鉛色の空に迸る雷光、海に轟く雷鳴。
紫の色彩を放つ稲妻は、容赦なく私達へと降り注いでくる。だが、それに対して私が臆することはなかった。少しも怖いと思うこともなかった。まだまだ余裕があった。
だから、この時の私はきっと油断してたんだと思う。
「フェイトちゃん、絶対に私の傍からはな……っ!?」
「………………っ……」
「……あ、はは。この展開はちょっと予想外っ、だったかなぁ……」
じんわりと赤く染まっていく私の白いバリアジャケット。
腹部に突き刺さっている黒き大鎌を赤い雫がゆっくりと伝っていく。
そう、私は刺されたのだ。またフェイトちゃんに刺されてしまったのだ。
はは、流石にこれは予想外だと言わざるを得ない。
「……ごめんなさい、ごめんなさいっ」
顔を伏せたまま、私に謝ってくるフェイトちゃん。
……泣いているのだろう、きらりと光る涙が母なる海へと落ちていく。その身体は小刻みに震えていて、いつもよりも更に小さく見えた。そんなフェイトちゃんを暫く呆然と見詰めた後、私は思わず苦笑する。
こうも謝られちゃうと怒るに怒れない。まぁ、元々怒りの感情は全く湧いていなかったんだけどね。それにしても、痛みが凄いと頭の中がどんどん冷静になっていくのは何でなんだろう。まるで氷でも入れたみたいに、とても冷たくなってくる……本当に不思議な気分だっと、今はそんな事を考えてる場合じゃなかった。何かフェイトちゃんに言わなくちゃ……。
「大丈、夫だよ? 私、全然怒っ、てないもん。だから――――」
――――泣かないで。
そう私は言いたかったのだけど、結局、その言葉が口から発せられることはなかった。その理由は本当に簡単なことで。また頭の上から紫の雷が私へと落ちてきたからだ。
落雷を受けた瞬間、一瞬私の呼吸が止まった。
その後、全身に走る痺れと激痛。それらに耐えきれなかった私は崩れるように、ゆっくりと海へと落下していく。
だけど、身体の痛みで意識が薄れていく中、私は確かに見た。
親を見失ってしまった迷い子のように、私を見て泣きじゃくってる金色の女の子の姿を。
そして、彼女が泣いている声を。私は確かに聞いたんだ。
私の名前は高町 なのは。
あと一歩って所で、全でを台無しにされた哀れな少女Aです。
またフェイトちゃんに刺されるとか……もうね、普通に泣けてくる。別にトラウマってほどではないけど、流石に二度目は精神的にキツイよ。
「目が覚めると其処は、知らない医務室の中でした」
私はぼんやりと目を開けると、そう呟く。目覚めの気分はとても良好とは言えなかった。人生に置いて、低血圧なのはかなり損をしているような気がする。
主に目覚めのダルさ的な問題で……。
「なーんて、ね。空元気も出ないや……」
ふざけたようにおどけてみるものの、気分は一向に良くはならなかった。
身体に痛みは殆ど感じない。身体も大人から子供へと戻っているみたいだ。だけど、今の私はそんなことはどうでもいいと感じていた。私の脳裏に浮かぶのは、泣きながら震えていたフェイトちゃんの姿だけ。
また泣かせちゃったなぁ……そう考えるだけで私の気分は自ずとマイナス方面へと偏っていく。
紫色の雷を防ぐために素早く障壁を張ったことは、別に良かったと思う。まだ回復しきっていない状態で攻撃範囲にいたフェイトちゃんに被害がないよう、彼女を抱きかかえたことも間違ってはないと思う。
でも、まさかあの場面でフェイトちゃんに刺されるとは夢にも思わなかった。正直、親友に二回も刺されるとか……本当にマジ泣きしそう。しかも今回は殺傷設定というオチ。ははは、前の包丁とどっちの方がマシなんだろうねぇ。
そんな阿呆なことも考えてみるけれど、どっちも変わらないという答えしか思い浮かばない。けれど、あの時のフェイトちゃんの様子を見るに、念話とかで指示された可能性が高いとは思うんだよね。
