え?誰も待ってないって?そうですか……。
それと今更ですが、非ログインユーザーからでも感想を受け付ける設定に変更しました。
夕方。
森林公園にある噴水の近くで一人の若い男性がキックボードを巧みに操りながら技の練習を行っていた。彼は都内の私立大学に通う二年生。当初はキックボードよりもスケートボードに興味を持っていたが、去年から密かに流行り始めたキックボードに魅了されてやり始めたのが切掛けだった。海外では既に何度か大会が開かれており高度な技術を身に着けた者たちが鎬を削りあっている。大会の様子を記録した映像を某動画サイトで視聴した時は、圧巻の一言に尽きた。競技の見た目はBWXやスケートボードに通じるものがあったが、それらとは違う魅力が彼をキックボードの虜にした。有力な情報に依れば近々日本でも大会が開かれる予定で全国各地にいるボーダーが大会に向けて己の技を研磨しているらしい。
――俺はその大会に出場して優勝する
それが彼の夢であり目標だった。
しかし、若者の志は間もなく潰えることになる。
アンノウンの手によって――。
落ち葉が積もった地面の土の中から上半身を出し射抜くような鋭い視線で彼を見詰める存在が一つ。息を潜めながら獲物とする存在を見定めていた。練習に没頭している彼は自分の命を狙う存在に全く気付いていない。
「ハァァァ」
呻き声をあげると土の中から完全に身を出し殺しのサインを切って襲い掛かる。
「今日も頑張ったねー。夕飯は何が食べたい?」
「え~~っとね、カレーが食べたいの!」
すぐ傍を幼稚園のお迎え帰りの母娘が通り掛かると男性の悲鳴が聞こえてきた。
「うわああああああああああああああああああああっ!!」
母親は何事かと思い前方を見ると大学生ぐらいの男性が、銀色の亀のような化物――トータスロード=テストゥード・オケアヌス――に襲われているのを目撃した。
瞬間。母親は悲鳴をあげると同時に幼い娘を咄嗟に抱きかかえて逃げ出した。
オケアヌスに襲われている大学生の彼も何とか隙をついて全速力で逃げ出した。
――逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ!!!
必死だった。頭が、体が。逃げろという本能的な命令で埋め尽くされながら力の限り逃げ回る。もしも大地を蹴る脚のスピードを、ほんの少しでも緩めてしまったら追いつかれるかもしれないという恐怖、得体のしれない存在に襲われた恐怖、本能的な、生理的な恐怖、明確な殺意を持って襲われたという恐怖、そして死に対する恐怖。これらの恐怖を一度に身に浴びた彼に与えられた選択肢はただ一つ。
逃げ回ってどれだけの時間が経っただろうか。数十秒、数十分、あるいは数時間。闇雲にこの広い森林公園を逃げ回り続けた結果、一度も足を運んだことがない場所に辿り着いた。ここまで来れば大丈夫だろう。逃げろという本能的な命令に支配されていた頭と体は僅かな落ち着きを取り戻していた。
それほど太くない木を盾にするような形で周りを見渡し冷静さを取り戻した頭で自分が襲われた理由を考える。
――助けてくれ!! 誰か助けてくれ!! あれは何だ!! あれは一体何なんだ!! どうして俺が!? どうして俺が襲われるんだ!! 俺は何もしていない!! 俺は一度だって何も悪いことはしていないのに!! ……おかしい。誰も居ない……?
