モモナリですから、ノーてんきにいきましょう。   作:rairaibou(風)

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セキエイに続く日常 211-怪人連盟 ①

 視界を奪う茶色のカーテン。

 それは風ではなく、物理的な質量を持った災害だった。

 乾いた粒子が、都市の夜を削り取るような音を立てて渦巻いている。

 

『すなあらし』

 

 確かに、ミアレシティは再開発の只中にある。

 歪んだ鉄骨が空を突き、槌音が止まぬ昼と、欲望が渦巻く夜が交互に訪れる。

 だが、ここまで自然的な『すなあらし』が起きるほど、この街は退廃してはいない。

 少なくとも、この街を愛する住人たちが、そうはさせないだろう。

 

 だからこそ、目の前の光景は異常だった。

 

 夜の帳が下りたビル群の屋上。

 冷たいコンクリートに這いつくばるマチエールの視界、双眼鏡のレンズ越しに映るのは、都市が管理するはずの『バトルゾーン』を蹂躙する、局所的な『すなあらし』だ。

 

 渦巻く茶色の壁。

 視界を遮断する砂の粒子が、赤い発光ラインの内側で猛り狂っている。

 

 対戦相手の姿は見えない。悲鳴すら、砂の音に掻き消されている。

 ただ、時折走る閃光と、内側で蠢く巨大な何かの気配だけが、レンズ越しに伝わってくる。

 

 マチエールは、手元の端末に表示された古い事件ファイルと、目の前の光景を照らし合わせた。

 十数年前の都市伝説。

 天候を操り、理解できぬ言語を発し、ただひたすらにトレーナーを蹂躙した『災害』

 

「模倣犯じゃない」

 

 彼女の唇が、震えるように動いた。

 

「あれは『本物』だ」

 

 姿は見えない。

 だが、この規模の天候操作、そして何より漂う、濃密な『退屈と渇望』の空気感。

 それが、色褪せた記録の中にある伝説と、不気味なほど一致していた。

 

 その時だった。

 

 渦巻く砂の壁の中心から、何かが放たれたような感覚があった。

 

 物理的な攻撃ではない。

 視線だ。

 

 マチエールの背筋に、冷たいものが走る。

 距離は数百メートルある。物理的に目が合うはずがない。砂嵐で視界は遮られている。

 だが、確信があった。

 

『見られている』

 

 レンズが熱を持ったような気がした。

 見えない何者かの瞳が、双眼鏡越しに自分の網膜を焼き付けようとしている。

 

 マチエールは即座に身を伏せ、その場からの撤退を決断した。

 探偵にとって『見つかった』という事実は死を意味するかもしれない。

 彼女は息を殺し、屋上の影へと滑り込む。

 

 その背後で『すなあらし』が唐突に止む音がした。

 まるで、獲物が逃げたことを悟ったかのように。

 

 

 

 

 資本を成長させるものが、資本を消費できるとは限らない。

 そう考えれば、いたずらに資本を溶かすことができることも、あるいは才能であると考えることができるだろう。

 

 ミアレシティ、グランドホテルはシュールリッシュ。

 灼熱の国から持ち込まれたかもしれないカーペットには水と霜が染み込み、それが無遠慮に焼き付けられる事で望まぬ伸縮を起こしているかもしれない。

 大理石で作られているであろう壁や柱は無遠慮に爪で切り付けられ、あまりにも自然な傷をつけられる、それをまた不自然なまでにピカピカに磨き上げるまでに、どれほどの時間と研磨が必要なのだろうか。

 

 何が言いたいかというと、つまるところこんなところでバトルをしようとなど考える人間は、とんでもない大馬鹿か、はたまた消費の天才かのどちらかであるのだ。

 

 

 

 

 彼らの視界の端で、電子タイマーが意味をなさなくなってから久しい。予定された時間はとうに過ぎており、すでに夜。

 

 ガブリアスの荒い呼吸が、静まり返ったコートに重く響く。対面に立つピクシーもまた、その優雅な羽を小刻みに震わせていた。

 

「まだまだお続けになりますよね。わたくし、これほど心が躍るのは久しぶりですわ」

 

 ユカリの声が届く。

 その瞳には、このミアレを支配していると言っても過言ではない社交界の令嬢には不釣り合いな、どろりとした悦楽が混じっていた。

 

「もちろんもちろん、こんなもんで終わると思われちゃぁ心外だ」

 

