モモナリですから、ノーてんきにいきましょう。   作:rairaibou(風)

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・モモナリ(オリジナルキャラクター)
 今作主人公、このエピソードでは16~17歳程度


セキエイに続く日常 20-見えざるもの ①

 その町では、人間が自然に間借りしている、という表現の方が正しかった。

 ホウエン地方、ヒワマキシティ。人々は巨大なツリーハウスに生活の拠点を置き、家と家とを繋ぐ吊り橋と、木々の間を縫うように走る細い道が、彼らの生活圏のすべてだった。

 

 一歩そこから足を踏み外せば、そこはもうポケモンたちの領域。

 

 人間が作ったアスファルトの道など、この町には存在しない。鬱蒼と茂る木々が天然の屋根となり、日中でも薄暗いこの町では、太陽の位置で時間を把握することすら難しい。

 

 なぜそうなったのか、それを知る住民は少ないが、それをしない理由はみな知っている。

 これもまた、ポケモンと人間のあるべき関係の一つなのだ。

 

 

 

 

 穏やかな昼下がりだった。

 

 木漏れ日が、吊り橋を渡る住民たちの足元をまだらに照らし、ツリーハウスの合間にある広場では、子供たちと野生のポチエナがじゃれ合っている。

 この町ではありふれた、牧歌的な光景。

 

 だが、その穏やかな空気は、突如として張り詰めた。

 

 一本の吊り橋のたもと、人間の生活圏へと続く道のすぐそばで、一体の野生のリングマが、苛立たしげに木を爪で引っ掻き、低い唸り声を上げていた。

 その背後には、おぼつかない足取りで母親に寄り添う、生まれたばかりであろうヒメグマの姿がある。

 

 子供たちの遊び声が止み、住民たちが遠巻きに、不安げな視線を向ける。

 母であるリングマは、その視線の一つ一つに神経を尖らせ、守るべき我が子と人間との間に、その巨大な体で壁を作っていた。

 

「下がってください! 刺激しないように!」

 

 その場に駆けつけた若いレンジャー、コバヤシの声は、緊張で少し上ずっていた。

 まだレンジャーになって日は浅いが、その真面目な仕事ぶりは、住民たちの間でも評判だ。

 

 彼は住民を落ち着かせると、ゆっくりとリングマと対峙する。

 

 マニュアル通りだ。まずは威嚇の原因を探り、刺激しないように距離を取る。母グマが神経質になっている原因は明らか。ならば、あとは彼女が安心できるだけの距離を、こちらが作ってやればいい。

 

 コバヤシは静かに目線で語りかけ、穏便に後退を促した。

 だが、彼のその善意は、今のリングマには届かない。彼女にとって、人間の存在はただの騒音であり、その存在そのものが、我が子を脅かす脅威だった。

 

 低い唸り声を上げ、リングマが一歩、また一歩と、人間側へとその境界線を越えてくる。

 

 まずい。

 

 コバヤシの額に、じわりと汗が滲んだ。このままでは、住民に被害が及ぶかもしれない。

 

「『制圧』します」

 

 穏便な解決が難しいと判断した彼は、焦りから、そして住民を守るという強い正義感から、ついに腰のモンスターボールに手をかけた。

 これ以上の侵入は許さない。実力行使も、やむを得ない。それは、レンジャーとしてではなく、一人のトレーナーとして、あまりにも自然な思考の帰結だった。

 

 コバヤシがボールを投げようとする、まさにその瞬間。

 彼の肩に、そっと手が置かれた。

 緊張をはらんだ状況だ、彼は一瞬だけちらりとそのほうを見やった。

 そして、彼はそれに驚く。

 

「そこまでだ、コバヤシ」

 

 彼に投げかけたのは、一人の壮年の女性であった。

 身長はコバヤシよりも小さく、体格は比べるまでもない。

 緩やかなウェーブの髪はところどころ痛みと白髪が見えている。

 だが、彼女はコバヤシと同じようにレンジャーの制服に身を包み、腰にはいくつかのモンスターボール。

 コバヤシと同じく彼女もヒワマキのレンジャーであった。しかし、担当区域はここではない。故に、コバヤシは驚いていた。

 

「サワタリ主任」と、コバヤシはリングマから目をそらすことなく呟く。

 

 サワタリは彼の耳元で厳しい口調で伝える。

 

「『制圧』の選択肢はまだ早い」

 

 そう言っている間にも、リングマの唸り声は木々のざわめきに交じって彼らに届いてる。

 人間が増えたのだ、仕方のない事だろう

 

「よく見ておきなさい」

 

