モモナリですから、ノーてんきにいきましょう。 作:rairaibou(風)
その若い警備員が、今日ほど己の賃金体制について真剣に考えたことはなかっただろう。
時給の割には悪くない詰め所を、時給の割には明るい電灯がつい先程まで照らしていた、時給の割に備え付けのテレビはいくらでも見てよかったが、今はそれを見る気にはなれない。
そして、何より目を通さなければならないはずの防犯カメラの映像には、思わず目を背けたくなるような光景が映し出されている。
一階、受付に置かれている観光客向けのグッズはこれみよがしに己の存在をアピールしている。ジョークのように実は回転するように作られているその局一番の番組のモニュメントは、それをアピールするように高速で回転していた。
二階、営業部では視聴率が書かれたポスターの数々が、防犯カメラの荒い画質でもわかるほどに手足を動かし、何かを叫んでいるのだろう。スポンサーとの契約に関する書類が無事かどうかは、わからない。しかし、すでに主人が家に帰っているはずの端末達は、まだ残っている仕事があるかのように起動と終了を繰り返していた。
三階、総務部、ペンと書類が吹雪のように舞っている。
四階、制作部、幸いにも今夜は深夜の生放送はなかったが、ディレクターがふんぞり返るはずのチェアは激しく床を滑っており、スタジオもなにか信号を伝えるかのように明るさと暗さを繰り返す。倉庫のCDに手を出されてなければいいが。
五階、局長室には防犯カメラは設置されていない、原則局長しか持たないセキリュティカードでしか入れないからだ。しかし設置された絵画がガタガタと揺れる廊下の映像から、恐らく無事ではないだろう。
そして、今その警備員が時給について考えを巡らせている詰め所も、つい今しがたその電灯を落とされたところだ。
「応援、応援を」
声を震わせながら、彼は備え付けの赤いボタンに手を伸ばした。
高い時給を貰っているだけであって、スマートでマニュアル通りの合理的な判断だった。彼はバッジを四つ持ってはいるが、一人で対応できる状況ではないだろう。多勢に無勢だ。
原因ははっきりしている、ゴーストポケモンに違いない。
懐中電灯を胸に抱えながら、彼は応援を待つ。優秀な企業だ、半時間もかからず本部から応援が駆けつけるだろう。
「おかしいだろ、おかしいだろうが」
彼は足元を懐中電灯で照らしながら呟く。眼の前を照らす勇気はない。
彼の言う通り、おかしかった。
こういうことが無いわけではない、偶然に紛れ込んだゴーストポケモンが、小さな悪戯をすることはある。むしろそのために自分達はある程度の実力を求められている。
だが、ここまで大規模なものは記憶にない。
何より、ゴーストポケモンたちがこんなにも統率が取れていることがおかしいのだ。
彼がその先を考えようとした時、頭上から、聞き慣れぬノイズ音。
それに気を取られ、意識をそちらに向けてしまったがばっかりに、彼はそれを聞いてしまった。
『タチサレ』
確かに、そう聞こえた。
聞こえてしまったが最後、もう彼はそれから意識を外すことはできない。
『タチサレ……タチサレ……タチサレ……』
何度も何度も、それは続いた。
「無理だ、無理だよう」
思わず、そう答えてしまった。
時給が故に持ち場を離れないという崇高な意識があるわけではない。むしろ、この状態においても職務を全うするほどの時給は貰っていないだろう。
しかし、足が震え、歯が音を鳴らすその状況で、立ち上がることなどできなかった。
彼は懐中電灯を切った。
詰め所に光があってほしくなかった。
視界が良好になると『見えないはずのもの』が見えてしまいそうだった。
彼は未だに頭上から語りかける声にそれ以上反応せず、ぐっと目を瞑った。
☆
シオンタウン、カントーラジオ局前。
すでに日は落ち、電灯のみが街を照らしている。
だが、いつもは街を間接的に照らしているはずのカントーラジオ局は、今日は多くの窓ガラスが暗い。
それを街の住民が不審に思うことはなかった。ラジオ局は『大規模施設点検』の最中であったし、そうなれば、煌々と電気がついてることのほうが不自然というもの。
最も住民達は不意に行われた『大規模施設点検』そのものを不審には思っていただろうが。
