モモナリですから、ノーてんきにいきましょう。   作:rairaibou(風)

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セキエイに続く日常 50-アリアドスの糸 ②

 夜に差し掛かろうとしている時間帯だった。

 くああ、と、一つ大きなあくびをかましたモモナリは、手持ち達を回復させるためにポケモンセンターに入っていった。

 カントー地方、ハナダシティ。

 シンオウ地方から帰り、ヤマブキシティに降り立った彼は、そのままヤマブキ、双子島、グレン、マサラ、トキワ、ニビ、お月見山と巡ってそこに帰ってきていた。意味などあるはずがない、ただただ、生活に刺激が欲しかっただけ。

 翌日に故郷でのリーグ戦を控えてなければ、そもそも帰って来ることすらなかっただろう。シンオウ地方での体験は刺激的だった、また別の刺激を求めるならば、この世界の広さは都合が良かった。

 モンスターボールを受け取ったジョーイは、ポケモン達の体調よりも、モモナリのそれの方を心配したことだろう。しかし、クマも相まってもはやうつろに見えるその視線は、それを指摘することで自らの身に降りかかるかもしれぬリスクを彼女に覚えさせ、喉まででかかっていたそれを引っ込ませるには十分だった。

 

 

 

 

「おい」

 モモナリがポケモンセンターを後にしてすぐ、珍しく、彼は引き止められた。最近では珍しいことであった。

 顔なじみだった。ポケモントレーナー、クシノ。まだリーグトレーナーではないが、いずれそうなるだろう。抜群の才能があるわけではないが、それなりに頑張っているというのが、モモナリの彼に対する評価だった。

「ちょっと、付き合えや」

 立場とか、格とかを重視する人間からすれば、それは随分と慇懃無礼な態度であった。だが、モモナリはそれに不快を覚えることもなく「めずらしいな」と、それを了承する。基本的におとなしい人間であった彼が、そのような表情を見せるのは久しぶりだった。

 特にそれを警戒することもなかった、それはモモナリが人間的な面と実力的な面の二つでクシノに気を許していたこともあったし、何より、もしなにかがあったとしても、それは彼の望むものだろうから。

 

 

「ほんまなんか?」

 人のいなくなったゴールデンボールブリッジを渡りながら、クシノは傍らのモモナリに問うた。

「地下の対戦場に出入りしとんのは?」

 川のせせらぎに負けぬように、しっかりと言った。

 それは、キリューとの打ち合わせ以来、彼の心に引っかかり続けていることだった。確かに、今のモモナリはそれをしていてもおかしくはない、だが、どれだけ堕ちようと、それだけはしてほしくないという願望が彼の中にはあったのだ。

「なにそれ」と、モモナリはひどくつまらさそうにそれに答えた。

「何の意味があるの、それに」

 続けて答えるモモナリに、彼は一つ安心した。

 やがて、彼らは目的の場所に到着する。

 そこは、ハナダシティの公園に併設されている対戦場だった。すでに薄暗くなり始めていたが、四隅に建てられた電灯が、それなりにそこを明るく照らしている。

 そのど真ん中にモモナリを案内した後に、クシノは彼と向かった。

「明日試合があることは分かっている」

 ベルトのボールを手に取りながら、彼は続ける。

「やが、こっちなそんなこと気にしない。今日、俺達はお前を襲撃するんや」

 おおよそ襲撃にはふさわしくない、大胆な宣言だった。 

 だが、モモナリはそれに焦りもしなければ、怒ることもない。当然だ、それは彼が手を変え品を変えこれまでどこかで誰かにやり続けてきたこと。自分がやられて嫌なことは人にやってはいけない。彼はその教えを忠実に守り続けてきた。

 ただ、彼はそれを鼻で笑った。

「トレーナーってのは、大人しすぎるんだよ」

 気がつけば、すでに彼の背後にはゴルダックが現れており、彼は二歩三歩と下がって彼に舞台を譲る。

「襲撃するタイミングはいくらでもあったろ」

 クマの目立つ眼を最大限にまで鋭くし、彼はそのうつろの中に相手を捉えながら続ける。

「少しは強くなったんだろうな?」

 彼は笑っていた。

 

