魔法少女まどか☆マギカ × ウルトラマンネクサス   作:ブラッディ

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波紋 ―スプレッド―

 夜が明けようとしていた。

 生まれ来る新たな太陽の光が、わずかに残る昨日という闇を影と照らし出し、その暗さを引き立たせる。

 

 その影の中を駆ける二つの『黒』。腕から長く鋭角な爪にて空を裂く『一方』と、頭から長く流麗な帯を空に舞わせる『他方』。

 どちらも小柄で華奢。柔らかなシルエットは少女そのものだが、人間のそれを超えた速度だ。さながら夜のカーテンを縫い合わせる黒いミシン。

 幾度か交錯すると、『一方』の黒が急に加速し、それに応じるように『他方』の黒は忽然と姿を消すと、『一方』の背後に現れ、そして短い発砲音。だが『一方』を止めるには至らず、再び両者は影に紛れて疾走。そして交錯。

 

 これをもう何度繰り返しただろう。荒い息をそのままに『他方』は思考する。

 相手の手の内はある程度読めているが、【能力】の相性はよくない。中遠距離は自分の戦闘スタイルの十八番だが、相手はその弾丸が届く前にそれを避けた上に悠々と距離をとることのできる【能力】を持つ。まだ手数はこちらに分があるが、向こうの考えがわからない以上、いたずらに時間をかけるのもよくない。

 

 『一方』の両腕の鋭い爪が霜を振り払いながら振り下ろされ、『他方』は左腕の盾に手をやる。

 ここまでは同じ攻防。『他方』は盾を回すことで【時間停止】を行う。今回もそれだと『一方』は半眼。

 だが、『他方』はその手で盾の操作をせず、むしろ盾の()へと手を突っ込んでしまう。その動きでわずかに注意を引きながら、硬い盾と左腕の接点で相手の片爪をからめとり外に広げれば、『一方』は腕を広げた死に体となる。『他方』はすかさず肩をすくめるように両腕の間のスペースに身をねじ込む。

 この距離なら腕のリーチが致命的になる爪は使えない。

 『一方』の片腕ごと爪を受ける丸い盾の裏側は、外の闇よりも深き深淵。僅かな時間もなく引き出され、再び外気に姿を見せた右腕に握られていたのは、使い古されて鈍く光るゴルフクラブだ。引きずり出す勢いを利用した居合抜きの要領で目の前の頭に叩き込もうとする。

 が、『一方』もさるもの、息をのんだかと思うと口角を吊り上げ、まるで某洋画の救世主さながらのような動きで上体をそらしてゴルフクラブを華麗に避ける。そう、文字通りその洋画のごとく、周囲のすべてが『一方』よりも遅くなったのだ。だがそれは洋画と違ってCGではない。

 【魔法】だ。通常ならば避けえない間合いの居合抜きゴルフクラブを、【速度低下】させたということ。『一方』の能力によってもたらされた刹那の回避。しかし彼女はそれで止まらない。上体が倒れるままバック転のように足を跳ね上げ、相手のゴルフクラブを握る腕を薙ぐ。哀れ、ゴルフクラブはこれまた人間業とは思えないパワーの蹴りで空高くまで吹き飛ばされた。

 

 だが、ここで『他方』は唇を歪める。

 

 上に蹴りやられたゴルフクラブの先端から盾の中に伸びる一閃。闇夜に相応しからぬぼんやりとした紫の光芒はまさに【魔力】の通った証。

 

「ワイヤー!?」

 

 言葉尻を待たず、紫に光る鋼糸は獲物を捕らえる蛇のごとくその足をからめとり、一挙に全身へ絡みつかんとする。

 だが『一方』は冷静だ。ワイヤーなど切ってしまえばいい。そのための【速度低下】。『一方』のバック転は180°まで回転済み。頭をワイヤーに縛られた足先より低い位置にもってくれば、跳ね上げた片足を尾に見立ててまるでさそりのような体勢になる。そうすると目の前にちらつくワイヤーを爪にて挟み込んで切断。

 しかし『他方』はそれ以上に冷静だ。『一方』がワイヤーに注目した瞬間、『他方』は自らワイヤーを引く。先ほどのが居合なら今度は大上段の振り下ろし。

 

 するとどうなるか。ワイヤーにひかれ、宙を舞っていたゴルフクラブが、先端を下に降ってくる!

 

 ワイヤーに通した魔力はむしろゴルフクラブの威力をあげるためのものだった。

 『一方』の頭が低い位置に来た瞬間を狙いすまして、さながら隕石のように降ってきたゴルフクラブ。

 だが、『一方』にはまだ余裕があった。その速度を低下させればよいのだ。銃弾がゴルフクラブになっただけのこと。

 そのとき

 

『動かないで!』

 

 その言葉に、声に、『一方』は僅かに動きを止めた。僅かの間のあとには理解していた。先の静止の声は『他方』が魔法と技術により声帯模写をやってみせたものだと。『一方』が絶対に逆らわない声に。

 だが僅かの間は止まったのだ。その僅かの間は、【速度低下】のなかでも、ゴルフクラブが頭を強かにへこませ、その意識を瞬断するには充分であり、その瞬断からの回復は、ワイヤーの魔力が再び威力を発揮し、『一方』に絡みつき動きを封じてしまうには充分だった。

 

 それなりに長かった『黒』のぶつかり合いの決着を告げる、刹那の数アクションだった。

 

「出てきなさい。さもなけばこいつを殺すわ」

 

 悔しそうに転がる『一方』に対し、『他方』は努めて冷静に周囲を見回すと、涼やかな声で言った。

 

「いるんでしょう? ずいぶんな歓迎ね」

 

 空が白んできていた。闇に滲み出た白は、空でなく、地にも。

 

「初めまして、【暁美ほむら】」

 

 尊大な態度に、薄い笑みを張り付けた顔ながら、体から迸る妙なプレッシャー。身に纏う衣服は白いようでありながら、一目で見とれる、底なしの黒い心根。

 

「白々しいわね。全部知ってて試したんでしょう? どうなの?」

 

 対する『他方』の黒……白が混じりだした空のもとで、その少女は紫、あるいはグレーとも。入り混じって見てとれる彼女の色は、戦いの中で混ぜ抱えた複雑な想い故か、その背負う思いの数か。

 

「あなたも。その子が私の指示に従うこと、『集中力』というその子の【魔法】の弱点、その子を殺すことが交渉に支障をきたすこと。全てを知っていて戦っている。やはり互いに()()()()()。いや、私の場合はあの人から教えていただいたのでしたね」

 

 相手の薄い笑みに対峙する鉄面皮が銃を握りしめた右手と同様不安定に震える、【ほむら】と呼ばれた黒い少女。

 

「あなたの目的はなに?」

 

 白い人物は応えた。

 

「それこそ白々しい。

 あなたはもう知っているのでしょう? 私の目的を。……そう、そして私も知っている。あなたは、私と手を結ぶためにここへ来た。……あえて言うなら、私の目的は、

 