少し冷静さを取り戻したといっても大半の思考は未だに恐怖と混乱に陥っている状況だったが一つの異変に気が付いた。自分以外の人間が一人も居ない。公園という人が多く集まるはずの場所に人影が見当たらない。今は夕方だが、それほど遅い時間というわけでもなかった。
しかし、今はそんなことはどうでもよかった。重要なのは、あの化物から逃げ切れたかどうかだけ。化物の姿は見当たらない。
――よかった、助かった……
と安堵しようとした瞬間。背後からオケアヌスが再び地中から現れ襲いかかってきた。
「うわああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!」
突如現れたオケアヌスに気付くのが遅れ、振り返ったときには顔面を殴り飛ばされていた。当たり所が悪かったのだろうか、殴り飛ばされた彼は脳を激しく揺さぶられたことによって脳震盪を起こしそのまま気を失った。
ここから先に彼の身に起こったことは想像するに難くない。
最初に襲われた現場と最後に襲われた現場には、彼が愛用していたキックボードと土に汚れた帽子が落ちていただけだった。
ΩΩΩΩΩ
同時刻
今日も今日とて西木野家に居候する青年、賀上昇一は菜園で野菜を収穫しながら料理を考えていた。
――金平……サラダ……マリネ……和え物……ガレットにしてみるのもありだな……。
頭の中では人参を使った料理を考えつつ上機嫌に鼻歌を吹いている。
「♪~♬~♫~」
「なに鼻歌吹いてるのよ。嬉しいことでもあったの?」
「真姫ちゃん」
黒とピンクのジャージ、紫の短パン、カラフルなハイソックス。
真姫はカラフルな私服もよく似合っている。彼女は依頼されていた作曲を僅か二日で完成させて音を書き込んだCDを依頼主の郵便受けに投函してきたそうだ。
「何か嬉しいことでもあったの?」
「そう? 別に普通だけど」
「だったらどうして毎日ご機嫌なわけ?」
普段昇一と生活している上で真姫は疑問を抱いていた。毎日の生活を送る中でいつも笑顔を絶やさずにいられる人間は多くない。いるとすれば余程の天然か相当な幸せを感じている人だろう。だからと言って何一つストレスの溜まらない人間などいない。しかし昇一に限って言えばストレスを感じさせる素振りすらみたことがないと真姫は思う。
「ご機嫌って言われてもなぁ。俺だって落ち込むときぐらいあるよ」
「そうなの? ちょっと意外かも。昇一が落ち込むことってあるんだ」
「そりゃあ落ち込むよ。俺だって人間なんだから」
「それもそうね。でも毎日元気っぽいじゃない」
正直に言えば真姫にとって昇一の言葉は意外だった。彼女が昇一に対して抱くイメージは、いつも笑顔で家事をそつなくこなす主夫であり、天然ボケで悩みを抱えることがないお調子者だとばかり考えていたが、誤った認識だと気付く。なんせ彼は記憶喪失なのだ。いくら天然ボケであろうとお調子者であろうと悩むときはある。自分の過去がわかないなら尚更に。だったらどうして笑顔でいられるのだろう、と顔に出ていたのか昇一が間をおいて話す。
「なんていうかさ、最近思うんだよね。自分の居るべき場所があるっていいなぁって」
「自分の居るべき場所?」
「うん。俺だけじゃなくて、先生にも、院長にも、真姫ちゃんにもあるだろ? 自分の居場所がさ」
「……」
「そういうのって誰にでもあるんだよ、きっと。みんな自分の居場所に居るときが一番幸せなんだと思う。だから…」
自分の居場所は誰にでもある――。
こんな事を言えるのは昇一だからこそだろう。記憶をなくして本来の居場所がわからい彼の言葉には重みがあった。
「だから、何?」
