テイルズ オブ フェータリアン ー希望を紡ぎ出すRPGー   作:逢月

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Tune.38 ーIFー

【 A t t e n t i o n ! 】

 

・当たり前のように現れる公式If。

38話の分岐ですが、44話までのネタバレを含みます。

・『Tune.38 「生命」』のジャンク死亡ルート分岐版です。

・ジャンクの好感度次第でこうなってしまいます。

・途中までは正規ルートと全く同じ展開です。

・言うまでもありませんが、死ネタです。

・ちょっと恋愛色が強めです。

・やっぱり全力で誰も救われません。

・鬱。

 

 大丈夫な方は、スクロールをお願いいたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くそっ! 一体何が……!!」

 

 モヤモヤとした意識の中、マルーシャの耳に聞き慣れた声が届いた。それに安心して目を開くと、懸命に自身の体を潰す瓦礫を退かそうとしてくれているエリックと、周囲を警戒しているアルディス達の姿が確認できた。

 

「……ッ、みんな……」

 

「マルーシャ! 良かった……ディアナ、今歌えるか?」

 

「ああ、任せろ!」

 

 マルーシャもいくつか傷を負ってはいたが、そこまで重傷と言える傷はない。むしろ問題なのは、無数の深い傷を負って倒れているチャッピーの方だろう。

 

「清らかなる水の 恩恵を受け 育まれし万物は 艶やかに舞う――……」

 

 その場で両手を組んだディアナの口から、美しい旋律が紡がれる。エリックに瓦礫を避けてもらい、マルーシャは若干顔を歪ませながらも身体を起こした。

 

「チャッピー……」

 

「大丈夫、傷は酷いけどまだ間に合うよ。それよりマルーシャ、何があったの?」

 

 未だ目を閉ざしたチャッピーの頭を撫でながら、アルディスはマルーシャへと視線を向ける。聖歌(イグナティア)を紡ぎ終えたディアナは、レーツェルの無い胸元を軽く押さえていた。

 

「主犯はともかく、何があったのかは大体想像が付くがな。オレ達が本調子では無いのを良いことに、突然襲撃をしかけたのだろうか……再襲撃に備えて、いつもとは少し違う奴を歌っておいたぞ」

 

 ディアナの言う通り、全員程度の差はあれども、スウェーラルでの一件で崩した体調が戻りきっていない。つい最近まで意識不明になっていたアルディスに至っては、まだ戦闘ができるかどうかという所から怪しい状態である。

 それでも、ディアナが歌った『ホーリーソング』の効果で皆、身体が少し軽くなったように感じていた。どうやら先程の旋律は傷の回復だけではなく、身体強化の力も持っているらしい。

 

「! そうだ……っ、大事なこと、言わなきゃいけなかったのに……!」

 

 身体の痛みに耐えながらもマルーシャは慌てて立ち上がり、辺りを見回す。今にも、どこかに駆け出して行きそうな勢いだった。

 

「マルーシャちゃん、どうしたの!?」

 

「ジャンが危ないの! ヴァルガがジャンを狙って襲って来て……それで……ッ」

 

「なんですって!?」

 

 マルーシャの言葉に驚いたポプリの声が響く。確かに、ジャンクの姿はどこにも見えない。

 

「と、とにかく手分けして……」

 

「待ってください! 今、俺達がバラバラになるのは危険です!!」

 

「だけど……!」

 

 動転したポプリの腕を掴み、アルディスは首を横に振るう。彼はあくまでも冷静にあろうと深呼吸を繰り返した後、マルーシャの横に浮遊するシルフへと向き直った。

 

 

「シルフ。下位精霊と会話することは可能かい? 精霊術師(フェアトラーカー)なんてあっちこっちにいるわけじゃないし、下位精霊でも方向くらいなら分かったりするんじゃないかな」

 

『そうか! よし、任せてくれ』

 

 それは、魔力を探知する能力に秀でた純血鳳凰(クラル・キルヒェニア)であり、ジャンクの力を知るアルディスだからこそ出せた意見。シルフは周囲の下位精霊を集め、ジャンクの行方を訪ねていた。

