WHITE ALBUM2 Concert route   作:powder snow

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第十六話

「ほらよ。春希。差し入れだ」

「おわっとっ」

 

 電話で言っていた通りアルコール持参で現れた武也が、6缶入りのビールケースを春希に手渡した。そして春希がそれに目をやっている間に靴を脱ぎ、部屋の中へと入ってくる。

 

「邪魔するぞ」

「武也っ。待ってくれ武也っ!」

「悪いが待てない。今日を逃したら今度いつ機会が巡ってくるかわからないからな。なぁに、ちょっとばかり話をしようってだけだ」

 

 勝手知ったる他人の我が家、もとい春希の部屋。

 武也は春希の制止を振りきりつつ、揚々とした態度で室内への進入を果たす。こうなってしまっては春希としても追い返すことは出来ない。

 ある意味で武也の作戦勝ちである。

 

「まずはそいつを飲んで一息つこうぜ。春希、確か今メシ作ってんだよな?」

 

 春希に渡したビールを指差しながら、武也が朗らかな笑顔を浮かべている。

 ここまで来たら慌てる必要もない。後はじっくりと腰を据えて春希と話をするだけだ。そう思った武也は、春希が作ってる料理が酒のツマミに合うものなのかどうか確認するべく、さらっと室内へと視線を走らせた。

 だが想像していた光景とちょっと違うものを発見してしまい、すっと目を細める。

 

「……なあ春希。これってどういうことだよ?」

 

 まず武也の目に飛び込んできたのは、テーブル上に並べられた鍋と食器類だった。

 中央にコンロを据え、周りには取り皿などの食器が重ねられた状態で置かれている。テーブルの角を挟んで隣り合う位置にはコップと箸が並べられていて、鍋を火にかければ今すぐにでも食事を開始できそうな準備が整っていた。

 視線をキッチンに移せば、明らかに一人分を超過した量の野菜が用意されていて、深く考えるまでもなく春希が誰かと食事をしようと待ち構えていたことが推察できてしまう。

 

「箸もコップも食器も全部二組ずつ。別に俺の為に用意してくれてたってわけじゃないよな? 春希、今から誰か来る予定になってるのか?」

「それは……っ」

「しかも食器の位置的に対面じゃなくて隣同士で座る仲。……もしかして、これから来る相手って女、か?」

「ッ!?」

 

 武也の問いに対して否定も肯定も出来ず、黙り込むしことしか出来ない春希。けれどその表情を見ただけで武也にとっては同意を得られたも同然だった。

 

「はぁ。なにやってんだお前? なにやってんだよ、春希っ」

「……武也」

「恐らく察しがついてるだろうけどよ、今夜はお前に雪菜ちゃんとのこと聞こうと思って来たんだよ。話をしようと思って来たんだよ。それが何で……こんなことになってんだ?」

 

 用意されている鍋道具一式を振り仰ぎつつ、武也が悲しそうな表情を浮かべる。

 

「……っ」

「なんとか言えよ。ゼミの娘が偶々遊びに来るだけだとか、俺にそんなこと言う資格ないだろとか、反論、してみせてくれよ……」

「俺に言えるわけないだろ、そんなこと。言えるわけ……」

「どうしてそう律儀なくせにお前は……。なあ春希、クリスマス以降に雪菜ちゃんと会ったか? 連絡、取ってるのか?」

「……雪菜とは会ってない。連絡も取ってない、よ……」

「なんでだ? お前達の間になにがあったってんだ? あの日になにがあったってんだよ? 春希、教えてくれ。俺に力になれることならなんだって――――っ!?」 

 

 春希に詰め寄りながらも、武也はある事実に気づいてしまった。

 この部屋に入った当初から微かな違和感はあった。けれどじっくり観察する間もなくテーブルやキッチンの情景に目を奪われ、そこまで気が回らなかったのだ。

 けれどここに至ってその違和感の正体に気づく。

 明らかに部屋の中に荷物が増えている。

 見慣れない大きな鞄や雑多な小物類。新しく購入したのか、部屋の隅には簡易クローゼットが設置されている。そして極めつけは春希が決して手にしないだろうメイクボックスの存在。

 久しぶりにこの部屋を訪れたから模様替えに気づかなかった、なんてオチは決してつかない。

 ありていに言って、人間一人分の荷物がこの室内に加算されているのだ。

 

「もしかして一緒に住んでるのか? もう……同棲、してるのか?」

「……っ」

「雪菜ちゃんと連絡も取らず、お前は新しい女連れ込んで……いったいなにがしたいんだよ……?」

「俺……は……」

「春希ッ――」

 

