モモナリですから、ノーてんきにいきましょう。   作:rairaibou(風)

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セキエイに続く日常 208-彼等の時間 ②

『フューチャートーナメント』を一週間後に控えたその日、出場者の一人であるホップは、ソニアに使いを頼まれていた。

 雑用を命じられる事に不快感はなかった、論文の作成に向けソニアができる限りの時間を削って没頭していることは知っていたし、その段階になれば自分ができる事は少なくなる。

 むしろ、その論文の中にはホップが尽力して手に入れた情報もあり、彼はそれが論文の中でどのように書かれるのかが楽しみであった。ソニアの時間を確保するための使いに悪い気がするはずがない。

 それに、動きを止めてしまうと考える必要のないことまで考えてしまいそうで不安だった。

 

 

 

 彼女の祖母から重要な書物を預かり、彼はソニアの拠点であるブラッシータウンに戻った。人がまばらな時間帯であったが、それでも彼を目にして「頑張れよ!」と声をかけてくる住民の声に、彼はいつものように笑顔で答える。だが、まだそれに参加するべきなのかどうか、腹を決められたわけではない。

 

「やぁ、どうも」

 

 研究所を扉を開いたホップが真っ先に目にしたのは、丸机を挟んでソニアの対面に座り、自分に親しげに手を上げている中年の男だった。

 どこかで見たことのあるような男だったが、確信はない。

 その男がガラルの人間ではないことは、その流暢なガラル語が、彼の周りを浮遊しているスマホロトムから発せられていることから明白だ。

 だからホップはその男が何者なのかということよりも先に、彼の対面にいるソニアが、机に突っ伏していることの方に注目した。

 

「誰だ?」

 

 彼は少し落としたトーンでその男に問うた。

 まだ彼がソニアの客人である可能性は捨てきれないだろうが、そもそもこの缶詰の時期に客人の予定などがあれば自分に伝えられているだろうという程度の信頼はホップにあった。

 それに、この研究所は少し前にスパイに潜り込まれある勢力が乗り込んできたこともあったのだ。地元の人間が思っているほど、この研究所にあるデータは牧歌的なものではない。

 それに、もし仮に彼が善良な人間であったとしても、博士相手にアポイントメント無しで面会を求めるのは、子供のように常識がないか、そう振る舞うことを疑われない大人だ。例えばそう、兄であるダンデのように。

 

「ああいや、これは違うんだよ」

 

 男はホップの目線がソニアに向けられていることに気づき、慌ててそれに弁明する。

 

「僕だって戸惑っているんだ、ソニア博士が急に眠ってしまったものだから」

 

 気づけば、机の影からのそりと一匹のポケモンが現れた。

 短い足に長い首、頭の部分には触手がある。

 いわつぼポケモン、ユレイドル。

 ホップはそのポケモンの存在を知ってはいたが、実際にそれが動く姿を見るのは初めてだった。

 見れば、ユレイドルはどこからか取り出したのか触手で毛布を広げており、それを突っ伏しているソニアの背中にかける。

 

「少し前まではすごく歓迎してくれていたんだよ」と、男。

 

「博士はトレーナーの手持ちになっているかせきポケモンを久しぶりに見たらしくて『切れ目がない!』とか『合理的な形態!』とかなんとか言って随分と嬉しそうだったんだ」

 

 その男への不信感がとけたわけではないが、その言葉にはなんとなくリアリティがあった。確かに動くユレイドルの見た目には切れ目がないし、生きるのに合理的な形態をしているように見える。ガラルのものと違って。

 

「お土産にジュースを持ってきたんだけど、これを飲んでいたら突然眠っちゃってさ」

 

 男は机の上においてあったボトルを持つ。

 

「僕の友だちが作ってるジュースでね、きのみを使ってるからポケモンも楽しめるという代物なんだけど……」

 

 そこまで言って男はボトルのラベルを覗き込み「あれ?」と首をひねった。

 

「しまった。これアルコールが入ってるやつじゃないか……ということはもしかして箱で持ってきたやつ全部酒か?」

 

 その様子を見てはホップはため息を付きながらも少し安心した。どう考えてもその様子からして男が少なくとも冷酷な暗殺者であるようには思えなかった。

 ホップのそのような様子を男は目ざとく察知したのか、彼は一歩踏み出してホップに右腕を差し出す。

 

