波紋の護人   作:嵐壱

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二人の責務

 珍しく雪が降らず太陽が顔を覗かせた日のことである。

「あれは中々器量の良い娘だ、其方には勿体無いほどに」

 九條の屋敷は護人の自室にて。部屋の主と対面する蒼き衣を纏う男、斑鳩崇継は弟分の婚約者が淹れたお茶を啜りながら尊大な物腰で言う。斑鳩家の次期当主、斯衛において絶大な影響力を誇る野心家はしかしと、確かめるような口調で続けた。

「今となって、あの娘に酷な未来を突き付けてしまったと思ってはおらぬか?」

 市井の娘にとっては、と付け加えて。花嫁修業と称して九條家に迎え入れられた高原麻衣は武家の娘として必要な礼儀作法、各種の勉学に追われている。それは確かに厳しいが、同時に楽しくもある。何よりも、未来の夫に対する強い愛情に支えられ、酷だと思ったことは一度もない。

 されども、崇継が口にした言葉は酷な未来。即ち、武家社会に身を置いていくうえでこれから待ち受けることだ。武家の者は、男女で学び舎に違いこそあるものの責務を、言い換えれば武家の宿命、呪いを全うするため斯衛の侍となる。麻衣の歳は13、今年で14。来年には斯衛か、そうでなくとも帝国軍の学び舎で更なる勉学に励まなければならない。

 五摂家の一つ、九條家に迎え入れられたと言っても市井の出。斯衛であろうと帝国軍であろうと様々な困難に直面するであろう。五摂家という、九條家という呪縛が付いて回る。

 一度だけ、護人は麻衣に崇継と同様のことを訊ねたけれども、愛おしい少女は頬を紅潮させながら断言したのだ。護人さまのためならば、全てを受け入れると。

「ま、確かに酷だろうけどさ。俺がいるよ、俺が麻衣の支えになれば問題ない、だろ崇継兄?」

 明快に言ってのけた護人を、しかし惚気と受け取りつつもその覚悟が固いことを確かめ、不躾な質問であったと崇継は悟る。そもそも、愛する娘のためにこの弟分は可能性を捨てられるような男だ。将来の可能性を捨てる、権力志向が皆無な護人だからこそ、か。野心家の自覚がある崇継にはできないものだ。

 家督の相続権を放棄してまで、市井の娘を娶りたいなど。

 やはりというか、麻衣を迎えることに九條家ではそれなりに揉めていたらしい。それをこの弟分は、家督の相続権を放棄することで認めさせたのだ。九條家の家督を、である。意思の強さを、何よりも深い愛情を思い知ることで九條家に認めさせた。

「で、崇継兄。そろそろ本題に入っても良いいんじゃないかな」

「ふん、元よりそのつもりよ。其方が惚気る故に話が進まなんだ」

 さりげなく護人に責任を擦り付けると、一転。何を考えているか分からない薄笑いを浮かべながらさも愉快そうにその口元は歪む。知っている、知っているぞ、こういう時の崇継兄は碌でもないことを言い出してくる。昔これで恭子姐さんにこっぴどく叱られたトラウマは忘れることができない。

「其方、斯衛で一個大隊を預かる気はないか」

「崇継兄、流石に疲れてるんじゃないか。俺が一個大隊、冗談だろ。崇継兄や恭子姐さんと違って俺は駒としての武人だよ」

 一個大隊を率いる器じゃない、それならば将来九條家の家督を継ぐ従妹の方が相応しい。九條護人は戦技に優れ、年の割には衛士としても優秀だ。武人としての秘めたる才には期待を寄せる者も多いが、人を統べる立場に相応しいかと問えば首を横に振らざるを得ない。

 斯衛の一個大隊を預かるとしよう。五摂家の一つ、蒼の九條家に連なる護人に逆らえる者は同じく五摂家に連なる者か、将軍くらいしかいない。斯衛ではそうだ。次期当主にならなくとも、蒼を纏うだけでその影響力は大きく様々な波紋を広げていく。

「其方がそう思っているだけだ。何なら直接鍛えてやっても良い、政に向いていなくとも其方は武人として、一角の将としての器を備えているぞ? どのみち其方は大隊を率いることになるがな」