 

 

 

「まあまあやるようにはなったんだな」

 ポケモンセンターを後にしながら、モモナリは呟いた。

 流石にバッジをコンプリートしていないトレーナーに負けることはないが、それでも手持ちの一匹を戦闘不能にはされた。明日のことを考えれば、それを回復するのは当然。

 だが、その襲撃がそれで終わりでは無いことを、彼はすぐに知る。

 一足先にポケモンセンターに向かっていたはずのクシノは、再びモモナリを待ち受けていた。

「まだや」と、彼は言った。

「まだ終わっとらんで」

 何故か、それを宣言する彼のほうが苦しげな表情だった。

 直接対面したことで、彼はそれを強く思い知っていた。

 明らかに、モモナリにキレがない。

 今のモモナリならば、恐らく初めて出会ったあの時の方が恐ろしい。今の彼からは、あの圧倒的な、人生すべてを否定してくるような強さはない、それが疲労によるものなのか、それとも才能の枯渇によるものなのかは、今の彼では判断することが出来ない。

 だが、それでも七つ持ちに勝ててしまう。反省などするはずがない、この世の大体のトレーナーに、彼はこの状態でも勝ててしまうのだから。

 クシノはそれが悔しくもあり、情けなくもあった。努力をしていると誇っている人間ほど信用できないものはないことは彼もよく知るところではあるが、それでも、日々の鍛錬がまだその成果を出していないのかと思う。

 自分では無理だった。

「やる気あるじゃん」

 モモナリはニッコリと笑ってそう言うと、やはりクシノについていった。

 

 

 

 

「よお」

 再び帰ってきた対戦場にいたのは、先輩リーグトレーナーであるクロサワだった。

「準備体操にもならなかっただろ」

 彼はクシノを一瞥しながら言った。彼は人間が嫌いなわけではなかったが、才能のないトレーナーというものは嫌悪の対象だと思っている節があった。尤も、だからといってクシノの人間としての部分をすべて否定的に見ているわけでもない。自らの好き嫌いと相手の人格を結びつけることのない最低限の倫理観は持っていた。

「まあまあ」と、モモナリはそれを否定も肯定もしなかった。

 それに一つ微笑んでから、クロサワが言う。

「こいつらが何企んでるかはしらねえが、とにかく、俺はお前を『強襲しろ』と頼まれた」

 モモナリがそれに頷くのを見てから続ける。

「正直な所、俺はお前が今後どうなろうとそれが間違っているとは思わねえだろう。つええやつがつええままにワガママに振る舞う、俺はそれが悪いことだとは思わん。安定した食い扶持失うのはもったいねえな程度には思ってるけどな」

