モモナリですから、ノーてんきにいきましょう。   作:rairaibou(風)

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セキエイに続く日常 193-憧れの人 ⑤

 サントアンヌ杯、決勝。

 対戦場近くのクルーザーからそれを眺める観客は、天候に恵まれた自らの幸運を噛み締めているだろう。それこそが、聖アンヌの加護なのであろうか。ポケモンを愛し、トレーナーを愛し、バトルを愛してきた自分達に対する、女神の祝福なのであろうか。

 南の小型船には、リーグトレーナー、モモナリ。

 圧倒的なパワーを誇るアズマオウを相棒に、三度目の優勝に向けて邁進。もはや敵などなく、壁を意味を成さぬように見える。

 だが、彼の三度目の優勝のかかったその対戦相手は、表現するならば壁ではない。

 北の小型船、元潜水士、ストー。無名ではあるが、優勝候補の一人であったキナギのハルトを沈めての堂々の決勝進出である。

 その巨体と、同じく巨大な体格を持つハンテールは、その見た目に違わず、細やかなコンビネーションを武器にする。全く新しい、否、彼等にとってそれは、新しい戦術などではないのだろう。

 そのどちらが勝利するにしても、それはサントアンヌ杯の歴史に恥じぬ勝利であろう。

 

 

 

「モモナリさん」

 

 南の小型船。

 対戦相手の船と十分な距離をとったことを確認し、ハルトはモモナリに声をかけた。

 もちろん、自分がなにか特別で的確なアドバイスができるとは思っていなかった。だが、彼は声をかけざるを得なかった。それは、彼が、憧れの人であるモモナリが、自らを下したストーと戦うその状況に不安を感じたからだ。

 

「信じています。必ず、勝つと」

 

 彼がそう声に出したのは、そう言わなければ、自分自身がその不安に押しつぶされるのではないかという恐怖があったからだ。

 モモナリは、それに微笑みながら首を振る。

 

「それはわからないよ」

 

 彼は向かい側の小型船を眺める。

 その船首に立っているその巨大な老人は、そこからでもわかるほどにモモナリを睨みつけている。

 

「自分が全力を尽くしたと思っても、相手がそれを上回ることがある。なぜ負けたのか、何が悪かったのか、わからないこともある」

 

 彼はハルトを落ち着かせるようにその頭を撫でて続ける。

 

「だからこそ、この世界は面白いんだ」

 

 モモナリはモンスターボールを投げた。

 

「約束しよう、いい勝負をする」

 

 現れたポケモンを見て、ハルトとウミカは驚いた。

 それは、ゴルダックだった。

 曰く『異端児の右腕』

 曰く『いや、彼は僕の、僕以外の全てだよ』

 それ以外の異名は、特に無い。

 だが、彼がモモナリの実質的なエースであることは紛れもない事実だ。

 モモナリファンの姉弟にとって、彼の登場は衝撃的であっただろう。

 だが、彼等が驚いたのは、それがサプライズ的な対面であったからではないだろう。

 どうして、ここでゴルダック。アズマオウではなく。

 その疑問を理解していたのだろうか、モモナリはいたずらっぽくつぶやいた。

 

「約束しよう、いい勝負をする」

 

 ゴルダックが海に飛び込むとともに、モモナリが叫ぶ。

 

「『ダイビング』」

 

 

 

 

 

 

 

 対戦場。

 ストーは、対戦場中央に渦巻く『うずしお』を眺めながら眉をひそめている。

 相棒のハンテールは『ダイビング』で海底に潜んでいるはずだ。まだ戦いが起こっている雰囲気はないからだ。

 そして、この巨大で力強い『うずしお』は、ハンテールの作り出すそれではない、あいつは、もっと繊細で相手をコントロールするようなものを作る。

 だとすればこれは、相手のゴルダックが作り出したものだ。

 相手のゴルダックがボールから飛び出すやいなや海に『ダイビング』したのは確認している。そして未だ上がって来ず、モモナリと意思疎通を行っている様子もない。

 そしてこの『うずしお』だ。

 意味するところは一つ。

 この俺達を相手に、海底戦を仕掛けているのだ。

 

