モモナリですから、ノーてんきにいきましょう。 作:rairaibou(風)
モモナリの不戦敗が記録されてから、数日が過ぎた。
ヒワマキシティは、そしてその近辺の森は、表面上は静かだった。
昼間の森に、コバヤシが一人、険しい表情で足を踏み入れる。
彼の目には、焦りの色が浮かんでいた。主任であるサワタリは「様子見」を命じたが、あの男が公式戦を棄権したという事実は、その命令の前提を根底から覆していた。
あの男は、まだこの森にいる。
その事実が、コバヤシの心を重くしていた。
森の開けた場所で、彼は目当ての人物を発見した。
相変わらず、完璧な野営であった。それも、前回は気づかなかったが、人工物の持ち込みが存在しない。尤も、それが自然というものを尊重しているからなのか、持ち込みがめんどくさかったからなのかはわからないが。
「やあ、どうも」
間抜けな挨拶だ。
少年が、巨大なカバルドンの甲羅に背中を預け、まるで我が家のようにリラックスして空を眺めている。
牧歌的な光景だ。そのままCDのジャケットを飾ってもおかしくはない。だが、それがふさわしいものだとは思えなかった。
場違いな光景に、コバヤシは改めて怒りを覚えた。
彼は、モモナリに静かに近づき、その意図を問う。
「リーグ戦を棄権してまで、どうしてこんな場所にいる?」
モモナリは、空から視線を外さぬまま、悪びれもせずに問い返す。
「トレーナーが『こういうところ』にいるのは、そんなにおかしい事かな?」
その言葉に、コバヤシはレンジャーとしての誇りを込めて答えた。
「ああ、おかしいさ。だからこそ、俺たちがいるんだ」
人間とポケモンの境界線を守る、それが自分たちの正義だ。そこを疑う必要はない。
その答えを聞いたモモナリは、一度だけ静かに目を閉じた。そして、どこか寂しそうに、あるいは憐れむように、呟く。
「それで、五人引き連れて俺を『排除』しに来たわけだ」
コバヤシの背筋を、冷たい汗が伝った。
「気づいていたのか」
「気づくも何も、下手だよ」
モモナリは、心底呆れたように鼻で笑うと、まるで他愛もないゲームの盤面を解説するように、周囲の木々を指差していく。
「向こうに一人、向こうに一人、あんたの後ろに一人、俺の後ろに二人。サワタリさんは、居ないようだな。あの人がいるなら、もっとうまくやる」
コバヤシは、もはや恐怖で声も出せなかった。
チンピラの喧嘩ではない。自然での戦闘を熟知したレンジャーによる、訓練通りの包囲網。それを、この少年は、ただ空を眺めていただけで、空気を感じただけで完璧に見抜いている。
それでも、コバヤシは最後の虚勢を張った。
数では、有利だ。
「それがわかっているのなら、さっさと立ち去ってもらおうか」
その言葉に、モモナリは心底おかしそうに肩をすくめる。
「立ち去る? 変なこと言うね、俺がそうしないからあんたらが来たんだろ?」
彼は、呆れたように両手を軽く上げてみせた。
「さっさとやればいい。でも無駄だよ。あんたらの実力じゃあねえ」
「それなら、この戦力差、どうやって覆すつもりだ」
震える声で絞り出したコバヤシの最後の問いに、モモナリは、背後にあるカバルドンの甲羅を、親指で指し示しながら、これから起こるであろう未来を、彼の持つプランを淡々と解説する。
「まず、あんたらが動いた瞬間に、俺のボールからポケモンたちが飛び出す。今潜んでるやつらの前にね。数では不利かもしれないが、十秒稼げればいい。その間に、こいつが『すなあらし』をこの辺にまき散らす。そしたらあんたらは『ほどける』から、あとはこっちのもんだよ」
彼は、一つ大きな伸びをすると、完全に思考が停止しているコバヤシを見据え、まるで子供に問いかけるように、優しく、そして残酷に告げる。
「んで? どうする?」
その問いに、コバヤシは何も答えることができなかった。
一つ、号令をかければ、潜んでいる仲間たちが飛び掛かるだろう。
だが、それは同時に、目の前の少年を解き放つ事にもなる。
森の静寂の中に、彼の絶望だけが響いていた。
☆
主任執務室の扉を開けたコバヤシの表情には、悔しさと、それ以上の恐怖が滲み出ていた。
「主任、報告が」
森での出来事の全てを報告し終えた彼を、サワタリは静かに、しかし厳しい目で見つめている。
その視線は、彼の独断行動を責めているようでもあり、彼の未熟さを哀れんでいるようでもあった。