 サワタリはリングマの様子をうかがいながら一歩前に出ると、腰のモンスターボールに手を伸ばした。

 

 ボールから繰り出されたのは、燃えるような赤い体躯を持つ、もうかポケモン、バシャーモ。

 コバヤシは、息を呑む。

 

 戦うのか。いや、違う。

 

 サワタリは、バシャーモに何の指示も出さなかった。ただ、その隣に静かに佇むだけ。

 バシャーモもまた、動かない。彼はリングマの方を向いてすらいない。

 

 ただそこに立ち、森の匂いを含んだ風を全身で受け止めているかのように、その風格だけをあたりに漂わせている。

 

 そのあまりにも静かな佇まいに、むしろリングマの方が戸惑っていた。

 

 威嚇も、攻撃の意思も感じられない。だが、目の前のポケモンが自分たちとは比較にならないほどの強者であることは、本能で理解できた。

 

 やがて、バシャーモが動く。

 

 ゆっくりと、一歩、また一歩と、リングマに近づいていく。その動きには一切の殺気がなく、まるで森の木々が風に揺れるように、あまりにも自然だった。

 

 リングマは、その異常な動きに気づく。

 このポケモンは、自分のことを見ていない。目が、合わない。

 

 バシャーモは、匂いと、音と、そして肌で感じる空気の揺らぎだけを頼りに、正確にリングマとの距離を測っていた。

 

 ついに、二体の鼻先が触れ合うほどの距離になる。

 

 リングマは唸り声を上げながらも、後ずさることはなかった。目の前の存在が、自分と、そして我が子に危害を加えるものではないことを、理解し始めていたからだ。

 

 お互いの匂いを嗅ぎあう、静かな挨拶。

 

 それは、ポケモン同士にしかわからない、敵意がないことの証明。そして、これ以上近づくならば容赦はしないという、暗黙の警告でもあった。

 

 やがて、バシャーモが静かに一歩下がる。

 

 それが、サワタリの無言の指示だった。

 リングマは一度だけ短く鳴くと、ヒメグマを促し、静かに森の奥へと去っていった。

 

 

 

 

 リングマの気配が完全に消えた後、サワタリはコバヤシに静かに問いかけた。

 

「なぜ『制圧』しようとした?」

 

 その声には、若干ではあるがコバヤシを責める要素を含んでいる。

 

「住民を、守るためでした。これ以上の侵入は危険だと判断し」

 

 コバヤシは、自らの正当性を主張する。

 だが、サワタリは彼の言葉を遮ることなく最後まで聞くと、諭すように、しかし決して揺らぐことのない声で告げた。

 

「いいか、コバヤシ。我々の仕事は、ポケモンを打ち負かすことじゃない。戦いを、未然に防ぐことだ」

 

 彼女は、一度だけ言葉を切る。

 

「『制圧』を考えるのは、我々がレンジャーとして『負けた』後でいい」

 

 その言葉の重さに、コバヤシは何も言い返せなかった。

 森の奥へと静かに歩き去っていくサワタリとバシャーモの後ろ姿を、彼はただ呆然と見送ることしかできない。

 その背中が、彼にはあまりにも大きく見えた。

 

 

 

 

 ヒワマキシティのある食堂は、ヒワマキに自生する木材をふんだんに使った、機能的で温かみのある空間だった。

 昼時を少し過ぎた時間帯、非番のレンジャーたちが、遅い昼食をとりながら談笑している。食堂には彼らの他にも見慣れない顔がいくつかあったが、この町にはジムもある。よそ者のトレーナーが立ち寄ることは、そう珍しい話ではなかった。

 

 レンジャーたちの輪の中心には、先ほどのリングマの一件でサワタリに諭されたコバヤシもいた。

 彼の向かいに座る先輩レンジャーが、ニヤニヤしながら彼をからかう。

 

「おいコバヤシ、また『片キズ』に手こずらされたんだって?」

「あれは、これ以上は危険だと判断したんです! だから、『制圧』しようと!」

 

 必死に弁明するコバヤシに、周りのレンジャーたちがどっと笑う。

 別のレンジャーが、呆れたように、しかしどこか誇らしげに言った。

 

「まあ、主任が出てこなかったら、お前の『判断』も悪かねえんだけどな」

「だよな。でも、主任のバシャーモが一歩前に出ただけで、あの『片キズ』がすごすごと引き下がっていくんだから、やっぱり格が違うよ」

「当たり前だろ」

 

 また別のレンジャーが、得意げにそれに続いた。

 