「そういうみんなの居場所を、俺が守れたらいいなぁって」
「なにそれ意味わかんない」
真姫は何故か急に不機嫌になり家の中へ戻って行った。
昇一の言いたいことはわかるが、真姫にとっては納得できないものがあった。彼女の居場所はもちろん自分の家庭であることに間違いはない。だが、家庭以外に居場所はなかった。総合病院の一人娘として生まれた時から一般家庭よりも恵まれた生活を送ってきたが、周囲の反応は年を重ねる程に冷やかになっていった。容姿端麗、頭脳明晰、果ては総合病院の跡継ぎとしての彼女に対して周りの人間は嫉妬し疎み離れていった。
仲が良かった人間もいるには居たが、結局は自分から離れていき気が付けば自分から人との関わりを避けるようになり、ついには一人ぼっちになってしまった。
――本当は人と関わりたいのに。放課後は友達の家で遊んだり、部活動に参加したり、友達と話題になっていることについて盛り上がってみたかった。そんな当たり前のことがしたかった。
昇一の言葉に対する真姫の最後の言葉は、今までの境遇によるものからだったのだ。
真姫が家の中に戻り、昇一が収穫を再開しようとしたときだった。
突如静寂に包まれ周囲の物音が一切聞こえなくなり激しい耳鳴りと頭痛が昇一を襲う。
「うっ! ぐぅぅううっ!」
咄嗟に頭を押さえるが痛みは暫く引くことはなかった。だが昇一は知っている。この痛みの意味を。またやつらが現れたのだと。昇一は身に着けていたエプロンを脱ぎ捨て家を飛び出すと駐輪場に置いてあったマットガンパウダーメタリックのバイク・ホンダVTR1000Fに跨って急発進する。
「昇一!」
その様子を自分の部屋の窓から見ていた真姫も慌てて二階から下りて家を飛び出し、登校するときに使う自転車に跨って昇一の後を追う。
真姫には気になっていたことがもう一つある。昇一が度々険しい顔をして家を飛び出していく理由に。ここ暫く昇一が突然家を飛び出していく様子を何度も目にしてきた。いつも決まって険しい表情――言うなれば戦う覚悟を決めた戦士のような顔つきを。こうなると例え好きな家事をしていても、野菜の世話をしていても、真姫と話しているときも。必ず昇一がとる行動は決まっていた。
昇一の後を追っていると自分以外の人間が一人もいないことに気が付くが、今はそれどころではなかった。あっという間に彼のバイクに引き離されてしまったが、昇一が辿った道のりが光の帯のように浮かび上がっているのを認識する。今までにこんな経験をしたことはない。果たしてこの光の帯は何なのだろう。導かれるように進むと森林公園に辿り着く。この森林公園は真姫の家から一キロ程離れた場所にあり、昇一のバイクも公園の中ほどに停めてあった。
――うおおおおおおおおおおおおおおおおっ!
バイクの横に自転車を停めて降りると林の傾斜の下から昇一の叫び声が聞こえてきた。急いで声がした方へ向かうと信じられない光景を目の当たりにする。太い木の後ろへ隠れるようにして様子を伺うと、昇一が生身で銀色の亀のような化物と対峙している。
「! 何なのよあれ…」
昇一は地面に落ちていた折れた木を手にして勢いよく横に振るうが、オケアヌスの硬い体に当たると同時に大して強度のない木は粉々に砕けてしまう。武器になるようなものを失ってしまった昇一は、オケアヌスの攻撃をくらい地面に仰向けに倒され足で踏みつけられる。オケアヌスは片腕で昇一の首を持ち上げ木に叩き付けたまま首を締め上げ殺そうとする。
苦悶の表情を浮かべながらも昇一は両腕を左腰の部分でクロスさせると、腰にベルト型の身体器官―オルタリング―が出現しオケアヌスを蹴り飛ばす。
