モモナリですから、ノーてんきにいきましょう。   作:rairaibou(風)

197 / 201
セキエイに続く日常 110-夢の中の話 ②

 ジョウト地方、エンジュシティ。

 所用を済ませたネヤガワは、あるバーの前で、その男を待っていた。

 

「ああ、お久しぶりです」

 

  少ししてから現れたその男は、まだ二十代程度のようであったが、比較的身なりの良いネヤガワに対して気後れすること無く微笑んでいる。

 

「すまないね、忙しいだろうに」

 

 年下である彼に対し、ネヤガワは柔らかい言葉遣いを心がける。

 勿論それは、彼が思う社会的な倫理が大きな理由の一つであったが、それとは別に、わずかに含むものもあった。

 モモナリ=マナブ、カントー・ジョウトBリーガー。

 少なくとも、ポケモンリーグをチェックすることを趣味にしているものならば、知らぬはずのないビッグネームであった。若い頃から才能を発揮し、最高リーグであるAリーグの経験もある。

 ネヤガワのような人間からすれば、できれば機嫌を損ねたくは無い人種であった。

 だが、彼の考えを、恐れを感じること無く、モモナリはあっけらかんとそれに返す。

 

「いやいや、今日は試合もないですしね。暇だったんですよ」

 

 それに、と、彼はジャケットの胸ポケットから小さなメモ帳を取り出して続ける。

 

「いいネタになるかもしれませんしね」

「ああなるほど、『それ』のね」

「最近はじめまして」

「知ってるさ、よく読んでる」

 

 ネヤガワにそう言われ、彼は表情をさらに明るくした。

 おおよそバトル以外に取り柄のないと思われていた彼が、最近文筆業に性を出していることをネヤガワは知っているし、一体どんなものかとそれを読んでもいた。

 

「意外だね、君にそういう才能があったとは」

 

 昔、彼と仕事を共にしたとき、まさかそんな事があろうとは夢にも思っていなかった。

 とてもではないが、表に出せるような人間ではなかったから。

 

「才能ってほどでは、ただ書きたいことを書いてるだけですよ」

「それこそが才能だよ。人間、書きたいことを書けないときもある」

「またそんな、もう飲みましょうよ」

 

 それを褒められるのは気恥ずかしかったのか、モモナリは苦笑いでバーの方に体を向けた。

 

 

 

 

 

 

 ネヤガワが懇意にしているそのバーは、プライベートな空間を売りにしていた。

 割高な料金を払えば、誰にも会話を聞かれることのない完全個室を使用することもできる。

 なるほど、悪い話もできるってわけですね。と、モモナリは笑っていたが。ある意味それはネヤガワの思惑通りでもあった。

 

 

 

 

 

「モモナリ君。そろそろ本題に入ってもいいかな」

 

 飲み始めてから少し、否、しばらくしてからネヤガワがそう切り出した。モモナリの身の上話も面白かったが、この機を逃すと、彼が出来上がってしまいそうだったから。

 

「ええ、ええ、そうしましょう」

 

 赤い顔を隠すこと無く、モモナリは頷いた。尤も、酷く酔っている訳ではないだろう。ネヤガワは彼と何度か酒の席を設けていたが、彼を酔い潰したことはない。

 

「何か、聞きたいことがあるんでしょう」

 

 首をひねるモモナリに、ネヤガワは頷く。

 アポイントメントを取る際に、彼の助言を求めていることは伝えていた。

 

「端的に言うとね、『新人戦』のことなんだ」

 

 それは、カントー・ジョウト、ホウエン、シンオウ、それぞれのリーグ参戦一年目のトレーナー達によるトーナメントの総称であった。

 その言葉に、モモナリは鼻を鳴らしてわずかに上空を眺めるように視線を動かした。

 

「てっきり、バトルについてのアドバイスとばかり」

「それはまたの機会に」

「しかし、随分と昔の事を聞きますねえ」

 

 彼がそう言うのも無理はなかった。

 彼はまだ二十代ではあったが、バッジをコンプリートしたのは十代前半、当然『新人戦』もその時代、十年以上前の話だ。

 