 

「どう?」

 

『大丈夫だ、ちゃんと分かったぞ。どうやら、カルチェ山脈に向かったらしい……うーん、よりによって……』

 

 カルチェ山脈はディミヌエンドから東北の方角に位置する険しい場所。その先の村やゼラニウム草原に用がある場合を除けば、わざわざ、好き好んで行くような者はまずいない。ろくな準備もせずにカルチェ山脈を越えることは、まず不可能だ。

 

「そうだね……でも、俺は行くよ。相手がヴァルガである以上、迷ってる暇なんてない……さっさと見つけてさっさと帰ってくれば大丈夫だよ、きっと」

 

『そう簡単な話じゃないとはいえ、背に腹は代えられねぇしな……他の奴らはどうすんだ? アルディス皇子に任せて待機しとくか?』

 

 シルフの言葉に、「まさか」と否定の声が上がる。危険が生じようとどうだろうと、仲間の危機を見て見ぬフリはできないということだ。

 

「そんなこと、できないよ! わたしも行く!!」

 

「そうだな。ただ、確かに気持ちは分かるが……マルーシャ、一回落ち着け」

 

 今にも駆け出して行きそうなマルーシャの肩を叩き、エリックはおもむろにチャッピーを指差す。意識こそ戻ったようだが、チャッピーの傷はほとんど塞がっていなかった。

 

「僕らはもう仕方ない。だが、チャッピーだけでも、万全な状態に近付けよう。この状況は、どう考えてもアイツの能力に頼るべき場面だ」

 

 良いよな、とエリックは念のためアルディスに意見を求める。アルディスは若干驚いた様子ではあったが、彼はすぐに首を縦に降ってみせた。同じくエリックの意見に賛成したマルーシャはチャッピーの元へと走り、治癒術の詠唱を始める。

 

 

「そうか……確かに今は、瞬光疾風(カールヒェン・ヨシュカ)の力に頼るべきだよね。全然頭が回らなかったよ」

 

「だろ? ところでアル、これを聞いて意見を変えるつもりはないが一応、聞かせてくれ。カルチェ山脈はどんな場所なんだ?」

 

 驚きのあまり瞬きを繰り返すアルディスの隣に並び、エリックは少しでも情報を得ようと彼に基本的な質問を投げかけた。チャッピーの傷が治るまでの間、黙って立っている気は無かった。

 

 

「俺は小さい頃に何度か行ったことがあるんだけど……カルチェ山脈は過酷な環境下でも適応できるような魔物ばかりが生息する、本当に危険な場所だよ。悪いんだけれど、エリックは俺と一緒に前に出て欲しい。俺達が何とか前線で戦わないと……」

 

「その辺りは問題ない、任せろ。だが、お前こそ絶対に無理はするなよ」

 

「分かってる。ありがとう」

 

 アルディスが言うように、現状、前に出て戦うことができるのはエリックとアルディスしかいない。前衛後衛をバランス良くこなせるディアナは武器を失い、ジャンクに至っては不在だ。彼らのサポートは期待できない。いつもとは状況が異なる以上、事前に話し合っておくのは大切なことだ。

 

 

「……ッ」

 

 チャッピーの治療を終え、マルーシャはエリックとアルディス――否、アルディスの姿を見て、不安げに胸を抑える。だが、今はこんなことをしている場合ではないと彼女は頭を振り、口を開いた。

 

「もう、大丈夫だと思う……行こう、みんな」

 

 

 

 

「ッ、結構道が険しくなってきたね……そろそろ、能力の節約した方が良いかも。散々無理させただけに、イチハさん自体本調子じゃなさそうだし」

 

『こんな時に悪いね……申し訳ない』

 

「いや、それより……何で、マルーシャには話しかけときながら、俺には話しかけなかったのですか……?」

 

 シルフと下位精霊達に道案内を頼みながら、エリック達はもはや道とは言い難いような、岩だらけの急な坂道を駆けていく。その最中に、彼らはマルーシャから事の一部始終を聞いていた。

 

 その際に判明したのは、チャッピー――イチハの声は、アルディスにも届くという事実だった。

 

