WHITE ALBUM2 Concert route   作:powder snow

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第十一話

「聞いてくれ、母さん! あいつ酷いんだっ。春希の奴、コンサートに来なかったんだっ!」

「はいはい。聞いてあげるから落ち着いて。――おかえりなさい、かずさ。良かったわね、彼と再会できて」

「あ、うん。……ただいま。って、なんでそんなにニヤニヤしながら娘の顔を凝視するんだよ? 気持ち悪いぞ」

 

 ホテルへ戻って来たかずさを曜子が迎える。

 時刻は昼を過ぎたあたり。

 メールでこれから帰る旨を伝えてはいたが、正直かずさはコンサートを終えた直後の曜子が部屋にいない可能性も考えていた。けれどさすがに元旦の昼くらいは大人しくしているようだと安堵する。

 母親がわざわざ娘の帰りを待っていてくれたという考えに至らないあたり、本人も気づかないレベルで浮かれているのだろう。

 

「だってぇ、あなた凄く良い表情してるんだもの。ツヤツヤしちゃって。彼に優しくしてもらった?」

「な、なんのことだよ?」

「こっちこそなんのこと、よ。私は久しぶりに会った彼に優しく接してもらったのかどうかを聞いただけなんだけど?」

「あ、う……」

 

 一体何を想像したのか。

 口篭って顔を赤らめるかずさを見て、曜子はそれだけで二人がどうなったのか大体の見当が付いてしまった。

 かずさに素直になれとアドバイスした彼女だが、我が娘が簡単にそれが実行できないことくらいわかってしまう。だからこそ幸せそうな娘の顔を見るだけで、自然と表情が綻んでしまうのだ。

 

「けれど。そっかぁ。彼コンサートに来なかったんだ。てっきり開演前に再開して二人で飛び出しちゃったのかと思ってたのに」

「……それがさ、会場の外で偶然、こうバッタリと……」

「あら、あなたも逃げちゃったの? でも会場までは来てくれたんだ。――きっとあなたに会いに来たのよ、かずさ。外をうろうろしてたのなら、なにか足止め受けちゃうような事態があったのかもね」

 

 曜子にそう言われ、かずさは春希を発見した時、彼が電話していたことを思いだす。

 武也からの電話だと春希は言っていたが、彼からかけたのか、それとも相手からかかってきたのか。はたまた本当は武也からではない人物が相手だったのか。

 殊更詮索するつもりはないが、どうしても気にはなってしまう。

 

「ま、今となっては些細なことよね。あなたを見てるとそう思うわ」

「……あたし、そんなに幸せそうな顔してるか?」

「ええ。生まれて初めて見たと言っても過言じゃないくらいにね。だからちょっとだけ悔しいかな。母親としては複雑な心境よ」

「……」 

 

 曜子の言う“幸せそうな顔”が自分でわからないかずさは、頬に両手を添えて軽くぷにぷにと押してみた。

 自分ではいつもと変わらない表情(外から見ると仏頂面)をしているつもりなのに、相当頬でも緩んでいるのかと。

 

「目尻が下がってる。雰囲気が柔らかい。刺々しい感じが鳴りを潜めてる。そんな感じかしらね。普段のあなたを知る人が見たら相当驚くんじゃないかしら」

「そこまで言うなよ……酷いじゃないか。それともやっぱりコンサート聴けなかったこと根に持ってるのか?」

「当然でしょ。最高の演奏だったんだから。目に付くところで空席だったの、あなたとギター君の席だけだったわ」

「……ごめん。一応さ、ニュースで見たよ。すごい絶賛されてた」

 

 かずさの言う通り、ニューイヤーコンサートは大成功を収めていた。

 海外で活躍する日本人の評価が甘いマスコミの報道を差し引いても、最高の演奏だったと言う曜子の言葉に偽りはない。それだけに聴いておきたかったというのが本音だが、当日のかずさの頭の中は春希のことでいっぱいで、コンサートどころではなかったのだ。

 そのことで申し訳ないという気持ちもあり、母からのからかい攻撃を甘んじて受けている。

 

「おかげで急遽追加公演が決まっちゃったわ。ビジネス的にも美味しい話だったし、これでもうしばらく日本暮らしが続くわね」

「……っ」

 

 日本での生活が続く。その言葉が曜子の追加公演決定よりかずさの胸に響いた。

 今日の飛行機で帰ると明言していたかずさだが、その言葉を放った時とは事情が変わりすぎている。

 

