WHITE ALBUM2 Concert route 作:powder snow
「……あ」
繋がった携帯電話の通話を切り、春希が呆然と立ち尽くす。
相手に繋がった時間は僅かワンコール。だがそれが致命的だった。だって通話履歴が残ってしまう。春希が掛けたと相手に伝わってしまう。
「なんで、俺……」
コールした相手の名前は和泉千晶。春希と同じ峰城大学文学部に属する学生であり、同じゼミの仲間でもあった。
普段なら千晶にコールしたところで何の問題もない。今の春希にとって“女”を感じさせない千晶は、唯一気軽に話せる女友達であり、悪友に近い関係にあった。
先日など春希の部屋に千晶が泊まるというイベント事があったものの、想像されるような“色のある”展開には縁遠く、春希が千晶のレポートを手伝っただけという硬い話で終わってしまう程である。
少し仲の良い友人同士。
だから春希から千晶に電話するのに躊躇う要素はないのだ。
今日がクリスマスイブじゃなかったら。
「……っ」
恐怖に駆られた春希は急いで携帯の電源を落とし、外部からの繋がりを絶った。
千晶からのコールバックがあるかもしれない。いや、コールバックして欲しいと望む自分に気付いて、慌ててシャットアウトしたのだ。
今の状況で千晶と“繋がった”場合の自分の行動が恐ろしかったから。
「ついさっきまで雪菜と二人きりだったってのに……」
北原春希と小木曽雪菜。周囲の二人への認識は恋人同士である。
ミス峰城大付属を連続で受賞する学園のアイドル小木曽雪菜。北原春希も学年トップクラスの成績を保持し、高校の卒業式で答辞を任されるくらいの優等生だ。
才色兼備の美少女と、面倒見の良い秀才のカップル。だがその評価は当人達の認識とは大きく異なっていた。三年前のある出来事を経て、二人の間には大きな溝が出来ていたのだ。
形としては雪菜が彼を追い、春希が逃げる。
二人とも“三人の関係を壊した原因”は自分にあると言い、決して譲らない。だからどうしても相手を前にした時に心が痛んでしまう。見たくない傷を見せつけられる。
だから春希は逃げた。
三年になり転部するという荒業を使ってまで雪菜を遠ざけたのだ。
もし冬馬かずさが日本に残っていたら、二人の心にここまでの傷跡は残らなかっただろう。ほんの少しの傷を追い、痛みを背負ったとしても、三年という時間の流れがそれを癒してくれたはずだ。
けれど彼女は日本を発つことを選択し、二人の前から姿を消してしまった。残された二人は傷だらけになりながらも、相手を思うからこそ決して離れられず、茨に包まれたような日々を過ごす羽目になる。
けれど、それも今日で終わり。
「雪菜……」
聖夜に結ばれて二人は幸せな恋人同士になる。おとぎ話じゃないけれど、そうなるはずだった。
二人ともがそれを望み、身体を重ねるためにホテルに部屋を取って――そこで春希は雪菜に拒絶されたのだ。
――嘘つき! 嘘つきっ! 春希くんの、嘘つきッ!
大切な彼女の為に自分に嘘という魔法を掛けてまで望んだ。
かずさのことを忘れたんだと。誰よりも愛している人を思い出に昇華したんだと。時の流れが春希の中からかずさを消し去ってしまったと。
そう自身の心を偽って。
「また俺……雪菜を傷つけた……」
春希が纏った嘘という鎧は、いともあっさりと雪菜に看破されてしまう。更に証拠として、彼が書いたアンサンブルの記事を突きつけられてしまってはどうしようもない。
「俺……」
春希と雪菜は、今日という日を迎える為にメールを介し距離を近づけていき、次第に三年前のように笑って話せるようになり、友人達の手助けやお節介もあり、壁を乗り越えたかにみえた。
雪菜のピンチには、彼女の為にあらゆる手を使って彼女を助けようとまでした。
――二人を取り巻く環境の全てが、春希と雪菜の幸せを思っていて結ばれるのを願っている。
障害となっているのはたった一つ。
春希のかずさへの思いだけだ。
「……っ。かずさ、俺さ、まだお前のこと思い出にできないでいるよ。はは、笑っちまうだろ……? あれから三年も経ったってのに」
たちの悪い風邪を引いた時のような悪寒が春希を襲い、自身で身体を抱いても奮えが止まらなくなる。
頬を刺す真冬の空気よりも冷たいものが胸の奥から去来しては彼を苛んでいく。舞い落ちる雪が彼の髪や頬に触れてもその存在に気付かないくらい、寒い。
歯を食い縛って耐えようとしても、その根が合わさらない。
原因ははっきりしている。
今後春希がどんなに雪菜のことを想っても、好きになっても、もう一緒に歩むことができないかもしれない。
その可能性が示唆されてしまったから。
「……誰かっ……」