「カントー・ジョウトリーグトレーナーのモモナリです。よろしく」

「モモナリ……?」

 

 その右手をとりあえず握りながら、ホップはその名前に聞き覚えがあることを思い出す。

 あっ、と彼がそれを思い出したのは、手が解けた後にモモナリが言ってからだった

 

「お兄さんには随分お世話になったよ」

 

 思い出した。

 カントー・ジョウトリーグトレーナー、モモナリ。

 はるか遠方のリーグトレーナーであり、少し前に当時チャンピオンであったダンデとのエキシビションを行い、健闘したトレーナー。

 そして、彼はカントーで行われている大規模トーナメントを勝ち抜き、今回の『フューチャートーナメント』の出場者となったトレーナーでもあった。

 そう思い出せば、その男のその言葉にも含むものがあるような気がしてくる。

 

 そのような男が、どうして研究所になど訪れる必要があるのだと疑問を覚えるよりも先に、ホップの視界に数本の触手が現れ、彼は一瞬ぎょっとした。

 いつの間にかホップのもとに歩みを進めていたユレイドルが、彼に向かって触手を伸ばしていたのだ。

 はたから見れば捕食のようにも見え、ホップも一瞬は身構えたが、ユレイドルがそれ以上の行動を見せないことに気づくと、彼はすぐさまにその意図を理解しようとした。

 

「……握手がしたいのか?」

 

 ホップはユレイドルとの距離を測るように一歩二歩距離をとってからそっと右手を差し出した。

 するとどうだろう、そのユレイドルは触手の一本をにゅっとその右手に伸ばし、ホップの手をとって二、三度上下に振った。

 更に彼はその触手を振りほどくと、今度は花がしおれたときのように頭部をコテンと下げる。

 ホップはそれがカントー近辺の挨拶の仕方だということにすぐに気づき、それに同調して頭を下げた。

 

「ほう」と、モモナリは感嘆の声をあげる。

 

「噂通り、君は随分と才能のあるトレーナーのようだね」

 

 彼はウンウンと頷き、ユレイドルも同じように頭部を揺らしてみせる。

 何のことかわからずポカンとしているホップにモモナリが続ける。

 

「ユレイドルが握手をしたがるなんて思える人間なんてそうはいないよ。君はポケモンの僅かな機微からその気持ちを感じ取ることが出来るらしい、素晴らしいじゃないか、それは座学では身につきにくい才能だよ」

 

 突然の来客に、突然の褒め殺し。

 ホップは戸惑いながらも、今一番最初にある疑問を問うた。

 

「どうして握手なんだ? ユレイドルにそんな習性聞いたことないぞ?」

「人間好きでね、人間のマネをしたがるんだ」

 

 そう言いつつモモナリがポケットから取り出したハンカチをユレイドルに与えると、ユレイドルは触手を器用に使ってハンカチを握り、それを伸ばしてホップの額の汗を拭った。

 

「ね?」と、モモナリは自慢気に言った。

 

 最新の疑問は解決した。だが、それでホップの頭がスッキリするわけではない。

 

「なんで研究所に来たんだ?」と、彼は次の疑問を口にする。

 

「理由は二つあってね」と、モモナリは机の上においてあった本を手にとる。

 

 表紙が違ったためにホップはすぐに気づくことは出来なかったが、それはソニアが執筆したガラル神話の本であった。

 

「友達から勧められてこの本を読んでね、とても感銘を受けたんだ。人間だけで世界を救ったわけでもなく、ポケモンだけが世界を救ったのではなく、世界を救ったのはトレーナーとポケモンであったと」

 

 彼は一旦そこで言葉を切った、感慨に浸っているようだ。

 

「いい言葉だ、我々が何のためにあるのかということを思い出させてくれる」

 

 彼は表紙をめくってそれをホップに見せる。

 

「サインしてもらったんだよ」

 

 モモナリの笑みに邪心はなさそうであった。少なくともそれをネットオークションに出すなどということはないだろう。

 似ている、と、ホップは一瞬そう思った。

 彼にどのような意図があり、どれほど純真であろうが、やはり博士を相手に突然連絡もなしに訪問するということは非常識であろう。だが、モモナリはそれを恥じている様子もなければ、眠っているソニアにどうこう思うこともない。

