モモナリですから、ノーてんきにいきましょう。   作:rairaibou(風)

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・モモナリ(オリジナルキャラクター)
 本作主人公、Aリーグ所属
 この頃は三十代前半、執筆業が半ばライフワークになりつつあり落ち着いてる
 過去にサントアンヌ杯を二度制しており、三度目の優勝を目指す。

・ハルト(オリジナルキャラクター)
 キナギ諸島出身の少年(十歳前後)
 海上バトルの天才でありサントアンヌ杯に招待される。
 リーグトレーナーファンである姉の影響でモモナリの大ファン

・ウミカ(オリジナルキャラクター)
 キナギ諸島出身の少女(十七歳前後)
 サントアンヌ杯に出場するハルトの面倒をみるという名目でサントアンヌ号を訪れる。
 都会かぶれでSNSでは多少の影響力のある存在だが、自撮りよりもキナギの自然を写した写真のほうがバズることには不満だし都会にかぶれているだけで都会人ではない


セキエイに続く日常 193-憧れの人 ①

 豪華客船サントアンヌ号が、久々のクチバシティにもたらしたのは、乗客である暇な金持ちと、度胸と腕力のある船乗りたちによる経済効果だけではない。

 もちろんそれは大きな贈り物の一つだろう。その証拠に、サントアンヌ号が停泊している間、クチバシティはより活気を見せる。

 フレンドリィショップは張り切り、飲食店は色めき立ち、将来ビルが建つのだという開けた土地は快く開放され、そこを中心に屋台が並ぶ。

 暇な金持ちは屋台を鼻で笑うだろうか、否、そうはならないだろう。彼等の多くは異国の文化あふれるそれを悪くは思わないに違いない。

 そして、クチバシティの活気に喜ぶのは暇な金持ちだけではない。

 カントー、ジョウト、そしてホウエンやシンオウ、更にはそれらの間にあるような地方の人間も、その活気を求めてクチバシティを訪れるのだ。何より、クチバシティにはあの豪華客船、サントアンヌ号がある。

 彼等は、否、普段のクチバシティを知る彼等だからこそ、クチバシティの活気を、その街の非日常を楽しまんとする。

 豪華客船サントアンヌ号は、乗客にも、そして停泊する地方にも、良質な非日常を提供する船であった。

 

 

 

 

 その姉弟も、彼女が運んできた非日常に引き寄せられた一つだった。

 屋台を堪能したのだろう、既にその手にはいくつかの紙袋が吊り下げられている。

 

「うわあ、大きいなあ」

 

 姉の方、ウミカは、一世代型遅れの携帯端末でそれを画角に収めながら、途方も無いことのようにつぶやいた。

 

「大きいなあ」

 

 弟の方、ハルトも、姉と同じく途方も無いことのように呟く。まだまだ子供だとはいえ、何でもかんでも姉の真似事をするような年齢はとうに過ぎていた、つまりそれは、その非日常に対する素直な感想なのだろう。

 目の前に停泊している豪華客船『サントアンヌ号』は、彼女らにそう言わせるのに十分な風格を有していた。

 

「ホエルオー何匹分だろう」

 

 それは少しばかりずれた比較であったが、無理もない。彼女ら田舎者にとって、その存在はあまりにも都会的すぎたのだ。

 日焼けに額の絆創膏、弟の方はまさに田舎の少年といったところだろう。

 姉の方は年頃なだけあってそれなりに服装に気を使っているだろうし、SNSだって使いこなせる。

 だが、手にしている携帯端末は画素数よりも分割料金にこだわったものであるし、とりあえず目についたものをパッと写真に取ってすぐにアップするその性格では、よほどにすごいものを写真に収めないことには到底バズるようなことはないだろう。かぶれてはいるが、こなれてはいない。

 

「こんなに大きな船、見たことがないよ」

 

 少年、ハルトの呟きは、実はサントアンヌ号にとっては価値のあるものだった。

 確かに、彼女ら姉弟は都会に疎い田舎者であるかもしれない。

 だが、彼女らは決して海を知らぬわけではない。

 むしろその逆。彼女らは一般人に比べて、遥かに海に対する造詣が深かった。

 

 ウミカとハルト、その姉弟は、ホウエン地方、キナギ近辺の出身であった。

 ここであえて『近辺』という表現を使ったのは、キナギタウンの特異性にある。

 信じられないことだが、キナギタウンという『地』は存在しない。

 古来より、彼等は海に浮かぶ筏を住居として生活してきた。もちろん、サンゴ礁や岩礁など、それなりに筏を固定しやすい場所がその中心となってはいるだろうが、それでも異常であることには変わりない。