『まさか、聞こえるなんて思ってなかったんだ……一方通行の会話って、結構辛いんだよ。第一、下位精霊のサポートがないラドクリフじゃ理性を保つだけでも難しいんだ。精神乗っ取られて、気が付けば全然知らない場所にいたことも多かったしね……一回、これのせいでクリフを見殺しにしかけたこともある……』

 

 イチハ曰く、自分の声はジャンクを除いた誰にも届かないのだから、労力を使って話しかけるだけ無駄だと考えていたらしい。マルーシャに話しかけたのも、上位術の発動をやり遂げ、疲れ果てた彼女を見て思わず声をかけてしまっただけに過ぎないのだと。

 彼は、少し話をしただけで分かる程に精神を疲弊させてしまっている。それを感じ取ったアルディスは静かに奥歯を噛み締めていた。

 

「イチハと会話が出来るのは精霊の使徒である先生と、精霊契約者のノアとマルーシャちゃん……要するに、精霊に関わる存在ならイチハの声も届くってわけね。当然、あたしやエリック君、ディアナ君とは会話出来ないわけだけど……」

 

 イチハの声こそ聴こえないが、ポプリは何とか状況を理解しようとこんがらがった頭の中を整理している。今まで鳥だと思っていた相手が実は人間だったのだ。現実問題、冷静に物事を考える方が難しいだけに、彼女もなかなか苦戦している様子である。

 

『今まで、黙ってたことは謝る。でもね、今は俺なんかほっといてクリフのことを考えてやって欲しい。相手がヴァロンである以上、俺は少々無理しようが能力をこのまま発動させる……せっかく、あそこまで立ち直ったんだ。何が何でも、クリフを助けてやって欲しい……頼むよ』

 

 自分のことはどうでも良いと言わんばかりに、イチハは瞬光疾風の能力を弱めることなく発動させ続けている。彼の力を感じながら、アルディスは頭を振るう。

 

「申し出はありがたいのですが……いえ、そうですね。あなたの限界を超えない程度で甘えさせて頂きます。そうでもしなければ、確かに色んな意味合いで間に合わない気がしますから」

 

 イチハの話に耳を傾けつつ、アルディスはシルフと目を合わせた。彼は特に何も言わなかったが、表情を見る限り着実に、ジャンク達との距離が近付いているらしい。

 

 

地点遷翔(ヴァーチェル・ハロ)の能力者であり、有能な戦士で研究者でもあったヴァロン=ノースブルックの話は俺も知ってるんだ。だからこそ、少しでも早く追いつかないと絶対にまずい……間違いなく、彼はもう、ジャンさんに追い付いているだろうから」

 

 地点遷翔(ヴァーチェル・ハロ)は、一度でも行った事のある場所に瞬間移動することのできる能力。それ程珍しい能力ではないが、透視干渉以上に使用者が限られる扱いが難しい能力だ。

 アルディス曰く、シックザール大戦にも参戦していたというヴァロンは彼が直接対峙した相手ではないものの、その能力ゆえにフェルリオ側に大きな損害をもたらすきっかけとなった人物の一人なのだという。

 まだまだ知らない部分も多いが、あまりにも特殊なジャンクの能力、及び想定される彼の過去を考えれば、絶対に会わせてはならなかったのにとアルディスは両手の拳に力を込めた。

 

『正直、俺だってできることなら会いたくなかった。惨たらしく殺してやりたい程に憎いのもあるけど、何よりやっぱり怖くてね……魔法石を額に埋め込まれた時、あまりの激痛に俺は死んだなって思った。まあ、死ぬことはなくて、気が付けばこんな姿になってた訳だけれど』

 

「……ッ」

 

 一体、イチハはどのような姿をした男だったのだろうか。ちゃんと人としての心をもっているというのに、誰がどう見ても鳥でしかないその姿が、実験の残酷さを物語っている。

 思わず黙り込んでしまったアルディスをチラリと横目で見て、ディアナは翼を大きく動かした。

 

「オレには、あなたが何を伝えたいのかは分からない。それでも、これだけは言わせて欲しい」

 

