波紋の護人   作:嵐壱

1 / 6
一目惚れ

 一目惚れ、という奴なのだろう。芯の強さを覗かせる輝くような瞳、艶やかな緑を兼ね備えた黒髪は高い位置で結わえられ肩よりも長く下ろされている。何よりも照らすようなモノじゃない、全てを暖かく包み込む神聖な微笑み。女子として当たり前だが、少年より頭一つ分は小さい。

 少女が湛える微笑みは一瞬にして少年の心を捕らえてしまい、相手が何者だとか家柄がどうとか家同士の取り決めだとか、しきたり全てが吹っ飛んでしまった。ただただ、あの少女だけが映し出され心を染めていく。

 春先の、桜が舞い散る並木道。僅かに交差した視線は不思議と二人をその場に立ち止まらせる。

 元来少年は良い意味でも悪い意味でもしきたりに囚われず自由奔放な振る舞いをしてきたし、これからもそれを続けるつもりである。故に少年は心に固く刻み込んだ。

 ーーあの娘を俺の伴侶にするーー

 他の、少なくとも五摂家よりは下の武家ならば市井の娘を迎え入れても問題あるまい。しかし、しかしだ。五摂家である、皇帝陛下から国政を承り将軍を代々輩出する五摂家ならばそうもいかないのだ。将軍家、つまりは五摂家に近い赤、譜代の山吹色か、外様でもそれなりの家柄を持っていなければならない。

 武家社会におけるしきたり、伝統のようなものだ。特に五摂家は将軍を輩出する特別な家柄、市井の娘を迎え入れようとすれば家の中だけでなく外からも様々な声が出てくることは必須。

「え、っと。ゴメン、道を聞いてもいいか、な?」

 でも、そんなしきたりをしがらみとして囚われることなく想いのままに少年は声をかけた。普段の少年を知る人間からしてみれば驚くほど大人しく落ち着いた声音で、それが想い人に対しての緊張感から来たものと知るは本人だけ。

 春先の心地良い風に撫でられ、可憐に舞い散る桜の中を少女の艶やかな髪がたなびく。頬に朱を差し、潤いを帯びた瞳で少年を見つめながら小さく頷き、吸い寄せられるようにして足を向ける。

「武家屋敷界隈ってところに行きたいんだけど道が全然分からなくて」

 一瞬、ほんの一瞬だけ大きく目を開く少女。されどもすぐに鳴りを潜め、

「あぁ、そこならこの街に住む人でも道を間違えることがありますよ。よかったら私が案内しましょうか?」

「お、だったらよろしく頼む。ほとほと困り果てていたんだ」

「いえいえ、用事が済んだところでしたし困った時はお互い様、ですよ。お侍さま」

 連れだって歩を進ませようとして何気なく発された少女の言葉に、少年は軽く目を見張らせ次いで納得したように苦笑してみせる。思った通り、この少年は武家に連なる人らしい。

 目的地は、少年がこの街で知ってる数少ない地名であることと本当に道が分からないがために訊ねた場所なのだが、この街に住む少女は、いや、この街の人間ならそこがどんな場所であるかは知っている。古き良き武家の屋敷が連なり庶民の街とは隔絶された界隈。

 当然ながら庶民は寄り付かない。精々が武家に関わりのある人間くらいだ。

 この道を訊ねてきた少年が武家に連なる人と思ったのは場所が場所でもあるけれど、纏い漂う浮世離れした存在感が自分と同じ人間として感じられなかったから。高貴な者が纏う存在感、なのかもしれない。

 不思議な少年で、心が惹かれていく。本来なら道だけ教えて近寄らない場所だというのに、この少年と共にいたい、言葉を交わしたいという想いが胸の内に強くある。だからこの街の人間でも間違えることがる、という嘘をついて案内役を申し出て。

「綺麗だ」

「この並木道、毎年満開の桜で溢れかえってて。昔から大好きで綺麗な桜たちです」

「いや、そうじゃなくて」

 歯切れの悪そうに言葉を濁す少年は、横目で少女を覗き見ては目を逸らし、紡ごうとする言葉は桜と一緒に舞い散って音になることはなく。一言、少女が綺麗だと言えばいいのに。何でこうも素直に言い表せないのか。