「君がやったことは、ミツハニーの巣を自らつつきに行ったのと同義だ。主任である私の断りなく」
その声は、感情的ではなかった。
だからこそ、その言葉はコバヤシの胸に深く突き刺さった。
彼は、必死に食い下がる。
「しかし、あの男はこのままではヒワマキの生態系を破壊しかねません!」
「だが、まだ壊れてはいない」
サワタリは、彼の焦りを冷静な事実でいなした。
言葉に詰まるコバヤシに対し、彼女は続ける。その言葉は、まるで未来を予見しているかのようだった。
「だが、永遠には続かないだろうな。彼の出身はハナダだ、たまには保険証を取りに帰ることもあるだろう」
そのあまりにも悠長な物言いに、コバヤシは思わず皮肉を口にした。
「奴が風邪をひくのを待つんですか? 馬鹿は風邪ひきませんよ」
サワタリは、彼の皮肉を意に介さず、自らが本当に懸念していることを語る。
「待つんじゃない、警戒すべきなんだ。この森を支配していたボスが、ふといなくなるんだからな」
その言葉で、サワタリも事態を重く見ていることを知ったコバヤシは、レンジャーとしての正論をぶつけた。
「それならなおさら『排除』すべきです。警察やGメンに協力を仰ぎます」
その正論に、サワタリはしばらく黙り込む。
そして、何かを決意したように、手でコバヤシを制しながら、静かに、しかしはっきりと告げた。
「これは、ウチの管轄で起こった『災害』だ」
コバヤシは、その言葉の真意を測りかねた。
「主任、これは『人災』です。それも限りなく悪質な」
「そう考えることもできるだろう、彼を『人間』として考えるならな」
一瞬、コバヤシは押し黙る。その言葉は、まるでモモナリを人間としてみなしていないようだった。
サワタリは、一度だけ静かに頷くと、コバヤシに、そして自分自身に言い聞かせるように、彼女の世界の見方を語り始める。
「だが、『群れ』と考えるとどうだ? 元々ハナダを縄張りにしていた強力な『群れ』が、新たな縄張りをヒワマキに移した。優れた『群れ』だから、すぐにボスになった。だが、気まぐれな『群れ』だからいつここを離れるかわからない。これなら『災害』だ」
その常人には理解しがたい理屈に、コバヤシはただ問い返すことしかできなかった。
「それなら、どうするんです?」
サワタリは、椅子から立ち上がると、窓の外、ヒワマキの森を見つめながら、まるで独り言のようにつぶやく。
「一度でいいから『災害』と話してみたいと思ってたのよ。色々、聞きたいこともある」
コバヤシは、その言葉に激しく動揺した。
サワタリの過去について、彼が直接聞いたことは一度もない。だが、噂や、先輩たちの断片的な話から、ふんわりとした『概要』は知っている。
彼女が『災害』によって何を奪われたのかを。
彼女の背中を見つめながら、コバヤシは悟る。
これはもはや、レンジャーとしての任務ではない。
彼女個人の、あまりにも深く、そして重い、過去との対峙なのだと。
サワタリは振り返ってコバヤシに問うた。
「最近、新しいハンバーガー屋ができたそうね」
☆
夜のヒワマキの森は、昼間とは全く違う顔を見せていた。
木々のざわめきと、夜行性のポケモンたちの鳴き声だけが、深く、静かな闇に響いている。
その森の中腹に、ぽつんと一つ、光があった。
野営の光を頼りに、サワタリは一人、音もなくその場所へと近づいていく。
炎は、地面に掘られた簡易的な暖炉の中で、静かにはぜていた。
その光に照らされて、モモナリが、巨大なアーボックに背中を預けているのが見えた。
アーボックは、その模様のある腹部を巧みに使い、モモナリのためにあつらえたような背もたれを作っており、満足げに目を細めている。
サワタリは、その光景を一つ見ただけで、彼のトレーナーとしての、そして「群れ」のボスとしての器を、改めて認めざるを得なかった。
「大したものね。その大きさと風格を持つアーボックが、そこまでとろけた表情と模様をするとは」
賞賛に、モモナリは言葉ではなく、軽く右手を上げて応えた。
その仕草に、アーボックは主人の関心が他へ向いたことを察し、サワタリに向かって短く威嚇する。
「嫉妬深さも人一倍、か」
「一人で、来たんですね」
モモナリのその言葉に、サワタリは、やはり彼が限りなく『野生』の側にいることを確信する。