「覚えてるかどうか、わかりゃしませんよ」

 

 そう首を振るモモナリに対し、ネヤガワはバッグからクリアファイルを取り出す。

 

「この試合だ。覚えているかな」

 

 小さい小さい、トーナメントの二回戦の組み合わせを指差す。

 そこには、クライアントであるショージンの名前があった。

 あまり、褒められた行為ではなかった。依頼者の情報を表に出す、医療倫理からは外れた行為だろう。

 だがなんてことはない、『オカルト』に医療倫理は求められない。

 

 完全個室のバーだ、間接照明はドリンクの色をごまかすように色づき薄暗い。

 よく目を凝らしたモモナリは、なんとかその名前を読み取りはしたが、やはり小さく首を振る。

 

「名前だけじゃわからないですよ」

「エースはエーフィだ」

 

 エーフィ、エーフィと、モモナリは何度か呟いた。

 そして、それが十数回になるかならないかと言ったところで、ああ、と、彼は声を上げる。

 

「覚えてますよ、覚えてます」

 

 記憶を確かめるように何度か頷いて、続ける。

 

「エーフィですよね、エーフィ」

「覚えていたかい」

「ええ、ええ、覚えてますよ」

 

 彼は一口アルコールを口にしてから答える。

 

「エーフィがね、僕のアーボックを落としたんですよ」

 

 しばらく感慨にふけってから続ける。

 

「強いトレーナーでした」

 

 その言葉に、ネヤガワは驚いた。

 その試合は、圧倒的にモモナリが勝利した試合だったからだ。

 

「強い、とは言うが、この試合は君の圧勝だっただろう」

「そりゃあ、結果はそうですけどね」

 

 彼は席についてからすぐに提供された乾いたツマミを箸で弄って続ける。

 

「向かってきた、彼らは」

「向かってきた」

 

 疑問を覚えるようにネヤガワが復唱する。

 

「向かってきたんですよ」

 

 そう、言い切って続ける。

 

「僕らを前にして、彼らは向かってきた。少なくとも、逃げなかった。俺達から」

「それだけで、君は『強い』と」

 

 その問いに、モモナリは明らかに呆れたように鼻を鳴らす。

 

「それすらできないトレーナーを、何人も見てきた」

「しかし、実力的には大差だっただろう」

「そりゃまた別の話でしょ」

 

 くああ、と、一つあくびをする。明らかに、この話は彼の中では終わっているようだった。

 クリアファイルをカバンに戻しながら、ネヤガワは呟く。

 

「君がそういうのなら、彼も喜ぶだろう」

「会ったんですか、その人と」

「まあ、少し話したのさ。君との試合を、随分と気にしていたようでね」

 

 ふうん、と、モモナリは浅い反応。

 

「彼は、この年でリーグを辞めたんだ」

 

 その言葉に、モモナリは少し沈黙を作ってから。「それで、今は」と問う。

 

「今は別の業界で活躍しているよ」

「そうですか、なら、良かった」

 

 それだけ言って、彼はグラスを煽った。

 ネヤガワは、もう一つ、彼に聞きたいことがあった。

 だが、それはあまりにも挑発めいた質問であるかもしれない。

 彼もグラスを煽る、特別度数の高いリキュールだ。

 

「気を悪くしないでほしいが、一体、どんな気分なんだい」

「何がです」

 

 喉の痛みを吐き出すように、問う。

 

「君をきっかけにやめるトレーナーは数多くいただろう。あるいは、君との試合で、心の折れるトレーナー。彼らについて、例えばどう思う」

 

 それは、クライアントのために必要な情報ではない。あくまでもネヤガワ自身の、危ない興味だ。

 一人の、考え方によってはリーグトレーナーなんかよりも遥かに高い社会的地位を手にした、優れた頭脳を持った人間が、『思い出したくもない』と、無意識のうちに思ってしまうような人間が、一体何を思っているのか。

 あるいは、わずかでも良いから引け目があって欲しかった。

 