 それになんの意味があるかはわからない、著名な民俗学者によれば『何かを監視する役割であったのではないか』となっているが、それを証明する手段を現代の人間が持ち得ているわけがない。

 一応、異例中の異例として建設されたポケモンセンターを中心に『キナギタウン』とされてはいるが、現地の人間にそのような意識が強くあるわけではなかった。

 彼等ほど、海を知る人間たちはいないだろう。

 

「とりあえず、中入ろっか」

 

 数枚の写真を取り終えたウミカは、弟にそう促した。

 もちろん彼等の目的はサントアンヌ号そのものである。

 

「うん」

 

 と、ハルトは戸惑い半分、恐れ半分といった風に頷いた。

 弟のそんな様子を見て、姉はため息を付いた。

 一度陸に上がれば『海王の子』もここまで脆いものか。

 

 キナギでハルトの名を知らぬものはそう居ない。

 彼は、キナギの歴史の中でも類を見ないほどの海上バトルの申し子であった。

 物心ついた頃には『なみのり』でポケモン達とレースとバトルを楽しみ、やがてそれは、襲いくる野生への対抗としても力を発揮した。

 彼は、強力な野生ポケモンたちに対する住民側の選択肢の大きな一つであったのだ。

 その手腕は、荒れ狂う二体のギャラドスを目の前にしても怯むことなく、ポケモンレンジャーの増援が到着する頃には既にその勝負を終えているということすらあるものだった。もちろん、その後に家族とレンジャーに『危ないことをするな』と釘を差されたが。

 

 だが、これまで、ホウエンや他地方の人間が彼の名を、存在を知ることはあまりなかった。

 キナギの周りには複雑で流れの強い海流が渦巻くが、キナギそのものには、観光や物流の観点から人の流れはない。単純なもので、キナギで何が起ころうとも良くも悪くも注目されないのだ。

 しかし、その潮目が変わったのは去年。

 都会かぶれで新しい物好きなウミカが、いつものように野生のポケモンを相手にしている弟の動画を気まぐれにSNS投稿したところ、その迫力とわかりやすく豪快なテクニックから話題となったのだ。

 その後、同じく新しい物好きなリーグトレーナー、タマキがプロの目線からハルトのテクニックを称賛、そしてハルトを知るルネジムリーダー、ミクリの彼への好意的な紹介により、その投稿が『リザードン級バズり』になったという次第だ。

 それから時が経ち、既にそのバズりを燃え上がらせた人々の記憶にハルトは居ないだろう。

 だが『業界』は彼を決して忘れないし、その秘めたる才能を解き放つ場を作ることで、彼も『業界』も得をしようと彼等に話を持ちかけた。

 つまりハルトは『サントアンヌ杯』の出場者として、船に招待されたのだ。

 

 

 

 

 

 

「まったく、どこに行ったのかしら」

 

 サントアンヌ号内にあるのは、比喩ではなく『街』だ。

 飲食店もある、エンターテイメントもある、ショッピングエリアもあれば、吹き抜けの公園もある、ジムだってある、ポケモン用も、人用も。

 恐らく、彼女らの故郷よりも、そこは街であった。

 そうなれば、当然ながらそこには『人混み』だってある。

 田舎者の彼女ら姉弟がそれに耐えられるはずもなく、当然のように、姉弟ははなればなれになってしまったのだ。

 

「だから手を繋げって言ったのに」

 

 ウミカはそう呟くが、たとえ姉弟仲が良かろうとも、十歳前後の少年が姉と手を繋いでいることを人に見られることの心理的な羞恥を、彼女は理解しようとしない。

 

「変な騒ぎを起こしていないといいけど」

 

 そうつぶやきながら端末を操作するも、ハルトは携帯端末を所持していない。

 だがまあ、と、彼女は目の前にある英雄像を見上げた。

 鎧をまとい、盾と剣を掲げたその男の像は、わかりやすく『街』の真ん中に存在している。

 どちらかが逸れたら、この像の前で待ち合わせをすればいいと示し合わせた姉弟の判断は正しかっただろう。

 だが、その判断にはまずいところもあった。

 確かに、よく目立つその像は待ち合わせにはピッタリのスポットであろう。

 逆を返せば、それなりの手練から見れば、その像は都合のいい狩場でもあったのだ。

 

「待ち合わせ?」

 

 ウミカは、不意に耳に届いたその言葉を、最初は気に留めなかった。

 悪意があるわけではない、知り合いなどいるはずもないそこで、弟以外の声が自らに向けられるはずがないと思っていたのだ。

 

「ねえ、誰かと待ち合わせしてるの?」

 

