モモナリですから、ノーてんきにいきましょう。   作:rairaibou(風)

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・モモナリ(オリジナルキャラクター)
 本作主人公、Bリーグ所属
 この頃は二十代中盤、まだまだ人生捜索期
 最近は趣味を見つけようとすることが趣味になりつつある。

・クロサワ(オリジナルキャラクター)
 モモナリの兄貴分、今回は名前だけの登場。
 様々な人間との付き合いがあるが、どこかに一線は引くタイプ。


セキエイに続く日常 88-家庭教師 ①

 ヤマブキシティ、そのとある住宅街の一角に、その屋敷はあった。

 年が経つごとに不動産価値が上がっているその土地で、その屋敷を構えることができるほどの土地を得るのにどれだけの力が必要だろうか。考えたところでむなしくなるだけであろう。

 

「ここか」

 

 その青年、カントー・ジョウトリーグトレーナー、モモナリは、雑多な地図と住所だけが書かれた、およそ人を案内するような心遣いに欠けている小さなメモに目をやりながらつぶやいた。彼に詳細な地図など必要なかった。もし違った家だったとしても、それなりに頭を下げて目的地を告げればいい、彼はそう生きることを否定されたことがない。

 念の為、その存在を見せびらかすように仰々しく設置されている表札に目をやる。抜群に珍しいわけではないが、ありふれているわけでもないその名前に、モモナリはそこが目的の屋敷である確信を持った。

 

 

 

 

「やあモモナリくん、こうして会うことができて光栄だよ。私は君のファンでね」

 

 ソファーに腰を沈めながら対面のモモナリに対してそう目線を向けるその初老の男は、モモナリに対してその言葉通りの感情を持っているとは思えなかった。なぜならば、彼はモモナリを目の前にしても立ち上がることもなければ、握手を求めることもない。

 むしろその言葉は、彼が自らの立場を知らしめようとするような、光栄に思われることを光栄に思わせることが目的のものだったのだろう。髪には白髪が目立つが肌艶よく、その表情はエネルギーに満ち溢れている。白髪を染めないのは、若さだけが相手より優位に立つ武器ではないことを理解しているからだろうか。

 

「そりゃどうも」と、モモナリは男に対して普段と変わらぬ様子でそう返した。変に媚びを売ることもなければ、必要以上に改まることもない。そのようなことをする必要性を、彼は感じなかった。

 

「なるほど」

 

 男はモモナリのそのような様子を眺めて笑う。

 

「クロサワくんから聞いていたとおりだな」

 

 その名前が出てきたことにも、モモナリは動じない。

 その男とモモナリは今日が初対面であったが、その男がトレーナーに明るくないわけではない。

 むしろ彼は、古き良き無頼のトレーナーたちを愛する変わり者の一人であった。そうなれば、彼がクロサワと知り合うのは必然であろうし、その生き様を気に入るのも不思議ではない、尤も、あくまでもそれは自身より格下の人間としてであろうが。

 

「媚びず、恐れず……流石は『最後のチャンピオンロード世代』だ。うちの若いのにも、一人でもいいから君のような人間がいればいいのにと思うよ」

 

 ヤマブキシティに屋敷を構えるだけあって、その男は所謂成功した実業家というやつだった。この世界が綺麗事だけではないことを理解し、それ故に、一人で戦い抜く無頼派、チャンピオンロード世代に価値を見出す。そういうタイプ。

 

「今日は、指導と聞いていたんですが」

 

 感心するその男をよそに、モモナリは首をひねりながら問うた。

 この仕事は協会からの依頼ではない。

 酒の席で『面白い仕事がある』とクロサワに誘われたのだ。知り合いが『家庭教師』を求めていると。

 

「社会勉強だ、俺たちを金で買えると思っているバカに付き合ってこい」という言葉を、モモナリは真に受けている。

 

 故に、モモナリは目の前の男がいつまでもソファーに沈んでいるのが不思議だったし、彼が少なくとも『トレーナー』ではないことは、その腰を見ればわかるというもの。

 

「ああ、そうだよ、指導の依頼だ」

 

 男は座り直して続ける。

 

「私の息子に、ポケモンバトルを仕込んでほしい」

 