「皆さん、本日はお集まりいただきありがとうございます」
手動で開きっぱなしになっている自動ドアを背に、カントーラジオ局長、タニは、目の前にいる数人に言った。
それらの人間達は、厳密に言えば彼が個人的に集めた訳では無く、更に厳密に言えば彼がそこにいる必要すらもなかったのだが、それでもそのように頭を下げるのは、彼の局長としての責任感と純粋な人間性がなせる技だろう。
「局長が頭を下げる必要はありませんよ」
局長より少しだけ若い中年の男、ユーゴは、そのようにタニを敬いながらも、その行動が彼よりへりくだることはない。
致し方のないことだ、彼はカントーラジオ局の役員という立場であったし、何より、彼はこのカントーラジオ局の地主一族であった。いわばシオンタウンにおける社会的な立場というものを、彼は無意識の中で理解していたのだ。もちろんそれは歪みを持っていることではあるが、簡単に否定できることでもない。
しかし、そうではない者もいるようだった。
「タニ局長、頭を上げてください。今回の事は私を含め一族の『ワガママ』に他ありません。むしろ、余計な仕事を増やしてしまったことを謝罪すべきは私達の方です」
その少女は、タニと同じように頭を下げながらそう言った。まだティーンエイジャーと言っていい歳であったが、ユーゴと違い常識的な倫理観を持っているようだった。
しかし、それは彼女の社会的立場の凡庸さを表現しているものではなかった。なぜならば彼女はユーゴと同じく地主一族であったし、時代遅れになりつつある『本家、分家』の観念で言うのであれば、ユーゴよりも格上の存在であった。
「その通り」と、ユーゴはそれに頷き、続ける。
「『呪い』などと、馬鹿馬鹿しい。たかだかゴーストポケモンが迷い込んだだけで」
その場にいた人間の殆どが、その言葉に一様の反応を見せた。
特に、警備員の制服に身を包んだ初老の男、警備主任のコンドーは、一歩前に踏み出しながら言う。
「し、しかしですねユーゴさん。あれだけのゴーストポケモンが一斉に迷い込むことなんて通常は考えられないことでして」
「じゃあなんですかコンドーさん、まさか『呪い』だなんて言うわけじゃないでしょうね?」
ユーゴの返答に、コンドーは言葉を飲み込んだ。
その一族、その役員が、その言葉を忌み嫌っていることは理解している。
しかし、ラジオ局の開局以来、あれだけ大量のゴーストポケモンたちが現れたことなど無かったのだ。彼はそれをよく知っている。
「『呪い』やなくても、何かしらの原因があるんは明らかどすなぁ」
柔らかいエンジュ弁であった。見れば、間接照明のみの薄暗い視界でも、ニヤリと笑う女だ。
ユーゴはその女を睨みつけようとしたが、彼女の言葉に一応は納得し、コンドーへの厳しい目線を終える。
「コサコさん、『明らか』というのはどういうことでしょうか?」
だが、ハイツカの方はその言葉に説明を求めた。
その女をうっとうしく思っているユーゴと違い、彼女はハイツカの希望によりここに来ている。ゴーストポケモンの扱いには手慣れているだろう、エンジュシティ、エンジュジムトレーナー、コサコであった。
「そりゃそうやろ」と、コサコは続ける。
「ほんまやったら、こんなピカピカテカテカして、電波がブンブン飛びまくってる場所、あの子らにとっては居心地悪いに決まってるやん」
「兄さんもそう思うでっしゃろ?」と、彼女はハイツカのそばに立つ若い男に軽く声をかけた。
その男は首を捻りつつ「まあ、ねえ」と返す。
「呼ばれとんねん『誰か』に」
「『誰か』というのは?」
「そりゃまだわからへんわ、野生のポケモンかもしれんし、トレーナーかもしれんし、『それ以外のなんか』かもしれへんし」
『それ以外のなにか』 という単語のトーンを変えるコサコに対し、ユーゴは鼻を鳴らして不服を、コンドーは身震いで何らかの感情を表現した。
しかし、ハイツカはそうではない。彼女はニコリと笑ってそれに返す。
「原因があるのならばよかったです。あなたを呼んで良かった。もしその原因がはっきりしたらぜひとも教えて下さいね」
「もちろん」
一連の会話が終わったことを確認し、タニが声を上げる。