いやまぁ、私がそう思いたいっていう感情が過分に含まれているのは事実だけど。
「……どうしようかなぁ」
本当にどうすればいいのだろうか。
今回のことでわかったのは、フェイトちゃんはプレシアさん命であるってことくらい。そりゃ確かに、まだ私は付き合いも短いし、あっちはお母さんだから仕方がないとも思うよ? だけど、流石の私も刺されるのは大変ショックなわけでして……。
それに、私→フェイトちゃん→プレシアさん→アリシアちゃん。
うん、何この一方通行な相関図。皆片思いばっかりじゃないっ。まぁ、そこに恋愛感情は微塵も含まれていないわけなんだけどさぁ。もう少しどうにかなってもいいんじゃないかなとは思う。
「はぁ~。きっと私が気にしないと言っても、フェイトちゃんは絶対に気にするんだろうなぁ」
正直、このままだとフェイトちゃんと友達になれない可能性が昔よりも高くなってしまったと思う。
あと少し。あとほんの少しだけの時間があったなら、フェイトちゃんはこの手を掴んでくれたっていうのに……少しはプレシアさんも空気って奴を読んでもいいと思うんだ、ぷんぷんっ。
今更、愚痴っていても仕方がないとはわかっていてもそう愚痴ってしまうのは、きっと今の状況がかなり悪いと予想出来るから。
これはまだ私の予想でしかないけど、あの状況だと恐らく封印したジュエルシードは全部……。
「あら、なのはさん。もう目が覚めたのね?」
そんな風に私がベットの上で色々と悩んでいると、プシューという音と共に医務室の扉が開かれた。そして、部屋の中に入ってきたのはリンディさん。うん。はっきり言って、かなり気まずいです。
今すぐに布団を被って、寝たふりをしたい気分バリバリである。
「リ、リンディさん……おはよう、ございます」
「ふふっ、おはようございます。まぁ、今はもう深夜なんですけどね?」
だからと言ってもそうは出来ないのが世の理。
もう起きてるのはバレバレなので、私はおずおずといった感じで挨拶をする。それにリンディさんはにこりと笑みを向けながら返事をしてくれるものの、目が微妙に笑っていなかった。
……どうやら私はこれからお説教をされるようです。
「さて、なのはさん。私の言いたいことはわかりますよね?」
「は、はい……」
こうして、ドッキドキ☆深夜のリンディお説教タイムが始まった……。
時間にしておよそ一時間。
入院着でベットの上に正座という珍妙な格好のまま、私はお説教をされていた。無論、私の勝手な行動の件である。自分が悪い事をしたという自覚は十二分にあるので、私は真面目にお説教を受けていた。
しかし、それももう半ば終わりのようで、今では現状がどうなっているのかを教えて貰っている所だ。
「結局、なのはさんが封印したジュエルシードは全て彼女達に奪われてしまったわ。なのはさんとほぼ同時のタイミングでアースラも攻撃を受けていたから、私達はどうすることも出来なかったの……」
「えっと、それじゃあ私はどうやって……?」
「レイジングハートが咄嗟に海に落ちるのだけは防いでくれていたから、転送ポートが直り次第、急いでユーノ君とクロノが救助に行ってくれたのよ」
「そうですか。後でお礼を言っておかなくちゃいけませんね……」
本当にレイジングハートが私の相棒で良かった。
多分、あのまま海に落ちていたら今よりももっと酷い怪我になっていたと思う。うん、これは暫くはレイジングハートに頭が上がらないね。
今はメンテナンスを受けているみたいでここにはいないけど、後でお礼を言おう。勿論、ユーノ君達にもちゃんとお礼を言うつもりだ。
まぁ、クロノ君からはみっちりお説教をされそうな気がするから、ちょっとだけ嫌だけど。