「主任のバシャーモは目が見えないんだ。だから、相手がどれだけ大きくても、牙を剥いていても、何も見えない。恐怖を感じようがないんだよ」

 

 その言葉に、コバヤシが待ってましたと言わんばかりに強く頷き、誇らしげに付け加える。

 

「そうだ。だから主任の指示だけを完璧に実行できる。あれこそが『恐れを知らないコンビ』の強さの秘密なんだ」

 

 彼の言葉には、サワタリへの絶対的な尊敬と信頼が込められていた。

 食堂の誰もが、その英雄譚に静かに頷いていた。

 ただ一人、隅の席で黙々と食事をしていた、見慣れない少年を除いて。

 

 少年は食事の手を止め、レンジャーたちに聞こえるように、しかし誰に言うでもなく、静かに呟いた。

 

「何言ってんだか」

 

 食堂の空気が、一瞬で凍り付いた。

 レンジャーたちの談笑が止まり、全ての視線が、声の主である隅の席の少年に集まる。

 最初に反応したのは、コバヤシだった。彼はまだ怒りではなく、訝しむように少年に問いかけた。

 

「なんだって?」

 

 少年は、席に座ったまま、静かに、しかしはっきりと自分の哲学を語り始める。

 

「恐怖を感じないポケモンなんているわけない。そんなことは、あり得ない」

 

 コバヤシが何かを言い返す前に、彼の隣に座っていた先輩レンジャーが、年長者として、「わかっていない子供」を諭すように、少し呆れたような口調で口を挟んだ。

 

「坊主、子どもだからわからないかもしれないが、世の中にはそういうのを超越した存在ってのがいるんだよ。俺たちの主任とかな」

 

 その言葉を、少年は隠すことなく、鼻で笑った。

 その嘲笑に、レンジャーたちの空気が険悪になる。少年は、その空気を楽しむかのように、さらに言葉を続けた。それはもはや、彼らの英雄譚への、明確な否定だった。

 

「そんなやつ、何でもないよ。『恐怖を感じない』なんて誇らしげに語ることじゃない。レンジャーなのに、そんなこともわからないのか?」

 

 少年は、心底がっかりしたように、一つため息をついて、この場の全員に聞こえるように言い放つ。

 

「ヒワマキのレンジャーはレベルが高いと聞いてたんだけどな」

 

 その最後の一言が、引き金となった。

 主任とバシャーモへの侮辱だけでなく、自分たちの組織、職業、そして仲間たち全員の誇りを、根底から否定された。コバヤシの怒りが、ついに限界を超える。

 彼はガタン、と大きな音を立てて椅子から立ち上がり、少年のテーブルへと大股で詰め寄った。

 

「てめえ、よそ者の分際で、さっきから何なんだ! 主任たちの強さを侮辱する気か!」

 

 怒りに顔を赤くするコバヤシを、少年は席に座ったまま冷静に見上げている。

 

「侮辱ねえ、侮辱してるのはどっちなんだか」

 

 言葉では勝てないと悟ったコバヤシが、最後の手段に出る。

 

「上等だ。表出ろ」

 

 コバヤシは、顎で食堂の出口を指し示した。周囲の先輩レンジャーたちが、さすがにまずいと腰を浮かせ「やめとけ、コバヤシ!」と声をかける。

 だが、少年は、その言葉に、初めて面白そうな、挑戦的な笑みを浮かべた。

 彼は、食べかけの定食に一度視線を落とすと、再びコバヤシを見上げて、悪びれもせずに言い放った。

 

「これ食べ終わったらね」

 

 

 

 

 レンジャー詰所の前にある訓練用の広場は、静かな惨状を呈していた。

 コバヤシを含む数人のレンジャーが、地面に膝をつき、あるいは呆然と立ち尽くしている。彼らのパートナーであるポケモンたちもまた、あるいは戦闘不能となり、あるいは深いダメージを負って、主人の側でぐったりと体を横たえていた。

 

 その中心に、少年が一人、立っている。

 彼は、手持ちのアーマルドをボールに戻しながら、心底退屈そうに、あるいは拍子抜けしたように、一つ大きなため息をついた。

 そして、打ちのめされたレンジャーたちを一瞥すると、静かに、しかしはっきりと断言した。

 

「ポケモンレンジャーという役割が、必ずしも実戦の強さを必要とするものではないことを差し引いても、洗練されているとは言い難いね」

 

 そのあまりにも冷静な分析に、コバヤシはすぐさまに反論することができなかった。

 悔しさや怒りよりも先に、目の前の少年に対する底知れない困惑が、彼を支配していた。

 そのあり得ないほどの強さと、自分たちを、そしてこの町のレンジャーという存在そのものを見下しているかのような態度。この少年は、一体何者なのか。そして、何をしにここへ来たのか。