 強いやつは何してもいい、それこそが彼の持論であったし、その持論に基づいて、彼はモモナリの実力と考え方をかっていた。

 だからこそ、クロサワはその領域においてモモナリを強く否定することは出来なかった。強いやつがやりたいようにやる、それを否定する自己矛盾を彼は抱えられない。

「お前を説得しろとか、お前のために金を出せとか、そういうことなら断ろうと思ってた。だが、戦えと言われるのならまあ、断る理由がないわな」

 砂を蹴る音。

 クロサワの背後から現れたニョロボンが、モモナリに向かってその拳を振り下ろした。

 だが、それがモモナリを捉えることはない。

 同じく現れたアーボックが、その腹の模様でそれを受け止めていた。

「悪い人ですね」

 素早くアーボックの背後を取ったモモナリが笑いながら言った。

「わかるか? これが『襲撃』ってもんだよ」

 クシノはそれに苦い顔をしながら対戦場から離れる。

「好きだろ?」

「ええまあ」

 攻撃を防がれ距離をとったニョロボンにアーボックが襲いかかる。

 クロサワはニョロボンをボールに戻して次を繰り出す。

 元々格闘タイプで毒タイプであるアーボックには分が悪い上に、胸の模様で『いかく』されており、精神的に優位に立たれていた。

 万全の状況ではないのに、あの一瞬の判断でここまでの正解を引かれるのだから参るよ、と、クロサワは思っていた。

 それを何でも無いことだと後出しで言うことは誰だってできるだろう。じゃあ、それをあの状況でやってみろよという話。

 繰り出されたマタドガスに、アーボックの尻尾が襲いかかった。

 だが、マタドガスはそれをいなす。もとより『ふゆう』しているその体に『じしん』の衝撃は効果がない。

「ん?」と、クロサワは表情を歪めた。

 らしくない攻撃だ。

 相手の行動を読みきり、その技を無効化するポケモンを繰り出すことを主な戦略とするトレーナーだ、そうなったことは不思議ではない。アーボックに対してマタドガスを繰り出す戦略自体は理にかなったものだろう。

 だが、それがあっさりと決まりすぎた。そのような戦略を自由に動かさせないのがリーグトレーナーであった。

「『どくどく』!」

 マタドガスに指示を出しながら、彼は考察する。

 自分自身が素晴らしいトレーナーであることは当然の事だと彼も自認している、だが、この素晴らしいトレーナーである自分に食らいつくのが、Bリーグ以上のトレーナーではないのか。

 ならば考えられることは唯一つ。

 やはり、モモナリにキレがない。

 

 

 

 

 ポケモンセンターの自動ドアをくぐり、すっかりと電灯の灯りが頼りになった空を眺めながら「うーん」とモモナリは唸った。

 良くない読み合いが幾つかあった。

 反応が遅れた場面もあったし、少し甘えた考えの瞬間もあった。

 だが、まあ良いだろう。明日気をつければいい。

「いや、次か」

 目の前に再び現れたクシノを見て彼はそう呟いた。

 声をかけるよりも先にモモナリがそう言ったので、クシノは一瞬押し黙った。だが、それでも気を強く持って言う。

「まだ終わりやない」

「だろうね……こんなのが『襲撃』なわけねえわな」

 ニカっと笑う彼のギラついた視線と目を合わさぬよう注意しながら、彼はモモナリを先導した。

 

 

 

「モモナリ」

 対戦場で待ち構えていたキリューは、モモナリを睨みつけていた。

 彼は身長が低い、比較的高めであるモモナリを見上げる形になっているにも関わらず、その視線は強く、モモナリのうつろでありながらギラついているそれに真っ向から食らいついている。

 クシノは、その男がカントー・ジョウトリーグAリーガーであることを思い出すように噛み締めていた。ポケモンと人間を支配する権利を有する、モモナリの持つ圧倒的な暴力に対抗できる人類側の選択肢だった。

「まだ、考えを変えるつもりはないか?」

 それが、ポケモンリーグを抜けるという判断に向けられていることをぼんやりと理解しながら、一つあくびをして彼は答える。

「変えるも何も、この状況こそが抜ける理由じゃないか。戦いなんてものはさ、こうやって自由に行えるべきだよ。月に数度、決まった場所で決まった相手としか戦えないだなんてつまらない。時間の無駄だよ」

 ふう、と、キリューはその返答にため息を付いた。

「まあ、そうだろうな。お前がこんなことで考えを曲げるとも思えない」

 そして彼はボールを構えながら続ける。

「モモナリ。俺は怒っている」

 それに「ふうん」と反応したモモナリに更に続ける。

「お前ほどの才能を持っていれば、俺はお前のようには生きない。お前はリーグに意味がないと言うが、俺には身を削ってまで連続して行う野試合にこそ意味がないと思っている。いや、そんなものには意味がないんだ。だからこそポケモンリーグは生まれ、この競技は今日まで生き残ってきたんじゃないのか?」

