WHITE ALBUM2 Concert route   作:powder snow

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第二話

「なにか悩みがあるなら言ってみろ。あの記事をお前に書くように言ったのは私だからな。少し責任を感じてるんだ」

「そんなっ。麻理さんは何も悪くなんてないです。俺が自分の意思で書いて、色々思いだして……悩んでるだけで」

「ほら、悩んでるって言った。なあ北原。喋るだけでも楽になるものだぞ? 言い難いなら上司へ報・連・相してると思えばいい」

 

 麻理に促され春希が自販機でコーヒーを買って戻ってきたら、既にケーキが八等分に切り分けられていた。それを飾り気のない紙皿に移し、缶コーヒーで乾杯する。

 普段二人が仕事に使っているデスクをテーブルに見立てて。

 

「……報・連・相って、全然色気のない言い方ですよね」

「気楽に話して欲しいだけだ。それともお前、私相手にそんな展開を望んでるのか?」

「まさか。麻理さんに……なんて恐れ多くて」

 

 まさかと否定された部分で麻理の表情が若干険しくなる。

 麻理はどういう意味だと突っ込みたかったが、今興味を持つのはそこではないと自重した。

 

「前にも言ったけどな。お前には危うさが付き纏ってるんだ。バイト先、ここだけじゃないだろ?」

「……はい」

「開桜グラフだけでも大変な仕事量だ。そこに他のバイトを掛け持ちして、しかもお前は学生の身だ。なのに私には、それら全てを完璧にこなしてるお前しか想像できないよ」

「なら、問題ないってことじゃないですか?」

「大ありだ。北原。お前平均睡眠時間どれくらい取ってる? 私が言えた義理じゃないが、無理しすぎだろ」

「無理なんて、してません」

「してるよ。無理して働いて、忙しさにかまけて考えないようにって。それって逃避してるだけじゃないのか?」

「そんな……」

 

 麻理の放った逃避という言葉に春希は絶句する。

 まさしくその通りだったから。

 かずさとの別れ。雪菜を傷つけた責任。自身の置かれた境遇。考えるべきことや去来してくる思いを振り切るには、多忙な中に自身の身を置くのが最適だったのだ。

 

「分かるよ北原。私にも似たような経験があるから」

「麻理さん……」

「けどな、それじゃ何の解決にもならないんだ。前に進んでることにはならないんだ。だから、話してみないか?」

 

 麻理はそこまで言ってから一旦言葉を切った。この先は春希のリアクションがなければ進まない。

 だから根気強く待つ。

 二人しかいない編集部に沈黙が落ちる。壁掛け時計の秒針が奏でる音が聞こえるくらいの静寂。普段大勢の人間でひしめいている空間が二人きりだとやけに広く感じられた。

 一分経ち、二分経ち、五分経ち。春希は考えを纏めているのか口を開かない。それでも麻理は彼が喋りだすまで催促しなかった。結局根負けしたのは春希のほう。

 彼は小さい溜息をついてから麻理に自分の胸の内を吐露し始めた。

 

「……俺、冬馬かずさのこと忘れてなかったんです。ずっと忘れてなかったんです」

「そのことが原因で恋人と喧嘩でもした?」

「似たようなものですね。はっきりと拒絶されました」

「へ、へえ。……そうなんだ」

 

 一度口火を切ると思いが止まらなくなった。かずさのことを話すのに夢中になる。だから春希は麻理の微妙な反応を見過ごしてしまった。

 普段なら気づけたかもしれない些細な反応を。

 

「あいつと離れてから三年経ちました。もう二度と会わないって。だから俺がすべきことはあいつを忘れることで、思い出にしてしまうことが正しいのに……今でもあいつのこと好きだったんです」

「冬馬かずさと付きあってた?」

「だったら良かったんですけどね。現実は俺の我侭があいつを傷つけて、大切な人を傷つけて、全てを壊してしまった。間違えてるって知ってて突き進んだ結果なんです。全部俺が……悪いんです」

「辛ければ辛いほど自分を責めたくなる気持ちも分かる。けどな北原。そういう言い方をするな。往々にして当事者全てに責任があるものなんだ」

 

