「……竜樹、歯を食い縛れ」
「グボァッ!」
僕は近くにあった国語辞典で、竜樹の鳩尾を強く殴った。その反動で、さらに怪我は悪化したけど。後悔はしないし、反省もしない。だって、竜樹だもん。
*
僕は竜樹と一緒に、如月ハイランドの入場ゲートにいた。明久に頼まれて、雄二と霧島さんを恋人にしちゃおうと準備している。あ、向こうからそれぞれ雰囲気の違う二人が見えてきた。よし、帽子を深く被って、気付かれないようにしなくては。
そう考えているうちに、雄二と霧島さんがやってきたようだ。僕たちはそれぞれ、持ち場に着く。
「いらっしゃいマセ! 如月ハイランドへようこソ!」
それにしても、この人は日系なのかな。アジア系の顔立ちだけど、訛りもあるから正直分からない。
「本日はプレオープンなのデスが、チケットはお持ちですカ?」
「……はい」
「拝見しマース」
お兄さんはチケットを受け取ると、二人を見たまま笑顔になる。そろそろ、出番かな。
「……そのチケット、使えないの……?」
「イエイエ、そんなコトはないデスよ? デスが、ちょっとお待ちくだサーイ」
お、振り返ったということは出番ですね。僕は持っていたパソコンと小さい機械のスイッチを起動させる。横で竜樹はチュロスをモグモグしていた。後で、その口に生の人参を突っ込んでやる。
「――例の連中が来た。ウェディングシフトを用意を始めろ。確実に仕留める」
「おいコラ。なんだその不穏当な会話は」
「……ウェディングシフト?」
「気にしないデくだサーイ。コッチの話デース」
お兄さんと雄二のやり取りが続き、なんとか写真撮影に移ったみたい。明久がカメラを持って、お兄さんの元に向かう。
お兄さんと明久のやり取りに不審を感じたのか、雄二はどこかに電話を掛け始めた。しかし、繋がらないのか諦めたようだ。
「明久に繋がらない。ということは、アイツは関係ないのか?」
この計画を失敗させないためにも、色々と準備をしておきましたよ。ジャミング装置で、妨害したので繋がらないですって。
しばらくすれば、ムッツリーニが近づいてきてデータを渡してくれた。それを僕はフレームと言葉を添えて現像しておく。よし、これで大丈夫なはず。横でホットドッグをかじっている竜樹がいなければ。
*
ある建物の前で、秀吉が霧島さんに何やら囁いている。多分、中に入れば抱きつき放題だと言っていると思う。
「……雄二。お化け屋敷に行きたい」
「汚いぞキサマら、翔子を使って罠にハメようなんて! それと、勝手に翔子を入籍させるな! ソイツは霧島だ!」
「……大丈夫。すぐに変わるから」
そう言いつつ、雄二に関節技を極める霧島さん。
「では、こちらにサインしてくだサーイ」
お兄さんは書類とボールペンを取り出して、雄二に差し出す。
「ただの誓約書デース」
「だがまぁ、面白そうではあるな」
受け取った雄二は書類を眺める。
【誓約書】
1.私、坂本雄二は霧島翔子を妻として生涯愛し、苦楽を共にすることを誓います。
2.婚礼の式場には如月ハイランドを利用することを誓います。
3.どのような事態になろうとも、離縁しないことを誓います。
4.毎日、愛を囁くことを誓います。
5.一日三回、キスをすることを誓います。
「……はい雄二。実印」
「朱肉はこちらデース」
「俺だけか!? 俺だけがこの状況をおかしいと思っているのか!?」
さあ、僕には関係ないので知りません。それより、さっきから竜樹は食べ過ぎだと思う。
「冗談でス。誓約書はいいので中に入ってくだサイ」
「……うん、冗談」
「カーボン紙を入れて写しまで用意しているくせに、冗談とあくまで言い張るつもりか」
「デハ、行ってらっシャいマセ」
「……雄二、行こう」
「痛だだだだっ! 肘がねじ切れるっ!」
扉が開かれ、二人は中に入る。
『私だ。お化け屋敷にターゲットが入った。吉井さん考案の作戦を実行しろ』
今思えば、壮大且つ無意味な作戦だと思う。これじゃ、二人の仲は深まらない。なんとかして、軌道修正しなくては。怪しまれては、計画にも支障が出てきてしまう。
*
薄暗い廊下を翔子と二人で歩く。カツン、カツンとリノリウムの廊下を足音が大きく響く。
「流石廃病院を改造しただけのことはあるな。雰囲気満点だ」
「……ちょっと怖い」
「こういうものにあまりビビらないお前が怖がるなんて、珍しいな」
「……うん、そうかも」
時折、壁に貼られている《順路》というポスターに従って進んでいく。
一階は特に何が起きるというわけでもなく、二階に上がり、少し進んだ廊下で初めて何かの演出が顔を出した。
【――子は可愛いな――】
冷たい風に乗って微かに聞こえる声。
ん? この声は――
「……この声、雄二……」
「ん? そうか?」
どうやらこれは俺の声そっくりらしい。秀吉に声真似でもさせたのだろうか。確かに自分の声が聞こえてくるなんて怖いと言えば怖いが、どうしてこんな演出に――
【ああ、確かに翔子は可愛いな。長く幼なじみでいたが、最近どんどん美人になってきて、俺にはもったいないくらいだぜ】
「……雄二。嬉しい」
「どこでこれを録ったんだ!? 鴉にしか言ってねぇのに!」
そこまで言って、俺は気づいた。鴉が録って提供したのだと。
嬉しそうな顔で、じりじりと俺に近づいてくる翔子。俺は恥ずかしくなって、逃げようとした瞬間、背中で何かの仕掛けが作動する音が聞こえた。
「翔子! 何か出てきたぞ!」
音のした方を見れば、そこにはさっきまでなかったはずのモノが現れていた。それは――
「……嬉しい」
……花束?