 至極まっとうな意見であったが、モモナリはそれを鼻で笑った。

「まあ、いいよ。意見が合わないのなんてこれが初めてのことじゃないだろう?」

「まだだ、俺が怒ってるのはそこじゃない」

 放たれたボールから現れた電子レンジ型のロトムが、モモナリに向かって戦闘態勢を取る。

「そういう事は、せめてAリーグに上がってから言うもんだ」

 放たれた電撃は、現れたピクシーが受け流した。

 さらにモモナリはそれを手持ちに戻し、その次を繰り出す。

「どれだけ、お前を待ったと思ってる」

 対戦場に『すなあらし』が吹き荒れようかとしていることを感じながら、キリューはモモナリに叫んだ。

「今のお前なんざ俺達の足元にも及ばねえんだよ!!!」

 

 

 

 

 

 

 ポケモンたちが回復するのを待つ間、モモナリは無言だった。

 違和感があった。

 勝敗にではない、ただ、果たしてそれがいい戦いだったのかと言われれば、彼の中でもモヤモヤとした何かが残っていた。

 だが、彼はまだそれには気づけない。

 単純な勝敗では、彼の価値観には揺らぎを与えることは出来ないだろう。なぜならば彼は、負けるということを戦いの一部と受け入れる事ができる。

 疲れがないわけではない、だが、それを悪いことだとも思っていない。戦えば疲れる、火を見るよりも明らかな理屈だ。

 肩を叩かれ、モモナリはようやくポケモンたちの回復が終わったことに気がついた。

 それを受け取りながら、彼は考える。

 センターで回復できるポケモンたちには問題がないだろう。

 自動ドアをくぐり、センターを後にする。

 すぐに出迎えたクシノに、彼はこれまでと変わらぬ笑顔で手を上げた。

 

 

 

 

「おどろいたな」

 ゴールデンボールブリッジ、もはやクシノと並ぶように歩きながら、モモナリは続ける。

「まだ隠し玉がいたとはね。俺はてっきり、キリューで打ち止めかと思っていたよ」

 モモナリも馬鹿ではない、こんな馬鹿みたいな『襲撃』に付き合ってくれるリーグトレーナーなどもう他にはいないと思っていた。それに、現役Aリーガーのキリューが露払いになるとも思えない。

