モモナリですから、ノーてんきにいきましょう。   作:rairaibou(風)

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・ストー(オリジナルキャラクター)
 ホウエン生まれシンオウ地方在住の元潜水士
 既に引退している老人だが、見上げるような巨体と筋肉を誇る
 海に関しては一家言ある
 副業はプロレスラーだった


セキエイに続く日常 193-憧れの人 ②

「いやあ、大分遊んだねえ」

 

 船内に存在するそのカフェテリアからは、クチバの海を一望することができた。今日は潮風も優しいようで、ウミカの髪をそよがせる程度だ。

 

「はいじゃあこれ」

 

 既にそこに座っていた姉弟に、モモナリは手にしていたガレットを手渡す。

 

「ガレットのトッピングは全部乗せが良いって友達が言ってたんだ」

 

 豪華客船らしく溢れんばかりにトッピングの乗ったそれを、姉弟は溢れぬようにと恐る恐る手に取る。

 疲れた体に、その甘味は有効に働くだろう。

 姉弟揃ってクタクタになっていた。

 

 予告どおりのサプライズとしてリーグトレーナーのオーノが『バトルを魅せた』水しぶきショー。

 アーボックの巨大な口を模した入り口から一気に滑り降りるチューブスライダー。

 壁にはボルダリング、ふれあいコーナーにはイーブイ。老人たちが集まる手芸教室。

 タキシードに身を包んだカイリキーが器用にカクテルのシェイカーを二つ振るバーは、流石に見ただけだったが。

 とにかく、豪華客船というものは、何より航海中に乗客を飽きさせないようにできているのだと彼等は知ったのだ。

 

「疲れたかい」

 

 そう問うモモナリに、姉弟は首を縦に振ってそれを肯定した。口にはまだクリームが残っている。

 ははは、とモモナリは笑い、続ける。

 

「それでも、やりたいことはやりたいときにやるものだよ。明日、それが同じように魅力的に見えるとは限らないんだから」

 

 ウミカはそれに頷いたが、その意味は深くはわからない。

 

「さてと」と、モモナリは最後に残ったガレットを眺めながら二人に問う。

 

「ちょっと、ポケモンを繰り出したいんだが、良いかな?」

 

 姉弟はやはりその提案に驚いたが、やはり首を縦に振る。

 リーグトレーナーのパートナーを間近で見られるなんて、なんて幸運なのだろう。

 

「良いってさ」と、モモナリが言うが早いか、そのポケモンはボールから飛び出してきた。

 

 彼女が足を踏みしめるその振動に、ガレットからトッピングが零れそうになるのを、姉弟は慌てて手で抑え、その手にクリームがトッピングされていた。

 

「ガブリアス!」と、ハルトが喜びの声を上げる。

 

 彼の言う通り、彼女はマッハポケモンガブリアス。

 彼が喜んだのは、もちろん彼の故郷であるキナギでは、ドラゴンというものは長老の語る古臭い伝承でしか知らないものであったこともあるだろうが、それよりも大きな理由は、それがモモナリの手持ちであるガブリアスであったからだろう。

 モモナリを知っているならば、当然彼女の存在を知っているだろう。

 曰く『孤高の女王』

 曰く『ノイズに潜む悪魔』

 曰く『天才のラストピース』

 曰く『お高く止まったあの子は甘い木の実が好き』

 曰く『第四回ガブリアスナンバーワン決定戦優勝』

 砂嵐の中で何体もの相手を葬ってきたそのポケモンは、モモナリの手持ちの中でも特に人気が高い。

 その人気たるや、きのみチップスのおまけとしてついてくる彼女のリーグトレーナーカードの価値が、なんとあの『なんでもなおし』と同等の価値である。

 彼女のカードを手に入れるにはモモナリのカードが十枚必要であるし、彼女のカードを十枚集めれば、なんとあのワタルのカイリューのカードと交換できるのだ。

 ハルトは彼女に憧れと期待の眼差しを、ウミカはそれに少しばかりの恐怖を加えた眼差しをしていた。

 ガブリアスは誰から教えられたのか姉弟に軽く会釈をすると、それはそれと言わんばかりに上を向いて口を開いた。

 

「ああ、悪いね」と、モモナリはガレットを持ったまま立ち上がる。

 

 すると彼は、腕を伸ばしてそれをガブリアスの口に放り込んだ。

 