 だが、二回目となるとそうはならない、彼女はその声が自らに向けられているものだとようやく理解し、その声の方向に顔を向けた。

 大学生だろうか、そこに居たのは、自らより少しだけ年上のように見える三人の男だった。

 髪には整髪料、顔には微笑み、彼等が女性によく思われようとそれなりの努力をしていることはウミカにも理解できていた。

 

「は、はい」と、彼女は緊張しながらそれに答える。

 

「弟を待っているんです」

 

 ウミカは都会にかぶれてはいるが、都会人なわけではない、むしろ彼女はキナギの田舎者であり、つまり、こなれていない。

 望まぬ、それでいて身の丈の合わぬ男をバッサリと切り捨てるテクニックというものは、あいにく持ち合わせていなかった。

 彼女がそのような田舎者であることを、男たちは経験から見抜いたのだろう。リーダー格の男がぐいと距離を詰めながら言う。

 

「へえ、大変じゃん。だったらさ、俺達と一緒に探そうよ」

「そうそう、俺たちこの船では結構遊んでるからさ」

「子供が行くところはすぐに分かるよ」

 

 ウミカは一歩後ずさりながら答える。

 

「いえ、ここで待ち合わせるように言い聞かせてるんで」

 

 その反応で、男たちは彼女がいわゆる遊ぶタイプではないことを理解した。

 だが、男たちはそこで引かなかった。はいそうですかと引くには、ウミカは彼等にとって上物過ぎたのだ。

 

「モンスターボール持ってるけど、君トレーナー?」

 

 まだ離れぬ彼等に少し恐怖を覚えながら、ウミカは小さく頷く。

 

「へー、すげー」

 

 男たちはさらに続ける。

 

「俺たちさ、すげー強いトレーナーと知り合いなんだよ」

 

 リーダー格の男の意図を察知したのか、後ろの男たちもそれに頷いた。

 

「そうそう、マジで強いんだよ」

「ジムリーダーやリーグトレーナーなんて目じゃねーよな」

 

 当然ながら、彼等にそんな知り合いなどいない。何なら、彼等の腰にはモンスターボールすらない。

 だが、そんなことはどうでもいい。彼等は、彼女がそれを嘘だと知る頃には自分達と楽しんでいるだろうと思っているからだ。

 もう二、三言、彼女を誘う言葉を続けようとしたときだった。

 

「姉ちゃん!」

 

 彼等の背後から声がした。

 ウミカはそれに安堵する。それで自分の状況が良くなるわけではないが、ひとまず弟は無事であった。

 だが、ハルトは顔を赤くしている、それが駆けてきたからなのか、それとも興奮しているからなのかはわからない。

 彼女がその理由を知るのは、その直後だった。

 

「それは本当かい」

 

 彼等に声をかけるもう一つの声。当然彼等に聞き覚えなど無い。

 そうなってようやく、彼等は振り返った。

 そして彼等は、目を見開いた。

 おっさんだ。

 若々しい彼等からすれば、その男はそう呼ぶに値するだろう。

 だが、彼等を見るその瞳はらんらんと異様に輝き、口角が上がって笑みを作っている。

 ポケモントレーナーの、おっさんだ。

 腰元のモンスターボールを見ればそれはすぐに理解できる。

 だが、そこにあるボールは六つ。普通ではない。

 

「本当にそんなに強いトレーナーと知り合いなのかい」

 

 自分達の軽さを注意するわけでもなく、ナンパを咎めるわけでもない。

 ただ、そのトレーナーもまた自分達の嘘に騙されているのだろうことは理解できた。

 だが、その表情、その笑みは、少なくともウミカのようないたいけの少女が見せるものとは違いすぎた。

 

「あ、いや」

 

 リーダー格の男は、思わず一歩下がってたじろぐ。

 そのトレーナー相手にその嘘を貫き通すのはリスクが大きすぎることを直感的に受け入れたのだ。

 

「是非とも戦ってみたい」

 

 既にその手がボールに行っているような気もする。

 

「あ、そうだ」と、不自然なほど大きく、リーダー格が声を上げた。

 

「俺たち、ちょっと用事を思い出しました!」

「そ、そうだ!」

「そうだった!」

 

 彼等は一斉にトレーナーに背を向け、それが不自然にならないように気を張りながら、それでいて半ばかけるようにそこを後にした。

 

「あ、連絡先」とトレーナーは逃げる背中に投げかけたが、男たちがそれに反応することは無かった。

 

 彼は遠くなる背中を名残惜しそうに眺めながら、はっ、と、まるで抜群のひらめきを思いついたかのような表情になった。

 