 チャッピーと共に過ごした時間が多いだけに、彼女にも思うところがあったのだろう。ディアナは悲しげに目を細め、奥歯を強く噛み締めた。

 

「あなたにも……ジャンにも、オレは本当に救われた。恩を仇で返すような真似はしたくない……何が何でも、彼を助け出したいと思っている」

 

 その言葉を聞き、“イチハ”は大きな青紫の瞳を細めてみせる。

 

『……ありがとう、ディアナ』

 

 消え入りそうな、どこか儚い雰囲気を纏ったイチハの声。その声は決して、ディアナ本人には届かなかった。

 

 

 

 

「……やっと、追い付けたみたいだね……!」

 

 かなりの時間を掛け、辿り着いたのはカルチェ山脈の頂上付近。ここまで来る間、チャッピーの能力を借りた状態だろうとお構いなしに襲ってくる魔物も多かったため、必然的に戦闘が発生してしまった。

 アルディスの言うように、平地に住む魔物とここに住む魔物とでは身体能力そのものに大きな差があるようだ。

 

「ッ、くそ……っ、遅れてすまない……ジャン、大丈夫か!?」

 

 魔物達の妨害により、エリック達は大幅に時間を取られることとなった。思うように、ここまで来ることができなかったのだ。

 

「ふむ……追って来られるくらいの、それなり力は持っていたということか。どうやら、私は少々貴様らを甘く見ていたらしい」

 

 駆けつけたエリック達の視界に映ったのは、特に顔色を変えることなくこちらを見ているヴァロンと、酷く傷付けられ、地面にうつ伏せに転がっているジャンクの姿。

 彼の着ていた服は至る所が裂け、剣によるものであろう真新しい無数の斬り傷と、元々あったらしい痛々しい背中の古傷が露出している。いつも身に付けていた眼鏡は、どうやらどこかで落としてしまったようだ。

 自身の足元に転がる彼の存在を気にすることなく、ヴァロンは相変わらず笑みを浮かべたままこちらを見ている。何とかして彼をジャンクから引き離さなければ、とアルディスはレーツェルを宝剣に変化させ、ヴァロンを一瞥する。

 

「……ッ」

 

 ヴァロンは何も言わなかったが、人の気配を感じ取ったのだろう。何とか意識は保っていたらしいジャンクは震える両手で身体を起こし、エリック達の方を向いた。

 彼が反応を示すまでには、若干の時間差が生じた。恐らく、意識がはっきりしていなかったのだろう。だが、彼はエリック達の存在に気付くと同時、目を見開き声を震わせて叫んだ。

 

「ど、どうして……っ、駄目です。逃げて、ください……!」

 

「え!? 先生、何を言って……」

 

「逃げて、ください……お願いです。後生ですから……!」

 

 明らかに、彼は取り乱していた。開かれた金と銀の瞳が、悲しげに揺らぐ。彼の瞳を始めて見たエリックとポプリが何の反応を示せずにいたのは、彼の様子があまりにもおかしかったからだ。

 

「この人には、勝てません……勝とうなんて、思わないでください……! だから、今すぐに逃げてください……!!」

 

 彼が言うように、エリック達もヴァロンの強さはよく分かっているつもりだった。だが、それとこれとは話が違うとアルディスは左手に宝剣を構えたまま声を荒げる。

 

「ふざけないでください! 散々俺を助けてくれたあなたを見捨てるだなんて……そんな馬鹿げたことがありますか!!」

 

 アルディスだけでは無かった。皆、戦おうという意志を抱き、それぞれがヴァロンの動きに備えて武器を構えている。最初からこれくらいの覚悟はしていたのだから、当然といえば当然なのだが。しかし、ジャンクは力なく首を横に振るう。彼は今にも泣き出してしまいそうなのをこらえるように、両目を強く閉ざした。

 

「所詮、僕は人ではありません……そんなこと、気にしないでください。こうなって、当然の化物なのですから……だから……」

 

「ほう……?」

 

 今まで、何の動きも見せなかったヴァロンが、ここでついに動いた。手にしていた剣をレーツェルに戻し、彼は不気味な笑みを浮かべてみせる。

 

