埋まらない帳簿を開く   作:ほりごたつ

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微睡む朝、訪れる目覚め

 ふと目を覚ます。

 まだ暗い。

 けれど少しだけ明るさが広がり始めた朝、早い朝。

 

 瞑っていた瞳を開く。

 見えるのは見慣れた木目と淡い桜色。

 何故か前髪を掻き上げたくなった、視界の端で桜色が揺れ、消えた。

 

 静かな部屋、私しかいない自室。

 生命などない場所にある住まいの奥まった部屋なのだから静かで必然とも思える。

 それに、私に賑やかさを届けてくれるあの子は、まだ目覚めてはいないはず。

 だというのに何故か騒がしく感じる。目覚めの朝日も浴びていないのに私の胸の内が少し騒いでいるようだ。寝起きから少しだけ高鳴るものが胸中にある。こう感じるのは久方ぶりでちょっとだけ慣れない、鼓動を打つものなどとうの昔になくなっているのだから。

 

 寝ていた布団から半身だけ起こす。

 変に目覚めてしまって頭は起きているけれど、縦にした身体は未だ眠りの中にいるような、曖昧な、温い浅瀬で微睡むような感覚を覚えた。

 それでも一箇所、確かな感覚を得ている場所もあるみたい。

 

 頬。

 ツゥ、と。

 静かで動きのない部屋の中、唯一動いたものが伝う。

 

 何故私は泣いていたのか。寝起きの頭ではわからない。

 伝う涙を軽く拭う。

 そうして何故と、私に問いかけるが、私は答えてくれなかった。 

 

 考えていてもわからない、それなら考えない。

 そんな風に、考えを入れ替えるように立ち上がった。

 締め切られた障子を開き、外を眺む。

 やはり早い時間だった、陽の光は未だ遠く低く、顕界の空を白めるだけに留まっているようだ。それでも、後半刻もすれば日が差し始めてくれて、私の庭や、それを眺める私の顔も照らし出してくれるだろう。その頃にはきっとあの子も起き出して、朝餉の準備を始めてくれるはず。

 

 そうなるまで私は暇。

 というよりも今のような状態になってからは、ほとんどの時間が暇という予定に埋められている。こうやってなんともない事を考える事すらもしない、しようとはせずに、ただぼんやりと過ごし、偶に訪れてくれる友人と語らうだけ、それが今の私。

 

 霊魂の管理をしなさい。

 閻魔様からはそんなお仕事を頂いてはいるのだけれど、過ごしている霊達は皆裁判待ちの者達で手がかるような者達などはいない。それに今の私に出来るのは上手に霊魂を管理する事ではなく、上手に霊を作る事だ。

 

 いつか。

 いつ頃だったのか覚えていないけれど、以前は操れるだけだった気がする。だのにいつからか(いざな)えるようになり、誘う事が苦ではなくなり、さも当たり前になり……他人様の吐息を止める方が私には得意になっていた、そう願った事も、欲した事もないというのに。

 

 

 気が付くと口元に手があった。

 まるで自分の吐息を止めるように、私の口を塞ぐ右手。

 その手にポトリ、雫が落ちる。

 また私は泣いていたみたい。

 右手の甲に落ちた雫二つを左手の指先で救い上げる。

 そうしてまた考える。

 何故私は泣いているのか。

 自身の涙で輝く指を見つめ、あの子に呼ばれるまでは考えてみる事にした。

 

 最初に思いついたのは泣きたかったから、という事。

 けれどこの考えの答えはすぐに出た、泣きたくて泣いたのならこうやって考える事などないと、キラリ光る人差し指が教えてくれた。

 

 次いで思いついたのは人恋しいという事。

 もうすぐ日が昇ればあの子が来てくれる。先代と共にいつからか一緒に暮らし始め、いつの間にかいなくなってしまった先代に代わり、私の側にいてくれて当たり前となってくれたあの子。

 もうすぐに元気な声で、おはようございますと笑顔で起こしに来てくれる子がいる‥‥でも、あの子は家族で、私に心から仕えてくれている子だ。あの子の祖父からそう仕込まれて、仕込まれた通りに可愛い従者としていつも一緒にいてくれる。

 

 嬉しく思う、同時に少しだけ寂しくも思う。

 だってそうでしょう、友人は様なんて言ってはこない。でも、ソレが恨めしいとは感じない。

 だってそうでしょう?

