書道家として仕事をこなしていた男がいた。あるコンクールで館長に「——つまらない字だ」と言われ衝動的に殴ってしまった。
それが良い意味でも悪い意味でも、その男の人生を左右した。
その男――清舟の父は、息子のやらかしたことに向き合い昔、自分が修業として行っていたお世話になった島へと清舟を住ませることにした。
そこで清舟はいろいろな人と出会い成長していった。
自分というものを見つめなおし、自分なりの書道を確立した清舟は一度は住居を東京に戻したが、3年前にまたこの石垣に戻ってきて田舎暮らしを続けている半田(はんだ)清舟(せいしゅう)、今年で30歳となる。
清舟の一日というものは至って平凡である。
最初に此処に強制送還された時は、何一つ料理は作れずに、挙句の果てには包丁を持つことさえ、周りの人達から止められるほどだった。
なので、近所に住んでいる、彼の父の友人である木戸家の家内である朋子さんが、3食お世話していたのだ。しかし3年前にまた住み始めてからは、彼は生活の面でもコツコツと独り立ちをしていき最近では、木戸家にオカズなどを持っていきアドバイスをもらっているほどである。
島の人と会ってから、中の空白の時間を入れたら7年ほどの付き合いとなる。
初めは彼の仕事である書道家と言う肩書を聞き、警戒と言うよりは島民自身も仲良くしていけるか心配であったが、今では青舟も立派な島の一因だと誰もが認めている。
コツコツと鍋のふたが音を立てて開閉する。それを見て彼が火を消すのと玄関のドアが開かれるのはほぼ同時だった。
「おっはよーー! 先生!」
「なーるー。いつも言っているだろう、そんなに勢いよく開けたらドアが壊れちゃうだろ?」
金髪と聞けば少し抵抗がある人も少なからずいるのかもしれないが、今豪快にドアを開けて家の中に入ってきた、琴石(こといし)なる には、その天真爛漫な笑顔と、いつでも笑顔でいるその明るさからその金髪がなぜか似合ってしまう。
琴石なるは、この島で初めて清舟と友人になった女の子だ。
清舟からすれば、子供の世話をしてやっているという様に接していたが、傍から見たら子供同士が遊んでいるようなものだった。しかしそれゆえに二人の相性は良かった。
初めて二人が出会った時は、なるが小学校1年生の時なのでそれから7年という年月が流れ、今では中学二年生である。初めは孫にも衣装という様な感じだった、制服も今はなるが着こなしている感じでもある。
毎朝、彼女は少々中学校が遠くなるのも気にせずに、半田家に食事をとりに来る。
最初は清舟自身も「食費がーー」「静かに食べさせてくれー!」などと、抵抗を見せていたが、それを無駄な努力だと3日ほどで気づきそれを日常として受け止めたのだった。
「なる! ご飯よそってくれ。あと、コップに氷入れて水も頼む」
その言葉になるは、「あいさっ!」と元気よく返事をすると、どこに何があるかはもう知り尽くしているという様な無駄のない動きで準備を手伝う。
それから数分後には、小さな丸テーブルに湯気が立つ味噌汁と、ご飯、きゅうりの糠漬けと、サンマという、いかにもと言った、だが健康的な理想の朝食が完成していた。
静かに「いただきます」という対面では、なるが対照的に元気な声で「いただきます!」と手を合わせて言う。
普段と何も変わらない食事だった。
なるが学校の事、最近の友達との遊びの話など終始話し続け、それに清舟が相槌をうつと言った感じで時間が過ぎていく。
「——髪、伸びたな」
見る人、見る人がその顔を見たら自分までお腹が空いてきそうな風に感じてしまうほど、おいしくご飯を頬張るなるを見て、清舟はトークのネタとして狙って発したわけではなく、ポツリとそう漏らした。
この島で会った時の当初のなると今では、行動力はそのままだが見た目は結構、変わっているのかもしれない。 半袖短パン、髪は短くサイドを少し束ねていた程度だったなるが、今では腰に届きそうなほど髪が伸びている。直毛という訳ではないが、所々くせっ毛がぴょんと跳ねているところなんかは、なんともなるらしい。