「なるほど」

 

 ストーは対面のモモナリを睨みつけるように見つめる。彼の視力は衰えていない。

 彼はその視界に海面は収めているのだろうが、どちらかといえばストーの目を見つめ、そして、わずかに微笑んでいるように見えた。

 

「そうかい」と、ストーは彼から目線を外して足元を見る。

 

 恐らく、ハンテールは既に戦う状況に入っているだろう。

『とぐろをまく』や『てっぺき』などで体勢を整えることはできていないが、それは相手も同じだ。

 

「それが、お前の人生か」 

 

 怖さも楽しい、その彼の人生哲学は、決して自らを大きく見せたいだけの虚勢ではないことは間違いないだろう。

 

「長生きできねえぞ」

 

 水面を確認する、わずかにそれがたわむ。

 動き始めたようだ。

 

「これこそが海の怖さだ」

 

 

 

 

 

 決勝戦を中継しているケーブルテレビは、当然水中カメラによる海底の様子も映し出している。

 だが、準決勝と同じく、それはあまり意味をなしていないようだ。

 海流に、巻き上げられた砂と海藻、泡。

 そこまでならば、まだ理解できる。それが海だと理解できる。

『リフレクター』『ひかりのかべ』『トリックルーム』『ワンダールーム』

 カメラに映る景色は歪み、時折『くろいきり』によって濁った塊がカメラに張り付く。

 異常な光景であった。

 解説役のホウエンリーグトレーナーは、そこで何が起こっているのかを理解できてはいただろう。だが、それを観客に伝える手段を持ち合わせず、もし仮にそれを伝えることができたとしても、そのすべてを観客が理解できるだろうか。

 そしてなにより、肝心のポケモンが全く見当たらないのだ。

 まるでカメラにその姿を写すことすらも敗北であるかのように思っているようだった。

 

 

 

 

 

「考えてもいなかった」

 

 海面からでもわかるほどに異様となったその海を眺めながら、ハルトはそう呟く。

 

「何が起きてるの?」

 

 キナギでは絶対に起こり得ないであろうその海に緊張しながら、ウミカがハルトに問うた。

 彼女も海を知らぬわけではない、否、だからこそ、その光景に戸惑うよりほかないのだ。

 

「逆なんだ」と、ハルトが答える。

 

「俺達とは全く逆の発想」

「逆?」

「俺達は、海の底を嫌った。だから引きずり込まれたときに慌てて海面に出ようとしたところを狩られた、ところが、モモナリさん達は最初から海に飛び込んで『海の底そのものを捻じ曲げた』」

「捻じ曲げる?」

「そう、本来ならばハンテールの土俵であるはずの海の底をめちゃくちゃにして、海の底を自分のフィールドにしたんだ」

 

 その言葉に「ちょっとまって」と、ウミカが海を眺めながら問う。

 

「じゃあモモナリさんは、こんな状況の海を、理解しているの?」

 

 目の前の海は、もはや海と呼んで良いものなのかすらわからない。

 

「いや」と、ハルトはそれを否定する。

 

「無理だと思う」

「ならどうして?」

「多分、自信があるんだ」

 

 彼は、モモナリの得意戦術である『すなあらし』を思い浮かべる。

 

「自分達ならこんなメチャクチャな状況でも対応できるという自信が」

 

 彼はそこで一旦言葉を区切る。

 

「だからゴルダックだったんだ」

 

 

 

 

 

 