「人ではない、か……よく分かっているではないか。ただ、貴様は奴らを騙しに騙してきたのだろう? 自分は人だ、と」

 

 ジャンクが怯えきった目でヴァロンを見上げると同時、『メイルシュトローム』と術の名前が呟かれた。詠唱破棄による魔術発動だと気付くのには、そう時間はかからなかった。

 しかしながら、傷だらけの彼の身体では、真下に現れた魔法陣を中心に発生する竜巻状の水流から逃れる事は、決して叶わない。

 

「ジャン!!」

 

 それはあまりにも突然で、エリック達は助けに入ることも、危険を伝えることさえできなかった。結果、ジャンクは渦に飲み込まれる形で空に飛ばされ、そのまま勢いよく地面に叩きつけられてしまった。

 

「がは……っ、ぐっ、う……」

 

「!?」

 

 痛みに顔を歪ませるジャンクの髪から、水滴が落ちた。それだけではない。その髪の間から、エリック達にとっては予想もできなかった物が顕になっている。誰もが、ヴァロンが居るにも関わらず、ジャンクの姿を凝視してしまっていた。

 

「ッ!? ひ……っ!」

 

 エリック達の視線に気付いたのか、彼は慌てて両手でそれを隠すように押さえ込む。一体何に怯えているのか、その手は酷く震えていた。

 

 

――まさしく、その姿は異形だった。

 

 

 彼の耳は、短い空色の髪で隠しきれない程に長い魚のヒレのような物へと変わっている。淡い青紫色のグラデーションが特徴的なそれは、ウンディーネの耳と非常によく似ていた。

 

「……ッ、だ、騙す気は無かったんです……! 本当に、そんな、つもりは……っ、僕、は……!」

 

 怯えている。それも、尋常ではない程に。

 

「お、おい……!」

 

「すみ、ません……許して、ください……ッ、ごめん、なさい……」

 

 恐怖のあまり、こちらの話を全く聞いていない。

 余程、あの耳のせいで酷い目にあってきたのだろう――エリック達も危害を加えてくるのだと、そう思い込んでしまっている。

 あの耳は身体が濡れると出現してしまう類のものなのだろうが、自分達の前で彼が身体を濡らしたことはなかった筈だ。

 だからこそ誰も気付かなかったのだろう。マルーシャやディアナどころか、アルディスやポプリも驚いている。当然、エリックもこれには驚いた。

 

「なあ、お前……その姿は、一体……」

 

 困惑を隠せぬまま、エリックはジャンクへ接近する。しかし、エリックが近付けば近付く程に、彼は大げさなほどに身体を震わせ、首を横に振りながら後ろに下がってしまうのだ。

 

「……ジャン」

 

 声無き声が、「ごめんなさい」、「許してください」と謝罪の言葉ばかりを紡ぐ。言葉もそうだが、怯えの色が濃く出ている瞳を見れば、信用されていないのだということが痛い程に伝わってくる。

 そのような姿を見ているうちに、「今まで一緒に過ごしてきた時間は何だったのか」という苛立ちがエリックの頭の中を支配し始めた。

 行き場の無い苛立ちと悲しみ。それを、なるべく感情を抑えながら、エリックはジャンクに訴えかける。

 

「自分が普通じゃないって、そう思ってるなら相談してくれれば良かったのに……こういう事態への対処だって、できていた筈だ」

 

「……」

 

「ジャン?」

 

 あくまでも冷静なつもりだった。冷静に、ジャンクを注意しているつもりだった。もう少し信頼して話をしてくれていれば、少なくともこんな混乱は無かったろうし、ヴァロンを含む黒衣の龍に対し、強く警戒することもできただろう。

 ジャンクはエリックの言葉に目を丸くし、酷く震えた声で何かを紡いだ。しかしそれは、上手く聞き取れない程に弱々しい声だった。

 

 

「あ、あはは……はは、は……」

 

 

 ジャンクは場違いな、乾いた笑い声を上げた。それを見たヴァロンは、どこか楽しそうに口元に弧を描いている。

 