 あなたの旅を終わらせること」

 

 白い【予知者】の笑みが、はっきりと深まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 【魔女ビースト】シャルロッテとナイトレイダーの戦い。

 【吉良沢優】と【暁美ほむら】の出合い。

 【美樹さやか】と【ナイトレイダー】の邂逅。

 

 その翌朝。

 

「ミッションエリアの視察に?」

 

 【フォートレスフリーダム】ブリーフィングルーム。

 昼でも夜でも晴れでも曇りでも薄暗いこの基地で、ナイトレイダーは、ある指令を受けていた。

 

「えぇ。昨日のビースト……コードネーム【モルトラゴ】は、中型以上のビーストが大都市の只中に出現した初めてのパターンです」

 

 魔女シャルロッテは、TLTでは脱皮(モルト)+(ドラゴン)で【モルトラゴ】と名付けられた。

 

「万が一にもビーストが復活するようなことがあってはなりません。ビースト細胞の調査殲滅に万全を期し、ホワイトスイーパーだけでなくナイトレイダーにも参加するよう、査問でいらしておられる【東郷】参謀からの直々のお達しです」

 

 ナイトレイダーに指令を伝えるこの男。【松永要一郎】は事実上のナイトレイダー直属上司で、眼鏡と皺だらけの細面が特徴だ。物腰は柔らかいが、表情は硬い。そして、TLTの、人類のためならば手段を択ばず、弱った【ウルトラマン】=【姫矢准】を捕らえて拷問のような人体実験にかけた。それがために誕生した【ウルティメイトバニッシャー】は、【溝呂木慎也】との決戦ではそれなりに活躍したものの、先ほどデータの消失が発覚してしまったために、また虎視眈々と機を伺っている。

 【東郷】はTLTの最高幹部の一席であり、TLTが隠しているかなりのことを知っている人物である。本来はTLT北米本部にいる人物だが、ナイトレイダーへの査問会のため、フォートレスフリーダムに滞在している。

 

「総員で市街地に行けということですか?」

 

 まさかと確認をとったのは、肩眉を吊り上げた【西条凪】副隊長だ。

 

「事実上の半日間休暇と受け取ってもらっても構いませんよ。勿論、ミッションポイント周辺のエリア限定となりますが」

 

 心なしか口角をあげた松永の言葉は、一同を困惑させた。

 ナイトレイダーは、当然のように職場としては厳しめだ。

 そもそもからして(ナイト)襲う者(レイダー)の名である。夜勤は多いし、仕事上ストレスも多い。

 それでも【孤門一輝】が入隊してからはなんだかんだとマシになってきてはいる。仕事の頻度と難度はやや増える傾向にあるが、主に心理的な要因で仕事上のストレスがじわじわ減っている。やはり熱意のある若手が入るとよくなるものである。

 ともかく、そういう仕事なので、休暇は皆結構しっかり消化している。休まないとやってられないというのは和倉もよくわかる。人数が多くなると抜けの補充が容易なので休みがとりやすくなるのもよい。

 それでも、仕事上、全員休暇など当然できない。ほかのユニットがあるとはいえ、いたずらに負担をかけるべきではない。

 

「それは、さやかちゃん、つまり記憶処理対象者に鉢合わせする可能性があるのでは? 昨日の今日では記憶がまだ……」

 

「そうですね。しかし、一人の記憶が戻るリスクより、ビースト復活のリスクのほうが当然ながら大きい。天秤にかけるまでもないことです」

 

「では、どちらのリスクも考慮してほかのユニットを向かわせては?」

 

「先ほども申し上げた通り、今回のビーストは初めてのケースです。遭遇したあなた方が向かうほうが確実性が高い」

 

 【平木詩織】隊員と【石堀光彦】隊員の質問にもすげなく答える管理官。

 どうしても彼らナイトレイダーAユニットを出したいというやりとりに、隊長【和倉英輔】は裏の意図を察した。

 

「ここの捜索をするからまとまった時間出ていろというわけですか」

 

 笑みを深めた松永の顔が雄弁に答えていた。

 

「そんな! 僕たちはなにも隠してなんか!!」

 

 孤門が身を乗り出して声をあげた。

 

「やってみないとわからないというのが彼らの言い分です。ウルティメイトバニッシャーの件もある。また、位相空間で殲滅したとはいえ、ビースト細胞が空間の外に出ていないとは限りません。任務の方も実情だと理解してください」

 

 言われて孤門は押し黙る。実際、その後が気になっていたところではある。任務で行けるなら願ったり叶ったりだ。それに、探されたところでやましいものはないのだし、孤門はほかのメンバーも信用している。上層部に信用されていないのは気分がよくないが、そうしなければ納得できないならば甘んじようというものだ。

 

「分かりました。見に行ってみます、【見滝原】」

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方、その【見滝原】。

 いつもの待ち合わせ地点にて。

 

「おっはよー! まどかー!!」

 

 毎朝と同じように聞こえる元気な声に、【鹿目まどか】はむしろ焦燥を覚え、駆け足を早めた。

 常にない親友の様子に目を丸くしてアイコンタクトを交わす【美樹さやか】と、隣の【志筑仁美】。

 近くまで走り寄って、膝に手をついて息を整えるまどかに、さやかは何気ない調子で聞いた。

 

「どうしたのまどか。そんなにさやかちゃんに会いたかった~?」

 

 さやかさんたら、と仁美が苦笑いするが、まどかは顔をあげて噛みつかんばかりに応えた。その剣幕たるや、ほとんど叫んでいるかのよう。

 

「会いたかったよ! だってさやかちゃん、昨日、病院の下でグリ――」

 

 ――グリーフシードを見付けて、マミさんを呼んできてって言ったっきり、魔女と一緒にいなくなっちゃったじゃない!?

 

 と、すんでのところで言わなかったのは、すぐそこに()()()()話とは全く関係のない仁美がいたからだ。

 仁美が「まあ! まどかさんたら情熱的!」などと目を輝かせているのを横目に、どうやって仁美に【魔法少女】のことを隠しながらさやかに()()()()()を伝えたらいいのかと、まどかは思案し、さやかを仰ぎ見た。

 

「どうしたの?」

 

 なおも問いかけるさやかに、まどかは違和感を覚えた。

 【魔女】の【グリーフシード】を前に、「マミさんを呼んできて」と言ってまどかを送り出したきり消息不明になったさやか。その後どうなったのであれ、今、目の前で息を荒らげているまどかの胸の内を汲み取れない彼女ではない。

 だが現状、さやかは心底から不思議そうな様子。仁美がいるから話せないということだとしても、見つめあっている今の状態なら、仁美を目で指してからあとで、と口の形で伝えることくらいはできるはずだが、そうするわけでもない。この会話自体、トーンがあまりにも自然すぎるし、そういう事情ならあちらから【キュゥべえ】を介したテレパシーでまどかに伝えてきてもいいはずである。