 その時、はらはらと桜の花びらが少女の前髪を彩るように舞い落ちてき、ひたと止まる。花びらという自然の髪飾りは少女を美しく引き立て、魅せていた。

 払いのけようとした少女を制した手の主に、困惑した体で見上げる。

「いや、その、払うのは勿体ないというか。桜が髪飾りみたいで、君がとっても綺麗で……」

「お、お侍さま、急に何を言って」

「綺麗だから、その花びらを払うのは勿体ないって思って。……ははっ、何を言ってんだろ俺は」

 気にしないでくれ、続けて発せられるはずの言葉は瞬く間に霧散してしまう。鮮やかな朱に染まった頬と、潤いを増した瞳で見上げてくる少女があまりにも可憐で、愛らしく、思わず立ち止まって見惚れるほどに。

「高原麻衣、です。お侍さま」

 それが少女の名前だと気づくのに暫し間があった。見れば少女、麻衣は俯きながらも嬉しそうに微笑んでるではないか。

 会って少しの名も知らぬ武家の少年に、麻衣は心を奪われていた。この身が恋をし、想いが少年へ向けられていることを自覚したのはたった一言、綺麗だというそれだけ。いや、そもそも桜の向こうにいた少年を視界にいれたあの瞬間に、少年の静かに佇む澄んだ瞳に魅入られていたのだ。

「高い原、麻に衣と書いて高原麻衣、です」

 どうしてこのようなことまで告げたのか、そもそも名前を教える必要もなかっただろう。訊ねられてもいないのに自分から告げたのは、名前を呼んで欲しいからなのか。

「麻衣、良い名だ。俺は……護人(もりと)。九條護人」

「九條、護人さま……」

 繰り返し呟き、それが想い人の名前だと胸に刻みつけた麻衣はふと引っかかるものを覚えた。九條、という苗字。武家に連なる人で、九條の名を持っている。それは気づくべきでなかった方が幸せな、残酷な現実。九條という家は一つしか存在しない。国政の中枢にいる五摂家の一つ、それが九條家。初等教育でも五摂家やそれに連なる家々は歴史の授業で習う。

「うん、麻衣が察した通りの人間だよ俺は」

 微かに頷いてみせる肯定の言葉、あまりにも恐れ多い殿上人といるのだと実感してしまい恋が終わったことに気づく麻衣。庶民が言葉を交すこと自体恐れ多いのに、まして恋をしてしまうとは。九條家ならば、きっと家柄の良い武家に許嫁がいるかもしれない。庶民の娘でも、迎え入れる武家があるとは聞いたことがある。徴兵を二年後に控えている麻衣は、まだ夢見る年頃の少女。しかし、恋の相手が五摂家の、九條家なのだ。夢を見ることすら叶わない。

 急に輝きが失せた麻衣の様子を見て、護人は苗字を明かしたのは失敗だったかと思考を巡らす。九條の名を出せば、例え武家の娘でも萎縮してしまうことが多い。

「麻衣」

「は、はい九條さま」

 打って変わって堅苦しい仕草を見せる麻衣に苦笑しつつ、解きほぐすように努めて軽く言う。

「護人でいいよ、誰が聞いてるかもしれないし。それより、ちょっと街を案内してくれないか? 麻衣の好きな場所とか、お勧めの場所をさ」

「で、ですけど護人さま。私なんかが、その、一緒にいても」

「いいのいいの、俺は麻衣にこの街を案内して欲しいんだ」

 朗らかに言ってのける護人は、先ほどまで麻衣を相手にしていた時と印象が違う。まるで他の者の意見など何処吹く風、掴めるみ所のない雲のような。

 正直言うと護人の申し出はありがたかった。目的地に着けばそこで別れることになる、叶わぬ恋だとしても共にいたいと強く想い、なれば少しでも共にいられる時間を得られる護人の申し出は嬉しい。今を楽しみ、今を想い、今だけでもこの人の傍らにいたい。

 風が吹くままに動き行く雲は、けれども掴むことができない。しかし浮世離れしたその強大な存在感は見る者を圧倒する。高原麻衣という少女は、掴み所のない九條護人という雲に恋をしてしまった、殿上人たる圧倒的な雲に。