「ええ、そうしてあげて。皆、凄く心配していたみたいだから。それにしても……はぁ。これだとあとは、あちらがどう動くのか待つしかない状況よねぇ……」
「すみません……」
今の状況に頭が痛いのか。悩むように額を押さえて溜め息混じりで話すリンディさんを見ると、本気で申し訳なく思う。かき回すだけかき回しておいて碌なことをしていないもんね、私。
どう考えたって昔よりも今の方が状況的に悪いし……私って何のために行動してるんだろう。はぁ。流石に今回ばかりは、冗談抜きで落ち込んでる。
「まぁ、終わったことは気にしても仕方がないわ。気分を一度切り替えて、これからのことはゆっくり考えていきましょう」
私の様子を見てリンディさんがフォローしてくれるけど、私の気分はそう簡単には晴れなかった。というか、晴れるわけがないよ。今日の事でジュエルシードの数はこちらが九個、フェイトちゃん達が十二個。前の時、プレシアさんはジュエルシード九個とヒュードラを使って中規模の次元震を起こした。
今回はそれよりもジュエルシードの数が多いのだから、あの時以上の被害が確実に出てくる。もしかしたら、その所為で地球にまで何か影響が出てくるかもしれない。そして、それは全部私の所為だ。
「そう、ですね」
リンディさんに曖昧な返事をしながら、私はぎゅっと強く手を握り締めた。
後悔だけはしたくないと思って私は動いていた。少なくても私はそのつもりだった。フェイトちゃんと早めに友達になって、何とかプレシアさんを説得して仲良くなって貰う。そんな希望的な未来だけを考えて行動してた。
ジュエルシードをフェイトちゃんに譲ったりしてたのも全部その為で、回収した数が少ないとプレシアさんにフェイトちゃんが虐待されるかもと思ったからだ。
だけど今、私は凄く後悔している。私がもっと上手くやれていれば。私が出しゃばらなければ。もっといい形の未来もあったんじゃないか、なんて考えてる。
例えばリンディさんの指示に私が従っていれば、フェイトちゃん達の保護も出来て、ジュエルシードも六つとも回収出来て……そんな未来もあったんじゃないかなって思ってる。
今の私の頭の中では、そんな考えばかりがぐるぐると回っていた。
今更、意味はないってことはわかってる。だけど。どうしてもそんな考えが頭から離れない。
「……なのはさん、確かに貴女の行動は褒められたものじゃないかもしれない。だけど、同時に貶されるものでもないのよ?」
そんな後悔とか色んなものに押しつぶされそうな時、私にリンディさんが声を掛けてきた。
その表情は目は真剣なのに、何処か優しげに見える。さっきまでの艦長の顔というよりも、母親の顔に近い様な気がする。
「私達は管理局員だから、人として正しいと思っても行動に出来ないことが多々あるの。管理局員は、次元世界のことを第一に考えなくちゃいけないからね」
それは私にもわかる。
それで歯痒い想いをした経験も過去に少なからずあった。けど、個人の感情とか考えだけでは局員は……組織は動いてはいけない。管理局みたいな大きい組織なら、それも当り前のことだと思う。
正式な局員じゃなくても協力関係にある以上、そう言う意味でも今回の私は最低だった。
「今回のこともそうね。本心ではあの子を助けに行きたくても、局員としての最善の行動をしなくちゃいけない。だから、私達は動きたくても動けない。でも、貴女は違ったわ」
「………………」
「あの時の貴女は間違いなくヒーローだった。人の窮地に颯爽と現れて助けてくれる、そんなカッコイイヒーローだったの。あの子にとっても、私達にとっても、ね。貴女は誰かを助けるっていう、人として凄く立派なことをしたのよ」
それは違うって声を大にして言いたかった。