 対戦場、海中。

 ゴルダックの腹に噛み付いたハンテールは、より深く傷つけようと体をうねらせ回転しようとする。

 だが『リフレクター』や『ひかりのかべ』でいびつに捻じ曲げられた『うずしお』の海流により、彼は思うように体をうねらせることができない。

 彼は計画を変更しゴルダックの体を締め付けようとする。

 しかし、彼は不意にゴルダックの腹を離す。獲物であったはずのゴルダックは『うずしお』の海流にのり、一瞬でハンテールの前からその姿を消す。

 ハンテールも同じく海流に身を任せる。

 この状況で一箇所にじっとしているのは危険だ、たちまちの内にこの訳のわからぬ海に飲まれるだろう。

 不思議なことに『あいつ』はこの海に適応している。

 痛む顎をうっとうしく思いながら、ハンテールは『あいつ』を思い浮かべる。

 一撃で勝負を決めるはずの『かみくだく』だった。

 しかし、本来ならば柔らかいはずのその腹は、どれだけ力を込めても歯が立たぬほどだった。この顎が痛むなどいつぶりだろうか。

 ハンテールはその理屈はわからぬ。『ど忘れ』によりメンタルを引き上げたゴルダックが、更に『ワンダールーム』によってそれをフィジカルに入れ替えているという理屈を理解できようがない。

 だが、感覚ではその異常を掴んではいる。それは、彼の海底での経験が為せる技だろう。 故に、それに戸惑わなかったが故に、彼はゴルダックの右手が自らの頭に向けられたことにいち早く気づいたのだ。

 だからこそ離せた。

 彼が感じた予感は正しかった。

 もう一秒でもゴルダックの腹に未練を感じていたならば、彼は『サイコショック』の餌食になっていただろう。

 恐ろしいのは、あのゴルダックの感覚だ。

 自分の姿を見れば、自分の目を見れば、自分の牙を見れば、どんなポケモンだって恐れおののくだろう、これまで自らが萎縮させることができなかったのは海のみなのだ。

 だが、奴はあまりにも柔らかいはずのその腹を差し出した。

 そこには、恐れもなければ恐怖もなかった。いかにも自然に、無防備に差し出されていた。だからこそ自分は噛み付いたのだ。

 恐れるだろうがよ、普通は。

 水を切る音、海流を切り裂く音。

 ハンテールの不意をついたはずのゴルダックの『メガトンパンチ』は空振りに終わる。

 ハンテールがその長い胴を器用に操りそれを躱したのだ。

 舐めるなよ、と、ハンテールはすぐさまに攻撃に転ずる。

 胴を締め、ゴルダックを締め付けようとする。

 ゴルダックは再び海流に乗りそれを躱そうとしたが、ハンテールのほうが一瞬早かった。

 ハンテールの胴は、ゴルダックの右足を器用に捉えた。当然ゴルダックもそれを引き抜こうと推進力を利用するが、筋肉の塊であるハンテールの胴はそれを許さぬ。

 ハンテールの『ずつき』がゴルダックの額を捉えた。鈍く、生々しい衝撃音が海中に響く。

 だが、それは会心の一撃ではない。

 すんでのところ、ギリギリのところで、ゴルダックの『さいみんじゅつ』がハンテールにわずかに効いていた。

 わずかに揺らいだ意識は、それでも『ずつき』の精度を落とさなかったが、胴の締め付けが僅かに緩んだ。

 そこから右足を抜いたことで、ゴルダックはわずかに体勢を変更、ハンテールの『ずつき』を肩で受けた。

 会心の一撃ではなかったが、手応えはあった。

『うずしお』に乗って逃げようとするゴルダックをハンテールの尾が追う。

 ここで逃さない。

 だが、その時だ。

 

 あれ程の強い海流を誇っていた『うずしお』が不意にピタリと止んだのだ。

 

 当然、海流を考えながら動いていたハンテールは、一瞬だけその動きの精度を欠いた。

 だが、ゴルダックはそうではない、彼はまるで最初から『うずしお』など無かったかのように、自らに襲い来るハンテールの尾を躱し、彼の背後を取る。

 なぜだ、と、ハンテールは驚いた。

『うずしお』はあくまで『海流を作る』技だ。海流をコントロールする技ではない。

 ならばどうして、ゴルダックはここまで完璧に対応できたのか。

 否、ハンテールの対応も完璧に近かった。だからこそ、彼の動きは『一瞬だけ』精度を欠いたのだ。

 

「『シンクロノイズ』」

 