気配を消し、単身で懐に飛び込んでくる、その行為の意味を、彼は完全に理解している。
「大したものね。『最後のチャンピオンロード世代』の名に恥じない」
サワタリは、モモナリの傍に音もなく腰を下ろすと、手にしていた紙袋を彼に差し出した。
「ハンバーガーよ。ジャンクだけど、野営をしているとこういう栄養から欠乏していく」
その言葉に、モモナリは驚いたように彼女の顔と紙袋を交互に見た。
そして、ふっと表情を緩めると、笑ってそれを受け取る。
「ああ、どうも。初めて食べる」
彼は受け取ったハンバーガーの包装紙を無造作に暖炉に放り込んだ。紙は一瞬で炎を飲み込み、灰となって消える。
現れたハンバーガーを、彼は一口、大きく頬張った。
「悪くない」
年齢相応にわずかな咀嚼でそれを飲み込んで、サワタリに告げる。
「まさかあなたに施されるとはね。敵でしょう、俺みたいなのは」
彼女は、その問いを静かに否定した。
「敵ではない、まだね。それに、自然を整備して維持するのも私たちの仕事だ」
彼女も自分の分のハンバーガーを一口食べると、本題を切り出す。
「昼間は、部下が失礼した」
その謝罪に、モモナリは楽しそうに笑った。
「なんてことはないですよ。まあ、戦ってもよかったですがね」
「そうか、ならよかった。罪悪感無く本題に入れる」
彼女は、一口食べただけのハンバーガーを丁寧に包み直すと、モモナリを真っ直ぐに見据えた。
その光のない瞳が、彼の魂の奥底を射抜くように、静かに、そして鋭く、問いを投げかける。
「私と戦うために『災害』になろうとしているのか?」
そのあまりにも直接的な問いに、モモナリはわずかに視線を落とした。
それは、いたずらがバレた子供のような、好奇心と後ろめたさが入り混じった表情だった。
「……それであなたと、戦えるのなら」
その純粋な肯定に、サワタリは、おそらく彼と会って初めて、深いため息をついた。
「うまくやったね。ここで私が怒り狂ったとしても、君の願いは叶えられる」
「てっきり、そうなるものだと」
モモナリは、素直にそれを認める。
サワタリは、その返答に静かに首を振った。
「自然の欲望と本能に向き合うのがこの仕事だよ」
彼女は、一度だけ言葉を切る。
そして、彼の真意を探るため、さらに深く問いかけた。
「なぜ私とのバトルにこだわる? あなたは、何を求めているの? ひりついたバトルがしたいなら、それこそリーグでいい」
それは、レンジャーとしてでも、トレーナーとしてでもない。
ただ純粋な、年上が年下を諭すような、静かな質問だった。
その問いに、モモナリは、少しもじもじとした後に、答えた。
「安心したいんだ」
「安心?」
「そう」
彼は、暖炉の炎を見つめながら、ぽつり、ぽつりと語り始める。
それは、これまで誰にも見せたことのない、彼の内側の、柔らかな部分だった。
「この先、何があるかなんてわからない。俺はジム巡りの中で幸運にも大した怪我はしなかったが、怪我をしたトレーナーもポケモンも見てきた。怪我までとは言わないが、危ない連中も見てきた。ジム巡りの途中で病気した奴も、居るだろう」
サワタリは、その言葉に混乱していた。
彼の言う「安心」と、自分と戦う理由が、まるで結びつかない。
モモナリは、そんな彼女の心中を察することなく、続ける。
「だから、そうなっても戦えることを知りたいんだ。相棒が盲目でも戦える。それを知りたい。リーグではそんな安心は、体験できない」
サワタリは、ようやく彼の言葉の意味を理解し始めた。
そして、最後の問いを投げかける。
「戦うことをやめる選択はないのか?」
その言葉に、モモナリは、初めて力強く、彼女の顔を真っ直ぐに見据えて答えた。
「ない」
その声には、一切の迷いがなかった。
「目が見えないとか、喉が痛いとか呼吸が苦しいとか、そんなことでバトルをやめるなんてあり得ない。そんなつまらないことでこの『情熱』を燻ぶらせてたまるかよ」
サワタリは、その少年の、あまりにも達観しきった、それでいてあまりにも若々しい考えに絶句しつつも、どこか筋の通るその理屈に感心していた。
そして、彼女もまた、覚悟を決めた。
「その為に『自然』として私と対立するのか?」
「そうなるね。あんたもリーグトレーナーだったら、もっとスムーズだった」
