全て許される日   作:ぽー

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6.悲喜劇交交

 最も長生きのこおろぎが羽を懸命にこする草むら、私は喧騒を背景に闇に立っていた。宴会はいわゆるしみじみのメンバーが残っているだけで、もう燃え尽きる前の熾火のように、そこかしこでちりちりと会話が交わされているだけだった。私も久しぶりに酒を飲んで、顔が火照っていた。食事を取ったのがそもそも数年ぶりということもあるけれど。

 パチュリー・ノーレッジの咳が二度三度と鳴るまで、私は音色に耳を傾け続けていた。

「種族としての」

 もう一度咳が鳴るが、それはあらかじめ配られた楽譜に記されたピッツィカートに従ったまでというくらいに、こおろぎの羽音にそぐうものだった。

「魔法使いと、人間の範疇に留まったままの魔法使い。両者におけるもっとも大きな違いを貴方は何と定義する?」

「衰えること」

 私は即答したが落第であるようだった。パチュリーは草むらを向いたままの私の隣に並んで、視線を揃えた。死を目前に控えた演奏会は苛烈でもなく、悲愴でもなく、ゆるやかに減衰する命の波長をそのまま伝えようとするかのように、穏やかであった。

「そうではないことを、私は霧雨魔理沙を見て知ったわ」

 境内だろう、グラスが砕け散る音がここまで聞こえた。演奏家は気分を害して手を緩めたが、やがてまた音を響かせ始めた。

「魔理沙を見て?」

「ええ。やはり人間のままでは、人間のままでしかいられないのよ」

「思わせぶりなトートロジーなんてもったいぶるじゃない。貴方らしくないわねパチュリー・ノーレッジ」

「貴方は魔理沙から魔力を感じた?」

「ゼロではないでしょう」

「そういうことじゃなくて」

「言わんとすることはわかるわ」

 霧雨魔理沙の魔力の減少は初見から確認出来たが、別段皆無というわけでもない。伊吹萃香との戯れを見てもわかるよう、力自体は残っている。パチュリーの問いは、その魔力がもはや色を失った無色透明のものでしかないのだ、ということを質しているに過ぎない。私だからこそ色と思ったが、パチュリーであれば月水金もしくは他のいずれかの属性を手放した、ないし失ったと表現するだろう。

 方向性を失った魔力はそれ自体ただの力に過ぎない。腕力、脚力などと何ら変わることがない。つまるところ、魔力は目的意識がなければ何ら特別な意味も持たないただの力ということだ。

 魔理沙の魔力は、私の目からははっとするほど、無色透明だった。二十年前は一切そんなことはなかったというのに。

「やはり止めるべきだったのよ。下らないのよ、外の世界を見に行きたいだなんて。ただの好奇心じゃない、そんなもの。好奇心に存在価値を塗りつぶされた魔理沙も、情けないけれど。貴方流に言えば、霧雨魔理沙は魔法使いの形を弄んでいる、ただの人でしかない、わね」

「であるのなら、私たちは人の形を摸し、しがみついているただの現象ね」

「私たちは違う。私たちは選択したのだから。人間であるかの違いは、つまりそこなのよ。私たちでも衰えることはある。けれど目指すことをやめはしない。私たちは選んだから。人間という段階を超え、つまりラクダであることをやめ、己の中の獅子を屈服し、赤子に戻って自分の無力さを噛み締めながらも、目指す高みを求めて力を磨いてきたのだから」

「言葉が多いわね、パチュリー」

 魔法使いはすべからく生きる意味と存在の目的をシンクロさせなければ生きていけない。その在り方こそが魔法使いなのだと言えるだろう。全てを捧げ、擲つことを躊躇うものは魔法使いとはいえないのだ。パチュリーが図書館から外出をしたのは何十年ぶりのことか。私が食事を取ったのは何年ぶりか。私たちは究明し、読解し、開発するためだけに生きている。それが魔法使い。それが妖怪。それが出来ないのが、人間なのだ。

 霧雨魔理沙はついぞ種族の壁を突破することなく、人間であり続けた。あまつさえ外の世界で十分な研究、鍛錬も行うことも出来ず、はっきりと衰えてさえいた。パチュリーはそのことに苛立っているのだろう。裏切られたとさえ思っているかもしれない。そして、そんなことを思う自分にもまた、苛立っている。