 不意に、小さいが海中に届く声。

 馬鹿な、と、ハンテールは戸惑った。

 なぜ今、なぜ今その指示が出せる。

 ただでさえグチャグチャな海だ。人間ごときの目で今の状況を確認できるはずがない。

 なぜそんな事ができる。なぜ今、ゴルダックが『うずしお』の消滅した好機を逃さず、自らの背後を取ったのだと、確信することができる。

 そんな事のできる人間などいやしないはずだ。

 ただの一人。

 

「『からをやぶる』!」

 

 自分の相棒を除けば。

 

 ゴルダックの両腕から放たれた『シンクロノイズ』は、たしかにハンテールを捉えたかのように見えた。ゴルダックも、それを疑いはしなかった。

 キラキラと散らばる鱗は、のたうち回るハンテールから剥がれ揺らめいているものだと、一瞬だけでもゴルダックはそう思ったのだ。

 だが、違った。

 散らばるその鱗を煙幕に、ものすごいスピードで海面に向かうポケモンの姿が見えた。

 そうだ。

 逃げる事こそが最も難しいんだ。

 奴らは、それをいとも簡単にクリアした。

 そのポケモンこそが、自らが戦う相手であったハンテールだとゴルダックが気づいた頃には、既に彼は海面に顔を出していたのだ。

 

 

 

 大きな水しぶきを上げながら、その巨大なハンテールは海面から飛び出して宙を舞うようにうねりながらモモナリを睨みつけた。

 ああ、こいつか。

 こいつが、あのゴルダックの相棒か。

 大した人間だ、海を理解する、大した人間だ。

 そのまま海面に着水したハンテールは、自陣を泳ぎ回りながら続けて思う。

 だが、それでも、相棒には敵わない。

 相棒も理解していた。

 自分が『うずしお』に一瞬戸惑ったこと、ゴルダックがそのスキに自らの背後を取ったこと、自分だけでは、それに対応することができなかったこと。

 そのすべてを包括し、相棒は『からをやぶる』の指示を出したのだ。

 勢いだけの若者が、自らの勝勢を願いながら放ったのではない。

 相棒は、見えぬ海中から、自分達の危機を冷静に感じ取り、それに対処した。

 そんな事のできる人間などいやしない。

 そして、それができる唯一の人間こそが、自らの相棒であり、自分達でもあるのだ。

 負けようはずがない。

 彼は、威圧するように低くノイズのような鳴き声を上げる。

 観客たちは、その声の不気味さに震え上がった。

 観客だけではない、モモナリの船にのり、その威圧をモモナリの次にリアルに聞いていたハルトとウミカも、その不気味な声と、ところどころ鱗の剥がれた『手負い』の姿に身を震わせている。

 そして、モモナリも身を震わせていた。

 

「おお、怖い怖い」

 

 だが、その目は恐怖に潤んでなどいない。

 その目は細められ、口角は引き上げられている。

 人の表情をカテゴリ付けするのならば、恐らくそれは、笑顔にカテゴリされるだろう。

 

「だからこそ、面白い」

 

 モモナリは海面に目を向けた。

 

 

 

 

「おっもしれえガキだよ」

 

 海面に現れたハンテールと、対面の小型船とをそれぞれ見比べながら、ストーは呆れたように呟いた。

 ガキ、という表現は、既に三十を超えたモモナリには似合わぬ表現のように思えたが、むしろストーは、その表現こそが、今の彼を表すのにふさわしいものだと確信していた。

 

「だからこそ、恐ろしい」

 

 彼等は、海中の動きを感じようと努める。

 不意に、いくつかの気泡が、不自然に海面に浮き上がった。

 

「『ハイドロポンプ』」

 

 海中からの奇襲を、ハンテールはぐるりと胴をくねらせてかわす。

 その瞬間に、その水流の根本に向かえば、その攻撃の主を狩れただろうか。

 否、ストーとハンテールはそうは考えない。

 海の中に動きは無かった。そして、あれだけの戦略性を持った相手が、その様なしょうもない攻撃をするとは思えない。

 ならば、目的は何か。

 激しく付き上がった水流は、天空で散らばり雨となって海面に模様を作る。

 