 魔法少女、およびその才覚があって、【キュゥべえ】を知覚できる者は、キュゥべえを介してテレパシーのやりとりをすることができる。尤も、魔法少女同士ならキュゥべえを介さなくてもできることをまどかは知らない。

 と、いったところで、まどかは、こちらからテレパシーを伝えればいいことに気が付いた。この場にはキュゥべえはいないが、恐らく今朝はマミさんのところにいるのだろう。いずれにせよ、キュゥべえがこの場にいなくともテレパシーにおいては問題はない。

 

『さやかちゃん、昨日のこと……』

 

 ……。

 

 …………。

 

 ………………。

 

 おかしい。繋がった感覚がない。

 

『さやかちゃん? 聞こえないの? さやかちゃん!』

 

 全く返事がない。無視されているわけでもない。むしろ独り言を言っているかのようだ。

 

 さやかを一心不乱に見詰めながらテレパシーを試みるまどかの姿は、夢見がちな仁美にはいよいよ禁断の愛を迫るかのように見え、全く素で困惑しているさやかにはなんだかわからないがまどかから無言で怒られているように見えた。

 

「えーと、まどか? いくらさやかちゃんが美少女だからってそんなに見詰められても困っちゃうなぁ、なんて……」

 

 茶化したつもりが、目を見開いて驚愕を露にするまどかに、さやかも驚いた。

 まどかが驚いたのは他でもない、さやかにキュゥべえのテレパシーが通じていないのがはっきりしたためだ。

 目を白黒させて動揺するまどか。さやかも仁美も、そして実は最初から木陰に身を寄せて一言も喋らず身じろぎ一つもなく様子を見守っていたほむらも困惑し出し、おまけにそんな場を目撃した登校生たちさえ巻き込んでその一帯が困惑の坩堝になりかけたところで、ようやっと救世主が現れた。

 

「美樹さん、私を呼んでくるようにって鹿目さんに言ったのに、私がきたときにはもういなかったじゃない? あのあと結局会えなかったから、どうしたのかしら、って」

 

 極めて落ち着いた声が、まどかの後ろからかかる。

 仁美は知らない先輩の登場に難色を示すどころか「修羅場!? 修羅場ですの!?」と夢を膨らませているが、まどかは心底ほっとし、ほむらは()()()()()()()()()()()()()()()()に短く息をついた。

 さやかはこの空気を打ち切るのにこれ幸いと、大仰なほどに手を振り、あいさつした。

 

「マっミさーん! おっはようございまーす!!」

 

 彼女は、いつも通り元気な後輩に、柔和に微笑みながら応えた。

 

「おはよう、美樹さん、鹿目さん。……そちらは、初めましてよね? 【巴マミ】です。よろしくね」

 

「志筑仁美と申します、よろしくお願い致しますわ」

 

 片や毎日のようにラブレターを貰うほどのモテモテの美少女仁美に、片や素敵な金髪の巻き毛と中学生離れしたボディラインの綺麗なお姉さんマミ。ともにたおやかな佇まいでうふふとばかり挨拶する様に、困惑に飲まれていた一帯は落ち着きを取り戻した。全く違う意味で歩みを止めてしまう生徒も出始めたが。

 

「じゃ、歩きながら話しましょうか」

 

 マミの先導で、一同は再び歩き始めた。

 

「さて、美樹さん。昨日の()()()()()、説明してもらえる?」

 

 マミの柔らかな詰問に、さやかは目を瞬かせると、そのまま宙に泳がせた。

 

「……えー……実はその……倒れたみたいで正直マミさんを呼びにっていうところから記憶がなくてですね……」

 

「倒れた!?」

 

 仁美が条件反射で叫ぶと、さやかはばつが悪そうに頬を指でかく。

 

「昨日はなんか、まどかと一緒に帰ろうとしたところから記憶がなくて……気付いたら今朝になってて……お母さんに聞いたら夜に病院の人が送ってきたって」

 

 まあ、と口元を手で覆い、珍しく驚きを前面に表した仁美と違い、深刻な顔をするまどかと、少し目付きがきつくなるマミ。それをどう受け取ったか、さやかはまくしたてた。

 

「い、いえ違いますから! 別にドタキャンした適当な言い訳とかじゃなくですねマミさん! なんていうか、最近さやかちゃん忙しかったから!」

 

 まどかはますます顔に影をかける。

 変だ。仁美がいるから魔女や魔法少女のことを話せなくて、テレパシーもなぜか通じなくなっていて、それでもさやかなりに昨日起こったことを説明しようとしているというなら、まどかにもわかる。しかし、話を聞くだに、そういう隠語があるとは思えない。無理矢理読み取るなら、『魔女結界に入った後で急に意識がなくなり、気付いたら夜だった』となるだろうか。それにしても遠回しな説明であるし、言い訳がましくせずとも、意味ありげに目配せなりすればマミならわかってくれるだろうという信頼がまどかにはあった。そしてさやかにも同じ信頼があるはずだという確信も。

 それに、話の流れでは『さやかはまどかにマミを呼びにいかせ、待ってる間に倒れて、マミとまどかに図らずもドタキャンを働いた』ということになっているのに、さやかはマミやまどかに謝る素振りを見せない。そういうとき、さやかはまずは相手を思って謝ることのできる優しさを持った人だと、まどかは知っている。知っているはずだったのだが、今のさやかはまるでそうする必要さえ感じていないかのようだ。

 どこかちぐはぐだ。なにかが変だ。

 まどかが疑問符を増やし続ける一方、ほむらは木陰で一人さやかを注意深く観察していた。珍しく彼女の視線はまどかでも、ましてマミでもなく、たださやかに向けられている。

 他方、マミは微笑んだまま。

 

「そう、でも美樹さん、ちゃんと検査は受けたんでしょう? 此間の新宿のウイルスのこともあるし、体調には気を使わないとね?」

 

 先輩の忠言にさやかはしおらしく頭を下げる。

 

「いやぁ、面目ない……ここ数日夜更かししてまして……」

 

 あ、とまどかは声をあげた。マミも少しひるんだ。

 

「まあ。さやかさんもなにか習い事を? それとも、アルバイトとか?」

 

 純粋な好奇心で聞く仁美だが、まどかとマミの二人には、さやかの『ここ数日の夜更かし』に心当たりがあった。

 【魔法少女活動体験コース】のことだ。まどかとさやかがマミの魔法少女活動に付き合わせてもらい、その願いの代償に強いられる戦いを見る旅路。魔女は人心が弱る夕方から夜にかけて最も活発に活動するもので、その索敵と戦闘は長びけば夜中までかかる場合さえある。慣れているマミはともかく、まどかとさやかは数日付き合っただけでも体調が乱れているのだ。

 これはひょっとして遠回しな抗議なのだろうか、とマミは思った。

 ツッコまれるとは思わなかったんだ、上手く誤魔化して、とまどかは思った。

 しかし、さやかは二人の予想を裏切った。

 