 モモナリのある種の徹底的なエゴは、兄であるダンデのそれに少しだけ似ているように思えた。

 もちろん、だからといってモモナリとダンデが同じ人間だとはおもわない。そもそもダンデがソニアに対して無遠慮なのは、ご近所の幼馴染である上に、彼がチャンピオンとなる前から彼を知る、ダンデが甘えられる存在であるからだ。そういう意味では、モモナリのほうがより無遠慮だと言えるだろう。

 ホップのそのような分析に気づくことなくモモナリが続ける。

 

「もう一つは、君に会いに来たんだ」

 

 彼は懐からメモ帳とペンを取り出した。

 

「ソニア博士ほどではないが、僕も文章でご飯を食べてる身でね。『フューチャートーナメント』に出場しながら、出場者たちの人となりをかければ、皆喜ぶだろうと思ったんだ」

 

 もちろんホップはモモナリが文筆業をしていることなど知らない。だが、トーナメントに出場しながら、その対戦相手たちにインタビューするという考え方が、果たして成立するのだろうかと疑問に思うことは出来た。

 

「いくつか質問良いかな?」と、椅子を勧めることもなく問うモモナリに、ホップはとりあえず頷いた。

 

 ありがとう、と、ユレイドルと同じようにお辞儀してから、モモナリが続ける。

 

「とは言っても、君の経歴自体はスマホロトム使ったインターネットや雑誌なんかを見れば簡単にわかる。君が誰の弟で誰の幼馴染で……そんなことを今更知りたいわけじゃない。僕が聞きたいのはだね、君自身の考えなわけだよ」

 

 カチッとボールペンを叩いて問う。

 

「どうして、その道を選んだんだい?」

 

 漠然とした質問にすぐに答えを出すことが出来なかったホップに、モモナリが続ける。

 

「君の実力ならば、何にだってなれただろう。ジムリーダーでもいい、ジムトレーナーでもいい、よその地方でチャンピオンや四天王にだってなれただろう。もしうちに来たいのならば僕はいつだって歓迎だ。出来る限りの力添えもしてあげたのに。ところが、君はトレーナーであることで生きることはせずに、勉学の道に進む。その若さと、その才能を持っていると言うのにだ」

 

 その質問に、デリカシーの欠片もあるだろうか。いや、ないだろう。

 当然、ホップはその質問に答えあぐねる。

 答えは持っている。だが、それを答えることは出来ない。

 最も信頼の置ける幼馴染にだけ吐露することの出来たその心を、今の今出会った中年の男になど答えられるものか。

 そう思った。

 

「……困っているポケモンを助けるためだぞ」と、ホップはモモナリから少し目をそらしながら答えた。

 

 嘘ではない。だが、意図的にそう思うまでの過程を省略している。

 

「そうかい」

 

 メモを取りながら、モモナリは興味なさげにつぶやく。

 

「悪い質問だったかな?」

 

 不意に投げかけられたその言葉に、ホップは少し背筋を伸ばして驚いた。

 彼は、ホップのその答えが、苦心の末にひねり出したものだということに気づいているようだった。

 

「もし君が、その道を歩むことにまだ悩みがあるのだとしたら、僕は複雑な気持ちだ」

 

 ホップが何も返さないのを確認して続ける。

 

「それだけの戦いの才能がありながら、その道を歩むことは、ある種で非効率であろうし、勇気が必要なことだ。とてもではないが、僕は君のようにはなれない」

 

 だから、と続ける。

 

「僕は君の決断を尊重しているし、君を尊敬している」

 

 その、溢れんばかりの肯定の言葉に、ホップはついに気づいてしまった。

 モモナリは、自分の選んだ道を肯定している、その質問は、自らを、幼馴染や兄と比べるような下劣なものではなかったのだ。

 だからこそ浮き彫りになった。

 その質問を避けたのは、その質問の答えを濁したのは、自分自身なのだということ。

 迷いながらこの道に進んだ、だが、自分はまだ悩んでいるということ。

 あるいは、この道に進んだことを、未だにネガティブなことだと捉えている自分が、心のどこかにいるということ。

 