 モモナリは若干首を傾げてネヤガワを睨んだ後に、ニンマリと笑顔を浮かべて答える。

 当然、それは、ネヤガワの望んだ答えではなかった。

 

「それは、あなたのほうがよく知ってるんじゃないですか。『夢を喰う男』なんですから」

 

 夢を食う男。

 それは、リーグのファンがネヤガワに付けた二つ名だ。

 Cリーグに飛び込んできた若手を幻惑し、勝利し、あるいはその夢を終わらせる。

 そう、ネヤガワはカントー・ジョウトCリーガーとしての顔を持っている。

 今日だって、Cリーグの若手を翻弄するという『所用』の後なのだ。

 

 モモナリのカウンターに対し、ネヤガワは冷静に、何でも無いことのようにリキュールを煽って答える。

 

「相変わらず『マナバナイ』ね、私がそう呼ばれるのを嫌っているのを知っているだろう」

「お互い様でしょ、あまり気持ちのいい質問じゃなかった」

 

 ネヤガワは目の前の年下で生意気な『同期』にため息をつく。

 

「私が若手を跳ね返すのと、君がトレーナーの心を折るのは、全く違う話だよ」

「どう違うんです」

「私は決して夢を食ってはいない」

 

 ネヤガワは首を振って続ける。

 

「今日の対戦相手はね、リーグ二年目の若手だったが。私のスリーパーに対して明らかに舐めた立ち回りをしていた。だからこそ『きあいパンチ』をもらったし『イカサマ』で必要以上のダメージを受けた。だから、負けた」

 

 彼のスリーパーは非常に小器用だ。スリーパーというポケモンがもっと力を持ったポケモンであったならば、彼らはもっと違う立場にあったかもしれない。

 一拍おいて続ける。

 

「何が『夢』なものかね。私がカモにしてるのはただの『夢を舐めた若造』だよ。明らかに、君が勝利してきたトレーナー達とは『質』が違う」

 

 ふうん、と、モモナリは鼻を鳴らす。

 

「似たようなものだと思いますけどね」

「違うさ、確実にね」

 

 少しばかり沈黙をおいてから続ける。

 

「少なくとも、ショージンは私よりも未来のあるトレーナーだったよ」

 

 モモナリは、それを否定もしなければ、肯定もしなかった。

 だが、一口アルコールを飲んでから呟く。

 

「別にいいじゃないですか、たかだかリーグを辞めたからって、人生が終わるわけじゃない」

 

 モモナリ君、と、ネヤガワはそれに反論を、苦言を呈そうとした。

 彼が言っていい言葉ではなかった。

 当然のようにリーグに居座るこのトレーナーが、道を諦めたトレーナーに言っていい言葉のようには聞こえなかった。

 だが、ほんのりアルコールの回った言語野は、それをうまく言葉にはできなかった。

 ただ、思った。

 ある人間にとっては、バトルは悪夢だ。またある人間にとっても悪夢かもしれない。

 また、この男、モモナリの存在そのものは、自分たち同期にとっての悪夢であるかもしれない。

 新人戦を圧倒的に勝利し、同世代の格付けを明白にしたこの男が、チャンピオンになれぬという悪夢。

 この男を越えなければ、それに挑戦する権利すら得ることができないという絶望。

 絶望すら覚えたこの男が、Bリーグで燻っているという悪夢。

 

「モモナリ君」と、彼から思いが漏れる。

 

「君の悪夢を、観たい」

 

 悪夢の見る悪夢は、どのようなものだろうか。

 

 ネヤガワの思いに、モモナリは一瞬キョトンと要領を得ない様を表情で表現している。

 だが、しばらくしてから小さく笑いが漏れた。

 

「興味深い話ですね」

 

 その、あまりにもくだらないつぶやきが受け入れられたことにネヤガワは驚きつつも、身を乗り出してこの気を逃すまいとする。

 

「構わないのかね」

「まあ、あなたには随分と奢ってもらいましたしねえ」

 

 それに、と、彼は続ける。

 

