WHITE ALBUM2 Concert route 作:powder snow
南末次から一駅分の時間を車内で過ごす。
深夜と言うにはまだ早い時間帯の影響か、車内はそれなりに混んでいて、座席に二人並んで座れる程の空きスペースは無かった。なので二人は扉際に身を寄せながら車窓から流れる風景を見つめていた。
暗がりの中に浮かび上がる建物の明かりが、まるで光のイルミネーションのように鮮やかな彩りを持って春希の目に飛び込んでくる。更に目を凝らせば、先程降り始めていた雪が、もう止んでしまっていることに気づけるだろう。
微かに響く走行音に耳を傾けながら、春希は肩先から伝わってくる感触を確認する。
今、彼の隣にいるのは恋人のかずさではなく雪菜。
別れ際に見た彼女の涙に絆されたわけではないが、雪菜の求めに応じて彼女を家まで送り届けることにしたのだ。
やはり様子が気になったし、放ってはおけないという気持ちもある。けれど一番大きな要因は、雪菜にかずさとのことを伝える機会になると思ったからだ。
――ねえ春希くん。嫌われても、憎まれても、わたしはかずさのことが好きなんだよ。
以前雪菜は春希にそう伝えたことがある。
その言葉の内容が示すように、雪菜はかずさのことを遠ざけようとはしていない。むしろ必要としてくれている。ならば春希には、友人としての意味でも、彼女のことを雪菜に伝える義務があるはずだ。
かずさが日本に戻ってきていて、近くにいるのだということを教えてあげるべきなのだろう。
なのに言葉が続かない。
こうして並んで立っていても、曖昧な世間話に耳を傾け、頷く程度の応答が精一杯である。
強く踏み込めないでいる理由は、あくまで雪菜が三人でいること――春希と雪菜が一緒にいて、その輪にかずさが加わる。そういう残酷な光景を望んでいることのに気づいているからなのだろうか。
でも、そんな関係が続かないのは既に三年前に経験済みだ。春希がかずさを思えば想うほど、かずさと雪菜の距離もまた離れていってしまう。
三人が笑って一緒に居られる未来なんてないのだと、知ってしまっている。
だって、そんなことをすれば、彼の大切なかずさが壊れてしまうから。
「……」
きつく臍を噛む春希。
しかし既に“選ぶ”という段階ではなく、結果を伝えるという段階でしかないことを彼も重々承知している。
雪菜を悲しませる、また泣かせてしまうと分かっていながら、その言葉を吐かなくてはならない。後はそれ等の事実に耐える勇気を振り絞るだけなのだ。
でも、一駅を渡る時間はあまりにも短くて、春希が雪菜に言葉を伝えるよりも先に目的地に到着してしまった。
「あっ、雪、もう止んじゃってるね」
末次町で降りてからの第一声。
雪菜は少し眦を上げながら掌を上にして、淡い雪の感触がその手の中に落ちてこないことを口にした。
「月も出たままだったし、初めから強く降る感じじゃ無かったのかもな」
「そっか。通り雨ならぬ、通り雪ってこと?」
「……はは、そんな言葉ないって」
「知ってる。だって今考えたんだもん」
少し得意げに鼻を慣らしながら、雪菜が柔らかな動作で春希を振り仰ぐ。
春希が手を伸ばせば届く距離にいる彼女。けれど逆に言えば、手を伸ばさないと届かないのだ。雪が止んだとはいえ、気温が上がったわけではない。
身を寄せ合えば多少はこの寒さも和らぐだろうが、今の二人はこの微妙な距離感でしか存在し得ない。
「……寒くないか、雪菜?」
「寒いけど、仕方ないよね」
「まあ、な……」
「そうだ。わたしの家までちょっと距離があるから、少し歩くことになるけど大丈夫?」
「雪菜の家まで歩いても十五分くらいだろ? その程度なら問題ないよ」
「……よく覚えてるね」
「そりゃ、覚えてるさ」
幾度も二人で通った道だ。
最後にこの道筋を辿ったのは三年も前のことになるが、それでも色褪せることはない。
「……」
「……」