「ないない。私のは単なる……単なる……()()()()()?」

 

 誤魔化すの下手、とまどかが考える前に、あろうことかさやか、信じられないことを口走った。

 

 

「ま、思い出せないくらいなんだから、どうせ()()()()()()()()でしょ」

 

 

 くだらないこと。

 

 マミとまどかを凍り付かせるには十分な言葉だった。

 マミの魔法少女活動にかける思い。マミがそのために捧げているもの。魔女がなにを引き起こし、なぜ戦うのか。そしてまどかと語り合った言葉。憧れについて。奇跡について。幸せについて。

 この数日で積み重ねたことを思えば、例え誤魔化しであったとしても、あの体験を『くだらないこと』だなどと言えないはずだ。自分たちが知らなかっただけで、ずっとすぐ隣にあったあの世界を。その世界で5年間生き抜いてきた『巴マミ』を。

 まどかはよく知っている。

 

   ――ねえ、マミさん。願い事って自分の為の事柄でなきゃダメなのかな?例えば、例えばの話なんだけどさ、私なんかより余程困っている人が居て、その人の為に願い事をするのは……。

 

 さやかにはひとつ、どうしても叶えたい願いがあったし、

 

   ――うん、やっぱりマミさんは正義の味方だ!それに引き換えあの転校生……ホントにムカつくなぁ!

 

 正義の魔法少女として活動するマミを心から尊敬していた。

 それなのに、いうに事欠いて『くだらないもの』だなんて。

 それに、まどかは昨日までの間に、少しずつだが、マミの本音を聞いていた。

 

   ――考えている余裕さえなかったってだけ。後悔しているわけじゃないのよ。今の生き方も、あそこで死んじゃうよりはよほどよかったと思ってる

   ――大変だよ。怪我もするし、恋したり遊んだりしてる暇もなくなっちゃうよ。

 

 【新宿大災害】という理不尽に傷つけられ、それから逃れるために戦いという別の理不尽を強いられている痛み。

 

   ――無理してカッコつけてるだけで、怖くても辛くても、誰にも相談できないし、一人ぼっちで泣いてばかり

 

 魔法少女の生き方、その宿命を真の意味で理解しあえる人がいない孤独感。

 

   ――理由のはっきりしない自殺や殺人事件は、かなりの確率で魔女の呪いが原因なのよ。形のない悪意となって、人間を内側から蝕んでゆくの

 

 自分が魔女を倒し、町を守らなければ、他の誰かが傷つき、死ぬのだという重責。

 昨日、さやかが行方不明になったことで水入りとなったが、それがなければ今頃、まどかは魔法少女となっていたかもしれない。……マミの孤独と恐怖を分かち合えるものになっていたかもしれない。

 

   ――憧れるほどのものじゃないわよ、私……

 

 隣で拳を握り締めているマミに気づき、まどかは自分を抑えきれずにさやかの前に飛び出した。

 

 さやかちゃん! そんなの、そんな言い方ってないよ!

 

 と、まどかは言うつもりだった。言ってやって、例え誤魔化しだとしても訂正させてやろうと思っていた。

 でも、言えなかった。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()から。

 

 マミの前で、その人生を否定したに等しいことを言っていながら、それを後悔したり、焦ったり、悩んだりしている様子が全くない。負い目を感じていない。

 それどころか、言ってやったぞと喜んだり、嘲ったりしている様子もない。

 奇跡の存在を、それにすがる人々の存在を、それに対するあこがれや、傷つく人々すべてを切り捨てたということに気づいていない。

 言うべきでないことを言った、という意識がかけらもない。

 まずいことを言った、という感覚がない。

 ただただ空虚。無関心。まどかが出てきた意味も分かっていない、まったくのキョトン顔。

 

(さやかちゃん、この何日かのこと、忘れちゃったの?)

 

   ――金銀財宝とか、不老不死とか、満漢全席とか?

 

   ――欲しい物もやりたい事もいっぱいあるけどさ、命懸けって所で、やっぱ引っ掛かっちゃうよね。そうまでする程のもんじゃねーよなーって。まあきっと、私達がバカなんだよ。幸せバカ

 

   ――別に珍しくなんかないはずだよ?命と引き換えにしてでも、叶えたい望みって。そう言うの抱えている人は、世の中に大勢いるんじゃないのかな。不公平だと思わない?こーゆーチャンス、本当に欲しいと思っている人は他にいるはずなのにね

 

   ――あの迷路が出来上がったら、こいつの居所も分からなくなっちゃうんでしょ。放っておけないよ。こんな場所で

 

 

 あれらの言葉が、今のさやかからは全く思い浮かばない。

 

(違う……)

 

 まどかはなぜかそう思った。

 

 

 その日の午前中、まどかは授業に身が入らなかった。

 さやかは全く屈託がなかった。ときどきほむらに送っていた怖い顔ですらなりを潜めている。

 こうしてみていると、さやかは魔法少女を知ってから考えていることが多かったんだなと思えた。

 

(……でも、()()()()()()()()()()()()()()……)

 

 なんのこともなく、テレパシーを使わず、満面の笑顔で自身や仁美と話すさやか。

 

「ねえ、さやかちゃん。さやかちゃんは、マミさんが魔法少女だって言ったら、信じる?」

 

「……んー、そりゃあ、マミさんはすごい人だけどさ~?」

 

 一方、その最中にマミからテレパシーを受け取り、昼食時に屋上で話すこととなったまどか。

 一緒に踏み入った異世界に自分だけが取り残されて、さやかだけが勝手に帰ってしまった様だと、まどかは思った。

 

「いくらなんでも魔法少女って、まどかってば夢見すぎ~!」

 

 負けん気の強い可愛い笑顔は、見慣れた活力と魅力に溢れていて。

 それでも。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 重たくて大事なものをすっぽりと落とした軽やかな笑顔を、まどかはどうしても肯定する気にはなれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 カラッと晴れた昼下がり。

 太陽の下、大きな紙袋だのボールやなんかを入れた箱だの台車だのを地面に広げて伸びをする珍妙な一団が。

 

「ボールよし! 風船よし! ふくらますやつよし!」

 

 一塊ずつ指差して声を張るのは、オレンジのダウンジャケットを着た元気な青年。

 

「くまさんカステラよし! キグルミよし! プレセントよし!」

 

 続いて声を張る白のパーカーの青年。

 

「憐くんよし! 尾白くんよし! 杏子ちゃんよし!」

 

 そんな青年たちと、荷物の塊の隅にむすっと座り込む少女を数え上げるふくよかな男。

 

「……さも荷物数えしてる感じにすんなよ。尾白と憐が落としてブチまけて散らかしただけだろ」

 

 最後にボソッと呟いた赤毛の少女は、青年たちやふくよかでがっしりした男性に囲まれて、本来以上に小さく見える。

 そんな小さな毒は全く無視して、ヤケクソ気味に盛り上がる青年たち。少女は溜息をついて、遠くを……住宅街の高層マンションの一画を見遣った。

 