「まだまだ甘えたでね、こうやって食べるのがお気に入りなんだ」

 

 ガブリアスは頭を振りながらそれを口いっぱいに広げて味わうと、いかにも満足だと言わんばかりの笑顔を見せ、モモナリの胸に頭を擦り付ける。

 それは、彼女が甘噛みの代わりに最近編み出した、彼女なりの愛情表現方法であった。

 

「かわいい!」と、ウミカは彼女のそのような様子に笑顔をみせて素直にそう漏らした。

 

 モモナリのガブリアスが実は可愛いというのは噂では聞いていたが、このように実際に目の辺りにすると、それは噂以上だったのだろう。

 

「君たちも撫でてみるかい?」

 

 ガブリアスの首の下を、鱗の流れに逆らわぬように撫でながら、モモナリは姉弟に言った。

 

「いいんですか!?」

「良いとも、子供に撫でられるのが好きでね」

 

 感激の提案であった。

 ガブリアスはモモナリの提案に同意するように姉弟に視線を向け、牙と爪を隠しながら先程までと打って変わって低い姿勢で彼女らに身を寄せる。いつかの教育番組で子どもたちと共演したときに身につけたできる限り相手を怖がらせない姿勢だ。

 まずはウミカが、恐る恐るそれに触れる。

 鱗だ。

 サメハダーと同じような鱗がある。

 だがそれは、サメハダーのそれのように触れるものを傷つけるものではなかった。

 

「冷たくて、すべすべしてる」

「そうだろう、この子は『さめはだ』じゃないからね」

「ねえちゃん、次俺、俺」

 

 せがむ弟に姉が譲ると、ハルトは同じくその肌を撫でる。

 だが、彼は姉と違ってそれへの驚きだけではなく、ガブリアスの表情を見ながら撫でる手付きを変えようと探っていた。

 

「なるほど」と、モモナリはその様子を見て微笑む。

 

「ポケモンの表情を見ることに慣れているね」

 

 ハルトはそれに得意げだった。

 ウミカも、弟をわかりやすく褒められて悪い気はしないだろう。

 だから彼女は、モモナリに思っていることを問うことにした、彼は悪い人間ではないだろうと漠然と思っていたのである。

 

「あの、モモナリ選手」

「選手はつけなくていいのに」

「あ、ごめんなさい! それなら、モモナリさん」

「うん?」

 

 彼女は、今からする問いが、少なくともモモナリがうんざりするほどされたものではない事を確認するかのように、彼が読者からの質問に答えた本を取り出しながら続ける。

 

「私も、モモナリさんに質問があります!」

 

 受け取り方によっては無礼かもしれぬその言葉を、モモナリは笑って受け入れる。

 

「ああ良いよ、何でも質問して」

 

 その器の大きさに感激しながら、ウミカは問う。

 

「あの、モモナリさんはどうして海上戦が強いんですか?」

 

 漠然とした問いにモモナリはその続きを待ち、ウミカもそれに続ける。

 

「モモナリさんの出身は内陸のハナダじゃないですか、たしかにハナダは川と湖はありますけど、それは海とは全く違います」

「それ、俺も気になります」

 

 姉の問いに、ハルトもガブリアスを撫でる手を止めて乗る。

 

「川と海では、何もかも違う」

 

 彼女らの指摘通り、モモナリが海上でのバトルを得意にしていることは、実は不自然だ。

 いくら彼が水の街ハナダの出身であり、水棲ポケモンや水面に詳しいと言っても、だからといってそれを海での戦いにすぐに還元できるわけではない。海と川では、その勝手が全く違うからだ。

 塩の濃度や波の有無はもちろん、生息するポケモンも違えば、吹いてくる風の種類や方向も違うことは容易に想像できる。

 そして、淡水域で培った技術というのは、本来ならば海での戦いでは、むしろ水について何も知らぬことよりも重い足かせになりうるのではないか、というのが彼女の問いであった。戦いの面では弟に才能を譲るが、キナギの住民らしい深い問いである。

 

「なるほどね」と、モモナリは背もたれに体重を預けた。

 

 モモナリ自身が海上バトルの猛者であることは、もはや本人すら否定しないだろう。海上バトルのプロフェッショナルが集まるサントアンヌ杯で二度優勝しているということは、周りに、自身にそう思わせるには十分な実績だ。

 

「たしかにそうだ、ハナダでの経験と海上バトルのテクニックは同じじゃないね」

 