私はそんなカッコイイ人間じゃなくて、ただの自分勝手な人間だって言いたかった。何も良い方向に動かせなくて、皆に迷惑ばっかり掛けて、こんな風にグジグジ悩んでる。
……そんな私がヒーローな訳がないじゃないっ。
そう心の中で思っていると、リンディさんが私の手を優しく握りしめてくる。私がはっと顔を上げると、其処には慈母の笑みが待っていた。その表情を見ているだけで、痛い程に固くなっていた拳の力が少しだけ緩んだ。
「なのはさんは知らないでしょうけどね。貴女があの子を助けた時、アースラのブリッジでは歓声が上がったのよ? “よくやった!”“流石なのはさんだ!”“結婚してくれ!”ってね」
「あ、あはは……」
何故かモノマネ混じりで話すリンディさんを見て、私は思わず苦笑いを浮かべた。だけど、こうして笑ってみると少しだけ曇っていた心が晴れたような気がする。
この人は絶対にこれを狙ってやっているんだから、本当に敵わないよね……。
「あの場にいた誰もが貴女に魅せられていた。まるで子供に返ったみたいに、貴女の雄姿に心を躍らせていた。本当はいけないことなんだけど、実は私もそうだったのよ? だからね、なのはさん。貴女はもっと自分を誇りなさい」
何処か自慢気に、誇らし気にそう話すリンディさん。
正直、褒められていることに対する照れは微塵なかった。私はあの行動をただの自分勝手の自己満足でしかなかったとも思っている。でも、そう言われて救われたような気がしたのは確かだった。
「今回、なのはさんは勇敢な行動をしました。それは私個人が保証します。なので、もっと胸を張りなさい」
そして、最後だけこんな真剣な顔で言うんだもんなぁ……ああ、もう無理っぽい。さっきから危ないかもって思ってたけど、私の涙腺はもう限界みたい。
私ってそんなに泣き虫ってわけでもないはずなんだけど、どうしたんだろう。なんてね、その理由は簡単だ。ただ単純に私は嬉しかったのだ。
リンディさんの言葉が
「……は、い」
力強く返事をしたつもりだったけど、私の声は霞んでて凄く涙声だった。
けど、これも仕方がない。今、私の涙腺は完全に崩壊してしまっているのだから。そんな私を見て、リンディさんは頭を優しく撫でてくれる。その手の暖かさが心地よくて、その優しさが嬉しくて。余計に溢れ出て来る涙の量が多くなってしまった。
……本当、後で目が腫れたらどう責任を取ってくれるんだ。
「それにね、これからのことだって何も心配はいらないわ。ここのいるスタッフは全員、一流揃いの私自慢のメンバーだもの。どんな状況になっても何とかする。いいえ、絶対に何とかしてみせるわ」
気持ちのこもった、その言葉に私も大きく頷いた。
今の状況は決して良くはない。だけど、不思議と何とかなるような気がして来た。自分でもゲンキンな奴だなと思うけど、本当に私はそんな気がして来たんだ。
私の所為でって気持ちは今も変わってはいない。でも、なら頑張って取り返してみせればいい。
私の為だけでもなくて、フェイトちゃんの為だけでもなくて、プレシアさんの為だけでもなくて。
皆の為に、皆の最良の未来をこの手で取り返せばいい。
まだ全部は終わってない。諦めるにはまだ早すぎるっ。
アースラ艦長、リンディ・ハラオウン提督。女性の身ながら艦長を務め、これまで数々の事件を解決してきた女傑。魔道師としてもとても優秀で、心の芯が強くて、美人で優しくて。そして、何よりとても暖かな人。
自分もこんなカッコイイ女性に成りたいと、私は心からそう思った。
それから一日過ぎて、次の日。私は一度、アースラを降りることとなった。
別に解雇されたわけではない。もう地球に落ちているジュエルシードは一つも残っていないし、私も何日も学校を休むわけにはいかなかったからだ。……本当に解雇されたんじゃないんだからね?