 すでに日はどっぷりと暮れ、子供たちはとっくに眠りこけているような時間だった。足場が軋む音と水面のせせらぎだけが聞こえる。

 橋を渡りきろうとした時、クシノが言った。

「次の人で最後や」

「そうか」

「この『襲撃』はな、元々はその人の発案やったんや。だから俺達もその意味まではわからん」

「俺もわからねえな」

 対戦場入り口。そこではキリューが彼らを待ち受けていた。

 彼はしっかりとモモナリと目を合わせながら、しかしそれでも複雑な感情を彼の視線から感じながら、対戦場を指差す。

「あの人で最期だ。くれぐれも、失礼のないようにな」

 皮肉のこもったセリフだった。

 だが、モモナリはそれを気にしない。電灯の光がありながらも、まだ遠くにいるそのトレーナーが誰なのか、疲れ切ったモモナリの眼は捉えきれない。

 一歩二歩、モモナリは彼らへの挨拶もそこそこに歩む。

 一歩二歩、髪が長い、どうやらそのトレーナーは女のようだ。

 一歩二歩、黒っぽい服を着ていた。ああ、だから見えなかったのか。

 一歩二歩、違和感。

 一歩二歩、彼の鼓動が早くなる。

 一歩二歩、まさか。

 一歩二歩、そんな。

 最後はほとんど小走りになるように、彼はそのトレーナーの前に立つ。

 どっと汗が吹き出してきた。

 上から下まで、最後の確認を行うかのように眺める。

 そして彼がそれを確信した頃に、そのトレーナーが言った。

「新人戦のエキシビション以来かしら?」

 そのトレーナーは、四天王、カリンであった。

 一歩、モモナリが右足を後ろにやったのを合図に、ベルトにセットされたボールからアーマルドが飛びだして攻撃した。

 だが、それは届かない。同じくカリンが繰り出したゲンガーが『リフレクター』でそれを受け止めている。

 舌打ちをしながら、彼はアーマルドをボールに戻そうとした。流石に四天王相手に不意打ちは通用しない、だが『すなあらし』なら。

 しかし、アーマルドはそれに反応しない。

 それがゲンガーの『くろいまなざし』によるものだと気づいたときには、すでに『シャドーボール』がアーマルドに打ち込まれている。

 反応が遅れた。

 目が霞む。

「『じしん』!」

 弱点をつく。 

 だが、アーマルドがゲンガーよりも早く動くことができるはずもなく。彼は二発目の『シャドーボール』を食らっていた。

「らしくないわね」と、それを眺めながらカリンが言った。

「新人戦の時の方が強かったんじゃないかしら?」

 モモナリは、その言葉に何も言い返せなかった。

 そんなことよりも、自らの判断ミスへの後悔の方が大きい。

 ゲンガーが『くろいまなざし』で縛ってくることなど予測できたはずだ。なぜそれに気づくのに遅れた。

 否、そもそもなぜアーマルドを繰り出した。なぜそのような甘えた選択をした。

 相手はカリンだぞ、なんで、どうして。

 それが想い続けてきた相手への敬意な訳がない。

 カリンは、モモナリ少年の憧れであった。才能に溢れ、自分のやりたいことを曲げずに四天王となり、チャンピオンと肉薄した尊敬すべきトレーナーだ。夢の対戦相手であり、どれほど望んでも戦えなかったトレーナーでもある。