「若えな」

 

 ストーはその海面に視線の焦点を合わせない。

 模様を作れば、海面からの情報を消せば、戸惑うとでも思ったか。

 その程度の目くらましで俺達が『海中』を捨てるかね。

 

「『いやなおと』」

 

 ハンテールが水中に頭をつっこみ『いやなおと』を放つ。

 その反響を利用して、彼は敵の位置を探る。

 そして、すぐさまに動く。

 海中から現れたその鋭い爪は、ハンテールの顔を僅かに掠めた。

 ゴルダックの『アクアジェット』は不発に終わる。

 絶好の体勢であった。だが。

 

「見逃せ!」

 

 ストーの声に、ハンテールは無防備なゴルダックに襲いかかるのを止めた。

 その意味はわからない、だが、ストーが言うのならばそうなのだろう。

 その時である。

 ゴルダックとハンテールのちょうど間を、下から突き上げるような衝撃が突き抜けた。

 水流が突き上げる『ハイドロポンプ』ではない。それは海水を吹きちらしながらただただ空間を襲う。

 それが『みらいよち』による攻撃であることに観客たちが気づくよりも先に、ハンテールが動いた。

 今度こそ無防備になったゴルダックに猛然と襲いかかる。

 そして、ストーもそれを咎めない。

 相手はプランを使い切った。

 もはや海には『うずしお』もなく『リフレクター』も『ひかりのかべ』も『トリックルーム』も『ワンダールーム』もない。

 目くらましを装った囮であった『ハイドロポンプ』も、最後の罠であった『みらいよち』も読み切った。

 ここからは、ただの力比べだ。

 そして、ただの力比べならば負ける気がしない。

 ストーは、既に随分過去の思い出であったはずの、お互いの我慢比べのような、やんちゃで、愚かなポケモンバトルを思い出していた。

 負けようはずがない。

 そのような戦いに、自分達は常に勝ってきた。

 だからこそ、海に戦いを挑んだ。

 だからこそ、海を相手に生き残ってきたのだ。

 だからこそ、海の恐怖に打ち勝ってきたのだ。

 

「次は何をしてくるんだ?」

 

 彼は笑っていた。

 

「『ダイビング』」

 

 

 

 

 

「潜った!」

 

 戦局を見守っていたハルトは、ただただ目の前の状況を説明するかのように、愚かにそう叫んだ。

 モモナリはどうするのか。

 再び海中戦を仕掛けるのか、それとも上から被せるのか

 それから、と、ハルトが次の可能性を考えようとしたときに、それは現れた。

 ゴルダックの真下から、ハンテールの牙が襲いかかった。

 彼は宙に巻き上げられ、その腹に牙が食い込む。

 

「しまった」と、ハルトはまるで自分が対戦相手であったかのように呟く。

 

 何をすべきか考える。

 そのスキを的確についてくるのが、ストーとハンテール、海の恐ろしさではなかったのか。

 

 ハンテールの牙は、たしかにゴルダックの柔らかい腹に食い込んでいた。

『ワンダールーム』夢の部屋は既にそこにはなく、それはまっとうな現実である。さらに『いやなおと』によって乱された集中力は、フィジカルに影響を与えているはずだ。

 モモナリは、その可能性を考えただろうか。

 海中戦を行うべきか、上から被せるべきか。

 あるいは。

 あるいは。

 あるいは。

 モモナリは、そんなに深く考えていない。

 だからこそ、彼はそれに反応することができる。

 ストーとハンテールの得意戦術である『思考の外からの攻撃』に、彼等はいち早く反応した。

 その指示を、出すことができた、聞き入れることができた。

 

 腹に食い込むハンテールの牙を、ゴルダックは『こらえる』

 彼は歯を食いしばりながら、両手をハンテールの額に合わせた。

 

「『シンクロノイズ』」

 

 衝撃。

 

 

 

 

 

 

「なあ、長生きはするもんだ」

 

 祝勝会前。

 ワインの瓶を片手にモモナリの部屋に訪れたストーは、既にモモナリを訪ねていたウミカとハルトを見やり、ニヤリと笑いながらそういった。

 