「なあ母さん。あたしも……もう少しだけ日本にいたら、駄目かな?」

「かずさ?」

 

 無事に春希と再会できたこと。

 それがどんなに嬉しかったか母に話したかった。どんな会話をして、どんなことを思ったか。その時の彼の様子など、一番身近な存在である曜子に聞いてもらいたかった。

 けれど今日ホテルを訪れた最大の理由は、このまま日本に残りたいという思いを母に告げること。

 

「練習もちゃんとするっ。滞在費用とかも自分で出すから……」

「ふぅん――“母さんのピアノを聴いたら帰る。彼に未練はない。日本になんて来るんじゃなかった”――これ全部あなたの台詞だったのだけど? 一夜で変われば変わるものねぇ」

「苛めないでくれよぅ。あたしどうしても日本に残りたいんだっ!」

「別に構わないわよ。練習なら私が使ってるスタジオを使えばいいし。費用も心配いらない。どっちみち私もギター君に会いたかったわけだしね。ほら、食事に行く約束もまだ果たせてないじゃない?」

「じゃあ残ってもいいんだな!?」

「好きなだけいたらいいわ――と、言いたいところだけど、今のあなたの活動拠点はウィーンなの。それだけは忘れないで」

「……っ」

 

 ピアニスト冬馬かずさとしての全てはウィーンを発信拠点として紡がれている。

 住んでいる家も、音楽関係者も、ピアノの師匠であるフリューゲルとの接点もウィーンでなければ得られない。 

 そんなことは母に言われるまでもなく理解している。

 

「ピアニストとして一流になりたいのなら、いずれ日本を発ち、ウィーンへ帰らなければいけない。今日明日というわけじゃないけれど――そのことの意味、よく覚えておいてね」 

「……わかってる、よ」

 

 そっと視線を床に落としながら、唇を噛み締めるかずさ。

 三年前に一度日本を捨てたという事実が、彼女に重く圧し掛かる。

 

「……春希」 

 

 今かずさの心の中は、一刻も早く春希に会いたいという思いで満たされていた。

  

 

 

 閉店作業を完全に終えてから帰宅する。その為、春希が店を出た時には既に深夜の零時を過ぎていた。

 バイト先であるグッディーズ南末次店から自身のマンションまでは、徒歩で二十分ほどの道のりになる。その間にかずさに連絡を取ろうと、春希はポケットから携帯を取り出した。

 まず入手したばかりの彼女の連絡先を呼び出す為にアドレス帳を開いて――

 

「……あ」

 

 不在着信一件、小木曽雪菜の文字が目に入ってしまった。

 

「……雪、菜……」 

 

 クリスマスイブの夜に刻まれた傷は完全に癒えたわけではない。その証拠に彼女の名前を見るだけで様々な光景が脳裏を過ぎり、動悸が早くなってしまう。

 大晦日の夜、かずさに再会する直前にかかってきた雪菜からの着信。結局その電話に出る事はできなかったが、彼女がどういった理由でかけてきたのか、気にならないといえば嘘になる。 

 それでも折り返しかける勇気が春希には沸いてこなかった。

 今はまだ雪菜と会話して冷静でいられる自信が無かったし、彼女から再度の着信があったわけでもない。“重要な用件”ならまたかけてくるだろうという建前を用意して、接触を先延ばしにしている状態だった。

 

「……ごめん」

 

 だから春希は、心の中で雪菜に詫びながら、せめてメールだけでも返信しようとアドレスから雪菜の連絡先を呼び出した。

 この冬の間に幾度もメールで会話し、少しづつ距離を近づけていった。だからメールならば、挨拶程度の内容ならば、今すぐにでも送る事ができるはずだ。

 幸い今は正月で挨拶のネタに困ることはない。

 そう思って指で文字を打ち進めていき――結局、作業途中でそれも放棄せざるを得なくなる。

 

「なん、で……」

「お待ちしてました、先輩。今度は逃がしませんから」

 

 何故なら、とっくに帰宅したはずの杉浦小春が、春希を待ち伏せするかのように往来の途中で仁王立ちしていたからだ。

 

 

「お前、家に帰ったんじゃなかったのかよ?」

「ええ、ちゃんと帰りましたよ。帰った後でまた出てきたんです」

 

 なに当たり前のことを言ってるんです、と小春があきれたような仕草で両腕を広げる。けれど春希としては、幾ら彼女の行動が予想できたとしても確認せずにはいられない事項だった。