 ドリームマッチだ、夢にまで見た対面だ、メインディッシュ、尤も豪華なデザートだ。

 どうしてそんなつまらない判断ミスをする。

 一瞬、意識が遠のく。

 足が痛い、胸が苦しい、頭が痛い、視界が霞む。

 だが、モモナリは頭を振ってそれを振り払う。それは言い訳だ、戦いの中で考えていいものではない。

 それでもまだ、自分の得意な領域なら。

 アーマルドをボールに戻し、カバルドンを繰り出す。カリンも合わせてポケモンを繰り出したが、ぼやける視界に判断が出来ない。

 だが、それを繰り出せば。

「『にほんばれ』」

「えっ……」

 現れたラフレシアが灼熱の花粉団子を天に放っていることに気づいた頃にはもう遅い。

 カバルドンの作り出した『すなあらし』は、すでにその太陽のような花粉団子に飲み込まれ、その勢いを失っている。

 戻すべきだ、と、彼の本能的な部分が告げる。それを拒否する道理はない。

 だが、やはり一瞬、手が遅れる。ラフレシアは『ようりょくそ』で速さを得ているというのに。

 カリンほどのトレーナーがそれを見逃すはずがなく。

「『ソーラービーム』」

 花弁から放たれた光線が、カバルドンに直撃した。

 一瞬、彼はそれに耐えようと地に足を踏みしめる。だが、弱点をつかれ効果が抜群のその攻撃を受けきれるはずもなく、彼は崩れ落ちた。

 その光景を、モモナリは口を開けて眺めていた。

 汗が止まらない。息も上がる。

 それは、対戦場を照らす『にほんばれ』がもたらしたものではない。

 耐えられなかった。

 この戦いを汚してしまっている自分自身に耐えられない。

 視界が滲む、思考がぼやける、足が痛い、意識が飛びそうになる、頭が痛い、胸が苦しい、腹が空いている。

 戦える状態ではない。

 彼は、ようやく、ようやくそれに気づいた。

 敗北からではない、夢にまで見た理想を自分が汚しているという嫌悪から、彼はようやくそれを認めたのだ。

 小さな声で、モモナリは何かを言った。

 カリンがそれに気づかぬふりをすると、もう一度、今度は先程よりも少し大きな声で言った。

「日を、改めてくれませんか?」

 信じられないほどに、弱々しい声だった。

「今日は日が悪い」

 それは、モモナリの体調のみを考えるならば当然の判断だった。

 しかし、カリンはそれに表情を変えること無く「イヤよ」と答える。

「あたしは今戦いたいの」

 それをワガママだと否定することは、少なくともモモナリには出来ないだろう。

 カバルドンをボールに戻す。

 しかし、次のポケモンを繰り出すことが出来ない。

 追い詰められていた。引くわけにもいかず、そして、進めば激しい自己嫌悪が待っている。

 ボロボロの肉体が、精神が、ようやく悲鳴を上げ始めていた。

 だが、彼はそれでも落ち着こうと試みる。恐らく彼は、生まれて初めて、自らの中に眠る底力のようなものを信じようとしていた。

 息を吸い、吐く、吸い、吐く、吸い、吐く。

 やがてそれが必要以上に過度な呼吸になろうとしたその時。

 彼は膝から崩れ落ちた。

 明らかに肉体が限界であった。

 すでに彼は、カリンと視線を交えることもできなくなっていた。当然だ、一体どうして目を合わせることができようか。

 地面に手を付き、息は荒い。

「モモナリ!」と、彼の名を呼びながら駆け寄ったキリューとクシノが、彼を立ち上がらせようと肩を持った。

 だが、彼はすぐには立ち上がれない。足が震え、腰に力が入らない。

 キリューとクシノは、その光景に息を呑んでいた。とっくの昔に、体力の限界だったのだ。楽しいことをしているのだから疲れるはずが無いという根拠のない自信のみがそれを誤魔化し、それでもある程度勝ててしまう才能が、それを更に肯定していた。

 引くことを知らぬ精神力のみで彼は戦っていたのだ。そして、カリンと対峙して初めて、彼はそれに気づいた。戦いよりも価値のある憧れが、彼の精神を打ち砕いだ。

 カリンはその光景を見てからラフレシアをボールに戻した。自分の足で戦場に立つことすら出来ない人間を、一体誰がトレーナーと呼ぶだろう。

 モモナリもまたそれを理解していた。そして、自らを支えようとする二つの手を振り払わなければ自らはトレーナーではないという意識も、プライドもあった。だが、それをなせるだけの体力はない。

 両肩を担がれ、二人の人間を支えにようやく地面に垂直になった彼を眺めながら、カリンが言った。

「不安よね」

 更に彼女は一歩一歩モモナリに歩み寄る。

「怖いのよね、目の前に広がる道を歩くのが」

 その言葉に、モモナリはようやく顔を上げてカリンと目を合わせた。その目が怯えていることに気づいているのはカリンだけ。

 しかし、キリューとクシノは、その言葉の持つ比喩の意味するものを掴むことが出来ない。

「楽しく生きてきただけなのに、人々があなたの前に立つことを恐れたから出来た道……苦難もなければ刺激もない。だからあなたは、その道を歩くことを望まず、人の波に飛び込んで楽しいことを探した」

