WHITE ALBUM2 Concert route   作:powder snow

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第十話

「ん……あれ? もう、朝か……」

 

 窓から射し込む陽光に照らされて室内が明るくなっている。

 瞼を通して感じる光の加減から、身体が朝だと認識したのだろう。あまり睡眠を取っていないにもかかわらず、ゆっくりと春希の意識が覚醒していく。

 短時間睡眠に身体が慣れているというのもあるだろうが、やはり日々の習慣というものは中々抜けてはくれないものだ。

 

「今、何時だ……?」

 

 明るさの強度で大体の時間は判別できるが、それでも一応時計で確認しようと春希が身を起こす。そして首を巡らそうと意識を外へ向けた途端、春希の脳裏に昨夜の出来事がフラッシュバックのように蘇ってきた。

 

「……そ、そうだ。俺、確か昨日、かずさと再会して……!?」

 

 大晦日の夜、雪が舞い散る中でかけられた懐かしい声。

 コンサート会場の外で春希は彼女と偶然出会い、そのまま別れてしまうのが嫌で無理やり誘ってまで初詣に連れ出した。そしてウィーンに帰るという彼女を強引に抱きしめ、自分の部屋まで連れて帰ってきた。

 他愛も無い話をするはずだったのに、ちょっとした切欠で思いが溢れ、ずっと抱いていた思いを相手に告げてしまい――愛し合う二人は当然のように身体を重ねあったのだ。

 

「かずさ……? いない、のか?」 

 

 三年前、一度きりの過ちだと思い決めて身体を重ねた先にあったのは――離別。

 深く愛し合いながらも、二人は離れてしまう運命にあった。けれど今回は違う。違うはずだと春希がきつく唇を噛む。

 昨夜かずさはウィーンに帰ると言っていたが、あの時とは根本的に事情が違っている。そうは思っても一度抱いた不安は簡単には消え去ってくれない。

 

「っ……」 

 

 春希はその不安を揉み消す為に必死になってかずさの姿を探し求めた。といっても、ワンルームの室内で隠れられるような場所など何処にもない。ぐるりと視線を一周させるだけですぐに探し追えてしまう。

 脱衣所やバスルームといったベッドからでは見えない箇所に彼女がいる可能性はある。なのにそう考えてみても一向に身体の変調は良くなってくれなかった。

 もしそこを探してもかずさが見つからなかったら。

 そう思うと身体が強張って動いてくれないのだ。

 

「冗談、だろ……。なんで、こんな……」 

 

 身体が安寧を得る為に、強くかずさの存在を求めてしまう。

 離れてからずっと抱いていた思いが、再びかずさの温もりに触れてしまったことにより、更に顕著になって春希自身を襲っていた。

 

「落ち着け。落ち着けって……」 

 

 もしかして昨日からの出来事は全部都合の良い夢だったのか?

 あまりにも彼女のことを想いすぎて、遂に頭がおかしくなったか。

 春希は右手を胸の前で握り込み、前屈みになって必死に浮かんでくる馬鹿な考えを否定する。

 独り言を口にしてまで考えないようにした。

 

「…………あっ」

 

 それが功を奏したのか。彼は遂に彼女の姿を見つけ出すことに成功する。

 漏れた吐息は安堵したため。

 かずさがいたのは彼のすぐ隣の位置。春希と同じベッドに入ってですぅすぅと可愛い寝息を立てていた。

 彼女が頭まで毛布を被りこんでいた為に視界に入らず、焦りすぎていた彼が見過ごしていただけ。普段の彼なら絶対にしないような初歩的なミスである。

 

「良かった。いなくなったかと思ったじゃないか……」 

 

 春希に寄り添うようにして、身体を丸めた状態で眠るかずさの愛くるしい姿を見て、自然と彼の表情が綻んだ。

 閉じられた瞳に長い睫が目を引く。

 綺麗な黒髪は寝相の所為なのか少し乱れていたが、それすらも彼からすれば愛おしい部分だ。

 かずさのこんな無防備な姿を春希は見たことがない。だから彼は、身体を起こした状態でしばらくそのままじっと彼女の寝顔を眺めていた。

 

「かずさ」 

 

 愛しい彼女の名前を呼ぶ。けれど眠っているかずさは反応を返してくれない。だから春希は、そっと腕だけを伸ばすと優しい力加減でかずさの頭を撫で始めた。

 さっき感じた恐怖を吹き飛ばす為に。

 彼女に直に触れることで、昨夜の出来事は夢じゃなかったのだと確認したかった。

 