「私で、よければ」

「俺は麻衣が良いんだよ」

 麻衣が良い、恋を自覚さえた綺麗だとの言葉といいこの人は女の子の扱いに慣れてるのではと疑ってしまう。実際はそんなことはなく、現に護人は想い人へどう言葉を交わして良いのか緊張し、素直になれなかったくらいだ。

 差し出された手を見つめ、おずおずとその手を取ると強く握りしめられた。見上げれば、まるで俺の物だと離さないばかりに子供っぽい笑顔であの澄んだ瞳を向けてきてくれる。この身は、例えこの瞬間でも、自分の恐れ多い思いこみでも、護人さまの所有物。胸の内をよぎった倒錯した想いが突き抜け、この上ない幸せが麻衣を包み込む。

「やっと笑った、俺の所為だけど暗い表情よりも麻衣は笑顔が似合うよ」

「そんな、護人さまの所為じゃ」

「んや、家の名前を知れば仕方ないかもしれないけどあんなに綺麗な麻衣を暗く沈めたのは俺の所為だから」

 自嘲するでもなく、思い詰めるでもなく、さも当たり前のように言い切ると麻衣の手を取って並木道を歩いていく。舞い散る桜の花吹雪が、まるで二人を本物の恋人のように魅せ立てる。

 二人の間に勘違いこそあれど、共通してるは互いのことを愛しく想い幸せな時を送っていることだ。麻衣が見せたいと思った場所に護人を連れて行き、護人は麻衣の住むこの街を知ろうとあれこれ軽い口調で、或いは少し恥ずかしげな口調で訊ねていた。

 ふと、上空に影が差したと思えば甲高い飛翔音を轟かせた二機の戦術機、89式戦術歩行戦闘機陽炎が編隊を組みながらフライパスしていく。戦場でもない市街地の上空を飛行するのは訓練であろう。近隣には帝国軍や在日米軍の基地も存在している関係から、市民にとっては日常茶判事なのだろう。麻衣は元より周囲の市民たちも特に驚いた様子が見受けられない。

 戦術機が飛ぶことは日常、まだ戦場にならなくとも日常の一部と化している。いずれは自分が、そして傍らの少女も戦術機を駆ることになるのだろうか。大陸に派遣された陸軍の衛士損耗率は高いと聞く。戦線が突破され半島、ひいてはこの国が戦火に曝されないとの保証はない。

 徴兵年齢は年々引き下げられ、女性、事実上の学徒動員まで行われたようなものだ。九條家に連なる護人は徴兵されないが、しかし軍事教育を受けいずれは斯衛に所属することになろう。しきたり、伝統に囚われぬ護人でも抗えない運命なのだ。

「護人さまも、いずれは衛士になるんですか?」

「それが俺の務めさ。適性なくて戦術機に乗せられない、っていうことでもない限りだけど」

 言葉とは裏腹に帝国斯衛軍の専用機、82式戦術歩行戦闘機瑞鶴を用いてシミュレーターであるが戦術機の訓練は自主的に始めていた。適性に関しても問題ない。

 無論そのようなことはこの場で話せるわけがなく、軽く笑い飛ばしたのだ。

「そういえば、麻衣は徴兵まで待つのか? それとも訓練校に?」

「あと2年して、訓練校に行くつもりです」

 訓練校とは衛士訓練学校の略で、徴兵前に志願兵が進学する学校だ。教育課程の改正により15歳から訓練校へ入学することから逆算すると、今は13歳ということになる。

「3つ歳下かぁ。そうか、俺は何一つ麻衣のこと知らないから」

「今日、初めて知り合ったばかりですからね」

 そして私の初恋も、とは心の中で続けて。

「んー、俺はもっと麻衣のことを知りたいけど」

「護人さま、それどういう……」

「そのまんま、麻衣のことが知りたいだけだよ。俺、何一つ知らないからさ」

 好物や趣味、他にも色々と知りたいことはある。その逆も然り、知ってほしいことも沢山ある。一目惚れでも、初めての恋なのだ。初めて心が囚われた少女なのだ。どんなことを言われようと、麻衣を生涯に渡って伴侶とする。しきたりや伝統を言ってくる奴らに聞く耳は持たんし、最悪家を出ても良い。麻衣を、愛しい想い人を伴侶とすることに決めたのだ。