「畜生っ! よりによって告白道具まで用意してくるとは! 全く趣旨は違うが最強に恐ろしいお化け屋敷だっ!」
「……雄二。愛してる」
手を伸ばす幼馴染に追いかけられるという斬新なアトラクションを一時間近く楽しむ羽目になった。
恥ずかしいだろっ! 俺はまだ心の準備ができてねぇよ!
*
結局自棄になって告白したのか、霧島さんを連れて雄二はお化け屋敷を出てきた。
「お疲れサマでシタ。とうでシたカ? 結婚したくなりまシタか?」
「……結婚したくなったわっ! だが、俺と翔子はまだ学生だぞ」
「まあまあ、霧島さんたちも高校生だから式を挙げるのは早いと思うよ。もうちょっと、お互いを知ってからの方がいいんじゃないかな?」
それにしても、自棄になって告白するなんて自爆行為だと思う。その結果、将来は結婚するんだから霧島さんは幸せだね。いい花嫁になれるよ。
「……そろそろ、お昼」
噴水の上の大時計を見ていた霧島さんが呟く。そういえば、昼食の時間でしたね。
「……あの、私の鞄」
「デハ、豪華なランチを用意してありマスので、こちらへいらして下サイ」
お兄さんはスタスタと歩き出していく。あれ、霧島さんの鞄は? 返さなくていいのかな。
「翔子、どうした?」
「……なんでも、ない」
「???」
寂しげな顔をした霧島さんは、先に歩き出した。僕は気になって、霧島さんの鞄を探すために反対の方向へ向かう。確か、どこかに預け所があったはず。尋ねれば、あったようで受け取ったら霧島さんたちがいる会場まで急ぐ。
会場に着けば、なにやら騒ぎが起きている。チャラい男女のカップルが絡んでいるようで、言っていることも馬鹿丸出しだった。ヨーロッパの首都って、範囲が広すぎる。ヨーロッパのどこの首都だよと突っ込みたい。いや、我慢が出来ない。
「ヨーロッパは国じゃないです! 七つある大州の一つで、あ、大州は分かります? それで、ヨーロッパに首都という概念はないんですよ! ヨーロッパの中の、どの国の首都を言えばいいんですか!? え、分からない? 見た目と同じで頭の緩い【検閲規制】ですね!! 冗談は存在だけにしてください! さっきから、あなた達の存在自体が不愉快な……むぐっ」
いつの間にか、竜樹に口を抑えられた。これ以上は駄目らしい。もっと言いたかったのに。裏に連れて行かれて、注意された。
「いいか、鴉。公衆の面前で、口にするのも憚るようなことは言うな。さっき言ったアレはその、ええと……とにかく止めろ」
「でも、あんな頭悪い問題出されて、我慢出来なかったよ。それに、あのチャラい男は佐古財閥の傘下の森元会社の社員だよ? 取引先と揉めることが多いって、竜樹のお父さんが言ってたけど」
「アイツだったのか……」
「詳しいことは、このノートを見て。書き留めておいたから、多分分かると思うから」
「確信したら、親父に言っとく。それと鴉、話をすり替えるのは止めろ。あの発言はスラングだぞ」
「……分かったよ。言わないように気を付ける」
僕は鞄を持って、会場に戻る。しかし、そこには霧島さんの姿はなかった。秀吉に聞いたら、夢を馬鹿にされて泣いて消えたらしい。
「なるほど、それは悲しいね。雄二、グランドホテルの前で待ってあげて。きっと、来るから」
持っていた霧島さんの鞄を雄二に渡して、会場の後片付けに入る。この騒ぎでは、もう再開は出来ないと思うし、やり直しも効かない。しかし、後ろでフルコースを食べている竜樹にはイラついた。掃除をしているのに、手伝いもしやしない。持っていた箒を振り回して、思いっきり遠心力で殴った。
*
「よっ。随分待たせてくれたな」
「……雄二」
グランドホテル前で待ってれば、玄関から翔子がドボドボと俯きがちに出てきた。
「さて。それじゃ、帰るとすっか」