「……来ちゃったよ、【見滝原】」

 

 元気かな……という誰に向けたものかは定かではない囁き。どこまでも憂げな表情の少女を見て、青年たちは一旦動きを止めて目を見合わせると、さも仕切り直しですとばかり腰に手を当て、高らかに宣言した。

 

「よし、じゃあ、行きますか! 【見滝原総合病院】! 忘れたもんはないよな!!」

 

 

 

 

 

 

 

「なくはないよ。人間は自分の心を守るために、忘れるという手段をとる場合がある」

 

 その日の昼どき。屋上で、まどかとマミ、そしてキュゥべえは話していた。

 もちろん、さやかのことを。

 

「それじゃあ、美樹さんにテレパシーが通じないのは……」

 

「僕らの存在を拒絶した少女に、ぼくのテレパシーが通じなくなることはあるね」

 

 マミもまどかも俯いていた。昨日までは、さやかも交えて三人でキュゥべえと話していたのに。いつも騒々しくて口数と冗談の多い彼女がいないだけで、なんだか屋上が妙に寒々しくなったような。屋上の広さが胸に刺さるような。

 

「ねえ、キュゥべえ。昨日、結界の中で何があったの?」

 

 まどかは信じられなかった。あのさやかが、なにかを忘れたいほど、ショックを受けたというのか?

 

「言ってあげてもいいけれど……おそらく、君たちもそれなりのショックを受けるよ。あの戦いは、それほどのものだと思う。それでもいいかい?」

 

 まどかはその脅しともいえる言葉に怯んだ。なにしろ、まどか自身が自分よりも確実に心が強いと思っているさやかが、忘れてしまいたいと願うようなことなのだ。

 まどかの脳裏によぎる今朝のさやかの顔。いつも通りに笑っていたのに、確実にいつも通りなんかじゃなかった。マミと出会い、魔法少女のことを知った『いつも』のそれではなかった。

 それがどんなに恐ろしかったことか。心が壊れたという感じではない。心の奥から大事ななにかがすっぽりと抜け落ちたかの様なあの姿。まどかだけが知っている。さやかは知らない。マミのこと、キュゥべえのこと、魔女のこと、魔法少女のこと。違うものを見て、聞いて、知っている。文字通り別世界。

 急にまどかとさやかの世界は別たれてしまった。

 まどかとさやかだけが魔法少女の世界を知って、それを秘密にした時、仁美はもしかしたらこういう気分だったのだろうか。とても心細い気分だ。

 沈黙のあと、次に口を開いたのはマミだった。

 

「いえ、キュゥべえ、いろいろ教えてくれてありがとう」

 

 そして、マミはまどかに微笑みかけた。

 

「鹿目さん。魔法少女のこと、少し、考え直しましょう。ね?」

 

 痛いのを無理やり堪えて、近くにいた子供を励ます、そんな笑顔。

 「で、でも」とまどかがまごつくと、マミは語気を強めて

 

「そうよね。少し、急ぎ過ぎてた。願い事がないのに、無理になんて……いい? 魔法少女の戦いには、そういうこともある。美樹さんのように、忘れてしまいたいことなんていくらでも。鹿目さんも、もう一度……そして、なにか、これだけはっていう願いが一つ見つかったら、キュゥべえを呼んであげてね?」

 

 辛そうな笑顔。張り裂けそうな笑顔。泣き出しそうな笑顔。

 だが、凍り付いたように固まった笑顔のそれは、まぎれもない『さよなら』。

 

 まどかは二の句を次げなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 二人とも気づかない。

 キュゥべえは「そういうこともある」と言っていただけで、「それがさやかの症状だ」とは一度も明言しなかった。

 そして、キュゥべえお得意の嘘は言っていないがどうともとれる言い方で相手の誤認を誘うトーキング能力で、さも戦闘のショックによってさやかが勝手に記憶を失ったかのようにおもわせているが、事実は違う。

 ほむらは屋上の扉の陰から踵を返した。

 

(【イラストレーター】の言う通りだった。

 やはり、美樹さやかは魔法少女のことまで丸ごと忘れている。

 そして【インキュベーター】はそれに干渉できず、TLTの存在を魔法少女に教えることもしない。

 だからあいつは美樹さやかのことについて曖昧な言い方で誤魔化した)

 

『ね? ()()()()()()に間違いなんかないんだよ。いや、向こうの予知者より素晴らしいに決まってるんだ』

 

『……あなたの予知者もこうした事情をイラストレーターに教えてもらっているはずだし、そもそもどちらが優れてようとどちらでもいいことよ』

 

『いーや、断じてどちらでもよくはないね。それで、結局、実際見てどうするのかな? 見ての通り、あの子に【魔女ビースト】に遭ってもらってから連中に引き渡すのが一番確実

 

 『バカなことを言わないで、と言ったはずよ。それとこれとは別。あの子に危険な目に遭ってもらうなんて冗談じゃない。そういう手段はとらない』

 

 ……やれば失敗なんかしないって予知してくれてるのにな。ま、それは最終手段だと決まってるからいいけどね』

 

 一方的に繋いできて一方的に切れるテレパシー。

 ほむらは知らずの内にかいていた緊張の汗を拭う。

 

(落ち着きなさい。時間はある。今ならまだとれる手段もいくらでもある。それに今回はもう()()()()()

 

 先のテレパシーは()()からのもの。

 現時点で、目的と当面の手段をほむらと同じくする者たち。

 過去には敵として対峙したからこそわかる、味方なら心強い者たちだ。。

 

 ほむらは最上段から下の階層まで一気に階段を飛び降りた。……それは彼女自身気づかない、小さな喜びの発露だったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 午後の授業を休んでしまった。

 

 半ば追い立てるようにまどかを帰したマミは、一人、屋上で煮詰まっていた。

 キュゥべえに一人にしてくれと頼むと、彼はすぐに帰ってしまった。

 

 くだらないこと。魔法少女はくだらないこと。

 足元がぐらつくような感覚と、緩い吐き気を覚える。

 5年間、必死に戦い続けた。馬鹿にされても、独りぼっちでも、ようやくできた魔法少女の友達が離れて行っても、誰にも感謝されなくても、怖くても、痛くても、普通の人が羨ましくても。誰かのためになれば、と。

 

 でも、くだらないこと。

 

 つらくても、怖くても、誰かが犠牲になっても、自分自身が犠牲になりかけても。

 

 それは、くだらないこと。

 

 後輩になりそうな人を失くしてしまった。二人も。あの子と同じ。

 先ほど、まどかが「じゃあマミさんを支えるのが私の願いです!」と言ってくれることを期待しなかったはずもない。でもまどかは言わずに去っていった。

 

 それもまた、くだらないこと。

 

 記憶を失くしたとしても、もっと言いようはあるではないか。記憶がないからって人の印象はそんなに変わるものか。

 なら、美樹さやかにとって、巴マミは……くだらないこと? 初めから?