 あの子は居てくれて当たり前で、それ以上を望むのはきっと贅沢が過ぎる事なのだと、今の私には思えてしまうのだから。

 

 きっと答えは別のモノだ。

 ならば違う相手、だとすればお友達のせい?

 いえ、それも違う‥‥ように思えた。

 来てくれれば楽しい。それも当然なのだけれど、別れの際には私も笑って手を振り、またねと言うのがお決まりになっているから、会えない事が寂しいというわけではなく、会いに来てくれない事が寂しいとも思えずにいた。

 

 それならばなんだろう、感じるこの焦燥感の理由は‥‥

 

 カタリ。

 起こした身体を動かすと、枕元でゆっくり倒れた物があった。

 火の消えた行灯にもたれかかり、斜めになっている背表紙を見て、そういえば寝る間際まで読んでいた事を思い出す。寝付く前の事が脳裏に浮かぶと、スルスル、動き始める思考。

 そうか、新しくこれを読み始めてしまったから、そうして(とこ)についたから、私は泣いてしまったのかもしれない。

 

 そう考えてしまうと無意識に手を伸ばしていた。

 手に取った書物は古い。端は切れ、表紙は掠れて、(へり)は日に焼けてしまっている。我が家にあった蔵書の一つで随分と奥にしまいこんであったもの。着古した浅葱色の着物に包まれて、書架の奥の奥に、まるで隠していたかのように収まっていた本。

 少し前に起こした異変で屋敷が揺れてしまい、並んでいた書架が倒れてしまって、解決に来た少女達が帰ってから、あの子と二人で片付けた物の中に紛れていた物。

 

 懐かしい着物を見つけたと、二人で微笑み思い出話に花咲いたあの時。

 それから羽織りを広げた時に中から転げ落ちてきた物が、この題名のわからない書物。本と言い切るには薄く、どうにか読み取れた部分も物語というよりは日常を、その日あった事を書き認めた日記に近いものに思えた物。

 

 それを読み始めたのが昨晩。

 日記の始まりは誰かの誕生から始まった。

 仕えていたお屋敷に一人娘が生まれた。

 元気に泣いて産声を聞かせてくれた事を喜び、抱かせて貰った時には泣きながら髭を握られたと、そんな事が嬉しそうな字体で書かれていた初日。

 あの堅物が赤子を抱くなど、と、少し可笑しい景色が描かれた日記を、文字に指を添えてゆっくりと読み始めていた。

 

 次に読み取れたのは生誕から少ししてから。

 生まれた子が育ち、自分の足で立ち上がり、歩き出す事が出来るようになった頃合いの一日。綴られていたのは桜舞う庭先で辿々しく走り回り、そんな風にはしゃいでは危ないと手を伸ばした瞬間に転げて、盛大に泣かれてしまったと記されていた。

 よく泣く子供だ。そんな風に、日記を書いたあの者が浮かべていただろう微笑みを私も浮かべ、読んでいた。

 

 それからペラペラと、その子の事ばかりが書いてある日が続き、最後に当たる部分がくる。

 この日はどうにも明るい話題ではないらしく、先に読めていた部分よりも硬い文体と力の込められた筆跡が見られた。

 丁度くっついてしまった部分、端が繋がってしまったのがこの頁で、栞を挟んでおいたのもここ。力強く書かれた『封』という文字が剥がれない事と関係するように思えて、翌日に日が昇ったら剥がせないか試してみようと考えていたのだ、と、挟んだ栞を撫でて思い出せた。

 

 正直に言えば、最初は内容を気にしていなかった。

 あの着物に包まれていたのは何故か、去る時に持ち出さず態々残し、隠したのは何故かと、日記よりも日記の持ち主だった者の事を考えて少しずつ読み解いていたのに、少し読んだ今では中身が気になっている私。

 開き、読む事が出来れば泣いてしまった理由がわかるかもしれない、そう考えついてしまうと、試さずにはいられない。

 