 対面に佇むカントー・ジョウトリーグトレーナー、モモナリは、微笑を絶やさず、穏やかに応じた。

 

 周囲の視線は、もはや熱狂ではない。困惑。疲労。そして、隠しきれない忌避感。

 

 こいつら、いつまでやるんだ。

 

 音にならない声が、冷たい風のようにコートを吹き抜ける。

 

 ミアレソシアルバトルクラブ。

 彼らにとって、バトルは洗練された社交の一部だ。

 だが、ここにいる二人は違った。互いの思考を読み合い、反射をぶつけ、魂を削り合う。毒と呼んでもいいその刺激に、二人は深く酔いしれていた。

 

 

 

 

 インターバル。冷えた水が、乾いた喉を刺す。

 

「素晴らしいですわ。これが『最後のチャンピオンロード世代』というものなのですね」

 

 ユカリがタオルで汗を拭いながら歩み寄る。彼女の表情は一見落ち着いてはいるが、その奥にあるバトルへの渇望を隠しきれてはいなかった。

 

 今回、このミアレソシアルバトルクラブの会合に、遥か彼方カントーのリーグトレーナーを呼んだ理由。

 表面上の名目は、高レベルな戦闘データの収集と再開発が進むミアレにおける対災害訓練の一環。

 だが、当然彼女の中にはそれ以外の目的があり、そして、それは果たされつつあった。

 

「あなたも中々ですよ。カロスの少女は侮れないんだ」

 

 モモナリのその返答は、ユカリが彼を満足させるに足る実力を持っていることの証明だ。

 

「カントー式のバトルもいいですが、こちらもお試しになりませんこと」

 

 ユカリが、ハルジオに差し出されたトレイから、一つの箱を手に取った。

 蓋が開かれ、中から現れたのは、銀のチェーンにつながれたネックレス、その先端にあるのは『メガストーン』

 

「モモナリ様の地方の銀を使ったものです。報酬の一部として、お受け取りくださいな」

「へぇ、うちで銀は取れないと思っていたんですがねえ」

 

 モモナリは、物珍しさからそれを手に取った。やたら手になじむような気がするのは、それが故郷の土から生まれているからだろうか。

 

 ユカリは小さく笑って続ける。

 

「メガシンカと共に、ZAロワイヤルへの参加もいかがですか」

 

 ユカリの言葉は、甘い誘惑のように響く。

 

「Aランクになれば、この街のシステムがあなたのどんな願いも叶えてくれますのよ。素敵だと思いませんか」

 

 その言葉に、モモナリは少し鼻を鳴らした。

 

「あなたとのバトルは面白いが、その、ZA、ロワイヤルとかいうのには、あまり興味がありませんね」

 

 彼はネックレスをまとめるように持ち替えて続ける。

 

「願いというものは、自分で叶えるものです」

 

 穏やかな口調とは裏腹な、剥き出しの思想。

 傍らに控えていたハルジオの肩が、微かに跳ねた。彼女の表情が、恐怖に似た色で強張る。

 この女に逆らうな、意見をするな。それが、少なくともハルジオの知るこの街のルールだ。

 

「あら」と、ユカリは両手を合わせた。事が起こる。

 

 張り詰めた空気を切り裂いたのは、電子音だった。

 

 ハルジオの端末が、緊急の着信を告げる。内容を確認した彼女が、ユカリの耳元で短く囁いた。

 

「ユカリ様、現れました」

 

 ユカリの表情が、一瞬で切り替わる。ショッピングセンターで新たなおもちゃを見つけたときのような、そんな瞳の輝き。

 彼女はプイとモモナリから目線を切る。

 

「急用ができましたわ。モモナリさん、今日のところはここまでになさって。最高級の部屋を用意させていますから、観光を楽しんでくださいまし」

 

 一方的な解散の宣言。ユカリは、一度も振り返ることなく、ハルジオと共に去っていく。嵐が過ぎ去った後のような、空虚な静寂が残った。

 

「あ、ああ、そうですか」

 

 モモナリは、まだ熱を帯びたままの右手を眺める。まだ少し、吐ききれない空気が肺にたまっているような感覚だ。

 彼はネックレスを返しそびれたことに気づいたが、すでにユカリは部屋を後にしている。

 

 モモナリは、コートの周囲に残っていたクラブメンバーたちに視線を送った。

 