 

 それなのに、身勝手な簒奪者であろう、暁美ほむらだけが残っている。

 ふと見下ろした校庭。そこには、まどかと連れだって帰るほむらの姿。

 

 簒奪者。

 

 マミは、胸の内に、夕暮れの肌寒さとは全く関係なく迫る、不気味な冷たさを感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まどかさん、どうなさったのでしょうか」

 

「んー、まどからしくないよね。朝からなんかよそよそしいし……私、まどかになにかしちゃったのかな」

 

 まどかがほむらと一緒に校門を出た頃。先に帰ってて、とまどかに送り出されたさやかと仁美。

 なんだかこの二人連れでいることは珍しいな、と二人は思った。仁美の習い事が多いことを差し引いても、特にここ最近はまどかとさやかの二人でいることが多く、仁美としては妬いているところでもある。昨日の「ちょっと野暮用があるから!」は本当にショックだった。

 そういうわけで、仁美は少し優越感を感じたりしていた。

 

「ドタキャン、怒ってらっしゃるのでは?」

 

 それを言われるとさやかは苦り切った顔をする。

 

「い、いやー、もう本当、普通に覚えがなくてさー。恭介と話したことはしっかり覚えてるのに……」

 

 仁美はぴくりと髪を揺らした。

 

「ん? どしたん?」

 

 怪訝に思ったさやかが問うと、仁美は慌てて表情を取り繕った。

 

「い、え。それよりも、本当に覚えてらっしゃらないのなら大変ですよ? さやかさん」

 

 そう言われても……とさやかは言葉を濁す。

 

「ひょっとして【怪物バンニップ】にでも襲われたかな~?」

 

「あの目撃者の記憶を消してしまうという噂の?」

 

「そうそ、黒くてデカくて人を食べちゃうっていう一つ目の……」

 

 怪物。

 

 一つ目のやつ。

 記憶を消してしまうやつ。

 黒くてデカくて人を食べちゃいそうなやつ。

 

 仁美との会話のなかで出てきた【怪物バンニップ】のキーワードに、さやかの脳裏の()()()が反応した。

 

「さやかさん?」

 

 仁美の言葉に、さやかは頭を振る。

 

「あ、いやいや、大丈夫大丈夫。なんでもないなんでもない」

 

 たはは、と笑みを見せるさやか。しかし仁美は浮かない顔。

 

「さやかさん、私と二人は楽しくありませんか?」

 

「……ん? なんで?」

 

 仰ぎ見た仁美の顔は影になってよく見えない。

 

「さやかさん、どうしてまどかさんとお二人だけ、マミさんとお知り合いだったのですか?」

 

「え? そりゃあ、仁美が習い事だから先に帰って、その後に会ったから……なんで会ったのかは忘れちゃったけど……」

 

 なんでこんな大事なことを忘れちゃってるんだ?という疑問はさやかの脳内に留まることなく消えていく。それよりもすぐ隣の仁美の様子が変だ。

 

「でも、それからずっと、三人でお会いになってたのでしょう? どうして私には内緒に?」

 

「そ、それは……」

 

 なんでだ?さやかは思い出せない。まるで虫食いにあったように。仁美の習い事があったから?

 

「私だけ除け者になさってたのでしょう?」

 

「違っ、それはほら、仁美も忙しかったし!」

 

 違う……のだろうか、とさやかは戸惑った。きっと明確な理由があったはずだと思うが、思い当たる節がない。

 そのさやかの態度をどう見たか、仁美は一段と低いトーンでまくし立てる。

 

「そう、いつも私だけ一人ぼっち。私が習い事してる間にさやかさんとまどかさんは一緒にお買い物したり上条くんのお見舞いに行ったり私に内緒で先輩と三人でお茶会したり。私との三人ではご不満なのですわ。どうせ私はいつもお二人と一線があって遊んだり恋したりする時間もなくてあの人のことも見ていることしかできなくて……いいえ、もう見ていることも……私、私……」

 

「仁美っ」

 

 虚ろな、というにはあまりにも多様なものがない交ぜになった目で、どこをともなく見つめながらぶつぶつと言葉を吐き続ける仁美。

 それが呪詛のようにも聞こえて、たまらない気持ちでさやかが思わず抱きしめると、仁美はわずかに身じろぎ、すすり泣くような気配を見せた。

 

「……さやかさん」

 

 記憶の疼きと暴走する親友への動転により働きの鈍いさやかの脳に飛び込んでくる、くぐもった仁美の声。

 

「私はこれからいつもの通り習い事ですが、さやかさんはご予定は?」

 

 先程の言葉の奔流から一転、くぐもっていること以外全く何気のない言葉にさやかも反射的に何気なく答えてしまう。

 

「恭介のお見舞い……」

 

 言いながら、さやかは仁美の首筋になにか、シールのようなものを見つけた。妙な模様だ。パンクロックミュージシャンが頬につけてたら違和感がないようなやつ。さっきまではこんなものなかったはずだが、さやかはこれが意味するものを知っているような気がする。

 瞬間、密着して距離隙間のないはずの二人の間に、冷たい風が吹き抜けた気がした。この寒気か怖気のようなものも、さやかは知っていたような気がする。その風を寒がるように、仁美の体がケータイのバイブレーションさながらに震えた。

 その震えをさやかが感じたか感じないかの間に、仁美は不意に武術の達人のような動きで自らを包む暖かな腕をすり抜け、冷たい外気を切って急速にさやかから離れた。

 

 何が起こったのか処理が追い付かず立ち尽くすさやかに、仁美は場違いなほどの笑顔で告げた。

 

「では、さやかさん。また明日。ごきげんよう」

 

 まるで跳ねるように、異様にウキウキとした足取りで去っていく仁美を追いかけるでもなく、さやかは呆然と見送っていた。

 

 

 もしこの時。

 さやかが、その脳内に封じられたなにかを立て続けに揺さぶられたこの時。

 

 途中から二人を発見し、その死角から様子を見ていた()()()()が、辛抱できずに声をかけていたら、また違った展開があったかもしれない。

 しかし彼女は、彼女自身の後輩と違って、職務上の留意点を守れてしまうのだった。

 

「記憶処理者に声かけるのは原則禁止。やっぱ歯痒いわ」

 

 呟きながら、ナイトレイダー隊員【平木詩織】は、さやかの目を避けるように場所を移した。

 わずかに漏れ聞こえたことから察するに友人関係が拗れたと見当がつくが、『三角関係のもつれ』だったら口出ししていたかもしれない。

 

「ここ、また来ちゃうかもな」

 

 離れながら、平木は妙な予感を感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんとなくさやかと一緒に帰りたくなくて、用事があると嘯いたけれど、一人でもいたくなくて。

 マミを思い、校庭から屋上を見上げていたまどかは、ふと、ほんの数メートル前にほむらがいることに気が付いた。

 

「……さやかちゃんは、なにかを見て、それを忘れたくて……全部、忘れちゃったんだって」

 