 彼の存在そのものが、この町の平穏を脅かす大きな騒動になるであろうことを、コバヤシは予感していた。

 

「なんなんだ、君は」

 

 ようやく絞り出したその言葉は、怒声ではなく、畏怖と、純粋な疑問の響きを帯びていた。

 

 少年は、その問いには答えなかった。

 答える価値もないと、そう言っているようだった。

 その時、広場の入り口から、静かな、しかし有無を言わさぬ声が響く。

 

「そこまでだ」

 

 その声に、コバヤシたちがはっとしたように振り返る。

 そこに立っていたのは、一人でこの惨状を静かに見据える、サワタリの姿だった。

 彼女は、無言で広場の様子と、打ちのめされた部下たちの顔を一人一人確認し、最後に、その元凶である少年に視線を向ける。

 

 サワタリは、少年の顔を一目見て、冷静に、しかしはっきりと断言した。

 

「そうか。君は、カントー・ジョウトの」

 

 彼女は、一度だけ言葉を切る。

 

「モモナリ、だな」

 

 その名前に、コバヤシたちが息を呑んだ。

 モモナリ。その名前には聞き覚えがあった。いや、聞き覚えがないはずがなかった。

 彼らの脳裏に、数年前にホウエンのトレーナーたちの間で囁かれた、ある都市伝説が蘇る。

 

 ミナモシティに突如現れ、コンテスト会場周辺の腕自慢たちを、片っ端から叩きのめしていったという、カントーからの若い挑戦者。

 通称『コーディネーター狩り』

 目の前で起きた圧倒的な暴力と、その伝説が、彼らの中で恐ろしい一本の線として繋がった。悔しさは、純粋な『恐怖』へと変わっていく。

 

 レンジャーたちの動揺を背中で感じながらも、サワタリはモモナリから視線を外さない。

 彼女は、町の責任者として、彼に直接その目的を問うた。

 

「何をしにここへ来た」

 

 その言葉に、モモナリは初めて、自分と対等に話せる相手が現れたことに、退屈そうな表情を消した。

 その目は、鋭い探求者のそれに変わる。

 

「噂を聞いた。この町に、盲目のバシャーモと戦うトレーナーがいる、と」

 

 彼は、サワタリを頭の先からつま先まで、獲物を品定めするようにじろりと見やり、そして確信を持って言い放った。

 

「あんただな?」

 

 その無遠慮な視線にも、言葉にも、サワタリは一切動じなかった。

 彼女は静かにそれを肯定する。そして、彼の真意を確かめるように、念を押した。

 

「ああ、そうだ。それで、私と戦いたいんだな?」

 

 モモナリは、その問いに、言葉ではなく、ただ不敵な笑みを浮かべて頷くだけだった。

 サワタリは、その挑戦的な視線を真っ直ぐに受け止めると、静かに、しかし決然と言い放つ。

 

「わかった。その勝負、受けよう」

 

 彼女のその言葉は、私情からくるものではない。

 この町に現れた「火種」を、自らの手で排除するという、レンジャー主任としての、そしてこの町を守る者としての、揺るぎない覚悟の表明だった。

 

 

 

 

 訓練用の広場では、モモナリとサワタリが静かに対峙していた。

 その周りを、コバヤシをはじめとするレンジャーたちが、固唾を飲んで見守っている。

 彼らの視線には、怒り、好奇心、そして、得体の知れないよそ者に対する、わずかな恐怖が入り混じっていた。

 

 サワタリは、モモナリの挑戦を受け入れた。

 

 だが、それはあくまでこの厄介な「火種」を町から排除するための、レンジャーとしての「仕事」だった。

 

「一度だけだ」

 

 サワタリは、静かに、しかし有無を言わせぬ口調で告げる。

 モモナリは、その言葉を遮るように、しかし敬意を払うように、一つだけ条件を出した。

 

「タイマンでやってほしい」

 

 その言葉に、サワタリは一瞬だけ、その光のない瞳を細めた。

 彼女は、目の前の少年が何を求めているのか、そして何を嫌うのかを、正確に理解した。

 

「わかった。それで君が満足したら、大人しく帰ると約束しろ」

 

 そのどこか自分を見透かしたような条件に、モモナリは一瞬だけ眉をひそめた。

 だが、戦えるのであれば、それ以外のことは些末な問題だった。

 

「ああ、いいよ」

 

 モモナリは、二つ返事で頷いた。

 