 更に男は続ける。

 

「息子と言っても、妻の子ではないがね」

「はあ、そうですか」

 

 モモナリはそれに興味を示さなかった。

 彼のそのような反応について、下世話な小市民との違いに満足しながら、男は更に続ける。

 

「妻の子供は皆軟弱だが、その子だけは別だ、私の血が濃いのだろう」

 

 へえ、と、モモナリはそれにも興味なさげに返事をし、少し考えてから問う。

 

「どうして協会を通さないんです? そのほうが色々楽でしょうに」

 

 モモナリ本人が依頼されたことはないが、ポケモンリーグ協会に依頼すれば指導員の派遣を行うこともできるし、その金額によってはモモナリよりも上位のトレーナーを呼ぶ事もできるだろう。

 

「そんなつまらないことを言ってくれるな」

 

 露骨にその提案を鼻で笑いながら男が答える。

 

「協会を通したところで、彼らが教えるのはお行儀の良いバトルでしか無いだろう? 彼らは競技者、戦士ではない」

「そんなことはないと思いますけどね」

「君の立場ではそう言うしか無いのだろうが、私が望んでいるのは『チャンピオンロード世代』の技術なのだよ」

 

 男は懐に手を入れ、それを取り出してモモナリの前に置く。

 モモナリが首をひねりながら眺めたそれは、まだ金額の記入されていない小切手であった。

 

「君たちの技術に敬意を払い、こちらから報酬の金額を指定するつもりはない。好きな金額を、好きなように払おう」

「はあ、いくらでもいいんですか?」

「ああ、いくらでもいい」

 

 モモナリはその提案に目を輝かせることなく、その小切手をしげしげと眺めてからポケットに放り込んだ。

 

「あまり、お金には困ってないんですがね」

「金じゃなくとも良い、物でも、権利でも、何でも良い」

 

 男は身を乗り出して続ける。

 

「チャンピオンと戦いたいのならば、すぐにでもセッティングしよう」

 

 男は、モモナリの持つそのような欲望をよく理解していた。当然だ、モモナリのそのような部分こそが、彼のお気にいりのひとつなのだから。

 

 だが、「そんなのいりませんよ」と、モモナリはそれを断る。

 

「それは俺のタイミングでやることです」

 

 その言葉に、男は嬉しそうに頷いた。

 

 

 

 

 

 

 タマムシシティ郊外。

 中心部に比べればまだまだ自然の残るそこに、男が指定した別荘はあった。親子であるだろうに同じ家に住んでいないことにモモナリは妙な感覚を覚えながらも、それに興味を持つわけでもない。

 予定より早く着いた彼がその周りを散策すると、庭には対戦に使えそうなスペースがあり、近くに川もあれば山道もある。

 だが、それらがチャンピオンロードの代わりになるとは、モモナリには思えなかった。

 

 

 

「やあ、どうも」

 

 そろそろ時間だとその別荘の扉をノックしようとしたモモナリは、突然その扉が開いたものだから、つい反射的にその向こう側にいた人物に挨拶をした。

 玄関には二人の人物。

 そのうちの一人、モモナリと同世代であろうその青年は、扉の向こうにいたモモナリに少し驚きながらも、彼に一つ会釈をして「それじゃあ、また来週に」と、その少年に呟いて、モモナリの横をすり抜けていった。

 その手に何らかの楽器ケースが抱えられていることに、モモナリは気づいている。

 もう一人、おそらくモモナリの生徒であろうその少年は、別荘をあとにする青年の背中に会釈をした後にモモナリと目を合わせた。

 

「モモナリ先生ですね」

 

 年の頃は十四から十五ほどであろうか。

 その少年はモモナリと目を合わせることを恐れている風ではなかった。それは彼の無知からなるものではないだろう。

 なるほど、と、モモナリは納得した。トレーナーとしての技量はまだわからないが、人間としては強いのだろう。

 

「先生については、お父様から聞いています。ミヒロです。よろしくおねがいします」

 

 その年齢らしくない礼儀正しいお辞儀と、自らの父を「お父様」と呼ぶその少年にモモナリは当然違和感を覚えはするが、やはりそれは根掘り葉掘り聞くほどのことでもない。

 