 二人は茜色の空の下、並んで歩んでいた。

 並ぶというより、先導するほむらとついてゆくまどか。

 

「なにを見たのかな」

 

 前を見据えるほむら。靴ばかりみているまどか。

 ほむらは時々思う。自分が鹿目まどかを先導するのが当たり前になってしまったのはいつからだっただろうか、と。

 

「……巴マミのような、あらゆる面で完成された魔法少女は滅多にいないわ。大半は、自分の戦法を確立する前に、戦いに呑まれる。がむしゃらにもがいて、足掻いて。長く戦ってはいられず、やがて身を滅ぼすの」

 

 まどかは顔をあげる。

 

「回復魔法に任せて、皮が破けても肉がえぐれても骨が砕けても内臓が潰れても、傷を意識せずに遮二無二突っ込むばかり。親しい相手に見られても人間だと信じてもらえないほどに身を省みない突貫。あるいは自罰かもしれない。……狂った、とも言えるでしょうね」

 

 そんな、とまどか。ほむらはまったくの無表情。だが、今、ほむらが思うその魔法少女は。

 

「さやかちゃんはそういう人を見ちゃったのかな。そういう、その…必死な……」

 

「弱い魔法少女、ね。巴マミを見て誤解したのでしょうけど、本当に凄惨なものよ。魔法少女って」

 

 瞳を揺らすまどか。

 

「どうして、そんな風になっちゃうのかな。せっかく願いをかなえたのに、そんなことになったら悲しいよ。マミさんみたいな人に教えてもらえば、その人も……それにマミさんだって……」

 

「誰も彼もが、他者のために戦えるわけではないわ。私たちはほとんど、自分の願いのために契約したのだから。巴マミの戦い方を学んでも、生き方は学べない。そういう契約なんだもの」

 

 ほむらはまどかの瞳を避けるように前だけを見て歩く。

 

「……ほむらちゃんは、どういう願いで

 

 「それは聞かないで」

 

 ……ごめん」

 

 ほむらの歩幅が少し広くなった。

 

「ほむらちゃんはベテランなの? そういう人を何人も見てきたの?」

 

「えぇ。何人も、何度も。数えることを諦めるくらい。そして……私の経験上、美樹さやかはそういう魔法少女になる。なりやすかったの」

 

 まどかの足音が聞こえなくなった。ほむらが振り返ると、建物や自身の影に囲まれて、不自然なほど小さく見える少女が一人。

 

「だからって……忘れちゃえるものなのかな」

 

 ほむらは風に靡く髪を一振りし、嘆息した。

 

「世の中には、知らない方が幸せなことだってある。こんなこと、忘れてしまうに越したことはないわ。あなたもね」

 

 ぎゅっと胸の前に握ったまどかの手。

 

「……私、きっと忘れられない。マミさんのことも、キュゥべえのことも、ほむらちゃんのことも。なのに、マミさんにさよならを言われて、一緒に戦いますって言えなかった」

 

 ほむらが一瞬、鞄の紐を強く握りしめた。

 

「……だからって、あなたを非難できるものなんていないわ。それを非難する者がいたとしても、私がそれを許さない。あなたが自分を責める必要もないの」

 

 今、夕日の影になったほむらの視線は、いつもの突き刺すような感じではなく、どこか労るようなものに見えた。

 

「ねぇ、初めて会ったとき、ほむらちゃん、言ったよね。今とは違う自分になったら、全てを失うって。でも、忘れることも、失うってことじゃないのかな? 私、さやかちゃんと、幸せとか色々考えたけど、さやかちゃんはそれも忘れちゃってるの。それってもう、大事なことを失って」

 

「そうだとしても」

 

 その日一日で胸のうちに溜まったものを不意に吐き出そうとするまどかを、ほむらは遮った。

 

「失うものは少ない方がいいわ」

 

 息を飲むまどかとどこまでも静かなほむら。それは、奇しくも、初めてのあの忠告の時にも似て。

 

「ほむらちゃんは……辛くないの? 私が本当に魔法少女のこと……ほむらちゃんとのことも忘れちゃったとしたら……」

 

「……あなたは、優しすぎる」

 

 あの忠告の時は、まどかは気づかなかった。

 

「え?」

 

「魔法少女のことは忘れて。でも、これだけは忘れないで。あなたのその優しさが、さらに大きな悲しみを呼び寄せることもあるってこと」

 

 今は気づけた。尤も、まどかには夕日の影が見せる錯覚にも思われたが。

 

 厳しい声色とは裏腹に、ほむらはあまりにも悲しげだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜が訪れようとしていた。

 死にゆく今日の最期の光が放つ、美しくも残酷な闇混じりの茜色は、人を感動と哀愁に惑わせる。

 それは、一日の終わりに重ねて、大いなる何かの終焉を感じさせるからか。

 そうした哀愁に包まれる病室で、CDプレイヤーから流れる旋律に身を任せる少年。

 いや、少年が哀愁を感じているのは、なにも夕日のせいではない。

 まして、聞いている曲のせいでもない。耳に入った人の胸に煌きと切なさを呼び起こす曲だが、実のところ、その音はひとかけらたりとも少年の脳には入ってきていなかった。

 だが、それでも確実に彼の気を滅入らせる原因ではあった。曲ではなく、音楽そのものが。それが素敵な曲であるほどに、素晴らしい演奏であるほどに、彼の目に映る茜色は色彩を失っていく。

 

 そこにやってきたのは、青色の髪の乙女。

 

「【恭介】、何聞いてるの?」

 

 【上条恭介】。それが少年の名前だった。

 部屋の雰囲気を見て躊躇して、それでも声をかけたこの乙女は恭介の幼馴染。毎日顔を見に来てくれる元気な親友。互いに毎日顔を合わせて育ったようなものなので、恭介は入院生活でも毎日顔を見ないと落ち着かなかった。そして、自身がそうなのだから彼女もそうなのだろうと想像していた。もちろん、事実は全く異なる。

 

「……『亜鉛色の髪の乙女』」

 

 思いのほかぶっきらぼうな答えとなってしまった。だが、恭介はこれでいいと思えた。できれば自分の不機嫌を察して出て行ってくれればと。

 しかし、乙女は意外なことに話をつづけた。

 

「ああ、ドビュッシー? 素敵な曲だよね」

 

 恭介は内心毒づきたい気持ちでいっぱいだったが、なんとか口をつぐんだ。口を開いた途端、八つ当たりが飛び出すに違いない。できればこいつが口の中に納まっているうちに出て行ってくれ、僕は君を傷つけたくない、これ以上気が滅入るのは勘弁してくれ、と恭介は半ば祈るような心持だった。

 しかし、話に乗ってこない少年をどうとったか、乙女は長々と話し出した。

 【亜鉛色の髪の乙女】を持ってきてくれたのも彼女だ。いや、今の少年の気分としては()()()()()()()()くらいのほうが適切ではある。

 