モモナリのあまりにもはっきりとした返答に、サワタリはしばらく考えたのちに、ボールを放り投げてバシャーモを繰り出した。
バシャーモは少しだけ周りの風を感じたのちに、どかりとサワタリの傍に座る。
そして、サワタリは何事でもないように、静かに話し始めた。
「片目に傷のあるリングマを見たことは?」
「あるよ、まあ、この辺のボスだな」
「この辺にリングマは生息しないが、なぜか数年前から突然現れた。まあ、理由はいくらでも考えられるけど、それは私たちの仕事ではない」
彼女は、暖炉の炎に視線を落としながら続ける。
「どうやってかはわからないが、今年子供を産んだ。より狂暴になったが、私は、彼女がうらやましい」
モモナリは、その言葉に首をひねった。
サワタリは、そんな彼に構うことなく、続けた。
「一つ、私の経験則を伝えたい」
モモナリが無言で続きを促したことを確認してから、彼女は、決して忘れることのない過去を、静かに語り始めた。
「十五年ほど前、夫と息子を失った。『災害』でね。息子が生きていれば、ちょうど君くらいになる」
その言葉に、モモナリは思わず身を乗り出した。
さすがの彼も、その言葉が倫理的に強烈な意味を持つことは理解している。
「それは、その…」
「まあ最後まで聞いてみなさい」
サワタリは、彼の狼狽を優しく制した。
「実際、相当へこんだわ。今でも、家族三人幸せな夢を見ることがある」
彼女は、一度だけ遠い目をする。
「少ししてから、ポケモンを保護するボランティアを始めた。周りの勧めもあったが、何より、買ったばかりの家が広くてな。そこで、一匹のアチャモを保護した」
モモナリは、ちらりと隣に座るバシャーモを見やった。
「後天的な理由で、視力を失っていた。だから保護された」
一拍おいて、続ける。
「最初は手厚く世話してた、何から何までね。だけどある日、ちょっと昼寝しているスキに外に飛び出した。必死になって探したわ、そしたらこの子、庭先を大冒険して、むしポケモンを突いてた。盲目のハンディキャップは感じなかった。その時に持ち得るものをすべて使って、楽しんでた」
彼女は、バシャーモの、固く閉じられた瞼を、優しく撫でる。
「その時にね、気づいたのよ。『失ったものを求めるより、今あるものを享受するしかない』ってね」
サワタリは、モモナリに微笑みかけながら、続けた。
「安心したかしら?」
「まあ、それなりに」
モモナリのその返答に、サワタリは納得したように一つ頷く。
この男は、これだけでは動かない。あくまで彼は、実践主義者なのだ。
彼女はバシャーモの肩を一つ撫でると、静かに立ち上がり、モモナリに告げた。
「ここを少し下ったところに、おあつらえ向きに開けた場所がある」
彼女は、森の暗がりを指差す。
「明日の朝、そこで戦いましょう」
その言葉に、モモナリは、はじけるように頭を上げた。
「そりゃあ、ありがたい」
「ええ、あなたは『災害』よ。そして説得も無駄だった」
サワタリは、今度はレンジャー主任の厳しい目で、モモナリを睨みつけて続ける。
「あとは『制圧』だ」
その言葉に、モモナリは、これ以上ないほどの笑顔を見せた。
☆
早朝のヒワマキシティは、静寂に包まれていた。
東の空が白み始め、森の木々が朝靄に濡れている。ポケモンたちの鳴き声もまだ少なく、町全体が、決戦を前にした張り詰めた空気に満ちている。
レンジャー詰所の私室で、サワタリは静かに装備を整えていた。
いつものレンジャー服の上に、作戦行動用のベストを羽織り、ベルトのポーチを入念に確認する。そして最後に、一つだけ残された空のホルダーに、バシャーモが入ったモンスターボールを、祈るようにセットした。
彼女が部屋を出ようとした、まさにその時。
ドアの前で、コバヤシが彼女を待っていた。彼の表情には、心配と、そして何かを決意したような光が宿っている。
「主任、一人で、行かれるのですか」
彼の問いには、サワタリの身を案じる気持ちと、自分もその戦いに同行したいという強い意志が込められていた。
そして彼は、当然のように言う。
「俺も、連れて行ってください!」
「断る」
サワタリは、彼の目を見ることなく、静かに、しかしきっぱりとそれを拒否した。
自分の判断が、彼の若さを気遣った「優しさ」だと誤解しているであろうコバヤシに対し、彼女は、指揮官として、プロとしての冷徹な真実を告げる。