「ええ、それでは、時間になりましたので『最終点検』を行いたいと思います。先日の騒動と同じ状況を作るために、主電源を落とした状態で行いますので、皆さん、予備を含めて懐中電灯を無くさないようによろしくお願いします」
☆
それぞれのライトが階段を照らしながら、彼らは二階へと進んでいた。
「昼の内にある程度の『対処』は行いました」
先頭を行くコンドーの声が反響する。
先程は情けない姿を見せたが、仕事の話をするときには流石にシャンとするようだ。
「迷い込んだゴーストポケモン達はレンジャー達が全員捕獲、あるいは従属させ、すでにイワヤマトンネル付近に逃がしているということです」
「ほなら、もし今、ゴーストポケモンが現れたとしたら」
コサコの問いに、コンドーが少しライトを震わせて答える。
「新たに迷い込んだポケモンということになります」
「ありえへんやろなあ」
コサコは首を振ってそれを否定する。
「普段は深夜放送もやってるところやろ、ゴーストポケモンが迷い込むんは不自然やわ」
それに、局長のタニが反応した。
「私もそう思いたいが、現に『騒動』は起きてしまった。この建物のかつての姿を考えればあなたが言うほど不自然なものでもないと思うのですが」
その言葉に、一同は一瞬沈黙した。それは、彼らにも心当たりのあることだった。
ラジオ局の前身、ポケモンタワー。
かつてポケモンの魂の安息を願って建造されたそこは、その本来の役割を果たしつつも、同時にゴースやゴーストのようなポケモンたちの生息地としても知られていたのだ。
彼らは階段を登りきり、二階へと足を踏み入れる。
普段は営業部として使用されているそこは、昼間の内に社員たちに寄ってある程度は整理されていたが『騒動』の影響かはたまたもともとか、ハイツカらの感性からすればまだまだ散らかっていると言ったところだった。
「散らばらないように、不自然なものがあればすぐに報告を」
コンドーの指示通り、彼らは固まって周りを照らす。
散らばったポスターや煙草の吸殻などを確認しながら「もういいだろう」と、ユーゴの足が階段に向かおうとした時だった。
「あれ、何でしょう?」
ハイツカのライトが、ある一点をさしていた。
そこには昼の芸能ニュースを担当する中堅パーソナリティの薄っぺらい笑顔がスポットライトのように照らされている。
それが宙に浮いたポスターだと気づくよりも先に、彼女の肩が掴まれ、ぐいと後ろに引かれた。
「『ねんりき』」
繰り出されたあひるポケモン、ゴルダックが爪で切り裂くように宙を切ると、薄っぺらい笑顔はペラリと力を失ってヒラヒラと床に落ちる。
その背後で、それを操っていたであろうガスじょうポケモンのゴースが悲鳴を上げて消え去った。ポスターに意識を集中させて相手を幻惑する彼の目論見は失敗したと言える。
だがそれは、彼らの決起を促すのに十分だった。
突然、腹の芯を揺さぶるような衝撃がハイツカ達を襲った。
それは声である。
悲鳴のような金切り声が、二階に響き渡っている。
それと同時に、金属の軋む音。
「なんです!?」と、タニが叫ぶ。
音の方向にそれぞれがライトを向けると、そこには、本来ならばありえないベクトルに力を加えられながら宙に浮いているデスクや椅子があった。
俗っぽい言い方をするのならば、ポルターガイスト現象とでも言うのだろうか。最もそれが、これまでに攻撃性を持ったものかと言われれば難しいところではあるだろう。
「お嬢を護れ!」と、ユーゴが叫んだ。
それを言われるよりも先に反応をしていたのはハイツカを引き寄せた男。彼女のボディガードとして雇われたカントー・ジョウトリーグトレーナー、モモナリであった。
「『サイコキネシス』」
異常に対してライトを向けることもなく、モモナリは僅かに微笑みさえ浮かべながら指示を出す。彼はすでに、それらにとっての敵が誰であるのかを理解している。
ゴルダックもまた、目の前で起こっている異常に欠片も動揺すること無く、右手を異常に対して向けた。
「こっちは私が!」と、コンドーはモンスターボールからユンゲラーを繰り出しながらモモナリ達の反対側に陣取った。
「局長も」と、ユーゴはタニをモモナリの背後に誘導する。仕方のないことだろう、少なくとも彼らはこれらの異常に対応する戦闘力を持ち合わせていない。