態勢を立て直すと右腕を前へ伸ばし、伸ばした右腕を引き寄せる。再びゆっくり右腕を伸ばし―
「変身!」
と叫びベルトの両側に付いているスイッチを叩く。するとベルトの中心部に埋め込まれている賢者の石が発光し、眩光が昇一を包み込む。次の瞬間光が治まったかと思うとそこに昇一の姿はない。いるのは虫を連想させるような真っ赤な複眼と二本の金色の角をもった戦士、アギトが立っていた。
「AGITΩ」
アギトを認識したオケアヌスは呻き声をあげて襲いかかり
「! 昇一!」
真姫は目の前で起こったことが信じられないような表情で顔を強張らせる。
そこからは一方的な展開だった。アギトはオケアヌスの攻撃を全て最小の動きだけで捌きカウンターを当てていく。突進してきたオケアヌスを受け止めて投げ飛ばし、起き上がろうとしたところを拳で殴り飛ばす。
優位に思えた状況だったが、背後から思わぬ邪魔が入りアギトを羽交い絞めにする。新たに現れたのは金色の体色をした同種族のトータスロード=テストゥード・テレストリス。背後から拘束したまま鋭い爪でアギトの胸部―ゴールドチェスト―を掻き毟るように傷を負わせていく。殴り飛ばされていたオケアヌスはショルダータックルを二度かまし、三度目をかまそうとするが、アギトは力を振り絞って拘束から脱出し空中へ一回転してタックルを躱す。
タックルを躱されたことでオケアヌスとテレストリスはぶつかり合って転倒。後ろを振り返ったアギトは態勢を立て直した二体のトータスロードと睨み合い、最大限の力を解放するべくマスターズオーヴが煌めきクロスホーンを展開する。睨み合いに痺れを切らしたテレストリスが突撃するが、アギトは動じることなく右手を硬く握り締め顔の後ろまで引き、右足も後ろへ引き踵を浮かす。そこからタイミングを合わせて右足を左回りに回転させ、回転の威力を腰へ、更に足から腰へと伝わった回転の威力を右腕に伝えて腕を思い切り振りぬく。
「ハアッ!」
掛け声と共に振り抜いた拳は突撃してきたテレストリスの顔面を的確に捉え、樹とともに倒れていった。倒れたテレストリスは立ち上がろうとするが頭上に光の輪が出現し爆散した。数的に不利になったオケアヌスはアギトに背を向けて走り出し地中に潜って姿を消した。アギトは追いかけようとするが地中に潜り込まれては追跡のしようがなかった。
一連の出来事を木の陰から見ていた真姫は状況が呑み込めずに終始混乱したままだった。何が何だかさっぱりわからない。自分は夢を見ていたのではないかと思う。そう思いたかった。次の光景を目撃するまでは―。
追跡を諦めたアギトは立ち去ろうとして後ろを振り向くと再び眩光に包まれ変身を解き、元の姿が露わになる。立っていたのは昇一だった。彼はバイクを停めた場所に戻ろうと歩き出したが足を停めた。木の陰でこちらを見ていた真姫と目が合ったからだ。彼女は昇一と目が合った瞬間にその場から走って自転車に跨り来た道を急いで戻って行った。昇一は真姫を追うこともせずに複雑な面持ちで立ち尽くしているだけだった。
ΩΩΩΩΩ
森林公園から急いで帰って来た真姫は、電気も付けずに部屋のベッドで蹲っていた。
――私が見たものは何だったの? あの亀みたいな化物とか…未確認生命体? それともUMA? いいえ、あんなのがいるなんてあり得ないわよ! それに昇一が変身したあの姿はなんなの? 人間の姿があんな風に変わるなんてあり得ない! でも昇一は確かに変わっていたし…。もしかして昇一が私達を騙していた? でも、昇一を居候させたのはママ
のはず…。あぁもう! どうして私が昇一のことで悩まなくちゃいけないのよ!