「……器云々は置いとくけど、最後のはどういうことだよ崇継兄」

「言葉通りの意味よ、斯衛に身を置く摂家で大隊を率いておらぬは九條だけだぞ護人」

 斑鳩崇継は斯衛最精鋭と謳われる第16大隊を、崇宰恭子は常備軍の一つたる第3大隊をそれぞれ率いている。斉御司公は現将軍で跡取りはまだ幼い。煌武院は次期将軍としてそもそも斯衛の中に身を置いておらず。

 一方の九條家はと言うと16の歳で一応は斯衛に身を置き、衛士としての評価も高く武人としての将来に期待される若者が1人いた。そう、将の器を持つとされる若き武人が。

「大陸での戦況、知らぬわけあるまい。帝国が戦火に見舞われるのも、いよいよ近いやもしれぬ。其方も気づいておろう」

 年が明け、1997年。遠く離れたアラビア半島では、撤退戦が開始された。中東連合軍、米軍、国連軍、アフリカ連合軍は戦線を縮小し、更には支援のためスエズ運河付近へと北アフリカ防衛を担う欧州連合軍も集結しつつあった。10年、侵攻を持ち堪えていた中東から人類が駆逐されようとしている。

 欧州も中東も、印度亜大陸も落ちたとなれば、次の主戦場はどこか。未だに激戦を繰り広げる東南アジア、戦術核を用いた焦土戦略で半島に追い落とされぬよう踏ん張っている中国大陸、遂には極東まで後退してきたソ連軍が死守する北東ソビエト絶対防衛線。

 ユーラシア内陸部の連中が次に狙うのは、未だに大陸へ人類が残るアジア圏。先にあげたアジアの何処かしら一つでも戦線が突破されたら、次は帝国が戦場と化すこと間違いない。

「五摂家に連なる者としての責務、か……俺が大隊を預かるのも」

「今すぐとは言わんが、いずれは背負うことになる。よくよく考えておけ」

 

 

 

 ▽

 

 

 

 高原麻衣が九條家に迎えられ数か月。厳しいけれども楽しい、何よりも愛する人のためを想えばこその花嫁修業は目に見える形として現れていた。元来、飲み込みの早い娘だったのだろう。武家の娘として見事なまでの作法、仕草を身に着け、斯衛や武家、九條家のあり方を理解しつつある。

 まだ13の歳でありながら、麻衣は大きく精神的に成長していた。されどもまだ13、13歳なのだ。年相応に愛らしい仕草を見せることもあれば、失敗をすることもある。それでも笑顔を絶やさず護人の傍らに寄り添う少女を、九條家は本家から分家筋、使用人に至るまで暖かく見守っていた。

 本人は知らぬことだが、武家社会は九條護人の婚約者について未だに話題として上がることも多い。市井の娘ということもあるけれど、専らその可憐な容姿と護人へ尽くす姿勢が多くの家々に知れ渡っているからだ。九條護人の将来の妻、高原麻衣。一時は騒然と波紋を呼び起こした武家社会における存在も、今は穏やかに受け入れられつつある。

「え、麻衣の夢ならもう叶っていますよ護人さま」

 貴方の傍らで共に過ごせるのだから。いつもなら暫し見惚れる麻衣の微笑みを、しかし今回ばかりは違うようで護人は要領を得ない反応を返すだけ。

「そうじゃなくて、何と言えば良いのか。これからやりたいこと、例えば進路とか、かな」

 麻衣の膝上から見上げると、今度は少々困った表情で即答できないでいる。難しい質問だっただろうか、それとも何やら言い難いことなのか。

「やりたいこと、は護人さまと幸せに暮らすことくらいですけど。進路は……」

「言い難いことなのか?」

「いえ、そうじゃなくて……護人さまの、副官になりたいです」

 副官、つまりは衛士として支えたいと。逃げるように顔を両手で覆い隠したけど、隙間からこちらの様子を窺う姿が、衛士になってでも傍らで支えようとしてくれる気持ちが、あまりにも愛おしくて。

