WHITE ALBUM2 Concert route 作:powder snow
冬という季節の中でもとりわけ早朝は、強くその寒さを感じ取ることが出来る時間帯だ。夜の間に冷やされた空気が、僅かに露出した肌に痛いくらい突き刺さってくる。
出来るなら家の中で暖かい布団に包まりながら、その時間をやり過ごしたいと考える人も少なくないだろう。しかし休日や祝日ならいざ知らず、ほとんどの人は朝から活動を開始しなくてはならない。
例えば会社員。例えば学生などだ。
「はぁ……」
朱色の唇を開いて、白く靄の出る吐息を丸めた指先に吹きつける。
この時は手袋をしていなかったので、指先が凍えるほど冷たかったことをかずさは覚えていた。
首元にマフラーを纏い付け、制服の上からコートを羽織っていても、寒風は容赦なく彼女から体温を奪い去ろうと横殴りの風を叩きつけてくる。
それでもかずさは一人路上に佇み、彼が視界の先に現れるのを待っていた。
「……北原」
ぽつり、と一言だけ彼の名前を舌の上に乗せてみる。
視界の先にはかずさと同じ制服を着込んだ多くの人影が見られ、ここが学生御用達の通学路であることを伝えてくれていた。
――北原春希と冬馬かずさ。
この二人の関係は秋に行われた学園祭を皮切りにして、大きな変化を迎えていた。
図らずも小木曽雪菜という人物を二人の間に挟む込むことによって。
それもかずさの望まない方向へと。
「っ……」
きゅっと唇を噛み締め、胸の奥から押し寄せてくる不安感を黙殺する。
どうして自分が朝からこんなことをしているのか、その理由がかずさ自身にも分からなかった。
――いや、理屈では分かっているのだが、この行いに意味がないと理解していながらも、わざわざこうして春希を“待ち伏せ”してしまっている事実に驚愕するのだ。
全てはもう“手遅れ”なのに。
「……」
ただ彼に会いたい。
そんな衝動的な思いからの行動だったため、春希を見つけてからどうしようなんてプランはかずさの頭の中にはない。自分でも甚だ馬鹿だとは思うが、身体が勝手に動いてしまったのだ。
そして既にこうして行動を起こしてしまっている。
ならば仕方ないと開き直ってみたものの、彼が現れるだろう時間が近づくにつれて焦りが生まれてくるのも事実だ。
――どんな顔をして会えばいい?
――どんな風に声を掛ければいいのか。
それが分からない。
悩み、悩んで、けれど、その問題の答えが彼女の中で出る前に、春希がかずさの視界の先に現れてしまった。
瞬間、かずさの心臓がトクンと一回大きく跳ねる。
「き……たは……」
まだ二人の距離は大きく離れていて、声を張り上げでもしないと相手に届くことはないだろう。
それでもかずさは震える唇から必死に言葉を搾り出した。でも長時間寒風に晒されていた影響なのか、掠れてしまってうまく言葉が出てこない。
ならばと唾を飲みこみ、代わりに腕を伸ばしてみる。
紅葉色になっている指先が空中を彷徨いつつ、視界の先にいる春希の姿をなぞっていく。
もう二度と手が届くことのない相手。触れることの許されない相手。
でも、もしかしたら。
そんな“まさか”というかずさの思いを打ち砕くような光景が、つと彼女の前に現れた。
「ッ!」
声が届かなかったのは僥倖だったのかもしれない。
だって彼の隣には、微笑みを浮かべながら寄り添うようにして歩く雪菜の姿があったのだから。
「…………っ」
楽しそうに歓談しながら歩いていく二人の姿に、かずさの視線が釘付けにされてしまう。
並び行く二人の男女。
恋人同士なら当たり前の風景だ。
かずさの知ってる二人なら一緒に登校してきたとしても不思議じゃない。なのに、そんな当たり前のことすら失念してしまっていた自分に腹が立つ。
「あ……れ?」