 ううん、と彼は唸ってしばらく考えた。

 その間に、ガブリアスはハルトの持つガレットを物欲しそうに眺め、ハルトが慌ててそれを頬張ると、わかりやすくうなだれて今度はウミカの方を見た。そして、ウミカは持っていたガレットを半分彼女に与え、ガブリアスは優しいお姉さんに微笑む。

 そのような手持ちの態度への注意を後回しにするかと思えるほど、モモナリはその質問に真摯に向き合っていた。

 だが、彼は顔を上げて答える。

 

「わからないや」

 

 彼は頭をかいて続ける。

 

「何でも聞いてくれと言ったけど、その質問にすぐに答えることはできないなあ、ごめんね」

 

 頭を下げるモモナリに、ウミカは慌てて手を振って返す。

 

「いえ! いえいえ! ごめんなさい! 私の方こそくだらない質問で!」

 

 その言葉にモモナリが「いやいや、良い質問だったよ」と答えようとしたときだった。

 

「お嬢ちゃんが謝ることはない、良い質問だったよ」

 

 地を這うように低いその声は、モモナリの声でもなければハルトの声でもなかったし、当然ながらウミカの声でもなかった。

 彼らが一斉にその声の方向を見ると、そこには山のように巨大な男が笑みを浮かべながら立っていた。

 老人、と言っていのだろうか、麦わらで編まれたテンガロンハットで髪の毛は見えぬが、もみあげから顎に連なってに生えるヒゲには白いものが混じっている。

 だが、その体の厚みは中年太りの名残ではない、太い首に広い肩幅、分厚い胸板から見ればむしろ腹は引っ込んでいるようにすら見える。

 そして、そのような体格でありながら人間としての不自然さが感じられないのは、彼が考えられないほどに長身だからだろう。

 新たな人間に興味を持ったガブリアスが首をもたげると、その男は彼女の目線と同じであった。

 モモナリのガブリアスが二メートルと同等かそれより少し大きいことを考えると、その男の人間的な巨大さがわかるというもの。

 

「飲むかい?」と、男は手にしていたコップをガブリアスの前に差し出す。

 

 ガブリアスはそれの匂いを少し嗅いでみたが、すぐにクシュンと表情を歪ませ、体を小さく丸ませながらクウンと鼻で鳴き、慌ててモモナリのボールに戻る。

 

「ははは、モコシとシーヤのジュースは苦手かな」

 

 もし、その男が酔いの回った無礼者であったならば、それは歓迎することのできない来客であろう。事実、ウミカとハルトはその可能性を身に覚え、少し緊張感を持っている。

 だが、モモナリは特にそれに緊張感を持つことなく「渋い味を覚えるにはまだ若いんですよ」とのんきにそれに答えた。

 本当に悪意のある人間ならば、ガブリアスがあれほど無防備に近づくことはない。モモナリは彼女のそういう感性を信用していた。

 それに、彼はすでにその快活な老人の腰元にモンスターボールがあることを確認している。

 そして、これは偶然であるが、モモナリはきのみの種類に関して造詣が深い。モコシとシーアは酔いも眠気もひと目で覚めるほどに渋みのあるきのみだ。それを混ぜたジュースをわざわざ購入して飲むような男が酔っている筈もない。

 

「いや、申し訳なかった」と、老人はモモナリ達の座るテーブルの椅子を引く。

 

 テラスにはまだまだ空いているテーブルはある。

 

「同席してもいいかな?」

「ええ、構いませんよ」

 

 ウミカとハルトはまだその男に好感は持っていなかったが、モモナリがそう言うものだから、なし崩し的に頷いた。

 

「すまないね」と、男はモモナリと姉弟それぞれに会釈をしてから席に座った。

 

 その男の巨体が乗っても軋みすらしなかったのは、豪華客船サントアンヌ号の椅子の誇りだろう。

 

「シンオウから来た田舎者でね、人に酔ってしまったんだ」

 

 その言葉は、キナギから来た姉弟の心を少しだけ開かせた。

 

「気付けのためにこのジュースを飲みながらフラフラしていたら、ちょうどよく仲間を見つけたというわけだよ」

 

 仲間、という単語がどのような意図を含んでいるのか、姉弟にはわからなかった。

 その男はリーグトレーナーではない、ウミカが知らぬのだから間違いない。

 だが、モモナリはそれに頷く。

 