 春希は全ての責任が自分にあるといい、雪菜は自分が割り込んだせいだと思っていて、かずさは自分が裏切ったせいだと信じている。

 この複雑で難儀な関係を今の台詞から察しろというのは不可能だが、それでも麻理は春希の様子から三年前に心に傷を負う何かしらの出来事があって今でも尾を引いていること。

 そのことに深くかずさが関係していることは読み取った。というか、そこしか読み取れない。

 三年前の峰城大付属での文化祭。そのライブ映像が収められたDVDを見た限りでは、冬馬かずさと北原春希の関係は良好に見えた。だからその後に何かあったのだろうと。

  

「そんなことないです。本当に俺が、俺だけが悪くて……」 

「私が知ってる北原ならそう言うと思ったよ。けど一つだけ得心した。そういう事情があったから最初に書いた記事がやけに他人行儀だったんだな? 冬馬かずさの面影と直面するのが怖かったんだ」

「……ですね。俺があいつのこと忘れてないって認めたくなくて。……忘れられるわけないのに。そんなの俺自身が一番よく分かってたっていうのに」

 

 春希がかずさのことを忘れ去る。

 それが一番彼の周りの人々を幸せにする道なんだと、他ならない春希自身が理解していた。だから今宵、彼は全てをリセットして一から始めようと雪菜に持ちかけた。

 もう十分傷ついた。悲しい思いはもう沢山だと。

 雪菜と一緒に生きていこうと決意した。

 その為に自分の心を殺し、嘘をついてまで求め――――結局、土壇場で彼女に見破られた。

 

「麻理さんにOKもらった記事、あれ実は一時間で書き上げたんですよ。あいつのこと書くって決めたらもう止まらなかった。以前終わったことだって言ったけど、全然終わってなかった。――恋の傷を恋で癒せてなかったんです」

「……そのフレーズはもうやめてくれ。顔から火が出ちゃうだろ。それとも分かってて言っているのか?」

「はは。麻理さんでも照れたりするんですね。そういう反応が見られるならやってみる価値はあります」

「お前な」 

「冗談ですって。でも可愛いなって思いますよ」 

「ば、馬鹿っ。可愛いとか、上司をからかうな」

 

 少し怒った素振りを見せ春希の反応を窺う。対する春希も普段編集部で麻理に見せているような対応を示すようになってきた。

 でも麻理は春希のそれが空元気だと見抜いていた。無理に明るく振舞っていると。しかし例え嘘でもそういう風に振舞えるようになったのなら甲斐があったものだとも思う。

 それくらい今日の春希は危うく見えた。

 もし冬馬かずさのことが無かったら、もう少し踏み込んでもいいかもしれない。

 そう考えてしまうくらいには。

  

「なあ北原。私は運命なんて言葉は信じないけど、もし仮に運命というものがあるなら今がその分岐点だと思うんだ」

「麻理……さん?」 

「チャンスなんじゃないか? 先程の申し出は渡りに船だ」

「……あ」

 

 話の方向性が変わったことに気づく。

 先程麻理は、冬馬曜子オフィスから春希宛にコンサートのチケットを送る旨があることを伝えてくれた。

 

「大晦日から元旦にかけてのニューイヤーコンサート。そこに行けば会えるかもしれないぞ、冬馬かずさに」

「……正直言って怖いです。あれから三年ですよ? かずさだって俺のことなんか忘れてるに決まってる。それを……目の当たりにするのは辛いです」

「けど今の話を聞く限りではお前の中で冬馬かずさは思い出になっていない。やっぱり直接会うのが一番の解決策なんじゃないのか?」

「解決策?」

「私にはお前を縛っているものの正体は分からない。けれど彼女が重要な鍵になっているのは分かるつもりだ。だからお前は会うべきだと私は思う」

「……っ」

「アンサンブルの名前を出せば冬馬曜子にアポを取ることは可能なんじゃないか? なら娘の冬馬かずさにだって――」 

「少し、考えさせてください」

 

 麻理の言葉に被せるようにして春希が保留の意思を示す。だが保留とは名ばかりで、春希の声音には強い拒否の感情が込められていた。

 そのことに麻理は狼狽する。

 

「あ、いや、別に私は強制してるわけじゃないんだ。ただお前のためを思って――」

「分かってます。けど、今はどうしても決断できません。……ごめんなさい」

「……悪かったよ北原。どうやら私のエゴがお前を追い詰めてしまったみたいだ」

「いえ、俺の方こそ麻理さんの気遣いを無碍にしてしまって……」

「悪いのは私だ」

「だから俺の方が」 

「ふふ。ならおあいこだな。手打ちにしてお互い謝るのはなしにしよう」

 

