モモナリですから、ノーてんきにいきましょう。 作:rairaibou(風)
ハナダシティのはずれ、四番道路。
そこを縄張りとするアーボ達は、あまりにも無防備に肌を晒しながら草むらに入り込んでくるその女に襲いかかることが出来ないでいた。
それは、例えばその女のそばにいる男が、彼等が知る限り、ハナダで最も警戒するべき人間であることも関係しているだろう。彼等はそれを知らぬが、その男の名はモモナリ、リーグトレーナーである。
その立場だけで言えば、彼女のようないい女を連れていてもおかしくはないかも知れない。だが、アーボ達は彼女がそこらへんにいるような無力な人間ではないことを知っている。
それはあるいは、彼女の立場というものが関係しているのかもしれなかった。
「おいで」と、彼女が声を上げると、草むらを踏み潰しながら、一匹のアーボックがその前に現れる。
ナンバーツーだ。と、アーボ達は身構える。
そのアーボックは、この草むらを統べる権力を持つ男。彼に逆らうことは、それそのままこの草むらでの死を意味する。
そんな彼が、その女の前ではひれ伏すように頭を垂れ、腹の模様は甘えるように笑みを象っている。
姿形は違えど、彼女こそがナンバーワンであることを、誰が疑えようか。
ハナダの人間の男たちだって、彼女を放っておきたくはないはずだった。
足を、腕を、腹を、背中を、おおよそ隠すべき理由の見当たらない肌をすべて曝け出すような服装は、それを着こなす彼女の当然といった表情から、彼女の中の不自然ではないことを物語っている。
それでいて、あまり見ないはずの紫の髪は、首元を隠すように波を描いて肩口に流れる。
もし、その横にモモナリが居なければ声をかけただろうか。
いや、きっと無理だろう。
彼女がただの無力な女ではないことを、その扇情的な服装だけが物語っているわけではない。
その腹からチューブトップを介して両肩に広がる、見ようによっては人の顔にも見えるその巨大な入れ墨は、邪な感情を持つ生き物すべてを威圧するのに十分過ぎる役割を持っていた。
そんな女が、いかにも楽しげな表情でモモナリの腕に腕を絡めるその様子を見れば、誰だってこう思うだろう。
ああ、これは普通の男に扱える女ではないのだ、と。
☆
「帰ったぞ」
扉を開きながら、モモナリが家の中に向かって言った。
そう言えば、と彼は思う。今までにこんな事を言ったことあっただろうか。
「おかえりお父ちゃん! お姉ちゃん!」
ペタペタと裸足が床を叩きながら、色々あって人間の姿となっているガブリアスがモモナリの胸元に飛び込もうとうする。
だが、入れ墨の女の右手が、ガブリアスの両頬を挟むように掴んでそれを止めた。
うぐぐ、と、眉をひそめる彼女に向かって、入れ墨の女は意地悪く目を細めて言う。
「残念、今日はあたしの日だよ」
「むぐっ」
「おいおい、あまりいじめるなよ」
モモナリはそれを呆れ気味に眺めていた。
姿形が人間になったとしても、やることが変わっていない。
「あたしが草むらに帰るまで我慢しな。とは言っても、この姿で草むらに帰るわけにもいかないし、そうなればずっとあたしの日かもね」
ふふ、と意地悪くもからかうように笑う女に、ガブリアスは目を白黒させながらモモナリと女とを交互に見比べ、少しだけうつむいた。
女の声で少しだけ興奮が冷めた彼女は、モモナリの横に並ぶその女と、自らとの落ち着きの差というものに気づいたのだ。
モモナリが視界に入るたびに構って欲しくなる自分と比べて、その女のなんと落ち着いたものか。
だが、それはある意味仕方のないことだ。
それこそタマゴの頃からモモナリに育てられたガブリアスと、長い年月の中で成熟した関係を構築した彼女とでは、関係性の種類が違う。
その女はモモナリの古参メンバーの一人であるアーボックであった。
「冗談よ」
ガブリアスの様子に目尻を下げたアーボックは、先程まで掴んでいた頬を撫でて続ける。
「でもせめて、人間でいる間はここに居させてほしいわ。それとも、私が家にいるのは嫌?」
その言葉に、ガブリアスはぱっと表情を明るくさせて「ううん!」と、アーボックの言葉を否定する。
彼女にとって、アーボックは姉でもあり母でも合った。
☆
「相変わらず。お高く止まった野郎ね」
モモナリ家リビング。
ガブリアスはポケモンであった頃と変わりなく、ユレイドルやアーマルドと庭で遊ぶつもりだろう。人間は泥だらけになった体を川で清めることは出来ないのだが、どうするのかは知ったことではない。
色が付き始めた日差しが入るそこに腰を落とし、瞑想を続ける青髪の青年、ゴルダックを覗き込むアーボックの視線は、先程ガブリアスに向けた温かみやからかいを含んだものではなかった。