「君は、私が君に危険な役目をさせたくない、その優しさから拒否しているのだと思うかもしれないが、それは違う」
彼女は、一度だけ言葉を切る。
「相手はプロだ、飛び切りのな。君では、足手まといなんだ」
そのあまりにも直接的な言葉に、コバヤシは絶句する。
サワタリは、そんな彼に構うことなく続ける。
「わずかな戦力であったり、もしくは全く戦力にならないとしても、私は君を連れて行っただろう。だが、君はそのどちらでもない」
「私は彼を『制圧』するだろう。だが、君がついてくれば、モモナリは、いや『自然』は弱いほうを、君を狙う。そうすればどうなる? 私の『制圧』は無駄に終わる」
彼女は、言い返せないコバヤシの横をすり抜けようとしながら、最後の命令を下した。
「君はここに残り、君にできる限りのことをしろ。そして、私の横に立ちたいのであれば、プロになることだ」
彼女は、一度も振り返ることなく、詰所を後にし、朝靄の森へと一人向かう。
残されたコバヤシは、その背中を、ただ唇を噛みしめて見送ることしかできなかった。
☆
「やあ、どうも」
ヒワマキシティ、森の開けたある場所。
夜の間にモモナリが指定された、おあつらえ向きの決戦場。
その中央で待っていたモモナリが、森の茂みから一人で現れたサワタリを出迎えた。
「一人、のようだね」
「ああ、そうだ。不満か?」
「いいや、まさか」
それが合図だったのだろうか。
彼のボールから飛び出したゴルダックが、サワタリに襲い掛かる。
動きは見えなかった、だが、何者かがサワタリに襲い掛かろうとしていることは、音で、空気でわかる。
サワタリの前に躍り出たバシャーモが、堅牢な『まもる』のポーズで、その奇襲を完璧に防ぎきった。
もはや始まっている。
そして、奇襲も成功した。
守りを固めたバシャーモに対し、ゴルダックはすぐさま口を彼女に寄せる。
「『いやなおと』」
自然豊かな森に似合わぬ絶叫が響いた。
だが、バシャーモはそれに怯まない。むしろそれは『敵』がどこにいるかの目印になる。
「『グロウパンチ』!」
振りぬく。
それは確かにゴルダックの顎を叩いた。
そして、彼女は違和感に気づく。
吹き飛んだはずのゴルダックが、どこに飛んだのかがわからない。
大体の距離はわかる。だが、いつもならば測ることができた詳細な方向がわからなくなっている。
その理由を探るより前に、モモナリの声が響く。
「『クリアスモッグ』」
全身にそれをバラまかれる。
ダメージそのものは大したことがない、だが全身にまとわりつくその感覚と、臭い。
こんな『自然』があるものか。
『いやなおと』で右耳の聴覚を奪って方向感覚を無くした。
『クリアスモッグ』で体毛を濡らし、肌の感覚を狂わせた。毒の臭いで臭いを絞れなくした。
この一瞬で『聴覚』『嗅覚』『触覚』すべてを奪われた。
ここまでの事は初めての経験だ。相手は生き物の弱みというものを知りすぎている。
もう自分には何もない。
ただ、一つを除いて。
「『メガトンキック』!」
言われたまま、振り抜く。
肉、骨、確かな手ごたえ。
☆
地面に叩きつけられ受け身をとるゴルダックを視界にとらえながら、モモナリは歓喜に背筋を震わせている。
そして、サワタリはそれの余韻を楽しむことを許さない。
「『メガトンキック』!」
すべてを奪ったはずのバシャーモが、寸分の狂い無く、あまりにも的確にゴルダックに踏み込んだ。
否。
すべてを奪ったわけではない。
たった一つ、奪えなかった。
サワタリだ。
もし彼が、彼女のすべてを奪ったことを確信し、慢心していたのならば、彼はそれを食らっていただろう。
だが、ゴルダックは体をひねってそれを寸前のところでかわす。
「『スキルスワップ』」
おまけつきだ。
ゴルダックは体が軽くなるのを感じる。『かそく』の効果だ。
「『しねんのずつき』」
わずかに違和感のある視界を何とかこらえながら、ゴルダックは回り込んでバシャーモの額を狙う。
「『メガトンキック』!」
バシャーモの迎撃、やはり寸分の狂いもない。
ゴルダックの額と、彼女の足がぶつかった。
距離を測るゴルダックとバシャーモを同時に眺めながら。モモナリは歓喜の続きに本能を浸らせる。
イントネーションだ。
メガトンキック、そう叫ぶ際のイントネーションで方向を指示している。
とっても信じられないことだが、そうとしか思えない。
