永琳が新しい炭を持ってくるまで、私は寒さと暇を紛らわすために畳の目の数に指を折っていた。
「お茶でもされるのですか?」
火鉢に一つ二つと炭を足しながら、永琳はまた始まったというような顔をした。
「なによそれ」
「いえ、この前は囲碁だったなと思って」
「そしてその前は鷹狩りだった」
「手塩にかけて育てた鷹なのに、逃げられちゃいましたよね、たしか」
「うるさいわねえ」
暇つぶしの遊びはあらゆる種類を何度も何度も繰り返し、数える気にもならないくらいにやり尽くしている。けれどそれらをやり続けるのが、永遠という病の症状を誤魔化す唯一の処方箋でもある。次は何をしよう、茶もいい。しかし華もいい。風見幽香を呼びつけて目の前で活けてやればどのような顔をするか見物だ。
足した炭がぱちりぱちりと音をたてる。亭は竹林に日光を遮られ、冬の最中は昼でも冷える。それにいま竹ばかりは春である。障子の向こうで風にそよぎながら、青々と揺れ動くさざ波は亭も私の瞳も塞いでいる。
火鉢を箸で整えてから、永琳はついでに持ってきた餅を網の上にのせた。鈴仙に買ってきてもらったのだ、という。昼過ぎだ、確かに小腹が減っていたが物欲しそうな顔をするのも悔しい。
「茶も悪くないわね」
「ここじゃあ、紅茶のほうが多いですけれど」
「だからこそブームを起こすべきじゃあない?」
「流行らなさそう」
「うるさい」
「だって練習しないといけないものは、今のご時世中々、ねえ」
「点ててあげればいいじゃない」
「それもいいですけれど」
「永琳は確かお茶も上手だったものね」
「あら、姫も結構なお点前じゃあないですか」
私は応える気にもならなかった。先達のいつでも手ほどきするぞというような、余裕たっぷりな自信ほど疎ましいものはそうないものだ。ただ華だけは私の方が上手いことは間違いがない。月にはろくに咲く花がないから、地上で暮らした年月の長さだけ、私の方が洒脱だろう。
ぱちりぱちりと熾り始める炭火が、はじけすぎないようにまた永琳が箸でまさぐる。
「ささが欲しいわね」
実際のところ大して飲みたくもなかったが、なぜかそう口走っていた。
「外でたくさん繁ってますわね」
「わかってて言っているでしょう」
ささとは、酒のことを言う。今ではもうあまり使われない言葉なのだと私はここ最近知った。明国では酒を竹葉とも言うらしいから、言い得て妙でもあるのに。
「昼間からおささだなんていけませんわ」
「寒いの。温まりたいわ」
「そういうことなら、といいたいところですが。あいにくこの前の博麗神社での宴会で全て供出してしまってありません。お茶と火鉢で我慢してください」
永琳は餅をひっくり返しながら笑う。網目の焦げ目は程よい加減だった。
大して求めてもいなかったものが、戯れについ口に出してみれば本当に欲しくなってしまう。私は次第にこだわり始めて行く自分の心の在り様に苛立ちと愉快さを同時に覚えた。
「鈴仙に人里まで買いに行ってもらおうかしら」
「使いに出していませんよ」
「戻ってきたらまた行ってもらえばいいじゃない」
「先日の宴会、忘れました? 神社でもう一年分は聞こし召したじゃありませんか」
「そうだっけ?」
「憶えていないのが何よりの証拠です」
どうしても私に飲ませたくないらしい。けれど思い立ったからにはどうにも飲みたい。神社で口にしたお燗は今年一番のひやおろしであった。あれが欲しい。
「巫女もよくあれだけ貯め込んだわね」
「里の者からの供物のようですよ」
年を経るごとに博麗神社の信奉者は増えているようだ。それはそれは何より、とあまり思うことがないのは霊夢自身それほど関心を寄せていないからだろう。博麗の巫女はいつからか、元々さほど持ち合わせていなかった麓の村人への関心をほとんど失ってしまった。道のりも険しく、妖怪たちの妨げも甚だしい博麗神社であるから、巫女の変遷はその疎外をさらに強めるようにも思えたが、面白いもので、その超然とした在り様が人々の信仰を集めることになった。神への仲介としてしか役目を持たない巫女が、自身崇め奉られる対象となるなど妙な皮肉である。
そういえば、と私は前置きをしてから気になっていた案件を切り出した。
「博麗霊夢と霧雨魔理沙が喧嘩したって?」
「耳が早いですわね」
はっ、と私は肩をすくめた。
「てゐが次の日にはニヤニヤしながら耳打ちしてきたわよ」
この小さな小さな郷で、隠し事など難しい。いさかいならばなおさらで、その明らかなるは月を隠すことと大差ないものだ。
「二十年ぶりの再会で喧嘩別れとはね。若いわねえ」
「姫?」
「なによ」
「人の事いえないでしょう」
思い当たる節がない、と思ったところで永琳が藤原妹紅のことを指しているのだと気付いた。馬鹿馬鹿しい話で冗談にもならないが、ここでむきになって反論したところで永琳を喜ばせるだけなのだから詮無い。私は取り合わずに永琳から箸を奪って餅をつついた。
「で、喧嘩の原因は何だったのよ。貴方現場にいたんでしょ」
「霧雨魔理沙が巫女を誘ったんですよ、永遠の命を共に生きないかと」
餅が焼けるにはまだ間があるだろう。私は火鉢の灰に箸を差し込むと、暇を持て余して脇息にもたれかかった。やがてそれを高すぎる枕のように頭の下に敷き、寝転がった。