 煮え切らない春希の態度に武也が苛立ちを覚える。そして質問が詰問に変化しようとした頃合で、室内に軽快な音が鳴り響き出した。

 春希には耳慣れた、武也には珍しいその音色は、ベッドの上から奏でられている。

 その発信源――春希の携帯電話を二人の視線が同時に捉えた。

 

「…………取らないのか? 電話、鳴ってるぞ」

「あ、ああ……」

 

 ベッドに近づき春希が片手で携帯を拾いあげる。そして真っ先にディスプレイに表示された発信者名を確認した。

 彼が目にした名前は――冬馬かずさ。

 

「……あっ」

「今話してた件の女か? いいよ。出てやれよ」

「すまん、武也……」

 

 話の腰を折る形になったのを詫びてから春希が携帯を耳元に当てる。

 身体の軸を動かし、武也に背中を向ける格好になったのは、少しだけ罪悪感があったから。

 それでもあと少しで戻ってくるはずのかずさが、一体どんな用件でかけてきたのかが気になった。だから春希はここに武也がいるにも関わらず電話に出ようと思ったのだ。

 かずさの名前さえ出さなければ大丈夫に違いない。

 そんな安直な思考を携えて。

 

『…………春希』

『ど、どうしたんだよ? なにかあったのか?』

 

 けれどそんな安直な思考はかずさの声を聞いた途端、空の彼方まで吹っ飛んでしまう。何故なら、携帯から零れ聞こえてくるかずさの声音が、とても弱々しいものに変化していたからだ。

 先程まで確かに元気に会話していたというのに。

 

『ううん。なんにもないよ』

『でも声が震えてるじゃないか。こうして電話かけてきたじゃないか』 

『本当に大丈夫だから。たださ、見たんだ。さっき部屋に戻ろうとしたら部長が春希のマンションに入って行くの、見えたんだよ』

『……え?』

『最初は誰かわからなかったけど、立ち話? 誰かと電話してたみたいで声が聞こえて。――春希、あたし何処かで時間潰してこようか?』

『……なに、言ってんだ?』

『だって、わかるだろ? なんなら今日はホテルに戻ってもいいしさ。一晩くらい、また母さんのところで厄介になってくるよ』

『っ!』 

 

 今のかずさの一言を受けて、武也の急な訪問で茹だっていた思考がクリアになってくる。頭から冷水を浴びせかけられたかのように、強制的に心を落ち着かされたのだ。

 春希は携帯を握り締めたまま歯噛みする。かずさに“あんなこと”を言わせてしまった自分の不甲斐なさに、苛立ちさえ覚えてしまうのだ。

 

『馬鹿なこと、言うなっ。前にも言っただろ? お前に向かって閉ざす扉なんかないんだって』

『でも……』

『お前が戻ってくるのはこの部屋だ。お前の帰る場所は、お前の居場所はここなんだよ。なんで気兼ねする必要があるんだ?』

『だってぇ……』

『“だって”も“でも”ももういらない。ずっと俺の傍にいてくれるんじゃなかったのかよ。胸を張って帰ってくればいいんだ』

『いいのか? そこに部長がいるんだろ?』

『だから? ちょうど良い機会だ。あいつに俺の世界一可愛い彼女を紹介してやるよ』 

『は、春希ぃ……』

 

 感極まったかのように声を詰まらせ、かずさが嗚咽する。

  

『泣くな、馬鹿。それより早く帰って来い。メシの用意できてるぞ』

『……うん。今下にいるから、すぐに戻るよ』

『ああ、待ってる』

『……じゃあ、な』

 

 短い別れの挨拶を交わしてから春希が通話を切った。それから改めて武也に向き直るときっぱりとこう言い切る。

 

「マンションの下にいるからすぐ戻ってくるって」

「下ってここのか? お前、どういうつもりで……」

「会えばわかるよ、全部。だから詳細な説明は少しだけ待ってくれ、武也」

「……」

 

 追求したいことや聞きたいことは沢山あったが、春希にこう言われては武也としても黙り込むしかない。

 すぐ戻ってくる――その春希の言葉通り、彼女は数分もせずに春希の部屋に戻ってきた。けれど、室内にいる二人にとっては思いのほか長い時間に感じられて。

 まずヒールが廊下を叩く音が聞こえてきた。次にドアノブに手を掛ける様子が室内からも分かり、そして開かれた扉から現れる人物を見て、武也は大きく目を見開く。

 