「おい、どうした……!?」

 

「異端に、居場所なんて無い……どこに行ったって、結局は邪魔にしかならないんです……分かってた。分かって、ましたよ……」

 

 エリックは自らの失態に気が付いた。先程のアレは、今のジャンクにかけるべき言葉では無かったのだ。

 恐らく「普通じゃないお前が普通の人間に迷惑をかけるな」という意味に取られてしまったのだろう。ジャンクは今にも泣き出してしまいそうな笑みを浮かべ、自身の胸に手を当てた。

 

「もう、嫌です……辛いんです。だから、もう……良いですよ、ね……」

 

「ジャン!!」

 

 

「――終わらせて、ください」

 

 

 ジャンクが放った激しい光によって、世界が瞬いた。「使えない奴だ」というヴァロンの声が、微かに聞こえた気がした――思わず閉ざしていた瞳を開けば、目の前には異様な光景が広がっていた。

 

 

「な……っ、……じゃ、ジャン……?」

 

 美しい海色のたてがみが、風になびく。長い睫毛に隠されていた瞳が、こちらを悲しげに見つめていた――幻想的な、生物がエリックの目の前に立っていた。

 淡い青の毛並みに紫のグラデーションが特徴的なヒレ状の大きな耳、銀色に輝く、長い角と両の瞳。犬と馬を足して二で割ったような姿。このような生物に、エリックは見覚えがあった。

 

「お前……スウェーラルで……そうか、お前……お前、が……」

 

 ケルピウス、と背後から酷く震えたポプリの声が聞こえた。

 

「先生……だった、の……?」

 

「……」

 

 “ジャンク”は、何も答えない。ただ、静かに頭を振るい、傷だらけの、血で汚れた足で血を強く蹴った。

 

「! エリック!」

 

「――ッ!?」

 

 ジャンクが、エリックに向かって突進してきたのだ。迫る角をかわすために咄嗟に身体を捻ったが、それでも服が僅かに裂けてしまった。あの角は、鋭い槍のようなものなのだと考えた方が良さそうだ。

 

「ジャン! どうして……っ! お願い、やめて!!」

 

「……」

 

 マルーシャの悲痛な叫び声にも、彼は答えない。悲しげな銀の瞳は、今もなおエリックの姿を捉えていた。

 そして彼は傷という傷から血を撒き散らしながら、再びエリックに突進してくる!

 

「くそ……っ! ジャン! 僕らは敵じゃない! 信じてくれ!!」

 

 今度は彼の攻撃を完全にかわすことができた。しかし、あの角が近くを横切るたびに、ひやりとしたものを背に感じる。まともに受けてしまえば、ひとたまりも無いだろうと。

 

 いつの間にか、ヴァロンの姿は無くなっていた。ジャンクが正気を無くしてしまったせいだろうか? 彼が何を考えているのかは分からないままだが、今はそれどころではない。

 とにかく、目の前のジャンクを何とかして止めなければ。エリックは剣を手にしたまま、必死に考え――そして、ある結論を導き出した。

 

(そうだ……“武器”を奪ってしまえば良いんだ。あの角を、折ってしまえば!)

 

 可哀想だとは思った。しかし、ジャンクを傷付けることなく、彼の動きを止めるにはそれしか方法は無いだろう。彼が戦意を失わなかったとしても、角のある無しの差はあまりにも大きい。角を折るだけならば、痛みを感じさせることもほとんど無いだろう。

 

「……ジャン」

 

 彼の標的は今のところエリックのみ。動けずにいる他の仲間達への被害が出る前に、ここで自分がやるしかない!