「先生は髪伸びてる方が、好きっちゃろ?」
視線は食事からそらさずに、大して気にもせずという様に装っているなるだが、長い付き合いの賜物とでも言うのか、感覚的になるが自分の返事を聞き洩らさないように集中しているのが清舟には分かってしまいは少し困惑する。
前に、清舟の両親が島に来ていた時に「先生のお母さんは髪長いんね。先生も髪長い人が好きかあ?」と聞かれた時には、何ともはっきりとしない返事を返したはずだが、そこからなるが髪を伸ばし始めたのもまた事実なのだ。
島の人達は突然髪を伸ばし始めたなるを不思議がっていたが、なるもそこは上手く対応していたらしい。
少なからず自分が起因しているというのに、似合わないと言う選択肢はもとより無い。それに、髪を長くしたなるは、贔屓目などを抜かしたとしても似合っているのだ。
それなら、嫌いという選択肢がないのなら「はい。好きです」と素直に答えてしまえばいいのだが、それでは30歳の大人がケツの青いガキんちょに一本くらわされた感があると感じる清舟は、今だ心は無垢な子供と変わらないのか抵抗してみせる。
「別に好きという訳ではないぞ・・・・・・いや、でも決して嫌いという訳でもないんだが・・・・・・ああ! もういい、この話はお終いだ」
「先生の悪い所やね。そうやってすぐに話題を変えてシラを切るのは、なるは嫌いじゃ・・・・・・。先生が短い髪が良いなら、なるはそうするし、長い髪が好きならこのままにするんよ」
いつの間にか箸を置き、清舟の目を真剣な眼差しで見つめるなるに、圧される清舟。なるの話す言葉は理解はできるが、認めたくはないと思っているのが清舟の本音だ。
なるが純粋無垢な目と言うよりも、少し濁ったような危なっかさが見え隠れするような瞳を、自分に向けるようになったのは、なるのじいちゃんが、4年前に亡くなった時からだった。
清舟自身も非常にお世話になった人だ。
その知らせを聞いて、東京で書展の大事な話し合いを急遽切り上げ遠く離れた石垣まで駆けつけるぐらいには、清舟の中でも大きな人であった。
なるの両親はなるの小さい頃にに他界してしまっている。なのでなるは、じいちゃんと二人暮らしをしていたのだ。
清舟でさえ、悲しみ涙をしたのだ。なのに、そのお通夜・葬式を通してなるは――泣かなかった。
ずっといつものヒマワリのような笑みを浮かべていた。
そのなるが、涙したのは一段落ついて清舟が東京へと帰ろうとした時だった。
確かに島を離れるときも、少しの間帰省するときでさえ、なるは一番寂しがってくれていたのは、鈍感な清舟でさえ気づいていた、だが、空港のロビーで腰に手を回され「・・・・・・いかないで・・・・・・先生」と泣きつかれた時は、周りにいる美和や珠、浩志といったなる達のお姉さん、お兄さん組でさえ驚き、打つ手がなかったのだ。
その時は東京に重要な案件が残してあるのもあって、なんとか帰ったのだが度々島の人達と話す時に出る、なるの元気が著しくないという知らせに、なるのじいちゃんの葬式から1年も経たないうちに清舟は島へと戻ってきたのだ。
あっちで大きな仕事も多々あった。
清舟はその抜きんでた容姿と、開花した実力で知名度は上がり、仕事は波に乗っていたが、それを蹴って島へと来たのだ。
血は繋がっていないし、一緒に住んでいるわけでもないが、今なると親密といっては語弊があるが、一番親しいのは清舟ただ一人なのである。
「・・・・・・別に、似合ってないとは言ってないだろ。十分なるには長い髪も似合っているよ」
「——そっか、んならばよかかぁ!」
あの冷めた空間が嘘のように引いていく。
なるは勢いよく残りのご飯を口にいれ、学生鞄を手に取る。
部屋を出るところで一度立ち止まってから、口の前に手を当てながら、中にあるものを胃に流し込み元気よく「行ってきます」と言って、出ていった。
久しぶりにあの瞳で見られた清舟は、知らず知らずのうちに体に力がはいっていたのか、外から聞こえるタッタッタという、駆ける足音が遠くなり聞こえなくなったところで息を吐いて力を抜くのだった。