「なっ!? と、冬馬――!?」

 

 純粋な驚きが声となって武也の口から零れ出た。

 

 

 

「……ただいま、春希」

「お帰り、かずさ」

 

 部屋へ帰り着いたかずさはまず春希に視線を止め、それから武也に目線を投げかけるも、結局そのまま何も言わずそっと春希の隣に寄り添った。

 別に彼を無視したわけじゃない。室内の雰囲気からも春希と武也が何か話し合っていたのは確実で、そこに事情を知らない自分がいきなり割り込むのを嫌がったのだ。

 兎にも角にも、まずは春希に話を聞いてから。彼を通してからでないと武也に向かい合うことも出来はしない。

 けれど武也の側からすれば、冒頭の会話と寄り添う二人の姿を見ただけで、ほとんど答えを得たも同然だった。

 

「……そういうこと、か。……あ、はは。なんてこった。こりゃ想定していた内でも最悪の展開だ」

 

 誰にとって最悪なのか、そこまでは言葉にせず、武也は頭を抱えながら深い溜息を吐く。

 春希の隣で不安そうに瞳を揺らしながら、彼の腕に縋るかずさの姿は、武也の知る彼女の姿ではない。雑誌で、テレビで流れるピアニスト冬馬かずさの姿とも違って見えた。

 春希と同じく彼女とは三年ぶりの再会になるのだが、時間経過の力はそこまで彼女を変貌させてしまったのか。それとも武也の知る冬馬かずさの姿など、ほんの一端に過ぎなかったのか。

 今の彼女は、何処から見ても普通の女の子と変わらない。好きな男性の傍にいて少しで不安を和らげようとする、年齢相応の女の子と変わらなく見えるのだ。

 

「…………」 

 

 誰もが無言で立ち尽くす中、武也は一度二人から視線を外すと、その場で軽く瞑目した。

 今、何を言うべきか。口端に乗せるべき言葉はなんなのか。この部屋を訪れた当初の目的はかずさの登場によって大きく変更せざるを得なくなっている。

 武也は心の中で自問し、その答えを得てからゆっくりと瞳を押し開いた。

 彼にとって優先すべき事柄は端から決まっている。

 ならばするべきことは一つだろうと。

 そういう思いが彼の瞳の中に強い意思の光となって輝いていた。その意思の力を行動で表すように、武也は春希に近づくと強引に彼の手首を掴み取る。

 

「なっ!?」 

「――悪いな、冬馬。帰ってきたばかりで申し訳ないが少し春希を借りるぞ。二人で話したいことがあるんだ」

 

 春希の抗議を完全に無視した状態で、武也がかずさに断りを入れる。だが相手からの答えすら待たず、彼は春希を引きずって玄関目指し歩き出した。

 

「どこ行く気だよ武也!? そっち玄関だぞ!?」 

「押しかけた俺が言うのも何だが、外で話そうぜ、春希」

「外って、今からか?」

「説明してくれるんだろ? それにお前も俺に言いたいことがあるんじゃないのか?」

 

 武也が首を巡らせてかずさを視線で捉えた。その仕草は“冬馬がいないほうが話しやすいこともあるだろ”と春希に向かって言外に伝えている。

 春希は武也とかずさを交互に捉え、どうするべきか逡巡している様子だ。そんな彼の姿を見て、かずさが儚げに微笑む。

 

「……いいよ。あたしのことは気にしないで」

「かずさ」

「待つのは慣れてるからね。大人しくここで春希が帰ってくるの、待ってる」

  

 そう伝えてからかずさは、室内に備え付けられてあるクローゼットまで歩むと中から春希のコートを取り出した。それを“いってらっしゃい”の言葉の代わりに、ふわりと彼に向かって手渡した。

 

「外、かなり寒いから。風邪引くといけないし」

「……ありがとう」

「いいよ。その代わり早く戻ってこないと鍋に砂糖を大量にぶちこむぞ。……だからはやく帰ってきて」

「わかってる。帰ったら一緒に食べよう」 

 

 受け取ったコートの下で二人の指先が触れ合った。

 彼女の帰りを待ちわびて。彼の部屋に帰れるのを待ちわびて。こうして会えたのにまたすぐに離れるのは寂しいとばかりに、二人はコートの影で指を絡ませていく。

 目線は合わせたまま指だけで重ねる逢瀬。

 軽く握っては指を組み換え、掌を合わせてはまた離していく。そして最後に春希は、かずさの指の腹をきゅっと握りこんでから、名残惜しそうな表情だけを残して部屋を後にしていった。