 その瞬間、訓練用の広場は瞬く間に猛烈な『すなあらし』に包まれる。

 

 視界が、奪われた。

 周囲で見守っていたレンジャーたちは、突然の天候の変化にうろたえ、腕で顔を覆う。

 

「目くらまし?」

「だが、相手は」

 

 彼らの誰もが、同じ疑問に行き着く。盲目のバシャーモ相手に、視界を奪う攻撃など、無意味ではないのか。

 

 だが、サワタリだけは、その砂塵の向こう側にいる少年の真意を、瞬時に見抜いていた。

 彼が奪おうとしているのは、バシャーモの視界ではない。

 

 トレーナーである、自分自身の視界だ。

 

 盲目の彼に対する的確なサポートを封じ、あるいはポケモンとトレーナーを分断することが目の前の少年の目的だろう。

 そして何より、この砂嵐は、彼の『本気』の合図でもある。

 視界を封じることで展開を読みにくくする、そして群れの本質的な部分をむき出しにする戦術。

 

 サワタリは、静かにバシャーモを繰り出した。

 

 砂嵐が吹き荒れる中、バシャーモは目を閉じたまま、微動だにしない。

 まるで、風の音を聞いているかのように。

 

「そばに」と、サワタリが静かに言った。

 

 しかし確かにそれはバシャーモの耳に届き、彼は一歩下がってサワタリの傍に身を寄せる。

 肌に当たる砂の感覚、その香りからこの地の砂ではないことは明らかで、さらにこの風向きはヒワマキのものではない。ポケモンの技『すなあらし』によるものであるのは明白だ。

 

 彼は『すなあらし』の向こう側に向かって構えを取った。

 不必要にこちらを威嚇するような汚い鳴き声が聞こえるわけでもなく、今か今かと足を踏み鳴らすような焦りも感じない。

 相手は手練れ、群れの格としてはパートナーであるサワタリと同格かそれ以上だろう。

 

 うねりに変化。

 

「『まもる』!」

 

 ノイズの向こう側から現れたカバルドンの『かみくだく』に対し、バシャーモは一瞬だけ体重を相手に預けるようにして身を『まもる』

 

 攻防を行って『かそく』したバシャーモは、『すなあらし』の中に逃げ込もうとしたカバルドンに一気に距離を詰め、攻撃の体勢を取った。

 

「『ローキック』!」

「『のろい』」

 

 バシャーモの鋭い蹴りがカバルドンの前足を強かに打った。

 だが、カバルドンは痛みに耐えながらその場に踏みとどまる。足を踏み固め、力を込める体勢だ。

 

 サワタリとバシャーモは、砂嵐の向こう側から聞こえるその指示の的確さ、鋭さに背筋を震わせていた。

 今、明らかに戦いは自分たちのスペースの中で起こっている。向こう側のトレーナーからはこちらの影を捉える事すら困難なはずだ。

 それであるにもかかわらず、劣った速さをカバーする『のろい』の選択肢。

 トレーナーとしての格があるのは、明らかに向こう側だろう。

 

「『10まんばりき』」

「『まもる』!」

 

 力を貯めたカバルドンが、その力を解放してバシャーモに突進。

 だがバシャーモは再びサワタリの指示通り両手を交差させてその攻撃から身を『まもる』

 

 しかし、それも一瞬だ。

 

 さらに『かそく』したバシャーモは、自身に加えられた突進の力すら利用するようにカバルドンのサイドを取った。

 だが、それすらも読んでいたかのように、モモナリの指示は鋭い。

 

「『じしん』」

 

 カバルドンがその巨体を振り上げる。

 広範囲を攻撃する『じしん』であれば、サイドを取られていることは関係ない。

 弱点である地面タイプの攻撃の前触れ、当然バシャーモはそれを感じている。

 

 だが、彼は安易には動かない、カバルドンの体躯が地面に叩きつけられる瞬間を感じながら、彼はサワタリの指示を待つ。

 

「『ビルドアップ』!」

 

 その指示に、彼は両足を踏みしめ、筋肉に力を込める。

 次の瞬間、体全身に響く衝撃。ぎりぎりの攻防だった。まるでそれが見えているかのように、バシャーモたちはそれを成した。

 そして、彼はそれに耐えた。

 

 踏み込んだ足の力を爆発させ、バシャーモは再び『かそく』してカバルドンの死角を取る。

 そこには微塵の躊躇も悩みも、ましてや場所を探るような戸惑いもない。目まぐるしく流れる景色に戸惑うほどの速度だが、盲目の彼にその常識は通用しない。

 

 完全なる死角。勝負を決めることもできる。

 バシャーモは指示を待った。

 