「よろしく」と、モモナリは右手を差し出し、ミヒロもそれを握った。

 

「今の人は?」と、モモナリはとりあえず頭の中にあった疑問を問う。

 

「別の家庭教師です」

「楽器かい?」

「はい、ヴァイオリンです」

「はあ、ヴァイオリン」

 

 モモナリは声のトーンを一つ上げる。

 

「そんな難しいものよくやるねえ。いつもこの時間までレッスンを?」

「いえ、三十分ほど前に終わるようにしてるんですが、今日はちょっと長引いてしまって……時間を調整したほうがいいですか?」

「いや、好きにしてくれていいよ、暇だし、こっちが合わせるよ」

 

 すでに玄関に用意されていたスリッパに履き替えながら、モモナリが問う。

 

「ヴァイオリンもお父さんの影響かい?」

 

 会話の繋ぎのような何気ない質問だったが、ミヒロはそれに「いえ」とだけ答えて言葉をつまらせた。

 

「……母さんが好きで」

「ああ、そうなの」

 

 それ以上の興味があるわけではない、モモナリは促されるままに部屋に通される。

 その中にいた二匹のポケモンをひと目見て「へえ」と、モモナリは漏らした。

 一匹はゴーリキー。彼がすぐさまにモモナリとその腰にあるボールに目線をやったことにモモナリは気づいた。

 もう一匹はオニドリル、それはモモナリの背後に目をやり、来客が彼以外いないことを確認する。

 

「いいポケモンだね」と、モモナリはミヒロに言った。

 

「俺が初めての先生ってわけでもなさそうだ」

 

 ひと目ポケモンを見ただけでそう断言するモモナリにミヒロは驚いた。確かに父の言っていたとおり『理想の家庭教師』であるらしい。

 

「いくつの頃からやってるんだい?」

「十二からです。モモナリさんの前に二人ほどコーチがいました」

「どっちもリーグトレーナー?」

「いえ、最初の一人はヤマブキジムトレーナーの方で、もう一人はCリーグの方でした」

「なるほど」

 

 モモナリはそのポケモンたちをもう一度眺めて続ける。

 

「どっちのコーチも、より実戦的な事は教えなかったということなのかな」

 

 それに、ミヒロは少し口ごもりながらも答える。

 

「……はい、二人共お父様との方針と合わなかったようです……どちらも優しい人だったのですが」

 

 モモナリはため息を堪えた。

 その二匹のポケモンの佇まいを見るに、おそらくその二人のコーチは教える人間としては無能ではなかっただろう。

 

「表に出よう」と、モモナリはミヒロとそのポケモンたちに言った。

 

「実力を知りたい」

 

 

 

 

 

「『ひっかく』」

 

 姿勢を低くしたゴルダックが、ステップを踏むようにあえて一瞬右に体を振ってから攻撃を放つ。

 低い姿勢と右への振り、縦の動きは囮であり、本命は視界から消えたあとの右への動きだ。おそらくゴーリキーの視界の中では、ゴルダックが下に消えたようにしか見えない、故に下からの攻撃に備えることはできるだろうが、横からの攻撃を想定することは難しい。

 相手が野生のポケモンであるならば、この連携を見抜くことは難しい。 

 だが、トレーナーであるのならば話は別。トレーナーならば、ポケモンの第三の目となり、それに対応しなければならないだろう。

 

「『カウンター』!」

 

 ゴルダックの爪がゴーリキーの顎を捉える。

 だがそれと同時に、ゴーリキーの右腕がゴルダックの腹を捉えていた。

 

「ほー」

 

 少し腹部を気にしながら距離をとったゴルダックを見ながら、モモナリは感心したように唸った。

 敵を見落としたゴーリキーに対して、悪くない選択だ。

 横からくる、と敵の位置を知らせることも正解かもしれないが、結果から見れば今の選択のほうがより良かっただろう。位置を知らせるだけでは攻撃に転じることができない。

 何もできない、というわけではなさそうだった。

 

「『マッハパンチ』」

 

 好機と見たのだろう、ミヒロは追撃の指示を出す。

 ゴルダックに対して踏み込むゴーリキーだが、モモナリに言わせればそれは遅い。

 その追撃をするタイミングは『カウンター』が炸裂したその直後、相手に考える時間を与えないタイミングだ。

 