「八人しかいない出場者のうち、三人がここに集まったわけだ」

「そう言うことになるな」

 

 それを聞いて、ようやく姉弟は理解した。

 その老人も、サントアンヌ杯の出場者なのだと。

 

「ストーだ、よろしく頼むよ」

 

 右手は、まずは出場者であるハルトの前に差し出された。

 彼はそれを握り、まずはその手が巨大すぎて自分の手がまるでつかめないことに気づき、そしてその後はその手の異常な硬さに気づいた。

 

「でっか」と、思わず彼は呟く。

 

「はっはっは、昔からそれだけが取り柄だ」

 

 次に彼の手を握ったのはウミカであったが、やはりその手はストーの手を握れない。

 陸に来て初めて、彼女らはそのように大きな人間を見ただろう。

 

「そして、君がモモナリくんだな」

 

 モモナリも同じように彼と握手したが、その手の巨大さに驚くことはない。

 

「はっはっは、私と向き合って身構えないとは、やはり噂通りのようだな」

 

 その言葉にハルトは少し面食らった。ストーの巨大さに圧倒されていた自分に気づいたのだ。

 

「あなたこそ」と、モモナリは笑って答える。その目がキラキラと輝いていることにウミカは気づいている。

 

「うちのガブリアスを身一つでおちょくるとはね」

「悪いことをしたかな。可愛らしかったものだからついね」

「毒なわけでもあるまいし、明日にはいい思い出になってるでしょう」

 

「ところで」と、モモナリは話題を変える。

 

「失礼ながら、初めて見る顔だ。あなたのようなトレーナーをひと目でも見れば、忘れるはずがない」

「別に失礼なわけじゃないさ、君や、そこのキナギの子に比べれば、私は無名中の無名だろう」

「あなたの無名であることを責めたい訳じゃない」

 

 モモナリはぐいとストーの方に身を乗り出して続ける。

 

「今まで、どこに隠れてたんです? その年齢まで、その巨体で、どうやって?」

 

 モモナリは、彼をひと目見て只者ではないと見抜いた。そして、その腰にボールがあり、サントアンヌ杯に出場することから、トレーナーであることも間違いないだろう。

 だが、それならば、モモナリが彼を知らないことがありえないのだ。それもシンオウ地方、モモナリの本拠地からそう遠いわけでもない。

 

「おお、怖い目だ」と、ストーはおどけてから続ける。

 

「君の目からは見えなかっただろうな。私はずっと海の中にいたのだから」

「海の中?」

「そうだとも、私は潜水士を生業としててね」

「はあ、なるほど」

 

 不思議な話ではない。

 サントアンヌ杯はその試合形式の性質上、リーグトレーナーのような『地上戦重視』のトレーナーには不向きである。地上戦のノウハウを海上戦に活かせることは少なく、その逆もしかり、意気揚々と出場しているモモナリのほうが、リーグトレーナーとしては異端なのだ。

 故に、その出場者は所謂皆が知る強豪と言うわけではない、むしろ海上戦を得意とするのは普通のバトルの観点からすればマイナーだ。例えば漁師、ライフセーバー、レンジャー、ハルトのような海に近い島民も含まれるだろうし、潜水士だってその例にはもれない。

 

「天職だったよ、この見た目通り、肺活量には自信があった」

「潜水士というのはよくわかりませんが、どんなことをやってたんで」

「資源採掘の水中土木作業さ、天職だろう? この体だ」

「よくわかりませんが、あなたがそう言うならそうなんでしょう」

 

 モモナリは背もたれに体重を預け、ハルトらに視線をやることもなく続ける。

 

「トレーナーとしては?」

「昔、それこそ君たちが生まれるはるか前に遊ぶ程度にはやったかもしれないが、それ以降は全くだった。仕事と副業が充実していたからな」

「なるほど、海の底の現場で培ったわけか。そりゃ僕が知らないわけだ」

「まあ、ひけらかすような事もしなかったしな」

 

 そう言って、彼は「ああいや」と手をふる。

 

「君達を悪く言っているわけじゃないよ」

「ええ、わかってますよ」

 

 ねえ、と同意を求めるモモナリにハルトも頷いた。

 

「ところで、もう一つ聞きたいことが」

「まるで立場が逆じゃないか、私だって君に聞きたいことがあるのに」

 

 まあまあ、とストーを制してモモナリが問う。

 