ちなみにユーノ君達にお礼を言ったら、皆に怪我は大丈夫なのかと言われてしまった。どうやら、かなり心配をかけてしまったようです。うん、これは凄く反省しないといけないと思う。
でも実際、お腹の傷はそんなに深くなかったみたいで治癒魔法で傷跡も綺麗になくなっていた。まぁ、ちょっと無理な動きをすると引きつるような感じはあるけど痛みもないし、問題は何もない。
寧ろ、クロノ君からの有り難いお説教を頂いた時の正座の方がよっぽど痛かったくらいだ。
とまぁ、そんな感じで海鳴へと一時帰還した私を待っていたのは、家族や親友の精神攻撃だった。
まず家に帰れば、お母さんの熱い抱擁とお父さん達のイジイジした視線(お母さんだけに事情を話した事でいじけてしまったみたい)。
学校に行けば、アリサちゃんの質問の嵐とすずかちゃんの心配の声が私を盛大にお出迎えしてくれた。その他にもユーノ君が人間だったことがばれたとか色々と騒がしいことが沢山あって、凄く疲れました……。
だけど、同時に何かほっと安心もしていて、気分が軽くなった気もする。
やっぱり家族や親友との時間が、一番私に元気を与えてくれるみたいだ。
“マスター、少し元気になりましたね”
「うん、そうかも。ごめんね、レイジングハートにも沢山心配かけて……」
そんなわけで漸く学校も終わった後。
私はレイジングハートと会話をしながら下校していた。
アリサちゃん達は今日もお稽古だそうです。うん、お嬢様も大変だ。
“いえ。マスターが元気になったのならば、良かったです”
私の言葉にレイジングハートは安堵したような声で返してくる。機械音声なのに、そう感じるのは私の気の所為なのだろうか。
まぁ、それは兎も角として彼女が私を心配してくれていたのは事実だ。現に今日の魔法訓練も彼女の意見により却下された。
“今度はもっと完璧なサポートをして見せます。もう二度と貴女を傷つけさせません”
「……私は最高の相棒が持てて嬉しいよ、このこのっ!」
しかし、この相棒。なんとも最高な奴である。
愛機の言葉に嬉しくなった私は思わず、指でつんつんやぐりぐりをして彼女のコアを弄った。
“ちょっ。マ、マスター!? そこは触っちゃダメです!”
「よいではないか~よいではないか~」
そんな風にレイジングハートとじゃれついていた私は気がつかない。
その光景を心底不思議そうに見ていた影があったことを……。
「あの子、頭大丈夫なんやろか……春って怖いなぁ」
運命の歯車はまだ交差する時ではなかった。
後に、このことを指摘された私は大変悶絶することとなるのだが、それはまた別のお話である。
そんな一コマも終わり、家へ到着した私。
しかし、そこでは私の予想外のことが待っていた。
いや、良く考えればあり得ない話ではなかったのだが、その可能性を全く考えてはいなかった。
「ん、あれ? 皆の靴が揃ってる? ただいま~」
夕方の今の時間、家族全員揃っていることなんて殆どあり得ない。
翠屋は営業中のはずだし、お兄ちゃん達の学校が終わる時間もバラバラだ。だというのに、何故か家族が全員家にいた。
そのことを不思議に思いつつ、私は声を掛けながらリビングへと向かう。
「……お帰り、なのは。お客さんが来ているぞ」
「えっ?」
「……お邪魔しているよ」
「アルフさん? って、その怪我はどうしたの!?」
そして、更に何故か家にアルフさんがいた。しかも血は滲んでいないものの、全身に包帯が巻かれている。その表情も凄く疲れている様子で、いつもはピンと立っている耳も萎れていた。
――――何とも言えない嫌な予感が私を襲う。
「なのは、話は奥で……」
「あ、うん」
何処か神妙な表情を浮かべていたお兄ちゃんに促され、奥の客間へと向かう。普段は使われていない客間。そこにはユーノ君も含め家族全員が揃っていた。