 少し踏み込みすぎたかもしれない。

 そう思って麻理が距離を取る。

 

「北原。今日はもう帰れ。戻ってゆっくり休むんだ」

「え?」

 

 帰れという言葉に春希が敏感に反応する。

 拒否されたように感じて、一度は消えかけた胸の内の冷たさが再び春希を苛みだす。麻理と会話していて幾分は収まってきたものの、元凶は取り除かれていない。

 それはちょっとした切欠で暴れだす。

 

「俺、邪魔、ですか?」

「だから泣きそうな顔をするんじゃない。かまってやりたくなるじゃないか」

 

 春希を安心させるように微笑み、麻理が両腕を広げる。

 

「言葉以上の意味はないよ。それともお前、朝までここで過ごすつもりだったのか?」

「麻理さんさえ良かったら仕事手伝わせてもらおうかなって」

「それこそ無用な気遣いだ。さあこれ使って帰るんだ」

 

 そう言って麻理は自分の財布から一万円札を取り出すと、春希の手を取り握らせる。

 

「今から駅に向かっても終電に間に合うか微妙だからな。タクシーでも拾ったらどうだ?」

「でも……」

「二度は言わないぞ。――ケーキありがとう北原。美味しかったよ」

 

 拒否したんじゃないからな。そういう思いを込めた笑顔を見せられてはこれ以上居座るわけにはいかない。

 もう少し麻理と話していたい。そんな後ろ髪を引かれる思いを断ち切って、春希は編集部を後にした。

 ビルから一歩外に出れば真冬の寒気が春希を包み込む。けれど先程まで降っていた雪はもう止んでいて、足元にその名残が少し残っているのみだった。

 

 

「……寒い」 

 

 踏み出す足が薄く積もった雪を踏みしめる。

 サク、サクっと小気味良い足音が耳に届くが、対照的に彼の足取りは重かった。

 吐く息は白く、澄んだ空気が肌に突き刺さって痛い。だから春希はコートのポケットに手を突っ込んで背中を丸めて歩いていた。

 開桜社を後にした春希は、真っ直ぐ御宿駅へと向かっていた。時間的に終電に間に合わないだろうが、そこでタクシーを拾って帰宅しようと考えていたからだ。

 慣れ親しんだ道順は、考え事をしていても自然と彼を目的地に誘ってくれる。

 

「あ……」 

 

 恐らく終電直後にかちあったのだろう。駅前にはタクシー待ちをしている大勢の人の姿があった。中でもスーツを着込んだ人の姿が目立ち、クリスマスにまで仕事をしていたのだろうかと、春希は自分を棚上げた感想を抱いてしまう。

 その列に並ぶため春希が歩き出す。

 歩を進めながら視線を揺らし、列の最後尾を確認して――最中、春希の視線が最前列へと吸い寄せられた。

 

「……え?」

 

 ドクン、と心臓が大きく跳ねた。

 目線が今まさにタクシーに乗り込もうとしている一人の女性に釘付けにされる。旅行中なのか大仰なトランクが目を引くが、春希は彼女の他の特徴に心を奪われていた。

 街灯の下で夜風を受けて靡く長い黒髪。

 そして三年前と変わらない――いや、それ以上に綺麗になった横顔。

 

「かず……さ?」

 

 呟く声は夜空に吸い込まれ、それと同時に彼女の姿が車内へと消えていく。

 

「かずさッ!」

 

 考えるよりも先に身体が動いた。無意識に彼女の名前を叫びながら、駆ける。

 既にタクシーは扉を閉め発車しようとしている。

 なんとしても動き出す前に捕まえたい。そんな春希の思いを嘲笑うかのように、大勢の人々が壁となって彼の前に立ちはだかる。

 

「……っ! すいません! どいてっ、どいてくださいッ!」

 

 目指すべき場所までに障害があることにイラつく。さっきまでまるで興味の無かった人の群れが全て敵になったかのように錯覚してしまう程だ。

 時間にしてそれは数秒だったろう。

 だがその時間が運命を分かつ。

 春希が目的の場所に到達した時、既にタクシーは発車した後だった。

 