「誰か、やりたい人はいるかな」

 

 誰もが、目を逸らした。足早に、逃げるように出口へと向かっていく。

 彼らにとって、モモナリの持つ熱量は過剰だった。清潔で、管理され、最適化されたミアレシティ。そこには、命を削るような渇望の居場所など、どこにもない。

 

「ああ、そう」

 

 独り言は、誰にも届かない。

 

 モモナリは一人、重い足取りで歩き出す。

 

 ミアレシティ、グランドホテルはシュールリッシュ。

 退屈はしない、はずだ。

 

 

 

 

 用意された部屋は、あまりに広すぎた。

 シュールリッシュの最上階。

 足を踏み入れた瞬間に鼻を突くのは、臭いだ。

 

 否、臭いわけではない。

 何もかもに気が使われているのだろう、不快なにおいも、甘ったるい匂いもすべてがシャットアウトされた。無の臭い。

 

 泥まみれのジャケットをためらいなくベッドに放り投げ、モモナリはそのまま夜のミアレに歩み寄る。

 

 窓の外には、再開発の只中にあるミアレシティが広がっていた。

 眼下を走る、不気味なほど鮮やかな赤のライン。

 

『バトルゾーン』

 

 それは都市が定めた境界線だ。

 戦いたければ、この枠の中で戦え。

 欲望を満たす場所は、用意してやる。

 システムがそう囁いている。

 

 一つ、鼻を鳴らす。

 

 自分達が『時代遅れ』だということを、理屈では理解している。

 

 人とポケモンが共生するために、この街が導き出した最適解なのだろう。

 そして、おそらく、面白いだろう。

 レベルの高いトレーナーに、カントーでは味わえぬメガシンカ。

 

 違う。と、吐き捨てることができないわけではない。

 

 視線を街の中心へと転じれば、そこにはへし折れたプリズムタワーが鎮座していた。

 かつての栄光の残骸。

 大災害の爪痕は、どれほど眩い照明を当てようとも隠しきれるものではない。

 歪んだ鉄骨。剥き出しの傷跡。

 それがあったとき、自分はカントーにいた。それほどのことが起きているときに。

 

 静寂すぎる部屋に、整いすぎたベッド。

 ここには、自分を満足させるものは何一つない。

 モモナリは、ベッドに投げ捨てたジャケットを手に取った。

 

 楽しまなきゃ。

 

「さぁ、観光だ」

 

 その決断に、迷いはなかった。

 

 

 

 

 エレベーターホール。

 重厚な扉の前に、一人の男が立っていた。特別に仕立てられたスーツのふくらみからわかるように、肉体は鍛え上げられ、腰には五つのモンスターボール。

 この街のご令嬢の息がかかった警備員。

 その立ち姿は、客を保護するためではなく、獲物を逃がさないためのものだ。

 

 ご令嬢の予想通り、部屋を飛び出してきたその庶民に、男はゆっくりと歩み寄った。

 

「モモナリ様。ユカリ様からは、ごゆっくりお休みいただくようにと受けたまわっています」

 

 丁寧な言葉。

 だが、その目は笑っていない。

 

 歩みを止めず、モモナリはその言葉を予測していたかのようにため息を吐きながら首を振った。

 

「欲張りなこって」

 

 他のおもちゃに目をやりながら、また遊ぶかもしれないおもちゃはおもちゃ箱に大事に保管しようというのだ。

 

 歩みを止めぬモモナリに、男は制止の言葉を口にしながら、腰のモンスターボールに手をかけた。

 

 その動作は、モモナリの目にはあまりに緩慢に映った。

 止まって見える。

 否、止まっているのと同義だった。

 

 警備員の指先がボールの冷たい金属に触れる。

 それよりも早く、モモナリの手からは既にボールが離れていた。

 

 一瞬だった。

 空中で回転するボール。

 放たれる光。

 警備員が状況を認識する前に、モモナリは至近距離まで間合いを詰めている。

 

「所詮はおもちゃのカギだ。大事にしたいなら本物の鍵を使わないと」

 

 モモナリは、笑みを浮かべたまま告げた。

 

 エレベーターが動くまで、二分と掛からなかった。

 

 

 

 

 赤く発光する境界線が、夜の石畳を無機質に切り裂いている。

 

『バトルゾーン』

 