「つまらない夢はよく見るが、悪い夢を見た記憶はあまりないんですよ。話のネタになりそうだ」

 

 あまりにも無警戒だった。

 夢の中に入るということ、それはある種、固く閉ざされたプライバシーに他人を土足で招き入れることに等しい

 それが想像できない歳でもあるまい。

 

「本当に、良いのかい」

 

 最後の念押しに、彼は何も思うこと無く答えた。

 

「『面白い夢』だったら、教えて下さいね」

 

 『オカルト』に誓約書は必要ないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 まず、ネヤガワが驚いたのは、自らの直ぐ側に、妖艶な体つきをしたいわゆる美女が居たことだった。

 脳が思考を巡らせるより先に、これが彼の『悪夢』なのかと思った、だが、思考がめぐり、その女の容姿をしっかりと認識することができるようになると、話が変わった。

 

「スリーパーか」

 

 イエローのワンピース、顔の半分を覆う空気を多く含んだ毛皮のマフラー。もう半分の顔からは大きな瞳がネヤガワを睨んでいる。

 その姿かたち、そして、自らの脳に直接流し込まれてくる同意と、呆れと、僅かな照れの感情は、それが相棒のスリーパーであると確信するのに十分だった。

 どうして彼女が人間の姿を象っているのかは皆目見当がつかないが。

 

 その衝撃をひとまず受け入れてから。彼はようやく周りを見回した。

 

「ここは」

 

 都会、というわけではなさそうだった。

 かと言って、エンジュのように歴史を感じるものでもない。

 少し歩けば、大きな河川があった。これに合わせてこだわり無く発展した町、と言ったところであろうか。

 そして、遠方にピントを合わせれば視界に入り込んでくる特徴的な二つの山から考えるに。

 

「ハナダかな」

 

 まだ、確信があるわけではなかったが、この『あくむ』の主であるモモナリがハナダの出身であることから、ネヤガワはそう結論づけた。

 スリーパーはそれを否定もしなければ肯定もしなかった。当然だ、彼女らにとってやれハナダだのエンジュだというのは、あくまでも人間が決めた枠組みであって、彼女らが興味を持つものではない。

 

「天気はいい、山なりも聞こえない」

 

 災害、というわけではなさそうだ。

 

 しばらく歩く、町は何も問題なく穏やか。

 それは、人の『あくむ』を覗き見るネヤガワからすれば、非日常的な光景であった。

 スリーパーからのテレパシーにも、戸惑いが混じっている。彼女からしても予想だにしていない出来事なのだろう。

 

 河川沿いに歩けば、やがてここが『ハナダ』である事を示す看板が見え、お決まりの文句が並んでいる。

 

 その頃になって、ようやくネヤガワはこの『あくむ』の特徴を捉え始めていた。

 

「どうやら」

 

 ぐるりと河川を一通り眺めて続ける。

 

「『ポケモン』が居ないらしい」

 

 スリーパーも、それに同意の感情を流し込んできた。

 それは、ある程度納得のできることだった。

 モモナリというトレーナーは、人間は、ポケモンと『群れ』を成すことで人生と成立させてきた。その彼にとって『群れ』を構成するポケモンが居ないのは、さぞつらかろう。

 だが。

 

「あまり、面白い『あくむ』ではないね」

 

 尤も『あくむ』というものを愉快かそうではないかでカテゴライズすることが倫理的に褒められることではないことは理解している。

 だが、自分達の『悪夢』たる彼が見る夢としては、インパクトが薄いような気がした。

 それに、凄腕トレーナーの『悪夢』が『ポケモンのいない世界』だなんて、まるでおあつらえ向けだ。このまま上辺だけの感動話としてどこかに投稿しても良い。

 

「仕事でもないし、見るものはないな」

 

 スリーパーも、それを否定はしなかった。

 しかし、彼女は背後に気配を感じ、警戒する感情を相棒に流し込みながら振り返る。

 そこにいたものを見て、彼女は再び驚いた。

 そしてそれは、相棒であるネヤガワも同じ。

 

「なんだって」

 

