モモナリですから、ノーてんきにいきましょう。   作:rairaibou(風)

153 / 204
月刊誌スタジアム『ボス達の見解』③

Q あの日が無ければまだ雨は降っていたのか。

 

 ○*年、この年、カントージョウトリーグには大きな変革があった。

 裏芸『めざめるパワー』を引っさげたゴルダックを右腕に、当時Bリーガーであったモモナリが当時最も流行していた戦術『雨』を相手に八割以上の勝率を維持、Aリーグ昇格と共にシルフトーナメント準優勝と結果を残した。

 その年以来、雨戦術の採用率は激減。パーティ全体で戦術を構築するよりも強力なポケモンでパーティを構築する戦略の流行が形を変えながら現在まで続いている。

 現在、雨戦術はリーグの本流から外れているが、数名のエキスパートが結果を残してもいる。あめふらしペリッパーの存在や、ぬかるんだフィールドを効率的に使うポケモンたちの発見により、最盛期と比べて遥かに戦術として完成しており、現在主流のパーティと比べても遜色が無いように思える。

 モモナリの躍進が雨戦術の流行を終わらせた理由の一つであることは明白だ、もし、モモナリがササモトを相手に圧倒的に勝利したあの試合がなければ、雨戦術は、未だに、あるいはまだまだ一大勢力としてカントー・ジョウトリーグを支配していたのではないだろうか。

 当事者であったササモト、モモナリ両氏を含め、当時を知るトレーナーを二人、更には当時を全く知らない若手トレーナーにその見解を問うた。

 

 

 

 

A 一つの分岐点であったことは間違いない。

(元リーグトレーナー ササモト)

 

 私はとっくの昔に現役を退いた身なので、戦術的な観点よりも当時の感覚的な観点を書こうと思う。

 あの頃のことはよく覚えている。私は間違いなくトップトレーナーの一人だった。

 私は自分でも信じられないくらいの雨男だった。そんな私が雨戦術と出会うのは必然だった。当時は忌み嫌われていたぬかるみのフィールドは、私にとっては苦ではなかったからだ。

 気づけば、私の後ろには何人ものトレーナーが居た。だが、私の先を行くものはない。私はいつも足跡の無いぬかるみを楽しく歩いていた。

 モモナリ君はそんな私の前に突如現れた。私が歩くはずだったぬかるみを踏みしめ、泥を跳ね上げ、私の前に立ちはだかった。

 かくして、真新しいぬかるみの上で行われた空の取り合いは、彼等のウルトラCによって私の敗北に終わった。ある意味で、彼等は私と同じくらい、もしくはそれ以上に雨と向き合ったのだろう。

 悔しさと、高揚と、そこはかとない満足感を抱きながら、かくして私はリーグを去った。雨男が去ったのだ、リーグから雨が降り止んだのは当然だ。

 未だにその日を夢に見るが、その夜を理解してくれる人間はこの世に一人も居ないだろう。相棒となったヌオーだけが、唯一その夜を共有できる。

 

 

 

A あれは雨対策ではなくササモト対策。

(カントー・ジョウトAリーガー モモナリ)

 

 この話は至るところでしてきたし、ありとあらゆる媒体で書いてきた。

 その上であえてもう一度言うのならば、世間が持っている感覚と僕が持っている感覚がズレている。

 そもそも、僕はまねっこ雨戦術に対して何も苦しんではいなかった。感覚的には、何の対策をしなくても勝てる相手だった。天気変更戦術については、僕は当時でもベテランだったからだ。『すなあらし』状態で『すいすい』のポケモンを繰り出していかにも先手が取れるように振る舞うトレーナーなんかとは経験値が違う。

 世間はいかにも僕とゴルダックが『めざめるパワー』で雨戦術を駆逐したかのように言うけど、僕が雨相手に最も有効に『めざめるパワー』を使った試合はササモトさんとのあの一戦くらいだ。

 あの試合のインパクトが強いのはよく分かる。僕の対策があまりにもビッタリとハマった試合だったからね。僕が思っていたササモトさんの世界と、実際のササモトさんの世界が合致していたんだろう。

 とにかく、あの『めざめるパワー』は雨対策ではない。言うなればあれはササモト対策だった。

 

 

 

 