「もし君さえ良ければ、もう一つ質問があるのだけれど」

 

 断るべきだ。

 どうとでも断ることが出来るだろう。

 アポも取らずに失礼だとか、若い女性が机に突っ伏しているのをいつまでも見ていて良いのかとか、もう疲れたとか、一つ目の質問が不快だったとか、お前の顔が気に入らないとか、人の心の柔らかく小さく震える部分に土足で踏み込むなとか、なんとでも断れる。

 だが、ホップはその選択ができなかった。

 上書きしてほしかった。

 この思いを、名前を付けて保存してほしくなかった。

 どうせなら、別の質問で、願わくば、思いっきりくだらない質問でこの記憶を上書きしてほしかった。そうであってほしかった。

 

「いいぞ」と、ホップは言った。

 

 ありがとう、と断ってからモモナリが問う。

 

「君は、今回のトーナメントに出てどうなりたい?」

 

 くだらなくはないが、抽象的な質問だった。

 そして、ホップはそれに答えることができない。

 

「……まだ何も考えてないぞ」

「なるほど、このトーナメントが開催された経緯は知っているよ、何でもこのトーナメントが決まったとき、君たちには連絡が行ってなかったようだね」

 

 ホップは頷いてそれを肯定する。

 

「もっと漠然とした目標でも良いんだが、何かないかな? 壮大でも良い、笑いやしないよ。例えば、チャンピオンになりたいとか」

 

 その言葉を聞き、ホップは気づいた。

 トーナメントの優勝者には、チャンピオンとの公式戦が行われる。

 それはつまり、チャンピオンになる可能性があるということ。

 どうしてこんな単純なことに、今まで気が付かなかったのだろうか。もしくは、その可能性を、彼の本質が排除していたのか。

 

「重症だね」

 

 何も返さぬホップに、モモナリは頷きながら言った。彼はホップが思想のドツボの中にあることを、その豊かな経験から見抜いていたのだ。

 

「申し訳ない。どうやら僕の質問が良くなかったらしいね」

 

 彼は再び右手を差し出して続ける。

 

「今日は失礼しよう。もし君が吹っ切れたら。今度は君の手持ちである伝説のポケモンを見せて欲しいな」

 

 図々しい男だ。

 そう思ったのだろう、ホップの手持ちである伝説のポケモン、ザマゼンタは、ボールの中で震えてその憤りをホップに伝えた。

 その右手を取る必要など有りはしない、指示の一つでもあれば、今すぐにでも飛び出してやっていい。

 それに驚いたホップが一瞬右手を腰にやったのを見て、モモナリはニヤリと笑った。

 

「なるほど、嫌われたらしい」

 

 嫌われたと知って笑うその男の神経はともかく、その観察眼の鋭さにホップは驚く。人の才能を図るだけの実力はあるようだった。

 

「じゃあ、またね」

 

 笑みを浮かべたまま自らの横を通り過ぎようとしたモモナリを「待って」と、ホップが呼び止める。

 その行動も、確信あってのものではなかった。とにかく、今このままではいけないと直感的に思ったから、ただそれだけ。

 

「あなたは、どうなんだ?」

「僕?」

「このトーナメントに出てどうしたいんです?」

 

 ああ、と、その質問返しにモモナリは頷き、答えた。

 

「何も考えてないよ」

 

 その答えは、ホップが想定していないものだった。

 だが、モモナリはホップのその想定を想定していたのだろう。続けて答える。

 

「だが、僕は悩んでいない。これまで、僕はやりたいようにやってきた、これからも、僕がやりたいようにやる。勝負の後にどうするべきかなんて、勝負の後に考えればいいんだよ」

 

 一拍おいて続ける。

 

「僕も君も、そうすることが出来る能力はあるだろうにね」

 

 背を向けたモモナリに、ホップはもう何も言うべきことがなかった。

 考え方があまりにも違いすぎた。ポケモンの気持ちを理解できる彼でも、その男の感情を理解することはできなかった。




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誤字脱字メッセージいつもありがとうございます。
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また、現在連載している『ノマルは二部だが愛がある』もよろしくおねがいします!

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  • もっと開けてくれても良い
  • 前のように空行がないほうが良かった
  • その他(感想などにおねがいします)

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