「『まもる』」

「『なまける』」

 

 その指示は、ほとんど同時だった。

 

 バシャーモは防御の姿勢を取り、しかし、カバルドンは脱力し体力を回復する。

 

 次の瞬間、フィールドを支配していた『すなあらし』が晴れる。

 

 レンジャーと、バシャーモと、そしてサワタリがその向こう側に見たのは、明らかに憮然とした表情を見せている少年。モモナリだった。

 

「もういい」

 

 彼は明らかにふてくされたように、体力を回復したはずのカバルドンをボールに戻した。

 その突然の試合放棄に、レンジャーたちが呆然とする中、サワタリだけが、静かにその光景を見つめている。

 モモナリは、ボールをベルトに戻すと、サワタリを真っ直ぐに見据えて言い放った。

 

「期待していた通り、いや、それよりもかなり上と言っていいと思う」

 

 一歩、二歩、彼女らに歩み寄る。

 

「いや、強がるのは辞めだ。驚くべき技術だよ。少なくとも、リーグじゃお目にかかれない。これまでも、そして、おそらくこれからもね」

 

 彼はじろりとコバヤシらを見回して、まるで彼らに解説するかのように続ける。

 

「『すなあらし』でトレーナーの視界を奪った。大抵の場合、ここで『ほどける』」

 

 再びサワタリに向けた視線は、明らかに微笑みを持っていた。

 

「あんたはすぐに『切り替えた』トレーナー主軸のバトルではなくバシャーモ主軸のものにね。大したもんだ、リーグの人間でもそこをスムーズにはできない。大抵の場合、する必要がない」

 

 その言葉に、サワタリは彼が優れたリーグトレーナーであることを改めて確信する。

 自分たちが培ってきたテクニックを、たったあれだけの時間で丸裸にしているのだ。

 

「それなら、満足したかしら?」

 

 サワタリのその返答に、モモナリはそれまでの微笑みを一転し、あきれ返ったように鼻を鳴らす。

 

「あれで?」

 

 彼の態度とその返答に、コバヤシ達は一斉に緊張感を持つ。

 だが、サワタリはそれに下唇を噛んだ。想定できた答えだった。

 

「攻撃のタイミングは何度もあったろ」

 

 一歩、さらにモモナリはサワタリに踏み込む。

 バシャーモがそれに合わせてサワタリを守るように一歩彼女に寄ったが、「良い相棒だ」と、モモナリはそれを気に留めもしない。

 

「徹底的な一撃を入れることだってできただろう。あんたらなら。でもしなかった」

 

 モモナリは肩をすくめる。

 

「野生のポケモンにも、そうするんだろう」

「それが、私たちの使命だからな」

「俺が求めていたものじゃない」

「仕方がない事だ、それを私達に求められても困る」

 

 その言葉に、モモナリは何も言い返さなかった。当然だ、それ以上のことなどはない。

 

 ただ、その目は、来た時よりも遥かに強い、失望と、そして「どうすれば彼女に本気を出させられるか」という、新たな執着の光を宿していた。

 

 彼は一度だけ、悔しそうに、あるいは面白そうに、小さく舌打ちをすると、レンジャーたちに背を向けてその場を去っていった。

 

 その背中を、サワタリとバシャーモはじっと眺める。

 そして、このまま終わるとは思えないと思った。

 

『まもる』戦法とバシャーモの『かそく』戦略との相性は抜群だ。だが、それ以上に、徹底的な攻撃をしないことは、彼女らの、レンジャーの信念でもあるからだ。

 

 否、そんなことはどうでもいいのだ。数十年この信念を持っていた。今更それを疑うことはない。

 

 いま彼女を支配しているのは、モモナリが見せたあの判断。

 最後の『まもる』を敢行したとき、モモナリはまるでそれを読み切っていたかのように『なまける』の指示を出した。

 もし攻撃を想像していたのならば、絶対にしない指示のはずだ。

 

 彼は読み切っていた。

 

 攻撃を避ける戦略が読み切られていた。あるいはその先を、レンジャーとしての信念を。レンジャーとしての素質など微塵もないであろうあの少年が。

 

 そのような男が、限りなく『人間』を理解できる男が、果たしてそれで引き下がるだろうか。

 

 

 

 

 モモナリが広場を去ってから、数日が過ぎた。

 ヒワマキシティは、これまで以上に静かで、平和だった。

 野生のポケモンたちが、人間の生活圏に迷い込んでくるようなトラブルが、一件も報告されていない。レンジャーたちの仕事は、森の巡回と、住民からの他愛もない相談事を聞くことだけになっていた。