本来ならこのまま二人の前まで進み出て、おはようなんて風に声を掛けるべきなのだろう。それが二人の友人たる自分が取るべき行動なのだ。
なのに、頬を伝う熱い雫がその行動を制止してしまう。
「あ、あたし……馬鹿だ」
一歩、後ずさる。
早鐘のように鼓動が波打ち、身体を圧迫して行く。その証であるかのように、彼女の口元から吐息が白い靄となって溢れだしていた。
このまま二人を見つめていたら胸が張り裂けてしまうのではないか。
そんな感情がかずさに踵を返させた。
「っ!」
つい先ほどまで、焦がれるほど会いたいと思っていた相手が目の前に現れたのに。今は一歩でも遠くへ離れたいという思いから彼女は駆け出してしまう。
振り返る余裕なんて皆無だ。
そんな焦りからなのか、かずさは目測を誤りつんのめって転倒してしまった。
「あっ!」
派手な転倒のわりに、幸い肘を少し打ちつけた程度で大きな怪我は見られない。
けれど――
「……うぅ……本当に、馬鹿だ……あたしは……」
痛くて、痛くて、とても痛くて。
彼女はその場から立ち上がることも出来ず、しばらくうずくまり続ける。そんなかずさの頭上から、はらり、はらりと白いものが降りかかってきた。
「…………ゆ、き?」
アスファルトについた手の甲に。彼女の麗しい黒髪に。そして肩先に。
空から舞い落ちてきた淡い雪が降り積もる。
彼女は、はたと顔を上げて――濡れた瞳で灰色の空を見つめたのだった。
「……なんで今更こんなことを」
三年前の苦い記憶を思い出してしまい、かずさは思わずきつく柳眉を寄せてしまう。そうさせてしまった光景を脳裏から追い出す為だろうか。手にしていたカクテルグラスの中身を一気に煽った。
きっと雪菜と会って、そして昔のことを話してしまったから思い出してしまっただけ。
そう結論付けて、かずさは手に持っていたグラスをテーブルの上に戻した。
「どうしたのかずさ? なんだか難しい顔してるよ?」
「なんだよ難しい顔って。あたしそんな変な顔してたか?」
「うん。こうね、眉毛をきゅうぅって寄せて、まるで渋柿みたいだった」
「……はは。渋柿は酷いなぁ。ちょっと昔のことを思い出してただけだって」
場所を駅前にあるショットバーに移してから、かずさと雪菜は改めて話をすることにした。
薄暗い店内には落ち着いたBGMが奏でられていて、盛況とはいわないまでも幾人かの客の姿も見える。二人はそんな客から少し距離を取るように壁際にあった二人掛けのテーブルを選んで腰を落ち着けた。
会話はまず互いの近況報告から始まった。とは言っても最後に会ったのは三年前の空港なので、それ以降――かずさはウィーンでの出来事を、雪菜は大学に進学してからの話が中心となる。
最初は当人に関してだけだった話も、やがて春希のことを交えて話すようになり、そして最後にはかずさと春希が同棲しているという現在のことにまで及んだのだ。
当然長い話になったので、その間に二人は結構な数の杯を空けることになる。
「昔のこと?」
「……ああ。三年前の――まだ春希と雪菜が付き合ってた頃のこと。雪がしきりに降ってた頃のことさ」
単なる思い出話では終わらない。当然相手の事情に深く切れ込むこともあった。そのおかげで急速に離れていた時間の溝を埋めることは出来たが、代わりに辛い気分を味わう場面も見られた。
雪菜にも。かずさにも。
いっそ耳を塞いでしまいたい。そう思った瞬間さえあったろう。
けれど胸の奥がチクチクと痛むような感覚に苛まれながら、ある意味これも贖罪なのだと二人は目を逸らすことはしなかった。
「……」
そんな雪菜が、対面に座るかずさから初めて目線を逸らした。一旦外した視線は右へ左へと動いている。けれど戸惑っているというよりは思案しているという風に表情は落ち着いていた。
一体何を思うのか。
雪菜は口元を引き締め、一度だけ大きく頷くと、改めてかずさに向かい合いこう言い放った。