良いことを知った。
「『メガトンキック』!」
「『まもる』」
腕を交差させ、そのキックから身を『まもる』
そして『かそく』する。
その少年、モモナリにとってそれは『救い』だ。
トレーナーは、どこまでも強くなれる。
可能な指示が『メガトンキック』だけだとしても、これはリーグトレーナーは持ち得ない技術だ。
とんでもないことだ、たった二つの命が、それを考え出し、実用化した。
「『ふぶき』」
ゴルダックが口から冷気を吐き出し、そのうねりが森を襲う。
風向きは意図的に捻じ曲げられ、急激に変わった温度が感覚を鈍らせる。
だが、二人はそれで止まらない。
そして、その大技はスキが大きい。
「『メガトンキック』!」
まるで目が見えているかのように、否、もし目が見えていれば、捉えることができなかったかもしれない。
だが、サワタリの指示を心の底から信頼することによって、バシャーモはその攻撃をゴルダックの腹を撃ち抜く。
ダメージは甚大だ。
ゴルダックは胃液を、あるいは昨日食べたオボンのみをまき散らしながら、彼は回転して受け身を取り、そして。
消えた。
☆
サワタリは、その問題についてすぐに結論を出さなければならなかった。
攻撃を当てたゴルダックが消えた。
その理由自体はすぐにわかる。
『かそく』だ、自分達も何度だってやってきた。
吹雪によって凍った地面を滑り、視界から消えたのだ。
ならどこだ。
その答えも簡単だ。否、簡単にしなければこの難局を抜けることはできない。
見えないということは、視界にはいないということだ。
「『かみなりパンチ』!」
その指示を、イントネーションを聞いたバシャーモは、一瞬もそれを疑うことも、躊躇することもなかった。
思い切り腰をひねりながら、自らの背後、つまりパートナーであるサワタリに向かって、全力で『かみなりパンチ』を放つ。
そして、サワタリの背後から飛び出してきた『それ』に、それは突き刺さった。
ゴルダックが作り出した『みがわり』が消える。
サワタリがそれに驚くよりも先に、再び彼女の背後から飛び出したゴルダックが、打ち切った後のスキがあるバシャーモの頭に右手を差し出す。
「『サイコキネシス』」
衝撃。
☆
うつぶせに倒れたバシャーモを眺めながら、モモナリはちらりとゴルダックを見やった。
『メガトンキック』によるダメージの蓄積と、『みがわり』による消耗。バシャーモとのレベル差があるとはいえ、当然無視できるダメージではない。
荒い息を吐きながら、それでもゴルダックが何とか膝をつくことができているのは、彼もまた、目の前の『群れ』に対する感心、賞賛、何よりもあふれんばかりの興奮がそうさせている。
その興奮を、ボールの中に押しやるのはためらわれた。
「あんたらは、すげえよ。完璧だ」
心の底から彼らを賞賛しながら、モモナリは一歩一歩、サワタリに歩み寄る。
バシャーモは彼女を守るために体を動かそうとしたが、体は自由に動かない。
「いい」と、サワタリはバシャーモを制し、モモナリのほうを見る。
彼女は、モモナリの意思に逆らう武力をすでに持たない。
「言い方でバシャーモに方向を指示している事はわかった。そして『かみなりパンチ』の指示でもそれができることもわかった」
モモナリはサワタリの目の前で立ち止まる。
そして、さらに問う。
「なぜもっと早く『かみなりパンチ』を撃たなかった。もっと早く撃てば、主導権を握れたかもしれないのに」
その問いに、サワタリは鼻を鳴らす。
「あなた達にそれを見せたくなかった。『自然』は学習する。そういうのは最後に使うものだ」
感心するモモナリに、サワタリはさらに続ける。
「もう一つ、私たちがそれができるのはその二つだけじゃない。すべての指示でそれはできる。油断したな」
その言葉に、モモナリは目を見開いて背筋を伸ばす。
そして、右手を彼女に差し出した。
「ありがとう、ございました。良い試合で、良い勉強でした」
サワタリはその手を握り、振る。
「ああ、私もだ、『制圧』は久しぶりだ」
その返答に、モモナリは思わず頬が緩む。この地に来て、彼は『安心』を得た。
彼女はそのままモモナリを引き込み、彼に抱き着く。
『安心』
それこそが生き物の警戒心を、感覚を、本能を鈍らせることを、当然、彼女も知っている。
「確保ッ!!」