喉の奥から言葉を搾り出すようにして呟く。
寒いからこそ、ぬくもりを求めてしまう。誰かと触れ合いたいって思ってしまう。だから彼は無意識に千晶にコールしてしまったのだ。自分の逃げ道になってくれると言った彼女に。
「……!」
発作的に携帯を取り出した春希が電源を入れようとボタンに指をかける。
一度は絶ったはずの誘惑に抗えず、繋がりを持とうとしてしまう。だが結局携帯の電源を入れることができなかった。
「あ……」
コートのポケットに携帯を仕舞い直し、ふと見上げた空。そんな彼の瞼にひとひらの雪が舞い落ちてきた。
「雪、降ってたんだな」
暗い空からひらひらと降りてくる白い粉雪。
そのひと欠片を掌で受け止めて、春希はぎゅっと握り込んだ。
「……人の多いとこ……行きたいな」
彼が咄嗟に頭の中で思い描いたのは、バイト先である開桜社とグッディーズ。
風岡麻理と杉浦小春がいる彼の職場だった。
結局春希が選んだのは開桜社。
決めてになったのは距離的な問題と時間的な問題。
深夜に差しかかろうという時間帯だと、グッディーズに行っても閉店してしまっていて誰にも会えないかもしれない。だが不夜城めいた出版社なら誰かしら人はいるだろうという打算的な思い。
どうしても一人でいたくなかったのだ。
「麻理さん?」
しかし春希の思いとは裏腹に編集部に人影は無かった。
電気は点いている。気配というのか、人がいた形跡はあるのだが見渡す限り誰も存在しない。
誰か――出来得るなら信頼できる上司の顔が見たかった。
話をして心の隙間を埋めて貰いたかった。
もし誰もいなかったら。いたとしても親しくない人だったらと考えなかった訳じゃない。けれど心のどこかで麻理に会えるんじゃないかって、春希は思っていた。
「いや、当たり前、だよな……」
今日はクリスマスイブ。
幾ら麻理といえど編集部に残って仕事をしている可能性のほうが少ないのだ。
「これ、無駄になっちゃったかな」
差し入れにと24時間営業のスーパーで買ってきたクリスマスケーキ。深夜を過ぎた為に千円に値引きされたそれを話しの種として利用するつもりだった。
仕方なく春希は、用済みになってしまったケーキの箱を適当なデスクの上に置いて深い溜息をついた。
「……」
氷点下に落ちた外気から暖房の効いた室内に逃げ込んできたというのに、一向に身体の奮えが収まらない。
もう他の手段を選べる時間は残されていないだろう。
このまま一人で凍えていくのか。そう春希が思った矢先、甲高い着信音が鳴り響いてきた。
「でん……わ?」
一瞬自分の携帯が鳴ったのかと身構えるが、既に電源は落としてある。幾ら彼が求めても鳴るはずがないのだ。
視界を揺らし、その音の発生源を見つける春希。
着信があったのは編集部の備え付けの電話。普段麻理が使っているデスクにある――
出るべきだろうか。
一瞬だけ春希は迷った。
編集部の関係者である春希が出ても不自然じゃないし、普段なら即対応しただろう。しかし今この場には誰もいない。立場的に責任ある対応が出来るとも思えないし、やり過ごしても誰も気付かない。
けれど結局春希は受話器を取る。
単に誰かと話したかっただけかもしれないし、春希が本来持っている責任感がそうさせたのかもしれない。時間外労働などとは露ほども思わないが、仕事に携わることで気持ちを繋いでいたかったのかもしれない。
そしてこの選択が、彼が本来踏み込めない道へと誘っていくことになる。
「はい。開桜社、開桜グラフ編集部です……え? 冬馬曜子オフィス……?」
落ち着いた女性の声で冬馬曜子オフィスの工藤ですと相手方が名乗った。その名前に春希は酷く動揺し、狼狽する。
もちろん工藤という女性の名前にではない。冬馬曜子オフィスという社名にだ。あまりの衝撃のために放心してしまい、電話相手に不審がられてしまったくらいである。
だから彼はやり取りの最中に編集部に誰かが戻って来たことに気付けていなかった。
「北原……か?」
「麻理、さん?」
「どうしたんだお前? こんな日のこんな時間に? ……って電話中か」
「いえ。その……っ」
電話を保留するのも忘れ、春希は麻理に向かって受話器を差し出した。春希の行動を受け一瞬怪訝な表情を浮かべた麻理だが、相手の意思は見て取れる。
電話を代わって欲しいという意思表示だと見抜いた麻理は、春希から受話器を受け取ると部下の非礼を詫びてから話し始めた。
それから数分間のやり取りを経て、麻理が静かに受話器を置く。
そして開口一番。
「結論から言うぞ北原。今の電話はお前に関係するものだった」
「え?」
「アンサンブルにお前が書いた記事。あれを先方がえらく気に入ったらしくてな。是非記事を書いた記者を招待したいらしいんだ」