 だが、その平穏は、どこか歪んでいた。

 

 パトロール中のコバヤシは、その異常なまでの静けさに、言いようのない違和感を覚えていた。

 健全な森が持つ、生命のざわめきがない。鳥ポケモンのさえずりも、虫ポケモンたちの羽音も、いつもより遥かに少ない。

 まるで、巨大な捕食者を前にして、全ての生き物が息を潜めているかのような、不自然な静寂だった。

 

 疑問に思った彼は、森の中腹、レンジャーの管轄外であるはずの場所に、足を踏み入れた。

 

「なんだ、これは」

 

 そこに、明らかに最近まで使われていたキャンプの跡があった。

 戸惑い。それが、コバヤシが最初に感じた感情だった。

 

 石で組まれたかまどは機能的なものだった。焚き火の跡は丁寧な処理がされており、まだ微かに熱を持っている。

 周囲にゴミは散乱していない。むしろ、あまりにも整理整頓されすぎていた。

 

 そのまま教科書に乗せてすらいいと思えるような、完璧なアウトドアだ。

 

 地面には、ポケモンが技の訓練をしたであろう跡がいくつも残っている。

 だが、周囲の木々を傷つけるような、無遠慮なものではない。最小限の動きで、最大限の効果を発揮するための、洗練された反復練習の跡だ。

 

 一体、誰が。

 

 コバヤシは思考を巡らせる。ベテランのレンジャーか、あるいは、引退したリーグトレーナーか。

 

 考えの足りない若者であることはあり得ないだろう。あまりにもアウトドアに慣れすぎている。

 

 これだけの技術と知識を持つ人間が、この森にいる。

 だが、だとしたら、なぜここに。この場所は、許可なく火を使うことなど許されていない。

 レンジャーであるのならば、ヒワマキのルールを知らぬはずがない。

 

 彼の脳裏に、ある少年の姿が浮かぶ。

 だが、彼は本能的に頭を振ってそれを拒絶した。

 それは、考えられる限り最悪のシチュエーションだった。

 

 

 

 

 彼がその痕跡を調べていると、背後の茂みから、がさりと音がした。

 振り返った彼の目に映ったのは、母リングマである『片キズ』が、ヒメグマを連れて姿を現すところだった。彼女は以前のような苛立ちを見せてはいないが、その目には確かな警戒の色が浮かんでいる。

 

 コバヤシは、サワタリの教えを思い出した。

 

 穏便に済ませなければならない。彼は慎重に、ゆっくりと腰のモンスターボールに手をかける。

 

 その時、彼の背後から、全てを見透かしたような声。

 

「ポケモンを出すのはまだ早いんじゃないかな」

 

 声のした方を見上げると、太い木の枝に、あの少年が腰掛けていた。

 モモナリが、退屈そうに彼らを見下ろしている。

 彼はコバヤシを一瞥すると、次に、その視線だけで『片キズ』を射抜いた。

 

『片キズ』は、その視線に、怯えたように短く喉を鳴らす。

 戦うまでもない。あまりにも純粋な「格」の違いを、彼女は本能で悟っている。

 戦うことなく、ただ静かに頭を下げると、ヒメグマを促し、恭しくその場を去っていく。まるで、王に道を譲るかのように。

 

 その光景に、コバヤシは戦慄した。

 

 この数日間、この男が何をしていたのかを、彼は完全に理解した。

 彼は、この森の全てのポケモンを力でねじ伏せ、この一帯の生態系の『ボス』になったのだと。

 

 モモナリは、ひらりと音もなく枝から飛び降りると、呆然とするコバヤシの前に立った。

 その表情に、敵意や悪意はない。ただ、当然のことを告げるような、平坦な声だった。

 

「これで、あんた達の仕事も楽になるだろ」

 

 その言葉にコバヤシは純粋な疑問を覚えた。言っている意味が欠片もわからなかった。

 

「何が、言いたい」

 

 モモナリは、当然のように答える。

 

「俺がボスになった。ただ、それだけだよ」

 

 コバヤシは、言葉を失った。

 ボス。この男が、この森の。

 レンジャーの管轄区域であるこの森の、ボスになった、と。

 目の前の少年が言っていることの意味が、やはりまるで理解できなかった。

 

「何を、言っているんだ。ここは、俺たちレンジャーの」

「ああ、そうだな。だから、あんた達の仕事が楽になるって言ったんだ。厄介なポケモン同士のいさかいは、俺が仲裁する。あんた達は、あんた達のやりたいようにすればいい」

 