「こっちはウチが」
コサコもまた、手持ちのゴーストを取り出しながら異常に対して構える。そして同時に、彼女はその異常を操っているであろうゴーストポケモンたちとの対話を試みようとしていた。
だが、彼らの『準備』は空振りに終わる。
ゴルダックが右手を振ったその瞬間、金切り声はポケモン達の悲鳴へと代わり、浮遊していたデスクや机は重力に従い床に落ちる。当然それらは激しい音を上げたが、先程まで聞こえていた金切り声に比べれば、それは断然正常であるだろう。
「なんやぁ」と、コサコは気の抜けた声を上げた。
「兄さんら、強すぎますなあ。お嬢様も安心ですわ」
笑い混じりにそう言い放った彼女はモモナリの肩を叩こうと暗闇から目を切った。
その瞬間、ゴルダックの左手が彼女の頬を掠める。
彼女の背後から聞き慣れたゴーストポケモンの弱々しい鳴き声が聞こえたのは、その次の瞬間であった。
彼女らがそこをライトで照らしてみれば、一匹のゲンガーが目を回して気絶し『戦闘不能』になっている。
それには彼女のパートナーであるゴーストも驚いていた、彼もそれなりに気を張っていたつもりであったのだが、そのゲンガーの方がレベルが上であるのか、それが彼女の背後に迫っていたことに気付けなかったのだ。
「あらら」と、コサコは引きつった笑みを見せる。
「うちらも、安心ですわ」
モモナリは周りを見回し、ゴルダックもそれに続く。
「うまく隠れてた。思っていたよりレベルの高い連中だな」
じろり、と、モモナリが視線とライトを向ければ、数匹のゴースが慌てふためいて彼らから逃げるように窓の隙間から逃げ出そうとしている。
しかし、彼らはそれに追い打ちを仕掛けることはなかった。
「何をやってる、さっさと倒さんか!」
強めの命令口調を投げるユーゴに、モモナリは鼻を鳴らす。
「背中見せてる野生のポケモンを狩るほど下らないことは無いですよ」
「何を言っている、雇われの身だろう」
「主人は、この子でしょ」
彼は引き込んでいたハイツカの背中をポンと叩いて自らから遠ざける。
「この子が何かしろというのならしますけど」
その言葉に、ユーゴは口をつぐんだ。
彼の言う通り、この探索において本家の人間であるハイツカに護衛を付ける提案をしたのはユーゴだ。だが、最終的にその判断を受け入れ、それを手配したのはハイツカである。
尤も、モモナリは彼らの詳細な力関係を理解しているわけではないだろう。くだらなくてつまらないことをしたくはない、その欲望を通すために暴力よりも手っ取り早い屁理屈があったから乗っただけ。もしそれでもユーゴが何かを通そうとすれば、彼は手慣れた手段を取ったであろうが。
「ユーゴさん。その必要はありません」
ハイツカは息を整えながらそう呟く。
「彼らに罪があるわけではないので」
要求が通ったと鼻を鳴らすモモナリに振り返り「そして」と、彼女は続ける。
「モモナリ、さんと言いましたか。護っていただきありがとうございました。しかし、あまり手荒な真似はなさらないように」
「良いじゃないか肩くらい」
「私のことではありません」
ハイツカはライトを振り、ゴルダックに倒されたゲンガーのもとに歩み寄った。
そして腰を落とし、ゲンガーの顔にそっと手を添える。
「かわいそうに」
「そうは言っても、そいつはあんたに向かって来たんですよ」
「それでも、です」
ハイツカはコサコに「げんきのかけらはありますか?」と呟く。
「ええ、まぁ、少しならありますけどなあ」
「ぜひとも、この子から話を聞いてみてください」
「ああ、なるほどなあ」
腰を屈めてゲンガーの治療を行うコサコを眺めながら、立ち上がったハイツカは再びモモナリを見つめて、若干ニュアンスを含めて言った。
「そういう事ができる実力があると、クロサワさんからは伺っていたのですが」
その名前に、モモナリは苦笑いを返した。このシチュエーションに破顔している頼れる先輩の顔が目に浮かぶ。
「おーおー、怖かったなあ」
目を覚ましたゲンガーは、自身に目線を向けるモモナリに震えて後ずさった。攻撃をしてきたゴルダックの姿はないが、それは自分が視界に捉えられていないだけかもしれないとすら思う。