「順番がおかしいんですよ。どうしてサントアンヌがあなたを知ってて、僕があなたを知らないんです?」

 

 あまりにも傲慢な意見なようにも聞こえるが、その指摘は誤っていない。少なくともこれまで、モモナリがサントアンヌ杯の出場者の名前も聞いたことがないといったことはなかったのだ。ある意味でストーは、聖アンヌの最高の隠し玉だったのだ。

 

「ああ、それなら簡単な話だ」と、ストーはジュースを飲み込んでから答える。

 

「推薦してもらったんだ」

「誰に?」

「マキシだよ」

 

 突然に出てきたビッグネームに、ウミカとハルトは驚き、さすがのモモナリも一瞬思考が飛んだ。

 マキシといえば、シンオウ地方ノモセジムリーダー。タフな水タイプのエキスパートであり。その実力は折り紙付きであり、サントアンヌ杯の出場経験もある。

 

「知り合いなんだよ、副業の方でちょっとな」

「なるほど」と、モモナリは唸るほかない。

 

「あの」と、今度はウミカが手を挙げる。

 

「私も質問」

「ああ、聞かれてばかりだが、良いぜ」

「そもそも、どうしてこの大会に出ようと?」

 

 そうだ、マキシとの人脈を利用してまでこの大会に参加しようとする意味が、彼女にはわからない。

 否、意味として通るものは一つある。

 ズバリ、金だ。

 サントアンヌ杯の賞金は、マイナーな大会とは思えないほどに高い。もし優勝することができたなら、一年は軽く暮らしていけるだろう。

 だが、彼女はストーはそれが目的ではないような気がしていたのだ。

 もちろん、それは彼女が彼ら出場者に対して潔癖的な先入観を抱いているのも理由の一つだろう、弟も、モモナリも、賞金のために何が何でもという雰囲気は感じない。そして、その雰囲気を、彼女はストーからも感じていたのだ。

 

「さすが嬢ちゃん、良い質問だな」と、ストーは一度ハットを手に取り、髪を整える。これまで見えなかった頭髪は、見事なまでの白髪であった。

 

「金のため、と答えりゃそれ以上の追求はされねえんだろうがな」

 

 ストーはちらりとモモナリとハルトを見やった。

 そして、彼は提案する。

 

「その質問に答える前に、君達に俺の質問に答えてもらいたい」

 

 そう言うと、彼は懐から小さな。彼の体格からすれば小さく見えるメモ帳を取り出した。

 

「ペンは持ってるか?」

「いいえ」

「サインペンなら」

「裏ににじむペンじゃ面白くない。私のを貸そう」

 

 ストーは懐から一本のボールペンを取り出してテーブルの上に置く。

 ハルトは、それが海上ポケモンレンジャーも使用している防水性の高級品であることに気づいた。

 

「これはな、俺たち潜水士がたまにやる余興だ」

 

 彼はメモ帳をちぎってモモナリとハルトに、そして自分の前においた。

 遠近法でも狂ったのかと思えるほどに、ハルトの目の前にあるそれと、ストーの目の前にあるそれのサイズは違うように思えた。

 

「悪いが嬢ちゃんは参加できねえ、この余興は出場者だけでやりたいんだ」

 

 別にだからといってつまらなかったり悔しかったりするわけでもない、ウミカは「わかりました」とそれに頷いた。

 

「ルールは簡単だ。このメモに『自分がどれだけ海を知っているか』を書いて裏返しにしてくれりゃあ良い」

「どれだけ海を知っているか?」

 

 首をかしげるハルトにストーが付け足す。

 

「単純な話だ。『海のすべて』を百としたときに、自分が海について知っている量はどのくらいなのかを書いてくれりゃあ良い」

 

 まずはストーがボールペンを手に取りサラサラとメモに記入、それを裏返す。

 

「まあ、深く考えずにやってくれや」

 

 その次にペンを取ったのはモモナリだった。同じく記入し裏返す。

 最後にペンを取ったのがハルトだ、彼は少しばかり悩んだ後にそれを記入し、裏返す。

 

「あとは簡単だ、合図に合わせてそれを見せ合うんだ」

 

 その説明に二人が頷いたのを確認してから、続ける。

 

「それなら、イチ、ニの、サンで」

 

 ストーはその後に「めくろうな」と確認するつもりだったのだろうが、モモナリとハルトの二人は、その先を聞くことなくメモをめくってしまった。

 