「パチュリー。貴方がそこまで人の事に干渉するなんて、初めてじゃないかしら?」

「そうね、帰るわ。酔ったみたい。レミィが勧めるからね。また今週のサバトに私の図書館で会いましょう。さようなら、アリス・マーガトロイド」

 ふわりと、いつもように波に漂うように空に浮かんだパチュリーは、広大な図書館へと戻っていった。眠ることもなく、ただ自分の目指した高みにたどり着くために。やがて、こおろぎの奏でる美しく清らかな断末魔がついえた。演奏会は閉幕と相成った。余韻が一人残された私の耳を聾している。

 私は母屋へと戻ることにした。境内では丈夫な妖怪たちが寒さも気にせず寝転がっている。横切ったとき、八意永琳が入っていくのが見えた。私はそれでいっぺんに入りづらくなって、障子から漏れ出してくる明かりを背中に浴びながら、縁側に腰を下ろした。輪に入り損なった私を飽きさせまいと、人形たちが目の前でダンスを踊り始める。

「あら、おばあちゃん三人揃い踏みなの? 通りで辛気臭いと思ったわ」

「無駄口はいいのよヤブ」

「このまま帰ってもいいのよ? 腰の調子を見なくてよいのなら」

 品がないとは思いながらも、私は障子越しに彼女たちの会話を楽しむことにした。魔理沙と話はしたが、長々と会話をすることが私は得意ではない。特に複数人での集まりで会話がやりとりされるとき、どうしても割って入ることができずに聞き手にまわってばかり。それをいいとも悪いとも思わないが、それならばこうして盗み聞きではないが、隔てられた方が気安い。

「さて。じゃあまずは聞き分けのいい紅魔館ちのおばあちゃんからね」

「よろしく、口の軽い主治医さん」

 二人は隣の襖の向こうに消えていった。

「咲夜、調子悪いのか?」

「さあ。まだ死ぬには早いでしょう」

 十六夜咲夜の体調がよくない、というよりも体の中身のどこかが痛み始めたという話は少し前から口々に言われていた。その言質を取ったというわけではないけれど、真実なのだとあらためて知らされるとやはりいい気はしない。

「あんたも見てもらいなさいよ」

「見てもらう必要なんざないね。自分の体は自分が一番よく知っている」

「何よ、長くないみたいな言い方ね」

「多分」

 霊夢がはっとして黙ったのが障子越しにでもわかった。滑稽なコメディを演じている人形たちを取り残して、私の視界は急にぼやけた。何か話してよ、霊夢。私はこころの中で何度か繰り返し、とうとう言葉として漏れそうになったとき、魔理沙が台詞を継いだ。

「借りてたもんを返すために戻ってきたんだ」

「盗人のくせに」

「盗人じゃないって」

「魔理沙、いってたもんねえ。盗んでるんじゃない。死ぬまで借りてるだけだ! って」

「有言実行の女なんだよ私は」

「じゃあ死ぬんだ」

 魔理沙はそれに答えずに、愉快そうに笑った。

「とにかく、一度家に戻って荒らされてないかを確認しないとな」

「もうあらかた盗まれ返されちゃってたりして」

「それはない。パチュリーとアリスに手伝ってもらってな、笑えるくらい強固な結界張ったんだよ。なんせ勝手にもってかれちゃあ、たまんないからなあ」

「大事な物ばかりだものね」

「ああ、他人様からの預かり物だ。大事だろ?」

「私にも返しなさいよ」

「あれ、何か借りてたっけ」

「忘れないでよ、お金貸してたじゃない」

「おいおい、平気ですげえウソつくなよ博麗殿。私はお金だけは借りてないんだよ」

「そだっけ? まあ帰りしに賽銭箱に突っ込んどいてくれりゃいいから」

「お前マジ二言目にはそれだな。二十年ぶりなんだぜ? 他にあるだろうが」

「二十年分の賽銭よろしく」

「ばかやろう」

 笑い声が途切れるのを待って、背後の影絵はサイレントの幕と相成り、カチャカチャと湯のみやグラス、食器の立てる音だけが別撮りの効果音のようにテンポがずれていた。しかしそれは劇としてはちょうどのよい演出、幕間であったのだろう。魔理沙の声がもっともよく透き通るように図られた、ひどい運命の手腕だった。

「霊夢、私と永遠を生きないか?」

 人形たちのコメディにオチがつく。満場の拍手と笑顔の喝采を期待した小さな小さなコメディアンたちを、私は手を差し伸べて胸にかき抱いた。よくわからない感情が渦巻いて、胸が冷たいと感じた。冬至にはまだ遠いけれど、十分夜が長い季節だった。まだまだ明けない朝が待ち遠しくなり、私は何年ぶりかの眠りを求めて家路についた。

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