 それほど驚いた。 

 

「また出てきたって、家族でパーティーするとか言ってなかったか?」

「そうですよ。毎年恒例の行事ですから。けど先輩に会う為に“わざわざ”途中で抜けてきたんですから」

「なんでそこまで……って、まあ、言わなくても大体想像できるか。けどずっとあそこで俺を待ってたのか?」

「店が終わって、先輩が外に出て、この道を通ってくる。ある程度予想できましたから。実際にはそんなに待ってないです。精々十分かそこらあたりですね」

「……正直、お前の行動力にはあきれるしかないよ」

「それ、先輩だけには言われたくないです。小木曽先輩を助けに行った時、わたし傍にいたの忘れてません?」

「……そう、だったな」

 

 現在二人は、並んで歩きながら南末次の駅を目指している。時刻は深夜の零時を回っているが、急げばまだギリギリ終電に間に合う時間帯だ。

 春希は徒歩で家まで帰れるけれど、小春は電車を利用しなければ帰れない。だから駅に到着するまでの時間が、自然と二人で会話できる限られた時間となった。

 だから小春は世間話など交えず、直球で問い掛けることにした。

 時間的にも会話の寄り道などしている暇はない。

 

「話、したんですよね? 仲直りしたんですよね? 昼間は何も無かったって言ってましたけど、会ったんですよね、小木曽先輩と」

 

 小春は別に終電を逃しても構わないくらいの気概で春希を待ち伏せていたのだが、当の春希が帰らないのなら話さないと断固拒否したのだ。 

 そこで押し問答をしても無駄だと悟った小春は、とりあえず春希に従って歩いている。最終的に帰る、帰らないの選択件は小春にあるのだからと。

 

「会ったって言ったろ? ちゃんと会ったよ。待ち合わせして、買い物に出かけて、食事して。――すれ違ってた時間を埋めるように、色んなこと、話した」 

「ならどうしてあんな……辛そうな顔したんですか? もしかしてわたしが余計なことしちゃったから――」

「杉浦は悪くない。いずれ雪菜とはちゃんと話をしなくちゃならなかったんだ。向き会わなくっちゃならなかったんだ。その機会をくれたこと、感謝してる」

「でも先輩、やっぱり辛そうな表情してるじゃないですか!? 何があったんですか? わたしに言えないようなこと、あったんですか?」

「だから何も無かったって」

「嘘っ! 二人が向きあって何も無かったなんて信じられません。北原先輩がわたしの立場だったとして、今の答えで納得してくれますか?」

「……しない、な」

「なら話してください。わたし気になるんですっ。美穂子のことから始まって、最初は先輩のこと凄く嫌な人だなって思ってました。けど、違ってた。会って、会話していく度に先輩のことがわかってくるようになって、本当は凄く良い人なんだなって……」

「それは違う。俺は杉浦の言う良い人なんかじゃない。杉浦とだって何度も口喧嘩したじゃないか」

「ええ、しましたね。ちょうど今みたいに駅に向かって歩いてて……大声で怒鳴り合いました」

 

 小春がバイトを始めた頃、こうして春希が彼女を駅まで送っていったことがある。最初は穏やかに会話していた二人だが、春希の事情に突っ込んでくる小春に彼が拒否反応を示し、最終的に街中での大喧嘩となった。

 喧嘩するほど仲が良い。

 本質的な部分で似ている二人はぶつかりやすかったが、だからこそ壁を越えれば急速に分かり合えていった。

 

「先輩、いい加減に見える時もあるけど、なんにでも一生懸命で、相手の立場になって物を考えられるし、優しいし、何より真っ直ぐです。なのにどうして小木曽先輩のことになると、そんなに駄目なんですか?」 

「……駄目って言うなよ。俺にだって色々あるんだ」 

「色々あるなんて分かってますっ。でも先輩はそういう事情を一つづつ解決していく人じゃないですか? 一人で難しいならわたしが力になります」 

「杉浦……」

 

 小春の熱い思いが伝わってくる。

 彼女は純粋に春希のことを心配して案じてくれている。春希と雪菜のことを考えてくれている。

 だからこそ春希は言葉に詰まった。

 あの夜の経緯を話すことはできるだろう。けれどそれでは十分に説明したことにはならないし、何より小春が理解出来ない。誠意を持って対応するのなら、事の発端から話すしかないのだ。