幾ら考えても結論は纏まらなかった。それどころか昇一が金色の生命体へ姿を変える光景が瞼に焼き付いたままだった。いつも笑顔で家事をこなす昇一と、変身して化物と戦う昇一。果たしてどちらが本当の昇一なのか。真姫は激しいギャップに頭を悩まされていた。
「真姫! 大変よ!」
翌朝。目を覚まし音乃木坂の制服へと着替えリビングに向かおうとした真姫は母親の慌てた声を聞き部屋を出る。
「ママ、どうしたの?」
「昇一君が居なくなったの!」
「え……?」
真姫の母親によれば起きてリビングに降りたときから昇一の姿はなかったらしい。キッチン、リビング、書斎、トイレ、菜園、駐輪場、昇一の部屋。どこを探しても見つからなかった。昇一の部屋に置いてあった荷物が全てなくなっていた。ただ一つだけ見つかったのは、昇一の部屋の机にメモが残してあったこと。メモには短い文章でこう書かれていた。
今までお世話になりました
昇一
「昇一君、もしかして過去の事を思い出したのかしら? まさかそれで……」
真姫の母はもしや昇一が何か過去の事を思い出して家を飛び出したのではないかと考えているようだが、真姫は、それは違うと考えていた。
昇一が出ていってしまったのは、きっと私のせいだ。私があんな態度をとってしまったから居辛くなって家を出ていったに違いない。
しかし、ここで真姫を非難することはできない。何故ならそれが普通の反応だから。誰でも親しい人間が人間離れした姿に変身して見たこともない獰猛な化物と戦っている場面に出くわしたとしたら、真姫のような態度をとってしまうのが当たり前ではないだろうか。故に彼女を責めることはできず、人間離れした姿をした場面を目撃されて居辛くなってしまった昇一が姿を消したのは当然のことだと言える。
昨晩は布団に蹲っている途中で眠ってしまったが、真姫には思うことがあった。私は昇一のことを何も知らない、と。彼がどういう経緯で居候することになったのかは一通り聴いているし家での生活や彼の性格も知っているが、自分の知らないことがあるのではないかと思いつき改めて母に聞いてみた。
「ねぇ、ママ。聞かせてほしいことがあるんだけど」
「え?」
「記憶喪失の昇一が発見されたときのこと」
「それは前にも話したでしょ?」
「お願い。何でも良いから、もっと詳しく聞かせて」
どんなに小さいことでも良い。何か昇一のことを知る手掛かりのようなものが欲しかった。母親は若干困惑したが、家族以外の人間と関わりを持とうとしなくなって以来、久しぶりに見るような娘の姿を眺め静かに語り始める。
「山の道路で倒れている昇一君を、通り掛かったトラックの運転手が発見したの。服装からみて登山客とは考えられず、外傷がなかったことから誰かに襲われたわけでもなかったそうなの」
「身元がわかるような物は何も持ってなかったの?」
「えぇ。何も持っていなかったの」
やはり昇一の手掛かりになりそうな情報は何もなかったと思われたが、母は新しい情報を話し出す。
「そういえば、一つ面白いことを思い出したわ」
「なに?」
「運転手が昇一君を助け起こしたんだけどね、そのときに昇一君が意識を取り戻してこう言ったそうよ。…服が汚れちゃいますよ、って」
「……」
「昇一君らしいじゃない。自分のことよりも相手の服の事を心配するなんて。やっぱり昇一君は昇一君なのよ」
自分よりも相手の服を心配する――。
確かに昇一らしい。らしい、と言うよりも昇一そのものだ。その事をきいて心のどこかで安心している私がいると自覚する真姫。すると真姫の母がこんなことを訊ねてくる。
「もしかして昇一君と何かあったの?」
「何も……ないけど」
言葉に間があったのは、あのことを言おうかどうか逡巡したから。
「…そう。ならいいの」
「どうしてそんなこと聞くのよ」
「どうして、って。もしかしたら昇一君に思うところがあるんじゃないかって思っただけよ」
「ないと言えば嘘になるけど。ママはないの? 思うところ」
「私にだってあるわよ。二つほどね」