他愛も無い話に花が咲き、ただ二人で歩くだけでも楽しかったのは過去の話。それを示すように二人は互いを強く意識しながらも、気まずさと緊張から話題を提供できないでいた。
今度のタイムリミットは小木曽家に到着するまで。
春希は雪菜に伝えなければならないことがあり、雪菜は春希に言いたいことがあって――
「あれぇ? そこにいるのって春希?」
でも、不意にかけられた声によって歩みが止められる。
「こんなところでなにして……って、え? えぇ!? 隣にいるの……雪菜!?」
二人が核心を突く言葉を口にするより先に、偶然というな名の転機が訪れてしまった。
「い、依緒!?」
驚愕の思いを含んだ誰何は春希から。
ちょうど春希と雪菜が向かっていた方向から人影が現れたのだ。往来である為それ自体は不思議なことではないが、現れたのが二人の共通の知人となれば少し話は異なる。
数歩分の距離を離して向かい合う両者。
歩いていた道がくの字型に折れていたのも手伝って、至近距離に近づくまで相手の存在に気づけなかったのだ。そんな成り行きが驚きに拍車をかける。
「あれ? あれあれ~? なんで春希と雪菜が一緒にいるのよ?」
――水沢依緒。
峰城大付属の頃からの春希、雪菜の共通の友人であり、今は同じ大学に通っている仲間だ。付属時代にはかずさとも面識があり、彼等の事情にも明るい。
中でも飯塚武也とは付き合いが長く、幼い頃からの腐れ縁である。
ショートカットが映えるボーイッシュな女の子。
その依緒が、春希と雪菜のツーショットを目にし、状況が飲み込めないとばかりに目を丸くしていた。
往来にも関わらず上げた素っ頓狂な声が、彼女の困惑を如実に表している。
そんな彼女の後ろからもう一人の人物、武也も現れて――彼は春希と雪菜が一緒にいる様を見て、殊更衝撃を受けたように硬直した。
「――なっ!?」
「武也!?」
「は、春希。お前、なんで……」
絶句するという言葉が当て嵌まるように、開きかけた口から言葉が続かない様子の武也。対する春希もまた突然のことで二の句が告げないでいた。
そんな二人の間隙を縫うようにして、雪菜が素朴な疑問を投げかける。
「依緒に武也くん? あれ? 二人揃ってどうしたの?」
「どうしたのって、それはこっちの台詞よ。あたし達は今、雪菜の家に寄ってきて、その帰り道なんだから」
「え? わたしの家?」
「そ。雪菜が寂しい思いをしてるだろうからってわざわざ誘いに来てあげたのよ。まあ、サプライズ感を出すために携帯に連絡を入れなかったから、空振ったのは仕方ないんだけどねぇ」
こういうのも骨折り損っていうのかしら、と肩を竦める依緒。けれどその表情はどちらかというと晴れやかで、嬉しそうに目を輝かせている。
理由は単純だ。
彼女は元々雪菜と春希の仲を気にかけており、その二人が一緒にいる様を見て、年末から抱いていた不安が杞憂だったのではと胸を撫で下ろしていたのだ。
クリスマス以降の雪菜の態度を鑑みれば、春希との間に何かあったのではとの推測が容易に立つ。その“何か”が解消されたんじゃないのかと。
しかし同じような境遇にいるはずの武也の表情が優れない。
まるで苦虫を噛み潰したように眉根を寄せる様は、隣にいる依緒が少し怪訝な表情を見せるほどだ。その原因は依緒と彼との間にある情報の齟齬なのだが、そんな二人の態度を見て、春希はまだ依緒に“話”が伝わっていないのだと察する。
「…………なあ、春希」
「雪菜とは……たまたま道でばったり会ってさ、時間も遅いし、雪も降ってたから、それで家まで送る途中なんだ」
「送る途中だって? それだけか? 本当にそれだけなのか?」
「うん。それ以上の意味はない、よ」
「っ……。そうか」
武也が聞きたいだろう質問の先回りをして春希が答える。
彼相手にあれだけの啖呵を切って“かずさを選ぶ”と言った春希なのだ。今の短いやり取りだけで武也には大まかな流れが想像ついただろう。