 この檻の内側では、あらゆる衝突が管理された娯楽として定義され、敗北すらもシステムの一部として処理される。

 勝敗によりポイントをやり取りし、ランクを競う。実力を視覚化できるそれは、ある意味では残酷なシステムであった。

 

 境界線の内側には、数人のトレーナーが力なくその場に腰を下ろしたり、項を垂れたりしている。

 彼らが連れていたポケモンたちは一様に戦闘不能となり、主の傍らで物言わぬ彫像のように沈黙している。高ランクを自称していた彼らの自尊心は、今、ミアレの冷たい夜風に無慈悲に曝されている。

 

 ポイントを献上したわけではない、彼らに土をつけた存在は、ZAロワイヤルに参加していないトレーナーだ。

 だが、それはより彼らに恐怖を植え付けている。

 

 これほど強いのならば、正体を隠すことなく、ZAロワイヤルに参加すればいいのだ。それならば名誉も得ることができるし、何よりAランクになれば何でも願いをかなえてもらえる。

 

 それに参加していないということは、そんなものは必要ない、それ以上の目的があることの宣言以外にないのだ。

 

『それ』は、つい最近ミアレシティに現れ、このようにトレーナーたちのプライドを削り取っていた。

 

 彼らの中心に『それ』は立っている。

 全く意味不明と言ってよかった。

 

 顔を隠す無機質な仮面、すらりとしたフォルムは中性的でもあり、その正体をカテゴリーで絞ることを拒んでいる。

 

 その傍らに佇む一匹のルチャブル。

 激闘を終えたばかりだというのに、その翼にはチリ一つなく、ただ鋭く夜の光を跳ね返している。

 無駄のない立ち姿と、研ぎ澄まされた一撃。

 それはバトルと呼ぶにはあまりに一方的で、蹂躙という言葉こそが相応しい光景だった。

 

 そんな『仮面のトレーナー』達に、乾いた拍手の音が投げかけられる。

 

「素晴らしいバトルでしたわ」

 

 コツコツ、と、靴底が石畳を叩く音。

 

 ミアレシティの実質的な支配者、ユカリが、メイドであるハルジオを従えて『仮面のトレーナー』の前に現れた。

 彼女の瞳は、地に伏した敗北者たちには一瞥もくれない。ただ、仮面のトレーナーという存在だけを真っ直ぐに射抜いている。

 

「最近、ずいぶんとミアレを荒らし回っていらっしゃると聞きましてよ」

 

 仮面のトレーナーは、それに何も答えない。

 ユカリはさらに続ける。

 

「悪いと言っているわけではありませんわ。ただ」

 

 ユカリにとって、この怪人は秩序を乱す不快な存在ではなかった。

 否、むしろ逆だ。

 ZAロワイヤル不参加、この街で自分がまだ把握できていない未知の輝き。そして、手に入れるべき新たなおもちゃ。

 彼女の興味は、その一点にのみ純粋に集約されていた。

 

「ぜひとも『ユカリトーナメント』に参加していただきたく」

 

 ユカリが指を鳴らすと同時に、ピクシーが戦場に舞い降りた。

 無邪気な美と、計算し尽くされた強さ。

 彼女は優雅な微笑みを湛えたまま、その暴力を解き放つ。

 

「『マジカルシャイン』」

 

 ピクシーの体が虹色に輝く。

 その光が放たれたとき、すでにルチャブルはトレーナーのボールの中だ。

 

 新たに繰り出されたツンドラポケモン、アマルルガは、その光を受けつつも攻撃準備を整えている。

 

 仮面のトレーナーの指差しのみで、アマルルガは指示を理解する。

 

『ラスターカノン』

 

 体の一点に集められた光が、ピクシーに向かって放たれ、直撃。

 効果抜群の攻撃を受けたピクシーは表情を歪ませる。

 想像以上の威力。

 

「まあ」と、ユカリは声を上げる。

 

「この子がこんなにダメージを受けるなんて、お昼以来ですわ」

 

 効果抜群の攻撃とはいえ、自慢のピクシーにこれだけのダメージを与えられるとは。

 

「面白くなってまいりました」

 

 ユカリは右手を構え、髪飾りに、彼女のメガストーンにかざした。

 メガシンカを狙う。

 

 だがその時、仮面のトレーナーが動いた。

 

 新たに繰り出されたポケモンが、突然『すなあらし』を発動したのだ。

 