 

「お前がその気なら、受けて立つ! さあ、来い!」

 

 エリックの言葉に、ジャンクは全速力で彼に向かって駆け出した。タイミングを見て、剣を振り上げて彼の角をかわす。そして彼は勢いのままに、剣を全力で振り下ろした。

 

「エリック! 駄目だ!!」

 

「!?」

 

 アルディスの声が、エリックの耳に届いた。しかし、もう遅かった。

 

「ク……クォ、ン……」

 

 根元から叩き折られた角が、宙を舞う。漸く聞けたジャンクの声は、ガラス細工の飾りがそよ風に揺れて奏でる音のように、か細いものであった。

 

 

 

 

「先生……っ! 先生!!」

 

 ポプリが、泣いている。その姿を、エリックは奥歯を割れそうな程に強く噛み締めながら、眺めていた。

 

 角を折られたジャンクは、そのまま意識を失い、人の姿へと戻った。だが、耳はヒレと化したまま、そしてその身体は何故か羽のように軽く、透き通った状態だった。

 呼吸はあるが、あまりにもか細く弱々しいもので。早く目覚めて欲しいと、ポプリが泣きながら彼の身体を揺らしているのだ。

 そんな彼女の傍らで、マルーシャとディアナは必死に治癒術を唱え続けていた。

 

「駄目……駄目だよ! こんなの、駄目!!」

 

「死ぬな、頼むから……! 死なないでくれ! ジャン!!」

 

 悲しげな声が、荒野に響く。必死な三人の姿を見て、アルディスは首をゆるゆると横に振るいながら、静かに涙を流している。

 

「アル……」

 

「ごめん、エリック。忠告が、遅かった……」

 

 思わずエリックが声をかければ、アルディスは左目を固く閉ざし、肩を震わせる。一体何が言いたいのかと、はっきり言ってくれよという気持ちで、エリックは彼の肩を叩いた。

 アルディスは相変わらず泣いていたが、それでも、話さないわけにはいかないとおもったのだろう。彼は静かに左目を開き、重い口を開いた。

 

 

「獣化したヴァイスハイトは、身体を変形させる過程でどこか一部分に魔力を集中させるんだ……だから、そこが無くなってしまえば身体は致命的な程の魔力欠乏を起こしてしまう。そうなってしまえば、もう……助からないんだ」

 

「!」

 

 その言葉が意味すること。それを、エリックは察してしまった。

 そして、気を失っていたジャンクが目を覚ましたのは、まさにその瞬間であった。

 

 

「ポプ、リ……? 何故、泣いているのです、か……?」

 

 かすれ切ったジャンクの声。その声に問いかけられ、ポプリは彼の右手を両手で握りしめて何かを発そうとした。しかし、とめどなく流れる涙のせいで、それは言葉にならなかった。

 握り締められた、自身の右手。この状態でも、感覚はあるのだろう。透けた右手を眺め、ジャンクは今にも泣き出しそうな笑みを浮かべて口を開いた。

 

「消えて、しまうのですね。死体も、残さず……僕は、最期まで“人”にはなれないのですね」

 

「……!」

 

「ですが……これで、良かったんです。マルーシャ、ディアナ。力を使うのはもうやめなさい。僕はもう、助からないから」

 

 にへら、とジャンクは力なく笑う。マルーシャとディアナの瞳は、信じられないものを見たかのように大きく見開かれていた。

 

「あの状態での獣化は、あまりにも身体の負担が大きすぎる……こうなることは分かっていました……けれど、それだけでは嫌だったんです。だから、エリックに角を折ってもらったのです」

 

「な、何故ですか……!? 何故、そのような……」

 

「……ケルピウスの角には、治癒の力が凝縮されています……マルーシャとディアナに、僕の力を分けてから逝こうと、そう思ったのです……」

 

 笑みを浮かべたまま、ジャンクはそう言ってマルーシャとディアナを見つめる。そして再び、口を開いた。

 

「僕が死んだ後、二人で折れた角に触れてください。そうすれば……僕は、力を残して逝けますから」

 

 表情を見る限り、痛みは無いようだが、酷く弱々しい声でジャンクは言葉を紡ぐ。それを見て、マルーシャとディアナはポロポロと涙を零し始めた。

 

 

「……何故、泣くのですか?」

 

 

 皆が、泣いている。その理由が、彼には分からなかったようだ。

 

「先生……あなたこそ、どうしてあたし達が泣いてる理由が分からないの? どうして……っ、ねえ……っ」

 

 不思議そうに目を細めるジャンクの透き通った手を掴み、震える声で彼に訴えかけ始めたのはポプリだった。

 