「さては、嘘なのか」

 

 そして彼は、ハルトとウミカを交互にみやりながら申し訳無さそうに苦笑いする。

 

「いや申し訳ない、昔からの悪い癖でね。今の子達は知り合いかい?」

 

 その問いに、ハルトはやはり顔を赤くしながら首を横に振って否定した。当然だ、彼等はハルトには見覚えがない顔だったし、そもそもキナギから来た自分達が、サントアンヌ号で知り合いに出会うことなんて無いだろう。

 ウミカは、その問いにまだ返答を表明できないでいた。

 彼女は「モ、モ」と、声を上げながらパクパクと口を動かしていた。

 そして、一つ喉を鳴らしてようやくその現実を飲み込んだ後に声を上げる。

 

「モモナリ選手! なんで!? どうして!?」

 

 声を上げながら、それでも彼女は混乱していた。

 そう。

 見ようによれば颯爽とウミカを助けたその男は、カントー・ジョウトリーグトレーナー、モモナリであった。

 

「姉ちゃん! 声! 声!」

 

 ハルトはそう言って姉を注意するが、その声もやはり小さくはない。

 姉弟は、今ここにモモナリがいることを気づかれると、とんでもない騒ぎになると思っていた。

 なぜならば、その姉弟からすれば、モモナリというトレーナーは、彼女らの知る中で最も有名なトレーナーであったのだ。

 都会にかぶれポケモンリーグのファンであった姉、海上バトルには自信があり、過去のサントアンヌ杯を高い技術的な視点でも眺めることのできる弟。それぞれの能力がそれぞれに影響を与え続けた結果、その姉弟は典型的なモモナリのファンとなっていたのだ。

 曰く『異端児』

 曰く『最後のチャンピオンロード世代』

 曰く『砂嵐の答えを知る男』

 曰く『コンマ一秒の暴君』

 曰く『ハナダののーてんきエッセイ野郎』

 彼女らは、そういう少し誇張した、かっこよさを優先した異名を真に受けている。

 だが、ハルトの心配は杞憂に終わる。

 もちろん、道行く人々の中にはモモナリの存在に気づいている人間だっているだろうし、その中にはモモナリに多少は好意的な人間もいるだろう。 

 しかし、その姉弟を越えるほどのファンはいなかったのだろう。慌てて手で口をふさいだ彼女はモモナリに人が群がるかもしれないと不安になったが、そんなことはなかった。

 

「いやあ、そこで君の弟くんと会ってね」と、モモナリは姉弟の感激にはいまいちピンときていない様子だった。

 

 頷く弟に、ウミカは「あ、ありがとうございます」と頭を下げる。

 

「いやいや、良いんだよ。僕も初めてサントアンヌ杯に招待されたときは色々と戸惑ったものさ。広いからね、この船」

 

 モモナリは再び姉弟を見やって続ける。

 

「ホウエンから来たのならわからないことも多いだろうし」

 

 ウミカはそれに驚いた。

 自分達がホウエンの人間だなんて、少なくとも自分はモモナリに言っていない。

 彼女はハルトに視線を送ったが彼も首を横に振る、少なくとも彼はモモナリと出会ってすぐのようだ。

 

「ああ」と、モモナリは珍しく姉弟の戸惑いを察してそれに答える。

 

「ハルト君の動画を見たことがあってね」

「ええ!」

 

 その答えに、姉弟は再び驚いた。

 確かにリザードン級のバズを達成したツイートであり、著名人からのコメントもあったが、まさかファンであるモモナリもそれを目にしているとは思っていなかったのである。そもそもモモナリはSNSを使用していない。

 

「まだ若いのにすごいなと思って、いつか会いにこうと思っていたんだ」

「本当ですか!?」

「本当だよ。だから今回の大会は楽しみだったんだよね」

 

 今回の大会、というのは、もちろん『サントアンヌ杯』のことだろう。

 

 サントアンヌ杯は、サントアンヌ号が主催するポケモンバトルの興行である。

 一年ごとに、各主要地方の港町を舞台に行われ、今年はクチバシティを舞台に、ホウエン、ジョウト・カントー・シンオウ、またはそれらの合間にあるような地方からトレーナーが八名招待され、二日に渡ってトーナメントを争う。

 船長の居合斬りショーと並ぶ人気公演であるというのは船長の言葉だ。

 

「戦うのを楽しみにしているよ」

 

 無邪気に微笑むモモナリに、姉弟は緊張した。

 楽しみにしていると言ったその男の、サントアンヌ杯での実績を、彼女らは当然知っている。

 曰く『聖アンヌの絶対的守護者』、モモナリは過去二度サントアンヌ杯を制覇している、数少ないトレーナーであった。

 