だが、彼が自分から目を切ったこと、そして、コサコやハイツカが自らを守るように壁になってくれていることに気づき、ひとまず彼女らは敵ではないのかもしれないと思った。
「ちょっとだけ、ウチとお話してみようかあ」
コサコは、そっと彼を抱き寄せた。
「よく覚えてないんやって」
目をパチクリとさせるゲンガーの頭を撫でながら、コサコは少し表情をこわばらせながら言った。
「『ニオイ』につられて少し近づいただけで、あとは何かの力に操られるようにそのままって」
懐中電灯と非常用の火災報知器のライトだけが照らす薄暗い室内においても、その言葉でタニとユーゴの表情が強張った事は容易に確認できるだろう。
だが、モモナリがその理由を問う必要はなかった。
なぜならば、警備主任のコンドーが、声を震わせながら呟いたからである。
「同じだ『あの時』と」
「馬鹿なことを!」と、ユーゴはそれを否定するが、先程までの力は無い。
「『あの時』ってのは?」
モモナリは、コンドーを流し見ながら宙に呟く。
誰か特定の人間に返答を求めたものではなかった、当然、自分がそれを問えば返ってくるだろうという確信の中にいる。
「君は、それを知らずに来たのかね」
彼の発言に心の底から驚いた様子のタニに、モモナリはケロリとして返す。
「俺はただ『この子を護れば、呪いと戦えるかもしれねえぞ』としか聞いてない」
鼻を鳴らして続ける。
「一度『呪い』と戦ってみたかった」
「呆れたやっちゃなあ」
「で、『あの時』ってのは何なんです?」
再度の問いに、彼らは押し黙った。
だがそれは、明確に答えを拒絶しているわけではない。誰かが言わなければならないが、自分が言いたいわけではない、そんな牽制が、モモナリ以外には見えている。
口を開いたのはコンドーであった。
「今から十数年前。ロケット団がポケモンタワーに逃げたポケモンを追い詰め、母親の方を殺したんですよ」
ポケモンタワー、それはカントーラジオ局のかつての姿である。
「ふうん」と、モモナリはその単語そのものには疑問を思わない、それはすでにカントーに住む人間には常識であるからだ。
「その後、ポケモンタワーに『ゆうれい』が現れるようになった。『ゆうれい』は人々に取り憑き、混乱を招いたんです。やがてそれは解決されましたが、その『ゆうれい』の正体は殺された母親ポケモンであったと言われています」
「それが、今回の件と関係があると」
「まあ、状況は似てるな。ゴーストたちを操ってた何かの正体が人間でもトレーナーでもない可能性だってあるで」
その意見を一旦は飲み込もうとした一同に対して「ありえません」と、ハイツカが少し強めの声で否定する。
「あの子のお母さんの魂は救われ、天に召されたはずです。私は、フジさんからそう聞いている」
モモナリはそれをよく理解できなかったが、どうやらフジという人物は彼女から信頼を得ているのだろう。
「もちろん、私達もそう思いたい」と、タニが呟き、ユーゴも頷く。
「しかし現に、このように騒動は起こり、まだ収まってはいないとなれば、少なくともその原因が何であるのか探らなくてはなりません」
「腹立たしいが、ここは一旦引こう」
「まあそうやなあ、兄さんがいれば大丈夫な気もするけど、準備があったほうがええのは確かや」
責任者二人の意見に、専門家も同調するとなれば、流れは決まりそうだった。
自らに背を向ける大人達に小さく舌打ちしたモモナリは、意外にもハイツカも少し名残惜しげにしていることに気づいた。
彼はニンマリと笑って彼女に耳打ちする。
「君もその気なら、抜け出しちゃおうよ」
断られるはずがないと確信していたが、ハイツカはそれに首を振る。
「今私が消えれば、さらなる混乱が生まれてしまいます。ここは従いましょう」
ぐう、と、モモナリは表情を曇らせる。
「まあ、雇い主がそう言うなら従うけどさ。いつでも言ってよ、大抵のことはやるから」
その声を無視するように、ハイツカは歩幅を広げて一歩モモナリの前に歩き出て呟く。
「モモナリさん。あなたは『呪いと戦ってみたい』とおっしゃいました。大変勇ましいですが、あいにく私は賛同しかねます」
モモナリの反応を伺うこともなく、続ける。