「…………」
何も言わず、翔子は俺の少し後ろをついてくる。
夕暮れの中、駅に続く道を静寂に通った。
どのくらいそうしていたのか。きさらぎハイランドを出て人気のない道を歩けば、聞き取れるかどうかの小さい声で翔子が呟く。
「……雄二」
「……なんだ?」
「……私の夢、変なの……?」
例のカップルに笑われたことをずっと気にしていたのだろう。翔子は足を止めていた。うつむいているから表情は見えないが、長い付き合いだ。俺は大体予想している。
「まぁ、あまり一般的てはないかもしれない」
傷つけないように俺は言葉を選ぶ。
「…………」
黙り込む翔子。
さっきの言葉を鵜呑みにするなら、こいつは決して短くない七年という時間をずっと、唯一つの揺らぎない夢を抱いて生きてきたことになる。それを大勢の前で笑われ、否定された。その気持ちがどれほどのものか、俺は分からない。
だが、嘘をついて慰めるのはいけない。
「この際だから言っておく。お前のその気持ちは、過去の話に対する責任感を勘違いしたものだ」
七年も前の出来事。あの日から、翔子は俺に好意と勘違いした気持ちを抱くことになってしまったきっかけ。今でも、もっと上手くやれたんじゃないかと後悔している。
あんなことがあったせいで、翔子は俺のようなロクデナシに時間を無駄にしてしまった。だから、これは俺なりのけじめで、七年前の出来事に終止符をつけて、新しい気持ちを抱かせたい。
「……ゆう、じ……」
翔子が息を呑む。俺に面と向かってこんなことを言われて、傷つけてしまったかもしれない。
「けれど――」
翔子が傷つくことがない。一人の人間に長い間想い続けるという行為が胸を張れる誇らしいことのはずだ。
だから、これだけは伝えたい。
「――俺はお前の夢を笑わない。今はまだ、俺たちは若すぎるかもしれない。だけど、大学を卒業して、それでも変わらないなら」
そう言って、会場で拾っておいたモノを俯く翔子に被せる。
「俺と結婚しようぜ。今はこれで我慢してくれ」
折角の体験だったんだ。これを大切に持って、ずっと待っていてくれ。俺から迎えに行ってやるからな。
「……これ……さっきの……ヴェール……」
花嫁衣装の一つである白い薄布を手で押さえ、翔子は驚いたように顔を上げた。
なぜだか俺はその顔を見ることは出来ず、顔を背けてしまった。
っと、そう言えば、もう一つ言っておかなきゃいけないことがあるんだった。
「それと、翔子――」
沈み切る寸前の夕陽を見ながら、
「――弁当、旨かった」
俺は軽くなった鞄を翔子に放った。
「……あ……私のお弁当……。気づいて……くれたんだ……」
「さて。さっさと帰るぞ。鴉にはお礼を言っておかないとな」
「……雄二」
「特におふくろのやつには、いくら言っても――」
「雄二っ!!」
ここ最近では記憶にない翔子の大きな声を聞いて、思わず立ち止まってしまう。
「……なんだ?」
平静に、いつも通りの態度と声で言葉を返す。
そして少しだけ振り返る。赤い光の中で、自らの手でヴェールを持ち上げ、
「……私、ずっと雄二が好き」
満面の笑みを浮かべる幼馴染が、そこにいた。
*
週明けの学校にて。
「鴉、ありがとう」
「その様子じゃ、決めたんですね。えへへ、良かったです」
「何から何まで、お前には世話になっちまったな。俺の知らない翔子がいて、新鮮だった」
「昔に何があったのか、僕は知りません。だけど、一人の相手をずっと想い続けるのは並大抵の気持ちがないと、出来ないことですから。大切にしてあげてください」
僕はそう言って、胸ポケットから封筒を取り出して渡すと席に座る。明久の計画を途中から変更しておいて、良かったのかもしれない。恋人にさせたいなら、余計な真似はしなくてもいいのにね。