母の言葉は真姫にとって意外だった。普段は医者という仕事柄家を空けることが多いが、自分達の為に家事を毎日こなす昇一に物凄く感謝しているのを真姫は知っている。極端な話、昇一が大好きなのだ。『昇キチ』と言ってもいいかもしれない。具体的な例を一つ挙げると昼の弁当の中身を毎日楽しみにしていたりする。昇一は毎朝家族全員分の弁当を作ってくれるのだが、一番ウキウキしているのは母だったりする。プロ並みに美味しく且つ見栄えが良い弁当を食べているときが激務をこなす中で最も至福な時間だと言っていた。
そんな母が昇一に対して思うところがあると言ったのだ。
「それってどういうところ?」
「一つ目がダジャレね。昇一君の作ってくれる料理は凄く美味しいのに、ダジャレは物凄く薄味じゃない」
どうやら昇一のダジャレを面白くないと感じていたのは真姫だけではなかったようだ。母も同じことを感じていたらしい。
「二つ目は?」
「二つ目は…記憶を取り戻すことにもう少し前向きになってほしいことね。別に昇一君が嫌いになったとか、出て行って欲しいって訳じゃないのよ? ほら、昇一君が家に来てから半年以上経つじゃない。いつまでもこの家に居てほしいって思うけど、これ以上時間が過ぎたら彼の家族も心配していると思うの。だからこそ昇一君の帰りを待っている人がいるかもしれないって自覚をもう少し持って欲しいかな。…この話はまた追々するけどね」
気が抜けた解答から一変して今度は母親らしいことを語ってくれた。今だからこそ昇一と暮らしているのが当たり前になっているが、彼は元々居候なのだ。当然、彼自身の家族もどこかに居るはずだ。しかし、記憶が戻らない以上彼の居場所は西木野家以外のどこにもない。ならばどこへ行ったのか。行く場所がないなら早く帰って来てほしい。
「ねぇ、昇一は帰って来ると思う?」
「必ず帰って来るわ。…そうね、今日の夕方くらいに」
「どうして断言できるのよ」
「簡単よ。昇一君が菜園を放ったらかしにしたままにするはずがないじゃない」
実を言うと今日に限って昇一は菜園の手入れをしないまま家出してしまっているのだ。それに気付いた真姫の母は彼が戻って来ると判断した。昇一という男はマメで気が利く人間だ。家事や炊事にも本人の性格が表れている。普段から丹精込めて育てている野菜をわざわざ枯らすようなことはしないのではないか。これが真姫の母の根拠だった。昇一のことに関して二人で真面目な話しをするのは最近では久しぶりだった。せっかくここまで会話したのだから最後に一つだけ聞いておかなければならないことがある。
「最後に一つだけ聞いても良い?」
「何かしら?」
「もしも昇一が…、誰にも言えないような秘密を持っていたらどうする?」
本当は昨日のことを伝えたかったが、やめた。昇一が金色の生命体に変身して化物と戦っていると非現実的なことを言っても流石に信じないだろう。
「そうねぇ…秘密の内容にもよるけど、私だったら話してくれるまで信じて待つわ」
「信じて、待つ?」
「えぇ、人間なら誰にだって秘密にしたいことがあったって当然じゃない。だからと言って追究する必要はないのよ。相手の秘密を知りたいなら、相手が話してくれるまで信じて待つの。この半年間、昇一君と生活してきてどうだった? 彼が真姫や私達夫婦に対して取ってきた態度や言動は信じるに値しないものだったかしら?」
「そんなこと…ないけど」
今までのことを振り返ってみる。確かに最初はドギマギしてうまく接することができなかったが、気が付けば自然に接している。きっかけは昇一が作ってくれた料理だったが、それだけではない。料理に限らず家事に洗濯。そして人柄。これらのものを直で見てきたからこそ普通に接してくることができたのだ。
「そうでしょ。だから信じて待ちなさい。秘密にしていることを話してくれたならあとは受け入れるだけよ」
「簡単に言わないで。受け入れることのほうがよっぽど難しいじゃない」
「確かにそうね。けど考え方を変えるだけで、受け入れることはできるのよ。…それはね、自分にとって信じられることも信じられないことも、まずはそのままありのままを受け入れてみるの。そうすることで人や出来事の本当の姿を理解できるようになっていくの。家族でも、友達でも、恋人でもそう。一方が相手を理解しようとしていても、もう一方が理解しようとしなければ人間関係を築くことなんて出来ないでしょ。つまりお互いを理解し合うってことは、人間関係を築いていく為の基本であって、人間関係を深めていく為に必要不可欠な要素なの」