「かずさ。わたし、知ってたよ」
「え?」
「かずさが春希くんのこと好きだったって、知ってた。知ってて割り込んだんだ」
「雪……菜?」
「こうして目を閉じるとね、今でも鮮明に思い出せる。夕焼けに染まる屋上に一人で佇んで、わたしは耳を澄ますの。そこにはひたむきに頑張ってるギターの音と、綺麗なピアノの音色が響いていて……。WHITEALBUM――二人のセッションがとても素敵だった」
言葉と同じように目を閉じて、胸元に両手を添える雪菜。
彼女は今、あの時の光景を瞼の裏に思い浮かべているのだろうか。
「その時間が本当に好きで。それと同じくらい羨ましいって思ってた。仲間に入りたいなぁ、一緒に演奏できたらどんなに素敵だろうなぁって」
「でも、雪菜、あたしたちは――」
「うん。その願いは叶ったよ」
目尻を下げて雪菜が微笑む。
「春希くんに出会って、軽音楽同好会に誘ってもらって、そしてかずさに会った。他にも依緒や武也くんや色んな人と関わって。わたしにとっての最高の時間だったよ。ずっと、ずっと三人で、そんな時間を紡いでいけたらなぁって願っちゃうくらいに。でもね――」
でもと口にして、雪菜の声のトーンが若干下がる。
「あの学園祭の日に転機が訪れた。日も落ちて、薄暗くなった第二音楽室で――わたし見たの」
「見たって……なにを……?」
「かずさがね、眠っている春希くんにキスしてるところ」
「ッ!?」
「それを見て思ったのよ。このままだとわたしは仲間はずれにされちゃうかもしれないって」
「ばッ――馬鹿なこと言うなっ! あたしが……春希が……雪菜を仲間はずれにするわけなんてないだろっ!」
「うん。馬鹿だよね、わたし。でも怖かったんだよ。だから二人の間に入り込んで居場所を作ろうとしたの」
雪菜が胸の前で重ねた手。その指が痛いくらいきつく握り締められている。
「かずさが春希くんのことを好きだって知ってた。春希くんもかずさのことが好きだって知ってたんだ。でもあの時ならまだ間に合うって、そう考えちゃったの」
「せ、雪菜……」
「三人で一緒にいられる素敵な時間を失いたくなかった。正直に言っちゃうとね、あの時点ならかずさに勝てるって打算はあったんだよ。彼があなたの気持ちを知る前なら――わたしから告白すれば春希くんは断らない。断れないんだろうなぁって」
「それで……告白、したのか……春希、にっ!」
「………………。思った通り春希くんはわたしを受け入れてくれた。これで三人でずっと一緒にいられる。そう、思ったんだけどなぁ」
「――わけないだろ」
かずさの身体が小刻みに震えている。
それは怒りからくるものか。それとも悲しみからくるものか。
「そんな状態で、三人一緒なんて、いられるわけないじゃないかっ」
「どうして? あの頃、かずさは楽しくなかった?」
「楽しかったに決まってるっ。雪菜みたいな良い子があたしの友達になってくれて嬉しかったし、毎日新しい発見があって、初めて日常が色のある風景に見えた。大袈裟かもしれないけど、生きてるって実感さえあったさ。でも、それも学園祭までの話だ。春希が雪菜と付き合いだしてからは……一緒にいるのはとても辛かった」
それも心が壊れるくらいに。
だからかずさは壊れてしまう前に二人の前から姿を消そうと思ったのだ。
「春希が笑うんだよ。雪菜に向かってさ。そして雪菜が最高の笑顔で迎えるんだ。そんな光景、間近で直視できるわけないじゃないか。それに、あたしなんかより、雪菜と一緒にいる方があいつにとっていいに決まってるって……」
「……」
「なのに春希はさ、あたしが必死の思いで身を引こうとしたのに、冬馬、冬馬ってかまってきて。……あははは、あの時は本当、毎日が地獄だったよ」
「かずさ」