誰もが痛ましい顔で、ある一点を見つめている。
その一点を視界に映した瞬間、私の身体は凍りついた。
「……フェイト、ちゃん?」
「――――――――――――」
慌てて駆け寄り、もう一度声を掛けるもフェイトちゃんは何も返してくれない。
あの照れたような顔も。おどおどした様子も。鈴の音の様な声も。
……何も返っては来なかった。
「な、なんで……」
何度見返しても、そこにあるのは見知った少女の変わり果てた姿だった。
身体だけじゃなく心もボロボロで、限界を超えてしまって。疲れ果ててしまった女の子の姿だった。あの澄んだ綺麗な瞳にはもう光はなく、美しかった金色の髪もその輝きを既に失ってしまっていた。
生きてはいる。胸も僅かに上下しているし、呼吸もしている。だけど、同時に彼女は死んでもいた。
……心が壊れて、生きる屍になっていた。
そう、今の彼女は出来の良いただのお人形みたいだった。
「……っ…………」
思わず、私は眩暈がした。
心臓の鼓動が激しく鳴り響き、息が苦しくなった。
そして、この何とも言えない激しい感情の動きに、吐き気まで襲ってきた。
それでも何とか耐え、気持ちを押さえるように震える声でアルフさんに話しかける。
「ど、どうして、こうなったの?」
「それが……」
そこから聞かされるのは、聞きたくもないことばかりだった。
私が意識を失った後、ジュエルシードを回収したフェイトちゃんはプレシアさんに折檻されたそうだ。
理由は敵である私に助けられたから。私にトドメを刺さなかったから。他にも色々理由を付けられて鞭打ちをされたそうだ。
フェイトちゃんは何度も泣きながら謝り、それに耐えていたらしい。それでやっと解放されたかと思えば、もう用済みだ言って捨てられたそうだ。
……出生の秘密と、過剰なまでの罵倒をおまけして。
大好きだった母親に“出来損ない”“お人形”“大っ嫌いだった”なんて言われて耐えられる子がいるはずがない。当然、身体だけでなく心までも傷つけられたフェイトちゃんは、抜け殻のようになってしまった。
「アイツ、フェイトを殺そうともしたんだっ……」
出ていけと言われても動けないフェイトちゃんに、プレシアさんは攻撃をしてきたらしい。
しかも殺傷設定の攻撃。アルフさんの怪我はその途中で何とか割り込んだ時に負ったとのことだ。そして、命辛々逃げたアルフさん達は丁度買い出しに行っていたお母さんに発見され、今に至る。
辛そうに、悲しそうに、悔しそうに。経緯を語っていくアルフさんの姿を見て、その話を聞いて、部屋の中に重苦しい空気が流れる。
サーチャーもあるからアースラでもこの話を聞いていたのだろう。
だけど、誰もがその口を開けなかった。その場を重い沈黙が支配していた。
「……私はなんて馬鹿だったんだろう」
漸く沈黙を破ったのは、私のぽつりとした一言だった。
私の胸を占めるのは、“後悔”と“不甲斐なさ”の二つだけだった。
最良の未来? 取り返す? 頑張る? どの口がそんなことを言うのだろうか。
今、目の前にいる少女は誰の所為でこうなってるの? プレシアさん? うん、そうだね。一番の原因は間違いなくあの人だ。でも、私はこうなるってわかってたはずだよね?
……結局、私の力不足の所為じゃない。
確かにフェイトちゃんの出生は絶対に避けては通れないことでもある。
それは仕方がないって私にもわかっている。いや、わかってた。だけど、だけどさ……。
「こんな、こんな結果はあんまりだよ……酷過ぎるっ」
「なのは……」
報われない。報われなさすぎる。
救いがない。救いがなさすぎる。
大体、フェイトちゃんが何をしたっていうの。ただ、お母さんに笑って欲しくて、褒めて欲しくて、喜んで欲しくて。そんなただの優しい子なんだよ? それが何でこんな仕打ちをされなくちゃいけないの?