「ところで」と、モモナリは緊張する姉弟相手に続ける。

 

「この後、なにか予定はある?」

 

 突然の問いに、姉弟は首を振ってそれを否定した。

 

「そう」と、モモナリは目を細める。

 

「もし君たちがよかったら、この船を色々案内してあげようと思うんだけど」

「ええっ!」

 

 ウミカはその提案に再び大きな声を上げた。

 その逆に、ハルトはなんの声も出せなくなっている。

 何という幸運だろう。憧れのトレーナーがこの豪華客船を案内してくれるなど。

 状況だけを考えれば、先程のナンパと何も変わらないのだが、これが社会的信用というやつなのだろうか。

 

「良いんですか!?」

「うん、僕も夜まで暇だしね」

 

 夜、船内のレストランにて、サントアンヌ杯の前夜祭が行われる。

 

「よ、よろしくおねがいします!」

「お願いします!」

 

 そう言って頭を下げる二人に、モモナリは頭をかいた。

 

「いやいや、こっちの都合だからね。そんなに恐縮することはないよ。何かあったら何でも言ってね」

 

 彼は懐からパンフレットを取り出してそれを広げた。

 

「それじゃあどうしようか、この船なんでもあるからね」

 

 モモナリのそれを見てから、二人も同じようにそれぞれのカバンからパンフレットを取り出す。

 

「やりたいことから絞っていくか」と、モモナリはぐるりとそれを見回してから問う。

 

「食べるのと、遊ぶのと、見るのと、買うのと、どれが良い?」

 

 姉弟は顔を見合わせた。

 腹が空いているわけではない、モモナリを前に遊ぶ気分にもまだなれない、この船でショッピングを楽しむだけのお小遣いもない。

 

「み、見るので」と、ハルトが答える。

 

 すぐさまにモモナリはパンフレットの別ページをめくった。

 

「見るのなら、映画とか、ミュージカルとか、人とポケモンの水しぶきショーとか」と、そこまで言ってから「ああ」と、モモナリは微笑んだ。

 

「今日の水しぶきショーのサプライズゲストはオーノなんだよ」

 

 その言葉は、幸いにも周りの民衆には届いていないようだった。

 

「あ、これ他の人に言っちゃだめだよ。サプライズだからね」

 

 更にそのまま「映画もいいよね、あ、この映画は僕のガブ」とまで言いかけたモモナリに「あの!」と、ハルトが声をかけた。

 

 ウミカは弟がモモナリの言葉を遮ったことに緊張したが、彼は特になにか思うこともなく彼の方を向く。

 モモナリを見上げるハルトは、腕に一冊の本を抱えていた。

 

「さ、サインください!」

「なんで今!?」

 

 モモナリに差し出されたそれは、彼のエッセイの連載をまとめた本だった。彼と、出版社の予想よりも遥かに売れたそれをそうやって差し出されるのは、あまりない経験ではあった。

 ウミカは、それをモモナリに対する非礼であると思った。明確なエビデンスがあるわけではないが、有名人というのは、そのような、サインを求められる行為を嫌うのではないかというのが彼女の感覚であった。ハルトはいい子だと思うが、時たま突飛なことをする。

 だが、モモナリは特にそれを不快に思うことはなかったようだ。

 

「ああ、いいよいいよ」

 

 彼はハルトから丁寧にそれを受け取る。

 姉弟はそれを、彼が大物で寛大な心を持っているからなのだと好意的に解釈した。実際のところは、何も考えていなくて不機嫌になる機嫌がないだけだけなのであろうが。

 

「ええっと」と、モモナリはジャケットを弄った。

 

「しまった、ペンをどこかに落としたかな」

 

 自らの失態に苦い顔をし、また前夜祭のときに、と告げようとした時だ。

 

「あ、ペンあります!」と、今度はウミカがカバンを弄る。

 

 そして、一本の油性ペンとそれを取り出し、少しばかり沈黙してからそれらをモモナリに差し出した。

 

「……私も、サインください」

 

 それは、モモナリが読者からの質問に答える連載を書籍化した本だった。これもまた、本人と出版社が思っていたよりは売れたらしい。

 

「何なら、写真も撮るかい?」と、モモナリはそれらを受け取りながら微笑んだ。




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いつになるかはわかりませんがモモナリの質問コーナーをもう一度やろうかなと考えています。モモナリへの質問などありましたら感想欄もしくはマシュマロの方に投稿してみてください。

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また、現在連載している『ノマルは二部だが愛がある』もよろしくおねがいします!

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