 三年前の、あの学園祭の頃から。

 

「いつまで過去に囚われているんですか? いつまで昔を引きずってるんですかッ? 先輩は……今を生きるべき人です!」

「別に、引きずってなんか……」

「北原春希という人にとって小木曽先輩がどんなに大切な存在なのか、わたしにはわかるつもりです。だからこそ苦労してあの日をセッティングしたんじゃないですか。飯塚先輩にも協力してもらって、二人にとっての記念日になるようにって……」

 

 小春の声に力が篭る。

 ここが往来で周りに通行人がいるとか、そんなことはお構いなしに春希の為に声を荒げている。そんな小春の姿は、彼に昔の自分の面影を思いださせてくれた。

 誰かの為に頑張って、ひたむきで、困っている人がいたら放っておけなかったあの頃の。

 

「年末に先輩バイトに来なかったし、うまくいったのかなって心配だったけど、それでも今日出勤してきた先輩の顔を見て良いことあったんだなって、そう思ってたのに」

 

 小春の言う良いことは確かにあった。けどそれは雪菜とのことじゃなく、かずさと再会できたこと。

 冬馬かずさが北原春希にとってどれだけ大切な存在か。それは外から見てる人間には決して理解できない事情だ。二人が育んだ時間を知らない人物にとっては、どうして昔の女にそこまで拘るのかと首を傾げる事態にしかならない。

 そのことに思いを馳せ、春希は吐露する決心する。

 ただその前に一つだけ、小春の思い違いを訂正しておこうと思った。

 

「ありがとう杉浦。俺のためにそこまで考えてくれて。けど一つだけ勘違いしてる。――俺、別に過去に囚われてなんかない。俺にとって過去なんかじゃないんだよ」

「先……輩?」

 

 初めて春希がはっきりとした意思を示したため、小春が面食らったかのように立ち止まる。

 けれどそれが功を奏した。

 二人はちょうどこのタイミングで駅へと到着したのだ。

 

「――駅、着いちまったな。時間も無い。終電逃す前に帰れ、杉浦」

「まだ話は終わってません」

「……心配しなくても話すよ」

「え?」

「今度、ちゃんと話す。でも結構長い話になると思うから、きちんと時間作って話したいんだ」

 

 ここまで関わってくれた小春を蚊帳の外には置けない。

 もう以前のように関係ないとバッサリ切り捨てることはできないのだと春希は覚悟を決めた。その結果、小春がどういう反応を示すかまではわからないけれど、きちんと雪菜とかずさのことを伝えたいと思ったのだ。

 

「面白い話じゃないし、楽しく聞けるようなものでもない。でも嘘は言わないって約束する」

「絶対、ですよ? わたし諦め悪いですから。付き纏ってでも話してもらいますから」

「ああ。杉浦の諦めの悪さはよく知ってるよ」

 

 彼女の諦めが良かったら、そもそも知り合ってさえいなかった二人だ。

 喧嘩して、いがみ合って、ぶつかって、それから協力して、少しづつ仲良くなって。三歳という年齢差を感じさせないくらい、バイト先では息が合っている。 

 

「というか、こうなったら杉浦に聞いてもらいたいって思ってる。――今日、家まで遅れなくてごめんな」

「大丈夫ですよ。年末とか結構遅くまで残ってたことありましたから」

「……卒業旅行、行けるくらい貯まったか?」

「まだですよ。だから明日も休まず来てくださいね、北原先輩」

 

 じゃあまた明日。そう言いながら、小春が手を振って改札を超えていく。

 春希は彼女の姿が完全に見えなくなるまで見送ってから、かずさへ連絡を取るために携帯電話を取り出した。

 

 

「あの、馬鹿っ! なんで……!」

 

 春希は駅から自宅までの五分の距離を全力で駆けていた。

 バイトが終わったら連絡するから。そう言い伝えていたので、かずさへ連絡を取った時、彼は彼女がホテルにいるのだろうと思っていた。

 今からでは会えないけれど、電話越しに声が聞けるだけでも今日一日の疲れを癒すことができる。あわよくば気を利かせたかずさが、春希の自宅近くの店で時間を潰してくれているかもしれない。

 会えるかもしれない。

 そんな淡い希望も抱いていた。

 なのに、返ってきた言葉は『……今? 春希の部屋の前にいるよ』という信じられないものだった。

 

「鍵、まだ渡してないのにっ!」

 