「……んっ」

 

 春希が直に触れた所為だろうか。

 外部からの刺激を受けて、かずさがむずがるように身体を縮こませていく。けれどその行為もすぐに終わり、彼女はゆっくりと覚醒するように目を開いていった。

 

「あ……れ? あたし……」

 

 まだ寝ぼけているのか、かずさの目線が安定していない。ぼうっとしたように視線を彷徨わせながら、ここが何処なのかを確認している様子だ。

 その視線が自身を見下ろしている春希の目線と合う。

 

「はる……き……?」

「おはよう、かずさ。良く眠れたか?」

「は、春希ッ!」

「えっ――?」

 

 意識が覚醒した途端、かずさは有無を言わさない勢いで彼の胸に向かって飛び込んでいった。

 そして春希の首を支点として腕を回し込むと、ぎゅうっときつく抱きしめる。

 

「ちょ、かずさ、いきなり、どうしたんだよ……?」

 

 慌てる春希にも構わず、かずさは彼にすがり付いて離れようとしない。

 まるで父親に抱きつく幼い娘のように、頭を擦りつけながら両腕を使って春希の自由を奪っていく。

 

「春希。春希ぃ……」

「本当にどうしたんだよ? 怖い夢でも見たのか? 嫌なことでも思いだしたのか? それともまだ寝ぼけて――ん、んむぅ……!?」

 

 かずさに理由を聞き出そうと、春希がやんわりと彼女の身体を引き離していく。

 それから目線の高さを合わせ、優しい声音で問いかけた。けれどかずさは春希の思惑などまるで意に介さず、顔が近づいたのが幸いと強引に唇を重ねにいった。

 いや、唇だけじゃない。彼の頬や首筋、鎖骨から胸に至るまで、上半身の至るところにキスの雨を降らせていく。

 

「んっ……あむっ、はぁ、んんっ……ちゅ……はぁ、春希…ぃ…あたし……」

「かずさ、泣いてるのか? 俺、お前になんか嫌なことしちゃったか?」

「ううん」 

 

 ぶんぶんと頭を振ってかずさが春希の言葉を否定する。その上で再びキスを交わし、彼の唇を貪るように吸っては弄んでいく。

 

「んっ…ちゅぅ……はむ……ぷはぁ……はるき、春希ぃ…。夢じゃ、ないんだよな? あたしたち、結ばれたんだよな?」

「なに、言ってんだ? 夢なわけないだろ?」

「だって、だってぇ」

 

 今度は幼子のように目尻に涙を湛えたまま、かずさが春希の胸に顔を埋めた。

 昨夜の出来事が夢なのかもしれない。そんな馬鹿げた考えを抱いたのは春希だけじゃなかったのだ。ただ彼よりも彼女のほうが、ほんの少し寂しがりやだっただけで。

 

「馬鹿な奴だな。俺、ちゃんとここにいるから。かずさの隣にいるから。だからもうやめろって」

「キス、嫌なのか……?」

「違うって。どっちかっていうと逆だ。……このままだと俺の方が我慢できなくなる」

「あは、あはは……」

 

 やっと笑ってくれた。

 それは泣き笑いのような表情だったけど、春希はかずさが笑ってくれるだけで、とても幸せな気持ちを抱けることを今更ながら強く感じていた。

 

「だからもう離してくれ。服着てないんだから風邪引くぞ」

「う、うん」

 

 かずさの肩に毛布をかけてあげながら、春希がかずさの頭をぽんっと軽く叩いた。 

 

「目、覚めたんならシャワー浴びてから朝食にしよう。腹減ってるだろ? まあ、おせちなんて気の効いたものはないけどさ」

「そっか。もうお正月なんだな。でもあたしおせちって苦手なんだ。味、薄いから」

「どうせ栗きんとんとか、甘いものだったら食べられるってオチなんだろ?」

「うん。シロップかければね」

「……それ冗談で言ってんだよな?」

 

 確認しながらも、かずさだったらあり得るかもしれない。

 そう思う春希を他所に、かずさは幸せそうな笑顔を浮かべていた。

 

 

「なあ、今日これからどうするんだ? なにか予定あるのか?」

 