「…」
「私が今の真姫にアドバイスできるのはここまでよ。あとは自分で殻を破っていかないとね。…あら大変、もう出発しないと遅れちゃうわ」
キリが良いところで会話を打ち切った真姫の母。気付かない間にかなりの時間が過ぎていたらしい。
最初から最後まで大人と子供の器の違いを教えられたような気がする。言い換えればそれだけの人生を歩んできた貫禄を示してくれたと言っても過言ではないだろうし、考えさせられるものがあったのも確かだ。父も母も昇一を信じている。なら私も自分が知っている昇一を信じてみよう。そう決めて真姫はいつものように自転車を漕いで登校して行った。
ΩΩΩΩΩ
その日の夕方。
真姫が帰宅し駐輪場に自転車を置きにいくと見慣れたバイクがあった。母の言葉通り昇一が帰って来たのだ。もしかしたら菜園にいるかもしれないと判断し、急いで彼の姿を探す。
「! 昇一!」
真姫の呼びかけに反応して昇一は振り向いた。
「真姫ちゃん…」
「随分早かったじゃない。格好良く家出したんじゃなかったの?」
「こいつらの面倒頼むの忘れてたから」
「面倒なんか見ないわよ。昇一が作ったんだから自分で責任持ちなさいよ」
内心は昇一が帰って来たことに安心していた真姫だったが、どうしても思っていたことが出てしまう。本当はこんなことを言いたいのでない。伝えるべきことが他にある。
「…ごめんなさい。昨日は驚いて逃げ出したりして」
「当然だよね…」
変身した姿を目撃されていたことはやはり昇一にとっても相当なショックだったらしく、言葉に覇気がないのが伺える。
「でも…何だったの、あれ」
真姫の母は秘密を追究する必要はないと助言してくれた。だが昇一が変身して謎の化物と戦っているのを知っているのは真姫だけだ。しかし、あの場面を目撃してしまった以上、無関係ではいられないだろう。だから今は自分にとって気になる部分だけでも知っておきたかった。
「わからない」
「じゃあ昇一が変身したあの姿は何だったの?」
「アギト」
「アギト?」
「うん。今まで戦ってきたあいつらは、俺のことをアギトって呼んでた。だからアギトで間違いないと思う」
昇一が変身した金色の生命体は、アギトと言うらしい。変身した姿の名前がわかっただけでも真姫にとっては収穫があったと言える。
「ならあの化物の目的ってなんなの?」
例え化物であったとしても生きて行動している以上は生物だと判断でき、アギトと戦っていたということを含めて考えれば両者は敵対しており、化物側に何かしらの目的があってそれをアギトが阻止しようとしていたとも考えられる。
「目的はわからない。わかってるのはあいつらがアンノウンだってことと、戦わなくちゃいけないってこと」
アンノウンと聞いて思いつくのは『不可能犯罪』という世間を騒がせている不穏なキーワード。昇一の言っていることが本当だとすれば、彼はアンノウンによる不可能犯罪を阻止する為に戦っているということになり、昇一が度々家を飛び出していく理由にも検討がつく。
「…みんなの居場所を守るために?」
昇一は無言で頷いた。
「だったら自分の居場所もきちんと守りなさいよ。ここが昇一の居場所なんでしょ。昨日そう言ってたじゃない」
「じゃあ…ここに居て良いの?」
「良いに決まってるでしょ」
「俺のこと、怖くないの?」
拒絶されると思っていたのだろうか。怯えたように恐る恐る聞いてくる。無理もない。自分とは異なる物、自分に理解できないといったものを人間は拒絶しようとする。だから受け入れられるはずがないと。
「怖くないわよ。だって昇一は昇一でしょ」
「うん…でも本当に怖くない? 無理してない?」
「もう良いからいつもの昇一に戻りなさいよ」
「いつもの、俺…?」
この家に居ても良い、昇一を受け入れる。――
真姫はそう言ってくれたのだ。だからこそ彼女から出てきた言葉は昇一にとって思いも依らないものだった。もしかしたら無理をして言っているんじゃないかと勘ぐって聞き返すが、本当に無理をしていない様子だ。しかもあろうことかいつもの昇一に戻れとさえ言われてしまった。
――いつもの俺って何だろう?