彼の両腕を掴んで拘束したまま、彼女はモモナリを引きずり込んで地面に倒れこんだ。
その叫びが、静かだった森に響き渡る。
それを合図に、それまで息を潜めていた周囲の木々から、複数の人影が一斉に飛び出してきた。
彼らの動きは、ヒワマキのレンジャーたちのそれとは明らかに練度が違う。
一人のレンジャーが放った『ねばねばネット』が、抱き合うように倒れ込んだサワタリとモモナリを、意図的にまとめて拘束する。
ほぼ同時に、別のレンジャーが放った特殊な粘着弾が、モモナリの腰にあるモンスターボールの開閉部を正確に撃ち抜き、固めていった。
だが、それよりもコンマ数秒早く、主人の危機を察知した二つのボールが、自動で開いていた。
飛び出してきたのは、ピクシーと、アーボック。
モモナリの手持ちの中でも、特に血気盛んな二体のポケモンだ。
ダメージが残るゴルダックも、最後の力を振り絞って相棒を助けようとする。
しかし、それよりも早く、同じくダメージを負っていたはずのバシャーモが、鬼の形相でゴルダックに飛びかかり、地面に押さえつけた。
そこへ、すかさず別の『ねばねばネット』が撃ち込まれ、二体は完全に無力化される。
ピクシーとアーボックは、モモナリを押さえつけるサワタリと、その周りを固める見知らぬレンジャーたちに、剥き出しの敵意を向けていた。
だが、彼女たちが行動を起こすよりも先に、その頭上、木々の梢から、麻痺の効果を伴う『りゅうのいぶき』が降り注ぐ。
不意を突かれた二体が、一瞬だけ痺れ、動きを止める。
その好機を逃さず、今度は地面を揺るがすほどの強烈な『じしん』が、二体を襲った。
未だサワタリに押さえつけられながら、モモナリは『りゅうのいぶき』が放たれた方向を見上げた。
その技の質と威力から、彼は瞬時にそのポケモンの正体を看破する。
「チルタリス」
その呟きに応えるかのように、チルタリスの背から、一人の女性が音もなく地面に降り立った。
ヒワマキシティが誇る、もう一人の『本物』ジムリーダーのナギだった。
それと同時に、周囲の森から、フライゴン、ジュカインといった、明らかにヒワマキのレンジャーのものではない、強力なポケモンたちが次々と姿を現し、ピクシーとアーボックの前に立ちふさがる。
数的にも、質的にも、もはや勝敗は明らかだった。
モモナリは、その完璧なまでの包囲網と、ナギの存在を認めると、もはや抵抗は無意味だと悟った。
彼は、悔しさではなく、むしろ感嘆したかのように、あるいは面白そうに、身をよじりながら叫んだ。
「わかった。わかった! 降参だ! 降参する!」
その言葉を聞き届けたサワタリは、いつの間にか『ねばねばネット』から抜け出すと、立ち上がり、服についた土を払いながら、拘束されたままのモモナリを見下ろして、静かに告げた。
その表情は、もはや一人のトレーナーではなく、作戦を成功させた指揮官のそれだった。
「これにて『対人制圧訓練』を終了します。モモナリさん。ご協力に感謝します」
呆然とするモモナリ。
サワタリのその言葉が、この一連の出来事の「真相」を物語っていた。
☆
ヒワマキシティのポケモンセンター。
治療を終えたポケモンたちが入ったボールを受け取りながら、モモナリはどこか遠い目をしていた。
その隣に、同じくポケモンたちを回復させ終えたサワタリが、音もなく立つ。
モモナリは、少しショックを受けたように、あるいはばつが悪そうに、サワタリに話しかけた。
「貴重な経験でした。『制圧』されたのは初めてのことで」
サワタリは、その言葉に、心の底から呆れたように、しかしどこか楽しそうにため息をつく。
「よく言うわよ。ホウエン中の腕利きを集めたのよ。君一人を『制圧』するためにね」
彼女は、一度だけ言葉を切ると、この一連の騒動の元凶である彼に、最も重要なことを問いかけた。
「それで、安心はできたわけ?」
その問いに、モモナリは、これまでの不遜な態度ではなく、純粋な少年のような、満面の笑みで頷いた。
「そりゃあもちろん。素晴らしい技術だった。これで、俺ももう少し前向きになれる」
そのあまりにも個人的で、自己中心的な動機と、それを隠そうともしない笑顔に、サワタリは再び、しかし今度は優しく呆れる。
そして、モモナリは、少し目線を下げ、これまでの彼からは想像もつかないような言葉を口にした。
「今回の事で、あなたに少し、嫌な思いをさせてしまった」