それを“良し”とするかはまた別問題ではあるが、武也はそれ以上口を開こうとはしなかった。
しかし依緒には彼等のやり取りの真意は分からない。
「どうしたんだよ武也? 急に押し黙ったりして?」
「……別に、何でもねえよ」
「そう? けど雪菜とこうしてここで会えたのは良かったよ。春希が一緒なのも好都合だし」
「依緒?」
含むような笑みを浮かべてから、依緒がつかつかと足早に春希達の目の前まで歩いてくる。
それから人差し指を目元に添えてから片目を瞑って
「ねえ、今からみんなで飲みにいかない?」
と軽快な口調でそう言った。
「みんなって……?」
「もちろん、あたしと武也と雪菜。そして春希の四人に決まってるでしょ」
雪菜の問う“みんな”を指し示すように、依緒が名を呼んだ順番に首を巡らせていく。
「この四人が揃うなんて久しぶりだし、今から駅前に戻って適当な居酒屋見繕ってさぁ」
「でも……」
「なに雪菜? なにか予定あんの?」
「ううん。今から帰るだけだったからそれは大丈夫。ただ……」
渋る様子を見せる雪菜が横目で春希に視線を移す。
「あぁ春希なら大丈夫でしょ。ね?」
「いや、俺は……」
「講義の予習があるとか、バイトで疲れてるとかはナシだかんね。この面子で飲みに行くことに意味があるんだから。それとも雪菜と二人きりのが良かった? そういう理由なら引き下がってあげないこともないんだけど」
「……いや、実はさ、正月からこっち使いすぎてて財布の中身がピンチなんだ。だからまた今度――」
「なぁんだ。それなら心配いらないって。“お祝い”ってことであたしと武也が奢ってあげるから」
「お祝いって、なんのだよ……」
どうしてもという体を崩さない依緒を前にして春希の表情が曇る。
お金がないなんてのは断る為の方便なのだが、依緒には通用しないらしい。まるで退路が絶たれていくような感覚に頭を悩ませる。
そんな彼に助け舟を出したのは、他ならぬ武也だった。
「依緒。春希もこう言ってるんだし、今日は雪菜ちゃんと三人で行くことにしようぜ。俺も誰かに奢るほど余裕ねえしよ」
「なんだよ、乗りが悪いぞ武也。それに四人でってのに意味があるんでしょ」
「だからそれはまたの機会にって――」
「さっきまでの元気は何処にいったのよ? 雪菜を誘ってぱーとやろうって言い出したのはあんたじゃん」
「そうだけどよ……」
自然と皆の視線が春希へと集まっていく。
この場における決定権が彼に委ねられたからだ。
「春希くん。さっき家に帰るだけだって言ってたよね? それともわたしが一緒だから駄目なの?」
「違うって」
「折角こうして依緒や武也くんが誘ってくれてるんだから、わたしは少しだけでも一緒しようって思ってる。春希くんは……嫌?」
「嫌とか、そういう問題じゃ……」
「あぁ、もうっ! 男がそんな煮え切らない態度でどうすんのよ! あたしと武也が一緒にいるんだから、わだかまりとかあって会話が弾まなくてもフォローするしさ。ぶっちゃけると、あんた達に聞きたいこともあんの!」
「予定が……あるんだよ」
「嘘。たった今雪菜が、これから春希は家に帰るだけだって言ったじゃん。何が不満なの?」
「不満とかあるわけないだろ。ただ……家で俺の帰りを待ってる奴がいるから……」
「え?」
質問していた依緒と、春希が頷くのを期待していた雪菜の目が同時に見開かれる。
家で帰りを待っている。
その台詞は即ち、誰かが春希の部屋にいるということに繋がるからだ。
「それって誰かと約束があるってこと? 先約みたいな? あ、分かった。ゼミの関係でヘルプでも頼まれたんだ」
「違う、よ」
「ならバイト関係? 出版社の仕事って大変っぽいもんね。それだ!」
「違うって依緒」
「じゃあなによ?」
「……っ」
「春希、黙ってたらわかんないでしょ」
「――――――かずさが、待ってるんだ」
春希の一言を切欠にして一切の音が止まる。
正に水を打ったような静けさ。言葉だけじゃなく、誰しも動きすら止めていて――そんな静寂を破ったのは、雪菜の震える掠れた声音だった。
