第十六話を投稿します。
最近、ひかりんの様子がおかしい。
あれだけ僕にベタベタくっついていたのに、この頃はすっかりそれが無くなってしまった。
いやまあ、ダンディくんゲームの前に戻っただけで、今までの方がおかしかったと言えばそれまでなんだけど。
別に無視されるとかそんなこともなく、話しかければ普通にお喋りしてくれる。
平穏を取り戻した僕は、何気ない日々を過ごしていた。
そんなある日の夜。僕は夕食後に奏姉ちゃんの部屋に呼び出された。
奏姉ちゃんは椅子に座ると、僕を指差して言った。
「氷、あんたアイドルになりなさい」
「……は? ごめん、奏姉ちゃん。えっと、聞き間違いかな?
なんか今、アイドルになれって言われた気がするんだけど?」
「いいえ、合っているわ。あんた、アイドルになりなさい」
「どうして!?」
思わず僕は叫んでしまった。
意味が分からないよ! 奏姉ちゃん、何か悪いものでも食べちゃったの?
それとも選挙活動のしすぎで疲れちゃってるのかな?
「あぁ、ごめんなさい。いきなり言われても意味不明よね。順を追って話すわ。
じつは光の事なんだけど――」
奏姉ちゃんは事情を説明し始める。
なんでも、ひかりんがアイドルになるためのトレーニングを皆に内緒で行っているんだとか。
しかも遥兄ちゃんまで協力しているんだって。
「よくそんなの分かったね?」
「二人が土手でランニングしているところを、選挙カーの中から偶然見かけたのよ。
で、気になって調べてみたら、こっそりスタジオを借りて歌やダンスの練習をしていることや、新人アイドルのオーディションに申し込んでいることが分かったの」
奏姉ちゃんの情報収集力マジすごい。素直に感心しちゃうよ。
それにしても、ひかりんがアイドルかぁ……うん、ひかりんは明るくて可愛いし、ピッタリかも。
「私の予測だと、光はオーディションに合格するわ。あの子、普段はいい加減だけど、やる気になったら凄いから」
「ひかりんがアイドルを目指していることは分かったよ。でも、それで何で僕までアイドルに?」
「……心配なのよ。私の偏見も混じってるとは思うけど、芸能界って悪い噂もあるし、危ない誘惑も多いと思うわ。
あの子、好奇心が強いから、変な大人に騙されて取り返しのつかないことになったりしたら――」
奏姉ちゃんが真剣な顔で呟く。
そんなことを聞いちゃったら、僕まで不安になってきちゃった……
「で、僕もアイドルになって、一緒に居てあげてほしいってこと?」
「ええ。理解が早くて助かるわ」
奏姉ちゃんが頷く。
「うーん。事情はだいたい分かったし、ひかりんを一人にしない方が良いっていうのは僕も賛成なんだけど……」
だからって僕までアイドルになるっていうのは、ちょっと……
僕の勝手なイメージだけど、男の子のアイドルってローラースケートを履きながら歌ったりするんじゃないの?
僕、ローラースケートなんて履いたことないし……
あ、待てよ。僕なんかよりアイドルにピッタリな人が目の前に居るじゃないか!