「長く生きたからこそ、お前のような男に出会うことができたわけだ。こればっかりは、太く短く生きた奴らには体験できない」

 

 彼はその瓶をぽんとモモナリの胸に放り投げ、彼等が囲んでいたであろう丸テーブルの上にはジュースの瓶二本を静かに置く。信じられないことだが、ストーの体があまりにも大きすぎて、そのジュースの瓶は置かれるその時まで姉妹の視界には入っていなかったのだ。

 彼は特に遠慮なくベッドに腰を下ろす。

 恐らく、そのベッドは産まれて初めてそこまで沈み込んだだろう。

 

「殿堂入りは素直に祝福しよう。大した記録だ、なにより、この私に勝っている」

 

 自信に満ち溢れている発言だったが、その部屋にいるものは、誰もそれを否定しなかった。

 

「教えてくれないか」と、ストーはモモナリを睨みつけながら問う。

 

「どこからが、君の手の平の上だった?」

 

 既にワインの栓を抜く準備をしながら、モモナリは沈黙をもってその続きを待つ。

 ウミカとハルトも、同じく沈黙をもって備える。

 その質問は、彼女ら姉弟の質問でもあったからだ。

 

 終わってみれば、モモナリの鮮やかな勝利であった。

 ゴルダックの『シンクロノイズ』は、ハンテールの頭部から末端に至るまでの水分という水分を、周りの海ごと共鳴させた。天まで突き抜けんかという水柱が立ち上り『からをやぶる』で破れかぶれになっていたハンテールは、まるで巨大な塔が海に倒れる時にそうなるかのように、水しぶきを上げながら、海に吸い込まれた。

 後に残るのは、モモナリの手腕を称賛する、高貴な人々からの喝采であった。

 否、観客だけではない。

 ハルトやウミカ、サントアンヌ杯の出場者達も、モモナリに惜しみのない称賛の感情を持っていただろう。

 唯一、ストーを除いて。

 

「やるだけのことはやった、悔いはない。だが、この疑問を持ったまま長生きを続けろってのは酷だろう」

 

 心の中で、姉弟もそれに頷く。

 

「結果から物事を逆算するってのは、人間の悪い癖だが、人間の英知の要因でもある。まあ、私の場合は、悪い癖のほうが大きいが」

 

 ポン、と、子気味のいい音が部屋に響き渡る。

 

「すべて、計算の上だったのか? もし計算であったのならば、どこから?」

 

 モモナリはどこからか取り出した二つのワイングラスにそれを注ぐ。

 

「しまった」と、彼は呟いた。

 

「いつもの癖で、こんなにも沢山に」

 

 確かに、そのグラスには並々とワインが注がれている。例えば香りとか、色とかを楽しもうと思えば、無粋な量であろう。

 だが、微笑み混じりにベッドから立ち上がったストーはそれを手に取る。

 

「構わんさ、どう飲むかではない。誰と、どんな話をしながら飲むか。だよ」

 

 ストーはもう片手で姉弟の前にあったジュースの栓をポンポンと抜いた。

 姉弟は彼がそれを素手で成したのかと驚いたが、彼はいたずらっぽく笑って彼女らにコインを見せた。尤も、コインを使ったとわかったところで、どう抜いたかなどわかるはずもないが。

 

「それで、どうなんだ?」

 

 グラスを一気に傾け、マラソン後の冷水のようにそれを飲み干したストーが問う。

 

「どう、と言ってもね」と、モモナリは半分ほど飲んでから続ける。

 

「あなたは最後の最後まで、僕の思い通りには行かなかった。普通のトレーナーなら、あのときゴルダックを追って『みらいよち』を受けていますよ」

 

 いや、と、彼は続ける。

 

「普通のトレーナーなら、まず『うずしお』が消滅したあのタイミングで仕留めることができていた」

 

 ふう、と、彼は心落ち着かせるように一息吐いた。

 

「楽しいバトルだった。本当に」

 