「…………かずさ? 今、春希くん、かずさって……」
「雪菜」
「言ったよね? かずさって」
「……ああ。俺、今、かずさと一緒に住んでるんだ。もう随分一人で待たせてる。だから帰らないと」
「…………ぁ」
彼の短い一言は、その声音を捉えた雪菜の心臓を十分な威力を持って跳ね上げる。
暗転――ショックのあまり視界が一瞬暗くなったような感覚。
深く考えるまでもなく、聡明な彼女は理解できてしまう。
「い、一緒にって……え? えと…………っ。……その、いつ、から……」
「年が明けてからすぐ。だから今日は一緒には行けない。ごめん」
「っ!!」
短い悲鳴を上げた雪菜が両手で口元を覆っていく。まるでそれ以上言葉が零れないようにと。
けれどそれも無駄な行いだった。
だって身体が震えてしまっている。幾ら塞き止めようとしても、ほんの小さな隙間から溢れていってしまうのだ。
「あ……れ? あれ? おか……おかしい、な。なんで? わたし……震えて……」
しゃくり上げるように短い単語だけを繰り返す雪菜。
じっと春希を捉えたままの瞳から、不意にぽろぽろと大粒の涙が溢れていく。
「こ、これは……っ!? ち、違う。違うんだよ。けどわかんない。どうして? わた、わたし…………ごめんっ!」
春希から視線を切るようにして雪菜が背中を向ける。そしてそのまま脇目もふらずに駆け出して行ってしまった。
「わたし、帰るっ!」
「――せ、雪菜っ!」
「春希っ!」
彼女の後を追おうとしたのか、足を踏み出しかけた春希の肩を武也が掴み止めた。
「今お前が行っても話がややこしくなるだけだ。雪菜ちゃんのことは俺と依緒に任せろ」
「でも……」
「なら雪菜ちゃんと寄りを戻すか? できねえんだろ?」
「――武也」
「ただもう少し言葉は選ぶべきだったな。幾らなんでもいきなりすぎだ」
「俺………………え?」
言葉の途中でふっと春希の視界が暗くなった。それが誰かが目の前に立った為だと理解した途端、辺りに渇いたような小気味良い音が鳴り響く。
その音の原因――目の前の人物に頬を張り倒されたのだと気づいたのは、更に数瞬後のこと。
「――春希。今言ったかずさって、あの冬馬かずさのこと?」
「い……お?」
「一緒に住んでるって、どういうことよ?」
「…………ぁ」
「あんた……あんた、また浮気したっていうの!? また裏切ったっていうの!?」
伏せていた顔を上げた依緒の目尻にも涙が滲んでいた。
噛み締めている口元が震えているのは、憤りからくるものか。きつく拳を握り締め、まるでマグマが噴火する直前のように何かを堪える彼女。
でも結局はそれも決壊してしまう。
溢れて、声を荒げてしまう。
「雪菜、泣いてた。春希……あんた一体……何回っ! 雪菜を悲しませれば気が済むのよ……!」
「依緒……」
「雪菜のなにが不満なの? どうしてまた冬馬かずさなのよ? この三年間、春希はなにをしてきたわけっ!?」
「なにって、俺は……ずっと……」
「ずっとなに? 雪菜のこと遠ざけて、でも結局は手を差し伸べたじゃん。やっと、やっと二人の距離が縮まったと思ったのに……」
泣きじゃくる依緒を見かねたのか、武也が彼女の両肩に手を置いて、優しく宥めようとする。
「た、武也ぁ……」
「落ち着けって、依緒」
「でも、でも春希がっ! 春希がぁ……」
「今回は……三年前とは違うんだよ。あの時とは違うんだ」
「…………え?」
てっきり自分と同じように春希を糾弾する側に回ると思っていた武也の台詞に、依緒が呆けたような表情を返す。
「なに、それ?」
「……だから、今回はあの時ほど単純な事情じゃなくて――」
「その口振り……もしかして知ってたの? 春希んとこに冬馬さんがいるって……」
「――――ああ、知ってた」
「ッ!」
パンッ! と再び渇いた音が辺りに響く。