「『まもる』」

 

 ゴルダックは余裕を持ってそれを受け流す。

 次の瞬間、ゴーリキーがゴルダックに抱きついた。

 

「『じごくぐるま』!」

 

 そのまま腕力と背筋力でゴルダックを引き抜くように持ち上げ背を反らせる。

 自らもダメージを受けるが、そのままゴルダックを反り投げようとしている。

 アドリブだろうか、それとも用意していた動きだろうか、そのどちらにしろ、フォローとしては悪くない。

 だが、だからこそ、あの躊躇の時間が致命的になる。あの時間があったからこそ、ゴルダックはその抱きつきに対して右手を引き抜いて自由にするだけの余裕が生まれている。

 

「『サイコキネシス』」

 

 ゴルダックが地面に激突しようとしたその瞬間、彼の頭の宝石が光り、物理的な力を無視して宙に浮いたように動きが止まる。

 やがて、ゴーリキーだけが力なく地面に横たわり、ゴルダックは体を捻って地面に着地する。

 そして彼は『サイコキネシス』を打ち込んだ右手をゴーリキーの頭から離した。

 

 

 

 

「悪くはない」

 

 足を引きずり始めたオニドリルから目を切りながら、モモナリがミヒロに言った。

 露骨なまでに隙だらけの姿に、オニドリルは一瞬攻撃の姿勢を見せるも、ミヒロがなんの指示も出さないことから状況を察し、羽を畳んだ。すでに勝負はついている。

 

「ありがとうございます」と、ミヒロははっきりと答える。彼にとっては、これまでもかけられてきた言葉だ。

 

 彼はモモナリから出てくる『悪くはない』の価値を知らない。

 

「技の相性はよく理解しているし、ひと目ポケモンを見たときに感じることのできる『危機感』も持っている。アドリブも悪くない……もったいないなあ」

 

 彼はゴルダックを手持ちに戻して続ける。

 

「君に『その気』さえあれば、必ずモノになるだろうに」

 

 その言葉に、ミヒロは一瞬戸惑い、そして、一気に顔を青ざめさせた。

 うまく隠してきたつもりだった。否、これまでの二人にはうまく隠し通せてきたのだ。

 父親に半強制的にやらされているとはいえ、それなりに前向きにバトルに取り組んでいるのだと、前の二人は思っていたはずだ。父からの期待を糧にやる気を出すような、愚かな操り人形のようなものだと思われていたはずだ。

 

「どうして、わかったんです」と、ミヒロが白状するように問うた。

 

「わかるさ」と、モモナリは退屈そうにあくびをしながら答える。

 

「君の攻撃には躊躇があった、攻め込めば良いところで攻め込まない不思議な躊躇だ。駆け出しのトレーナーですら畳み掛けてくるようなタイミングで、君はなぜか一旦間を置く」

 

 更に一拍おいて続ける。

 

「じゃあ臆病なのかと思えば、自分が攻められているときには思い切りの良い動きをする……あまりであったことのないタイプだったけど、ようやく理解できた」

 

 彼は一歩二歩とミヒロとの距離を詰める。

 オニドリルはそれを防ぐために動こうとした。だが動けぬ、疲れから足が動かぬだけではない、あの男の腰元のボール、その全てがすべてを監視しているように思える。隙だらけのように見えるが、今、その男にスキはない。

 モモナリはミヒロの前に立ち、笑顔で続けた。

 

「君、バトル苦手でしょ」

 

 突きつけられたその言葉に、ミヒロは「はい」と、その真実を認め、頷くよりほかなかった。

 

 

 

 

「お父様が期待していることはわかります」

 

 別荘最寄りのポケモンセンター。

 ミヒロは回復を終えたポケモンたちが入ったボールを撫でながら、隣に座るモモナリに呟くように言った。

 

「母さんは、お父様の強いところが好きだったんです」

「へえ」

 

 やはりモモナリはそれに興味がなさそうだった。

 それよりも、あの男がそんなに強くは見えなかったけどなあと、トレーナーとして思う。

 