「もし『呪い』というものが本当に存在し、それがこの世に未練のある迷える魂が引き起こす災厄であるのならば、私達はそれを『救う』べきではありませんか?」
そう言い切り、つかつかと早足で大人達についていくハイツカの背中を目で追いやりながら、モモナリは苦笑いして呟く。
「そんな器用なことはできねえよ」
☆
「まさか、そんな」
それを照らすコンドーは、声を震わせていた。
同じくタニやユーゴもそれに絶句しており、コサコは冷や汗を流している。
一階に降りるはずの階段は、デスクや椅子、あるいはパーティションが文字通り積み上がり、明らかにユーゴ等の行く手を阻んでいた。
「逃さへん、って感じやな」
コサコは少し声を震わせながらそれでもなんとか飄々と振る舞おうと気を張りながら言った。
それは仕方のないことだろう、エンジュジムトレーナーの彼女はそれこそゴーストタイプの扱いやコミュニケーションには長けているかもしれないが、自らを追い詰めんとする明らかな悪意に対する経験は少ないだろうから。
「この感じだと、非常口も塞がれてそうですね」
タニの呟きにモモナリが一歩前に出ながら言う。
「別にこのくらいなんてこと無いですよ」
彼はモンスターボールに手を伸ばし、ハイツカに目線を向けながら続ける。
「多少荒っぽくてもいいならね、このくらいのガラクタを吹き飛ばすことくらい、わけない」
それは、たしかに彼ならば可能そうであった。
しかし、彼の雇い主であるハイツカは首をふる。
「先ほども言いましたが、あまり粗暴なことはなさらないよう」
「と、とりあえず、本部に連絡します」
思い出したようにポケギアを取り出そうとするコンドーに小さく舌打ちしたモモナリは、苦々しく首を振りながら一歩下がった。
「救援が来るまで、仮眠室で待機しておいたほうが良いでしょう。フロアに比べれば、多少のセキュリティもあります」
タニの言葉は、モモナリを除いた全員にとってはいい提案のように思えた。状況が状況だ、無駄な動きはしないほうが良いだろう。
だが、それを、モモナリではないはずの彼女が否定する。
「私は、このまま探索を続けるべきだと考えています」
その少女、ハイツカは、あからさまほどに美しく維持されたままでいる上り階段をライトで照らしながら、欠片も声を震わせること無く続ける。
「もし今ここでなにかが起こっているのならば、それを確かめることこそが今回の目的であるはずです」
「しかしお嬢」
「もちろん強要はいたしません、ですが、私は一人でも行きます」
今ここで一番年下の少女にそう言われて、それを強く否定できる人間はいないだろう。
「まあまあ、そうさみしいことを言わないで」と、モモナリがニヤけながら言った。
「俺は雇われの身ですからね。雇い主が行くといえば、ついていくしか無いでしょう」
もはやその男の言葉はどうでもよかった。
だが、タニが「たしかに」とそれに続く。
「ハイツカさんの言う通り、今日私達はそれを確認するために集まったわけです。ここで引けば、ラジオ局再開が延期になるばかり」
コサコらもそれに続いた。尤も、彼女らの声は震えていたが。
「ウチかて、雇われの身やしなあ」
「私も、警備主任としての役割が」
それらの言葉に、ユーゴは深い溜め息をつく。
「分かった、分かりました。だが、無理に進む必要はない。先に局長に仮眠室に案内していただき、何かがあればそこに戻るよう、約束してください」
☆
「クソっ、何が『呪い』だ」
仮眠室、照らす電気がないだけでそう見えるだけかもしれないが、少なくともそこは、フロアに比べれば被害が少ないような気がする。気休めかそれともイタズラか、ドアにびっしりと貼られた御札に効果があるとでも言うのだろうか。
「そんなもの、あってたまるか」
殆どの人間が部屋を後にしていた。
ユーゴは、まだそこに残っている人間に気を使うこと無く、若干暴力的なニュアンスを含んだ悪態をつく。
「裏で糸を引いている人間がいるはずなんだ」
彼の肩に、彼女が触れる。
後書きによる作品語りは
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いる
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いらない