それは、意外にも彼の中にある、本当にわずかな社会性と善意からくる言葉だった。
自らの渇望を満たすために、彼女の過去の傷に触れてしまったことへの、不器用な謝罪。
サワタリは、その予期せぬ謝罪に一瞬だけ驚きながらも、穏やかに微笑んで返した。
「別にいいわ。言ったでしょ。『今あるものを享受するしかない』のよ」
彼女は、一人の大人として、目の前の危うい少年に、忠告を送る。
「その気持ちがあるなら、今後は無茶はしないことね。あなたに何かあれば、悲しむ人もいる」
その言葉に、モモナリは、心の底から不思議そうに、そして自嘲気味に苦笑いして頬をかいた。
「いますかねぇ」
サワタリは、その答えに、間髪入れずに、ただ静かに、しかしはっきりと告げる。
「私よ」
その言葉に、モモナリは、はっとしたようにサワタリを見た。
彼の表情から、いつもの不遜さや余裕が、完全に消え去っている。
モモナリは、何かを言おうとして、しかし言葉が見つからず、ただ照れくさそうにサワタリから目をそらした。
「そりゃあ、ありがたいですねえ」
モモナリは、それだけ言うと、逃げるように、あるいはその言葉を胸にしまい込むように、足早にポケモンセンターを後にしていく。
サワタリは、その背中を、静かに、そして優しく見送っていた。
☆
ヒワマキシティの出口へと続く吊り橋。
戦いを終え、すっかり興味を失ったモモナリが、退屈そうにそこを渡ろうとしていた。
その背中に、必死な、しかし以前のような怒りではない、真剣な声がかけられる。
「待ってくれ!」
コバヤシだった。
モモナリは、面倒くさそうに、ゆっくりと振り返る。彼の目には、もはやコバヤシは「面白い相手」とは映っていない。
息を切らしながら追いついたコバヤシは、モモナリの前に立つと、自らの敗北を認めるように、サワタリから言われた言葉を告白した。
「主任に言われた。『俺がついてくれば、俺が狙われる。足手まといになる』と」
モモナリは、その言葉に、何の感情も見せずにただ事実として頷く。
「まあ、そうだろうね。もしあの時君がいれば、何なら俺は『制圧』されてなかったかもしれない」
そのあまりにも率直な肯定に、コバヤシは一瞬だけ唇を噛んだ。
しかし、彼は今日、そのプライドを捨ててここに来た。
彼は、目の前の少年に、心の底からの問いをぶつける。
「どうしたら、どうしたら、君のようになれる?」
モモナリは、その問いに、つまらなさそうに首をひねりながら答える。
それは、まるで出来の悪い生徒に、基本のキから教え直すような口調だった。
「まずは『恐怖を感じない』なんて戯言を、頭から消すことだね」
彼は、コバヤシたちが信じていた英雄譚を、あまりにもシンプルで、しかし誰もが納得せざるを得ない論理で、完全に破壊する。
「『目が見えないから恐怖を感じない』? 馬鹿げたことだ。じゃああんたは、暗闇で恐怖を感じないのか?」
シンプルな例えだったが、コバヤシはそれを飲み込むほかない。
「結局のところそれは、自分が理解できない強さに、勝手な理由をつけて言い訳してるだけだよ」
その言葉は、コバヤシの心を、そしてレンジャーとしての彼の未熟なプライドを、完全に打ち砕いた。
だが、モモナリは、そんな彼に、最後に、この物語の結論とも言える言葉を告げた。
その声には、初めて、彼がサワタリとバシャーモに向けたであろう、純粋な『敬意』が込められていた。
「目が見えなくても、恐怖は感じる。いや、目が見えないほうが、恐怖を感じているかもしれない」
彼は、一度だけ言葉を切る。
「だけど、かけがえのない相棒を信じて、足を震わせながらそこに立っている。だからこそ、それは尊いんだ」
モモナリは、それだけ言うと、もはやコバヤシに興味はないとでも言うように、彼に背を向け、今度こそ本当に町を去っていった。
残されたコバヤシは、その言葉を胸の中で何度も何度も反芻する。
彼は、涙が溢れそうになるのを堪えながら、一度だけ強く頷くと、今度は迷いのない足取りで、詰所へと、主任の元へと引き返していった。
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マシュマロ
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