「僕じゃなくて、奏姉ちゃんがアイドルになるっていうのは?」
「わ、わたし!? それは無理無理無理! だいたい、選挙活動で忙しいし!」
奏姉ちゃんは顔を真っ赤にして、バタバタと手を振りながら拒否した。
慌ててる奏姉ちゃんって、ちょっと珍しいかも。
「えー、奏姉ちゃんって人気あるし、僕なんかより向いてると思うけど」
「光がどうしてアイドルを目指してるのかが分からないから、理由がハッキリするまでは気付かれないようにガードしたいの! 私じゃすぐにバレちゃうでしょ!」
「ひかりんにも内緒なの!?」
ちょっとミッションの難易度が高過ぎじゃないかな!? スネークもびっくりだよ。
っていうか、ちょっと待って。
奏姉ちゃんは、ひかりんに分からないようにしたいみたいだけど、その条件なら僕だって同じだ。
「はいはーい! 僕でもすぐバレちゃうと思いまーすっ!」
「大丈夫。あんたなら問題ないわ。これを見て頂戴!」
ババーンと効果音でも出しそうな勢いで、奏姉ちゃんが特殊能力を発動させる。
奏姉ちゃんの両手の中に、水色の毛糸の固まりみたいなものが現れた。
「これなに? 大きな毛玉?」
「違うわよ。ウィッグよ、ウィッグ」
なんだ、つまりカツラか。
「ちょっと触っていい?」
奏姉ちゃんは僕にカツラを手渡した。
どうやらロングヘアタイプのものみたい。
蛍光灯の光に照らされて、一本一本がキラキラと輝いている。
「で、このカツラがどうかしたの?」
「こうするのよ」
奏姉ちゃんは僕の手からカツラを取ると、そのまま僕の頭の上にポンと乗せた。
「ほぉら、よく似合ってるわよ」
「ちょっと待って! アイドルってそっち? 女の子に変装するの!?」
「そりゃそうよ。性別が違うと受ける仕事も違ってくるでしょうし、そしたら光の側に居られないでしょ?」
「いくらひかりんのためでも、女装はちょっと無理!」
「仕上げはこれね」
騒ぐ僕を無視して、奏姉ちゃんは能力を使って眼鏡を生成する。
そして僕の顔に眼鏡を無理やり装着させた。
「これで誰もあんたとは分からないわ」
奏姉ちゃんが僕に手鏡を渡す。
そこに映っていたのは、長髪のカツラと眼鏡を掛けた僕の顔。
おぉ、確かにこれなら分からないかも……って、いやいやいや!
僕が納得しかけてどうする。なんとかして断らないと!
「いやー、やっぱり無理だとおも……って、奏姉ちゃんどうしたの?」
顔を真っ赤にて俯いている奏姉ちゃん。肩がプルプルと小刻みに震えてる。
「私は、とんでもないモンスターを生み出してしまったのかもしれないわ……」
「なに言ってるんだかよく分からないけど……もうこれ取っていい?
あと、アイドルになるのも……」
「分かったわ……光の件はもういいわ」
俯いたまま答える奏姉ちゃん。
もっとしつこくお願いされるかと思ったけど、分かってくれてよかった。
カツラを外そうとした僕の手を奏姉ちゃんが掴んだ。
「奏…姉ちゃん?」
「光の件はもういいから、お願い! 氷、いまのあんたを写真に撮らせて!」
ガバッと顔を上げて、奏姉ちゃんが叫んだ。
「奏姉ちゃん、鼻血! 鼻血出てるから!」
目をギラギラさせている奏姉ちゃんの鼻から、一本の鼻血が垂れていた。
ちょっ、どれだけ興奮してるの!?
「一枚だけ、一枚だけお願い!」
「絶対に勘弁だよ!」
奏姉ちゃんの腕を振りほどこうとするけど、腕力じゃ適わない。
抵抗して揉み合っているうちに、僕は奏姉ちゃんのベッドに押し倒されてしまった。
仰向けになった僕の上に、奏姉ちゃんが馬乗りになっている。
おまけに僕の両腕は奏姉ちゃんの右腕に押さえられて、自由が効かない。
「ハァ、ハァ……これで逃げられないわよ」
「ぎゃあああああっ! いーやーだー!!! あと鼻血! 鼻血がこっちに落ちーるーっ!!!」
両足をバタつかせてみるけど、全く効果が無い。
奏姉ちゃんの左手が光り出す。カメラを生成しようとしてるに違いない。
どうしよう、このままじゃ僕の恥ずかしい写真を撮られちゃう!
ええい、もう手段は選んでいられない!
僕も特殊能力を使うしか――
「ちょっと、奏!? いま氷くんの凄い叫び声がしたけど大丈夫!?」
ドアの開く音と共に葵姉ちゃんが勢いよく室内に入ってきた。
突然の乱入者に、奏姉ちゃんが固まる。
左手から光が消えて、特殊能力もキャンセルされたみたい。
やった、助かった! って、何だか様子がおかしい。葵姉ちゃんも引きつった顔をして固まってる。
「えっと、お楽しみ中のところ、ごめんなさい!? ご、ごゆっくり!?」
葵姉ちゃんが顔を真っ赤にして、部屋を飛び出していった。
なんか大変な誤解をして行っちゃったよ!
「違うの! 待って、葵姉さん! これは違うの!」
数秒後、我に返った奏姉ちゃんが、慌てて葵姉ちゃんを呼び戻しに行った。
よし、今のうちにカツラを取って……って、あれ?
カツラが僕の頭にガッチリとくっついちゃってて、全然外れない。
一度装着すると外せなくなる呪われた装備じゃあるまいし、どうなってるのこれ!?