 水色の体毛に、特徴的な水かき。

 彼らの背後に立っていたのは、あひるポケモンのゴルダックであった。

 

「なぜ君がいる」

 

 前提が崩れた。

 この世界にも『ポケモン』はいるようだ。

 ならばなぜ、スリーパーはポケモンではないのか。

 メチャクチャだ。

 これはモモナリの夢のはず。

 戸惑いはもう一つあった。

 なぜゴルダックは、自分たちを認識できているのか。

 

 彼らは警戒した。

 だが、ゴルダックはネヤガワたちに背を向けると、無防備に道を歩き始める。

 まるで、ついてこいと言わんばかりであった。

 

「ははあ、なるほど」

 

 少し表情を引きつらせながら、ネヤガワは一応納得する。

 

「君が、ガイドというわけかい」

 

 あひるポケモンのゴルダックは、本来ならばみずタイプのポケモンである。

 だが、進化の過程において、ある程度のサイコパワーを操れるようになるのも有名な話。

 サイコパワーを操れるというのであれば、ある程度夢に干渉することも可能だろう。自分たちがそうであるのだから、そこは否定できない。

 それなりの保険は持っていたということなのだろう。

 

 彼らは、ゴルダックについていくことにした。

 

 

 

 

 

 何もなく平穏な町のまま、ゴルダックを含む彼らは、ハナダの洞窟に最も近い民家に足を踏み入れていた。

 当然そこは、モモナリの住まいであろう。

 

「平穏な生活だな」

 

 彼らの目の前では、家主であろうモモナリが、手持ちのポケモン達と日常を過ごしていた。

 彼は研磨剤を使用しジバコイルのボディを磨いているし、その直ぐ側ではアーボックが彼の腰に巻き付いてまどろんでいる。

 だが、彼らはネヤガワたちには気づいていない。

 彼らの存在はモモナリの『悪夢』を構成するものでしか無いのだろう。意志を持って夢に介入している自分たちやゴルダックと違って。

 ポケモン達は、怪我をしているわけではない。モモナリを邪険に扱うわけでもなければ、仲間割れを起こしている様子もない。

 傍から見れば、ポケモンと人間の理想的な生活の一つにも思える。

 それを証明するように、スリーパーからは戸惑いを含んだ羨望の感情も流し込まれている。

 

「またサロンに連れて行ってやるさ」

 

 だが、スリーパーはそれには若干渋めの感情を流す。

 彼女はむんずとネヤガワの右手を掴みそれで毛皮のマフラーをとかした。

 

「なんだ、私にやってほしいのか」

 

 その途端に流れ込む溢れんばかりの同意と喜びの感情。

 はあ、と、彼はため息をつく。

 カントーでも有数の高級サロンに連れて行っていたのだが。

 そう思った瞬間に流れ込む「それはそれ」と言いたげな感情。

 明らかに集中力の途切れているスリーパーから一旦気をそらして、ネヤガワは部屋の中をぐるりと見回す。

 スッキリとしたレイアウトであった。生活に必要以上のものはない、そのような感じ。果たして彼はミニマリストであっただろうか。

 彼は元々の彼の部屋を知らない、知るはずがない。それであるのに、なぜだか彼はそれに強烈な違和感を覚えている。

 あるはずのものが、無いような気がする。

 しばらく、考えを巡らせる。

 やがて、気づいた。

 

「トロフィーが、無いのか」

 

 あるはずのものが、無い。

 彼がリーグや地方大会で手にしたはずのトロフィーや盾のようなものが、この部屋には一切なかった。

 尤も、ネヤガワは彼の大会の経歴をすべて知っているわけではない。 

 だが『新人戦』のトロフィーは、確実にあるはずだった。彼がそれを売ったという話も聞かない、カネに困ってるはずがない。

 

「大会で結果を残していないのか」

 