 掠れた表紙を開き、か弱くなってしまった頁を捲る。

 千切れてしまわないように気を使い、桜の花弁が2・3枚押された和紙の栞を外す。

 そうして次の頁に指先添わせ、摘み上げたのだけれど‥‥

 

「あっ」

 

 口をついて出てしまった声。

 少しだけ剥がれた端。このまま上手く剥がせれば、という小さな安堵と、古い紙を擦った事で僅かに裂けた人差し指を見て、勝手に口から漏れ出た驚き。

 私が人であったなら赤い雫が垂れるはずの指先。今では薄っすらとしたモヤのようなモノが漏れるだけの指先をパクリ、食む。

 あの子に見られれば下品だと窘められそう、それでもこの日記に書かれていた女の子ならこうするだろうと思えて、はしたないと理解しつつ、人差し指に軽く吸い付いた。

 

 その姿のまま続ける作業。

 右手は咥えたまま、左手の小指だけを開いたスキマにそっと差す。

 少しずつ、微かに聞こえるペリリという音を耳にしながら、片目を瞑り剥がしていく。本当に私が日記の女の子だったなら後は舌でもチロリと出して、額に汗でも浮かべて剥がすのだろう。

 でも私は私でこの女の子ではない、流石にそこまではしたない、(おさな)すぎる姿を曝け出す事は出来なかった。この女の子のように誰かに見守られていたのなら、そうする事も出来たのかもしれないけれど。

 

 もう少し。あとちょっと。

 閉じた封が開く小さな期待と、開いても何も書かれていないかもしれないという不安。その二つを動かす指に込め、半分くらい剥がれた日記を眺める。日が昇ったのだろう、少しだけ色薄くなったような紙面を何故だろうか、自然と頬を綻ばせて見つめていると、元気な影がそこに映った。

 

「おはようございまぁす! 綺麗に晴れたいい朝で……す、よ?」

「おは‥‥ぁ」

 

 開いていた障子の先、変化のない枯山水を背に、朝日のような声色で言われたご挨拶。

 驚いたりはしなかった、しなかったはず。でも少しだけ、ほんの少しだけ力が篭ってしまったみたい、指を差し込んでいた辺りが破けてしまった。思わず見合う私達。

 

「あ、あの申し訳ありません! もうお目覚めになられて、というか何かをされているなんて……思わなくってですね‥‥」

「いいのよ、破れてもいいかなって思っていた気もするし」

「でも‥‥その……泣きながらそう仰られても」

「えっ?」

 

 言われて触れる頬。

 触れると気がつく、雫ではなく跡になるくらいにポロポロと流れていた涙。

 ポツポツ、手元に落ちて日記に増える染みた跡。悲しくはない、はず。だというのに止まらない、止まってはくれない涙。

 何度か指で拭うと、心配そうに、申し訳無さそうに覗きこんでくる顔。その顔がなんだか可笑しくて、思わず目を細めながら涙してしまった。

 

 そんな私がおかしく見えるのか、心配だと書かれた顔が余計に変な顔になった、ように見えてしまって、我慢出来ず笑い声を漏らしてしまった。

 こうなるとさすがに顔色が変わる、心配よりもからかわれたと、そんな風に考えているだろう顔。年頃の女の子らしい、ちょっとだけ膨れた顔を見せてくれる‥‥けれど、肩に置かれた手は温かくて、それがなんだか優しくて。その手を取り、私の頭に触れさせた。

 後ろから前へ、大人が子供をあやすように、少しだけ促すように動かす。

 一度二度、三度と手を添えて動かし離すと、少しだけ戸惑った動きで、同じように撫で続けてくれた。

 

 甘えたいわけでもなかった、それでもこうしたかった、してほしかった。

 破れ、私の涙で濡れて読むことが出来なくなった日記の頁、ここにはこんな事をしたって書いてあればいいな、そんな風に思えてしまったから。 

 

 子供のようにあやされて、少しだけ恥ずかしくなる。

 ついつい俯いてしまい、日記が視界の中央に収まる。

 けれど前髪が撫でられ、落ちて、それを隠す。

 

 視界で桃色が揺れ、遊ぶ。

 そうなるだけで気にしていた日記は見えなくなり、そうして私はまた笑えた。

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