 

 

 

 

「ハァ。なるほどな。雪菜ちゃんに拒絶されて、その後に冬馬と再会したってわけか」

「……うん」

 

 マンションから外に出た時、既に辺りは暗闇に包まれていた。といっても深夜と呼ぶにはまだ早い時間帯である。

 往来には多くの人々が行き来していて、中でも仕事を終えたサラリーマンやOLの姿が目だって見えた。大通りを離れ住宅街に足を踏み入れれば人通りは激減するが、それでも無人という訳にはいかない。

 最初二人は近くにある公園で話をしようと移動したのだが、運悪く園内に先客が居たために場所を変えることにした。

 公園といっても狭い児童公園である。しかも相手がいちゃつくカップルとあっては落ち着いて会話も出来ない。

 次に二人は飲食店にでも入ろうと目抜き通りに出たのだが、結局は途上にあったコンビニを会談場所にしてしまった。正確には店の中ではなく、コンビニの裏手側にある暗い路地裏なのだが。

 

「なんて運命の悪戯だよ、全く……」 

 

 大きな溜息を吐いた武也が天を仰ぐ。そこには暗くて味気ない都会の空特有の星のない夜空が広がっていた。

 春希と武也はコンビニで購入した缶コーヒーを片手に、コンクリートの壁に背中を預けながら話をしていた。

 路上ではあるが裏通りに当たるそこに人影は無く、大通りからの喧騒もあまり届いてこない。壁を背にしていれば風避けにもなるし、薄暗いという点だけを除けば、落ち着いて会話するにはうってつけの場所だったのだ。

 まず最初に口を開いたのは春希から。

 事の発端であるクリスマスの出来事から始まり、その後どういう日々を過ごしてきたのか。そして曜子からコンサートのチケットが送られてきて、大晦日の夜にかずさと再開したこと。

 二人で二年参りに行き、最後には彼女と別れるのを良しとせず部屋に誘ったこと。

 そして、三年ぶりに二人が結ばれたこと。

 武也は時折相槌を打ちながら、口を挟むことなく春希の話に耳を傾けてくれていた。質問したいことや言いたいこともあったろうが、最後まで聞いてからじゃないと二度手間になる。

 そう思っていたのか、結局武也が意味のある言葉を発したのは、春希が全てを語り終えてからだった。

 

「母親の凱旋コンサートだもんな。当然娘も一緒に戻ってきてるか」

「……悪かったな武也。お前や依緒、それに杉浦の好意を無駄にしちまった」

「それだけじゃない。お前は“また”雪菜ちゃんを裏切ったんだ。しかも最悪の相手を選択して」

「ッ――!」

 

 武也が言った最悪とはかずさ個人のことじゃなく、春希が同じ相手を選択してしまったこと。雪菜を一番傷つける相手を選んでしまったことについてだ。

 そのことを春希自身もわかっているから、反論すら出来ないでいた。

 

「でもお前の気持ちもわからないでもねえよ。雪菜ちゃんに拒絶されてお前がどれだけ傷ついていたか、どれだけ落ち込んでいたか十分に伝わってきた。そこにひょっこり昔好きだった女が現れりゃ、靡いちまうのも理解できなくはない」

「そんなんじゃ……」

「今回のことについては拒絶した雪菜ちゃんにも非はあるさ。けどなっ春希ッ! 冬馬だけは、冬馬かずさだけは駄目だろ?」

「武也……」

「お前がまだ冬馬のことを引きずってたのは知ってる。気づいてた。けどこの三年間はそんな彼女を吹っ切るための時間じゃなかったのか? 壁を乗り越えるための時間じゃなかったのか? 雪菜ちゃんと一緒に歩んでいくための三年間じゃなかったのかよ?」 

 

 春希の心の中に冬馬かずさという女性がいることを、武也も依緒も、そして雪菜自身も知っていた。気づいていながらそれに触れてこなかった。

 理由の一つには、昔の傷を故意に抉ることもないだろうと春希を気遣ったこと。

 もう一つには今武也が言ったように時間が解決してくれるだろうと信じていたこと。

 けれど武也も依緒も、春希のかずさへの思いの深さを見誤っていた。

 会うことも叶わなければ触れることもできない。それどころか声さえ聞けない相手を、三年という時間を経てもまだ思い続けている。そしてかずさもまた春希に負けないくらい色褪せない思いを抱いているなんて、考えもしなかった。