 彼の頬が赤くなっているのは、決してアルコールが原因ではないだろう。

 

「一歩間違えれば、何度でも負けていたでしょうね」

「君は、それが恐ろしくはないのかい」

「ええ、怖かったですよ」

 

 ストーと姉弟は、それに驚いた。

 怖い、という感情は、そのバトル中のモモナリから、最も感じられなかった感情だろう。

 

「だけど、それ以上に面白かった。どこから来るのか、何が来るのか、いつ来るのか、バトルの中で、相手の人生に身を任せる面白さは、何モノにも代えがたい」

「呆れた野郎だね、どうも」

 

 ストーはいかにもそれが当然であるかのように、ワインをグラスに注ぎながら呟く。

 

「私の伝えたかったことが何一つ伝わっちゃいない」

「そんなことはない、僕はあなたとのバトルで『海の深さ』を知りました。今ならあのメモ帳に堂々と『三』と書けますよ」

「私は『六』と書くがな、あれは私の知らない海だった」

「ならば『八』と書くべきでは?」

 

 はっ、と、ストーはそれを鼻で笑う。

 そして、彼はグラスの中身を飲み干してから「いやいや」と、首を振る。

 

「そもそもだぞ、どうしてアズマオウを出してこなかった?」

 

 その問いに、あ、と、姉弟は声を上げた。

 彼等はその理由を、否、その理由と思わしきものを予測はしている。だが、それが実際にモモナリの内面を捉えているものなのかどうかはわからない。故に、彼女らもその答えを知りたかった。

 モモナリは瓶を手に取りながらそれに答える。

 

「足りないでしょ」

「何がだ?」

「あなたの人生を乗り切るには、僕とアズマオウの歴史じゃあ、足りない」

 

 モモナリはグラス越しにストーを睨みつけながら微笑んだ。

 

「俺が人生を語るなら、その相棒はあいつしかいねえよ」

 

 その言葉に、視線に、ストーが一瞬真顔になったのをハルトは見逃さなかった。

 だが、モモナリの目を見ることはできない、それは、単純にハルトがモモナリの対面にはいないという位置的な関係もあるだろうが、彼は直感的に、自分はまだ、モモナリの視線を向けられるに値しないのではないかという感覚を持ったのだ。

 なぜならば、ずっとずっと、モモナリは自分達を穏やかな目で眺めていたから。

 

「あの!」と、ハルトは立ち上がった。立ち上がらなければならないような気がしたのだ。

 

「俺! モモナリさんや、ストーさんを見て『海の広さ』が、すごくわかった気がするんです」

 

 それは、海は広いという事実だけを指しているものではないだろう。

 

「俺、もっともっと海を知って、強くなって、また、モモナリさんの前に現れます。その時、また、戦ってくれますか?」

 

 ハルトの方を見たモモナリは、一瞬、ほんの一瞬だけ、これまでとは違う視線を、彼に向けたような気がした。

 だが、それはすぐさまにいつもの穏やかな表情となり、答える。

 

「待っているよ、いつまでも、いつまでもね」




以上で『セキエイに続く日常 193-憧れの人』は完結となります。ありがとうございました!

 今回の話で意識したのは『とにかくモモナリをかっこよく書く』ということで、そのためにこの作品ではめったに出てこない『モモナリのファン』というものを出しました。
 サントアンヌ杯という舞台は元々がモモナリの『微妙な強さ』を演出するために用意した設定だったのでこれまで中々日の目を浴びる機会がありませんでしたが、今回は『かっこいいモモナリ』を全面的に出す機会であったので丁度いい舞台であったと思います。
 ストーも最終的にいいキャラに仕上がったんじゃないかなと思います。
 今回決勝戦でアズマオウではなくゴルダックを選択したことで少し読者様の期待を裏切ってしまったかなと思っていますが、いかがだったでしょうか?





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誤字脱字メッセージいつもありがとうございます。
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いつになるかはわかりませんがモモナリの質問コーナーをもう一度やろうかなと考えています。モモナリへの質問などありましたら感想欄もしくはマシュマロの方に投稿してみてください。

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