「あいつに好きだって言ったら止まらなくなる。だから決して気持ちは伝えられない。そう思ってた。――でも駄目なんだよ。春希の近くにいたら自分が押さえられなくなりそうで……必死に我慢して、作り笑い浮かべて。なあ雪菜、あの時のあたしがどれだけ惨めな思いをしていたか、分かるか?」
「じゃああの時の笑顔は全部嘘だったの? クリスマスに三人で温泉旅行に行ったよね? わたしのことそんなに嫌ってた?」
「嫌いなものかっ! 嘘なもんかっ。雪菜のことが嫌いになれるくらいなら、あたしはウィーンになんか逃げてない」
「っ……!」
「三人でいることは楽しかったさ。明日もまた一緒に集まれたら、なんて考えない日はなかったよ。けどそれと春希のことは別なんだよ。分かるだろ、雪菜なら」
かずさが目線をテーブルへ落とし、グラスを握り込む。
「あたしには春希だけ、あいつだけなんだよ。雪菜は他にも沢山のものを持ってるじゃないか。抱えきれないくらい素敵なものを持っているじゃないかぁ。なのにあたしからあいつまで奪おうとしないでくれよ……」
「……春希くんに告白した当初はかずさほど彼が好きじゃなかったのは認める。でもそれもすぐに変わった。彼と話をするたびに、彼の優しさに触れるたびに、彼とキスするたびに春希くんに惹かれていったの。かずさがウィーンへ旅立ってからもずっと傍にいたのはわたしなんだよ」
「……っ」
「今じゃかずさにも負けてないって自負があるもん」
そう言って、雪菜はグラスに残っていた中身を一気に喉の奥に流し込んだ。
それから若干座った目でかずさを見つめて
「わたしは春希くんのことが好き。大好き。だから――謝らないよ」
「……あたしだって春希のことが好きだ。雪菜にも負けるもんか」
「うん、知ってる。だからかずさも謝らないで」
謝罪はしないし、謝罪はいらない。そう雪菜が強く言い切った。
どちらがどの件に対してと口にはしていないが、当人達にはよく分かっている。
「……」
「……」
お互いここまで一気に巻くし立てた影響なのか、ここで一旦会話が途切れた。二人とも若干ばつが悪そうに視線を泳がしているのは、思いの丈をぶちまけた所為だろう。
長年心の奥に溜まっていた泥を少しは吐き出したのだ。
清々しいとまでいかなくとも、二人とも幾分身体が軽くなったような心地を覚えていた。
「……」
ここで一度場を仕切り直そうと思ったのか、雪菜が手を上げて店員に注文の意思があることを示す。
次のカクテルが作られ、運ばれてくるまでの短い間。その間を利用して、二人とも興奮気味だった心を落ち着けようと試みる。
結局新しい品が届くまで二人とも口は閉じたままだった。
「わたし、かずさが羨ましいよ」
「………………え?」
唐突な雪菜の台詞に、グラスへと伸ばしかけた手をかずさが止める。
「羨ましいって、あたしを? それって冗談だよな?」
「どうして? わたしがかずさを羨ましいって思ったら変かな?」
「変だろ。あたしが雪菜をって話なら分かる。けどその逆は誰も納得しないと思うぞ」
「……はぁ」
かずさの返しに対し、溜息にも似た吐息を零す雪菜。
「春希くんの一番はいつだってかずさ。あなたなんだよ? 恋敵として、こうもかずさばかり贔屓されたら羨ましくもなっちゃうよ」
「いつ、あたしが春希に贔屓されたって言うんだよ?」
「ずっとだよ。三年前からずっと。学園祭の前も後も。そして今もそれは変わらない」
「それは嘘だ。少なくとも雪菜といる時は春希はお前の方を見ていたじゃないか」
「んー、距離感っていうのかな、それが違うんだよ。わたしとは一歩……ううん。半歩距離を置いてる感じかな。でもかずさと春希くんの間にはそれがないの」
「えと、その例えがよく分からない」
「良く言えば気心が知れている間柄? 悪く言えば遠慮がないって感じ。春希くん、かずさには思ったことズバっと言っちゃうところあるよね?」