 彼は、本気でそう思っているようだった。

 自分たちの仕事を、信念を、誇りを、この男は、ただの「厄介ないさかいの仲裁」程度にしか認識していない。そして、自分の方が、それを上手くやれると信じて疑っていない。

 そして実際に、恐ろしいことに、今のところ、それをうまくやっている。

 

 コバヤシは、腹の底から、冷たい怒りが湧き上がってくるのを感じた。

 それは、侮辱だった。これ以上ないほどの、侮辱だった。

 

「君は、何がしたいんだ」

 

 ようやく絞り出したその声は、怒りよりも、純粋な疑問に満ちていた。

 モモナリは、その問いに、初めて満足げな笑みを浮かべた。

 

「さあ、ね」

 

 

 

 

 レンジャー詰所の主任執務室。

 サワタリは、管轄区域の定時報告書に静かに目を通していた。

 そこに、ノックもそこそこに、息を切らしたコバヤシが駆け込んでくる。

 

「主任!」

 

 彼の表情は、怒りと、それを上回る困惑に満ちていた。

 サワタリは、報告書から目を離さぬまま、静かに先を促す。

 

「森に、あの少年が、モモナリが!」

 

 コバヤシは、先ほど森で遭遇した出来事を、言葉を選びながらも必死にサワタリに報告した。

 母リングマである『片キズ』との遭遇、そしてモモナリが、視線一つで彼女を恭しく従わせた様を。

 彼が特に強調したのは、リングマが「恐怖」で逃げたのではなく、「敬意」を払うように道を譲ったという、信じがたい事実だった。

 そして、コバヤシはモモナリが言い放った言葉を、震える声で繰り返す。

 

「彼は自分が、この森の『ボス』になった、と。俺たちの仕事が、楽になるだろう、と」

 

 サワタリは、その報告を、表情一つ変えずに聞いている。

 彼女はコバヤシを遮ることなく、全ての言葉を静かに受け止めていた。

 

 全てを話し終えたコバヤシは、抑えきれない怒りを露わにする。

 

「主任、これは我々レンジャーに対する、明確な挑戦です! 我々の仕事を、信念を、あの男は根底から馬鹿にしている!」

 

 だが、サワタリの反応は、彼の期待とは全く異なるものだった。

 彼女は、静かにコバヤシに問いかける。

 

「それで、彼は結局、何がしたいと?」

 

 その問いに、コバヤシははっとした。

 怒りのあまり、最も重要なやり取りを報告し忘れていた。

 

「はい。俺も、そう聞きました。ですが、彼は」

 

 コバヤシは、悔しそうに言葉を続ける。

 

「『さあ、ね』と。それだけ言って、はぐらかすように」

 

 その報告を聞き終えたサワタリは、表情を変えぬまま、静かに椅子から立ち上がった。

 彼女が向かったのは、壁に貼られた一枚の大きなカレンダーだった。

 そこには、カントー・ジョウトリーグの、今期の全日程が印刷されている。

 彼女は、そのカレンダーの中から、モモナリの名前が記載されている箇所を、指でなぞった。

 そして、三日後の日付を、指でとん、と軽く叩いた。

 

「Bリーグ、第7節。コガネシティ。対戦相手は、Aリーガーから降格してきたベテランか」

 

 彼女は、コバヤシの方を振り返り、どこまでも冷静に、レンジャー主任としての判断を下す。

 

「Bリーグの試合は三日後だ。しかもモモナリは今節は昇格戦線にいる。どれだけ彼が奔放な男でも、プロである以上、公式戦を無断で棄権はしないだろう。遅くとも明後日の朝には、ここを発つはずだ」

 

 そのあまりにも冷静な分析に、コバヤシは納得できずに食い下がる。

 

「しかし、主任! このまま彼を放置すれば!」

 

 サワタリは、彼の言葉を遮るように、静かに、しかし有無を言わせぬ口調で告げた。

 

「だからこそ、何もしない。下手に刺激すれば、彼にここに留まる口実を与えるだけだ。ひとまずは、様子を見る」

 

 コバヤシは、悔しそうに唇を噛むが、主任の決定に逆らうことはできない。

 サワタリは、再びカレンダーに視線を戻す。

 その光のない瞳は、三日後の日付の、さらにその先にあるかもしれない「未来」を、静かに見据えているようだった。

 町の平穏は、まだ、かろうじて保たれている。

 

 その平穏が、脆くも崩れ去ることを、彼らはまだ知らない。

 三日後、Bリーグの公式記録に、モモナリの不戦敗が、静かに刻まれたことを。




次回は土曜日更新予定です

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