「せっかく人間の姿になったというのに、まさかあの人と一言も喋らないつもり?」
その問いに対しても、ゴルダックは何も答えない。
彼が人間の姿となってこれまで、彼は一言も言葉を発してはいなかった。
「俺達に言葉は必要ないって言いたいのかしら?」
言葉に含まれる嫉妬の感情を、彼女は隠そうとしない。
こころなしか、腹の入れ墨もその表情を険しくしているように見えた。
蛇の嫉妬は恐ろしい。
もし、その嫉妬の原因が彼女の努力で埋められるものならば、彼女はその嫉妬を自らを高めるための糧としただろう。
だが、それがモモナリの最古参であるという事実であるならば、彼女がどうこうして埋められるものではない。
故に、彼女はその嫉妬をぶつけるしか無いのだ。
「あまりおちょくり過ぎるなよ」
棚の奥底から引っ張り出してきたDVDケースを漁りながら、モモナリはアーボックをたしなめる。
アーボックが嫉妬深く、更にそれが特にゴルダックに向いていることは、彼女らがポケモンであった頃から気づいている。
だが、彼はアーボックがゴルダックに対して持つ嫉妬心を、今すぐにでも対処すべき悪しきものだとは思っていなかった。
まず大前提として、それを埋めようがない。嫉妬しているからと言って、はいそうですかと記憶を改ざんできるほど、モモナリは器用ではない。
そして何より、アーボックはその嫉妬心を群れの崩壊に繋げない。
自らの嫉妬の吐露を、モモナリがいる場で行うことがその証拠だ。
「なあ」
不意に、ゴルダックがその瞳を開いてアーボックと目を合わせ、ほんの僅かに口角を上げて呟く。
言葉を発さぬと思っていた彼が突然そう言ったものだから、アーボックは驚いて自らの身体を大きく見せるように背筋を伸ばした。
「今日はよく喋るじゃないか」
見下ろした相手から放たれたその言葉に、アーボックは一瞬で頬から肩口までの肌をカッと赤く上気させた。こころなしか、腹の入れ墨は怒りの表情から戸惑いの表情になっているようにも見える。
「おいおい」と、モモナリはDVDを漁る手を止めてゴルダックを嗜めた。
「あまりからかってやるなよ」
その言葉が届いたのかどうかは知らないが、ゴルダックはアーボックにもう一つ余裕の笑みを浮かべた後に目を閉じた。
彼女がモモナリの前で見せる嫉妬が、その実、モモナリに対して見せる自らの愛情表現であることを、少なくともモモナリの古参メンバーは知っている。蛇の愛情表現はややこしくてかなわない。
「あんた、あんたあ」
それを見透かされたことに、久しぶりにからかわれたことに腰を抜かしたのか、アーボックは立ち上がること無く這うようにしてモモナリのもとににじり寄る。
彼女がポケモンであった頃の感覚であるのか、彼女はその長い腕をモモナリの腹にぎっちりと回した。
「あいつが、あいつがあたしをいじめる!」
「はいはい」
少し息苦しくなるほどに締められる腹の痛みを感じながら、モモナリはDVDを探す作業を再開した。
☆
日が落ちて少しして。
食事を終えたモモナリ達は、珍しくテレビの前に釘付けになっていた。
映し出されているのは、DVDに保存されていたいつかのAリーグでの試合だ。アーボックが手持ちに入っていた試合でもある。
対戦相手はキリュー、ほんの僅かな差でモモナリが勝利した試合だった。
場面は中盤、ちょうどモモナリのガブリアスとキリューのハリテヤマが主導権を握り合っている場面だった。
「ここよ」
人間の姿になってすぐとは思えないほどに器用にリモコンを使いこなすアーボックは、自らの腹を枕にするようにより掛かるガブリアスに向かって言った。
「あんた、ここで左に寄ったよね」
スロー再生されている場面では、たしかにガブリアスがハリテヤマの視界に回りこむように左に体重移動をしているところだ。
「うん」と、ガブリアスは頷く。
その場面を久しぶりに見返しながら、モモナリはなるほどと頷いた。
アーボックが突然「ガブリアスと確認したい試合がある」と言い出したときには何事かと思ったが、こういうことなら理解ができる。
最も、彼が毎年協会から送られてくるそのDVDを確認するのは今日が初めてではあったが。
「なにか考えがあった?」
その問いに、ガブリアスは少し体を縮こませながら「ううん」と答えた。
何かを恐れているその様子に微笑みながら、アーボックが続ける。
「何も怒ろうってわけじゃないのよ。ただ、少し確認することがあるだけ」
その言葉に偽りはない。
もしこれから何かを怒ろうとしているのならば、その抱きかかえることを強要しているような姿勢が許されるはずがない。