 スクランブルエッグとトーストという正月らしくない朝食を腹に収めてから、二人はコーヒーを用意して談笑タイムに突入していた。

 食べる前にいただきますをする、しないで問答があったりもしたが(結局、春希の勝利に終わった)二人とも起き抜けの時のような不安定な状態は無事脱したようだ。

 今もかなりくつろいだ様子でコーヒーとお茶受けを楽しんでいる。

 

「それなんだけど、実は俺バイトがあるんだ」

「え? バイトって今日元旦だぞ?」

「……元旦だけじゃなく、三が日全部入ってる。去年の間に約束しててさ。さすがに断れない」

 

 かずさと再会する前の、もっと言えばコンサートのチケットを手に入れる前からの約束なので春希に非はないのだが、彼は申し訳なさそうに彼女に窺いを立てる。

 けどかずさは怒った様子もなく、単なる事実として受け入れてくれた。

 

「そっか。ちょっと寂しいけど仕方ないよな。まさか春希に休んでくれなんて言えないし」

「……悪い、な」

「いいよ。あたしも母さんに報告したいことがあったし、一度ホテルに戻って会ってくるよ」

 

 一度という単語が春希の心に強く響いてくる。

 それはまたこの部屋にかずさが帰ってくることを意味していると思ったから。

 

「それにピアノの練習も再開したいし。実は最近ちょっとサボり気味だったんだ」

「日本に来てから弾いてなかったのか?」

「うん。どうしてもそんな気分になれなくてね。けど勘違いするなよ。これでも三年間ピアノの練習だけはほとんど欠かさなかったんだ。こんな事は始めてなんだぞ?」

 

 言葉通り一日十時間の練習を、かずさはほぼ毎日欠かさずに行っていた。春希と離れて、もう自分にはピアノしか残っていないと思っていたから。

 

「ふぅん。サボリ魔のお前が毎日ねぇ」

「言ってろ。今のあたしの演奏を聞いたら春希感動して泣くかもしれないぞ」

「なんてたってトラスティで準優勝だもんな。凄いよな。けど俺さ、お前のピアノのファン第一号だから。やっぱ評価されるってのは嬉しいよ」

「本当か?」

「まあ、俺だけが知ってるかずさをみんなに知られたってのは、少しだけ面白くない……かもな」

「……春希」 

 

 二人は同時にあの頃を――かずさがピアノを手に、春希がギターを手にしてセッションしていた日々を思いだしていた。

 誰にも邪魔されない二人だけの空間。

 そういう意味で春希は、本当の意味でのピアニスト冬馬かずさのファン一号ということになる。

 

「今度、お前の為だけに弾いてやるよ」 

「いいのか?」

「悪い理由なんてあるかよ。春希はあたしのファン一号なんだろ? やっぱアーティストとしてファンは大事にしないとな」 

 

 からかうような仕草を添えて、かずさが微笑む。

 あたしがピアノを弾くのもサボるのも、全部お前が関係してるんだぞ。少しは責任感じてくれ。そう伝えたら彼は一体どんな顔を見せてくれるのか。

 それを想像するだけで、かずさは心が躍ってくるのを感じていた。

 こんな軽口を言いあえる環境に身を置けるなんて、全く思っていなかったから。

 

「それで、そのさ、春希。あたしまたここに来てもいいんだよな? 母さんと話して、ピアノの練習して夜になったら、またこの部屋に来てもいいんだよな?」

「それこそ当たり前だろ。俺にはもうお前に向かって閉ざす扉なんかないよ」

「あは。嬉しい、な」

「……っ。たださ俺今日最後まで残ることになると思うから、戻ってくるの結構遅くなると思う。かずさ――終わったら連絡するよ」

「ううん。待ってる」

「けど……」

「お前が絶対帰ってくるってわかってるなら、待つのは辛くないよ」

「……かずさ」

 

 自然と二人の手が重なり、身体を寄せ合い、キスを交わす。

 こうして当たり前のように唇を重ねられることに、二人は幸せを感じていた。

 

 

 年中無休と表記されている店が昨今増えている。二十四時間営業のコンビニは元より、飲食関係など祝祭日こそ稼ぎ時なサービス業は元旦だからと休んではいられない。

 それは春希が働くファミリーレストラン、グッディーズ南末次店も同じだ。

 ただ店が開いているからといって、働く店員まで年中無休という訳にはいかない。とりわけ元旦やお盆など特別な日にはスタッフが揃わないことなど珍しくなく、店長や有能なスタッフが少ない人数で回すことを余技なくされることも普通な光景だ。