「招待って……」
「冬馬曜子のニューイヤーコンサート。プレミアもののチケットを用意してくれるそうだぞ」
突然の展開に思考が追いついていかない。
そもそも麻理が電話している最中から心が穏やかじゃなかったのだ。それが収まる前に更なる爆弾発言を突きつけられては纏まる考えも纏まらない。
だから春希は最も抱いてもおかしくない疑問を口にすることでお茶を濁すことにした。
「なんでこんな日に……こんな時間に電話かけてきたんですか?」
「そんなの私が知るわけないだろう。先方にも事情が……って、そういう北原こそどうしたんだ? 今日休みだったよな?」
「……麻理さんこそどうしたんですか? イブですよ?」
「なんだ北原? それは私に対する挑戦か?」
「ち、違いますって」
「冗談だよ。まあ見ての通り私は仕事だ。さっきは息抜きにがてら出てたんだけど……ああ、勘違いするなよ北原。誘いはあったんだぞ? ただ私にとって仕事より優先するような催しものじゃなかっただけで」
「はは。なんていうか麻理さんらしいですね」
――風岡麻理。
開桜社における春希の直属の上司に当たる人物だ。
春希より五歳年上だが、その話題を振るのは社内でタブーになっている。
春希が働くに当たって「一番無茶な仕事を与えてくれる人の下につけて下さい」と願い出て配属され経緯があるが、それは良い意味で間違っていなかったと彼は思っていた。
秀外恵中を地で行く優秀な大人の女性。それが春希の彼女に対する評価である。
「らしいって、なにか釈然としない答え方だな。私には仕事のほうが似あっているとでも言いたいのか?」
「別にそういう意味で言ったんじゃないです。いてくれて、嬉しかったなって」
「……う、嬉しいとか意味がわからないぞ」
率直に好意を向けられ慌てたのか、麻理が距離感を誤ったように軽くつんのめった。次いでそれを誤魔化すように軽く咳払いする。
外した視線は、デスクの上にある四角い箱に注がれていた。
「それより北原。それクリスマスケーキじゃないのか? ひょっとして差し入れか?」
「はい。誰かしらいるだろうと思って。……迷惑でしたか?」
「迷惑なものか。ちょうど小腹が空いていたところだよ」
ぽんっとケーキの入った箱を叩き麻理が微笑む。春希を気遣うような優しい声音を添えながら。
その行為に少しだけ春希の心が癒される。
麻理は聡明だ。
若くして会社で重要な仕事を任されているのは伊達ではない。だから当然春希の変調にも気づいている。気づきながらも彼のことを慮って触れないだけなのだ。
その思慮に癒される。
まだ心の奥底では冷たいものが渦巻いているが、それでも自分の身体を騙して家に帰り着くくらいの元気は分けてもらった。
「じゃあ……俺、帰ります」
「北原?」
「実は近くに寄ったから顔出しただけなんです。陣中見舞いってやつですよ。……それじゃ仕事の邪魔してすみませんでした」
本音を言えばもっと麻理と話をしていたかった。なんなら仕事を振ってもらってもいい。
一緒の時間を過ごしたかった。そう思わずにはいられないほど春希の心が“他人”を求めていたのだ。
だからこそ彼は帰宅する道を選んだのだ。これ以上麻理と接していると取り返しがつかなくなるかもしれない。
そう思ったから。
「待て、北原。お前、本当は私になにか話があったんじゃないのか?」
「……え?」
けれど去り行く春希を麻理が引き止める。
「だって、おかしいだろ。こんな日のこんな時間に、そんな泣きそうな顔してやってきて……気になるじゃないか」
「麻理さん……」
「もしかして冬馬かずさのことと関係あるのか?」
「な、んで……」
「あまり私を舐めるなよ北原。お前が書いた記事を見れば言わずもがなだ。冬馬かずさという人間が北原春希という人間にとっていかに特別な存在か。あれは自分からそうなんですと公言しているようなものじゃないか」
「……っ」
似たようなことを雪菜にも言われていた。
アンサンブルに書いた記事は、春希がかずさに宛てたラブレターなんじゃないかと。
「……それにあの記事が世に出てからの様子も少しおかしかったし」
「そんなに変でしたか、俺?」
「まあ些細な変化だったがな。恐らく他のみんなは気付いてない。けど、今の返答で認めてしまったな」
「麻理さん」
肩を落とし寂しそうに去り行く春希を見て、麻理は手を伸ばさずにはいられなかった。あのまま放って置いたら後悔するんじゃないか。そう思ったから。
だから春希が興味を持つだろうかずさの名前を出してまで引きとめた。
「幸いお前が買ってきてくれたケーキもある。少しだけ私と話をしようじゃないか」