「信じて、欲しかった……あたしは、あたし達は……! こんな結末、望んでなかった……っ!! 大好き、だったの……ずっと、一緒にいたかったのに……!!」

 

「え……」

 

 うっかり口を滑らせてしまったのだろう。ポプリは自身の顔をほのかに赤く染めてしまったが、頭を振るい、そのまま言葉の続きを紡ぎ始めた。

 

「あたしの言う『好き』は皆の『好き』とは違うものよ……いつの間にか、ね……そういう風に、想ってたの」

 

「……」

 

「好きな人が、想い人が死にそうなの。泣かないわけが、無いじゃない……っ!」

 

 ジャンクはアシンメトリーの瞳を見開き、信じられないものを見るかのように声にならない声を上げていた。その身体は、カタカタと小さく震えていた。

 

「ぼ……僕、は……」

 

 彼は、ずっと傍にあった“その感情”の正体を知らなかった。そして今、“その感情”を正しく認識することができた。自覚できたのだ。

 

 

 しかし――自覚するには、あまりにも遅すぎたのだ。

 

 

「ッ……き、嫌いです。君の、ことなんて……」

 

「先生……」

 

「――……、ただ……便利だったから。だから、傍に置いていた……それだけです。勘違い、しないで……くだ、さい……ッ」

 

 気が付けば、ジャンクの瞳からは涙が溢れ始めていた。

 泣き出しそうな表情を浮かべることはあれど、彼が泣くことはなかった。それなのに今、彼はこらえきれない嗚咽を交えながら、泣いていた。

 

「勝手に惚れられて、迷惑です……ああ、良かった。僕は、君の鬱陶しい愛から、逃れられるのですね……」

 

 ジャンクの身体は、もう下の地面が完全に透けて見える程に、透けてしまっていた。もうすぐ彼が死んでしまうのだということは、誰が見ても理解できる状況だった。

 ポプリはジャンクの涙混じりの言葉を聴き終えた後、そっと彼を抱き寄せ、懸命に涙をこらえながら笑ってみせた。

 

「先生」

 

 その体勢のまま、呼び慣れた愛称を呼ぶ。彼からの返事は、無い。

 

 

「……ありがとう」

 

 

 小さな声で、それでいて力強い言葉を発し、ポプリは手に力を込める。ただ、彼女が感じられたのは空気のような無抵抗感だった。そこにはもう、何も“なかった”。

 しかし、桜色の髪を撫でられたような気がした。優しい、暖かな手に、撫でられたような気がした――それは、ポプリが必死に耐えていた大粒の涙を流させるには十分すぎる、感覚だった。

 

 

「……」

 

 ポプリが泣き叫ぶ声が、悲しい声が、荒野に響いた。

 エリックはただ、それを呆然と見つめることしかできなかった。

 

 

――嗚呼、時間よ、巻き戻ってくれ。

 

 

『ッ……き、嫌いです。君の、ことなんて……』

 

“きっと僕は、君のことが好きだったのでしょう”

 

 

『――……、ただ……便利だったから。だから、傍に置いていた……それだけです。勘違い、しないで……くだ、さい……ッ』

 

“一緒に過ごせて、本当に楽しかった。かけがえのない、時間だった”

 

 

『勝手に惚れられて、迷惑です……ああ、良かった。僕は、君の鬱陶しい愛から、逃れられるのですね……』

 

“愛してもらえているなんて、思いませんでした。そんな感情を抱いてもらえるなんて、思いませんでした”

 

 

 あんなに下手な嘘があってたまるかとエリックは奥歯を噛み締め、肩を震わせる。

 わざとポプリを傷付け、自分のことを早く忘れさせるための作戦だったのだろうが、大失敗にも程がある。こんな終わり方、ありえないだろうとエリックは静かに目を伏せた。

 

 

『ありがとう……どうか、“僕ではない誰か”と、幸せになってください』

 

 

――それは、あまりにも哀れで嘆かわしい、悲しすぎる最期だった。

 

 

 

Tune.38 ーIFー

  愛を知らない青年の最期

 


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