「斯衛の衛士になるだけでも大変と教えられました。それでも麻衣は、護人さまのお傍で支えたいのです」

 だから、斯衛の衛士訓練校へ進むつもりだと言う。今のような幸せを掴めるとは考えられなかった時より、斯衛を目指せば護人の近くにいられると思い進路は決めていたらしい。それがこうして九條家に迎えられ、花嫁修業の一環としての教育により斯衛や武家、九條家のあり方を教えられた時よりその想いは更に強くなったと。

 武家以外の者が斯衛になるのは大変だ、前提条件として帝国軍に所属してる必要がある。次に、帝国軍でも斯衛に相応しい心構えや功績を持つこと。帝国軍に所属するのは簡単だ。このご時世、徴兵というものがある。けれど、帝国軍から斯衛へ渡る道は険しく、その数も決して多くはない。

「幾分かは、その険しい道も緩くなりましたけど。麻衣でも斯衛の訓練校へ進めるようになりましたから」

 斯衛の訓練校は武家に連なる者しか進めないが、九條護人の婚約者たる麻衣は違う。今は正式な婚姻こそ結んでないものの、時が来れば九條の名を持つのだ。いわば、未来の九條家に連なる娘として、蒼を纏う資格も斯衛の訓練校に進む資格も併せ持つ。

「そっか、それが麻衣の決めた進路か」

 麻衣は自らの意思で進むべき道を決め、目標を定めた。一方の護人はどうだ、同じようなものがあるだろうか。しきたりや伝統に囚われるのを良しとせずやんちゃしてきたが、逃れられない責務だけは受け入れて来た。斯衛の衛士として。そしてまた、責務という名の下に一個大隊を預かろうとしている。

 器じゃない、崇継がどう言おうと己の評価は変わらない。しかし、責務として大隊を預かるのならば、果たさねばならぬものがあるのなら。

 ーー相応しい指揮官にならなきゃなーー

 こんな自分に付き従うまだ見ぬ部下たちに、何よりも愛する少女のために。

「麻衣、俺はいずれ大隊を預かることになるから、副官ってことは大隊長の副官だぞ、それでもいいか?」

「構いません、麻衣は護人さまに全てを捧げましたから。大隊帳だろうと、それこそ連隊長、師団長だろうと副官として支えるつもりです」

「斯衛に師団長の椅子はないけどな」

 苦笑交じりに事実を言うと、比喩ですよと穏やかな声で返される。こうした日々があとどれくらい続くかは分からないけれども、護人のするべきことは定まった。大好きな静かに佇む澄んだ瞳は新たな決意の焔を灯したことに気づく麻衣。

 詳しくは知らないが、力になれたのなら良かった。この人は麻衣だけじゃない、これからの帝国に必要な方だから。こうして麻衣が力となり、或いは支えていく。それこそが、妻として、愛する者としての責務。

 二人の責務は違っても、根底にある想いは同じ。互いに愛しているだけのこと。愛してるからこそ護人は相応しくならなければ、愛してるからこそ麻衣は支えなければ。

「護人さま、愛してます」

 不意打ちにも近いそれにさしもの護人と言えども驚愕を滲ませ、鼻孔をくすぐる麻衣の匂いと口の中を広がっていく麻衣の味。麻衣の膝を駆り、いわゆる膝枕の状態で寝転がっていた護人は正に無防備であった。

「麻衣は護人さまの物ですから、何かあれば言ってもらって構いません。だから、独りで抱え込もうとするのだけはやめて下さいね」

 今の接吻は罰ですよと言われたら。麻衣には全てお見通し、隠し事はできないと改めて実感するのであった。

 

 

 

 ▽

 

 

 

 雪は解け、緑が芽生え花が咲き始めた春のこと。もうすぐ麻衣と出会って一年が経とうとしていた。帝都城の一角を2人の男女が歩いている。2人がその身に纏うは蒼。

 蒼を纏うことが許される人間は多くない。五摂家に連なる者で、自ずと限られてくる。その蒼が2人、連れ立って帝都城を歩くのは珍しい光景で、否が応でも注目を集めてしまう。ただでさえ波紋を呼び、今でも武家社会では話題に上る二人であるだけに。