「さやかは……ぼくをいじめているのかい?」

 

 ついに恭介の胸のうっぷんが、口をついて出てしまった。いや、さやかだからこそ出たのだろう。恭介はさやかの前でだけはいつも正直だった。甘えていたともいえるかもしれない。だからこそ、だ。

 乙女の名前は【美樹さやか】。恭介がいっぱいいっぱいなのと同じくらい、さやかもいっぱいいっぱいだが、お互いにそれは知らない。

 

「何で今でもまだ、僕に音楽なんか聴かせるんだ。嫌がらせのつもりなのか?」

 

 さやかの見舞いのお供はいつも音楽CDだった。他にも選択肢はあるだろうに、馬鹿の一つ覚えのようにCDばかり。

 

「だって恭介、音楽好きだから……」

 

 恭介が音楽バカだということはさやかにも熟知するところではある。そうであっても、それにしても芸も色気もない。だが、そんなところもこの親友らしくて、恭介は少しの安らぎを感じてもいた。

 それでも、今ばかりは、乙女は少年に毒だった。

 一度開くと恭介の口は止まらなかった。医師にも看護師にも親にも零せなかったものが、さやかの前だと雪崩のように押し寄せる。

 

「もう聴きたくなんかないんだよ! 自分で弾けもしない曲、ただ聴いてるだけなんて!!」

 

 恭介はさやかを見ると思い出す。

 大好きだったバイオリンを弾いて聞かせた二人だけのコンサート。演奏が拙いころから――尤も、客観的に聞いて拙かった期間は極々わずかで、少年が拙いと思っていた段階の大半は通常のレベルでいえば充分に上手だったのだが――幾度となく繰り返したそれは、 二人の成長とともにある大切な記憶だ。

 いつしか恭介は天才と呼ばれるようになり、恭介にとってバイオリンは欠かせないものになっていく。

 

 だが、少年の将来は、唐突に絶たれた。

 今、振り下ろした左手で粉砕されたCDとプレイヤーのように、無慈悲に、粉々に。

 

「動かないんだ……もう痛みさえ感じない。こんな手なんてっ」

 

 事故。この世界の裏側には、事故でなかったことを事故ということにしてしまう者たちもいたが、彼の場合は本当に純然たる事故だった。

 左手からは少なくない深紅がシーツを染めるが、恭介は痛みも熱も感じない。感じるのは顔を伝う熱いしずくだけ。感じたいのはそれじゃないのに、それしか感じない。それが絶望を加速させる。

 

「大丈夫だよ。きっと何とかなるよ。諦めなければきっと、いつか……」

 

 さらに自傷を重ねようとする恭介を抑えつけるようにして止めるさやかに、恭介は泣き言を続ける。

 

「諦めろって言われたのさ! もう演奏は諦めろって、先生から直々に言われたよ! 今の医学じゃ無理だって……」

 

 すすり泣きながら、情けないと自分を叱る自分を恭介は一応感じていた。

 

「僕の手はもう二度と動かない。奇跡か、魔法でもない限り治らない……」

 

「恭介……」

 

 

 奇跡も魔法もあるんだよ。

 

 

 って言ってあげられたのになぁ。

 

 窓の奥の木からその様子を見ながら、その小さい影は心中につぶやいた。

 白いその姿は、恭介には見えない。

 さやかからは見えるが、彼は見られてはいけなかった。

 

「ぼくの姿を見たくらいで【スペースビースト】の記憶が戻るはずないんだけどな。仮に記憶が戻っても、契約させてしまえば僕が干渉してビーストの記憶だけをもう一回封じられるのに、どうしてそれもダメなんだろう。【来訪者】の考えは理解に苦しむよ」

 

 その小動物の名は【キュゥべえ】。魔法と奇跡の使者。

 本来なら、さやかは、キュゥべえの奇跡を享受できる立場にあった。

 しかしさやかは、ある組織にとって見てはいけないものを見てしまい、記憶を消されてしまった。

 組織とキュゥべえは密約を交わしていた。組織の定めた条件にあてはまった少女には、キュゥべえは接触してはならないというもの。さやかは条件にあてはまってしまったので、さやかはキュゥべえの奇跡を享受できないし、恭介も奇跡を知らない。

 それでもキュゥべえは諦めていなかった。

 キュゥべえの接触が禁じられるのは、消された記憶がよみがえる可能性があるためだ。逆に言うと、『もう記憶がよみがえった者には接触しても構わない』ということになる。なりませんよ、と即答で切って捨てる相手側の代表の姿が思い浮かんだが、キュゥべえは特に問い合わせもせず、勝手に自己解決していた。

 キュゥべえの目的にとって、さやかとの【契約】は得が多い。正確には、彼女との契約により近づくであろう別の少女との契約に旨みが多い。ゆえに、キュゥべえは、物理的に透過できる体を利用して木の中に肉体を埋め込む形でさやかから隠れながら、彼女が自然に記憶を取り戻すのを待っていたのである。

 外で【平木詩織】が接触していたとしたら、今頃、間違いなく、さやかはキュゥべえに声をかけてきていたことだろう。

 

 だが、現実にさやかが声をかけたのは白猫もどき(キュゥべえ)でなく、

 

「どぉもー! 出っ

 

 「あ! 看護師さんっっじゃない!? ちょ、ちょっともう、誰か呼んできて!!」

 

 おい鼠走れ! 風船はいいから早く! 今すぐ!!」

 

 やたら甲高い声を発する、虎のキグルミを着こんだ小さめの人物であった。

 

 

 

 

 

 

 

「副隊長、隊長、ちょっとこれを」

 

「どうした、石堀」

 

「振動波を観測していたんですが、人間の振動波の中に特殊振動波が4つ混じっているようです」

 

「特殊振動波……ビーストか?」

 

「いえ、全て基本的には人間です。ただ、4つのうちの3つから、先日のモルトラゴの固有振動波の一部パターンを逆符号化したものが見られます」

 

「モルトラゴのビーストヒューマンに近い人間が混ざっているということなの?」

 

「どちらかといえば、溝呂木と姫矢の関係が近いですね。二人には酷似した巨人の振動波が含まれるが、そのプラスマイナスが逆になっている。それと同じで、モルトラゴと対極に位置する何者かが三体いるということです」

 

「いずれにせよ、普通の人間ではないな。少し調べてみるか。あとの一つは」

 

「これは孤門にはまだ黙ってた方がいいと思いますが……恐らくこの中に適能者(デュナミスト)……ウルトラマンがいます」

 

 

 

 

 

 

 

 

 あのとき私の願った希望は、確かに叶えられた。

 けれど、私のちっぽけな希望は、奇跡には結びつかなくて。

 だから、世界の広さに今まで気が付かなかった。

 今はもう知っている。

 あなたを取り巻く因果が、その世界を狭めてくれたことを。

 

 私の願った希望が、奇跡にはならなくとも、絆にはなったということを。

 




諸々の都合で次回予告やめました
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