 

 ――けれど、もしかしたら。

 

 二人が再会したらこうなってしまうんじゃないかって、無意識にでも考えてしまっていたことに武也は気づいた。そんな危惧を抱いたからこそ、大晦日に春希に釘を刺したのだ。

 冬馬かずさには会わないで欲しいと。

 

「冬馬は知ってるのか? その、お前と雪菜ちゃんのこと」

「ああ、話したよ。この三年間のことも、クリスマスのことも。隠さずに全部かずさに話した」

「知って、その上で同棲してるってのか。お前、雪菜ちゃんを――」

 

 無理やり言葉を切って、武也が手にしていた缶コーヒーを一息に煽る。こうして口を塞いでしまわないと暴言を吐いてしまいそうだったからだ。

 

「……春希よぅ。雪菜ちゃんくらい良い子なんて世界中探してもそうはいないぞ? ルックスは最高。家事も得意。性格も良けりゃ自然と男を立てることだってできる。本当、天使だっていってもいいくらいの娘だ。それでも冬馬なのか?」

「雪菜が良い娘だなんて十分わかってる。俺には勿体無いくらい素晴らしい女性だよ」

「だったらなんで!? 雪菜ちゃんに拒否られたからか? フラれたって思ってるからか? そんなのは雪菜ちゃんの本心じゃない。本当はお前だってわかってるんだろ?」

「……」

「お前が謝れば許してくれる。出来た溝だっていつかは埋まる。俺も依緒も手伝ってやる。だから諦めんなっ春希っ!」

「違うっ。違うんだって武也。俺がかずさを選ぶことに雪菜とのことは関係ないんだっ」

「お前……」

 

 雪菜と駄目になったからかずさに逃げた。そんな武也の思い違いを春希は正したかった。でも理由を説明しても彼は納得しないだろうし、理路整然と語れる自信もない。

 真実はどうあれ春希が雪菜を傷つけた事実は覆らないのだ。

 それでも彼にはこの道しか選べなかった。そのことをこれから彼は武也に語ろうと思い決めた。

 傲慢で、自分勝手な言い分になるのは分かっている。けれど北原春希という男が、冬馬かずさという女を選ぶことこそ摂理なんだと分かってもらいたかった。 

 飯塚武也という個人は、春希にとっても親友と呼べる人間なのだから。

 

「……ふぅ」 

 

 先程の武也よろしく、春希も残っていたコーヒーを一気に煽り一呼吸の間を置いた。

 それから武也に向き直り、真剣な表情を作り出す。

 

「――武也。俺、今から酷いこと言うと思う。人として最低なこと口走るかもしれない」

「春希?」

「けど、さ。これが俺の本心だから。お前には聞いてもらいたいって思ってる」

 

 余程言い難いことなのか、春希は聞いてくれと言い出しながらも中々口を開こうとしなかった。

 目線を地面に落とし、唇を結んで、意を決して口に出そうとして、結局それを取りやめて。

 

「……話せよ。どうせここには俺しかいないんだ。お前の言う最低な話ってのがどんな内容なのかは分からない。けど最後まで聞いててやる」

「武也……?」 

「聞いた上でどうするか判断してやるよ。だから言ってみろ」

「……サンキュ」

 

 親友に背中を押され、春希は今度こそ彼に向かって思いの丈をぶちまけ始めた。

 武也を納得させる為には言葉に装飾なんていらない。荒削りでも整然としていなくても、生の声を届けることこそが彼の思いに報いる唯一の道なのだと心得ていた。

 その結果武也に絶交されようとも、伝えなければならない内容なのだ。

 

「俺さ、かずさのことが好きだ。例えクリスマスに雪菜と結ばれていたとしても、きっと俺はあいつと再会したら三年前と同じ過ちを犯してしまう」

「なっ!? おまえ……それって……」

「そうはならなかった。ならなかったけど、大晦日の夜にあいつと再会して、それが“真実”なんだってはっきりと認識できた」

「春希。自分で口走ってる言葉の意味、わかってるのか?」

「言ったろ、最低な告白だって」

「でも冬馬のこと忘れようとしてたって……言ったよな、お前」

「そうだな。もう二度と会えないって思ってたから。二度と触れ合えないって思ってたんだ。だから何度も何度も忘れようと努力して、それでも忘れられなくて。なのにたった一度会っただけで気持ちが溢れちまった。……もう自分でも止められなかったんだ」

 