「どうして黙ってたのよ!? なんで教えてくれなかったの!? あたしってそんなに信用ならない!?」
「違うって! ちょうど今日、説明しようとしてたんだよ! 雪菜ちゃんが誘えなかったら……誘えてもその後で時間作って相談しようと思ってた」
「それじゃ遅いよっ!」
「仕方ないだろっ。俺だって最近知ったばっかりでさ、頭ん中こんがらがって、それでも考え纏めて……時間がかかったんだよ。黙ってた事は悪いとは思ってる。でもタイミングってもんもあるだろ」
「そうだけど……武也ぁ」
「さっきも言ったけど今回の件は三年前とは事情が異なるんだ。何も春希だけが悪いってわけじゃない」
「でも雪菜泣いてた。泣いてたんだよ……?」
自身から零れる涙は一切拭おうとはせず、ただ雪菜のことを気遣う依緒。そんな彼女の慟哭が鋭いナイフのように、春希の胸を的確に抉ってくる。
「悪いのは春希だよ……」
「だから話を聞けって」
「春希の肩を持つの? よりによってあの女を選んで浮気したんだよ? 雪菜のこと可哀想じゃないの?」
「今はそういうこと言ってんじゃなくてだな」
「春希はさ、雪菜の気持ちを知ってた。知ってたんだ。これが浮気じゃなくてなんだって言うの!?」
「お前――」
「武也ぁっ!」
「……俺だって春希と雪菜ちゃんがうまくいけばいいと思ってた。――いや、今だってそう思ってる。でも……今回は、春希にも冬馬にも色々あって――」
「冬馬、冬馬、冬馬って、なんなんだよあの女はぁ……。三年間春希のこと放りっぱなしにしておいて、ひょっこり戻ってきたと思ったらまた雪菜から男奪って」
「依緒っ」
「どうせ今回もあの時みたいに遊びに決まってる。また春希を捨てて遠くへ行くに決まってる。騙されてるんだ、春希は」
「おい、さすがに言いすぎだ」
「でも事実じゃん。冬馬さんが春希を捨てて外国へ逃げたのも。雪菜から春希を奪ったのも。全部滅茶苦茶にして――」
「やめてくれ、依緒!」
一向に静まらない依緒の様子を前にして、言葉を差し挟む隙間を見つけることが出来ないでいた春希だったが、やり取りの中に看過できない点を見つけた時、知らず割り込んでしまっていた。
依緒が癇癪を起こした原因は自分にあるし、雪菜を泣かせた罪悪感もある。
どれも取っても彼女から責めを受ける正当な理由になるだろう。
けれど、彼が北原春希である限りどうしても見過ごせないこともあるのだ。
「春希?」
「俺が悪いってのはその通りだよ。三年前のことも、今回のことも。それだけじゃない。クリスマスのことだって悪いのは俺だ。でも、そのことにかずさは関係ない。あいつのことを悪し様に言うのはやめてくれ……!」
「か、関係なくないよっ! どうしちゃったんだよ春希? あんたは昔からそうだ。冬馬さんが絡むといっつも変になる……」
「……ごめん」
「あたしに謝ってどうするの!? 謝るなら雪菜にでしょっ!?」
「謝るだけならいくらでも。けど……俺は……かずさのことが好きなんだ」
「ッっ!」
三度、渇いた音が鳴り響く。
振り抜いた手を震わせながら、涙目で春希を見つめる依緒。目尻を細め、唇を真一文字に結んで。それから一度だけ目線を地面に伏せると、勢いよく踵を返した。
履いているのがヒールなのもお構いなしに全速力で駆けていく依緒。
後に残されたのは、頬を押さえる春希と途方に暮れた様子の武也だけだった。
「……悪かったな、春希。けどあいつも急な展開で頭に血が上ってただけなんだ。落ち着いてから話をすれば少しは冷静な判断が下せるようになるさ」
「うん。わかってるよ」
「まあ、依緒の気持ちも分かるんだよ。雪菜ちゃんが泣いてたのも事実だしな。きっと事情を知らなきゃ俺も一緒になってお前を責めたててたと思う」
「……すまん、武也。俺のせいで依緒と喧嘩させちまった」
「慣れてるよこの程度の喧嘩。今心配なのは雪菜ちゃんのほうだ」
「……っ」
なんとも言えない沈黙に押され、二人が同時に夜空を見上げる。