 かずさに渡す為に合鍵を作ったけれど、今日作ったばかりのそれはまだ彼女の手に渡っていない。なら当然春希の部屋に入ることのできないかずさは、この寒空の下、吹き晒しの廊下で待っていることになる。

 今日は放射冷却で一段と冷え込むことでしょうとはニュースキャスターの言葉だが、事実雪が降ってもおかしくないくらい気温が下がっている。

 だから彼は、一刻も早く帰ろうと全力疾走していたのだ。

 

「はぁ、はぁ……っ、はぁっ。――いたっ!」

「あぁ、春希。お帰り」

「お帰りじゃないだろっ! かずさっ、お前、どうしてっ……!」

 

 エントランスを走り抜け、エレベーターすら待つ時間が惜しくて階段を駆け上がる。

 そして部屋の前まで辿り着いてみれば、電話で言っていた通りかずさが扉に持たれかかるようにして座りこんでいた。

 

「どうしてって、こうすれば絶対にすれ違うことないだろ?」

「だからってこんなとこで待つなよ。真冬だぞ? 風邪でも引いたらどうするんだよ?」

「そうだなぁ。風邪引いたら、いつかみたいに春希に看病してもらうかな。……うん、それはそれで悪くない」

「馬鹿なこと言うな。そうなったらまたあの不味い雑炊食べることになるんだぞ? いいのかよ」

「まずかったなぁアレ。でも、また食べたいな」

 

 体温が下がっているのか、少し眠そうな声を出すかずさ。 

 

「本当はさ、駅で待とうと思ってたんだ。けど春希の勤め先知らないから、電車を利用するのか分かんなかったし」

「それにしたってコンビニとか、店で待つとか方法があったろ?」

「……うん。でもさ、少しでも早く春希に会いたかったんだ」

「ッ!」

 

 会いたかった。そんなことを言われて嬉しくないわけがない。

 こんな寒空の下で彼女を待たせておいて、それなのに、気遣うよりも先に彼女が愛おしくて堪らなくなる。

 今すぐにでも抱きしめたい。そんな衝動と戦いながら、春希はかずさの前に手を差し出して彼女を立ち上がらせた。そうしないと部屋に入れない。

 かずさを暖かい部屋に連れていってあげれないから。

 

「どれくらい待ってた? もしかして一時間くらい……か?」

「練習が終わってすぐ来たから……ちょうど二時間くらいかな?」

「はぁ!? 二時間って、お前な……。そういう時はメール入れるなり電話するなりしろよ」

「どうせ待つって決めてたからね。それにこんなの待ったうちに入らない。いつかの時なんて五時間はお前を待ってたんだぞ?」

「ご、五時間!? それっていつのことだよ?」

 

 かずさの言う五時間が何の事を指しているのか、春希にはわからない。

 自分が関係している口振りから必死に記憶を探るが、かずさを五時間も待たせて怒鳴られた思い出など何処にも見当たらない。

 それも当然である。

 あの時は五時間待っても、結局春希はかずさの前に現れなかったのだ。

 

「覚えてるか、春希? ほら学園祭間近だった頃にさ、お前あたしにこう言ったろ? ――“冬馬、ちょっと帰らないで残っててくれないか? 皆がいなくなった後で話したいことがあるんだ”――って」

「あ、ああ。覚えてる、けど……」

 

 かずさに関しての記憶や情報は三年経っても色褪せるどころか、春希の中で掛け替えの無いものとしてより強い輝きを放つようになっていた。

 だから当然覚えている。だけどそのことを彼女も覚えていることに春希は驚いた。

 かずさも、自分と同じように大切な思い出だと記憶してくれていたのかと。

 

「なのにお前、実行委員に呼ばれちゃってさ、あたしを置いてけぼりにしやがったんだ。十分で戻ってくるからとか言って」

「……想定より時間がかかっちゃって、十分じゃ戻れなかった」

「うん、知ってる」

「知ってるって、なん、で……」

「だから五時間待ったんだ。お前が待ってって言ったから」

「っ!」

 

 ずっとかずさと二人きりになりたいと当時の春希は思っていた。

 だから彼は授業が終わってから彼女に教室に残ってて欲しいと伝えたのだ。でも多くの人に頼りにされていた春希は、文化祭の実行委員である友人に連れ出されてしまって……。

 あの日、春希は午後三時半に教室を出て、戻って来た時には既に夜の九時を迎えようとしていた頃合だった。

 かずさが待っているをこと期待して、けれど待っているわけないって頭で分かってて、実際に彼女のいない教室を見た時、酷く落胆したのを覚えている。

 その後、何故か盛大にぶっ倒れている机と椅子をきちんと整理し直してから家路に着いた。

 