 雪菜と三年過ごし、周囲の誰もが春希がかずさを忘れることを望み、春希もそのことを自覚して。

 再会したかずさは世界に認められるピアニストとして歩み始めていて。彼女にも新しい世界があることに気づいていて。

 それでもかずさしか見えない。選べない。

 そう春希が口にした。

 

「そんなにか? そんなに冬馬のこと……好きなのか?」

「ああ。ベタ惚れだ。武也の言うように雪菜と比べたら駄目な奴なのかもしれない。わがままで、だらしなくて、不器用で。すぐ泣くし、喚くし、傍から見たら痛い女なのかもな。雪菜とタメ張れる部分なんて、本当に見た目くらいだよ」

「……」

「ピアノの腕はさすがに一級品だけど、逆に言えば褒められるようなとこはそれくらいでさ。協調性はないし、よく社会人としてやってけるなって部分もある。それでも俺にとっては――」

 

 春希は飲み干してしまった缶コーヒーに両方の親指を当て、ペコペコと押しては鈍い音を奏で出した。

 視線をその缶に注ぎ、指で弄ぶ。

 けれど心の中で思い描いているのは、彼にとって最愛の人の姿で――

 

「かずさの笑った顔が好きだ。拗ねた時に見せてくれる表情が好きだ。俺の名前を呼んでくれるその声が好きだ。あいつの綺麗な髪も、切れ長の瞳も、柔らかい唇も。かずさを構成する全ての要素が愛おしい。一緒にいると安らぐよ。話してると楽しいんだ。さっき言った駄目な部分も実は俺にとっては最高だったりする」

「……春希」

「あいつじゃないと駄目なんだ。かずさが傍にいてくれないと、俺、駄目なんだよ。三年前から何も変わってない。あいつを世界中の誰にも渡したくないって思ってる。俺以外の男に触れさせたくないって思ってるんだ」

「そこまで想っていて、お前は……」

「最低だって自分でも分かってる。間違えた選択だってわかってる。けどこれが俺の偽らざる本心だよ」

「……」 

 

 春希の告白が終わり、路地裏に沈黙が訪れた。

 言い切った春希は空を仰ぎ、武也は何事か考え込むように目を伏せる。

 その状態がどれくらい続いたのか。

 沈黙を破ったのは武也からだった。

 彼は“やれやれ”だとばかりに深い溜息を吐いてから、後ろ頭を掻いていく。

 

「ったくよぅ。こんなの依緒にどうやって報告すりゃいいんだ……」

「っ……。依緒には俺から言うよ。それが当然の責任だし」

「やめとけって春希。引っぱたいて、張っ倒されるのがオチだ」

 

 そう言って武也が自分の頬を軽くぽんぽんと叩く真似をする。

 

「今のお前の話しを聞いて、俺には納得できないまでも理解はできる。けど依緒には無理だ。……あいつは女だからな」

「……」

「いずれ話し会うにしても、今はゆっくり考える時間が欲しいところだ」

 

 そう言った武也が、足取りゆっくりと春希を残して歩き出す。

 

「どこ、行くんだよ?」

「んー? そこのコンビニ。あれくらいの酒じゃ足りないだろ?」

「酒って……?」

「今夜は飲み明かそうぜ。俺とお前と……冬馬の三人でよ。幸いあの鍋三人前くらいはありそうだったし……ってもう冬馬が食っちまってる可能性もあるのか」

 

 部屋に一人残してたかずさが空腹に耐え兼ねて、一人鍋を開始している可能性を示唆する武也。

 その真意を推し量るのは簡単だが……。

 

「いいのか武也? 俺とかずさが、その……」

「いいも悪いもなっちまったもんはしょうがねえだろ。あんな熱い思い聞かされりゃ嫌でもお前が冬馬に惚れてるってわかっちまう。それにお前は昔から自分でこうと決めたら梃子でも意見曲げないじゃないか」

「それは……」

「けど勘違いすんなよ。別にお前の行動自体を許したわけじゃないからな。雪菜ちゃんを傷つけた責任はキッチリ取ってもらう。ただまあ……雪菜ちゃんのほうにも負い目があるわけだし。まったく、どうしてこうなっちまったんだか」

「……悪いのは俺だよ武也。雪菜もかずさも悪くない」

「そんなのは当たり前だ。けど今は飲み明かそうぜ。さすがに今日は……疲れた」

 

 疲れたのは肉体的にじゃなく精神的に。だからアルコールの摂取が必要になる。

 その武也の案に春希も乗っかることにした。

 

 

 

 

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