「友だちが増えたみたいで、ポケモンといるのは好きです。ポケモンバトルというものが、彼らを軽視した単純な傷つけあいではないことも、これまでの先生たちから学んできました。ですが、どうしても」

 

 ミヒロは少し言葉をつまらせ、謝罪するように続ける。

 

「バトルは『苦手』なんです」

 

「だろうね」と、モモナリは頷いた。

 

「『嫌い』と言えるほどの関心もないって感じだったよ」

 

 ボールを撫でるミヒロに目をやってから続ける。

 

「ポケモンが傷つくのが心苦しいって感じかな、自分も、相手も」

 

 ミヒロはその言葉に動きを止め、モモナリを見つめる視線に恐れを含めた。

 彼は会って半日もたっていないであろうモモナリが、わずか一度、それも僅かな時間の手合わせをしただけで、これまで誰も見抜くことの出来なかった自らの本質を丸裸にしかけていることに心の底から驚いた。

 彼はポケモンバトルが苦手なだけあって、ポケモンリーグというものをよく知らぬ。

 だが、父が新たに家庭教師として雇った人物がどのような人間なのかを事前に調べておく社会常識はすでに持ち合わせている。

 早熟の異端児、最後の無頼派、人を紹介するには一癖も二癖もある言葉が並ぶその男が、少なくともこれまでのコーチに比べれば格上であることは理解できていたが、まさかここまで自分の常識外の人間であるとは思ってもいなかった。

 

「どうして、それがわかるんです」

「さっきも言ったけど、踏み込み方に癖があった、有利なときに尻込みし、不利なときに才能を見せる……普通は逆なんだよ」

「これまでのコーチには一度も言われませんでした」

「才能がないコーチだったんだろう」

 

 これまでのコーチを悪く言うような言葉に、ミヒロは少しムッとしたが、それに気づくことなくモモナリが続ける。

 

「とはいえ、トレーナーであればあるほど君のようなタイプと対面することはないだろうから気づかないのも無理はないかもね。それか、本当は気づいていたかのどちらかだろう」

 

 喋りすぎろ、という先人の教えが、今回はモモナリによく働いたようだった。ミヒロは彼に対する不満を一旦胸にしまう。

 

「お願いがあります」と、ミヒロは続ける。

 

「このことは、お父様には秘密にしてくれませんか?」

「あ、やっぱりまずいの」

「お父様の期待を裏切りたくはありません」

 

 ふうん、と、モモナリは鼻を鳴らした。彼はあの男をそこまで尊敬する理由がわからない。

 

「多分だけどさ」と、モモナリが続ける。

 

「もし俺が辞めたら、君のお父さんは次のコーチを雇うよね?」

 

 ミヒロは気まずさを感じながらそれに頷く。

 

「だろうなあ」と、モモナリも頷く。

 

 そして、しばらく考えた後に言った。

 

「よし、じゃあ色々教えてあげよう」

 

 ミヒロは、覚悟を決めたように一つ喉を鳴らしてそれに頷く。

 

「ありがとうございます、僕も克服できるようにがんばります」

 

 だが、モモナリはその覚悟に首をひねって答えた。

 

「うん? いや、バトルは極力やらないようにするよ。君は才能あるけど、人間の根本的な部分は中々変えようがないし、無理してするようなものじゃないさ」

 

 ミヒロはそれに首を傾げた。

 

「それなら、何を?」

「君のお父さんは俺の技術をキミに伝えてほしいと言った。バトルが苦手なら苦手なりに、ポケモンにできる限りダメージを与えないようなやり方がないわけじゃないさ。俺はあんまりやったこと無いけど」

 

 例えば、と、彼は腰のボールを一つ手にとった。

 

「今から、何を繰り出すと思う?」

 

 突然の質問だった。当然、ミヒロにそんな事がわかるわけがない。

 

「ゴルダック、ですか?」

 

 当てずっぽうに、彼は先程唯一確認することが出来たモモナリの手持ちを言ってみる。

 だが、モモナリはそれに首を振ってボールを投げる。

 現れたのは、ようせいポケモンのピクシーであった。最も、絵本や映画などでミヒロの知るそれに比べれば、随分と目つきが鋭いような気もするが。

 