「動じなくなったなぁ麻衣も。初めて帝都城を訪れたときは俺の手を掴んで離さなかったのに」

 蒼を纏う男、護人はその時のことを思い出し悪戯好きな子どものように笑ってみせる。時の政威大将軍へ麻衣との婚約を報告しに帝都城へ出仕したあの日、着なれぬ斯衛の服による戸惑いもあったのだろうけど、道行く者たちから様々な視線を投げかけられ麻衣は随分と縮こまっていたのだ。

 それがほんの数か月が経った今はどうか。見事なまでに蒼を着こなし、緑の掛かった艶やかな髪を一つに結わえた姿は堂々としたもので、九條家での躾が現れている。

「護人さまに相応しい武家の娘として様々なことを教えられましたから。二度もあのような醜態を晒しませんよ」

 上品に口元を袖で隠しながらも微笑む麻衣。仕草だけじゃない、言葉遣いも何もかも、武家の娘となっている。生まれ育った環境がそうならばいざ知らず、僅か数か月で身に付く物じゃないというのに。

「別にあれはあれで可愛いから良かったんだけど」

「でも、私は恥ずかしかったのですよ。その、色々と」

 己の醜態もさることながら、護人に迷惑をかけてしまうのではと。一番の懸念事項がそれであった。まぁ、今となっては恥ずかしい思い出である。帝都城へ出仕する度に、当時の麻衣を知っている者たちからの様々な視線を向けられることで思い出してしまうが。

 出仕した2人の要件は済ませてあり、屋敷へ帰ってもいいのだけれど。何となく2人っきりで帝都城を周りたいから人気の少ない場所を選んでは散策していた。特に意味はないけれど、意味のないことを出来る今を大切にしたいのかもしれない。

 まだ幾分涼しい風が吹き、どこからか木葉が一枚舞い降りてくる。偶然にもそれは麻衣の前髪へと、片時も離さず常に付けている桜吹雪の髪飾りへと落ちて来て。

「去年は桜が落ちてきたなぁ。もうすぐ1年、早いもので俺も17か」

「護人さまが私を欲しいと言ってくれた時は、紅葉が落ちてきましたっけ」

「で、初めて接吻したら何処かの馬鹿編隊が上空をフライパス。落ち葉が一気に舞い上がった」

「私は嬉しかったですよ、その、2人だけの聖域を作ってもらったから」

 1年、長い時が過ぎるのは早い。いや、幸せな時だからこそ過ぎるのが早いと感じるのか。桜の並木道で麻衣と出会い、関東へ用事がある時は必ず時間を作って会いに行き。2人だけの時間を楽しんで。桜が秋の葉へと変わったあの並木道で、麻衣を欲した。

 ふと、指を絡ませた腕に熱が籠った。隣を見上げると、まるであの時のように照れつつも真剣な表情で。あぁ、きっと麻衣の頬も紅くなるんだと分かる。

「麻衣は、俺だけの物だからな」

 だから絶対に離さない、そう意思表示するために手を強く握って。それがとてつもなく愛おしい、この身は護人へ捧げたのに、それでも麻衣を離さず縛ろうとする。

「はい、麻衣は護人さまの物です」

 九條の屋敷でも帝都城でも、斯衛の駐屯地でも、凄惨な戦場でも。麻衣は護人さまを支え続けます。




三話目になっても戦術機は殆ど登場しない。作中で明確に描写()した戦術機はF-15J、89式戦術歩行戦闘機陽炎のみ。
97年は対BETA大戦で色々とある年。
97式高等練習機吹雪が配備を開始した年です。ソ連軍のSu-37が配備された年です。108機のType94、94式戦術歩行戦闘機不知火がUNブルーに塗装され、A-01教導連隊が発足した年です。第5計画が認可され、ラグランジュ地点で箱舟たちが建造され始めた年です。台湾総督府が中国共産党政府の台湾受け入れを表明した年です。そしてアラビア半島の戦線が瓦解、各軍はスエズを渡り辛うじてアフリカへの侵入を食い止めた年……。
ユーラシア放棄が着々と……。
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