 その場に吹き荒れる『すなあらし』が、仮面のトレーナーたちを覆い隠さんとする。

 

「ハルジオ」と、ユカリはハルジオに叫んだ。

 

「はっ」とそれを受けたメイドのハルジオは、突然に両手を頭の上に乗せるヒコザルのようなポーズをとった。

 

「『ユカリゾーン』展開!」

 

 それは正体を現さず、すぐに逃げ隠れんとする相手への絶対的な対策だった。

『バトルゾーン』そして『ワイルドゾーン』の秩序を絶対的なものとするホログラムゾーン、彼女が技術権を買い取り、文字通り好きに使っている。彼女の一存で展開される軟禁装置。

 

 すぐさまに紫色の境界線が現れるはずだった。

 

 だが、街は沈黙を守っている。

 

 紫色の灯りが明滅することもなく、警報が鳴ることもない。

 ただ『すなあらし』が二人を包むのみだ。

 完璧に決まったポーズのまま、ハルジオの周囲にだけ、滑稽なほどの静寂が流れる。

 システムは、彼女の呼びかけに反応すらしなかった。

 

 

 

 

『すなあらし』が止んだ後、当然、そこには誰もいなかった。

 ただ、砕かれた石畳と、静まり返った街灯だけが残されている。

 

「どういう事かしら」

 

 若干震えた声を上げながら、ユカリは首をひねった。

 尤も、今この場で屈辱に震えたいのは、バカみたいなポーズで固まったまま空ぶっているハルジオのはずなのだが。

 

「『ユカリゾーン』が発動しなかったようです」

 

 だが、普段から屈辱にまみれているハルジオは、今更この程度の屈辱でうろたえることは無く、ただただ事実のみを主人に報告した。

 

「あなたのポーズを見ればわかります」と、ユカリは吐き捨てる。

 

『ユカリゾーン』が展開されない理由はいくつか考えられる。技術的なものか、あるいは自分の知らない間に自社の株式の半分を誰かに奪われたか。

 

 考えられる中で最も現実的なのは『市長の権限』だろう。

 極限までシームレス化されているだけであって、実際は『ユカリゾーン』にも街のトップである市長の許可が必要だ。

 

 おそらくは、市長が『仮面のトレーナー』に何らかの忖度をしているか。

 

 自分の背後にある市長という権力すら通用しない相手。

 それは、この街のルールそのものを超越した存在が、闇の中に潜んでいることを意味していた。

 

「市長をとっちめなければなりませんわね」

 

 静かな、しかし底冷えするような呟き。

 その声に、怒りの炎が混じっているのを、ハルジオは聞き逃さなかった。

 隣で、メイドの肩が小さく震えている。

 

 だが、ユカリにはもう一つ気になることがあった。

『仮面のトレーナー』のポケモン達、ピクシーの表情を歪めるほどの練度。

 

「まさか、とは思いますが」

 

 その雰囲気は、無かったはずだ。

 あのトレーナー、まぶしいほどにあこがれたあの雰囲気は。

 

 

 

 

 ミアレシティ、陽だまりが石畳を白く焼いている。だが、わずかに夜に寒さをまとい始めたこの時期において、それは心地よい暖かさを街に与えていた。

 

 カントー・ジョウトリーグトレーナー、モモナリは、街角のベンチに浅く腰を下ろしていた。

 夜通しバトルゾーンを『辻斬り』として闊歩した後だ。日の光に体を任せれば、うつらうつらと、意識の境界が溶けていくようだ。

 もし、このベンチに手すりが無ければ人目を気にせず寝転がっていただろう。尤も、そのような人間を警戒しているからこそ手すりがついているのかもしれないが。

 

 そんな彼に、背後から近づく粗暴な足音があった。

 待ちゆく人々は、その足音に視線を向けないようにしている。当然だ、善良な一市民ならば、わざとらしく鳴らされる足音に目を向けることがリスクであることを理解している。何より、その風貌は、明らかに『あの組織』の人間だった。

 

「おい」と、その男は背後からモモナリに声をかけた。

 

 だが、モモナリはそれに反応を見せず、うつらうつらと船をこぐ。

 

「おい」と、男は先ほどよりも大きく、どすの利いた声で叫ぶ。

 

 周辺に、ちょっとした緊張感が走った。

 だが、やはりモモナリはそれに反応しなかった。彼にとって怒気はただのノイズでしかなく、自らの眠気よりも優先するものではなかった。

 