 モモナリは、それを否定しない。

「だけど」と、カリンが続ける。

「人の波の中から楽しいことを見つけるのって、とても難しいのよ。海の中に落としたビードロを探すくらいにね」

 彼はそれに目を伏せる、心当たりがまったくない言葉ではなかったのだろう。

「道を歩きなさい」と、カリンは言った。

「道を歩けば、必ずその向こう側からあなたの友人が歩いてくる。あなたと同じ、人々によって空けられた道を歩いてね。暇になったら……人生でも楽しんでなさい」

 一拍置いて続ける。

「この勝負は預けましょう。あなたが歩んだ道の先にまたあたしがいれば、その時に続きを」

 その言葉を聞いて、モモナリは安心したように息を吐いた。許しの言葉だった、これ以上彼の憧れを汚さぬという開放の言葉だった。

 モモナリの体から、更に力が抜けた。キリューとクシノはより重くなった彼の体に、何事かとその顔を覗き込む。

 見れば、彼はすでにくうくうと寝息を立てている。緊張の糸が切れ、彼は気絶するように眠りに落ちていた。

「こっちの気もしらずに」と、クシノは皮肉げに言った。だが、その表情は笑っている。

「ありがとうございました」と、キリューは一旦頭を下げ、そして、肩の重さをクシノよりも感じながら起き上がらせる。

「埋め合わせは、必ず」

「必要無いわ、あたしの気まぐれだもの。それに、これで彼が気を変えるかどうかはまだわからない。でも、彼は幸せね」

 カリンは、二人を交互に見やった後に一つ問うた。

「教えて、どうしてあなた達は彼を救おうと? いえ、そもそも、どうして彼のことを友人だと? あなた達は、もっと友人を選べる立場にあるはずなのに」

 彼女には、それを聞く権利があるだろう。

 モモナリという異次元の存在を、どうすれば説得できるかと頭を悩ませていた彼らに「彼を後悔させるのは敗北ではない」と適切なアドバイスをしたのだから。

 クシノもキリューも、その質問には一旦押し黙った。

 だが、やがてキリューの方から答える。

「俺は、いずれ友達がいなくなるんじゃないかと思っています」

 クシノは、キリューのその言葉に驚いたようだった。だが、カリンはそれに対して表情を変えない。沈黙をもって続きを求める。

「『キクコ一門』の影響力は、恐らく先生が思っている以上に大きい。十年、いや、五年もすれば、俺は一人のトレーナーを優に妨害できる立場になるでしょう。当然、俺はそんな事を望まない、ですが、周りはそうは思わない。事実、俺の至り知らぬところで俺に手心を加える不届き者もすでに何人かいます。俺はもう、人前では怒れない」

「こいつだけなんですよ」と続ける。

「こいつは『キクコ一門』を敵に回したところで、いや、きっと俺達以外のすべてを敵に回しても屁でもない、だからこそ、大切な友人なんですよ」

 しばらく沈黙してから「エゴですよ」と彼は言った。

「こいつがいなくなったら困るから、だから助けてやりたい。俺のエゴなんですよ」

 皮肉的な文脈を持っていた。

 そんなことはないだろう、とクシノは思っていた。例えそこに自らの立場を鑑みたことがあったとしても、友人を救おうとすることがエゴであるなんて。

 だが、カリンは「そうね」とそれを肯定する。

「あなたの言う通り、でも、それを恥に思うことはないわ。友情はエゴよ、そうでなければ、あなたはこの星の全ての人間を救わなくてはならなくなる」

 キリューはその言葉に息を吐いた。言えぬことを言いそして救われた。

「あなたは?」と、カリンはクシノを見る。キリューやモモナリは知らぬ顔ではなかったが、彼女はクシノのことを本当に数度しか見たことがない。こうやって面と向かうのは初めてだろう。

 彼は一つ深呼吸をしてから答える。

「俺には、大した理由なんてありまへん。ただ、こいつと一緒にいたかったから……理由なんてありゃしません」

 クシノは、それを恥ずべきことだと思っていた。

 そもそも、自分はモモナリを友人と捉えることすらはばかられるような気がしていた。まだリーグトレーナーですら無い、同じ目線ですら無い。モモナリが自分のことをどう思っているかもわからない。

 だが、言葉にこそしないが、キリューは彼のほうが崇高だと感じていた。打算のない真の友情を、彼は持っているのだろうと感じていた。

 カリンはそれも否定しなかった。

「そうね、理由がないなら、無いでもいい」

 彼女は人一人の重みにそろそろだるさを感じ始めているであろう彼らに笑いかける。

「それより、大変なのはこれからよ。とてもじゃないけど、人生の楽しみ方を知っているようには見えない」

 妥当な指摘だ。

 真ん中で寝息立てるその男は、遊びも暇つぶしも生業も戦いの男。対戦相手として対面に立つ人間からしか友情を感じられない究極のエゴイスト。

 その指摘に、二人は顔を見合わせた。

 だが、どちらともなくそれに答える。

「付き合いますよ。友達ですからね」




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