「シャナク! シャナク!」
僕が解呪の呪文を唱えていると、奏姉ちゃんが葵姉ちゃんを連れて戻ってきた。
◇◆◇◆◇
「大体事情は分かったけど……」
床に座って腕を組みながら葵姉ちゃんが言った。
葵姉ちゃんの前では、鼻にティッシュを詰めた奏姉ちゃんが正座させられてる。
僕は奏姉ちゃんのベッドの端に腰掛けながら、足をプラプラさせていた。
「えっと、本当にあなた、氷くんなの?」
「だからそうだって言ってるでしょ!」
僕の悲鳴を聞いて部屋に突入した葵姉ちゃんだけど、ベッドの上で押し倒されていたのが僕だと分からなかったらしい。
奏姉ちゃんが見知らぬ女の子を部屋に連れ込んだと勘違いした葵姉ちゃんは、動転して部屋を飛び出してしまったんだって。
「そんなことよりも奏姉ちゃん! このカツラ取れなくて困ってるんだけど!」
「あぁ、それね。踊っているときとかに落ちちゃったらマズイでしょう? だから簡単には取れないようにしたのよ。ウィッグの後頭部の隠しボタンを押せば外れるわ」
後頭部の隠しボタン?
手さぐりで探してみると、確かにボタンのような感触。それをポチッと押すとカツラからプシューッと白い煙が放出された。
恐る恐るカツラを上に引っ張る。すると僕の頭に固定されていたカツラが簡単に外れた。
ついでに眼鏡も取っちゃえば、元通りだ。
「ほらね? 葵姉ちゃん、僕だったでしょ?」
「本当だったのね……」
葵姉ちゃんが感心するように呟いた。
「カツラと眼鏡はここに置いておくね。それじゃ僕はそろそろ寝るから。お休みなさーい」
ふう、一時はどうなるかと思っちゃった。
また変なことが起きる前に退散しよう。
ひかりんのことは、僕が女装してアイドルになる以外の方法を考えてもらおうっと。
「待って、氷くん」
部屋を出ようとすると、葵姉ちゃんに呼び止められた。
「光のことだけど、私からもお願いできないかな?」
「えぇっ!? 葵お姉ちゃんまで!?」
意外な伏兵の登場に僕は驚いた。
葵姉ちゃんだけは僕の味方だと思っていたのに!
「うん。奏の話を聞いて、私も心配になっちゃって……
氷くんがどうしても嫌だって言うなら、別の方法も考えてみるけど……だめかな?」
座ったまま、上目使いで見つめてくる葵姉ちゃん。
うっ……そのお願いの仕方は卑怯だよ!
でも、そんなふうにお願いされても、僕は絶対に……ぜったいに……
「……あ……う……わ、分かったよ、葵姉ちゃん……」
瞳を潤ませる葵姉ちゃんの視線に耐えきれず、僕はお願いを了承してしまいました。
「ありがとう氷くん! 私も何でも協力するからね!」
「あわわ!」
葵姉ちゃんは顔を綻ばせると僕をギュウッと抱きしめた。
ちょっ、恥かしいからやめて!
「じゃあ、オーディション応募用の写真を撮るから、ウィッグと眼鏡を今すぐ付けてもらえるかしら」
「それ明日でもいいよね!? っていうか、奏姉ちゃんは写真撮りたいだけでしょ!? 前もそんなことしようとしてたの思い出したよ!」
「そ、そんなことないわよ? あと、あんたの服だけど、いまのジャージのままじゃ駄目だから、私が用意した服に着替えてもらうわよ?」
いつの間に準備したんだろうか。ベッドの上に僕用と思われる女の子の洋服が並べられていた。
奏姉ちゃんはカメラを片手に、僕に着せる服を吟味している。
「葵姉さん? 氷が逃げないように、しっかり押さえててくださいね?」
「ぎゃあぁぁ! やっぱりいやだーっ! モゴモゴッ!」
暴れ出した僕の口を葵姉ちゃんが塞いだ。
「ご、ごめんね、氷くん! でも、氷くんも一度はOKしたんだから、我慢してっ! ねっ?
みんなが来ちゃうから、静かにしててね?」
「モゴモゴッ、モゴモゴーーーッッ!!」
その後の事を、僕はよく覚えていない――
お読み下さり、ありがとうございました。