「そんなの良いことばかりじゃないぞ。あいつの説教癖知ってるだろ? ことあるごとにねちねちと指摘されるこっちの身にもなってくれ」
「わたしも説教されたいんだよっ! 春希くんにっ!」
駄々を捏ねるかのように唇を尖らせて、雪菜が軽くテーブルをパンッと叩いた。
酔っているのか、何処となく仕草が子供っぽくなっている。
「かずさばっかり、ずるい」
「ずるいって……雪菜、酔っ払ってるのか?」
「ええ酔ってますよぅ。いくらかずさ相手でも素面でこんなこと言えないもん」
「……」
グイっとグラスを傾ける雪菜。
酔ってはいるが、これは紛れもなく雪菜の本音だった。お酒の力を借りて、見えない壁を取っ払う。
「かずさが羨ましいぃぃ!」
「……じゃあこの際だからこっちも言わせてもらうけど、雪菜は三年間ずっと春希の傍にいたんだろ? あたしは遠くウィーンにいたんだぞ。会いたくても会えない。声さえ聞けない環境でどれだけ寂しい思いをしたと思ってるんだ」
「確かに春希くんの近くにはいたけど、それはそれで辛いことも沢山あったんだよ」
「辛いって、例えば?」
「なら想像してみて。春希くんに声をかけても素で無視されるの。正面から顔も見てくれない。知らない人だって言われたこともあるんだよ?」
「それは……」
「彼がどんどんわたしから離れていくのに、身体だけは近くにあるなんて、ある意味拷問だよ」
もしかずさが春希に声を掛けても無視されたら。果ては知らない人だとしらを切られたら。きっと彼女は泣いてしまう。というか泣く。号泣する。
とても耐えられるレベルの話ではない。
「そんな思いをしてまで耐えて、やっと心が近づいたと思ったら――ホテルでわたしを抱こうとする直前までかずさ、かずさ、かずさって、いい加減切れちゃっても仕方ないよね?」
「……」
「わたしも悪かったけど、鈍感で朴念仁すぎる彼も悪いんだよ。かずさもそう思うでしょ!?」
「…………まあ、あいつが鈍感で朴念仁なのだけは同意するけど……」
微妙な言い回しでかずさが言葉を濁す。
だって自分のことが好きで、優先しすぎた所為で雪菜の反感を買ったと聞かされても悪い気分はしないのだ。
遠く離れていた頃には雪菜と春希がそうなっていてもおかしくないと思っていたのに、春希がかずさを忘れるどころか、ずっと思っていてくれていたと他ならぬ雪菜に断言されれば嬉しくもなる。
顔もにやけるというものだ。
「なによ、その顔?」
「……別に」
「うー。そして今度は、久しぶりに顔を会わせたと思ったら既にかずさと再会していて同棲してるんだよって聞かされて……。わたしが一人でどれだけ泣いたと思ってるのよぉ……」
「それは、あたしでも泣くだろうけど……」
「引き篭りながら何とか折り合いをつけてね、こうしてかずさと話を出来るまでにもってきたけど、わたしだって切羽詰まってるんだから。これでも結構無理してるんだからね?」
「あ、うん。それは……分かるよ」
立場的に三年前と逆転しているようなものだ。
当事者だったかずさには雪菜の心の痛みが幾分か理解できる。かといって引けるものでもないので、返答に困ってしまうのだ。
「北原春希の馬鹿ぁ。大馬鹿ぁっ。……でも、でもね、そんな春希くんのことが好きで堪らないんだよ。どうしても彼は悪くないって思っちゃうんだよ」
「少し飲み過ぎじゃないか? もう出よう雪菜。あたしが家まで送っていくからさ」
「ううん、違うね。春希くんは悪くない。かずさも悪くない。悪いのは……わたしなんだ」
両腕を枕にしてテーブルに突っ伏した雪菜の肩にかずさが手を伸ばす。
ちょうどそのタイミングだった。
かずさが持ってきていたバッグの中から携帯の着信音が鳴り響いたのだ。
急ぎ取り出したそのディスプレイに表示されていたのは――
「え? は、春希!?」
それは、二人の話題の中心人物たる北原春希からの着信だった。