A 情報化のデメリットが白日のもとに晒された有名な日

(カントー・ジョウトAリーガー キシ)

 

 技術的な観点から言えば、雨戦術は弱者の戦術だった。

 ササモト氏が弱者だと言いたいわけではない、彼は『雨』という天気に誰よりも早く目をつけ、それをリーグで通用する技術にまで昇華したカントー・ジョウトリーグ史上屈指の戦略家だ。

 弱者というのは、その戦術を使ってリーグを勝ち抜こうとした僕を含む情報化トレーナー達である。

 雨戦術は、実はその仕組み自体はわかりやすい。とりあえず雨を降らせ、その状況を有利に使えるポケモンたちを繰り出せばそれっぽい動きができる上に強い。瞬間的な発想に疎く、その場で戦略を組み立てることのできる能力のないトレーナーからすれば、これほどありがたい戦術はない。雨の流行は、情報化の流行と同義だったのだと今は思う。あの時代、ササモト氏の休日すらも僕達にとっては情報の一つだった。

 その弱者の戦術を、訳のわからない方向からぶち抜いたのがモモナリ氏だ。

 情報化トレーナー達は恐れ慄いたはずだ、ノーてんきゴルダックに草タイプのめざめるパワーを覚えさせ、いずれ出てくるであろうヌオーにぶち当てるという情報をもらったところでどうすればいい?

 雨戦術が未だに力を持った戦術だという指摘は正しい。だが、あんな物を見せられて、それでもなおその模倣を続けることができる心の強いトレーナーは、弱者ではないだろう。

 

 

 

 

A いずれは対策されただろうが……

(カントー・ジョウトBリーガー キリュー)

 

 当時を語る記録に一つ違和感があるとすれば、まるで当時のリーグトレーナー達が雨戦術に蹂躙されるばかりであったかのように表現しているところだ。

 ポケモンリーグというものは、一つの戦術に支配されるほど愚かな集まりではない、一つ優秀な戦術があれば、それを追い抜かんと密かに熱意を燃やす気概がなければ、リーグトレーナーとしては失格だ。

 あの時代、雨戦術を出し抜くような戦術を各々が考えていたことは間違いない。私もその一人であったのだから。

 ところが、各人がそれをいつ抜くかいつ抜くかと牽制しあっていたところに、それを脇からぶち抜いて空を支配するような戦いを見せてしまったのがモモナリだ。そのインパクトのおかげで雨戦術はさっと引いてしまい、私達が考えていた対策も意味のないものになってしまったわけだ。

 当時雨戦術に頼っていようが、そうでなかろうが、モモナリを恨んでいるリーグトレーナーは多いだろう。

 

 

 

 

A 何もかも不合理

(カントー・ジョウトAリーガー ワゴー)

 

 当時を知る兄弟子達は、いかにもこの日が、この戦略が素晴らしいものであるかのように語るけど、正直、全く響かない。

 そもそも、雨パへの対策としてノーてんきゴルダックを組み込むこと自体が不合理だ、雨パへの対策を考えるならば、真っ先に抜かなければならない選択肢だろう。それを無理やり対策としてねじ込むためにめざめるパワーを覚えさせたようにしか見えない。それがたまたまものすごいハマり方をして、バズった。そんな試合にしか見えないです。

 モモナリさんのパーティで雨パへの対策を考えるのならば、まずはユレイドルを有効に立ち回らせるべきだ、いや、ユレイドルも正直微妙ではあるんだけど。あえて戦わせるならね。

 だけど、その試合以外のモモナリさんの雨パ戦は参考になるところもある、あの人昔から格下狩り異常にうまいよね。

 昔と今が違うことは理解できるけど、あまり昔を持ち上げすぎるのはどうかと思うよ正直。モモナリさんのすごいところってそういうところじゃないと思う。




感想、評価、批評、お気軽にどうぞ、質問等も出来る限り答えようと思っています。
誤字脱字メッセージいつもありがとうございます。
ぜひとも評価の方よろしくおねがいします。
ここすき機能もご利用ください!

Twitter
マシュマロ

また、現在連載している『ノマルは二部だが愛がある』もよろしくおねがいします!

また、暫定版ではありますがこの作品の年表を作成しました。なにか矛盾などあれば遠慮なくコメントよろしくおねがいします

【挿絵表示】

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。