 しびれを切らした男は、わざわざベンチを回り込んでモモナリの正面に立つ。

 

「おい、お前がモモナリだな」

 

 その言葉に、ようやくモモナリはその声が自分に向けられているものだということに気づいた。

 彼は少しうなってから薄目を開けて男を見る、気合の入った剃りこみは、少なくとモモナリの関心は惹かなかった。

 

「ああ、そうだよ」

「ついて来い」

 

 それだけ言って背を向けた男に、モモナリはだるそうに呟く。

 

「なんで」

 

 その返答に、男はゆっくりと振り返った。その表情は引きつっており、明らかないら立ちが見える。

 

「うちのボスがお前をお呼びなんだよ『サビ組』のボスがな」

 

 サビ組、という名前は、少なくともこの街ではそれなりの影響力を持つもののはずだった。

 だが、モモナリはそれに動じない。

 

「じゃあそのボスとやらがここに来ればいいだろう。僕は今忙しいんだ。しばらくここにいるから。待ってるよ」

 

 モモナリは再び目を閉じ、微睡みの続きを貪ろうとする。

 嘘ではない。

 彼にとって、この心地よい眠りを邪魔されること以上に重大な損失は、この街には存在しなかった。

 

「舐めたこと言ってんじゃねえ! こちとら手段は選ばねえぞ!」

 

 男はついに激高した。今にもモモナリに掴みかからんと歩み寄るが、モモナリの心は凪いだままだ。

 モモナリは理解している、その男は怒りたいだけ怒ってはいるが、それを実行はしない。だが、多少うざったくもあった。

 

「じゃあ、どうすればいいと思う?」

 

 モモナリは、そう問うた。

 

 それは、男の逃げ道を完全にふさぐ『挑発』だった。

 モモナリという男は、人間のそういう部分を、ポケモンのように『にげる』事ができないという弱点を明確に理解している。

 

 男は、その言葉にさらに怒るしかなかった。

 そして、耐えかねる。

 

 理屈が通じなければ、その手を使ってもいいと、直属の上司からも言われていた。

 逃げるように、彼はボールに手をかける。

 

「上等だよ。吐いたつば飲み込んじゃねえぞ!」

 

 期待はない。

 高揚もない。

 ただ、目の前の羽虫を払わなければ、安眠は訪れない。

 ひどくつまらなそうな、それでいて淀みのない動作。

 

 モモナリは、すでにボールを投げていた。

 

 

 

 

 ミアレシティの復旧現場。

 重機の咆哮と舞い上がる粉塵にまみれた視察を終え、カラスバはサビ組の事務所へと戻った。

 コートの襟に付着した石灰の汚れを払う間もなく、事務所の空気が異質であることに気づく。

 

 静寂。

 否、それはただの静けさではない。

 敗北の残響だ。

 エントランスには、手持ちのポケモンをボールに戻し、幽霊のように項垂れる部下たちが並んでいた。カラスバの姿を認めるなり、彼らは一様に謝罪の声を絞り出す。

 

「気にすな。無事ならええ」

 

 カラスバは短く応じ、歩みを止めなかった。

 部下たちの傷の深さ、そしてその表情に張り付いた困惑。それだけで、中にいる「何か」の異常性を察するには十分だった。

 彼は迷いなく、最奥にある事務所の重い扉を押し開く。

 

 部屋の中には、芳醇な酒の香りが充満していた。

 来客用の高級ソファー。そこに、これ以上ないほど深く沈み込み、氷の入ったグラスを傾けている男がいた。カントー・ジョウトリーグトレーナー、モモナリだ。

 

 驚く必要はない。彼をこの事務所に呼んだのはカラスバ自身なのだから。むしろ話がスムーズに進んでいると満足げに思っていいはずだ。

 だが、現実はあまりにも想定外だ。モモナリはあまりにもリラックスしており、部下たちはあまりにも打ちひしがれている。

 

 カラスバの視線は、テーブルの上に置かれたボトルに釘付けになった。

 それは、傍らに石像のように硬直して立つ部下、ジプソが「いつか開ける」と大切に隠し持っていたカントー産の秘蔵品だった。

 

「なんがあったんや」

 

 カラスバの声は低く、鋭い。

 ジプソに向けられたその問いに、部下は言葉を詰まらせた。額を伝う冷や汗が、床に落ちる音が聞こえそうなほどの沈黙。

 