 だから春希は、利便性の高い有能なスタッフとしてキッチリ戦力に数えられた上で、朝から馬車馬のように働かされていた。

 

「おかえりなさい、先輩。外、出てたんですか?」

「ああ。ちょっと用事があってな。杉浦も休憩か? 店大丈夫そうか?」

「大丈夫だから、こうしてわたしも休憩できてるんですよ」

「あはは。違いない」

 

 昼を過ぎると、さすがに客足も遠のいてくる。これから夕方を迎えるとまた忙しくなってくるので、その前に春希は今日唯一の休憩時間を貰っておくことにした。

 そして所用を終わらせる為に少し外出していて、店に戻ってきたら小春が休憩室にいたという按配である。

 

「抜けちゃって悪かったな」

「仕方ないですよ。だって先輩ラストまでいるんでしょ? わたしも残れたら残るんですけど……」

「こうして元旦に来てくれただけでみんな助かってる。気にするな」

「そう言ってもらえると気が楽になります。途中で帰りますけど、それまでは頑張りますから存分に頼っちゃってください」 

 

 ぐっと拳を握って強い意思を見せているのは、春希の後輩に当たる杉浦小春だ。

 けどそれは職場での後輩というより、学校での先輩、後輩という意味合いが強い。春希やかずさも通っていた峰城大付属の三年生。それが杉浦小春の肩書きになる。

 ただ彼女の友人が春希に告白してフラれてしまったという経緯があり、小春はその理由を問い質そうと単身大学まで乗り込んできたという気心の持ち主で、その件で知り合った二人は当初犬猿の仲のようにいがみ合っていた。

 けれど持ち前の几帳面さからか次第に棘が取れていき、今ではそれなりに仲の良い先輩後輩という間柄に落ち着いている。

 その小春はテーブルに広げて摘んでいたチョコの小袋を丁寧に仕舞うと、改めて春希に向き直った。

 

「で、何処に行っていたんです? コンビニで買い物ですか?」

「いや、ちょっと近くのホームセンターまで。あっちも元旦でも営業してるんだな」

「ホームセンターって、先輩、日曜大工とか家庭菜園でも始めるんですか?」

「違うって。ちょっと合鍵を作りに行ってただけ」

 

 そう言って春希が真新しい鍵を取り出した。

 それはマンションのキー。彼の部屋の合鍵である。

 

「それって……もしかして小木曽先輩に渡すんですか?」

「え?」

「そうだったんだ。朝からやけに機嫌が良いなって思ってたんですけど、やっと謎が解けました。先輩、小木曽先輩とうまくいったんですねっ!」

「っ……」

 

 小春と春希は以前二人で雪菜の為に色々と駆けずり回ったことがある。その関係である程度二人の経緯は知られてしまっていて、小春はそんな二人の為に影ながら尽力していたのだ。

 イブの夜の春希と雪菜との邂逅は、武也と小春が裏で各策したシナリオでもある。

 だから小春は、春希の機嫌が良いのを雪菜とうまくいったからだと勘違いした。なのに雪菜の名前を出した途端、春希の表情が歪んだことに疑問を覚える。

 

「違う……んですか? 先輩。クリスマスに小木曽先輩と会ったんですよね?」

「ああ。会った、よ」

「どうしてそこで歯切れが悪くなるんです? もしかして何かあったんじゃ……?」

「何も無かったって。杉浦が心配するようなことなんて、なにも」

「じゃあどうしてそんなに辛そうな顔をするんですか? その鍵、小木曽先輩に渡すんですよね? そういうこと、なんですよね?」

 

 小春の質問に春希は沈黙で答える。

 だって言えるわけがない。確かにこれは春希の部屋の合鍵だが、小木曽雪菜にじゃなく、冬馬かずさに渡すだなんて。

 

「先輩っ!」

「ごめん。俺もう行くよ。あんまり長いこと店も空けてられないし」

「逃げるなんて先輩らしくないですっ! そんな素振りを見せられたら気になるじゃないですかっ!」

「……予備の鍵、無くしちゃったから作っただけ。それだけだから」

「北原先輩っっ!」

 

 小春の追求から逃れる為に、春希は急いで休憩室から出て行くことを選択する。

 今はまだ小木曽雪菜という名前と、正面から向きあえるとは思えなかったから。

 

 

  

 

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