 思考を整理するために、ポツリとそう呟いた。

 スリーパーはそれになんの感情も流してこない。すでに彼女は床に正座し、机の上においてあったサブレをゴルダックと共にサクサクと楽しんでいる。

 だが問題はない、ネヤガワの予想が正しいのならば、これはすでに人間が作ったシステムの領域だ。

 確かに、納得はできる。

 規模は小さくとも、数々の大会で輝かしい結果を残している彼にとって、結果を残せないということは『あくむ』になりえる。

 だが、この想定にも、引っかかる部分がある。

 ならばどうして、ポケモンがいない。

 ポケモンがいないということは、どういうことなのか。

 そこまで考えて、彼はハッとした。

 慌てて、彼はジャケットをまくって裏地を確認する。

 そこにあるはずのものが、無かった。

 忘れるなんてありえない。

 この『あくむ』の中では、それは存在しないものだったのだ。

 

「そういう、ことか」

 

 彼は慌てて相棒に背を向ける。

 

「すぐ帰る」

 

 

 

 

 

 

 

 

 目の前には『ハナダプール』という看板。

 大きな室内用プールだ。一つのレジャー施設として街を象徴するものだろう。

 インストラクターとして紹介されているその女性は、彼にとってはよく知った顔。

 尤もそれは、ハナダジムリーダー、カスミとしてであったが。

 

「なるほど」

 

 若干息を荒らげながら頷く。

 ジャケットにつけているはずの『ジムバッジ』が無かった。

 無いはずがないのだ。

 それをコンプリートしたことは、彼の中では、今の社会的な立場よりも、よっぽど価値のある事だった。

 未だに、試合のある日はそれを身に着けなければ気がすまないのだ。自分達がそこに立つ権利を有していることを、自分が『夢』を持っていることを物理的に感じることのできる、ただ唯一のもの。

 それがなく、ジムもない。

 

「リーグが、無いんだ」

 

 この世界には、ポケモンリーグが存在しない。

 彼の強さを証明するものが、無い。

 否、強さだけではない。

 自分を負かせる相手が、いない。

 足早に、彼はそこを後にする。

 恐らく、リーグがないだけではないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

「思ったとおりだ」

 

 ハナダシティ名物、ゴールデンボールブリッジ。

 若干品のない名前のそこは、大してハナダに詳しくないネヤガワですら、アマチュアトレーナーのたまり場であることを知っている。

 そこに、誰も居なかった。

 そこにはただただ地元住民たちの交流のみがある。

 

「トレーナーが、居ない」

 

 息を呑んだ。

 全てに説明がつく。

 この『悪夢』には、トレーナーが居ないのだ。

 否、トレーナーという言い方で説明がつくだろうか。

 この『悪夢』には、彼らが戦うことのできる対象が存在しない。

 だから野生のポケモンは存在しないし、トレーナーも居ない。リーグなんかあるわけない。

 夢に入り込んだスリーパーが人の姿になったのも納得できる。彼女がスリーパーのままであることを『悪夢』は拒んだのだ。

 ネヤガワは、それに納得しながらも、衝撃を受けている。

 例えばチームスポーツを行うプレイヤーの『悪夢』として、信頼しているチームプレイヤーが裏切ったであったりとか、怪我をしたりしたであったりとか、チームの統率が取れないで合ったりとか、チーム内で権力を持つ人物に越権した関係を迫られるとか、そういう物はある。

 だが、対戦相手がいない、というのは数多くの『悪夢』を見てきた彼でも初めてのものだった。

 否、そもそも、そもそもだ。

 どういう形であれ、どういう過程をなぞるものであれ、闘争を行うものの『悪夢』とは『敗北』なのだ。

 敗北こそが『悪夢』なのだ、ショージンのように

 それを、あの男は。

 

 

 

 

 

 

「ああ、おはようございます」

 

 エンジュシティ、とあるホテルの一室にて、モモナリは目を覚ました。

 とは言っても、実際に眠っていたのは数時間ほどだが。

 一つあくびをして、彼は枕元にあった炭酸ドリンクに口をつける。

 椅子に腰掛けていたネヤガワは、すでに空になったワインボトルをテーブルの端に寄せながら「お疲れ様でした」と声をかける。

 テーブルの向かい側では、スリーパーがサブレを食べ終えており、もう一つをゴルダックに差し出していたが、彼はそれに興味が無いようだった。

 