「おいおい、こういうのがタイミングが大事だろうに」

 

 口ではそう言うが、ストーは二人のメモを覗き込む。

 モモナリのメモには『二』、ハルトのメモには『四』と書かれている。

 ウミカは、その数字の小ささに驚いた。

 だが、ストーはその結果に感心しているようだった。

 

「なるほど、なるほど、二人共良いじゃないか、知らぬことを知っている」

「これ、なんの意味があるんです?」

 

 ハルトの問いに、ストーが答える。

 

「言ったろ? これは余興だ。意味なんてありゃしない。ただ、こういうときには少なく書けば書くほど通ぶれるというものだ」

 

 彼はモモナリに視線を向けて続ける。

 

「君は、それがわかっているということかな?」

 

 モモナリは肩をすくめながら答える。

 

「別に通ぶりたかったわけじゃないですよ」

「サントアンヌ杯二度の優勝だろう? もっと数字を盛る気はなかったのかい?」

 

「まさか」と、モモナリは首を振った。

 

「海でのバトルならともかく、海についてならこんなものでしょう。何しろ俺は、ジム巡りをするまで本物の海を見たことがなかったんだから」

 

 へえ、と、ストーは感嘆の声を上げる。

 

「感心したよ。その実績から、もう少し知ってるつもりになっていると思ったんだがな。いや、良かった良かった、君と話して、悪いやつじゃないんだろうと思ったからな」

 彼は机の上に置かれていたボールペンをジャケットにしまいながら「嬢ちゃん」とウミカに視線を向ける。

 

「さっきの質問の答えだがな」

 

 さっきの質問とは『なぜサントアンヌ杯に出場したのか?』というものだろう。

 ストーは親指でモモナリを指差しながら言った。

 

「私がこの大会に出るのは、この男をぶっ潰すためだよ」

 

 それは、あまりも堂々とした宣戦布告であった。

 姉弟は驚き、そして、これまでストーに開きかけていた心の扉が閉まるのを感じる。

 だが、「ふふ」と、モモナリが嬉しげに笑ったことにハルトは気づいていた。

 

「別に傲慢なつもりはない」

 

 ストーが背もたれに体重を預けながら続ける。

 

「だが、久しぶりに海の底から上ってみれば、私の全然知らない男が、まるで海の王の様に振る舞っている。他のやつがどう思うかは知らないが、私は気に食わない」

 

 彼はモモナリを睨みつけた。

 

「今日話してわかった、君は海を舐めてるわけじゃないし、驕っている訳でもない、むしろ、この状況で驕っているのはむしろ私の方だろう。だが構わない。私は君に勝つ。戦場が海である限り、絶対にだ」

 

 その視線から目を反らすことなく、モモナリが返す。

 

「久しぶりだ、ああ、久しぶりだ」

 

 ふう、と、息を吐いて続ける。

 

「こんなにも熱烈なメッセージを貰ったのは、本当に久しぶりだ」

 

「わかるかい」と、モモナリはウミカとハルトそれぞれを見やる。

 

「道の向こう側から、またもや現れた。人の波を割るようなトレーナーが、僕の前に」

 

 彼はストーの宣戦布告にかけらも怯んでいる様子などなかった。

 むしろその逆だ、彼はそれに喜び、高揚し、感激している。

 彼がそのようなトレーナーであることを、ウミカとハルトは情報からは知っていた。

 曰く、何よりも戦いを愛する戦闘狂。

 曰く、明日戦うために今日戦う男。

 曰く、戦う、寝る、戦う、寝る、戦う、たまに食べる。

 だが、それらの情報を知っていたとしても、そのモモナリの変貌は、その理屈の破綻は、とてもではないがすんなりと理解できるものではない。

 だが、ストーはその変貌に、その破綻した理屈に理解を示しているようだ。

 

「噂通りの男だ。私も、君のような男に出会えて嬉しいよ」

 

 彼はハットを手で抑えて立ち上がる。

 

「それでは前夜祭で、いや、トーナメントで会おうじゃないか」

 

 大股でその場から去るストーを、姉妹は呆然と見送った。

 だが、モモナリだけは、彼が背を向けたすぐさまに、彼が捲らずじまいであったメモを表にする。

 

「なるほど」と、モモナリはため息を付いた。

 

 そのメモには、ボールペンで書いたとは思えないほどに強い筆圧で、大きく『七』と書かれていた。




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