「お、これは中々具合がよい?」
「はしたない」
永琳はたしなめるが、餅が焼けるまで暇である。仕様がない。仕様がないので、私は話を続けることにした。
「ふうん、それで喧嘩ね」
「巫女が一方的に怒ってるだけでしたけどね。魔理沙は謝って帰っていっておしまい」
「その話題が博麗殿にタブーだったなんて初耳ねえ」
というより、自分自身好き好んで冗談の種に口にしていたように思う。時季を外したのか、それとも霧雨魔理沙だからなのか。考えても詮無いが、詮無いことが吾が生に課された難題ならば逃げることはあたわない。
「永遠の命ねえ」
「霧雨魔理沙がそんなことを言うなんて意外でしたわ」
「そう?」
私は何とも思わなかった。命に対する考え方など一朝一夕で容易く変容するものだ。私はそんな人々を幾度も見てきた。解釈の幅を拡げるのなら、目の前の八意永琳もその一人として数えることだってできる。
「ふん。ただまぁ、あの娘も案外俗物ね。外の世界で死が怖くなったか。あちらじゃあまだまだ躍起になっている連中も大勢居ることでしょうしね」
「違うかもしれませんよ」
「何が」
「死を恐れたのではなく、別の理由で求めているのかもしれません」
「なぜそう思う」
「どうも、様子が違いましたから」
現場にいなければわからない事もあるのだろう。けれど、そういったものはほとんど例外なく私の興味を引かない。
「ふうん? まあ生きたければ生きればいいし、死にたければ死ねばいい」
「それよりもまず、体の具合を見てあげないと」
「生や死よりも、健康の方が大事ときたか」
「医者ですからね」
「永琳は優しいわね」
「姫ほどでもありません」
何だか皮肉が通じない。不自然な姿勢に疲れて私は起き上がった。今度は脇息の上に座ってみる。儀礼に縛られない自由な私の態度に、主治医は匙を投げたことを溜め息でもって表明した。
「まあ霊夢も咲夜もですが、魔理沙は特に診察を急がないと。あの晩、結局見る前に帰っていきましたし」
「どこか悪い?」
「おそらく」
「老い、ねえ」
「思い出されます?」
「さあ、どうかしら」
永琳が考えていることを察すると、自然と言葉が口からこぼれた。
「今は昔、竹取の翁といふ者ありけり、か」
呟いて、ふと私は言いようの無い時空のうねりを体感した。それはまさにあらん限りの語彙を尽くしても表しようの無い感覚だ、誰とも共有出来ない私だけの千年紀だ。私だけの想い出が、私を癒しては苛む。
「もし、彼女たちに薬を求められたらどうしたらいいでしょう?」
「作ってあげたら?」
「ではなく、蓬莱の薬をですよ」
「だから、作ってあげればいいじゃない」
脇息がみしりと音を立てたので、私は慌てて腰を下ろした。肘掛という本来の役目に戻してやり、私は箸でまた餅をいじくりはじめた。もうそろそろ善いだろう。
「そう、それもいいですね」
「いった通りよ。生きたければ生きればいいし、死にたければ死ねばいい。どちらにも価値があるし、選べるのは一つだけ。悩むだけ悩んで、それで頼んできたのなら叶えてあげればいい。知らぬ仲ではないし」
餅のおもてがぱりっと割れて、風船のように膨らみ始めては網の上に雪崩れた。何か、塞いでおかなければいけないおぞましいものが溢れてきたように見えた。誰にも見せたくなかった秘すべき恥辱が、こらえきれずに破れてあらわになったような絵面であった。
永琳が醤油を塗る。部屋に満ちる香ばしい匂いが私の鼻を冷やかし、胃をくすくすとひっかいた。恥辱は美味そうに身をよじった。
皿に餅を移して、私は少し冷まして頬張った。餅は熱く、うまく噛み切れず、私をみっともなくさせるくせに懐かしい味がした。喉を過ぎるのに苦労するくせに、腹に収まれば重く、また熱い。そんなところまで恥辱に似ている。
永琳が二つ目の餅を載せた。焼けるまでまた待たねばならない。不思議なもので、米はいくらも食えないが、餅となるといつまでも食べられる気がするのだった。
無為に待つことはつらい。私は永琳にささやいた。
「ねぇ、歌でも詠まない?」
「いいですよ? 題はどうしましょう」
「何か決めて?」
「では、秋」
歌を詠むとき、考えるまでもなく紡がれる瞬間がある。今がその時だった。私の思案はごくわずか、折り目正しく座り直して私は詠んだ。
「いなのめの、四季ぞ巡れど、いまは秋。笹にふさぎて、しづ生きめやも」
永琳が続いて復唱した。改めて聞いてみて、私は肩をすくめた。
「いまいちね。散漫だし。五秒でひねったんだからこんなものかしら。久しぶりだから文法変かも」
言い訳を口にしながらも、私はこぼれでた不出来の分身を愛した。考えなかったからこそ本音が出たとも思える。不出来であることも相まって、親しみはさらなりである。
「とっても素敵」
目を閉じて永琳がまた諳んじた。私は頬が真っ赤にはれていくのを知った。餅が早く焼けてしまえばいいと思った。そしてやはり、ささが飲みたい。
季節にも死にも飽いた私たちは、永遠を冠したこの竹の葉に隠された箱庭で、静かに静かに酒を飲む他ない。誰も彼もが死んで逝き、何もかもが枯れて往く。黄昏の季節にも私たちは青々としたまま、酔いつづけるのだろう。今は昔、いつか全てがむなしくなるまで。