「で、どんな夢でした」

 

 モモナリはどこからか取り出したメモ帳片手にそれを問う。

 ネヤガワは包み隠さず答える。

 

「至って、平穏な夢だったよ」

「でしょう、あまりうなされるってことがないですからね。で、内容は」

 

 一つため息をついてから答える。

 

「平穏で、平和で、君以外のトレーナーが存在しない夢だった」

 

 その言葉に、モモナリは一瞬ペンを走らせる手を止めた。

 彼は、それを想定してはいなかっただろう。

 だが、納得はしたようで、鼻を鳴らして自嘲気味に笑いながら答えた。

 

「つっまんねえ夢」

 

 

 

 

 

 

 

 

 数日後、ネヤガワのオフィスを訪れたショージンは、前回と違って明るい室内に少し驚いた。

 主であるネヤガワに軽く挨拶をしてショージンはテーブル上に見慣れぬ機械がおいてあることに気づいた。

 随分と古い出力機材だ。テープに映像を記録して、専用の機材でそれをプロジェクターに映し出す。尤も、彼らがもっと若かった頃にはまだ一般的なモノではあったが、現在では使う必要のないもの。

 

「なんです、それは」

 

 ショージンのさす『それ』が、その出力機材であることは明白だ。少なくとも、そのそばに置いてある片付け忘れたクシのことではないだろう。

 

「今日は治療のために少し見てもらいたいものがありまして」

 

 ネヤガワに勧められるがまま、ショージンはリクライニングチェアに腰掛ける。

 

「あなたの『新人戦』の映像です。対戦相手はモモナリ」

 

 その名前に、ショージンは表情を固めた。

 彼は聡明であった。すぐさま、すべてを繋いで納得する。

 

「そうか」と、彼は一つ呟き、しばらく沈黙し思案を巡らせてから続ける。

 

「それが『あくむ』の正体だったのか」

 

 聡明な彼に対し、ネヤガワも自身の考えを述べる。

 

「あなたの『あくむ』の中で、対戦相手のトレーナーだけが、その顔を確認できなかった。あなたの素晴らしい記憶力で、それを忘れるなんてありえないですからね」

「自然と、それを拒絶していたということか」

「そういうことでしょう」

「自分では、あの時代のことはいい思い出のつもりだったんだが」

「よくあることです。本人に自覚がなくとも、心が覚えている」

 

 ネヤガワのその言葉は含むもの無いモノではあったが、ショージンは「いや」と首をふる。

 

「自覚は、していたのかもしれないな。事実、この映像を見ることに対して、少しナーバスになっている」

 

 少し沈黙を作ってから「酒は、あるかな」とショージンが問う。

 

「ええ、強いのもありますよ」

「一番強いのをくれ、ストレートだ」

 

 それを準備するため立ち上がったネヤガワの背に「思い出してきたよ」と、彼は呟く。

 

「酷い負け方だった。望めば、努めれば成せぬものはないと思っていた若造にとっては、あまりにも酷い」

 

 テーブルに置かれたグラスをちらりとみやって、続ける。

 

「世の中には『どうしようもできない』事があると、思ってしまった」

 

 注がれた強い度数のアルコールを煽って呟く。

 

「対戦相手のモモナリくんに恐怖を覚えた。自分より年下の少年に、見下されるような感覚がな」

 

 そんなことはない、と、ネヤガワは思わず言いそうになった。

 モモナリは、ショージンを強いトレーナーであると評した。向かってくる、強い群れであったと。

 だが、それを呟いたとしても、たとえそれが真実であろうと、ショージンを救う言葉にはならないだろう。

 

「すこし、待ってくれ」

 

 リモコンを手にしたネヤガワを制した彼は、一つ息を吐いてから、腰のモンスターボールを放る。

 現れたのは、彼の相棒であるエーフィであった。

 彼はすぐさまにショージンの意図を読み取り、彼の膝に飛び乗って頬を擦り寄せた。

 