大きく吐いた息が靄を作り出し、目の前の視界を白く染め上げて――けれどそれも一瞬のことで、すぐに元の綺麗な星空が視界一杯に戻ってきた。
「じゃ、そろそろ俺も行くわ」
「依緒のところにか?」
「ああ。時間を置こうとも思ったんだが、すぐ説明に行ったほうがよさそうだと俺の感が告げてるんでな。春希は冬馬のところに戻るのか?」」
「……ああ。このまま真っ直ぐ帰るよ」
「なら早く行け。それとなく雪菜ちゃんの様子も窺っとくからこっちは心配すんな。その代わり後でちゃんと話せよ? 形としては雪菜ちゃんがお前を振ったってことになるんだろうが、そんなのは表向きだ」
「ちゃんと説明する。ちゃんと……するよ」
「頼むぜ、本当に。しかし、ままならねえもんだよな。みんな相手が好きなだけだっつうのによ」
「……」
「――俺もお前を見習うべきなのかも、な」
軽く瞑目してから武也が息を吐く。
その後で二人は、背中合わせの状態から手も振らずに別れて行った。
来る時は二人だった道程を一人で戻る。
その所為なのか足取りは決して軽いものではなく、陰鬱とした重ささえ醸し出していた。
大きな気がかり――依緒や武也のこと。そして泣いていた雪菜。先程の光景が頭から離れず、延々と彼の思考を占拠していて気持ちを下げてくるのだ。
そんな彼が縋ったのは自身の携帯電話。
春希は暫し歩みを止めて携帯を取り出すと、じっとディスプレイに視線を落とした。
「……」
最初に脳裏に過ぎったのは雪菜のこと。
彼はアドレスから雪菜の番号を呼び出して――結局、春希はその番号へ掛けることを取りやめてしまう。このまま電話を掛けたとしても雪菜は出ないだろうし、仮に出たとしても今度は伝えるべき言葉が思いつかない。
彼女とはきちんとした場を設けて話をする必要がある。そんな思いも手伝って、この場で電話するのを諦めたのだ。
次に呼び出した名前は冬馬かずさ。
すぐ戻ると伝えていたにも関わらず、連絡さえ入れず待たせたままである。さすがにこのまま直帰するのは躊躇われた。
通話のボタンを押し、携帯を耳に当てて――たったのワンコールで相手が出る。
『遅いぞ春希っ。一体なにしてるんだ? あたしがどれだけ待ったと思ってるんだよ』
『……ごめん、かずさ。今から戻るから。たぶん三十分以内には帰れると思う』
『三十分て……お前何処にいるんだよ。酒屋に行ったんじゃなかったのか?』
『それは……』
『――ちょっと待て。なにかあったのか春希? ――いや、あったんだな?』
言い淀む春希の台詞を遮り、かずさが詰問する。
僅かに彼の声が震えている。口調がいつもとちょっと違う。そんな違和感をかずさはこの短いやり取りの中で的確に拾ってきたのだ。
『……』
『言えよ。あたし達の間に隠し事はなしだ。そうだろ、春希?』
『――――――ああ。俺、雪菜に、会ったんだ』
『……そうか』
電話口の向こうから息を呑む気配を感じ取る。でもそれを極力悟られないようにしながら、かずさが言葉を被せていく。
『一人で帰って来れるか? なんなら迎えに行くぞ』
『……迷子の子供かよ、俺』
『心配なんだよ、春希のことが』
『……何も、聞かないんだな、かずさ』
『帰ってきてからでいい。話を聞くのはお前が部屋に戻ってきてからでいいよ。だから、はやく帰ってきて――』
『……っ』
春希を労るかずさの心が携帯を通して伝わってくる。
雪菜と会った。その一言で彼がどれだけ苦しい思いをしたのか察することが出来たから。だから彼女は精一杯の優しさを言葉に込めて送ったのだ。
『ありがとう。かずさの声を聞いたら少し落ち着いた』
『それはどうも。けどあたしはお前を腕の中に収めないと落ち着きそうもない。だから今度は寄り道厳禁だからな』
『……ああ。わかってる。すぐ戻るから待っててくれ』
『うん。待ってる』
じゃあ、そう言ってどちらからともなく通話を切った。
かずさとの会話を経た春希の足取りは、先程よりは幾分軽いものに変化していた。