「考え方が違う」と、モモナリが指を振って続ける。

 

「考えるべきだったのは『何を繰り出すか』ではなく『何を繰り出さないか』なんだ」

 

 意味がわからず首を傾げるミヒロに、彼は更に続ける。

 

「例えば、今この場にイワークを繰り出したとしたら、どうなると思う?」

 

 しばらく考えてミヒロが答える。

 

「大変なことになります」

 

 自分で言っておいて馬鹿みたいな答えであったが、モモナリはそれに「そうそう」と、感心して返す。

 

「そのとおり、ポケモンセンターのソファーのそばでイワークなんかを繰り出したらとんでもないことになる。だから、イワークは候補から外れる。似たような理由で、ギャラドスのような巨大な体格を持つポケモンも候補から外れるだろう。そうなると、結構な数を候補から外すことができる。同じように、この場の状況からして候補から外すことができるポケモンはもっといるだろうね」

 

 彼はピクシーをボールに戻して続ける。

 

「はっきり言って、今日出会ったトレーナーが今から何を繰り出すかなんて、ピッタリとした答えを出すことなんで出来やしない。いくら頑張ってもね。だからその逆を考える。そうすれば、いくらかは時間を作ることができる」

 

 その理屈の圧になんとなく頷きながらも、ミヒロはそれに完全に納得することは出来ないでいる。ただ確実に言えることは、このモモナリという男が、これまでのコーチとは明らかに毛色が違う人間だということだった。

 疑うわけではない、だが、もう少し自分にもわかりやすい説明が欲しかった。

 故に、彼は同じように自分が何を繰り出すかというクイズをモモナリに出題しようと右手を腰元のボールに伸ばそうとした。

 だが、次の瞬間、モモナリの傍らに再びピクシーが現れた。

 突然のことにあっけにとられたミヒロに、モモナリが少し微笑んで呟く。

 

「ゴーリキーを繰り出そうとしたね」

 

 まだ彼はポケモンを繰り出しておらず、モンスターボールに手を触れてすらいない。

 故に、ミヒロはその言葉を強がって否定できる権利があった、否、それ以前に、そもそもポケモンを繰り出すつもりなど無かったのだと主張することすら出来ただろう。

 だが、彼にはそれをしなかった、モモナリを相手に、今更強がる必要など無いと半ば諦めに近い理解をしていた。

 

「どうしてわかったんです?」

「目線をこちらに向けながら、右手が動いていた。状況的に、俺と同じことをするんだろうなと思ったよ」

「なんでポケモンまで」

「そっちは簡単、君はゴーリキーから預けて、ゴーリキーから受け取った。それをそのままセットしているのを確認してたからね。多分、オニドリルよりも付き合いが長いんだろう?」

 

「はい」と、それを肯定しながら、ミヒロはその男の持つ技術に恐怖にも似た敬意を持ち始めていた。

 

 そして、そうなってからようやく、モモナリが繰り出したピクシーというポケモンが、かくとうタイプであるゴーリキーに対する最も優れた答えだということに気づいた。

 

「まあ、このくらいは基礎的なところだね」

 

 モモナリは一つ背伸びをして、ソファーから立ち上がる。

 

「今日はこのくらいにしておこうか。それじゃあ、また来週」

 

 

 

 

 タマムシシティ郊外、別荘地。

 やはり予定よりも早く着いたモモナリは、特に遠慮することなく玄関を開く。

 すると、聞こえてきたのはヴァイオリンの音色であった。

 モモナリに音楽の素質はない、故に彼はその音の善し悪しなどわからないし、それを批評するつもりもない。

 だが、彼はそれに興味がないわけではない。

 耳は悪くない、彼はその音がする部屋に向かい、躊躇なくそのノブを捻った。

 

「あなたは……」

 

 その来訪に真っ先に反応したのは、モモナリと同世代であろう青年、一度会ったことのある、ヴァイオリンの家庭教師だ。

 彼はノックもなく部屋に入るモモナリの非礼無礼に憤るようにキッとした目線をモモナリに投げかけるが、すぐさまにそれは恐れを含んだものに変化した。

 モモナリはその視線にわずか程の後悔を感じることなく、彼なりに気を使って静かに扉を閉じた。

 だが、それでもその部屋に響くヴァイオリンの音が止まることはない。

 モモナリが来訪していることに気づいてはいるだろう。だが、ミヒロはモモナリに視線を投げかけることすらせずに演奏を続けている。

 