「君がカラスバ君だねぇ」

 

 グラスを煽ったモモナリが、カラスバに笑いかけた。

 さらに深くソファーに体を沈める。その無防備な姿勢は、あらゆる不意打ちを無効化するという傲慢な宣言に等しい。

 

「良いソファーだねこれ」

 

 カラスバはジプソを見た。

 ジプソは動かない。動けないのだ。

 不意打ちのチャンスはいくらでもあったはずだ。それが実行されていないということは、すでにその試みが無残に失敗したことを意味している。

 

「お前ほどの男が、なんて様や」

 

 カラスバの呟きに、モモナリは緊張感の欠片もなく手を振ってみせた。

 

「いやあ、彼は『そこそこ』やったよ。だから君を待った。みんなが、君なら僕を何とかすると言っていたからねぇ。お酒もいただいたし」

 

 背筋が凍る。

 ジプソはミアレシティでも指折りの実力者だ。何でもありの裏社会において、その経験値はカラスバ自身をも凌ぐ。

 それを『そこそこ』といなす男。

 

「アドバイスをするなら、雑念がありすぎることだね。『負けたらこうする』とか『負けてもこうする』なんて考えは、バトルの今この瞬間を濁らせるだけだから」

 

 目の前にいるのは、カントーの『最後のチャンピオンロード世代』

 理屈を超えた、暴力の化身。

 

「それで、用件は何かな?」

 

 モモナリはボトルを傾け、再びグラスを満たした。

 ジプソが悲しそうな顔をするのを、カラスバは見逃さない。

 あるいはモモナリもそれを感じていることなのかもしれないが、それは彼には関係のない事だった。

 

「話によっては、聞くよ」

 

 カラスバは恐れを悟られぬよう、気を張りながら対面のソファーに腰を下ろした。

 深くは座らない。足を組む余裕もない。

 相手の出方一つで、この部屋が墓場に変わることを本能が理解していた。

 本当は逃げたい。そうやって今日まで生き延びてきた。

 

 だが、そうもいかない理由がある。立場というものは、人間をがんじがらめに縛るものだ。

 

「この町の秩序のため、あんたを拘束したい」

 

 カラスバの宣告に、モモナリは一瞬だけ呆気にとられたような表情を見せた。

 だが、すぐにその唇がにやりと歪む。

 

「面白いことを言うねぇ。まだ何にもしてないのに」

「とぼけてもあかんで。あんたがミアレを荒らしてるのは間違いないんや」

 

 カラスバは畳みかける。

 

「そんなに変なことはまだしてないってば」

「ネタは割れとる。最近バトルゾーンに『すなあらし』をぎょーさん吹かす謎のトレーナーがおるんや。数年前の『カロスの怪人』とかいうけったいな噂も相まって、ミアレは迷惑しとる。特に今は復興のために妙な噂やいらん騒動は持ち込みたくないんや」

「へえ。そりゃあ、面白そうだねぇ」

 

 モモナリは能天気にグラスを揺らしていたが、数秒のタイムラグを経て、ようやく自分に向けられた疑念の形に気づいたようだった。

 

「いや、それ僕じゃないよ。勘弁してよ」

「犯人は皆そう言うんや。実際、ケーサツの皆さんも証拠がないと踏み込めん。だが、俺たちは違う」

 

 裏の治安維持。それがサビ組の論理だ。

 どうせ最初から倫理観など求められていない、故に『疑わしきを罰する』事ができる。

 

「あんたしかおらんやろ、行く先々での『評判』も聞いとるで」

 

 モモナリは鼻を鳴らした。評判については否定できない。

 

「そりゃ決着がつかないね。君たちは僕を疑っているし、僕は無実を訴えるしかない。そして何より、僕に拘束される趣味は無い」

 

 カラスバは、わずかにジプソに視線を向けた。

 ジプソもまた、モモナリの背後でわずかに頷く。

 不意打ち。

 この至近距離で、二人がかりなら、あるいは。

 

 だが、モモナリがやる気なさそうに右手を上げた。

 

「いいよ、やろうよ」

 

 その声に、殺気が霧散する。

 

「それしかないでしょ。勝った負けたで話を決めよう。おあつらえ向きに、この事務所にはバトルフィールドもある。まあ、なくてもいいけど」

 