 幸せな時間は、されど終わりが近づきつつあることを護人は感じていた。陽が堕ち始め、夕闇に空が覆われつつある。そろそろ戻らねばなるまい。

 最初に訊ねた場所への道案内を頼むと、終わりを悟った麻衣は物悲しい微笑みを湛えつつも務めて明るく振る舞おうとした。永遠に続くことはない、それに充分幸せだっではないか。寂寥の気持ちが胸を埋め尽くし、同時にこれだけでも贅沢な幸せだと考える自分がいる。五摂家が一つ、九條家に連なる護人は麻衣からすれば殿上人なのだから。

 近代的なコンクリート製の建物はいつしか木造建築へと変わり、やがて古き良き武家屋敷が立ち並ぶ界隈が見えてくる。あそこへ連れて行けば、護人との幸せなひと時が終わる。

 途中、年季の入った小さな土産物屋を通り過ぎようとしたとき急に護人は立ち止まり、麻衣と店を交互に見てから、意を決して少女を連れ店の中に入っていく。

「護人、さま?」

 店は近くに武家屋敷が近いこともあってか趣のある内装で、女性向けの櫛や簪なども置かれている。ヘアゴムやヘアピンを使う麻衣にとってあまり馴染みのない場所だが、流石は九條家か、それとも慣れてるだけか、護人はあれこれと品定めをし、やがて一つの髪飾りを手に取った。

 桜吹雪をあしらった模様を持つ髪飾りをしげしげと眺めているが、どこからどう見ても女物だ。許嫁か親しい人に贈るのかもしれない、そう思うと寂しさとは別の意味で胸が痛む。

「店員さん、これ下さい。あぁ、包は結構です、えぇ」

 麻衣にとっては恐ろしいほどの値段を現金で払ってしまう辺りやはり九條家なのだと感心していると、護人は手にした髪飾りをさも自然な動作で麻衣の空いた手へと渡し、ただ黙ってつけるよう促す。

 まさか、自分への送り物なのか。嬉しいやら恐れ多いやら気持ちが反目し合い、本当につけてしまって良いのか考えてしまう。想い人からの贈り物、値段は値段でまた恐ろしい。

「護人、さま……これはどういう」

「俺に付き合わせてしまったから、そのお礼」

「いえそんな、それにこんな高い物、頂けません」

「いや、貰ってくれ。並木道で桜の花びらが麻衣の髪について、綺麗だと言ったろう。桜の花びらと違いこの髪飾りなら落ちることも、風に吹かれることもない。年中ずっと麻衣を更に美しくするよ、絶対に。貰って欲しい」

 真剣な、しかし照れくさそうに頭を掻いて見せて。でも、麻衣がつけるのを今か今かと澄んだ瞳が見つめてくる。

「分かりました、ありがとうございます、護人さま」

 深々と頭を下げ、髪飾りをさっそく前髪へつけてみせる麻衣の笑顔はとても柔らかで、痛々しい。別れの時が近いのだ。もうすぐそこで二人は別れ、幸せな一日が終わる。殿上人の護人に恋をした少女と、庶民の麻衣に恋をした護人。これから先二人が再開することはないだろう、少なくとも麻衣はそう思っていた。

 だが、九條護人は違う。護人は麻衣を生涯の伴侶にすると心に刻み込んだ、一目惚れだろうが家の内外が何か言ってこようがもう決めたことなのだ。

「また会おう、麻衣。いつになるか分からないけど、俺はもっと麻衣のことを知りたい、もっと一緒にいたい、絶対にまた会う」

 最後は断言してみせる護人に、もしかしたら本当に叶うのではないかと光明が差す。この人ならば、嘘はつかないような気がするのだ。例え恋が実らなくとも、想い人と再会できるのならば。

「私も、私もです護人さま。また、いつか会いましょう」

 固く結んだ二人の約束。少年は少女を伴侶として、少女は初恋の少年に想いを馳せ、いずれ来るだろうその日を待つことになる。この約束が、互いに一目惚れして両想いになった二人の存在が、あいとゆうきのおとぎばなしに小さな波紋を広げるのはまだ先。

 




高原少尉の性格は作者の想像です。まだまだ主人公と高原少尉の物語はこれからです。高原少尉の下の名前はどっかで麻衣とみた記憶がある(多分だけれど二次創作かも)
戦術機は疾風や大雀蜂が好きです。ラファールとF-18Eです。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。