「生臭巫女ね本当」
うるさいと言い捨てると、霊夢は拗ねたように横を向いた。そこで私はまじまじと彼女の顔を眺めた。深いしわがあった。とても深いしわだった。目元から頬骨を迂回して顎から首まである長いしわは、大地を隔てる崖のように窪んだ亀裂は、彼女の目や鼻、髪、声音などよりも断然に彼女を表しているように思えた。
「おいぼ霊夢だね」
私がいうと、博麗霊夢は驚いた風に目を見開き、次いで不満げに眉根を寄せた。やがて最後にシニカルに表情を歪め、だろう? と誇った。その強さは確かに、誇ってもよいものだと思った。
さて、ともったいぶりながらよっこらせと壇上に上がると、博麗霊夢は号令をかけた。
「さあさ、前夜祭は今をもって終わり。ここじゃああんまり好かれてなかった盗賊魔法使いが帰ってきたんだ、とことん行こうじゃあない?」
応、と返事は綺麗に合わさった。こいつら、こういう時ばかり息を合わせるのだから憎たらしい。私は確かに好かれている方じゃあないが、憎たらしく思いながらも飲みに来てくれた連中はありがたく思う。
よく見ると見知らぬ連中も大量にいるが、便乗で大騒ぎするというのも幻想郷らしい風景だった。その中でぞろぞろと腰を上げて母屋に移動する面々がいたが、そいつらは皆、飯屋ばかりであった。宴会の準備というわけなのだろう。
さてこの広場には一体何人いるだろう、百は軽く超えている。四方八方で松明が煌々と燃える。影絵はだから無数といえた。その中で甲斐甲斐しく動くもの、あぐらをかいて飲んでばかりいる者がそれぞれはっきり別れているのも、誰がどちらなのかも、二十年前、あの旅立ちの夜の頃と変わらない。
幻想郷は何も変わることがない、私はあらためて強く実感した。
「さあて、昔馴染みばかり集まったところで、本会を始めますか」
「もう随分酔ってっけどな」
さあ、と大皿が運ばれてくるが、焼き鳥、焼き鰻はもちろん、秋の蓄えを全部放出してしまったかのような豪勢さに私は目を丸くした。一部をのぞいてはみんな地べたにそのまま座り込んでいるけども、気にしているものは少ないようだ。
「おいおい霊夢。こんだけ豪勢にやっちゃってさ、冬こせるのか?」
私が冗談交じりに肘を小突くと、霊夢は肩を怒らせながら立ち上がって、ざわざわと宴前の喧騒に大して、バンと一発賽銭箱を殴りつけ、大声でかき消した。
「始める前に一言だけ。今夜のもてなしの費用は、我が幻想郷で随一の品数を誇る雑貨屋、香霖堂が店主、森近霖之助さん持ちだということをお知らせしておきます。皆様今夜はお代は結構でござい」
いいぞ。男前だ。幻想郷一だ。
口笛が一斉にこだまし、プリズムリバー三姉妹が操る楽器が空中でファンファーレを鳴り響かせ、森近霖之助――香霖の抗議の声を一瞬にしてかき消してしまった。二十年ぶりの香霖は意外なことに老けているように見えた。ダブルだから年を取るのは比較的早いのだろう。とはいえまだまだ三十代の頃にしか見えない。私は息子のような年格好の、小さい頃からのお兄さんに軽く感謝の手を挙げた。
「さあ、請求書の心配はなくなったところで始めましょう。もちろん乾杯の音頭は当人の仕事だわ」
私は立ち上がった拍子にたたらを踏んだが、認めたくはないがすでに酔っている証だ。酒に酔ったが場にも酔う。心尽くしにも酔う。何も変わらない、あの時のままの幻想郷で、私は浦島太郎にすらなれなくて、幼く夢に煌めいて日々を駆け抜けていた子供の頃に巻き戻されていく。
紅魔館の連中がいる。レミリア、背が伸びたか? 美鈴に抱えられたフランが手を振っている、パチュリー・ノーレッジはちょっとだけ口の端を持ち上げる皮肉な笑みを浮かべている。守矢の神社のやつらも、地の底にいるはずのやつらも、竹林の隅っこでこそこそしている宇宙人どもまで勢揃いだ。それに、アリス。
憎たらしい目で睨んでくるやつもいれば、よく返ってきたと口笛を吹くやつ、こっちを無視してひたすら酒ばかり相手にしているやつと人それぞれ、確かに嫌われ者の魔法使いに相応しい歓迎の会だ。
ああ、全く愉快だ。二十年やそこらで、この一癖二癖でおさまらない連中の顔を忘れるはずがない。だが私の中にはすっかりくたびれた部分があるようで、その変化のなさを覚悟していたはずが、どうにも上ずってしまい、何だか若い頃に戻ったような気がしたのだった。しかもその幅は十年や二十年どころではなく、四十年も五十年も前、まだまだ幼かった頃の過去に容易く巻き戻っていく。
下手な咳もやけに響いた。こういう空気は私は得意じゃあないが仕方ない。
「ええ。というわけであらためまして、ただいま戻りました。みんなのアイドル霧雨魔理沙です」
「誰がアイドルだって!? いい年かっぱらっておこがましいなぁ」
遠慮のない野次に私は怒鳴り返してやった。が、それも見知った顔である。
「にとり! 帽子のデザイン変わったなあ」
「今日のためにの新調よ」
帽子を傾けながら、くいっとしなを作る河童の娘に、歓声が上がる。
どちらを向いてもどこかで見た顔だった。こんな愉快な気持ちになったのはいつ以来だろう。そしてこんなにも寂しい気持ちになるのもいつ以来だろう。いや考えるまでもなかった。二十年ぶりだ。幻想郷はここより他にないのだから。
私はただただ込み上げてくる懐かしさに、悲しみも辛さもない異様なほどに純粋な懐古のために、自分が一体何者なのかを見失いかけた。笑顔だけは消さないまま、ありったけの声で気勢を上げた。
「今日は私のためにこんだけの人が集まってくれて本当に嬉しい。大いに飲もう。乾杯!」
大合唱が響いたのちに一瞬静まり返るのは、いつでも気持ちがいい。そしてプハアと酒臭い息でのため息はそれの何十倍もたまらない。飲み干した口はすぐさま愉快な笑い声を漏らす。頼んでもいないうちから誰かが杯を満たしてくる。それを飲む間もなく誰かの猪口がぶつかりこぼれてしまう。杯が満ちる。あれよあれよと人が押し合いへし合い、全く落ち着く暇がない。私の服はすぐさましとどに濡れそぼった。
やがて私は自分が前後不覚になりつつあることを自覚した。過去と現在の境。体と心の境。生と死の境。宴はそれら全てを不覚と成す儀式だ。ここは幻想。あらゆる価値が失われ、求めないことを求められ、永遠を舞台にした相対された世界。私は再び戻ってきたのだ、この囚われのいじらしい夢に。
幻の跋扈するこの世界で、私は月が隠れるように愉快に自分を見失った。たった一つ、伝えなくてはいけない言葉を残して、風に吹き曝された砂のように、私は私を見失った。