「へえ」と、モモナリはミヒロに感心した。

 

 少なくとも先週彼がミヒロに抱いた印象は、窮屈そうな子、というものだった。

 もちろん、彼はミヒロのすべてを知っているわけではない。彼とのバトルの中で、彼の人間性を予測するのみ。だが、それは得てしてよく当たるし、彼がそれを疑ったことはない。

 だが、今目の前にいる青年はどうだ。

 彼は自らがヴァイオリンを演奏することを疑っていない。モモナリに気を使うことが、それよりも優先順位の高いことだとは微塵も思っていないだろう。

 モモナリは、ヴァイオリンについて何も知らない。

 そりゃあ、イベント事やテレビなどでちらりとそれを見やったことはあるだろう。だが、その一挙手一投足にまで気を張ったわけではない。

 ヴァイオリンというものは、全身で弾くのだなあと、彼は産まれて初めて思った。

 演奏を楽しみながら、彼はソファーに目をやる。

 そこには、ピッタリと足を閉じて美しく座るゴーリキーと、目を閉じてそれに聞き入るオニドリルの姿があった。

 なるほどね、と、モモナリは理解する。

 自分という侵入者があるのに、それを警戒しない彼らが、トレーナーというものに向いているはずがない。

 だが。

 彼らは楽しそうだ。

 

 

 

 

「やあ、どうも」

 

 それから少しして、ミヒロが演奏の手を止め、心地よい演奏が終わったことを感じてから、モモナリは手を上げて彼に挨拶した。

 

「失礼しました」と、ミヒロはヴァイオリンをおろしながらモモナリに微笑む。

 

「いやいや良いんだ」と、モモナリは手を降って続ける。

 

「多分、失礼なのは俺の方だったんだろう、こういう事が起きるとき大体失礼なのは俺の方なんだ」

 

 壁にかけてある豪勢な時計をちらりとみやり、そろそろ時間だと言うことを確認してから続ける。

 

「それはいつから?」

「五歳くらいの頃からです……まだまだ遊びの域ですが」

 

 その謙遜を「そんなことはないよ」と否定したのは、家庭教師の青年だった。

 

「君はもっと自信を持っていい」

 

 彼は少し自嘲的に笑いながら続ける。

 

「良い先生に教われば、もっと伸びるだろうに」

「そんなこと……」

「あなたは良い先生じゃないんで?」

 

 モモナリの不躾な質問に「彼は良い先生です」とミヒロは強く答えたが、青年はやはり自嘲的に笑う。

 

「僕はまだ学生です。彼はもうプロに指導してもらう段階に来ていると思います……バトルのようにね」

 

 その言葉には明らかに皮肉が込められていた。

 だが、モモナリはそれに気づくことなく「へえ、そりゃすごいなあ」と感情の赴くままに答えた。

 その様子を見て、青年は途端に、その皮肉を言ってしまったことで自らの底が浅くなってしまったのを感じた。

 

「申し訳ありません」と、青年は後悔をにじませながら頭を下げる。

 

「失礼な言葉でした」

 

 青年は、モモナリがリーグトレーナーであることを知っていた。そして、ミヒロの父による露骨なまでの『えこひいき』に思うところもある。

 モモナリはその言葉に一瞬首をひねったが、すぐさまに考えを切り替えてあっけらかんと答える。

 

「あなたは俺よりヴァイオリンに詳しい、あなたがプロに指導してもらうべきだと言うならそうなんでしょう」

 

 更に彼は続ける。

 

「お父さんに言えばいいのに」

 

 今度はそれにミヒロが首を振った。

 

「お父様は、僕のヴァイオリンには興味がないんです」

「どうして? 素晴らしいものだったよ」

「……お父様は、強い人間が好きですから。あなたのように、一人で生きていれるような強さのある人間が好きなんです」

「ふうん。でも君はバトルよりヴァイオリンのほうが好きなんだよね?」

 