「よし、見よう。見ようじゃないか」

 

 

 

 

 

 

 画質は荒く、音質も同じく。

 画角は不安定で、時たまスタジアムの揺れに合わせてブレる。

 仕方のないことだ、『新人戦』の二回戦、世間の注目はさほど高くはなく、地方放送局の映像くらいしか残っていない。

 それでも、類まれなるスピードでリーグ参戦を決めたモモナリと言う注目されるルーキーの試合であるから、こうしてなんとか映像が残っている。

 

「ここで繰り出すんだ。エーフィを」

 

 ショージンが言う通り、画面にはエーフィが映し出される。

 ぐっ、と、彼は膝のエーフィを抱きしめる力を強くする。

 画面の中では、アーボックの『ダストシュート』を交わしたエーフィが、アーボックに『サイコキネシス』を打ち込んだ。

 倒れるアーボック、モモナリが手持ちを失うのはこの試合で初めてのことだ。

 ワイプの映像では、わずかに頬を緩めるモモナリ少年の表情が抜かれる。

 だが、それはすぐに確認できなくなった。

 彼が繰り出したカバルドンが『すなあらし』を対戦場に巻き起こしたからだ。

 地方スタジアムの撮影機材は、それに敵わない。

 

 しばらくしてから「なんか」と、ショージンが呟く。

 

「思っていたよりも、健闘していたんだな、私は」

 

 膝の上のエーフィは、誇らしげに胸を張っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 プロジェクターに何も写っておらず、明るい照明が彼らを照らしている。

 

「これで、私は『あくむ』を見なくなるのだろうか」

「少なくとも、今までよりかは気分のいいものになるでしょう。対面のトレーナーの顔が見えないということは無い」

 

 出力機材を取り出したネヤガワは、それを丁寧にケースに収めながら答えた。

 その傍らでは、スリーパーがサブレの包装をはがして、それをエーフィに与えている。

 

「情けないと思うかね」と、ジョーシンは自嘲的に笑う。

 

「大層な肩書を持っていながら、トラウマは年下の少年に負けたことだ」

「全く、全く思いませんよそんな事」

 

 少し投げやり気味になっているショージンに、ネヤガワは首を振った。

 

「むしろ、理由としてはありきたりでしょう。我々対戦者にとって『敗北』はあまりにも持つ意味が大きすぎる」

「そうか」

 

 ジョージンは、もう一度グラスを煽った。

 そして、なんとなくグラスの装飾を眺めながら、ふと、思ったことを呟く。

 

「君も『敗北』の『あくむ』を見るのかい」

 

 それは、容易に想像できることであった。

 引退した自らですら、十数年前の敗北を『あくむ』としている。

 それならば、未だCリーグで戦い続けるこの男も、それを『あくむ』としていなければおかしいだろう。

 だが、ネヤガワは鼻を鳴らして微笑みを返した。

 彼の中で、それは答えのある問いだったのだろう。

 

「ジョーシンさん。夢の中で眠ったことはありますか」

 

 それに、彼は首をひねりながら答える。

 

「いいや、記憶にはないな」

「そう、夢から覚めてもまだ夢であったと言うことはあれど、夢の中で夢を見ることはないんです」

 

 彼はグラスを傾けて続けた。

 

「まだまだ私は『夢の中』ということですよ」

 




今作はとにかく難産でした。3ヶ月位かかったような気がします
とにかく『夢』という不確定なものを書くのが難しかったですね。

ツイッターにてふせんりょさん(@fusenryo2)イラストを書いていただきました!ありがとうございます!

【挿絵表示】


モモナリへの質問など大変有難うございます。
全てに答えていきたいところですが世界観的に答えにくい質問などもあり答えられないこともあります。大変申し訳ありません

感想、評価、批評、お気軽にどうぞ、質問等も出来る限り答えようと思っています。
誤字脱字メッセージいつもありがとうございます。
ぜひとも評価の方よろしくおねがいします。
ここすき機能もご利用ください!

Twitter
マシュマロ

後書きによる作品語りは

  • いる
  • いらない

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。