世界って奴は本当に理不尽だ。もっと皆に優しくても罰は当たらないよ。
もし、これを試練だとか言うの奴がいるのなら、私はぶっ飛ばしてやりたいっ。
「……っ。フェ、フェイトちゃん?」
私が世界の理不尽さを嘆いていると、突然、フェイトちゃんにぎゅっと服の袖を掴まれた。とは言っても、それは手で払えば簡単に解けてしまうほどに弱いものだ。
だけど、フェイトちゃんは確かに私の服を掴んでいる。
「フェイトっ!? 声が聞こえるのかい!?」
「……………………」
アルフさんが声を掛けるけれど、何も反応は返って来なかった。
どうやら、今のは無意識でのことらしい。けれど、同時に此方の声が届いている可能性もある。何か言わなくちゃ……私はそう思った。
「あ、あのね……」
でも、なんと言ってあげれば良いのだろう。
今、この親友に何て言うのが正解なのだろう。
……残念なことに私にはそれがわからない。
何か良い言葉を掛けてあげたくても、浮かんで来ない。それがとても歯痒い。
「……っ…………」
辛かったね? なんて私は言えない。
大丈夫? なんて私は言えない。
泣かないで、なんて絶対に私は言えない。
心底傷ついた貴女に掛けてあげる言葉が見つからない。
それでも、だ。それでも私が敢えて言うとしたら……。
「……今までよく頑張ったね。偉いよ、フェイトちゃん」
この程度。この位の言葉しか私は掛けてあげられない。
今日こそ、自分の語彙の無さを恨めしく思ったことはない。
だけど、言葉でダメなら行動だ。
そう考えた私は、フェイトちゃんの頭を優しく撫でてあげる。前よりも少し痛んだ髪。輝きを失った髪。だからこそ、私は丁寧に撫でた。
労うように。慈しむように。フェイトちゃんの傷が少しでも癒せるように優しく撫でてあげた。
「フェイトちゃんは頑張り屋さんだから、きっと神様が今は休んでって言っているんだね。だから、今はゆっくり休んでいいんだよ」
そうしていたら、自然と言葉が零れてきた。
何の飾りっ気のない言葉。純粋な想いのみで構成された言葉。でも、私は少しでもフェイトちゃんに届くように言の葉に想いを込める。
先に進むのが辛いなら、一度立ち止まっても良い。
上を向くのが辛いなら、一度下を向いたって良い。
どんな貴女でも、私は絶対に味方になる。絶対に傍にいるから。
「フェイトちゃんが元気になったら、私と何処かに遊びに行こう。美味しいもの食べたりとか、お洋服見たりとか。綺麗な景色を見たりとか、色んなおしゃべりをしたりとか。あと、私の親友達にも紹介するのも良いかもしれないね。皆、凄く良い子達だからフェイトちゃんもすぐに仲良くなれると思うよ」
道を誤ったら、引き摺ってでも連れ戻してあげる。
泣きたいなら、この胸を幾らでも貸して上げる。
たとえ誰が敵になったって、味方になる。私はそう決めてるんだから。
私もまだまだ弱いままだし、未熟だし、色々と怖いことも沢山ある。だけど、私はもう逃げる気はないよ? 私はどんな運命だって乗り越えてみせる。
私はもう負けないって誓った。
過去に誓った。未来に誓った。そして、今に誓うよ。
だから、貴女も歩き出そう? きっとそこに貴女の未来が待ってるはずだから。
「まだフェイトちゃんの知らない楽しいや嬉しいが、きっとこの先に沢山待ってる。だから、今はたっぷり休んで、ゆっくりでいいから新しいフェイトちゃんを始めていこう。私と一緒に……皆と一緒に」
そう言い残すと、私は優しくフェイトちゃんの手を外す。
そして、それをアルフさんに握って貰った。すっと静かに立ち上がり、一度目を強く瞑る。……嘆きの時間はもうお終いにしよう。
「……ユーノ君、フェイトちゃん達をお願いしてもいいかな?」
「えっ……あ、はい」
「うん、お願いね。それでアルフさん……」
ゆっくりと目を開け、声を出すと自分でも信じられないような冷たい声が出た。
周りの皆も驚いているみたいだけど、今の私はそのことに全く関心がない。
私の感情が向かう先はただ一つ……。
「私に教えて、フェイトちゃんのお母さんの居場所を」
――――プレシア・テスタロッサのみだった。