 その言葉は、答えようによってミヒロの立場を危うくするような質問に感じられた。

 

「どうしてそう思うんです?」と、彼は緊張しながら問うた。

 

「誰だってわかるよ」と、モモナリは答える。

 

「何より、君のポケモンたちが、君の演奏にうっとりしていた」

 

 不意に投げかけられた視線に、ソファーに座るゴーリキーとオニドリルはやや気まずそうにした。

 

「そうだ」と、モモナリが手を叩いた。

 

「君さ、俺にヴァイオリン教えてよ」

 

 その不意な提案に、ミヒロと青年は驚いた。

 モモナリは更に続ける。

 

「丁度さ、新しい趣味を探してたんだよ」

「……音楽の経験は?」

「昔ギターをやってたよ」

「どんな曲を弾いていたんですか?」

「いや、全然弾けなくてね、すぐに人にあげちゃったんだ」

 

 ミヒロは絶句した、その経歴で『ギターをやっていた』なんて言って良いはずがない。

 

「楽譜は読めますか?」

「ああ、あれ全然わかんないんだよ」

 

 どうやら音楽の経験どころか、音楽の常識から無いらしい。

 その提案が、モモナリの気まぐれであることを案じた青年が助け船を出す。

 

「初級者コースならば、私が請け負いますよ。少しだけなら割引をしても良い」

「いや、俺は彼に習いたいんだ?」

「どうしてです? 彼は講師ではない、私は少なくとも初級者に教えるのは得意です」

「そういうことじゃないんだよなあ」

 

 モモナリはミヒロに目線を投げかけて続ける。

 

「彼があまりにも、楽しそうだからさ。あんたと違って」

 

 彼が何気なく言ったその言葉は、青年を口ごもらせるのに十分だった。彼が心のなかで思っていた何かを、刺激したのだろう。

 だが、それでも彼はミヒロを守ろうとして続ける。

 

「ミヒロくんは、ひと月後に全国規模のコンクールを控えているんです。せめてその後まで待っていただきたい。それまでは私があなたにお付き合いします。料金はいりません」

 

 ひと月、それは妥協点としては妥当に思える月日だろう。

 だが、モモナリはそれに首を振った。

 

「いや、来週から始めたいなあ」

「ミヒロくんにとって、このひと月がどれだけ貴重か」

「時間ならさ、俺がバトルを教える時間を使えばいいよ、それなら良いでしょ?」

 

 その言葉に、今度こそ青年は押し黙った。

 理屈や倫理観を考えるのならば、青年に理がある。

 だが、目の前のトレーナーは、そのような理屈や倫理観を吹き飛ばすだけの力があることを、その青年は理解している。何を言おうと、彼を止めるだけの力は、青年にはない。

 だが、ミヒロはそれを悪い提案だとは思っていなかったようだった。

 

「良いですよ」と、彼は頷いてそれに答える。

 

「ミヒロくん」と、青年がそれを否定しようとするのを、彼は言葉を続けて遮る。

 

「バトルの時間は、どうなっても削れない時間です、それならば、僕はどういう形であろうとヴァイオリンと一緒にいたい」

 

 そう、バトルの時間が削れるのならば、ミヒロにとっては悪い話ではないのだ。

 最も、そもそもバトルの時間そのものがそっくり必要ないのだが。

 

「ありがとう、来週が楽しみだよ」と頷くモモナリに、ミヒロはヴァイオリンを片付けながら答える。

 

「いえ、今日から始めましょう。まずは、楽譜の読み方からです」

 

「いや、そういうのはあんまり興味がないんだけど」とそれを断ろうとしたモモナリをミヒロはきっと睨みつけた。

 

 好きが故、彼は妥協を良しとしないようだった。




今回はモモナリ史上最大の難産回でした。心折れかけて何度もボツにしかけました。

感想、評価、批評、お気軽にどうぞ、質問等も出来る限り答えようと思っています。
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また、現在連載している『ノマルは二部だが愛がある』もよろしくおねがいします!

今回は見やすくするために空行を多くしていますがどうですか?

  • 見やすいので継続してほしい
  • もっと開けてくれても良い
  • 前のように空行がないほうが良かった
  • その他(感想などにおねがいします)

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