 カラスバは息を呑んだ。

 自分たちが狙っていた不意打ちは、この男にとって『正々堂々としたバトルのお誘い』として処理されていた。

 

 気狂いの次元が違う。

 

 モモナリはグラスをテーブルに置いた。

 

「じゃあ、見せてあげるよ。僕の『すなあらし』」

 

 彼がボールに手をかけた、その時だった。

 

 誰のものでもない、凛とした声が部屋に響き渡る。

 

『カラスバ様、人違いをされていますわ』

 

 カラスバの背後。

 空間が歪み、青白い光が収束していく。

 そこに現れたのは、ミアレの象徴たるセレブ、ユカリのホログラムだった。

 

 モモナリはグラスを止めた。驚きはあるが、そこに恐怖はない。最新のホログラム技術。その精巧さに対する、純粋な好奇心だけが瞳に宿る。

 

 対照的に、カラスバは深く、重い溜息をついた。

 

「事務所の中に入るなと、何度も警告したはずや」

 

 ユカリの像は、悪びれる様子もなく微笑んだ。

 

『あら失礼。わたくしの街の中に、この事務所があるものですから』

 

 プライバシーという概念すら、彼女の権限の前では無効化される。この街において、彼女の視線から逃れられる場所など存在しないのだ。

 

『カラスバ様、人違いをされていますわ。その方は『怪人』が現れた時刻にはわたくしとエキシビションマッチを行っていましたの。物理的に、彼が犯人であることはあり得ません』

 

 ユカリの言葉に、カラスバは眉をひそめた。

 

「本気で言うてんのか。この男から漂う空気、あの怪人とそっくりや」

『怪人の正体には心当たりがありますが、まだ確信が持てません。ですが、少なくともモモナリ様ではありませんわ』

 

 ユカリの言葉に嘘はないだろう。だが、カラスバの直感は依然として警鐘を鳴らしている。

 

 理屈か、直感か。

 

 カラスバは後者を選びたかった。だが、ユカリという巨大な面倒を敵に回すリスクを天秤にかけ、渋々と矛を収める。

 

「ユカリ様がそう言わはるんなら、今は信じましょう」

 

 その返答にカラスバに関しては満足したのだろう。ユカリの視線がモモナリへ向く。

 

「ホテルの部屋が、お気に召さなかったかしら?」

 

 責めるような質問だったが、モモナリは肩をすくめるのみ。モモナリは肩をすくめた。

 

「拘束されるのは趣味じゃなくてね。何より、ホテルマンがそこまで強くなかった」

 

 ユカリはその返答を不快に思うどころか、楽しげに目を細めた。

 

『あら、頼もしい。ならば、その有り余る力を『怪人討伐』に使ってくださらない?』

 

 討伐。

 その響きに、モモナリの瞳にわずかな光が宿る。

 

「面白そうだね。いいよ、しばらくはここを拠点にさせてもらう」

 

 モモナリは再びソファーに深く沈み込んだ。

 

「二度と立ち上がりたくないほど、いいソファーだ。酒もまだ残っているしね」

 

 カラスバの顔が引き攣った。

 この歩く災害を事務所に居座らせるなど、組織の崩壊を待つようなものだ。ジプソの秘蔵の酒が尽きる頃には、事務所の壁すら残っていないかもしれない。

 

 故に、カラスバはそれに抗った。

 

「もっとええホテルを知っとる。あんたみたいな男には、おあつらえ向きの場所や」

 

 モモナリは、乾いた笑いを浮かべて口を開く。

 

「ホテルはもういいよ」

 

 カラスバは逃がさない。獲物を誘う猟師の目で、決定的な一言を投じた。

 

「そこには、カロス最強のトレーナーが二人おる。あんたが戦いたがっとる『本物』や」

 

 モモナリの動きが止まった。

 

「本物、ね。どこだい、そこは」

 

 カラスバはそのホテルの名前を出す。

 

「街のはずれにあるが、悪いとこじゃない」

 

 モモナリは携帯端末に指示を出しながら、カラスバに目を向ける。

 

「そこに行けば、退屈せずに済むんだね」

 

 カラスバは頷いた。心の中で、頼むからあっちへ行ってくれと願いながら。

 

 モモナリは最後の一口を飲み干し、今度こそ軽やかに立ち上がった。

 酒の余韻よりも、まだ見ぬ強者の気配が、彼の乾いた心を満たし始めていた。




次回投稿は2/24です。



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