考え込んでいる昇一の横顔を見て真姫は満足そうだった。
「!」
「昇一?」
そんな真姫の表情をよそに突然昇一が勢いよく顔を上げたかと思えば次の瞬間に家を飛び出していく。真姫はこの時点でアンノウンが現れたのだと直感する。
「昇一!」
昇一は心の底から沸き上がってくる不思議な衝動に突き動かされて行動していた。衝動は昇一の本能を超えて彼を支配し、膨大な活力を与えた。家を飛び出した昇一は三ヶ月前に免許を取り、真姫の母親に買ってもらったバイクに乗ってスロットルを開けた。
「変身!」
バイクに跨ったまま昇一はアギトへと変身すると同時に、オルタリングから発生するオルタフォースに包まれてバイクも姿を変える。龍を思わせるようなフロントカウルを持ち、輝く金色と鮮烈な赤で彩られたアギト専用のバイク・マシントルネイダー。アギトに変身した昇一は更に速度を上げて現場へと向かう。
アンノウンが現れたのは昨日の森林公園。そこでは幼稚園の年長くらいの女の子が滑り台の階段を上っていた。
その様子を樹の陰から睨み付けているのは、昨日のアギトと戦って逃げ出したトータスロード=テストゥード・オケアヌス。殺しのサインを切り女の子の背後からゆっくりと近づこうとしているのを、公園を自転車で巡回パトロールしていた警察官が目撃する。
未知なる生物に遭遇したことで一瞬はパニックになりそうになるが、本能的に叫びだしそうになるのを押し殺し全速力で女の子とオケアヌスの間に飛び込み、間一髪のところで女の子を抱きかかえて逃げ出した。
散々逃げ回って森林公園の奥まで来たとき警官は後ろを振り返ってみた。背後から追ってくる気配はない。あの得体の知れない生物を上手く撒くことができたのだろうか。
――これでようやく応援を呼ぶことができる。あとは女の子から出来る限り話を聴く必要があるな
と思ったのも束の間。待ち伏せをしていたのだろう。樹の上からオケアヌスが飛び降りて進路を塞ぐ。暫く睨み合いながら並走する形になるが、女の子を抱きかかえている以上、警官が不利になるのは明らかだった。
やがて警官は大木まで追い込まれ女の子もろともやられそうになるが、こちらに向かってくる音を耳にする。甲高い音を響かせてやってきたのはアギトだった。アギトは今まさに手を掛けようとしているオケアヌスに向かってバイクごと突っ込む。最高速でバイクの突撃を受けたオケアヌスは空中に弧を描きながら背中から落下する。助けた警官を一瞥すると弾かれたようにその場を離れていった。
バイクに跨ったままのアギトを引きずり降ろそうとオケアヌスが襲う。しかし力を振り絞り左の肘で腹部に一撃を入れ、後頭部をめがけて振るわれた右腕を頭を下げて回避し、続けて腹部を狙ってきた右腕を掴み、オケアヌスの頭部をガソリンタンク部分に叩き付けたまま再びスロットルを全開にして走り出す。
森林公園を離れアギトが向かった先は廃工場だった。着いた途端にオケアヌスを放り投げ必殺の一撃を放つ準備を整える。
マスターズオーヴが煌めきクロスホーンが六本に展開。左足を前に出し、右の掌を上へ、左の掌を下に向けて腕をゆっくり横に開く。同時に足元に龍の顔を模った紋章が現れる。前に出した左足を後ろに引き、左手を腰に、右手を左手と同じ位置に持ってきて腰を落とし居合抜きのような構えを取る。大地のエネルギーは両足に集束する。
アギトは上空へ跳び上がり、最高到達点から跳び蹴りを放つ。
「ハァアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
必殺の一撃をオケアヌスは自慢の甲羅で防ぎ、蹴り飛ばされるような形になりアギトの方へ振り返って歩みを進めようとするが、頭上に光の輪が出現し爆散した。アギトは何事もなかったかのようにマシントルネイダーへ歩み寄り廃工場を後にした。
まさかの12000文字越え。その割には大した内容じゃなくて申し訳ないです。
今回は色々と要素を詰め込んだ回になりました。
・昇一初変身
・さり気なく真姫が超能力を発現
・真姫ママ再登場
・初マシントルネイダー
大変でした。