「あたしが帰ったの、たぶん八時五十分くらいだった。次の日に春希から九時前には戻ってきたって聞いて、あと十分待てば良かったって盛大にイラついたよ」

「けどお前、そんなこと一言も言わなかったじゃないか!? すぐ帰ったって俺に言ったじゃないか!?」

「言えるわけないだろ。あの時のあたしがお前にそんなこと……言えるはずないだろ?」

「かずさ」

 

 夏休みにギターを教えてくれて、そのお礼がしたかった。

 だから春希はかずさに二人きりで話しがあるって伝えたのだ。

 

「もっと早く戻ってきて欲しかった。雰囲気で察して欲しかった。机とか倒れてたら、誰かが教室にいたって思わないか?」

「……っ」

「本当、鈍感だよな。春希は。あたしアピール下手だったけど、合図は送ってたつもりだったんだけどなぁ」

「だって五時間だぞ? 普通待ってるわけないって……」

「待てって言ったお前が言うなよ。でもあと十分だったんだ」

 

 もしかずさがあと十分待っていたら。

 もし春希があと十分早く戻っていたら。 

 あんなことにはならなかったのかもしれない。

 

「ごめん、な。ごめんかずさ。俺……酷いことしたよな」

「もういいよ。今、こうして抱きしめてくれてるだけであたしは満足してる。だから泣くな」

 

 気づいたら春希はかずさを抱きしめていた。

 二時間寒空の下で待っててくれて、三年前に五時間待ちぼうけさせてしまって。

 そしてきっと三年間、彼女に寂しい思いをさせていて。

 

「春希。嬉しいけど、ここでこうしていたら部屋に入れないぞ? だから少しだけ、離してくれ」 

「あ、ああ……」

 

 名残惜しさを感じつつも、かずさに促され春希が拘束を解く。

 ポケットから鍵を取り出し、扉を開けて、先にかずさを部屋の中へ入れて――彼女が靴を脱いで玄関を越えたあたりで、春希は再びかずさに抱きついた。

 

「かずさっ」

「は、春希……!?」

「俺、もう我慢できないよ。今日働きながらでもずっとお前のこと考えてた。なのに今更あんな話聞かされたら、止まれない……」

 

 文字通り理性が吹っ飛んでしまった。

 かずさが愛おしくて、可愛くて、今すぐにでも自分のものにしてしまいたかった。

 寒かったろうとか、お腹空いてないかとか、他に言わなきゃならない言葉はあったが、気遣うよりも先に求めてしまう。

 

「春希。離して、くれ。少し痛いよ……」

「ごめん。けど俺とするの嫌か?」

「そんなわけないだろ。ただあたし練習してからすぐこっちに来たから……せめて、シャワー浴びてから……」

「俺、気にしないよ。かずさの匂い、大好きだ」

「馬鹿。あたしが気にするんだよ……」

 

 強引に抱きついてしまったために、はだけてしまった彼女の首元に顔を埋める春希。白い柔肌に鼻先を擦りつけながらかずさの匂いを胸いっぱいに吸い込む。

 そんな彼の仕草がかずさの羞恥心を煽り、肌を赤色に染めていく。

 

「かずさ。かずさっ!」

「そんな我がまま言うなよ。今の春希まるで子供みたいだぞ?」

「なら一緒に入ろ。少しでも離れてたくないんだ」

「……うん」

 

 服を脱ぐ間も煩わしいと、春希はかずさを抱きしめたまま脱衣所へと誘っていく。

 そこでキスを交わしながら、そのままの姿勢で互いの衣服を脱がしあって。かずさの指が春希のシャツのボタンを外し、春希の手が彼女の上着を肩から強引に剥ぎ取っていく。

 

「はぁぁ……ん、あむ、んぅ……ちゅ、んん、はる、きぃ……」

「好きだ。かずさ……俺、愛してる」

「あたしも、大好き……好き、春希ぃ」 

  

 拙いキスで必死に愛情を表現するかずさと、奪うという言葉が適切なくらいかずさを貪る春希。

 やがて二人はバスルームへと赴いて、本格的に愛を確かめ合っていった。

 

 

  

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