「くそっッ!」

 

 突然踊り込んで来て悪態を吐く春希に周囲から奇異の視線が向けられる。けれど今の彼にそんなことを構う余裕など無かった。

 春希はすぐに次のタクシーに乗り込もうとしている人物に

 

「順番、俺に譲ってください!」

「え?」

「どうしても必要なんです! お願いしますっ!」

「待てよっ。皆並んでるんだぞ」

「あ……!」

 

 後ろから肩を掴まれ引き戻される。

 強引にタクシーに乗り込もうとした春希の思惑は、当事者ではなく後ろに並んでいる人物に阻止された。

 視界の隅では彼女を乗せた車が消え行こうとしている。

 考える時間が惜しい。ここで問答をしている暇はない。

 

「……ッ!」

 

 結局春希は自分の足で彼女を追うことを選択した。

 信号待ちでも何でもいい。止まってくれさえすれば。一瞬でも追いつければそれでいいのだ。

 

「間にあってくれ。届いて、くれよ!」

 

 彼女に会うのが怖い。考えさせて欲しい。まだ決断できません。

 全て先程麻理に向かって彼が放った言葉だ。しかしそんな絵空事は彼女を目の前にした瞬間吹っ飛ぶ程度の――

 

「……ハアッ、ハアッ! かずさぁッ!」 

 

 既にタクシーは角を折れ春希の視界から姿を消している。

 だから全力で駆けた。体内にある血液を総動員し速度を上げ、一秒でも早く彼女に追いつくために。

 

 ――あと少しで角を折れる。

 ――その先に信号があったはずだ。

 ――きっと間に合う。手は届く。

 

 慣れない全力疾走の仇なのか。ともすればバランスを崩し転倒しそうになる。それでもあの角を曲がるまで持てばいい。

 そう春希は願い、走った。

 

「………………あ、ああっ」

 

 届けと祈ってしまった。

 会いたいと願ってしまった。

 だからだろうか。春希が角を曲がった時、既にタクシーは彼の視界には無く、何処か遠くへと走り去った後で。

 

「はあッ、はあっ……何、やってんだ、俺……」

 

 もう自分を支えていられなかった。

 春希は膝に手を置いた姿勢で身体を休め、暴れる鼓動を収めようとする。全力疾走の証である汗が全身から吹き出ていた。額から流れるる雫が頬を伝っては地面に落ち、薄く積もった雪を溶かしていく。

 

「いくらなんでも馬鹿すぎるだろ。かずさが、日本にいる訳なんてないのに……」

 

 彼女は今ウィーンにいる。その現実を彼は嫌というほど知っているし、自覚していた。

 今日は色々あったから。ありもしない幻影を見たんだ。

 そう無理やり納得させるしか、心の安寧を保てない。

 

「……駄目だ。また……」

 

 一度は麻理の優しさに癒された心が再び凍っていくのを春希は感じていた。

 身体の内から起こる奮えが彼を許してはくれない。

 

「………………会い、たいな」

 

 いっそ泣いてしまえれば楽になれるのかもしれない。何もかも放り出して喚けば、少しは心が解放されるかもしれない。

 けれど雪菜に対してしてしまった事実を考えれば、自分だけ楽になるなんて許されることじゃない。

 北原春希という人間の責任感がそれを許可してくれないのだ。

 

「……帰ろう」

 

 その後、気づいたら南末次の自宅マンションの前にいた。

 どうやって帰りついたのかすら定かじゃない。おぼろげながらタクシーに乗り込んだところまでは覚えていたが道中の記憶がさっぱり思い出せないのだ。

 踏み出す足が一際重く感じる。

 自分の家へ帰るだけなのに、まるで敵地へ赴く兵士のように悲痛な気分が襲ってくるのだ。

 

「……なんで」

 

 だから絶句した。

 誰もいない自室に辿り着いた後、凍えた心を抱えたまま震えて眠れない夜を過ごすんだって。

 そう思っていたから。

 

「おかえり、春希~。やっと帰ってきてくれたね」

「……和泉?」

 

 マンションの玄関口に座りこんで笑顔で迎えてくれる和泉千晶の姿を見て、春希は胸が熱くなってくるのを堪えることができなかった。

 

 

 

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