「ここ」
少しだけ動画を巻き戻し、ある点でストップさせてそれをリモコンで指差す。
「この時、お父さんはどこを見ていると思う?」
「ハリテヤマ?」
「いいえ、多分違うわ」
アーボックは流すような目でモモナリに視線を投げる。
それを答え合わせだと理解したモモナリは、ガブリアスの頭を撫でながら答えた。
「もちろん視界の中にハリテヤマを捉えてはいたけど、一番注意していたのはキリューの手元かな」
「そうでしょう、そういうことよ」
その答えに首を傾げているガブリアスに、アーボックが続ける。
「この男は、ポケモンを矢継ぎ早に繰り出すのが得意なせっかち屋。あなたの攻撃を別のポケモンで受けようとすることは真っ先に想像できること」
動画が早送りされる。
アーボックの言葉通り、キリューは別のポケモンを繰り出してガブリアスの『ドラゴンクロー』を受けていたし、それはガブリアスも覚えている。
それでも、やはりいま自分が何を注意されているのかの理解が追いつかない。
アーボックが動画を巻き戻す。
「相手がポケモンを繰り出すせっかち屋であることが分かってて、お父さんが相手の手元を見ている」
彼女はガブリアスの頭を抱えて優しく左右に動かす。
「人間の視界って意外と狭いでしょ?」
「うん」と、ガブリアスもそれには納得する。ガブリアスの広い視野に比べて、人間のそれは狭く、首も硬い。
更にアーボックは動画を止めて続けた。
「じゃあ、この時、お父さんは相手の手元を見れたかしら?」
ちょうど上空から戦局を捉えているその場面で、「あっ」と、ガブリアスはようやくそれに気づいた。
左に体重移動をしたことで、モモナリとキリューの間にかぶさる形になっている。
モモナリが手元を確認しているとすれば、その邪魔になっているのだ。
「ごめんなさい」
しゅんとするガブリアスの頭をアーボックが撫でた。
「もちろん、あなたに理由があって視界を塞ぐのならそれで構わないのよ。大事なのはエゴと従順のバランス」
ちらりとモモナリを見やった。
「お父さんのこと、好きでしょ?」
「うん」
「あたしもよ」
頬を撫でながら続ける。
「ピクシーやアズマオウのように自分がやりたいように暴れてもお父さんはそれに対応してくれるけど。あたし達がほんの少しお父さんのことを考えるだけで、その分お父さんが自由に動ける。あなたには力がある、お父さんを助ける力が」
アーボックはガブリアスに感づかれぬようにモモナリの手を握った。
「あなたにはまだわからないかも知れないけれど、自分をコントロールしてくれる男と出会えるのは幸せなことなのよ」
☆
夜であった。
すでにポケモンたちは眠りについている。
少し落ち込んでいたガブリアスが眠りにつくまで付き合っていたモモナリは、少し遅めのシャワーを浴び終わっていた。
彼がリビングに戻ると、すでに間接照明のみとなっているリビングで、アーボックが彼を待ち構えている。
「ねえ、あんた」
彼女はモモナリをカーペットの上に誘うと、やはり腕を絡めるように彼に密着する。
「若い子も眠ったし、お願いがあるんだけど」
「まだゴルダックが起きてるだろ」
微笑みを浮かべる彼女に、モモナリはゴルダックを指差して言った。
月明かりを背に受けながら瞑想を続けているゴルダックは、その伸びきった背筋から眠っているわけではないだろう。
だが、アーボックはそれを気にせず、モモナリの首に手を回す。
「あいつは若くないし、見せつけてやればいいのよ」
彼女はするりとモモナリの膝を枕にしながら、小声で彼に懇願する。
「さあ、あの子のようにあたしのほっぺを撫でておくれ。腹をくすぐって、微笑みかけて、頭をなでておくれ!」
若い子、ガブリアスが起きている頃には隠していた彼女の欲求は、若い子と同じように甘えさせてもらうことだった。
それを懇願する彼女の顔は満面の笑みであり、おそらくは腹の入れ墨も、同じように笑っているだろう。
苦笑いをしながらその懇願に答えるモモナリに甘えながら、アーボックは瞑想を続けるゴルダックに得意げな視線を投げかけるのだった。
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マシュマロ
また、現在連載している『ノマルは二部だが愛がある』もよろしくおねがいします!
また、暫定版ではありますがこの作品の年表を作成しました。なにか矛盾などあれば遠慮なくコメントよろしくおねがいします
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